第六話 件と鵺 承

 自分こそが本当の仏嫌房(ぶっきらぼう)店主だと名乗る中年の男。

 少年は彼の見るからに無精(ぶしょう)な身なりと乱雑な店内、それから適当極まる店名とを比べて自然と納得していた。

 ただそうなると先の男の方は何者だったのか?

 一人で考えあぐねていたところで答えが出るはずもなく、少年は来客中とは思えない態度で寛(くつろ)いでいる店主に再度質問した。

「あなたが店主だというなら、さっきの人?――は一体何だったっていうんですか?」

「まあ落ち着け。せっかちな坊主だな。俺もあっちこっち走り回ってきた後で疲れてんだよ。ちょいと一服してから話すから、どっかその辺に座って待ってろ」

「座れっていったって……」

 何度も繰り返す通り店内は足の踏み場もないほど散らかっており、店主が踏ん反り返っているど真ん中以外で腰を下ろせそうな場所などほとんどなかった。

 それでも何とか少年は骨董品の隙間と隙間を縫うようなか細い空間を見つけて体を収める。

 そうこうしている間に、ちょうどよく店主は煙管(きせる)での一服を終えるところだった。

「さてと、さっきの奴が何者かって話だったな」

「はい」

「ありゃあ鵺(ぬえ)だ」

「鵺?」

 さも当然のように店主の口から発された言葉は、少年には聞き覚えのないものだった。

「鵺は一言で言やあ正体不明の正体さ」

「……よく分かりませんが」

「そのよく分からないものに対して、人が抱く恐怖心そのものってことだ。故にどこにだって現れるし何者にだってなれる」

 店主は縁なしの眼鏡を押し上げながら話を続ける。

 さっきの偽物とは違い、この人は何て眼鏡が似合わないんだろうと少年は思いながら耳を傾けた。

「俺はこいつを退治しようと長い間追いかけてるんだが、つい最近ある場所で鵺が頻繁(ひんぱん)に出没するって噂を聞いた。

 で、そこを調べるために出ていたんだがどうやらまんまとあの野郎に躍らされていたみてえだな」

 苛立たしさを隠すことなく煙管を灰皿の縁に叩きつける店主。

 少年はその様子に少し萎縮(いしゅく)しながらも、彼の言葉の真意を質(ただ)そうとした。

「どういうことですか? 踊らされていたって」

「俺が聞いた噂は鵺が広めたデマだったってことだ。

 鵺の狙いはそのデマで俺を店から追い出し、その間に俺のふりをして坊主――お前に接触することにあった」

「僕に接触!? 何でそんな手間までかけて僕なんかに――」

 突然の店主の発言が、少年にもたらした動揺はこれまでの比ではなかった。

 それもそのはず。これまでは意味が分からない出来事に混乱はさせられても、あくまで自分は部外者だと思っていた。

 ところがここでいきなり事態の中心に放り込まれてしまったのだから。

 少年が怯えるのに反するかのように店主は平坦な、冷淡とも思える口調で言った。

「知らん。聞きてえのはこっちだぜ。さて坊主、今度はお前の番だ。お前が鵺に狙われる理由。その心当たり。話してもらおうか」

 質問を質問で返されて困り果てながらも、少年は今一度呼吸を整えて本来の冷静さを取り戻そうと努める。

「はっきりとした理由は分かりませんけど、心当たりは――」

 あると言えばある。

 そしてそれはそのまま、少年がこの店を訪れた理由と経緯も内包していた。

「実はある日を境に、急に少し先の未来の光景が頭の中に浮かんでくるようになったんです。いや、浮かぶというか焼き付けられるみたいな感じ。

 その後しばらくはいつもひどい眩暈(めまい)がして動けなくなるくらいで。まるで体中の力が頭に集まって、激しく光ったと思ったらそれから上に抜けていくような」

 少年は一言ずつ言葉を探りながら、何とか自分を襲う謎の感覚を伝えようと試みた。

 それが功を奏しているのか否かは定かではないが、ともかく店主は口を挟むことなくじっと少年の話を聞いていた。 

「それで一番最後に見た光景が、僕がこの店にやってくるところだったんです。来るかどうか少し迷いましたけど、他に何の手掛かりもなかったので」

 店主は少年が語り終えてからもしばらく黙考を続けていたが、やがておもむろに口を開いた。

「そりゃあ件(くだん)だな」

「件?」

 少年にはまた聞き覚えのない言葉だった。

「お前、最近牛肉食ったか?」

 いきなりの脈絡のない問いに面を喰らいながらも、少年は卑屈気味に答えた。

「見ての通り、そんなもの食べられる生活はしていませんよ」

「じゃあ人肉は?」

「…………あれは不味かった」

「それだな間違いない」

 何てことのない店主の態度に少年は逆に驚かされてしまった。

「驚かないんですか?」

「別に。こんな時代だ。そのへんでのたれ死んでいる奴を食うことくらい珍しくもねえし、誰も文句は言わねえよ」

 少年の中にずっと滞っていた罪悪感は、消えることはなかったが一部別のものに変わったような気がした。

 それはもしかしたら、以前よりもっと黒く重いものなのかもしれないが。

「ただ運が悪かったな。お前が食ったのは人の肉じゃなく件の肉だった」

 そんな少年の心境など知ったことではないとばかりに店主は続ける。

「件は読んで字のごとく人の頭に牛の体を持った妖怪だ。だが件の最大の特徴はそんな気持ちの悪い見た目じゃなく、絶対に外れない予言をするってところにある」

「つまり件の肉を食べたことで、僕に件の力が備わったってことですか?」

「その通り。ただし件にはもう一つ特徴がある。それは短命だってことだ。人魚の肉を食ったら不老長寿を得るというが件の肉を食ったら早死にする」

 またも出し抜けに衝撃的な事実を突き付けられて、少年はもはや動揺を通り越して逆に開き直れてしまった。

 ――こんな不潔で気遣いのできないような大人には絶対にならないようにしよう。あの偽物の方がずっとマシだ。

 そんなことを考える余裕さえ生まれていた。

 もっとも大人になることさえ、このままだとできなくなりそうだったが。

「短命って……具体的にはいくつぐらいまで生きられるんですか?」

「知らん」

 無責任な店主の返答にも少年はもう何も思わない。最初から期待はしていなかった。

「分かるとすれば坊主、お前だ」

「僕が? どういうことですか?」

 店主のいい加減さには諦めがつきはじめた少年も、未だこの唐突さにはついていけていなかった。

「そもそも件が短命なわけは、予知した未来に応じてその時間分の寿命が引かれるからだ。例えばこの妖怪が三年先の未来を予知したとすると――」

「――三年分の寿命が引かれる、ってことですか」

 体中の生気が抜けていくあの感覚を思い起こしながらの少年の言葉に店主は頷く。

「そういうことだ」

 ようやく店主の言葉の意味を理解した少年は、自分がこれまで予知した時間を暗算し始めた。

 結果は一年と半年ほど。つまり自分の元々の寿命がいくらか知らないが、ほとんど気にする必要もない数字だ。

 だが、これはあくまで現時点での話。件の予知能力は全くの不規則。今この瞬間に百年後の未来を見せられて即死する可能性も十二分にある。

「あの、それで僕はどうすれば助かるんですか?」

「知らん。というかお前、件のことばかりに気を取られて忘れてるんじゃねえだろうな」

「忘れてる? 何をですか?」

 店主は呆れ返ったように溜息を吐くと、後頭部を掻(か)き毟(むし)りながら言った。

「鵺だよ。そもそも俺はお前に鵺に襲われる心当たりがないかを聞いて、この話が始まったんだ」

 確かにその通り。少年はすっかりと話の枕について忘れてしまっていたが、しかしそれでどうしてこんな謗(そし)りを受けなければならないのか。

 誰だって自分の命があとわずかばかりなどと言われれば、先にどんな話をしていたかなんて忘れても無理はないだろうに。

 やっぱりこんな大人になるのはごめんだ。自分は子供を叱るときはもっと注意を払おう――と少年は決意する。

 少年の反面教師になっていることなど露(つゆ)知らず、店主は無神経に話を推し進める。否、推し戻す。

「で、鵺の話だ。鵺がお前を襲った理由。早い話が鵺はお前の中の件の能力を狙っていたんだ」

 早い話がというか話が相変わらず早すぎる。少年には店主の言っていることがさっぱり理解できなかった。

「えっと、つまりどういうことですか?」

「坊主。お前は質問ばっかりだな」

「……すみません」

「いいか。鵺には他の妖怪の能力を奪う力がある。それも都合の悪い部分は切り捨てて、都合のいい部分だけを吸収しちまうんだ」

「それはじゃあ件の能力の場合、未来予知の力だけを奪って、寿命が削られるという欠点を僕の中に残すことができるってことですか!?」

 少年は青ざめながらに声を荒げた。どうか違っていてくれという願いを込めて。 

 しかし店主は非情にも首を縦に振った。

「そうだ。奴がその気になりゃ、予知の不規則ささえも都合が悪い部分として切り捨てて、好きなときに好きな未来を見れるようになるだろう。

 で、坊主。お前はただ意味もなく寿命が減る」

「そんな……そんなのあまりにも理不尽――」

「鵺には理不尽が許される」

 少年は己の不幸を思い切り嘆こうとしたが店主の小さく、しかし何より重い言葉に差し止められた。

「なぜならあいつは過去に、誰よりも理不尽な目に遭っているからだ」

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