『百鬼夜行』【拾】






 ――特警刑事、旧皇都支部所属の菅原健太は、息も絶え絶えに、京の街頭を彷徨っていた。

 血だらけの足を引き摺っている。かつての仲間たちに撃たれた傷だ。

「くそ、くそ……! 何でこんなことに……ぜんぶ、全部あいつのせいだ……」

 命からがら警察病院から逃げ出した菅原は、憎悪を剥き出しに、忌々しい相手の顔を思い浮かべた。

「明満……道晴!!」

 さきほどは殺しきれなかった。だが、彼はまだ明満の殺害を諦めてはいなかった。

 菅原は手に持ったオートマチック拳銃に目をやった。病院を警護していた特警隊員たちから、殺して奪ったものだ。逃亡の際の交戦によって弾切れを起こし、ホールドオープン状態になっている。菅原は奪っておいた予備のマガジンに交換し、スライドを引いて薬室に初弾を送り込んだ。

 ――銃身に装填されるのは弾丸。

 ――弾丸に装填されるのは呪詛と殺意。

 そうすることで、彼の持つ銃は「兵器」から「呪い」へと変わる。

 照準を定めることも、引き金を引くことも、全ては作業ではなく、〝呪〟を発動させるための儀式と成る。

 ――菅原の中の総てが、漆黒の殺意で塗り潰された。







 深山の無人社――月読分社を舞台とした死闘は終結し、現在、敵味方問わずに生存者・負傷者の救助作業が続いているらしい。そして、市街地のほうでは反逆者菅原の行方を追い、血眼になっての捜索が目下続けられていた。

 カインと王は特警仕様の特殊装甲車に乗り込み、仲間との合流地点を目指す。車内の座席には他の隊員たちも完全武装で待機しており、カインらと同じく招集された特派員の一人、公安課の尾根崎の姿もあった。他の隊員たちと同じように、タクティカルベストと防弾着に身を包み、制式アサルトライフルで武装している。

「今、街は非常に危険な状態だ。ここで菅原を逃がすと、一般市民にもさらに多大な被害が出るかもしれない」

 尾根崎が真剣な顔をして続ける。

「明満氏の保護は完了、現在は警察病院から特警旧皇都支部の医療部門に移され、そちらで治療を受けている。万が一菅原の襲撃に備え、病院の患者が被害に遭わないようとの配慮だ」

 そして彼は一瞬言葉に詰まり、

「それにしても、櫓坂隊長――惜しい人を亡くした……」

 残念そうに、そう言った。

「そうだな……」と王も同意する。櫓坂と熱い組手勝負を繰り広げた彼らにとって、やはりどこか思うところがあるらしい。

 一方カインはその横で、膝の上に置いた高性能ノートパソコンと睨めっこしていた。

 ノートパソコンの画面には、警察病院内の監視カメラに収められた映像が流れていた。音声もしっかりと録られている。

 部屋の隅、斜め上から撮ったアングルだ。


●REC

 画面の中では、カメラに背を向けた明満が、菅原と向かい合って話している。

 明満は手当てを受け、意識を取り戻したあとらしく、治療の際脱がされたのだろうか、いつもの黄土色のコートも着ていなかった。

 二人の会話内容は、以下のようなものだった。

『菅原君……貴方は私を運んで、山を下りて下さりました。その際、あれだけ大量にいた異能者連中に、一度も鉢合わせすることなく、私たちが逃げ延びることができたというのは……どうもおかしいと思いませんか?』

『――えっ?』

『普通なら、麓のほうにも、逃げ出した我々を狩るための部隊を待ち伏せさせておくはずです』

『そういえば……そうっすね』

 菅原も不思議そうに答える。

『まるで、貴方と私を襲わないよう、異能者たちの間に暗黙の了解があったのではないか――私にはそう感じられました』

 そこで、菅原の表情が少し曇った。

『……つまり、何が言いたいんっすか?』

 明満は一歩前に出て、菅原に近寄る。

『皆まで言わないと、分かりませんか?』

 監視カメラの映像からは、コートを着ていない明満の背中、腰の後ろあたりに、手錠を収めてあるホルダーが見える。後ろで手を組むふりをして、それにこっそりと手を伸ばす明満。どうやら、菅原を捕縛するつもりらしい。

 菅原は、じりじりと後ずさった。

 しばらくの間、画面の中の二人は無言で睨み合っていた。やがて、菅原の顔が見る見るうちに憎悪の表情へと変わっていく。躰は怒りでわなわなと震えていた。

『――ふざけるな!!』

 菅原が唐突に、そう叫んだ。明満に飛び掛かる。

 揉み合って、部屋の中を転げまわる二人。馬乗りになった菅原が、一方的に明満を殴り付ける。

 騒ぎに気付いたのか、一体何事かと、病室前の警備を担当していた隊員が二人入ってきた。彼らは驚いて菅原を取り押さえた。菅原が大声で叫んだ。

『やめろぉぉおおお!!!!』

 次の瞬間、菅原は隊員の一人を投げ技で床に転がして、ホルスターから拳銃を奪った。息つく暇もなく、その拳銃で、二人を射殺する。

『な、なんということを……!!』

 明満が叫びながら、部屋から逃げ出す。それを、菅原が追う。

 そこで画面が切り替わった。

 次の場面は、違うカメラからの映像――櫓坂隊長が治療を受けている緊急医療室だった。

 先にその部屋に入室してきたのは、菅原だった。

 彼は寝かされている櫓坂に近づき、何かを確認するような仕草を見せる。

 その後に扉を開けて入ってきたのは、明満だった。銃弾を受けた躰が血に染まっている。

『――やめなさい、菅原君! 隊長に何をするつもりですか!』

 そう言って、今度は明満が菅原に飛び掛かった。菅原の銃を持った腕に、必死にしがみ付く。菅原は明満を振り払おうと腕を振り回し、無茶苦茶に発砲する。そのうち一発が監視カメラの画面を撃ち抜き、そこで映像は途切れた。

 以上が、警察病院内で録画された内容だった――――。


「このあと、騒ぎを聞きつけた警備部隊が部屋に突入した時には、既に櫓坂隊長は射殺されていた。そして重傷で今にも撃ち殺されそうだった明満さんは保護され、菅原さんは窓ガラスを突き破って逃亡――ですか」

 カインは、録画の映像がまた最初から繰り返し再生されるのをながら見し、別ウィンドウで開いていた報告書を読み上げた。

「櫓坂隊長の治療室は地上四階だぞ。無茶をする……」と尾根崎。

「さすがに、空挺団と同じような訓練を受けていただけはあるな、菅ちゃ――」スガちゃん、と言いかけて、王は言い直す。「――いや、菅原はよ」

 特派員組の中でも特別菅原と仲良く話していた王は、「……何が何だか、さっぱりだよな」とやりきれなさそうに頭を抱え、首を振った。

「――何がさっぱりなものか。はっきりしているだろ」

 尾根崎が、不機嫌そうに言う。

「我々の戦闘中、支部のほうも異能者の別動隊に襲撃を受けたんだぞ。無事山を下りた私の仲間と撤退組が、支部の駐在班と合流し、これを迎撃、撃退した。もし彼らが間に合わなければ、今頃どんな事態になっていたか……」

 苛々とした口調で、彼はさらに捲し立てる。

「一体、如何なる理由があっての凶行か知らんが、菅原は特警を潰そうと企てていたに違いないんだ。奴は刑事なんかじゃない、テロリストだ。月読分社での陽動作戦と同時進行の本部襲撃で、まずは旧皇都支部を陥落させようとしたんだろうが、それが今や計画は失敗。破れかぶれになって、こんな狂った行動に出たんだろう」

 確かにそうとしか思えないが、カインには少しばかり、納得できない。

「そうでしょうか……この事件、もっと深い何かがあるような気がするんですけど……」

「……どのみち相手は犯罪者だ。事情は逮捕してから聴いてやればいい」

 尾根崎は、頭にのぼった血を下ろせないようだった。

「それに、菅原と交戦した部隊からは、奴が異能らしきものを使ったという報告もある。菅原が撃った弾丸に当たった者は、到底致命傷になり得ない位置の銃創で即死したり、また、不可解な動きを見せて味方を撃ち殺したりするらしい。この通り、奴は異能者であることを我々に隠していた。完全なクロだよ」

 早口で一気に説明する尾根崎。忙しなく残弾の確認や装備の点検を繰り返しているのを見るに、どうやら、真面目ではあるが、かなり神経質な男らしい。

 そんな尾根崎とは違って、カインはずっと考え事をしていた。だが、どうしても考えがまとまらない。頭の中で縺れ合った糸が、解けない。

 言葉では説明できない違和感が、彼の思考を妨げていた。

 この状況で、選択の余地はない。だが、はたしてこのまま任務遂行しても大丈夫なのだろうか――カインがそう思っていた、その時だった。

 彼らの乗っていた車が、急停止する。

 突然の停車に身構える刑事たちを、運転手の旧皇都隊員が振り返った。

 神妙な顔だった。

 彼は淡々とした口調で言った。


「今、無線で連絡が入った。事件は終わったよ――――菅原は、別動隊に射殺されたそうだ」


 その報告を聞いて、喜びの声を上げる者など、誰一人としていない。

 元同僚が裏切り者として死んだのだから、喜べるはずもない。

 車内はまるで通夜のように静まり返ったまま、彼らの乗る車は、静かに旧皇都支部へと進路を変えた――。







 ――百鬼夜行との死闘から、三日が経った。

 あの地獄のような夜が明けてからそれ以降、異能者による犯罪は起こっていない。街からはすっかり瘴気が抜け、京の都は平和を取り戻しているかのように見えた。

 暇田麗司、そしてスティフナズ兄妹に対しては取り調べの真っ最中。その他の異能者については、怪我人も拘束人数も多すぎて、拘置所や簡易収容施設が悲鳴を上げているような状態だった。

 菅原に撃たれて重症を負った明満も、現在は入院中だが、命に別条はないとのことだった。

 事件はやはり、終わりを迎えたのだろうか――カインは『百鬼夜行事件』捜査本部で、資料の後片付けをしていた。自分のデスクから書類などをひとまとめにし、分別しながらファイリングしていく。

 傍から見れば手際よく仕事をこなしているように見えるが、実際カインの頭の中は、気の抜けたようにぼおっとしていた。心ここにあらず、といった様子だ。

 少し作業の手を休め、情報整理に使っていたノートパソコンを開き、菅原に関するデータを改めて眺めてみる。

 経歴等と一緒に映し出された菅原の顔写真は、ごつごつとした骨格の中に、まだどこかにあどけなさが残っていた。人懐っこい仔犬のような瞳が、画面の中からカインのほうを見つめている。この写真だけを見ると、とても戦後最悪の異能犯には見えないかもしれない。

 菅原が交際していたという幼馴染の女性には、彼は今回の暴動に巻き込まれ殉職したとだけ説明された。事情により、二階級の特進も見送られる。泣き崩れる彼女の右手薬指に婚約指輪がはめられているのを見て、エリゼも王もカインも、一層やりきれない気持ちになった。

 あれから念入りに調べてみれば、段々に菅原の過去が浮かび上がってきた。

 彼の実の母親、菅原美佳子は旧姓を「白沢 美佳子」といった。シラサワ、ミカコ――。

 そして彼女はなんと、国家異能登録にも登録された異能者でもあった。能力は、〈他人の病を自らに引き受ける〉こと。

 世間に対しては自らの異能を隠して生きてきた白沢美佳子だが、二十三歳の頃、彼女は菅原家に嫁入りすることとなる。若くして天涯孤独の身だった彼女にとって、良家の長男坊と知り合い見初められたことは、一般的に見れば幸福なことだったのかもしれない。

 しばらくの間は平穏な暮らしが続いていたらしく、やがて息子――菅原健太も産まれ、近所の人間から見ても、仲の良い幸せそうな夫婦だったという。

 だがその生活も、ある日、息子が罹った重い病により、脆くも崩れ去ってしまう。

 美佳子は、まだ幼かった菅原の命を救うために能力を使い、その結果、異能者であることが夫とその家族に知られてしまった。

 彼女の能力は、決して自分以外の人間を傷つけない。それどころか、息子の命を救いさえもしたのに、美佳子は夫から「化け物」呼ばわりされたのだという。

 畏れられ蔑まれ、菅原家から絶縁された彼女は、ほとんど無一文で追い出され、息子から引き受けた病が悪化したこともあり、数週間の路上生活の末、命を落とした。それは悲惨な最期だったらしい。

 そして裕福だった菅原の父はすぐに再婚したが、菅原は継母であるその女性から、虐待を受けて育った。

 ――これが、かいつまんだ菅原の過去だ。

「(これは菅原さんの――ひいては異能を持つ者たちの――復讐だったんだろうか)」

 病院で殺害された櫓坂の死に様は特に凄まじく、その殺し方は怨念を感じさせるものだった。目玉は二つともくり抜かれ、指も全て斬り落とされていたそうだ。現場に落ちて残っていた二、三本の指以外は、結局、それらの切除部位は見つからなかったらしい。菅原が持ち去り、逃げる途中でどこかに捨てたのかもしれない。

 カインが知っている菅原は、とてもそのような凶行に及ぶ人物には見えなかったし、暗い過去も感じさせない、明るい好青年だった。むしろ、このような過去があったからこそ、あれほどまでに正義感の強い青年に育ったのかもしれない――とさえ思えた。

 今朝、明満の病室に見舞いに行ったカインだったが、そのとき老刑事も、菅原の死を甚く悲しんでいた。特警刑事としての菅原は、明満が育てたと言っても過言ではないうえ、あれほど慕われていたのだから、無理もないことだった。

「(昨日、菅原さんの死体を見た――)」

 その躰は幾多の銃弾によって、蜂の巣にされていた。

 聞くところによると、菅原は最後まで抵抗をやめなかったらしい。菅原を追跡していた戦闘員も、五人殺された。結局銃撃戦の末、菅原はかつての同僚に取り囲まれ、無数の銃弾を浴び、死んだ。

 報告書に書かれている菅原の異能は、【式神遣しきがみつかい】。彼の上着のうちから『百鬼分隊』の異能者どもが持っていたような「妖怪の木札」が見つかり、その名が記されていたため、便宜上、報告書にもそう記述されている。備考・考察欄には「弾丸に強い思念を込め、着弾した対象への干渉・操作・破壊等を行う能力(仮)」とある。

 まるで「呪い」のようだ、とカインは思った。ある意味、陰陽師を先祖に持つと言っていた菅原らしい能力かもしれない。

「(黒幕の死としては、呆気なさすぎるとは思う。でも、大それたことをしでかそうとした者の最期ほど、案外、こんなものなのかもしれないな――)」

 これからこの支部はどうなるのだろう――とも、彼は思う。

 警察機構内から異能犯罪者を出してしまった不祥事と、その後始末でしばらくの間、旧皇都支部は忙しくなるだろう。

 櫓坂が殉職したことにより、旧皇都支部の隊長代理はしばらくエリゼが任されることになった。上層部から次期隊長が派遣されてくるまでの繋ぎだ。その間、「隊長代理補佐」という名目で、明満老人が副隊長の役割を担うことになっている。

 エリゼはもともと優秀な刑事であるし、今回の事件の経験と、隊長代理を務めることにより、さらに成長するはずだ。いずれは本当に隊長格を任されることになるかもしれない。そこに、ベテランの明満も補佐に加わる。

 自分なんかが心配しなくても、きっと上手くいくようになる。カインはあれこれ考えるのをやめ、パソコンを閉じようとした――。

 しかし、その手はふと、止まった。

 開いていた画面の端に、何かが表示されている。

 クリックして開いてみれば、カインの使っているパソコンに、音声通信のリクエストが入っていた。

 コンタクトしてきた相手の名を見ると、「ウイドウ・マキトシ」とある。そのような名前の知り合いは、一人しかいない。おそらくは天才ハッカー少年、初道牧俊だろう。

 カインは一瞬迷ったが、カーソルを「応答」のボタンに合わせ、通話を開始した。


『――やあカインさん、ひさしぶり! 今、しごと中だよね?』


 いきなり場違いなほど溌溂はつらつとした男の子の声が聞こえてきて、周りでせっせと働いていた者たちも、一斉に怪訝な顔をした。

「あ? なんだ? この声、牧俊の野郎か?」

 近くのデスクで仕事をしていた王も反応して、カインの後ろまでやってくる。

『あ。王さんも! ひさしぶり!』

 通信の向こう側で、少年はかなりはしゃいでいるようだった。

 他の刑事たちに白い眼を向けられ、カインは少し恥ずかしそうに、マイクの内蔵されたパソコンに向かって話しかけた。

「牧俊君……知っての通り、っていうか、何で知ってるのか分らないけど、とにかく今は仕事中だよ」

『うん、だから知ってるって。特警の動向とスケジュールは常にチェックしてるし。とくに旧皇都のほうはカインさんが心配だったからね』

 しれっとした様子で牧俊の声が言った。

「オイっ……っていうかこのパソコンも、旧皇都支部の備品なんだけど、どうして今俺が使ってるって分かったの?」

『え? だってさっき、指紋認証とIDを使ったでしょ? 一発で分かるよそんなの』

 確かに、端末から特警のデータベースにアクセスして機能を使う為には、機器に備わったスキャンからの指紋認証とIDの打ち込みが必要だが、そもそも、その使用形跡をリアルタイムで見つけ出し、このように飛び入りで割り込んでくること自体があり得ない。堅牢なセキュリティに守られているはずの特警各支部の独立システムを何だと思っているのだろうか。

 もはやどこから突っ込んでいいのか分からず、カインは頭を抱えた。

「ああ、うん……分かった。ところで用件は何?」

 諦めたようにカインが尋ねると、牧俊の歳相応な楽しそうな声が、悪びれもせずに答える。

『ちょっとまえにカインさんに調べておいてって頼まれたことで、おもしろいことが分かったから、言っとこうとおもってさ。電話でもよかったんだけど、ちょうどPC使ってたみたいだし、こっちのほうが大きいデータも送れて便利だからさ』

 そういえば、先日、カインは事件について幾つかの情報を牧俊に渡し、それについての調査を依頼していたことを思い出した。

「とは言っても、今さらこまごました情報聞かされてもなぁ? 事件はもうほとんど解決済み、オレ達も帰還間近だぜ?」

 王が肩をすくめる。

 と、そこに――――

「おい! お前たちさっきから、一体誰と話してるんだ? 支部の備品を私用の通信に使ったとばれたら、始末書ものだぞ」

 カインと王が振り返ると、尾根崎が、険しい顔をしていた。一体何をやっているのかと様子を見に来たらしい。

『ん、心配しなくていいよー。通信データは上の人にばれないように現在進行形で改竄してるし、履歴とかもあとでぜんぶ奇麗に消しとくからさ』

「なっ! 貴様……」

 堂々と犯罪行為を告白している少年を咎めようとする尾根崎だが、「まあまあ、こいつは言っても無駄な手合いですから」と王に諫められた。

『それよりまあ、せっかく調べたんだから聞いていってよ』

 微塵の悪気もなさそうに、少年ハッカーは続ける。

『まずね、《暇田コンサルタント》。もとは荒塵会系暴力団から派生した幽霊会社で、暇田麗司が社長に就任したのは三年まえとなってるけど、正確にいえば、このプランが発足されたのは十年くらいまえだね。むかしから、裏の裏では、ひそかに発掘してきた異能者を、貴重な人材資源として暴力団や政治家に貸しだすビジネスをやってたみたい。そしてこのプロジェクトに異能者を提供するキーマンとなる何者かがいたみたいなんだけど――えっと……あったあった、これだ』

 カインの使っていたノートパソコンに、データファイルが送信されてくる。

 それはどうやら、契約書をスキャンして取り込んだ画像データのようだった。異能者の取り扱いに関する内容に、前社長と異能提供者、甲乙のサインが刻まれていた。しかし、提供者側は名前などではなく、図形のみのサインである。

『あの暇田って社長、ずいぶん几帳面というか、変に凝り性みたいでさ。古い資料が劣化するまえに、ぜんぶスキャンして、画像データとして残そうとしてたみたいなんだ』

 カインは画像データの文章に目を通し、次に、朱墨と筆で書かれたとみられる、サインの図形に目をやった。

「この図形は――――」

 カインがはっとする。

『そう。暇田コンサルタントの社章と同じ図形だよね。あの図形、実は暇田や前任の社長が考えたものじゃなくて、ずっと昔から、彼らの協力者が使っていたものなんだよ』

 格子模様のように交差した線の中に、五芒星が隠されたデザイン。

『たしかカインさんの話だと、暇田のほうでは西洋魔術とかタロットカードとか、うさんくさいこと言ってたとおもうんだけど、ボクはこれ、たぶん〝セーマン・ドーマン〟なんじゃないかとおもうんだ』

 そこで、黙って話を聞いていた王が大きな声を上げた。


「――ああ! そうか、あのマーク、どこかで見たと思ってたら、セイメイの〝桔梗印ききょういん〟とドーマンの〝九字印くじいん〟だったのか!!」


「え……?」カインは意味が分からずに、一人で納得している先輩刑事のほうを見た。

『王さんは知ってたみたいだね。五芒星が〝セーマン〟で安倍晴明あべのせいめいの晴明桔梗、格子の印は〝ドーマン〟で蘆屋道満あしやどうまんの九字紋が由来なんじゃないかって言われてる。セーマンもドーマンも魔除けとして使われているマークなんだけど、その二つを組み合わせたのが、この暇田の社章やカインさんの捕まえた異能者のタトゥーに使われてた図形なんじゃないか……ってこと』

 PCに新たなデータが送られてきた。画像ファイルを開くと、〝セーマンドーマン〟の印がそれぞれ別々に描かれており、五芒星の下には「安倍晴明」、格子模様の下には「蘆屋道満」と、古の陰陽師の名が記されていた。

 あの時はもっともらしいことを言っていた暇田の解説だったが、確かにこうやって見れば、セーマンとドーマン――この二つの図形を組み合わせて作ったマークにも見える。

『どちらも平安時代の高名な陰陽師で、安倍晴明と蘆屋道満はおたがいライバルとして有名だったんだ。二人の呪術勝負のエピソードなんかも残ってるよ。のちの時代になっても、陰陽四家の中で安倍家と蘆屋家はずっと仲が悪かったほどだからね。まあ、セーマンドーマンは、その二人にあやかった魔除けってところだね』

「陰陽四家――そういえば、明満さんと菅原さんが話していたっけな……」

 そこへ王も加わって、画面の図形を指差し、得意そうに解説を始める。

「この晴明紋の五芒星ってのは、いわゆる陰陽五行――つまり木火土金水もくかどごんすいの相克を表してるんだ。万物の属性、その強弱の流れ、火剋金・金剋木・木剋土・土剋水・水剋火、ってな」

「はあ、なるほど……」とカインは素っ気ない。

「で、道満の九字紋のほうはっていうとな、その名の通り九字の印から来てる。聞いたことねえか? 臨・兵・闘・者・皆・陣・列・在・前――」

「あ、ニンジャの……」とカインが言いかけたが、「忍者じゃねえよバカ、真言宗だ」と王に突っ込みを喰らった。

「まあ、映画とかじゃ忍者が印を結ぶ時に唱えたりもしてるがな。〝臨める兵、闘う者、皆、陣列べて前に在り〟――九字を唱える一文字ずつに合わせて、九本の交差した線、つまりは格子模様を描くみたいに手刀を切る。元はといえば大陸由来の道教から伝わったもんだ。真言以外にも、天台宗やその他の密教とか修験道でも使うが、それが陰陽道にも取り込まれたってわけだな」

 カインは話を聞きながら、何かが心の中に引っ掛かっていた。もう少しで、決定的な確信に至ることができる――そのようなもどかしさ。

 王の講釈が終わるのを待っていたかのように、PCのスピーカーから声がした。

『――王さんって、なんだか変なことばっかり詳しいよね』

 牧俊もおそらく、画面の向こう側では苦笑しているのだろうか。

『ちなみに民間の伝説では、何代かあと、この安倍と芦屋の子孫が恋仲になって、子供ができてしまったっていう話もあるんだ。二人の若い陰陽師は両家から破門されて、野にくだった。心中したとかも言われてるけど――まあ、よくある悲恋譚だね。その死にぎわ産み棄てられた赤ん坊が、妖怪に拾われて育てられ、奇しくも強力な陰陽師になって、呪術師の家系を築いたとか何とか……って、話が逸れちゃったかな』

 こうやって、調べているうちに、事件に関係のなさそうな情報まで付随して集めてきてしまうのが、牧俊のいつもの悪い癖だった。情報フリークな彼らしい。

『とまあ、ほかにも情報はあるんだけど、なんだか二人とも忙しそうだし、あとはデータで送っておけばいいかな? 久しぶりに声も聞きたかっただけだし』

 だが、通信を終わろうとする牧俊を、「ちょっと待って」とカインが呼び止めた。彼はふとあることを思い付いて、尋ねてみた。

「ねえ牧俊君、『百鬼夜行事件』の首謀者は〝シラサワ〟という名前で呼ばれていた。菅原さんの家族やその関係者以外で、この名前に心当たりないかな?」

『シラサワ……? ちょっと待ってて』

 しばらくの沈黙。どうやら検索を掛けているらしい。

『うーん、調べてみたけど、暴力団関係者、警察関係者、国家異能登録者や異能犯罪者リストで検索かけてみてもヒットしないね。人名としてはそこそこ珍しいけど、ちゃんと実在する名字なんだけど』

「そっか……ありがとう」

 カインは少しばかり残念そうだった。やはり、〝シラサワ〟というのは、菅原が母親の復讐のために名乗っていたものなのだろう。

 納得しかけていたカインだったが、『でもさあ――』と、牧俊が続けた。

『――これって人名じゃなくて、ひょっとしたら妖怪のことなんじゃない?』

「えっ?」

 その意外な返答に、カインは虚を衝かれた。

『大陸の霊獣で、〝白澤ハクタク〟っていう妖怪がいるの知ってる? 漢字で「シラサワ」とも読めるんだけど、もしかしたら、その妖怪の名をもじって、そう名乗ってたんじゃないかな?』

 単なる偶然とは思えない――カインの勘がそう言っていた。

「牧俊君、そのハクタクっていうのは、一体どういう――」

『その昔、黄帝が諸国を巡行していた時、東方で一匹の妖怪に遭遇したといわれている。その妖怪は万物に通暁し、人語を解する博識賢智の霊獣だった。それがこの、〝白澤〟』

 牧俊はそう言って、またデータファイルを送ってくる。筆で描かれた妖怪画に、何やら漢詩のようなものが記されている。その絵で見る姿形は、牛のような躰にふさふさの尻尾とたてがみを纏い、人面に三つの眼、脇腹あたりにも三つずつの眼を持っているように見える。また、色々な部位から、沢山の角らしきものが生えていた。いかんせん、言葉では説明しづらい、複雑な造形だった。

『白澤は黄帝にとらえられ、その前に引きだされて、天下の鬼神や妖怪について聞きだされた。白澤の口からつぶさに語られた妖怪変化、怪力乱神の数はなんと、一万一千五百二十種にもおよんだんだってさ。黄帝は家来に命じて、そのすべてと対処法を、いちいち図解付きで書きとらせた。この書は〝白澤図〟とよばれて、世界最古、原初の妖怪図鑑ともいわれているんだ』

「原初の――妖怪図鑑?」

『うん。つまりは、今、世に伝わってる妖怪たちの名前はみんな、白澤の言葉から生まれたといっても過言ではないかもね』

「全ての妖怪は、白澤から生まれる――」

 カインが呟いたのを、牧俊は『いや、それはたんなる例えだよ?』と断った。

 だが、もう彼の耳には、牧俊の言葉は届いていなかった。脳裏に、様々なワードがフラッシュバックしては消えていく――――。


 百鬼夜行。

 異能者の集団。

 妖怪に詳しいブレーン。

 十年前。

 異能を提供するビジネス。

 精度の低い能力。

 突然に湧いてくる犯罪者。

 内通。

 警察内部の敵。

 菅原の裏切り。

 櫓坂隊長。

 異能犯罪者収容施設。

 陰陽師。

 安倍晴明。

 蘆屋道満。

 白澤。

 白澤図。

 原初の妖怪図鑑。

 全ての妖怪は、白澤から生まれる――。


「そうか――」

 これでようやく、全てが繋がった。

 カインの中で絡まり合っていた糸が、奇麗に解れた瞬間だった。

「……牧俊君、どうもありがとう」

 カインが一層真剣な声になって、礼を言った。牧俊もその声から、カインのただならぬ決心を感じ取ったようだった。返答が来るまで、少し間があった。

『……ねえカインさん、大丈夫?』

 少年は心配そうな声だ。

「…………」

 カインはすぐには、答えられなかった。

 ――もし、今しがた辿り着いたカインの予想が当たっていれば、これからもっと危険な状況になる可能性もある。だが、それを牧俊に教えても、不安にさせてしまうだけだろう。

「ああ、大丈夫。このお礼は必ず……」

 カインが言いかけのところで、牧俊が遮ってきた。

『オッケー、じゃあまた近いうちに遊びにきてね。約束だよ』

 ――きっと、この少年はこの少年なりに、カインのことを気遣ってくれているのだろう。

「……了解」

 カインは通話を終了した。

 なんだかクギを刺されてしまったな――と、十四歳の子供に心配されてしまう自分に苦笑する。

「カインお前、どうしたっていうんだ?」

 王ももちろん、相棒の変化に気付いていないわけがなかった。

「いえ、なんでもありません」

 カインはどうしても、自分一人で確かめたかった。

 己で辿り着いたその真実を、信じたくない気持ちもあった。だから、今は口に出したくなかった。

 

「(僕の勘違いだというのなら、それが一番いい――)」

 感情ではそう思いつつも、彼の理性と本能は、確実にそれとは違った「事実」を告げている。

 カインは確信していた。


 ――今回の事件。

 百鬼夜行の最後尾には、全ての妖怪たちを識る存在、【白澤】がいる――――。







(【末】へ続く――)

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