第17話「わたしメリーさん……USBメモリのキャップが行方不明になって4日が経過したの」


「九條ちゃんに説明するけど、石鹸展開とはライトノベルが生み出した黄金比なの」

「黄金比――芸術やデザインの分野で使われる単語だな」

「そう。ラノベの読者が本能的に惹きこまれてしまう展開。それが石鹸展開なの。実例を出すわね」


 言いながら、メリーさんはスマートフォンを操作する。

 カクヨム――という、悪い意味でネタが豊富な小説投稿サイトが表示されている。

 ちなみに、ランキングトップの作品は「オレオ」という作品だ。


「九條ちゃん、これを見て」

「精霊使いの剣舞――なんだ、この作品は?」

「MF文庫Jがカクヨムで公式連載している、志瑞祐先生のライトノベルよ。アニメ化もしている人気作よ」

「この作品がどうした?」

「いいから、カクヨムで無料公開されている第1巻の冒頭「あんたはあたしの契約精霊!①」を読んでみなさい。それで全てが分かるわ」

「ふむ。俺の気のせいかもしれぬが、① ←は機種依存文字で」

「評価シートでは文章作法がどうとかうるさいけど、公式は何やってもいいのよ」


 メリーさんに急かされて、冥子はスマフォに表示された小説を読む。


 森のなかにある沼で、全裸の美少女が水を浴びていた。

 それを見た主人公が、膨らみかけの裸体を見て「子供の裸に興味ない」と言う。

 すると、全裸の美少女は「自分は16歳っ!」と怒り出す。

 怒った彼女は「……許さない」と、精霊語で召喚式を詠唱して炎の鞭を出す。

「消し炭になりなさい!」

 美少女の精霊魔装が襲いかかるが、主人公はあえて攻める。

 勢い余って、美少女の胸を揉む。


 読んだ作品のあらすじはこんな感じで、恐ろしく読みやすい文章で描かれていた。

 メリーさんは言う。


「どうだった?」

「ふむ。下民が読むに適した、簡素な文体で描かれた文学であるな」

「読みやすさもそうだけど、他にも大事なことがあるの」


 メリーさんは、緑色の表紙の文庫本を取り出した。


「これは「精霊使いの剣舞(ブレイドダンス)」の第1巻(第11刷)よ。注目してほしいのは読者に開示される情報の密度なの。文字数換算で4000文字弱、文庫本換算だとヒロインの裸を描いた挿絵を1枚入れて12ページ。これだけで、主人公とヒロインがどこにいて、ヒロインの体つきを描写して、さらに作品世界に固有の魔術体系が存在することを説明して、ヒロインのキャラを特徴づけて、主人公にヒロインの乳を揉ませる。なかなかできることじゃないわ」

「よく分からぬが、巧妙な技巧が施されているのだな」

「そうよ。これがラノベの王道な冒頭なの。まず女の子の裸を見る。女の子に怒鳴られる。これが何を意味するのか? メインヒロインの純潔を奪ったメタファなのよ。冒頭で裸を見せてドタバタ騒ぎを起こすことで、こいつがあなたの嫁ですよ――と、読み手に暗喩しているの。そして、裸を見たら描写する必要があるわよね――読者が嫌がる説明文をエロで興味を引く餌に変換できるの。そして裸を見られたヒロインが怒る――ヒロインの異能や主人公の異能を紹介するチャンスよ。そして冒頭で裸を見られるシチュだけど、例に出した作品のように入浴中が多いの。入浴シーンでヒロインの際どい部分を隠すアイテムは、謎の光ではなく石鹸の泡でしょ。これが石鹸展開の名前の由来よ」

「なるほどな……たかがラノベと、侮るべからずか」

「イエス。さすがラノベよ。読者に媚びる技術はなろうテンプレが上だけど、物語を面白く読ませる技術においてはラノベの王道の圧勝と考えるわ。そしてヒロインが裸を見られたあと、物語が様々な方向に発展するのは、なろうテンプレの冒頭トラックと同じね」


 そこまで言い終えたメリーさんは、冥子に言うのだ。


「でも、九條ちゃんに石鹸展開は無理でしょうね」

「なぜだ!」

「だって、九條君は、いまは九條ちゃんでしょ?」

「そうだが――ぐぬっっ!?」

「女の子に裸を見られても、女の子は何も感じないでしょ? あと――」


 メリーさんは、チラリと廊下を歩く女学生を見た。

 何人かの女子生徒が、にこやか楽しげに会話をしていた。


「うわ、くせぇっ!」

「てゆーか、同じ靴下連続1週間とかパなくねぇ?」

「えー、あたしら体操着とか、2週間ぐらい洗わないとか茶飯事じゃんw」

「あたし、この前パンツ脱いだら糸引いたwww」

「うはww 汚ねぇwww」

「くせぇww マジでオリモノくせぇwww」


 冥子ちゃんの動きが、ピタッと止まった。

 ノーメイクで、髪の毛はボサボサで、眉毛が消滅していて、胸元のボタンを第3まで外して、脇の下をボリボリかきながら、シモの話題で盛り上がる、廊下を横一列になって歩く女生徒たち。

 異次元のバケモノを見るような目で、冥子が言うのだ。


「なんだ、あれは……」

「お嬢さまの正体よ……つーか、男のいない環境で堕落した女の典型例よ」

「信じがたいな……良家の生まれの子女たちが」

「百獣の王ライオンも動物園でニート生活を送れば、人間に無様なお腹を晒して昼寝するでしょ……それと同じでね、男のいない環境で育った女は堕落するの……」


 メリーさんが解説する前で、女生徒たちは仲良さそうに会話を弾ませる。

 その中の1名が「あ、わりぃ。教室に忘れ物したわ」と、集団の輪を抜けだした。

 その瞬間、女生徒たちは瞳の色を変えて活気づくのだ。


「ヒメルディアって、最近ノリ悪くねぇ?」

「分かる分かる。地方領主の娘だからって、あたしら見下してる感じ」

「そうそー。この前もさー」


 それを眺めながら、冥子は言うのだ。


「奴ら、仲間が抜けた瞬間、抜けた仲間の悪口を言い出したぞ……」

「……女の習性なの。その場にいない誰かの悪口を仲間と共有することで、互いに仲間同士の結束を強めてるのよ……これが女が集団でトイレに行く理由よ」

「常に仲間と一緒に行動していれば、自分の悪口を言われないというのか……」

「ええ……女は仲間同士の悪口を通して、自分のグループ内での立ち位置を確保するのよ……ようするに、自分の仲間を1人でも多く作って、自分より下の立場の仲間を作りだそうと、耳と目を光らせてるの……あの場の全員が」

「……恐ろしいな」

「ええ……ハーレム・ラブコメとか、絶対ファンタジーよ……現実世界で多数の女が1人の男を取り合ったら、ろくでも無い事になるのは確実ね……」

「地球で恋愛の修羅場をくぐった経験者が証言すると、言葉の重みが違うな……」

「いま飛び越えてる最中よ……ハードルを飛び越えるには高すぎて、くぐるには低すぎて、コースは地雷原で、途方に暮れてるとこだけど……」

「……頑張るがよい」

「……うん」


 珍しく、冥子が優しい言葉を吐いた。

 それだけ、女子校だけで見ることができる女の本性が衝撃だったのだろう。

 唖然とした表情で、冥子はポツリと言うのだ。


「ところで、石鹸展開後のテンプレはどうなっている?」

「千差万別ね。魔法学園モノで多いのは、裸を見られたヒロインに『決闘』を申し込まれる展開かしら? 私の名誉を汚した償いをしろ! みたいに」

「ほぉ? 決闘とは面白いな」

「読者も面白く感じるわ。決闘はバトルシーンで、しかも主人公とヒロインの異能を披露するチャンスだしね。作品固有の世界観をバトルを通して伝えることも出来るし、バトル終了後も様々な展開の派生が期待できる。いいことずくめだわ」

「ククク、ならば決まりだな」

「な、なにを……」

「決まっているだろ。ヒロインを怒らせて、決闘に引きずり込むのだ」

「…………」


 メリーさんは嫌な予感がしたが、もう放置することにした。

 新入生の横では、お嬢さま達の悪口マシンガンが火を吹きまくっている。


 マジで始まった悪口は――パネェで終わった。

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