豆腐小僧と一反木綿 転

 ミナトと豆腐小僧に残された手立ては一つだけ、すなわちお叱りを受けることを覚悟して遠然房とおせんぼうの店主に泣きつくしかなかった。

 久方ぶりに店を訪れるミナトと初めて目にする豆腐小僧――二人の少年の面映ゆそうな態度に遠然房は最初からいい予感はしなかった。

 そして一部始終を聞き終えると予感は確信に達し遠然坊は呆れて物も言えないとばかりに深く溜め息をついた。


「まったく。『いったんもんめ』なんて危険なものを勝手に持ち出して……」

「ごめんなさい」

「申し訳ありません」


 豆腐小僧の謝罪に遠然坊は逆に当惑し困ったように笑う。


「あなたが気になされることではありませんよ」


 言いながら、小さな体をさらに小さく縮こませているミナトを鋭く睨み付けた。


「ミナトくんへの説教は後でたっぷりするとして、まずはあなた方二人を元に戻すとしましょう」

「でも一体どうやって元に戻すの?」

「少し特殊な術を使わせてもらいます。あまり気は進みませんが」


 遠然坊は一度店の奥の暗がりに引っ込むと、何やら古ぼけた帳面のようなものを引っ張り出してきた。

 それを読みながらぶつぶつと一人呟き、時折ミナトたちの顔を代わる代わる見つめる。

 しばらくそうしていたと思うと、おもむろにパタンと帳面を閉じた。


「さて、お待たせしました。では始めましょうか」


 それから遠然坊は三歩分ほど離れた位置で向かい合わせ動かないように、と二人に指示をする。

 ミナトと豆腐小僧は言われた通りに直立不動で固まる。

 それを確かめると続けて言う。


「目を閉じて心を空にしてください」

「空にって?」

「ミナトくんの場合、学校の授業中のときのような状態ですかね」


 隙を見ては非難の言葉を差し込んでくる遠然坊に煩わしさを覚えないわけがなかったが、今のミナトには何も言い返すことができない。

 やはり二人が言われた通りにすると、遠然坊の重苦しい読経が店内に流れ出した。

 もういくらほど経っただろうか、ミナトからはすっかりと時間の感覚が失われれていた。

 外の明暗も分からず単調な読経は聞けば聞くほどに退屈を喚起させた。

 やがてミナトの意識は時間だけでなく空間の感覚をも手放し始めた。

 自分は今どこにいるのか、立っているのか座っているのか、ひどく不安定で浮わついた気分。

 ついには自己の認識すら及ばなくなっていく。少年を境ミナトたらしめている自意識は、押せば崩れる豆腐のように脆くなる。

 僕は……僕は一体――。


「ミナトくん。境ミナトくん」


 冷水を浴びせられたような、あるいは産湯から引き上げられたような気持ちでミナトは目を覚ました。

 そうだ。僕はミナト。境ミナトだった。

 こんな簡単なことさえ忘れるところだったのか。

 ゆっくり辺りを見回すと、そこには遠然坊と豆腐小僧とがいた。

 ミナトの意識、認識そして常識は徐々に蘇ってきた。

 ここは遠然房。自分は豆腐小僧と『いったんもんめ』で入れ替わったものの、戻り方が分からなくなって遠然房に助けてもらっていたのだと。

 そういえば、とミナトは今更になって己の形姿を検めた。


「も、戻っている!」


 少年の目にはあるべき自分の姿がその通りに映っていた。真黒いランドセルを背負った、どこにでもいるような小学生の姿。

 もう一度、豆腐小僧を見ると彼もまた真白い豆腐を持ち格子模様の着物を着た、人間世界にあって非凡な平凡な妖怪の姿をしていた。


「どうやらうまくいったようですね」


 安堵の入り混じる声で遠然房はミナトたちに確認をとった。

 そして『いったんもんめ』の効果が消えたことに間違いがないと分かると、すぐに商売人として顔をのぞかせた。


「さて、それでは今回の件の報酬についての話に移らせてもらいましょうか」


 一体何を支払わされるのか、やっと元に戻れて安心したのも束の間ミナトと豆腐小僧は緊張に身を固くした。


「ミナトくんが勝手に引き受けた依頼に関しては私が何かを受け取る資格はありません。もちろんミナトくんにもね。ミナトくんが依頼料を受け取る約束を交わした上で自分の力だけで解決してみせたのであれば話は別ですが。小僧キャンペーンだとか何とかともかく無報酬で依頼を受け、さらに私の持ち物である『いったんもんめ』を用いているのですからね」

「分かってるよう」

「次に『いったんもんめ』で入れ替わったまま戻れなくなったあなたたちを元に戻したことについて。この分の報酬を双方からいただいても構わないのですが」


 ごくり、とミナトと豆腐小僧は同時に生唾を飲み込んだ。

 二人には遠然房の心は鬼か仏か窺い知れない。審判の口がゆっくりと開くのを震えながらに待ち受ける。


「これに関しても何かを請求することはやめておきましょう。今回の件は私の道具の管理がずさんであったことにも一因があります。その責任をこれで果たしたものとして考えておきましょう」


 判決は無罪。咎人たちは喜びを分かち合おうとするが、二人はすっかりと忘れていた。

 もう一つ犯した罪が残っていたことに。


「というわけで、結論としては豆腐小僧さんに戸の修理代を請求するだけにしておきましょうか」


 遠然房がにこりと笑って告げた温情措置を、豆腐小僧は痛く感謝しながら甘んじて受け入れたのだった。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る