3章 到着、思いと思惑

15話 アマト・フリューゲル子爵

 グロリアの案内でアマトの眠る医療区までたどり着いたフィリア達だったが言われた部屋に近づくにつれて人の行き来が増えていく。それまで通り過ぎた部屋の中から人のうめき声が聞こえてくることもある。医療区の名前通り怪我人の治療をする場所だ。街は浮かれきっているがついさっきまで戦争が起きていたのだ。当然その際に無傷の勝利などありえない話。

 怪我人の対処に追われて医者も使用人も大忙し。ノルンならともかく見知らぬフィリアやダグ達を顧みる人など居ない。


「……ここだ」


 フィリアの狼亜人としての耳聡さもあってかアマトがいる部屋はすぐに見つかった。扉の奥からノルンの声が聞こえればそこに違いない。そして聞こえた扉を開ける


「……起きろ」


 フィリア達から見てアマトが眠るベッドの奥、窓際にノルンは見えた。


「……うぐううぅゥ!」


 その次に見えたのはノルンの奇行だった。怪我をしているアマトの眠るベッドのシーツに手をかけ全力で引っ張る姿。

それを見れば乱心したと思われても不思議ではないがフィリアはノルンが理由も無くそんなことをする人間ではないと知っている。


「何してるんですかノルンさん!」

「んぅ、あと少しぃ……」


 その声でフィリアたちも部屋にいる三人目の存在に気が付いた。思わずベッドに駆け寄るとアマトの腕を枕代わりにして眠っている青い髪の女がいた。


「………………どなた?」

「んー……んふふ」


 まだ意識が半分眠っている状態らしく目を瞑り、笑みを浮かべながらアマトに抱き着いている。


「……リム、いい加減にしろ」

「やあだ、左があいてるでしよ」


 その光景を見てああなるほどと直感的に理解した。ノルンよりもこのアマトの隣にいる人の方が一枚上手だ、と。


「……一理ある」

「えっ!?」

「うるさーい」


 二人はやはり親しい仲なのだろう。口論するかと思えばすぐに意気投合。ノルンが一方的に流されているだけとも言えるがどちらにせよ良好なのことには変わりない。


「あのぅ!アマトさんは怪我をしてるんですけど!」

「……うるさい」

「アマトくんがおきちゃうでしょ〜」

「起きているよ」


 死人のように動きを見せなかったアマトが唐突に目を見開く。すぐそばにいたリムは勿論フィリアも驚き少し後ずさりをする。


「うわぁ!びっくりさせないでよもう……大丈夫なの?」

「ああ、直ぐにでも戻らないとな。ロイのことだあまり期待はできない、一ヶ月分程は遅れているだろうから」


 上着に手を入れながらこれからどうするのか、ツーカーで話し合うアマトとリム。その光景にフィリアは無意識に羨望の眼差しを向けていた。


「しかし、随分早く戻ってきたなノルン。…………ノルン?」

「すぅ、すぅ……」


 眠っている。ベッドに入って数秒、リムの大声もあったはずなのにそんなものは知らぬとばかりに熟睡している。


「まあいいさ」


 そう言ってノルンをベッドの中央に引き寄せ足を枕に乗せるて頭からカバーをかける。一連の動きに迷いがないことと、ノルンがそれでも眠っていることに思わず笑ってしまうフィリア。


「リム、すまないがそこの客人の相手を頼む」

「え……?」


 それまで困惑しながらも楽しげな雰囲気に乗っていたフィリアだがアマトの言葉で一気に冷たい感覚に支配され、笑みは霧散する。具体的な表現は出来ないが心の中の何かが崩れるようなそんな気分だった。

 起き上がり、ダグとリンゼの姿を認めると優しく頭をなでたが、フィリアには一瞥をくれることすらなく、服を着てすぐにそのまま部屋を出て行った。


「…………よし!片付けよう!」

「あ、あの……」


 リムは静まる空気を変えようと手を叩きノルンの上から寝具をかぶせる。

 一方で平静を取り戻せず周りにいる者に助けを求めるようにフィリアは声を絞り出す。

 だがノルンは本当に眠っている、ダグとリンゼは心の機微を察することは出来ない。リムは言ったように後片付けに終始している。


「ま、これで良いかな。それじゃああたしの部屋に案内するね」

「え、と……はい」


 気の沈みかけていたフィリアはようやくかけられた言葉をよく飲み込みもせずに肯く。

結局その部屋には何重にもカバーをかけられ足だけを出し蓑虫のようになったノルンだけが残っていた。


「こっちこっち」


 手招きするように案内されリムの部屋へと入る。豪華さや優雅さは感じられない。ある程度の方向性を決め、置きたいものを置いて色合いを自身の髪色と同じ青を主体で整えている。個室としての特有さはあれど貴族抱えの着飾った印象は感じられなかった。


「あたしはリム。あなた達は?」

「あ、フィリア…です。この子達はダグとリンゼ」

「ふーん」


 簡単な返答をしながらリムの全身を見る。デカい。この表現がこれほど似合う女は目の前の彼女しかいないだろう。女の身でありながら190cmは優に超えている。衣服が衣服なので背丈だけでなく肉体的な魅力が際立つ。顔も整っていてとても目立つ。道中の男衆が振り返るわけだ。


「好きなところに座って。ベッドでもいいよ」


 その言葉に甘えてダグとリンゼをベッドに座らせつつ自分はリムと向かい合うように椅子に座る。


「さて、何から話し合う?」


 決まっている。アマトの態度についてだ。自分が特別気に入られているとは微塵も思っていない。だがさっきのあれはいったい何だったのか?数日間の短い付き合いではあったが確かに一緒に旅をしていたし雇い主と使用人という乾いた関係ではないと断言できる。そのはずなのに……


「あの、アマトさんは……」

「……?アマトくんがどうかしたの?」

「どうかしたという訳ではなくて、その、いつもあんな感じなんですか?」

「あんな感じ?」


 聞き出さずにはいられなかった。何故あのような、自分がその場にいないかのような態度で部屋を出て行ったのか。


「……あんな風に、まるで赤の他人のように接するなんてこと」

「ん〜そう言えば何か不自然だったかな?」


 やはりそうなのか、どこか安心したような、同時に悲しさやむなしさを感じてしまう。『不自然』な行動をアマトに取らせてしまう何かを自分はしてしまったのかと


「何て言えばいいか、無理矢理縁を切ろうとしてる、みたいな」


 その言葉でさらに衝撃を受けた。いったい自分の何がいけなかったのか?食事のマナーか?下手くそな応急処置か?それともやはりあの裏切りなのか?考えれば考えるほどネガティブな思考に陥っていく。


「そ…んな……」

「……やっぱりちょっと外に出ようか」


 見る側にもすぐに伝わる程悲しむフィリア。それを見かねて二人きりで話せる場所に行こうと提案する。フィリアは俯きながらもそれを了承した。 執務を行う一室でアマトは頭を抱えていた。その原因は机に置かれた手つかずの紙の束。


「なんだコレは!本当に最低限しか出来ていないのかあいつは!?」

「しかしあれも必死で……」


 アマトが居ない間内政を実質的に取り仕切っているいたのはロイだ。彼なりに努力したということを側で見ていたグリフィスは知っている。


「夜通しで努力したとでも言いたいのか」

「い、いえ!ただ……」


 言葉に詰まる。ロイが文官としての力を持つことが出来るようにとグリフィスなりに気を使い、多少厳しめにとはいえ可能な限りフォローに回った。それでも限界があり内政に滞ってしまった部分があることは事実。


「仕方ない、文官寄りの人間を懐に引き込まなかった私の失態でもある」


 アマトが自分の過失だと自己完結したことでその場の張りつめた空気は消え、書類は少しずつ処理され始める。


「ところでその本人はどこに行った?」


 ほっとしたのも束の間、グリフィスは頭をフルに回転させる。果たしてこのことを言うべきか。ポーカーフェイスの奥でアマトがどんな心情であるか読み取れず下手な事は言えない。


「どうかしたのか?」

「……いえ、ただ街に出ているだけではないかと」


 少しの沈黙と言葉を濁す態度に不審に感じながらもその話題に終わりを告げた。グリフィスは内心で非常に焦っている。背筋に嫌な汗が流れるのを感じた。


「まあ今はそんなことはいい。私は明後日に王都へ向かう。三ヶ月も姿を見せなかったわけだからな」

「明後日ですか?ここからでは」


 そしてグリフィスに次の爆弾を渡す。二日でウィルゼールからフラーズ王都ジュレールまで向かうには馬車では一日以上の時間がかかる。それだけなら問題ないがアマトの口ぶりから王城にも行くつもりであることをグリフィスは読み取る。

フラーズでは王に謁見するために面倒な手続きが必要になる。

貴族がいくら幅を利かせようと、戦場で勇ましい活躍をしようとも、フラーズと言う国では国王が絶対の力とその象徴となっている。いくら『英雄』フリューゲル子爵でも近縁者でない者が直ぐに謁見など出来ない。

 それを懸念しているグリフィスだがアマトは抜かりないと指を振り余裕で答える。


「問題無い。王都にはそろそろ伝わっている頃だ。アルベルトさんに会えたことは僥倖だったな」

「じ…祖父に会われたのですか!?」


 今度こそグリフィスは動揺を隠し切れなかった。グリフィスの家系は代々貴族に仕えてきた。世代毎に役割は少し変わり、グリフィスは子爵お抱えの騎士として、グリフィスの母は給仕として、そしてグリフィスの祖父アルベルトは使用人としての人生を送っている。


「何だ知らなかったのか。あの人はそういったことに無頓着だからな」

「……分かりました。では私も同行します」

「断る」


 グリフィスはアルベルトが何故アマトと出会ったのかを直接聞く為に同行を申し出たがしかし淡々とした切り返しに文句を言う余地すらも与えられなかった。


「お前は意外と顔に出るからな、今回は向いていない」

「……分かりました」

「言うことは以上だ、戻っていい」


 不満げな顔をしながらもグリフィスは大人しく部屋から去っていく。後に残ったのは目の前の紙束に悩むアマトだけだった。今から始めては病み上がりの体にはさぞかし堪えるだろう。


「さて、やるか……やるか…………やるのか…………やらなきゃ駄目か?」



 ☆☆☆



「へえ、砂浜で倒れていたところを偶然かぁ」


 邸宅の内側にある庭園の一角でフィリアとリムは草の上に座り込んでいた。

最初どちらも口を閉じたまま相手の様子をうかがっていたが先にフィリアが口火を切った。


「その後、私はアマトさんに旅に誘われたんです」

「それで、喜んで!……みたいな?」


 相槌を打ちながらフィリアの身の上話の聞き手にリムは回っている。


「違うの?」

「……私は」


 一度開いた口を自分で止めることは出来ない。ついには自身の過去を洗いざらい吐き出した。ノルンの時と同じ様に、生まれから奴隷時代、そして自身が最も忌むべき仇返しの記憶まで。


「そんな事が……そう言えばあの時…………」


 その中でもアマトへの仇返しはやはりリムにも思い当たることがあったのか爪を齧りながら考え込んでいる。


「だから怖かったんです。会いたいと思っていても、また自分は何かしてしまうんじゃないかって、それと同時に命の恩人でもまた自分は道具としてしか見られないんじゃないかって……」


 フィリアは心の中に潜めていた不安を打ち明けた。

自分は使われる道具だった。それを違うと言ってくれた人をまた自分は裏切ってしまうのではないのか、それともすでに失望しているか顔も忘れてしまっているか。


「でもアマトさんは優しかった」


 だが彼は覚えていた。それだけでなく自分に生きていてくれて良かったとまで言ってくれたのだ。さらに自分が仇に返したことすらどうでもいいと水に流し、旅に誘った。


「優しかったのに、どうしてあんな!」


 だからこそ今日アマトから赤の他人のような扱いをされたときの衝撃が大きすぎた。まるでそれまでの出来事がなかったかのように、アマトとの旅の中で知ったこと見たこと、ノルンやダグ、リンゼ達と出会い過ぎていった日々。わずか一週間に満たない間だったとしても、それが完全に否定されたかのような気分に陥っていた。


「それで?どうしたいの?」


 その日、最も冷たく感じる声だった。それで終わりか?長々と何を語っているのか、というように


「どう、と言われても……」


 フィリアにもそれはわからなかった。なぜこんな風に言っているのか、言っているだけなのか。


「まさかあたしが御涙頂戴でアマトくんに取りなしてくれる、なんて薄っぺらいこと期待してたんじゃないよね?」

「それは……!」


 違う、と真っ向から否定する事が出来なかった。リムの言葉そのままほど浅ましい打算こそ無かったがフィリアは目の前のこの人なら自分に共感してくれるのではないかと理由も無く考えていた。そして、彼女のほうから自分に手を差し出してくれるのではないか、と。


「何か勘違いしてるみたいだけど、あたしはあなたの身の上話とか何の興味もないの、どうでもいいの」

「っ……!」


 目の色を一切変える事無くそう言い切るリム。それまで自分を見守ってくれている様に見えた瞳が今は棘の様に鋭く感じられた。


「回りくどい言い方は嫌いだからハッキリして。何がしたいの?」


だがそれもまたフィリアの思い込みに過ぎないのだろう。今のフィリアは値踏みされている状態だ。リムの目は真実のフィリアを捉えようとしている。


「…………い」

「んー?」

「………………たい」

「聞こえなーい」

「……しょ………たい……」

「ハッキリして、心にひーびーかーなーいーのー!」

「一緒にいたい!」


 それまでの脆く崩れ去りそうな表情から一転、決意のこもった強い目でリムを見返す。


「…………」

「あの日からずっと願い続けてた。みたい、会いたい、それがかなったからもういいと思っていた。でも違った!私はアマトさんと一緒に生きていきたい!同じ道を歩いていきたい!」


 長い人生の中で、フィリアは初めて自分だけの答えを出した。誰かに与えられる道の俯いて歩くのでも、それが当然なのだと受け入れるのでもない、この数日の中で得て、自身が見出した答えだった。


「ふふん、そうこなくっちゃ」


 リムはその言葉を聞き届け初めて打算の感じられないまっすぐな笑顔を見せた。そして立ち上がり、フィリアの手を取るとアマトのいる執務室へ駆け出していく。


『どうぞ』


 扉越しにノックでアマトの許可を得るとすぐに扉を開く。そこには途方もない数の書類から目を離さずに作業を続けるアマトの姿があった。


「リムか、どうした?」

「ううん、あたしじゃなくて」

「ちよ、ちょっと待って……うわぁ!」


 リムは執務室の中にフィリアを放り込むように手を放す。


「じゃあ後は二人でね」


 それだけ言うとリムはすぐに部屋の扉を閉じ、入り口を自分の体で封じた。リムにできる手伝いはここまで、後はフィリア次第だ。聞き耳を立ててはいるが……


「……」


 久しぶりにアマトとの二人きりになった。

正確にはコーロニアの宿に入るまでだが自分の気持ちを自覚した今とそれまでではまるきり状況が違う。


「で?私に何の用かな?」

「あの、その……」

「客人相手に失礼ではあるが時間が惜しい。話は簡潔にして頂きたい」


 淡々と書類をまとめていく。その姿を横から見てフィリアは全身が凍えるように感じた。


「何ですかそれ!」


 だが、もう言葉に詰まったりはしない。ちゃんと話をしてもらおうと少々声に怒りが乗っている。一方のアマトは特に驚く様子を見せずフィリアの方へ向き直る。


「悪かったよ、君との関連は周りに説明する事が出来なかったからね」

「それって……」


 しかしその希望はまたしても裏切られる事になる。


「ほら」


 机から小さな麻袋を取り出すとアマトは手に持ったそれをフィリアに投げて渡す。


「金貨で40枚、数日の労働としては破格の量だ。まあ、正当な対価だな」


 投げられたそれを両手で受け取ったときに袋の中でジャラジャラと音がするのが分かった。中を見ることはなかったがアマトの言うことは本当だろう。

 これでこの縁は終わりにしようというのだ。


「…………ありがとうございます」

「ああ」


 結局こうなのだ。アマトにとってフィリアとの出会いはこの程度だったということ。アマトの中でのフィリアの存在はその程度の小さなものだったということ。それだけだ。


「…………やっぱりいらない!」

「……なにがしたいんださっきから」


 だがフィリアにはこの程度で済ませていい出会いではなかった。フィリアの中でのアマトの存在はその程度で済ませていい小さなものではなかった。

今度こそ折れない。そう決めて手にした麻袋を突き返そうとする。


「話がしたいんです」

「だから今こうして……」


 たとえ自分の願いが、望みが叶わなくとも、


「違う!」


 自分の想いに納得のいく形で、後悔の無い形で、


「私はと話がしたいんです!今の貴方じゃない!」


 決着を付けようと心に決めていた。

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