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顎男

第1話 みかんの木の家

 うちの庭にはみかんの木が一本、生えている。

 なんでも代々この土地で暮らしてきた俺のひいひいじいちゃんが、どっかに旅行にいったときに引っこ抜いてきて庭に植えたらしい。

 帰ってくるなり丸太みてぇなみかんの木を庭にぶっ刺した爺さんも爺さんだが、ちゃんと育っちゃうみかんの木もすごい。

 おかげで俺はよちよち歩きの頃から、あのまるいオレンジの実を見上げて育った。時々、兄貴の熱也がみかんをもいでくれたのをよく覚えている。

 ところが最近、俺ん家のみかんの木に危険が迫ってきている。

 俺はホウキを片手に、みかんの木の向こうに見える、ぶっとい土の塔みたいな高台にそびえたつお屋敷を見上げた。

 どこからどう見てもラスボスの居城にしか見えない。今年の三月に完成したあのお屋敷は、俺たち地元の人間は「鷹見さんち」と呼んでいる。なぜって鷹見さんが住んでるから。

「おい、よく見ろ茶樹さき

 俺は、うちの縁側で勝手に沸かした湯で蕎麦喰ってる幼馴染に言った。なにやってんだ。

「あれが、俺たちの憎き悪魔の住処よ」

「ちょっとちょっと天泰、ホウキをバサバサしないでよ。蕎麦が汚れちゃう」

「めんつゆの心配よりうちの木の心配をしてくれるかな?」

 俺はホウキを肩に担いで、茶樹を睨んだ。

 柴田茶樹。ハエ叩きみたいな名前だねとか言うと腕の関節を外そうとしてくるこの女は、俺の幼馴染だ。同級生で、今年の春から高校一年生。入学してから二週間のホヤホヤ新入生は、なにが嬉しいのか日曜まで制服を着てうちの冷蔵庫を攻撃しに来る。こいつマジでなんで俺のプリンだけ喰って帰るんだろ。鳥の巣みてぇなテンパ頭をもしゃもしゃにしてお嫁にいけなくしてやりてぇ。

「あまやす~」

 茶樹がちょっとタレ気味の目で俺を睨んできた。

「なにかイケナイことを考えてはいないかね?」

「俺の心にあるのは正義だけだ……」

「あ、こんなところにボイスレコーダーが!」

「ごめん。ほんとごめん。なんでもする」

 俺はなぜ自分の家の庭で土下座しているんだろう。だってそうだろ、高校生になったばかりで「あの子ヘンだよね」みたいな噂を立てられそうなタネは欲しくない。……ま、うちの高校、地元のやつらしか来ないから中学の頃とほとんどメンツ変わってないんだけどね。

「あっ」

「なんだよ茶樹」

「また鷹が来てる」

「あんだとぉっ!?」

 俺はホウキ片手に振り返った。すると、ああくそ、確かにいるわ。俺んちの塀を我が物顔で止まり木にし、樫で出来てるみたいに艶やかに光る嘴を持った鳥さんが、じぃ~っとうちのみかんの木を見てる。つーか、狙ってる。

「おいコラ、みかん泥棒! 今日という今日は叩き落としてやるからな!」

「動物虐待は茶樹さん、よくないと思うな~」

「お前はまず俺への虐待を反省してくれ」

「まァそれはともかく……みかんぐらいあげればいいじゃん。いっぱい成ってるんだし」

「バカヤロー! うちの木は先祖代々受け継がれてきた由緒ある木なんだ。鳥公なんかにやれるか! 親戚とかにも配ったりするんだぞ」

「結構生々しい事情があるんだね、稲荷家……」

「あとお前が勝手に喰ってくから数が減るのが早いんだよ」

「そお?」

 茶樹はそっぽを向いてる。そんな顔したって君の罪は消えないぞ。うちの親父、そろそろ訴えるって涙目で呟いてたし。

「天泰、鷹さんがみかんを突いてるよ」

「やめろぉっ!」

 俺はホウキを振りかぶって必死にぴょんぴょんし、鷹野郎を追い払おうとした。だが鷹はちょっとびびるくらいデカイ翼をばっしばっしとはためかせて、するすると俺のホウキから逃げていく。嘴にはしっかりとみかんの実が挟まれている。

「くっそぉ、またやられた……」

「いま、何連敗中だっけ?」

「あの家が出来てから毎日だから、ちょうど一ヶ月、三十連敗だ」

「てか、よくみかん無くならないよね」

「立派な樹だからな」

 俺は腕を組んで、みかんの木を見上げた。受験とか予備校とかいろいろあった冬が終わって、俺たちと一緒に春を迎えたみかんの木は緑色に萌えている。正確な品種はわからないんだが、うちの木は春に実をつける。俺にとっちゃ、春といえば桜じゃなくて溢れんばかりの黄色いぽんぽんだ。

「ちっきしょう、あの高台の新参者め~! なんで鷹なんか放し飼いにしてんだ! 行政はなにしてんだ!」

「まァ犠牲になるのが稲荷家だけなら行政も動かないっしょ」

「ああ!? ってかおい、いつまで蕎麦食ってんだよ! それうちのだぞ茶樹!」

「いーじゃん」

「いーじゃん!?」

 なんでこんなフリーダムなやつばっかりなんだ、うちの地元は……くそったれ茶樹め、ちゅるちゅるちゅるちゅる蕎麦喰いやがって。俺の分はどこだよ。ていうかこいつおかわりしてね? いつの間に?

「あ、そうだ天泰」

 茶樹が口をイルカの頭みたいにしてめんつゆをすすりながら、俺を見上げてきた。

「あんまり鷹見さんちを新参者とか言っちゃだめだよ。ただでさえここって、閉鎖的なんだからさ。あたしたちのとこみたいな古株が嫌ってたら、みんな鷹見さんのこと嫌いになっちゃうでしょ」

「……ふん」

 俺はそっぽを向いた。

 そう。あのむかつく高台のお屋敷に住む鷹見家には二人の娘がいる。そしてその一人は俺のクラスメイトだ。

 名前は鷹見地夏といって、これがまたむかつく女なのだ。

 入学早々、学力検査でほとんど満点を取ったかと思えば、体力測定では故郷に帰ろうとするシャケみたいに跳ね回り、飛び出す記録は高校三年生級のものばかり、おまけに顔はアイドルみたいに可愛らしいときたもんだ。

 俺のダチの新倉なんざ、入学式当日に「一夏のアバンチュールを前提に付き合ってください!」と教室にあった花瓶に刺さってた花を差し出したら花ごとぶん殴られて鼻が半センチも縮む羽目になってしまった。そのときに割れた花瓶をなぜか掃除させられたのがこの俺だ。いまでもスゲェー謎。ナチュラルに雑巾渡された。

 ……つまり、簡単に言うとあの高台に住む鷹見家の長女は、物凄く可愛くてとんでもなく嘩っぱやい、いわゆる『ヤバイ女』なのだ。

「あんな暴力女、嫌われて当たり前だろ。ペットまで無法者だしよ」

「そう言わない言わない」

「お前はお前で泥棒だしね」

 ほんとワンコインでいいからお金を払って欲しい。

「ああ、思い出したらムカついてきた」

 俺は寝巻きにしてるジャージのポケットから鷹見の写真を取り出した。

 そこには写真部の先輩が極秘裏に隠し撮りした体育の授業中の鷹見が写っている。

 ハンドタオルで顔を拭く鷹見は、わずかに背中に届くほどに黒髪を伸ばしている。目元は指揮官からの命令に忠実に従う軍人みたいに鋭い。体型はやや残念すぎるほどスレンダーだが、乳があればいいってもんじゃないと新倉は入院先の病院で俺にアツく語った。

 食い入るように憎き鷹見の写真をねめつけている俺に、茶樹は口元をぴくぴくさせながら言う。

「なんでそんな写真持ってんの?」

「……」

 俺はその場で写真をズタズタに引き裂き、風の中にばら撒いた。

「なんのことかね?」

「シラを切り通せると思うてかー」

 茶樹が箸を俺に突きつけてくる。

「まったく、男は顔がよければなんでもいいんだね」

「あとは髪質かな」

「ああん!?」

 茶樹のテンパが「ぞわわっ」と空気と静電気を帯びる。バケモンかお前は。

「我が髪質に逆らうものには天誅を下す」

「お前の髪が自然の摂理に背いているんだろーが」

「あ?」

「な、なんでもないでぇーす! あ、そうだ! 俺、これから出かけるんだった。いっけねぇー」

 俺はわざとらしく腕時計を見た。ちなみにこれはじいちゃんの形見で、スマブラで勝ったらくれた。そんなじいちゃんもいまはもういない。

「悪ぃな茶樹、玄関の鍵閉めといてくれ」

「あいあい。いってらっしゃーい」

 箸をかちかちさせてナメた挨拶をしてくる茶樹に若干いらっとしたが、俺はホウキを庭に投げ捨てて門から外に出た。《ルビを入力…》

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