第11話 あやねちゃん、壊れる
とはいえ。
いきなり、俺の青春白書が野球一色! ……になったりはしない。なったのは地夏であり、俺はあくまで部外者で、あの苛烈極まる地獄の猛特訓を体験せず、時々遠巻きに眺めるだけなのだった。
「天泰も野球、やればいいのにー」
「バカヤロー! 茶樹、縁起でもないことを言うんじゃない!」
「ええ~? なんでよ」
「俺はボールが怖いの」
「自分にも二個ちっさいのがついてるじゃん!」
「てめぇ通報してやるから覚悟しろ」
セクハラだよ。しかも辛辣だし。
「あ、そうそう。地区予選の抽選会、いってきたよ」と茶樹。
「ふうん、で、どうだった?」
「やっぱり初戦はハナコーだねぇ~ナントカ院ナント華さんがまた高笑いしてて怖かったよー……なんか最後うるさくしすぎて外に連れ出されてたし」
「いつかあいつが球界から追放されることを願おう。……それにしても、やっぱハナコーか。呪われてんのかな、うちとあそこは」
「なんにせよ、ちなっぴの『強化特訓』が上手くいくかどうか……だねえ」
「そうだなあ」
夏が近づいてきたマウンドで、ヘルメットを被った鷹見地夏……じゃなくて、稲荷地夏がバットを肩に担いで、グラウンドでキャッチボールしているミズコー野球部員たちを女王のように睥睨していた。いったいなんであんなに偉そうなのか、そもそもなぜバット持ってマウンドに立っているのか、物凄く邪魔になっていることが分かっているのか――いずれにしてもここ最近、地夏は毎日放課後にはああやって、ミズコー野球部の『新コーチ』としてグラウンドに現れている。そしてバットを指揮棒のように、自分より頭二つもデカイ高校球児どもをシゴきにシゴいて高笑いしている。……最近の女子高生は高笑いがトレンドなのかな? セカイムズカシ、アマヤスワカンネ。
「でも、あれだな。みんな嫌がるかと思ったら、素直に練習に参加してくれてるんだな」
「うん、そうだね」いつものジャージ姿で、茶樹はベンチに座って足をぶらぶらさせながら、
「ちなっぴ、言ってることはキツイけど、練習としては効果ありそうなメニュー組んでくれてるし。なんかスポーツの経験あるのかな、って思って聞いてみたんだけど、特にないんだって」
「……いるよなあ、なにをやらせてもソツなくこなすヤツ」
「うわあ、ひがみだ。稲荷ひが泰だ」
「誰それマジで。……べつにひがんでねーっての」
ま、なんか新参者に引っ掻き回されて、ちょっと寂しかったりもするけど。熱也のやつも最近は練習でヘトヘトらしくて、俺とブックオフ一緒にいってくれなくなったし……いいけどね! 俺には風嶺ちゃんという新妹がいるから!
「あれ? 天泰、来てたんだ」
ヘルメットの下から白いリボンをたなびかし、ココアシガレットでも噛んでいそうなスレた雰囲気をかもし出しながら、地夏がマウンドから降りてこっちにやって来た。俺は片手を挙げる。
「おう。……なんかメチャクチャ練習させてるっていうから、様子を見に来たぞ」
「メチャクチャってそんな。いままでが駄目だったのよ、うちは。練習なんてお題目で、ぺちゃくちゃ喋りながらキャッチボールしてたら一日終わってた、なーんてこともあったみたいじゃん」グラウンドを振り返り、ため息をつき、
「あたしは壊すほどの無理はさせてないよ。走って投げて捕って打って。それだけちゃんとさせてあげれば、放っておいても勝てるわよ」
「どっから来るんだ、その自信? お前、経験者じゃないンだろ?」
「あたしには分かンのよ。……それにうちには、とっておきのエースもいるしね」
チラッと地夏が見た先で、熱也が新倉相手にフェンスのそばで投げ込みをさせられていた。……熱也の球が新倉のキャッチャーミットに飛び込むたびに、凄まじい音がしている。何度かに一度、新倉は尻餅をついていた。
「お前な、ピッチャーの肩とか肘ってのはガラス細工みたいなもんなんだぞ? 素人が投げて投げてってねだったら、熱也のやつはアホだからすぐ投げちゃうけど、もし壊れでもしたら……」
「先輩なら大丈夫よ。あれでそれほどバカじゃないし。むしろ、いまだにオカマ投げしてる茂木の肘と肩が心配」
「まーあいつは高校から野球始めたからな……って、なんだ。結構、みんなのこと見てるんだな、お前」
地夏がギロっと睨んできた。
「当たり前でしょ。あたしは『コーチ』、なんだから」
「顧問、ではないけどな。……あやねちゃんはなんて言ってんだ? 結構これ横暴だし、お前べつに野球部のマネージャーになったわけでもないんだろ?」
「許してくれたよ。ほら」
と、地夏が指差した先にいたのは……
「あ、あやねちゃん!」
「なむあみだぶつ、しきそくぜくう」
そこには、狩衣姿でやたらケバい色の数珠をいくつも手に巻きつけた、高校教師角山あやねちゃん(24)がひたすらに何かを拝んでいた。俺はそのそばに慌てて駆け寄り、その身体を揺さぶった。
「どうしたんだよ! いったいなにがあったんだよ!」
「ちなつさまはすくいぬし。ふふふ。ミズコーをこーしえんにつれてってくれる。わたしのきゅうりょうもアゲアゲにしてクれル」
「あやねちゃーんっ!!」
完全にブッ壊れてるじゃねーか。俺は涙を飲んで心を失くしたあやねちゃんをドサっと捨て置き、地夏を振り返った。
「てめえっ! あやねちゃんになにをしたっ!」
「いや、コーチやるから、もうなにも無理に指示したりしなくていいですよ、って言ったらこーなっちゃって……」
「わんつーすりーふぉーげっつーぴかちゅー」
「もうこれ駄目だなマジで」
とりあえず熱射病にならないように、蛇口を全開にした水飲み場であやねちゃんを滝行に処したところで、チャイムが鳴った。完全下校時刻から三十分前の六時を告げる鐘だ。地夏が木刀を校舎の壁にぶち当ててへし折りながら叫ぶ。
「みんなーっ! クールダウンして戻っておいでーっ!」
「お前その木刀にどんな恨みがあったの?」
バット置き場にやたら新しい木刀が刺さってると思ったらコレかよ。
「おーい、茂木、台車持ってきてくれー」
「うぃーす」
「……ん? なにやってんだ?」
一年の茂木が三年の先輩に言いつけられて、台車をゴロゴロと転がしていく。そんな書店の入荷時じゃないんだから……と思って眺めていたら、その台車にブッ倒れた熱也が乗せられて戻ってきた。そばで新倉が、大怪我した恋人に付き添う美少女のようにその手を握っている。
「先輩っ、しっかりっ! ただのスタミナ不足です!」
「う、ううーん……」
「……先輩め、あんなにいい腕してるのに、走りこみ不足でこのざまとは……」
あやねちゃんと一緒に熱也も水飲み場にぶちこまれ、蹂躙されたナメック星の大地みたいになったグラウンドの片隅で、地夏はふむふむと頷きながら、クタクタになった部員たちを点検していく。
「高崎先輩、やっぱり普通に上手いですよ。もっと自信持っていいです。内野、任せます」
「そ、そお……?」
「倉林先輩はちょっとボール怖がってません? イップスですか? 一度、硬球を顔面にぶつけて慣れておきましょう」
「高崎先輩への優しさを俺にもくれ、ちなっぴ司令官」と二年の先輩。
「いやです。……ああ、そうそう茂木。あんたの仮入部届、本入部にしといたから」
「は、はあ!? お、俺はまだそんな、野球やるって覚悟なんか決まってないのに……!」
「もうほかの部活にはあんたは部活中に出前を取ってはお金を払わず喰っては逃げるゴミクズ野郎だって伝えておいたから。逃げ場なんかあんたにはないの。ヘタでもいいから、今は頑張ってとりあえず野球を好きになりなさい」
過酷な練習に打ちひしがれた部員たちに一人ずつ声をかけていく地夏。その姿はなんか、十年後くらいに女だてらに起業して、大卒のエリートサラリーマンたちを顎でコキ使う女社長の片鱗を俺に連想させた……うわあ、ありそう。スーツ、似合いそー……
「なに? 天泰。なんか文句ある?」
「いやべつにまさかそんなとんでもござーませんとも。ええ」
「そ。……じゃ、悪いんだけど、今日はみんな疲れてるみたいだから、帰りはみんな直帰ね。だから先、帰ってていいよ。あと茶樹は持ってっちゃダメ。仕事があるから」
「へいへい」いつの間にか茶樹も名前呼びになってやがるし。
「じゃ、あばよみんな。頑張って初戦突破するんだぞ」
「うるせぇとっとと帰れ差し入れも持ってこねぇクソ天泰!」
「ひ、ひどい……」
確かに、買おうかと思って小銭触ったところで自販機の前から離れたけどさァ……そういうの、読まれちゃうもんだね……
ちょっと寂しいなー、とか思いつつ、俺はグラウンドから部室棟を抜けて、校舎に戻った。どっかで諦めの悪いブラスバンドがまだ練習をしている。怒られるぞー。
部活ねぇ。
俺はなんとなく、野球をやらないんだし、つまり部活にも入らないんだ、みたいに変な固定観念があって、どこにも入部しなかったのだが、たまーにこういう夕暮れ時になると、あーどっか入っておけばよかったかなー、とか思ったりもする。……最近、取り違えで育ての親と血が繋がってなかったことが分かったばっかにしちゃケチな悩み抱えてんな、とか思いたかったら思えぃ。俺はちっちぇえ男なのさ。
とかなんとか、アンニュイな気分に浸っていると、下駄箱の裏になにか黒い影が立っているのが見えた。まさか組織の陰謀、と思い、ススッと下駄箱を背中伝いに渡っていって、その影の前に飛び出した。
「わあっ!」
「いやあああああああああああああああ!」
ドッゴォッ!!
「げっぷぅ」
「ひ、ひい……って、あ、天泰さん!?」
「か、風嶺、ちゃん……いい、パンチだね……」
お姉さんにそっくりだよ……
というわけで、下駄箱の裏にいたのは風嶺ちゃんだった。俺は腹をさすりながら尋ねる。
「どしたの? なんか用事?」
「あ、はい……その、野球部に……」
「野球部? なんで?」
「これ……」
と、風嶺ちゃんは片手で持っていたバスケットを掲げてみせた。ぱかっとそれを開けると、中には炊き立てのごはんを握ったおにぎりが、パリッとしたのりに巻かれて敷き詰められていた。
「こ、これを……俺に!?」
「やっ、あっ! ち、ちがいます! これは、野球部のみなさんに差し入れなんです! 食べちゃだめーっ!」
背中をぺしぺし叩かれて、俺は仕方なくおにぎりを諦めた。
「しょうがない、クタクタになってる野郎どもに譲ってやるか。……これ、一度家に戻ってから握ってきたんだ?」
「はい。さすがにこの季節は、朝からというわけにもいかないので……」
「ふうん。なんだ、言ってくれれば手伝ったのに。じゃ、早く届けてあげようか」
「あ……」
部室棟に戻りかけた俺の腕を、風嶺ちゃんが掴んだ。
「ん、どしたの?」
「いえ、あの……これは、その……ひ、一人で届けたいっていうか……その……」
「あ、そうなの。じゃ、俺は帰るから届けておいで」
「は、はい!」
トトト、と駆け出しかけた風嶺ちゃんが、ピタ、と足を止め、俺のほうをおそるおそる振り返った。
「あの……べ、べつに天泰さんと一緒なのが嫌なわけじゃなくて……」
「わかってるって。ほら、早くいってきな」
「……はい!」
三歩に一度コケかけながら、風嶺ちゃんは部室棟へ走っていった。俺はくしゃくしゃっと髪をかきまぜてから、外履きを突っかけた。ちょっと寂しいけど、でも、ま、あの年頃ってなんでも自分でやりたがるもんなんだよな……自分一人の力で。
って、なーにをジジくさいことを考えてんだ、俺は。
まだ高校一年生だぞ? 俺。
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