第3話 田舎のヤブ医者

 田舎はヤブ医者が幅を利かす、っていうのはよくあることだけれども、水鏡町のヤブ医者は腕利きらしい。いや、それヤブ医者じゃねーじゃんって話なんだけど、まァ居を構えてるところはヤブの中だ。

 軽トラから降りた稲荷家の三人は、廃墟のような建物の前にいた。レンガ作りの外壁は塗装が剥がれ落ち、窓からはツタが垂れ下がっている。

「何度見ても完全にホラーハウスだよな、菓子丘先生のとこの診療所」

「こら、天泰。そんな失礼なことを言っちゃいけないぞ。父さんはこのへんクセェからウンコ屋敷って呼んでたけどな」

「母さん、子供の頃は〈黄泉への入り口〉って呼んでたわ」

「みんな菓子丘先生のことキライ?」

 顔は怖いし、口調はきついし、がさつな爺さんだが、いい先生なんだけどね。

 この町で生まれる子供はほとんどが菓子丘先生のところで取り上げられる。かといって産婦人科医が本業なのかというとそういうわけでもないそうだ。

「先生はむかし、大きな大学病院の院長だったらしいんだけど、なんでか十五年くらい前にこっちに戻ってきたんだよな、母さん」

「そうそう、あの時は大変だったわよね~菓子丘先生。真夜中にずぶぬれで国道を歩いてて。うちの車が轢きそうになったのよ」

「え、確か菓子丘先生、マジでそのとき轢かれたって……」

「轢きそうになったのよ」

 母さん、目が笑ってない。俺と親父は静かに目を合わせ、首を振った。闇でしか眠れない真実もあるのだ。

 親父がインターフォンを押すと、七十歳近い菓子丘先生のダミ声が雑木林のなかに轟いた。

『おうっ、稲荷んとこの孝雄か?』

「先生、もう俺が一家の大黒柱なんだから、『稲荷んとこの孝雄』はやめてくれよ~」

『なに言ってんだ、お前なんかいつまで経っても変わらねぇだろうが。……天泰もいるか?』

「ちょりーっす」

 俺のナウでヤングな挨拶に菓子丘先生はゲラゲラ笑っている。

『わははははは! ちょりーす! ちょりーす!』

「そんなウケると思って言ったんじゃないんですケド……」

『まあいいや飽きた。天泰がいるならいい。とっとと入れ。鍵は茶樹が壊したから開いてる』

「やっぱあいついっぺんみんなでシメねぇと駄目だな」

 無人の待合室を抜けて診察室へいく。菓子丘先生のところはあまりお手伝いさんが長続きせず、先生が一人で受付から会計までやる日が週に三日ある。なんだかちょっと切ない。

 診察室に入ると、白ヒゲが顎までもっしゃり生えてるライオンみたいな菓子丘先生がこっちを振り向いた。

「おう、久しぶりだな孝雄。それに和江も」

「ご無沙汰してます先生」

「ちゃお」

「母さんよせ、もう四十だぞ」

「ちゃお!」

 母さん頑固だなあ。菓子丘先生がメガネを外して顔を覆った。

「和江、お前ババァになっても馬鹿だな」

「なんだとクソジジィ!!」

「おい! 胸倉を掴むのはやめろ! 天泰、助けてくれ!!」

「無理だよ先生……」

 世の中には救えない命もあるのだ。

 しこたまボコられた菓子丘先生を俺と親父はベッドに乗せて、水を一杯、顔からぶっかけた。菓子丘先生はぶるるっと子犬のように身体を振って水気を払う。

「へっ、思い出すぜ、昔をよ。和江、相変わらずいいパンチだな。親父さんによく似てやがら」

「全然嬉しくない」お袋はスネている。菓子丘先生に会うと、誰でも子供に還ってしまうらしい。

「それで、なんなの先生? 今日は家族みんなで来いって……」

「まさか、うちの家族の誰かに病気でも……?」

 親父とお袋が不安そうに俺を見る。俺はぶんぶん手を振った。

「いやいや、俺は健康だよ。そうだよね、先生?」

「あぁー……いや、その」

 菓子丘先生は口ごもっている。俺はちょっとヤな汗をかいてきた。

「ま、待って待って! 嘘でしょ?」

「それがな……俺もガセかと思って調べたんだが、どうやらガチみたいでな……」

 菓子丘先生がメガネをきゅっきゅと拭いている。拭いてる場合か。

 かちゃり、とそれをかけ直し、菓子丘先生は、親父、お袋、それから俺を見た。

「実はな……天泰、お前は……」

「い、いやだあっ! 聞きたくねぇ! なんかもっとオブラートに包んでセンチメンタルに言ってくれなきゃいやだあっ!」

「お前は、この二人の子供じゃない」

「…………へ?」

 家族三人、綺麗にハモった。

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