ソースとケチャップ(3)

 『あさひのへや』と書かれたネームプレートが掛かるドアを軽くノックする。


「浅緋、朝ご飯できたぞ」


 コンコンっと、手の甲がドアを打つと軽やかな音が鳴るが、それとは対照的に俺の気分は重かった。

 朝食が出来たと呼びに来ても、浅緋から反応がない。

 昨日は確かに返事があったのに今日は部屋の中から物音さえしなかった。


「あ、浅緋……?」


 あんまり声を張り上げたりドアを叩きすぎても、うざがられるだけだろう。

 そんな考えが頭を過り、彼女の名を呼ぶ度、声が急速に小さくなっていく。

 あんまりに反応がないんで、本当に浅緋が俺の作ったご飯さえ拒絶するようになったのかと、そう思った時だった。

 ドアが開き、隙間から浅緋の顔が覗いた!


「……な、何?」


 短く驚いたような声を上げ、浅緋は俺に質問する。


「ああ、ご飯出来たぞって、呼びに来たんだが」

「それは聞こえてた。なんでドアの前に突っ立てるの?」


 不審なモノでも見るような目で訊いてくる彼女に、俺は乾いた笑いしか出てこなかった。



 台所に着くと、浅緋は自分の箸を取り、食器棚に彼女の茶碗を取りに行く。

 白地に小さな黒い猫のワンポイントのイラストが描かれたもので、彼女が前の家から持ってきた荷物の一つだ。

 以前の食事中に母さんが浅緋から訊き出した話では、大変気に入っているらしく、それ以来食器洗いの時は割らないように細心の注意を払っていたりする。

 そんな茶碗にご飯を小盛りによそうと、彼女は食卓のイスに座った。

 だが、今から食事という時に浅緋のテーブルに並べられたおかずを見る表情は暗い。

 どうしたらいいものかと頭の中で考えながら、俺はぱんっと手を合わせた。


「じゃあ、いただきます」

「……いただきます」


 湯気が立ち上る味噌汁をすすりながら、目の端で浅緋を見る。

 彼女はとりあえず、白ご飯に手を付けながらホウレンソウの卵炒めに箸を伸ばしていく。

 ひとまず、俺の料理でもちゃんと食べてくれることに一安心した。

 けど、食事中も浅緋との間に会話はない。

 屋外の蝉の声がぼんやりと室内に漏れて聞こえる中、食器を置く音や箸が皿の底に触れる音が妙にハッキリと聞こえた。

 この時間、一見会話が一切生まれることのない冷めた時間に思える。

 けど、収穫がまるでなかった訳ではなかった。

 浅緋は口は聞いてくれなくても、作ったご飯は口にしてくれる。

 別に会話をするだけがコミュニケーションと言う訳じゃない筈だ。

 なら、俺は彼女が喜んで食べてくれるようなものを作って胃袋を、延いては信頼を勝ち得たいと思っていた。

 浅緋が黙々と食事を進めていく中、俺はその機会を窺っていた。

 そして――


「ごちそうさま」


 ――浅緋が箸を置いて手を合わせたその瞬間、空かさず即行動に出た。


「なあ、お昼は何が食べたい?」


 母さんが昨日浅緋の好物だと言うコロッケを作ったのを見習っての発言だった。

 やはり、彼女の食べたいものを作るのが一番手っ取り早いと思う。

 しかし、俺の意に反して浅緋の反応は薄かった。


「……今食べたばっかりなのに、もう昼食のはなし?」


 呆れたと言わんばかりに俺をジトリと見つめる浅緋に、返す言葉がなかった。

 しかも、浅緋はもう朝食を食べ終わっているが、俺は考え事をしていたせいもあって半分程しか食べ終わっていない。

 そんな状況で、もう昼の話をするのはいささか強引だったかもしれない。

 だが、ここで退いても何にも解決しないんだ。

 そう自分に言い聞かせ、俺はありったけの気力を振り絞って気持ちを立て直す。


「ほら今日は日曜で俺、大学休みだからさ。時間ある時ぐらいリクエストに応えようかなって」

「……リクエスト?」


 取り繕うために口を吐いて出た言葉だったが、存外浅緋に反応があった。

と、そう思ったのも束の間。


「別に、なんでもいいよ」


 彼女の口から出てきたのは料理名でも食材の名前でもなく、世間のお母さんの嫌いなワードランキングに殿堂入りしそうな「なんでもいい」だった。

 決して目線を合わすことなく放たれた一言に、一瞬気後れしそうになる。

 だが、まだ諦めてはならない。

 こういう時には、こちらから選択肢を差し伸べることも大事だ。


「じゃあさ、オムライスと焼き飯だったら、どっちがいい?」


 今朝見た時の冷蔵庫の中身を思い出しながら、できそうな料理名を挙げてみる。

 すると、浅緋はちらりと俺に視線を向けて「なんか、どっちもご飯だね」と、一蹴した。

 正直、口に出した後で自分でもそう思った。

 多少の差異はあれど、大きな違いは卵に包まれているか否かくらいしかないこの二品目を、どうして俺は挙げたのだろうか。

 そう反省しながら、浅緋の方を見ると、彼女は他に何かないの? とでも言いたげな目線を俺にぶつけてくる。


「じゃあ、焼きそばとか――」


 俺は、なんとか応えねばと思って、買い出しに出ることも視野に入れ始めたその時。


「オムライス」


 凛とした浅緋の声で紡がれたその料理名は、俺にとって一筋の光明だった。


「え?」

「あたし、オムライスが食べたい」


 浅緋は俺に呆れ、見兼ねたかのようにふいっと目線を俺から外しながらそう告げた。

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