第7話「わたしメリーさん……使いきったシャンプーのボトルに水を入れると、1回分だけ復活してお得なの」


 その地方を、ヴラド領という。

 冷涼な山岳森林地帯と、渓谷が多くを占める自治領だ。

 特産品は、豊富な森林資源を燃料にして作られる、ガラス工芸品。

 小規模ながら鉱山もあり、錬金術を応用した金属加工の街としても知られている。


 一方で、ヴラド領は平地が少ない。

 山がちな地形は農業に弱く、食料自給率は30%を切っている。

 近隣の港湾都市国家が、ヴラド領の生命線だ。

 港に到着した船舶がヴラド領向けの食料を降ろし、代わりにガラス工芸品を積め込む光景は風物詩である。


 ヴラド領の数少ない平地にある、城下町「べグラード」は異変に包まれていた。


 最初の異変は、羽振りのいい商隊の来訪だった。

 多数の馬車を引き連れた商人たちは、城下町の商店から食料を買い集めた。

 支払いは「アルミ硬貨」で行われた。

 アルミ硬貨とは、ヴラド領で鋳造された独自の硬貨だ。

 軽くて光沢のある通貨で、貨幣の価値を決める成分は純アルミニウム。

 アルミニウムは、ポーキサイト鉱石から精錬される金属だ。

 地球では、大量の電気を使って精錬される。

 だが、剣と魔法の異世界では、錬金術を用いた魔法冶金まほうやきんで製造される。

 電気精錬魔法でんきせいれんまほうという、ヴラド領が独自に開発した錬金魔法が用いられる。

 世界でもヴラド領だけが精錬技術を独占するアルミニウムの価値は、この異世界において金の価値と等しかった。


 ヴラド領を訪れた正体不明の商隊は、大量のアルミ硬貨で食料を買い漁った。

 市場価格の2倍以上で、べグラード中の食料という食料を買い漁った。


 その翌日、風の強い夜。

 べグラードの食料が収められた「パダーエス倉庫街」が、不審火で燃え落ちた。

 折からの強風で、火災は倉庫街の全体に燃え広がる。

 こうして、べグラード市民5万人が冬を乗り切るための食料は。

 ひと晩で、残らず灰となった。


 パダーエスが燃え落ちた、あくる朝。

 さらなる異変が、ヴラド領全体を駆け抜けていた。


 ヴラド領が発行する、アルミ貨幣の価値が大暴落したのだ。

 それまで金貨と同価値だったアルミ貨幣の価値が、1晩で300分の1になった。


 異世界におけるアルミニウムの価値は、希少価値に他ならない。

 ヴラド領だけが精錬技術を所有し、流通量も計算して生産されるアルミニウムは、財産として選ばれるに相応しい価値があった。

 だが、トン単位のアルミニウムが市場に出回れば別だ。

 希少で高価な金属は、ただの柔らかくて加工しやすい金属に成り下がる。

 ある日、市場にアルミニウムが大量に売りに出された。

 それは需要を遥かに上回る量で、たちまちアルミの値段は下落した。

 否、アルミニウムの相場は崩壊した。

 パニックじみた商人が両替商の元を訪れるが、値段など付かなかった。


 この市場崩壊を招いた、トン単位のアルミニウムの出所。

 それは、なにを隠そう「日本産の空き缶」だった。


 メリーさんが、地球で大量のアルミ缶をかき集めてきたのだ。

 個人資産数千億円の彼女が、なんでわざわざ空き缶を選んだのか?

 それは、メリーさんの貧乏性にあった。


 最初は「1円玉を両替する!」という作戦だった。

 だが、貨幣を大量に国外へ持ちだしたり、また破壊する行為は、日本国の法律に触れるので却下。

 次に商社でアルミの地金を購入しようと計画した。

 値段は1円玉よりお得な「1kgで233円、安っ!?」で、メリーさんは喜んだ。

 とりあえず10トンぐらい買おうとしたが、商社の担当者に「個人には販売してないんですよ」と含み笑いで門前払いされてしまい「なによ、女子高生だからって馬鹿にすんじゃないわよ!」と憤慨していたら、メリーさんが家族と暮らす埼玉県の庭付き一戸建てハウスの近所で、それを見つけたのだ。

 廃棄物処理会社の敷地に、山積みされたアルミ缶を圧縮したブロック。

 メリーさんは、それが目に入った瞬間「これだ!」と閃いた。


 すぐさま『金の暴力』を発動させた。

 廃棄物処理会社「株式会社 ラッキー産業」の株式を51%以上取得した。

 つまり、会社の支配者に収まった。


 会社の支配者になったメリーさんは、すぐさま命令を出した。

 異世界に地球産の廃棄物を輸出および輸入を行う、新事業の展開を命じた。


 地球と異世界を接続する輸送路は、テレビのワープゲートだ。

 いまは亡き「松下電子工業」が製造した『43型 カラーブラウン管テレビ』。

 井戸娘の異能で異世界と繋がった巨大ブラウン管テレビは、中古で購入したベルトコンベアに直結され、パートのおばちゃんが1個10kgのアルミ缶を圧縮したブロックを載せていく。

 こうして、10トンのアルミニウムは異世界に輸出されたのだ。

 余談だが、メリーさんが株式を51パーセント取得した「株式会社 ラッキー産業」は、数日で年間利益の20年分にも達する金額を稼ぎだしたという。

 アルミニウムは酸素との親和力が強いので鉱石から精錬するのは非常に手間とエネルギーが必要だが、精錬が終われば熱を加えるだけで簡単に溶けて再加工ができるので、地球産のアルミ缶は異世界の技術力でもリサイクル可能だ。


 ヴラド領の領主は焦った。

 庶民が冬を乗り切るための食料は、倉庫街の火災で過半数が焼け落ちた。

 さらに、領内に流通する貨幣の価値が300分の1に下落したのだ。


 パダーエス倉庫が焼失した翌日。

 ブラド領内は、完全なパニックに陥った。


 まず、猛烈なインフレーションが起きた。

 貨幣の価値が猛烈に下がり、商品やサービスの価値が猛烈に上昇した。

 その混乱を現代日本に例えるなら、昨日10円で売っていた駄菓子が、その翌日には50万円で売られるという感じだ。通貨の暴落に加えて、ヴラド領内は深刻な食糧不足が懸念されていたのも悪条件だ。食料価格の暴騰は止まることを知らず、このままでは市民の暴動は確実だった。


 知見ある領主は、即日で食料を配給制に移行するように指示。

 食糧の不足と価格の暴騰に伴う民衆の動揺を、抑えることに成功した。

 当座の処置を済ませた領主は、個人の資産を取り崩した。

 貴重な外貨を信頼できる家臣に預け、近隣諸国からの食料買い付けを指示した。


 ここで、例の商隊が再登場する。

 謎の東洋人に命じられて食料を買い漁る商隊は、近隣諸国でも暗躍していた。


 ヴラド領の家臣が見たのは、荒野で燃える馬車だった。

 全ての金具を外されて解体済みの馬車は、積み荷の食料ごと燃やされていた。


 ヴラド領の買い付け担当は、近隣諸国の有力者に食料輸入を打診した。

 だが、いずれも断られた。

 需要を無視した膨大な買い付けの結果、近隣諸国でも食料価格が高騰しており、また大量の馬車が買われて燃やされていたのだ。

 買い付ける商品も、輸送する手段も、何もかもが不足していた。


 この報告を聞いて、ヴラド領の盟主「ヴラ・ヴララ」は青ざめた。


 だが、まだ秘策はあった。

 ヴラド領の特産品、ガラス工芸品を食料と物々交換すれば。

 おそらく、餓死者を出さずに冬を凌げる。


 しかし、その頃には。

 近隣一帯で、ヴラド領のガラス工芸品を買う商人はいなかったのだ。


 井戸娘の暗躍が、その原因だ。

 地球に戻った井戸娘は、倒産間近で近々上場廃止が不可避の企業に目をつけた。

 100円ショップ経営会社「株式会社 雑貨屋ブルードック」。

 株価はゴミ程度の価値しかない「1株2円」。

 数千億円の個人資産があれば、発行済株式の51%を大量取得は容易かった。


 会社を支配した井戸娘は、倉庫の在庫を確認した。

 クソみたいに売れ残っていた、大量のガラス製品が山積みだった。

 それを、残らず異世界に輸出した。


 地球では不良在庫でも、異世界では別だ。

 有名ブランドのガラス食器を、中国企業がパクって製造したモノでもお構いなし。

 たかがワンコイン商品でも、平成の技術で規格化された工業製品は、剣と魔法のファンタジーな世界のガラス製品とは比べ物にならないほど高品質で、井戸娘の持ち込んだガラス製品は売れに売れて売れまくった。

 この格安で高品質な地球産の100円商品が、異世界の市場で評価されていた高級ガラス製品を駆逐したのだ。

 そして、井戸娘が株式の51%を取得した「株式会社 雑貨屋ブルードック」の株価は、2円から1464円まで高騰し、数千億円にも及ぶ個人資産はさらに増えた。


 メリーさんもまた、膨大な資産を手に入れていた。

 全ての金具を外して解体され、積み荷の食料ごと火刑に処された馬車である。

 馬車の金具には、鉄が用いられている。

 メリーさんは、馬車から外した鉄の金具を地球に輸出したのだ。

 この異世界産の何の変哲もない鉄が、メリーさんに巨万の富をもたらした。


 地球の歴史では、幾度なく核実験が行われた。

 その結果、自然界には存在しない放射性物質が放たれた。


 自然界には存在しない人工の放射性物質は、ロスアラモスで行われた核実験以後、地球上のありとあらゆる場所に、ごくごく微量存在することになった。

 つまり、ロスアラモス以後に精錬された金属には、人工の放射性同位元素が僅かに含まれる可能性が生まれたのだ。


 これら放射能を持つ不純物は、微細科学や原子物理学の世界で大きな障害となり、超精密な測定を行う際には無視できない影響を及ぼす。

 中でも「鉄」は、製造において「コバルト60」という放射性物質の混入が避けられない。


 そこで、超高精度の測定器具や特殊施設用に、核実験が行われる前に沈んだ軍艦などを海底から引き上げて、その船体の金属を再利用する手法が取られていた。NASA(アメリカ航空宇宙局)も、イギリスの「スカパ・フロー」で自沈させられた第一次大戦の「ドイツ大洋艦隊」から、放射能汚染されていない鉄を採取している。


 これら希少な「非汚染の鉄」の価値は、純金に匹敵するという。

 1000g=30円ぐらいの鉄が、放射能で汚染されていないだけで1g=4000円ほどになるのだ。


 言うまでもないが、異世界に核兵器や原子力発電所は存在しない。

 だから、異世界の鉄は放射能汚染されていない。


 しかも、日本では福島第一原発事故が起きた。

 この未曾有の大災害で、各種放射線測定器の精度を上げる「非汚染の鉄」の需要が高まっている。


 メリーさんが持ち込んだ異世界産のクリーンな鉄は、瞬く間に売れたという。

 ラッキー産業が、数日で年間利益の20年分を稼ぎだした理由である。


 信じがたい速度で個人資産を増やす、二人の都市伝説少女。

 対して、ヴラド領の領主は悲惨だった。

 貨幣崩壊、食糧不足、主産業の壊滅、民衆の暴動。

 いっそ首をくくろうかと悩んだらしいが、救いの手が差し伸べられる。


 九條冥介と名乗る謎の東洋人が、融資を申し出てきたのだ。

 死ぬほど怪しいが、追い詰められた領主は、悪魔の誘いを断ることができず……


 住み慣れた古城のテラスから。

 ヴラド領の盟主「ヴラ・ヴララ」は、城下を見下ろした。

 怒りに満ちた市民たちが、王城に向かって抗議のデモ行進をしていた。

 彼らが口にするのは、領主を糾弾する罵声。

 ヴララは泣いた。


 そして、手紙の返事をしたためる。


「九條冥介様――土下座でも何でもします! ヴラド領を助けて下さい!」


 城は堕ちた。

 事実上の無条件降伏だった。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る