番外編④ 私は空気になりたくない

 私の名前は林原夢子。

 中学三年生の受験生です。

 それ以外に特別主張できるようなものはなく、私は空気みたいな女の子です。


 でも、私は空気じゃない。人間なんです。

 だから、年相応に恋なんかしちゃったんです。相手はクラスメートの大守大作くん。


 三年になった時に張り出されたクラス表を見たとき、私は舞い上がってしまった。

 大守君と同じクラスだったからだ。


 二年の時のとある事件で、私は大守君に恋心を抱いてしまった。


 私のせいで、大守君が大変な事になってしまったんだけど、私は未だにその時の事を何も言えずにいた。

 ……一度きちんと話そうとしたんだけど、大守君本人が私の事をなんとも思ってないと言うか、あの事件のことも忘れているようで、そのままずっと言えないままになっていたんだ。


 好きですなんて告白よりも、あの時のお礼が……ううん、謝罪をしなくちゃいけないと思っていた。

 私が虐められていた所を大守君が庇ってくれたことがある。

 それから、私へのいじめはなくなったんだけど、その代わり大守君が特定の女子に嫌がらせを受け始めてしまったんだ。

 私は、それをとめることが出来なかった。

 なんとかしたくて、テニス部の木戸龍之介君に相談したこともある。

 木戸君も、その事件に無関係とは言えなかったし、なにより大守君の友達でもある。


「き、木戸くん……、大守君のコトなんだけど……」

「……ああ、林原は気にしないで良いよ」

「でも……」

 大守君が嫌がらせを受ける原因になったのは、私に原因があるのは間違いない事だった。

 私は、恋愛感情を省いても、その罪悪感から逃げたかったのかも知れない。


「確かに、俺やお前が出て行けば、何かしら出来る事もあるんだろうけど……」

 木戸君の表情は厳しかった。

 きっと木戸君も、私と同じに気持ちが落ち着かないんだ。何もしないというツラさを耐えている表情だった。


「大作が言ったんだよ。ってさ」

「えっ? ど、どういうこと?」

 まったく意味が分からない。

 友達が友達を助けようとして、なぜそれを断るのか。意味がない、なんていうのか。


「うーん、そうだな。林原にはわかんないかもな……」

 少し困った表情で足元を眺める木戸君は、どう説明したものかと悩んでいるようだった。

 でも、私もテニス部のマネージャーを続けているから木戸君の事は大体分かってる。

 木戸君は、頭を使ったり、説明したりがすごく苦手だ。


「男のプライド、みたいなもんだよ。あの問題は、俺も林原も関係なくて、大作だけのモンなんだよ」

「そんな! だって私が虐められてたのを庇ったせいで……」

 男のプライドなんて分からない。なぜ、あれが大守君だけの問題になるのだろう。ひとかけらも理解はできなかった。


「大作は、お前を庇ったつもりはないんだろうさ」

 それは分かってる。

 だって、私は庇われるような女の子じゃないもの。


「大作の事を思ってくれるなら、今は何もしないでやってくれ。あれは大作が自分で決着をつけなくちゃ、ガマンできないらしいからさ」

 そう言われては、もう私は何も出来なかった。


 ――お前は空気で居てくれ。

 そう言われた様だった。

 そのまま月日は流れ、私は想いを底に沈めたまま、三年生に上がったのだった。


 三年に上がる前に進路希望があった。

 どこの高校に行くか考える必要があり、親とも相談した。

「これなら、お兄ちゃんと一緒に高校もいけそうね」

 そんな風に母が言ってくれた。私がお兄ちゃんっ子だったのを分かって言ったのだろうが、それはもう昔の話だ。

 お兄ちゃんと一緒の高校には行くつもりはなかった。

 私は勉強はそこそこできるほうだったので、頑張ればお兄ちゃんよりも上の高校を狙えると褒めてもらったけれど、私の想いはまったく違うところにあった。


「大守君はどこの高校を受けるんだろう」

 春休み、会えない大守君を想い自室のベッドでぼんやり考えていた。

 

 大作には何もするなと言った木戸くんの言葉がリフレインする。

 あれから、私は遠くから大守君を見ているしかなかった。

 いつも、大守君を見つめていて、見つめれば見つめるほど、距離のある関係性に胸が切なくなった。


 二年の三学期が終わる頃には、あの事件の疵痕なんて感じられなくなってはいたけれど、今更どうアプローチしていいのか分からない。

 だからこそ、胸の中で膨らんでいく大守君への想いが、私の狭い心からあふれてしまいそうになる。


 もう、すっかり大守大作君のことが好きになってしまっていた。単純で、軽薄な女の子だと自己嫌悪すら持ちながらも、恋心は熱く燃えあがって行くのだった。


 三年になって、同じクラスに大守君が居ることに舞い上がったけれど、結局何も変わらない空気の女であった私は、二年の時と変わらず、彼の背中を見つめていた。

 新入生も入り、部活メンバー勧誘が各部で行われる中、我らテニス部も新一年生を数名、迎えることが出来た。


「大守直也です。テニスの経験はありません!」

 入って来た新部員の挨拶に私の耳がピクリと動いた。

 大守直也と名乗った一年生は、大作君とは全然違った明るく人懐っこい性格をしていた。

 苗字が同じだけかと思ったが、木戸君が直也くんと話しているのを聞いて分かった。


 彼は大作くんの弟だった。

 言われて良く見ると、真っ黒な髪の毛と鼻の形が似ているように思えてきた。

 大作君に弟が居たなんて――。

 私の知らない大作君を、彼は知っているのだろう。

 そう思うと、直也君への興味が生まれていた。


 私は時折、彼を捕まえては大作君の話を聞きだそうと、話を振るのだった。


「お、大守くん。ちょっといいですか?」

「あ、林原先輩、チーッス」

「大守君ってお兄さん、居るんだね。私と同じクラスの……」

「ああ、兄ちゃん。同じクラスなんスね。なんかエロいコトされました?」

 カラカラ笑いながら、直也君は冗談交じりに言ってくる。

「えっ、えろ……っ? いえ、そういうのはないです!」

 ちょっと慌ててしまった。大守君、家ではエッチなのかな……男の子はそういうの大好きみたいだし、大守君もそういう本とか持ってるとか……?

「兄ちゃん、すげームッツリすけべなんスよぉー。あ、オレはオープンすけべなんで、安心してくださいね!」

 ……全然大作くんとは性格が違う……。

 私は、若干引きながらも、大作君の話が聞けたことに胸が高鳴った。


(大守君はムッツリすけべ……)

 こ、こんなこと言ってたなんて、大守くんに言ったら絶対怒っちゃうよね……。


「お、大守くんは、凄く誠実というか、まっすぐな人だと思いますよ」

「えっ、いやーテレますってば、センパーイ」

「い、いえ、あなたの事じゃなくて……」

 直也くんは、かなり前向き思考というか、おめでたいタイプの人なのかなと思った。大作くんはどこか憮然としている表情のほうが多いから、同じ兄弟とは思えなかった。


「ああ、兄ちゃんの事でしたっけ? なんかあるんスか?」

「えっ!? いえ、何かというわけでは……っ! えっと、その……」

 チャンスだと思った。

 弟なら、大作くんがどこの高校を受けるのか知っているかもしれない。


「……えっと、私進路に悩んでて、大守くん……あ、お兄さんのね? どこ受けるのかなーって……参考になれば……って……」

 しどろもどろになりかけて、なんとか聞くことができた。

 我ながら、苦しい誤魔化しかと思ったが、高鳴る心臓がまるで言うことをきいてくれず、暴走気味になるのをとめられない。


「あー。確か近いからって理由で、江洲高受けるって言ってましたよ?」

「そっ、そうなんだぁっ! 参考になりました!」

「は、はぁ……?」

 私はぺこりと頭を下げ、その場から逃げるように立ち去った。


(聞いちゃった! 分かっちゃった! 江洲高なんだ! 江洲高なんだぁ~っ!)

 高ぶる思いがあふれてしまい、表情が完全に壊れてしまっていたかもしれない。

 だけど、そのくらい嬉しかった。

 私の進路が決定した瞬間でもあったのだった。


 それから、私は教室で大作君の背中を見つめては、溢れる想いを抱えて部活に行き、直也君に問い詰める。


「直也くん。大作くんって恋人いるんでしょうか?」


「直也くん。大作くんって好きなものはありますか?」


「直也くん。大作くんって、え、エッチなんですか?」


 …………。

 そんなやり取りが何度か続いた頃、私はいつものように教室で彼の背中を見つめていた。

 友達の木戸くんと、他愛ない会話をしている事が多かったが……彼の一言に私は居ても立ってもいられなかった。


「ばっか、俺ァ、一途だよ」


 な、何の話してるんだろう!?

 大守君が一途なのはなんだか、すごく納得できた。彼はそういう人だろうなと想っていたから。

 でも、誰に対して一途なんだろう!?

 気になる、気になる――。


 気がつくと、足が彼らの傍まで向いていた。

 もう何か声をかけなくては不自然な状態であった。

 と、とりあえず、挨拶。挨拶なら問題ないし、木戸くんとは同じ部活なんだから、話していてもおかしくないよね!?


「お、おはよう。木戸くん」

「おすおす」

 木戸くんが軽く手を振って挨拶を返してくれた。

 大守君はこちらを見つめている。

 私を、見ているんだ――。


 な、なにか言わなきゃ、挨拶、挨拶でいいんだから――っ!


「……ぉ、ぉはょ……、大守くん……」

 必死に搾り出した挨拶は、完全に震え上がっていた。縮こまって掠れていた。


 た、たぶん、聞こえてない、こんな空気の声が大守君に届くわけない!


「おう」

 短いけれど、返事を返してくれた。

 それだけで、バカみたいに体温があがった。

 カラダがカタカタと震えてしまう。膝が笑ってしまうほどに、嬉しかった。


 ――かいわ。会話しなきゃ……もう空気の私じゃなく、林原夢子として、大守君に見つめて欲しい。


「ね、……ねえ、模試……どうだった?」

 数日前の学力テストの話題なら共通だ。

 自然な会話のはず。

 やっぱり小さな声ではあったが、なんとか会話を続けることはできた。


「ダメだったわ。やっぱ、塾行く事になりそうだわ」

 木戸君が応えた。そういえば木戸君は、今度の模試で点数が取れない場合、部活を辞めさせられると話していたのを思い出した。

「そうなんだ。部活……続けられそう?」

「……すまん、多分辞めさせられる……。塾がちゃんと決まるまでは顔は出せるけど」

「ふうん……。ざ、残念だね」

 私は、申し訳ないけれど、木戸君の話はほとんど耳に入っていなかった。

 私が気になっているのは大守君が、きちんと江洲高校にいけるかどうかだったから……。


「林原はどうなんだよ」

 木戸君が軽く聞き返してくれる。私は江洲高志望での模試結果は九十パーセントである事を告げる。

 すると、二人とも驚いたらしく目を丸くしていた。

 大守君は驚いたとき、こんな顔するんだな、可愛いな、なんて考えていたのはナイショだ。


「まじかよ、すげえな……どこ受けるん?」

 木戸君がついにその質問をしてくれた。

 私は、思わず気になって大守君の瞳を覗き込んでしまった。

 すると、あちらの視線とまっすぐぶつかった。


 大守君と目と目が合ってる……。

 いつも背中を見ている私には、一瞬が永遠にも思える。世界には私と大守君しかいない。そんな空想すら走り抜けて、我に返った。

 彼がじっと見つめてくるのに耐えられず、視線を落とす。


「え、と。江洲高校……」

「あ、そうなん? 俺と同じジャン」


 大守君がさらりと言った。

 でも、そのなんでもなかったであろう彼の言葉は私にとって、待ち望んでいた一言だったのだ。


(き、き、き、キタァァァァァァ!!)

 と、内心ガッツポーズすらしてしまうほど、その時の私は昇りつめていただろう。

 なるべくそれを大守君にばれないように、必死に押さえ込んで言葉を紡いだ。


「そ、そう……同じ、とこ……」

 それだけ言うのに、恐ろしく精神力を使うような気がした。


「まぁ近いしなあ」

「制服も、可愛いんだよ」

 一番聞きたかった事を聞けて、力が抜けたお陰だろうか、割とすんなり会話が出来た。

 江洲高の制服はシンプルなセーラー服だけど、シンプルだからこそ、私は好みだった。

 変に外国のデザイナーが作ったというオシャレなブレザー制服よりは、シンプルながらもきちんと押さえた作りをしているセーラー服が私は好感を持てた。


「そうかねえ、姉貴が着てんの見ても、フツーに見えるけど」

「お、お姉さん……? 江洲高なの?」


 興味なさげに言う大守君の発言内容に私は重大な情報が含まれていたため、ピコンと乙女アクティブセンサーが起動してしまった。

 大守君のお姉さんが江洲高生だとすると、お姉さんに話を聞きたいという理由で、大守君の家に行く事が出来るかも!?

 いや、それは流石に大胆かなあ!?

 でも、大守君の世界に、私の居場所を作って欲しい!

 もう、クラスメートの一人じゃいや。

 空気じゃガマンできない。


 これから私がどう行動するべきなのか、私は受験勉強よりも頭を使って考え抜いた。

 よ、よし! 放課後、家に行ってもいいか聞いてみようかな?

 お姉さんに、江洲高の話を聞きたい、とか言って見たりして!


 なんて計画を練っていたら、担任の先生が教室に入って来た。

 そのまま、ひとまず自分の席に戻ることになり、私はまた彼の背中を見つめることになるんだ。


 でも、もう、私は足を踏み出していた。

 これまでみたいに、背中を見ているだけの空気じゃない。

 彼の物語に登場するヒロイン……にはまだなれないかもしれないけれど、ただの『通行人』にはならないはずだ。


 林原夢子はここにいるんだから。

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