遠然房異聞

第一話 河童と皿屋敷

河童と皿屋敷 起

 夕暮れが町を紅く染め上げる。迫り来る闇を怖れて人々は家路を急ぐ。

 そんな喧噪けんそうの中で、ひっそりと静寂に包まれたその店の存在に彼らは気付かない。

 家々の隙間に無理矢理押し込んだようにして建っている立方体の木造家屋。

 壁は漆黒に塗りたくられており白墨で描かれた店名を際立たせていた。

 店の名は遠然房とおせんぼう。入り口に唯一通じている小路には一切の人気がない。

 そこを一人の少年が、背負ったランドセルを弾ませながら走り抜けていった。

 少年は慣れた手つきで遠然房の戸を開け放つと開口一番に叫んだ。


「師匠っ! いる!?」


 内壁は外壁と同じように真黒く染められている。

 店内は元よりそれほど広くはないが、雑然と放り出された骨董品と押し寄せる闇とのせいで実際以上に狭く感じられた。

 建物というよりは名前の通り一つの房(小部屋)のようだ。

 天井の中央から吊り下がっている古ぼけた電灯だけが頼りない明滅を繰り返していた。

 小さな光源が床に作り出した白い円。その円の一歩外の闇の中から少年の問い掛けに答える声がした。


「いらっしゃいませ。ようこそ遠然房へ」


 すうっと奥から浮かび上がってきた若い男。

 彼こそがこの遠然房の店主。通称・遠然坊とおせんぼうである。

 見た目は二十代から三十代ほどに思えるが、和式眼鏡の奥の瞳には老獪さが滲んでいる。

 少し痩せ気味の体に大きく余った着物の袖に腕を通した格好で、遠然坊は少年を出迎えた。


「っと、君でしたか。また来たんですね」

「そんな言い方はないだろ、師匠」


 遠然坊を『師匠』と呼ぶこの少年の名はさかいミナト。

 小学四年生のミナトは、ある日この店を見つけてから大のお気に入りになり近頃は毎日のように足を運んでいるのだった。

 一方で遠然坊はミナトの来訪をあまり快く思ってはいないようで、眉根を寄せながら小言を漏らす。


「何度も言うようですが師匠と呼ぶのはやめなさい。それからここにくるのは控えた方がよいと――」

「なあ師匠。今は何か面白い仕事を受けてないの?」


 まるで聞く耳を持たないミナトに、遠然坊は諦観混じりの息を吐くしかなかった。


「あったら君とのんびり話してなどいられませんよ」


 期待外れの返答に気落ちしつつもミナトの興味はすぐに他に移っていた。


「じゃあさここにある色んな道具。ちょっと触らせてよ」


 ミナトが近くにあった巻物に手を伸ばすと、遠然坊はひょいっと彼の後ろからそれを取り上げた。


「いけません。どれも貴重な品なんですから」


 尽く融通の利かない遠然坊にミナトはふてくされて口を尖らせる。


「ちぇ~、つまらないなあ。今日こそは何かあると思ってたのに」

「つまらないところで悪かったですね。ほら、気が済んだのなら早くお帰りなさい」


 遠然坊は相も変わらず釣れない態度。ミナトは本当につまらなくなってきて、ランドセルを担ぎ直し帰りかけた。

 そのとき、ミナトを引き留めるように入り口の鈴の音が店内に鳴り響いた。


「遠然坊の旦那っ! いるかい!?」


 暖簾をくぐり現れた客を一目見て、ミナトは満天の星空のようにキラキラと目を輝かせた。


「か、か……河童だあ~!!」


 そう、その客は何と人間ではなく河童。遠然房は妖怪相手の何でも屋――妖怪相談所なのだ。

 ミナトがこの店に通っている最大のお目当ては、訪れる妖怪たちとの触れ合いであった。

 浮足立つ気持ちを抑えきれずにミナトは目の前の河童に飛び付いた。


「うわああ。河童だ河童。すっげえ本物! 本当に全身緑色だよ。やっぱ髪はおかっぱなんだね。思ったより体湿ってないんだあ。きゅうりは? やっぱりきゅうりが好きなの? 後は相撲も好きなんだよね。あとでやろうよ! 僕が勝ったらあ……そうだなそうだな」

「な、何なんすかこのガキ?」


 来店早々、大興奮の謎の少年に体中をベタベタ撫で回され河童は動揺を隠せない。

 当のミナトはそんな河童をよそに昂る感情を存分に発露させていた。


「ちゃんと甲羅もしょってる! 水掻き! うおおかっこいい~。思ってたまんまだ~。あれ? あれあれ? 皿は? 皿がないよ?」


 一つの異変に気付いたことを契機に、ミナトの怒涛どとうの畳み掛けにようやく落ち着きが見え始める。

 河童は心の底からほっとした様子で、一歩前に出て遠然坊に用件を告げた。


「そ、そうなんすよ、旦那。実はおいらの皿がなくなっちまったんです。そいつを探してもらいたいんすよ」

「皿がなくなったって!? それはやばいよ」


 河童にとっての頭の皿は命も同然。何せ皿が乾き切ったり割れたりした河童は死んでしまうのだ。

 当人たる河童自身はもちろんのことミナトも事の重大さに焦る中で、遠然坊は一人落ち着きを保っていた。


「まずはいらっしゃいませ。ようこそ遠然房へ」


 ミナトのせいで言う暇のなかった挨拶をしっかりとした上で穏やかな口調で続ける。


「ご依頼内容は紛失した皿の捜索ということでよろしいですね。依頼料についてですが、当店では金銭の代わりに妖怪縁の品を一ついただくことになっております」


 遠然房を埋め尽くす道具の数々はすべて過去の依頼者からもらったものだった。

 売り物だと誤解されることが多いが、これらの品は一つ残らず店主のコレクションであり手放す気など欠片もないのである。


「もちろんお礼は用意させてもらうっすよ。だから一刻も早くおいらの皿を取り戻してくれ」

「承りました。では皿をなくした場所に心当たりはございますか?」


 依頼の引き受けが終わり遠然坊の問いは実際的なものへと移る。

 だがこれに対する依頼者の答えはいささか歯切れが悪いものだった。


「それが……心当たりはまったくなくてよ。いつの間になくなったんだかも分からねえんすよ」


 つまり手掛かりはまるでないということになるのだが、絶望的な状況にも関わらず遠然坊は微塵も揺らがない。

 どころか自信たっぷりにこう言い放った。


「分かりました。では二日後までには取り戻してみせましょう」


 これを聞いて安心したのか、河童は深々と頭を下げると店を出て行った。

 後に残るのは河童がやってくる少し前と同じ、無邪気な少年と呆れ顔の店主。


「師匠師匠。僕も明日からの河童の皿探し、ついてっていい? 土日で学校も休みだしさ」

「どうせ止めてもついてくるのでしょう。勝手にしなさい」


 師からの言質を得て、少年はガッツポーズをしながら思い切り飛び跳ねた。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る