第8話 新生活あらわる


「あ……天泰さん、ちょっといいですか」

「ん、なんだい風嶺ちゃん」

 俺が娯楽室のビリヤード台をキューで思い切り斜めから突き、ラシャをぶち破ったことをどう両親に誤魔化そうか考えていると、風嶺ちゃんがリスのような目で俺の袖を引いてきた。

「ちょっと天泰さんが引いてくれたコースからは逸れるんですけど、あの、見せたいところがあって……」

「ああ、いいよ。じゃあそこに行こうか」

 俺はぶち破ったところに壁際にあった高そうな壷を置くことですべてをごまかし、のこのこと風嶺ちゃんについていった。

「それで、見せたいところって?」

「ここ……です」

 風嶺ちゃんが、娯楽室の奥にある、観音開きの扉をガチャンと開けた。

「おお……」

 そこはバルコニーになっていた。ビリヤードや卓球に飽きた大人たちがちょっと一服、煙草でも吸ったらサマになりそうだ。そして大理石の手すりの向こうには、俺がずっと暮らしてきた水鏡町が一望できた。稲荷家も、そこからささくれみたいに反り返って立っているみかんの樹もすべてが見渡せる。

「スゲー……」

「嫌なことがあると、お姉ちゃん、よくここに来てたんです」

「地夏が?」

 俺はぽわぽわぽわ、と鷹見地夏の顔を思い浮かべた。だめだ、バケモンしか見えてこない。

「あいつも落ち込むことなんてあるんだなあ」

「結構、あったみたいです……その、菓子丘先生から取り違えの話を聞かされたときも、ここに来てて……」

「あー……」

 さすがにアレは、ショックだったもんなあ。

「風嶺ちゃんも、よくここに来るの? 卓球をエンジョイしつつ?」

「た、卓球はママの趣味で……わたしは落ち込むと、部屋にいるので」

「わかる」

 それが文明の風というものだ、我が妹よ。

「凹んだら元気を出して外で遊べ!」とかいう野蛮な民とはお近づきになりたくないよねー。熱也とかすぐキャッチボールですべてを解決しようとするし。ドラゴンボールかよ。

「だから、天泰さんもなにか落ち込んだら、ここへ来てみてください。きっといいこと、あるから……」

「……ん、分かった」

 俺はコツン、と風嶺ちゃんの額を拳で突いた。

「へ? わ、わたしなにか……」

「ありがとな。……か、風嶺」

「……はい」

 ちょっと冒険して呼び捨てにしてみた俺に、出会ったばかりの妹は、桃花のような笑顔で応えてくれた。


 ○


 それからちょっとして、うちの親父(稲荷のほう)が軽トラに俺の荷物をがっつり積んで持ってきてくれた。熱也と茶樹は地夏のほうを手伝ってるらしく、俺は親父と、それから早苗さんと風嶺ちゃんにもエッチなものに触れない範囲でいろいろと手伝ってもらい、日が暮れた頃になんとか引越しを終えた。

「天泰! 今日からお前も、一国一城の主だな!」

「養われの身です」

 もう城を獲ったような気になるのは早いぜ親父。……いちおう、鷹見家の長男にはなったわけだし、いろいろと期待はしちゃったりするけど。

「今日は助かった。ありがとな親父。こっちはもういいから、兄貴と地夏のほうを見てやってくれよ」

「おう。お前も、なんだ、その……すぐに戻ってきていいんだぞ?」

 風嶺ちゃんたちに聞こえないように小声で囁いてくる親父に「飽きたら帰るよ」と本当なんだか嘘なんだか自分でもよくわからん返事をしておいて、俺は屋敷の中に戻った。

「お帰りなさい、ご主人様!」

「……なんでいるんスか、美鈴さん。オフだから帰るって言ってたじゃん」

「うち、ビデオデッキ壊れちまってさー」

「録画のために職場に戻ってきたの!?」

 公私混同どころか私利私欲しかねぇぞこの人!

 律儀にメイド服を着てポチポチとリモコンをいじっている専属メイドに、俺はなんともいえないやるせなさを覚える。いいのかこれで、日本の労働。

「あ、天泰さん。お風呂、入ります……?」

「え、一緒に?」マジかよ。

「なッはァ!? ち、違いますよ! お先にどうぞって言おうとしたんです! い、い、い、一緒にだなんて……そんな野蛮なことはとても!」

「野蛮かなあ」

 血のつながりあるしね。……いやあるからこそ一緒に入ってもいいのでは? セカイムズカシ、アマヤスワカンネ。

「じゃ、とりあえずひとっ風呂浴びてくるわ。……美鈴さん、覗かないでくださいよ?」

「ばっかやろー! いまそれどころじゃねぇ! あと三分でドラマが始まっちまう!!」

 顔を真っ赤にしてまだ恥ずかしがってる妹と、番組録画もろくすっぽ覚えない駄メイドを残して、俺は風呂場に向かった。

「温泉かー……」

 正しくは温泉風なだけで、普通に水道からお湯出してるだけなんだけど、それでもシーライオンとかいるし、大浴場だ。さっきは美鈴さんとかいうおっぱいオバケが邪魔してよく見れなかったが、いざ自分で入ってみるとその大きさにビビる。シャンプーとか歯ブラシとか使い捨てなのかな……リッチだなあ……

 他人の家(まだ実感としては、そう)で素っ裸になる違和感に耐えつつ、俺は浴場で身体を洗って湯船に浸かった。

「どわっは~~~~~~疲れたな~~~~~~今日も…………」

 引越しで蓄積したダメージが泡と消えていく。やべぇ、俺、炭酸になる。

「あー……地夏のヤローは、風嶺ちゃんと一緒に風呂とか入ってたのかなあ。うらやましいなあ。くそー……公私混同ばかりだぜ……」

 よくよく考えると、地夏と風嶺ちゃんは血の繋がっていない姉妹だったわけだが、これで地夏がお兄ちゃんだったら、血の繋がっていない兄妹が風呂でキャッキャウフフしていた可能性もあるのだ。なんて恐ろしいんだ、取り違え。そんなうらやましい目に遭うやつがいたら目薬の中身をみかんの汁に詰め替えておいてやるわ。

「……熱也のやつ、上手くやってっかな」

 こっちはこっちでてんやわんやだったが(美鈴さんとか)、向こうもいまごろはあっぷあっぷしているのではなかろうか。

 特に熱也はミーハーな女子にはモテるが、ああいう地夏みたいな硬派な女子からは「軟弱者!」とか言われてるし、それにそもそも熱也自身があんまり女の子とのお付き合いが上手ではない。

 ……彼女いない弟の俺が言うのもアレだけど。

「兄貴の妹、か……」

 それって、俺にとっては、どういう関係になるんだろう……

 いままで両親だと思ってた人たちの本当の娘が、地夏で。

 向こうからも、俺は育ての親の実の息子で。

 ……俺たちって、どういう関係?

「兄妹、じゃないよなあ?」

 そんなことを考えていると、なにやら脱衣所のほうで

 ゴソ……ゴソ……

 と、素敵な物音が聞こえてきた。

「な、なんだって……風嶺ちゃん、君はついに禁断の一線を越えてしまうというのかい? それとも、早苗さん? いやそれはやべぇわ……確かに若くて綺麗だけど気まずさベトベトンだわ。美鈴さんなら……え、そういう感じ?」

 俺は期待に胸をワクワクさせながら、脱衣所の扉が開くのを待った。くねくねと動く黒い影。ああ、俺の青春の一ページがいま開かれる……

 そして出てきたのは、

「…………天泰、くんか」

「知ってた」

 俺は湯船に長く伸びて浮かび上がった。知ってたよ、実は車がガレージに入る音がちょっと聞こえてきてたし。

 そんなわけで、俺の実父、鷹見稔雪さんが全裸でご登場だ。みんなすまねぇ。俺には運命力が足りなかった。ていうかなんでグラサン外してねぇんだトシさん。風呂なめてんのか。

「……先に入っているとは、知らなかった」

 なんとなく、早苗さんの策略な気がする。「うふうふ、あらあら」って笑ってるのが想像できる。

「一緒に入っても……いいかい」

「え? あ、どうぞ。いや、全然全然。大丈夫ッス」

 わざわざ空けるほどの狭さでもなかったが、俺はトシさんのために湯船にスペースを作った。トシさんは軽くお湯を浴びてから、湯船の中に入ってきた。イチモツをぶらさげながら。

 俺はガン見だ。

「……あのー、トシさん。結構、食べます? ご飯」

「ん、いや……普通、だが」

「そうスか。じゃ、肉とか、好きッスか。たんぱく質、求めてますか」

「……? 私は、どちらかといえば野菜が好きだが……」

「プロテイン、がっつり摂ったりします?」

「ああ……週に一度、ジムに通った時に、な」

「じゃあそれで」

「それで?」

 俺はけのびの要領で浴槽の壁を蹴り、グラサンの奥で困惑しているトシさんを置き去りにして、お湯に浮かんだ。そして視線をちょっと下げ、自分のナニを見た。


 ○


 月曜日。

 教室で不貞腐れていた俺のところに、茶樹がミサイルのように突っ込んできた。

「ねぇねぇねぇねぇ天泰! 新しいおうち、どうだった?」

「ふとかった」

「はあ?」

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