『百鬼夜行』【漆】






 翌日火曜日――東都某所。高層マンションの一室、王少天の自宅にて。


 王の妻、瞳は家事を済ませて余った時間、雑誌などをめくりながら沙帆が来るのを待っていた。

 壁に掛けられている時計を見てみると、時刻は午後六時を回っていた。

「確か沙帆ちゃん、夕方くらいになるって言ってたわよね。もうそろそろ来てくれる頃かしら――」

 いつもは二人で料理など作っているが、今は旦那も出張中で、作りすぎても余ってしまう。たまには店屋物などを頼んでみるのも悪くないかもしれない――そんなことを考えていると、インターホンが鳴った。

 カメラ付きのテレビドアホンをつけてみると、沙帆の姿が見えたので、すぐに玄関まで行って出迎えた。

「いらっしゃい――」

 彼女がドアを開けてみると、そこには沙帆の他にもう一人、意外な客人がいた。

「うっす。瞳ちゃん、久しぶりー」

 おでこに残った古傷を隠しもせず、白い歯を見せて笑うその女性は、東都本庁属支部一の女傑――炎上寺アキラだった。

「あら、アキラちゃんじゃない! 珍しいわねぇ」

 瞳が嬉しそうにアキラの両手を握った。

「参ったなー、アタシをちゃん付けで呼べるのは、今も昔も瞳ちゃんぐらいのもんだよ」

 普段から職場で「姐御」だの「姐さん」だの呼ばれている彼女は、少しばかりくすぐったそうな様子だった。

「瞳さん、こんばんは。今日はアキラさんが久しぶりに瞳さんの顔見たいって。連絡入れようと思ったんですけど、内緒のほうが面白いとかって……」

「いやあ、ビックリさせたくてさー」

 えへへ、と困ったように笑う沙帆と、その頭をくしゃくしゃと撫でるアキラ。

「うふふ、嬉しいお客さんだわ。とにかく二人とも、上がっていって下さいな」

 瞳は二人の来客者を部屋に上げて、リビングまで案内した。

「今、紅茶でも入れるわね。座って待ってて」

 家主はてきぱきとお湯を沸かし、棚からお茶菓子も取り出す。この家の勝手が分かっている沙帆も、それを楽しそうに手伝っている。アキラは言われた通りテーブルの前に座って、頬杖を突きながらその様子を眺めていた。

 しばらくしてから、ティーポットとカップの載った盆を持って、瞳がテーブルの席に着いた。それに続いて沙帆がお茶請けのお菓子を運んでくる。

「でもアキラちゃん、今日はお仕事のほう、どうしたの?」と瞳がたずねる。

「ん? ああ、見ての通り今日はもう上がりだよ――」

 そう言って、アキラは私服であることを強調するように、ジャケットの襟を広げた。色褪せたジーンズにTシャツ、ミリタリージャケットという、洒落っ気の全くない格好だ。

「ほら、ニュースにもなってるじゃん? 〝喰い荒し〟と〝散らかし屋〟。そいつらのせいで、ここんとこ特に忙しくってさ。でも、今日は交代で早く上がれたから、こうして沙帆ちゃんと一緒に来たってわけ。まあ、警察官のプライベートなんてほとんど緊急出動待ちと同義なんだけどさ」

 それを聞き瞳は、あらかじめ湯で温めておいたティーポットに茶葉を入れながら、「そうだったの……たしかにあの事件、怖いわよねぇ」などと言っている。

 そこに沙帆が、沸かしたてのお湯を注ぐ。

「忙しいといえば、沙帆ちゃんも今週末から東北のほうの異能研究機関に研修と実験協力に行くんだったよね? 行きと帰りは部長が同伴するって言ってたっけ」

 アキラが、沙帆のほうを見て言った。

「はい。機関には私より若い子も勤務してるみたいで――楽しみなんですよね。私の力が役に立てるなら、嬉しいですし!」

 仕事のための出張とはいえ、医療班に身を置く沙帆には滅多に出来ない旅行である。彼女は楽しみなようだった。

「少しの間、署の皆さんとお会いできないのは寂しいですけど……」

「あらそう、みんな忙しいのねぇ……私も寂しくなるわ」と瞳。

「まぁ、忙しいって言っても、今まさに京のほうに飛んでる王やカインに比べたらマシかもしれないけどなぁ」

「確かニュースでは、異例の外出禁止令まで出されてるとかって……」沙帆は心配そうだ。

「そうよねぇ、あの人たち、いつも無茶するから……大丈夫かしら」瞳も悩ましげに、自分の頬に手を当てている。

 アキラは「うーん」と唸る。

「異能犯罪っていうより、もはや異能ハザードって感じの状況らしいかんなぁ。それでもあの凸凹コンビなら大丈夫だと思うけどね。鬼の隊長だってついてるわけだし」

「三人とも、怪我とかしていなかったらいいんですけど……」

 やはり、医療班に勤める沙帆にとっては、仲間の身が無事かどうか、気になるらしい。

「今のところ、大怪我したっていうような話は聞いてないけどね。敵もレベルの低いヤツばっかりって聞くしさ。それにあっちでは、頼りになるアタシの元相棒が副隊長やってるから。不甲斐無い男勢よりはよっぽど心強いよ!」

 二人を安心させるためかもしれないが、アキラは随分と楽天的だ。

「っと……そんなことよりさ、瞳ちゃん――」

 彼女はぐぐっと前に身を乗り出す。

「――ここ最近、旦那がいなくて淋しいんじゃねえのぉ?」

 ニヤニヤと、からかうような笑みを浮かべている。

「そうねぇ。でもあの人、こっちでも家にいる時のほうが少ないから――それに、暇さえあれば毎日電話してくるのよ。もう心配症のお母さんみたいな感じで、おかしくって」

 瞳はまるで笑い話のように話している。そういえば、天然の彼女にこの手の冗談をけしかけても、いつもさらりと流されてしまうことを、アキラは忘れていた。

「ちぇっ、なんだよ。ラブラブじゃねえかよ、ハラ立つなぁー」

 アキラは不貞腐れるように、椅子の背もたれに身を投げ出した。

 沙帆が困ったように笑いながら、「まあまあアキラさん」となだめている。

「うふふ。アキラちゃんにだって、そのうちきっといい人が見つかるわよ。そんなに素敵なんだから」

 そろそろ紅茶もポットの中でよく蒸らされた頃だろうか。瞳は中の液体をスプーンで軽くかき回してから、濃さが均一になるよう、三人のカップにそれぞれ注いでいく。

「ええー、いいよもう、アタシはー。男と遊ぶより槍でも振り回してる方がよっぽどラクだしさー」

 今度は拗ねたように机に顔を突っ伏している。そんな女傑の頭の横に、ことりとティーカップを置く瞳。

「昔からそういうところ、変わらないわね。可愛い」

 くすくす笑う瞳。アキラのカップに、砂糖とミルクを加える。どうやら、アキラの好みの分量は知っているらしい。

「はぁ? もう、瞳ちゃんには敵わねえなぁ」

「うー」と唸りながら、彼女は顔を赤くしながら紅茶を啜った。

 沙帆も、「ありがとうございます」と紅茶のカップを受け取った。そして、職場では見せない炎上寺アキラの素の姿を、楽しそうに眺めている。

 確か、アキラと瞳の付き合いは古く、王と瞳が知り合ったのも、アキラの存在を介してことだったのだと、沙帆は聞いている。

「でも、職場の人たち、みんな素敵じゃない? 逞しい男の人に囲まれて、羨ましいわぁ」

「えー、どこが……どいつも変人かムサい筋肉野郎ばっかなんだけど! それにアイツら、アタシのこと女扱いしてないし絶対蔭じゃ『アマゾネス』だの『メスゴリラ』だの呼んでるに決まってんのよ、ったくもぉー」

 腹立たしげにクッキーをつまんでいるアキラ。

「そ、そんなことないですよ……皆さん、いい人ばかりですし」と苦笑する沙帆。

「それに、カインさんも、アキラさんはすごく頼りになるし、カッコいい先輩だ――って言ってましたよ!」

 炎上寺は「へぇー、あいつがねぇ……」などと興味の薄そうな反応だが、照れ隠ししているようにも見えた。

 しかし、そんな彼女が突然「いいこと思い付いた」という感じで沙帆に向き直った。先ほど瞳をからかおうとした時と同じような、いたずらっぽい笑顔をしている。

「正直アイツがアタシのことをどう思ってるかとか、どうでもいいんだけどさ。お姉さんとしては、むしろ沙帆ちゃんがアイツのことどう思ってるのか、知りたいなぁ――――なんて」

 どうやら、からかう対象を一枚上手(?)の旧友から、可愛い後輩に移し変えたらしい。

「へっ!?」

 露骨に反応している沙帆が面白かったのか、瞳まで「あら、それは私も気になるわねぇ」などと悪乗りしてくる。

「ど、どうって、私にとって、カインさんは……優しいお兄さんというか、えっと、その……」

 困惑し、しどろもどろの沙帆。そして、ここにきてニヤニヤが最高潮に達するアキラ。

「ふーん。前までは沙帆ちゃん除いてアイツが部隊最年少だったけど、いまじゃ新人も増えてきたからね……沙帆ちゃん狙ってるヤツも多いんじゃないかなぁ……」

 ――もっとも、そんなヤツが沙帆ちゃんに近付こうもんなら、アタシが思いっきりブッ飛ばしてやるんだけど。

 と、『須山沙帆親衛隊』筆頭の女戦士は、物騒な本音までは口に出さないでおいた。

「あら、そうなの? カイン君ってば、奥手そうだから……若い子に先を越されちゃわないか、心配だわ」

 まさかこんな話題に発展するとは思ってもいなかったのか、沙帆はあたふたと慌てふためいている。

「ふ、二人とも、変な前提で話を進めないでくださいっ!!」

 沙帆が必死で制止する甲斐も無く、アキラの勢いは止まらない。

「アイツの場合さ、奥手っていうより女子に全然興味ねえんじゃねえの? ありゃたぶん銃とかに欲情するタイプの変態だよ」

 ひどい言われようである。

「……けど、そのくせコンビ仲だけは妙にいいんだよなぁ、あの凸凹」

 そして、アキラは「……あ!」と、何か閃いたかのように、ぽんと手の平を打つ。

「ひょっとしたらカインと王、あの二人ってさ、デキてんじゃね?」

「あらやだわ、アキラちゃんったら。想像しちゃったじゃない」

 赤らめた頬に両手を当てて目をつぶっている瞳も、ノリノリである。

「な、なななな!! なにいってるんですか、ふたりともーーー!!!!」

 沙帆は顔を真っ赤にしながら机に「バン!」と手を突いて立ち上がった。その際、彼女のカップの紅茶がこぼれて、テーブルの上に盛大にぶちまけられてしまった。

「あ……! ご、ごめんなさい! 布巾、取ってきます!」

 すっかり動転してしまっている沙帆が、キッチンへと駆けていった。

 その様子を見ながら笑いを堪えるのに必死そうな炎上寺アキラに、瞳がひそひそ声で語りかける。

「ちょっとアキラちゃん、あんまり沙帆ちゃんいじめちゃイヤよ? すごく純粋な子なんだから――」

「わりいわりい、分かってるって! てか、瞳ちゃんもノリノリだったクセに」

「……あら、そうだったかしら?」

 瞳のおっとりした笑顔で言われると、果たして天然なのか、それともすっとぼけているだけなのか、判別がつかなくなる。アキラは自分の額についた古い傷跡をポリポリと指で掻いた。

「でもさ、沙帆ちゃん可愛いんだもん。からかいたくなるのも仕方ねえじゃん……」

「まあ、気持ちは分からないでもないけど――」

 真顔でそう答える瞳。これも果たして冗談なのか本気なのか。

「…………昔っから思ってたけどさ、瞳ちゃんってどっかアブノーマルなとこあるよね」


「瞳さんもアキラさんも、さっきから何の話をしてるんですか?」


 布巾を持って戻ってきた沙帆は、てきぱきとテーブルの上を拭きはじめた。

「何でもないよ、ナイショ」

 意地悪く笑っている先輩に対し、沙帆は「もう」と頬を膨らませた。

 しかし、急に真面目な表情になって、彼女の手が止まる。


「カインさん王さん、芒山さん――無事に帰ってきてくれますよね」


「大丈夫だよ」――そう言って、アキラは震える小さな肩に手を置いた。




 ――同じ頃。京、旧皇都支部会議室にて。

「ぶえっくしょい!」「っくしゅん!」

 まったくの同時タイミングでくしゃみを繰り出した王とカインは、会議の席で他のメンバーから一斉注視を浴びていた。







 水曜日の深夜――正確には、もう木曜日か。

 深い宵の中を、大型バスを改造した武装装甲車三台に乗り分け、計百二十名以上。

 〝火間虫入道〟――暇田 麗司は、腹心の【畢方】権田、【雷獣】若槻、そして大勢の暴力団構成員を引き連れて、月読分社に向かっていた。

 暇田の部下のヤクザたちだけでなく、【目目連】と【天狗礫】の配下部隊も全員参戦している。三人のリーダーがそれぞれ率いる異能者部隊は、『百鬼分隊』の『雲』『霧』『雨』とチーム分けされており、暇田が率いるのは、そのうちの『百鬼分隊/霧』にあたる。ちなみに『雨』の【目目連】と『雲』の【天狗礫】――その二人は現在別行動中で、バスには乗っていない。

 三台の大型バスのうち、暇田ら『霧』の部隊が乗り込んでいたのは先頭車両だった。運転は若槻が担当している。

 ――社長暇田は、乗り込んでいる構成員たちに向けて、張りのある声を上げた。

「これから向かう月読分社には、サツの部隊が待ち伏せしてる……しかも、ただのサツじゃねえ! 【牛蒡種】の率いる『試作分隊』はたった三人のデカに全滅させられた! 今回はそん時よりさらに相手の数が多い。てめえら、絶対に気を抜くんじゃねえぞ!!」

 威勢よく叫んで、彼は白木鞘から長ドスの刀身を抜き放つ。握り込んでいる柄には、やはり例の「社章」が彫られていた。

 コワモテの男たちが、「はい!」と声を揃えて返事をした。各々がドスやナイフ、釘バット、果ては安物の密輸入拳銃などで武装している。彼らは皆一様に、黒スーツとサングラスを着用していた。ヤクザというよりは、ガラの悪いSPがたむろしているようにも見える。

 そんな彼らの装いにはひとつだけ、似つかわしくない装備品があった。それは、腰のあたりに括り付けてある木簡だ。全員が、木の板に穴を開けたものに紐を通し、腰からぶら下げるように身につけている。

 かまぼこ板くらいの大きさで、一見、神社でよく見かける絵馬のようにも見受けられるが、木札にはそれぞれ、墨でおどろおどろしく描かれた妖怪画と、その妖怪の名が一緒に記されていた。

 ――それは即ち、彼ら全員が、それぞれ木簡に記された妖怪変化に因んだ能力を持つ『異能者』であることを、意味している。

「これだけ異能持ちの兵隊揃えりゃあ万に一つも負けることはないと思うが、一応【目目連】と【天狗礫】の二人とも、現地で合流する手筈になっている。戦力としては頼もしい限り……鬼に金棒ってなやつだ。今宵、生意気なサツのイヌどもを、完膚なきまで叩き潰してやろうぜ」

 ――〝火間虫入道〟はその長い舌に恥じぬ弁舌力で、配下の物の怪たちを鼓舞する。

 無論、この中の大多数の人間は再起不能の痛手を負うか、最悪、死ぬことになるだろう。しかし、暇田にとって自分以外の誰が何人死のうが、最終的にはどうでもいいことだった。減った人員は、またいくらでも増やせばいい。

「(悪いが、ビジネスにゃ成功のためのトレードオフが付き物。てめえらの死は無駄にゃしねえからよ、せいぜい派手に散ってくれや――)」

 優秀ぶったリーダーとしての振る舞い――その裏に潜むのは、姑息で冷酷な、化け物の顔。暇田は一堂に会した哀れな捨て駒たちを見渡しながら、ほくそ笑んだ。

 その邪な算段を知ってか知らずか、忠実な秘書が声を掛けてくる。

「――話によると、俺たちのことを嗅ぎまわっていたあの刑事連中も、今日の張り込みに参加しているんですよね」

 両手の革手袋を外しながらそう尋ねるのは、【畢方】権田。彼のてのひらからは、自身の殺気に同調するかのように、火の粉がぱちぱちと散っていた。

「――ああ。〝目目連メダマ〟と〝天狗礫ツブテ〟からは、そう聞いてる。あのデカどもは一等目障りだったからな。今夜のうちにきっちり殺しとくぞ」

 暇田がそう答えると、腹心の秘書は嬉しそうにニヤついた。――その顔は、あたかもくちばしを歪めて嗤う怪鳥の如く。

 社長兼組長、暇田麗司は改めて、有象無象の異能者軍団を見渡した。

「この〝異能ちから〟――これは、裏社会の底辺でゴミカスみてえに生きてきた俺たちがブレークスルーするために与えられ、手に入れることのできた唯一のチケットだ。俺は……俺達はこのソリューションを使い、さらなる〝権力ちから〟を手に入れる! そう、〝暴力ちから〟〝財力ちから〟〝支配力ちから〟……ッ!! 思いのままだ!! いずれは上であぐらかいてやがる幹部連中も、いや、会長だって蹴落として、頂点てっぺんに昇り詰めてみせる……!!」

 これだけの数の異能者が、自分を神輿みこしに集まっていること。また、それらを完全に自らの配下に置いているとう事実。この段階に至っても未だ、激しい上昇志向を持つ暇田にとっては単なる通過点に過ぎない。とはいえ、手に入れた様々な〝チカラ〟に対して彼の精神が少なからず高揚してしまうのは、ヤクザ者として無理からぬことといえた。

「今日ここにいるお前らは、俺が直々に育てた精鋭であり、そして俺の腹心だ――!! 今回のゴトで生き残ったもんには、将来それなりの地位を与えてやることを約束しよう!」

 だがな――という言葉は飲み込んで、演説を続ける暇田。その声に、耳を傾ける異能者たち。

 笑みを隠しきれない者、雄叫びをあげたくてウズウズしている者、静かに頷く者――反応は様々だ。

 そんな兵隊たちを見て、指揮官である暇田も、満足そうに顔面を歪め、嗤った。


「――なぁ! てめえらも、その手に入れた力を! 持て余してやがるんだろ!? 使いたくて使いたくてウズウズしてるんだろ!?

 喜べよ、解禁日だ!! 俺が許可する! 今夜は思いっきり暴れてもいい!! サツの間抜けどもがドン引きするぐれえ派手なパーティーにしてやろうじゃねえか!!」


 【火間虫入道】の飛ばした檄に合わせて、百鬼夜行の面々は一斉に鬨の声を上げた――。







 ――月読分社。

 小さな山の頂に、開けた平地があり、その中央に山小屋のようなお社様が建てられている、粗末な神社だ。

 そこまで登ってくるためのルートには、北西、南西、南東からの三通りの山道があるが、そのうち正規の参拝用として使われているのは、ほぼ南西からの経路のみである。残った北西・南東のルートは、およそ人の通るに適さない、ほとんど獣道のような裏道であった。

 そして南西の参道を進むにつれ、途中から姿を現すのは、今にも崩れそうな石の階段。それを上りきると、朽ちかけた鳥居をくぐり、そこからが境内――随神かんながらの領域となる。

 一言に境内といっても、どこまでが山林で、どこまでがもりなのか区別のつかないほど広く、鳥居から山頂中央の本殿まで辿り着くには1km以上もあった。しかも、その敷地内には鬱蒼と茂る原生林が広がっている。神社などによく見られる「鎮守のもり」というやつだが、それにしても広い。さらにこの原生林の中にも、土着の神を祀った小さな祠などが、幾つか点在していた。

 ようやくもりを抜けると、そこからは地肌がむき出しになっている平地が、半径百メートル程の空間で広がっており、現在は季節柄、地面が枯れ葉で埋め尽くされない程度に覆われていた。

 その平地の中心部が、いよいよ御神体の祀られたお社様(本殿)である。本殿の周りには、申し訳程度に砂利が敷きしめられ、そこが他と分かつ神聖の領域であることを主張していた。


 ――これだけの距離を、人の手の入っていない獣道や不気味な沼地を進んでまで、わざわざお参りに来る者など、地元の者でも殆どいないだろう。

 だがこの日に限っては違った。

 普段なら人けなど全く無いはずの境内には、闇にまぎれた特警の戦闘部隊員たち。彼らはときを待って、虎視眈々と息を潜めていた――。



 時刻は夜中の2時をとうに過ぎている。

 今、月読分社の境内には、副隊長エリゼを筆頭に、カイン、王、明満、菅原、エミリア、ユリィという腕利きの刑事が揃っている。しかも、無人の本殿を囲む森林部――だだっ広い鎮守のもりには、散り散りになった隊員たちも配置されていた。その数を含めれば、合計二十六名。

「取引は月読分社で行われる」ということだけしか分かっていないため、広い敷地内のどこにターゲットが現れてもいいよう、監視を分散させておいたのだ。もちろんカインや王、エリゼたちも固まらずに、ばらばらに分かれて持ち場についていた。

 しかし、彼らが土地勘のある菅原を先導に、それぞれが前もって配置についたのは、もう四時間以上も前のことになろうとしている。いつまで経っても、暇田や安生組の面子が訪れる気配はない。

「おい、エリゼ。本当に取引が行われるっていうのはここなんだろうな?」

 林の中でじっと待機していた王も、さすがに痺れを切らしたようだった。複数の音声を並行して通信可能な高性能無線機を通して、小さな声で連絡をとる。

『100パーセントの確証は無いわ。なにせ菅原君の読唇術だけが頼りだったから……』

『嵌められた――ということはありませんかね?』別の持ち場についていたカインも割り込んできた。

 イヤホン型のこの無線機は、チャットのように複数人が同時進行で喋ることができる。

『そもそもおかしかったのは、ここ三日の異能犯罪者による暴動事件です。どれもが特警の警備体制、警邏網を上手く躱しながら、まるで我々を錯乱させるかのように起こっていました。始めは、敵の異能などによる情報漏洩を疑いましたが――』

『まさかそれって、俺達の中に裏切り者がいる――って言いたいんっすか?』

 社の近くに身を隠している菅原も、会話に入ってくる。正義感と仲間意識の強い彼らしく、カインの推察に対して少し怒っているようだった。

『ふむ……ですが、その仮説だと説明が付くことも、多々ありますねぇ――』

 鳥居の近辺に潜んでいる明満からも、通信が来た。彼は若い菅原とは違い、冷静なようだった。

 そしてこの場においての指揮権を持つエリゼは、さらに慎重だった。彼女は迷っているかのように少しの間沈黙していたが、

『もしそうだとすれば、この広い敷地内に少人数ごとばらけているのは危険かもしれないわね。各個撃破されいって、戦力と情報源を同時に削られていくのは下の下。一度全員集合して、体勢を立て直しましょう』

 と、作戦の一時中止を判断した。

 だが、そのあとエリゼが全隊員に集合命令を伝達しようとする前に、最初の異変は起こってしまう。

『キャァッ!!』

 突然通信機から聞こえてきた悲鳴――それはエミリア・スティフナズのものだった。

『エミリア! エミリアッ……!! どうしたの!? 返事をしなさい!!』

 エリゼが何度問いかけても、応答はない。

 そして、エミリアの悲鳴を皮切りに、指揮官であるエリゼのもとに、続々と通信が入ってくる。


『――林間部待機C班!! 副隊長、大変です! 異能者が!!』

『――こちら神社西域担当、大勢の敵に囲まれています!』

『――北東域担当、現在異能者と思わしき団体と交戦中…!』


 タイミングを見合わせたかのような襲撃。あちこちで、敵の一斉攻撃が開始されたようだ。

 エリゼは、たった今緊急連絡をよこしてきた班が、全て神社の周囲にある森林部の監視担当であり、それも外側に待機している順から襲われていることに気が付いた。

 どうやら湧いて出てきたような敵の軍勢は、山道や参拝用の階段は使わず、大勢で山を取り囲むように登ってきたらしい。こうなると、山頂部近くに陣を敷いていた彼女たちに、逃げ場は無い。

『まずいことになったわ――菅原君、そっちは、社の周りに異変はない?』

 エリゼが、本殿近くに隠れている菅原に確認をとる。敵が外側から攻めてきたのなら、境内の中央付近はまだ無事のはずだ。

『はい! 今のところ、敵の姿は見えないっす!』

『OK。全員、近くに待機している隊員と合流、敵の不意打ちをさけるため、なるべく固まって行動! すぐに敷地内中央の社を目指しなさい!!』

 完全に孤立した山頂――しかも大勢の敵に包囲されているというこの現状。考え得るかぎりでも、最悪のパターンだと言っていいだろう。

「完全に嵌められたみたいね……」

 しかも特警サイドの隊員たちは広域に展開し、一人、ないし二人組の少人数ごとに配置されている。部隊の全滅を防ぎ、敵の山狩りを突破するためには、バラバラに逃げるのではなく、まず全員が集まって、分散していた戦力を一箇所に集中する必要がある。敵は広い山を取り囲むように行軍している分、その包囲網は薄いはずだ。そこを突くのだ。

 エリゼは険しい表情でコートの内側から二挺のサブマシンガン――UZIウージーを取り出し、一挺ずつ両手に持つ。マガジンを装填し、安全装置を解除。そして、黒豹のように駆け出した。







 ――カインはエリゼの指示に従い、月読分社境内の中心部へと向かって、林の中を駆け抜けていた。

 ここまで走って来る途中、彼は三人の異能者と遭遇し、それらを撃破している。

 まだ敵勢の規模も味方側の被害状況も詳しく分かってはいないが、比較的中心部近くに待機していたカインでさえその有様だったのだから、外側を固めている隊員たちは今頃、相当な数の敵に攻められているのかもしれない。

 鎮守のもりを抜け、御社おやしろが視界に入る。

 そこには既に、異能者に囲まれて奮戦する菅原と、他数名の隊員たちの姿があった。どうやらもう、敵の侵攻は山頂近くにまで達しているらしい。

「菅原さん!!」

 カインの援護射撃。菅原に襲い掛かろうとしていた異能者たちに向けて、二発、三発と発砲する。乱闘の最中さなか、送り込まれた弾丸は標的の急所に次々と着弾。敵がばたばたと倒れていく。

 菅原がおもわず、救いの弾丸の飛んできたほうを振り向いた。

「――カインさん! 助かったっす!」

 ぱっと輝くその顔は、まるで飼い主の帰りを待っていた柴犬のようだ。

 しかし、油断大敵。彼が余所見をしたところに、敵異能者の一人が、つむじ風のような速さで突っ込んできた。残影すらも黒く霞む、高速移動能力。

「……っ!」

 援軍の到着に安堵する暇もなく、菅原は向かってくる敵の顔面に日本拳法の直蹴りを打ち込んで、豪快に蹴倒した。


 林の中からわらわらと湧いて出てくる異能者の群れは、全員がお揃いの黒ずくめに黒眼鏡――まるでB級映画に出てくる「その他大勢のやられ役」のようだった。ひっきりなしに襲い掛かってきて、刑事たちに休息の隙など与えてくれない。

「くそ、敵の数が多い……」

 カインはぼやきながら、撃ち尽くしたリボルバーの装填を行っているが、その作業を妨害するかのように、突然――――彼の腕に真っ黒な何かが絡み付いた。

 うねうねと、尋常ならざる力で締め付けてくるその〝黒い縛縄〟によって、銃を持っているほうの腕を拘束されてしまう。

「これは――」

 毛――――髪の毛らしきものが、幾重にも巻き付いている。

 カインは、腕に巻き付いた黒髪の伸びてきている先を、目で辿ってみた。七、八メートルも離れた場所に、女性の異能者が立っている。どうやら毛髪を伸縮させてそれを操作する、「肉体強化」・「操作系」に属した能力者のようだ。

 彼女の腰から下げた木札にえがかれているのは、毛の塊のような不気味な妖怪――【毛羽毛現けうけげん】。

 絡み付く大量の髪は、カインの腕をぎちぎちと締め上げる。

「ふふっ、つかまえたっ……!」

 【毛羽毛現】が大きくかぶりを振って首を回すと、彼女の髪に捕らわれていたカインの躰も、宙に高く投げ出された。振り回され、激しく地面に激突するカインだが、どうにか受け身をとって転がり起きる。

 そこから毛髪に掴まれた腕をぐぐっと引っ張り合い、綱引きのような膠着状態におちいる、カインと女異能者。カインの躰は少しずつ、ずるずると相手のほうに引きずられていく――――。

 だが次の瞬間、二人の間には白刃が閃いて、【毛羽毛現】の妖髪がばっさりと斬り落とされていた。


「――ったく、オレは床屋じゃねえんだぞ」


 そこに現れたのは、帯刀刑事――王少天。先日新しく届いた日本刀を携え、「急ごしらえにしちゃ、まあまあの切れ味だな」と、満足そうな様子だ。

「先輩、無事でしたか!」

「当り前だろ、さっそくやられかけてたお前と一緒にすんな、もやしっ子! ……しかしこりゃ、あの公園の時より数が多くねえか?」

 辺りは黒服の異能者だらけだ。あちこちから銃声や叫び声が聞こえてくるうえ、林の一角からは火の手まであがってきている。もし、麓から囲むように火を放たれたとなると、少々まずいことになるな――と、王は危惧した。このままだと逃げ道も塞がれ、数時間後には刑事達の蒸し焼きかバーベキューの完成である。

「本格的に異能者と戦ったのはこれが初めてってわけじゃないっすけど、まさかこんなにわんさか湧いてくるとは思ってもいなかったっすよ!」

 菅原は参っているような声で叫びながらも、胴体への直突き一発で異能者を一人ノックアウトし、さらにその相手から奪った鉄パイプで二人の敵を叩きのめす。ほとんど手首から先の少ない動きだけで、しなやかに面や胴を打つ、いかにも剣道の高段者らしい、読みづらく隙のない棒さばきだった。まだ特警に配属されて間もない新米刑事とは思えない場慣れぶりだ。

 その他数名の特警隊員たちも、多勢に無勢ながら奮戦しており、合流人数も段々増えてきている。

 現在、社本殿の周囲に集まった刑事たちは、カイン、王、菅原を含め、合計十一名になり、うち数名は高性能な特警制式アサルトライフル「秦98式5.56mm自動小銃」で武装している。「特殊部隊規制法」により任務の際携行できる高火力兵器の数が制限されているが、全隊員にまで行き渡らないにしても、アサルトライフルが並んだときの制圧力は拳銃などとは比べ物にならぬほど、充分に心強い。

 敵側もマカロフやトカレフのコピーと思われる粗悪な密輸入拳銃で武装してはいるものの、その圧倒的な火力の差を前に、異能を発揮する暇もなく倒れていく者がほとんだった。

 それでも敵はカインたちの四倍から五倍はあろうかという物量で攻めてくるうえ、倒したそばからどんどん新手がわいてくるので、いくら戦ってもキリがない。


 【毛羽毛現】が髪の毛を伸ばして掴まえようとしてくるのを、カインと王は横にステップを踏んで躱す。

 さらに別の異能者が、複数のナイフを空中で操りながらカインに切り掛かってくる。ナイフは十本以上宙に浮いているが、遠距離の投擲攻撃は行ってこずに、能力者本体から一定の間隔を保ち、旋回するように動いている。

 王が割り込みに入り、連続した七閃の剣撃でそれらのナイフを全て弾き返す。その間に、カインは先ほど【毛羽毛現】によって中断されていたリボルバーの装填を済ませ、ナイフ使いの異能者――【窮奇】に二発の銃撃ダブル・タップを撃ち込んだ。胴体に一発、頭に一発。同時とも思えるスピードで叩きこまれた弾丸が、反撃の機会すら与えず敵の命を奪う。

 ……戦っていて、カインは思う。今回の敵は、【牛蒡種】とそのチンピラ集団のときとは訳が違う。凶暴で、殺人に対する躊躇いもなく、異能の扱いや戦闘行為にも多少の経験値を持っていると感じさせる連中ばかりだ。おそらく、こういった状況を想定して、前もって訓練されていたと思われる。

「どうやら、手加減はできそうにないな――」

 もし自分たちが全滅し、この『百鬼夜行』が山を降りることになったら、京の街はどうなってしまうのか。こんな危険な奴らを野放しにすることなどできない――カインは覚悟を決めた。

 訓練組手の際に明満にも言われた、「非情に徹する」覚悟――。

 その時、


パチン――――――!


 がした。

 その場違いな音からワンテンポ遅れて、今度はライフルを構えていた特警隊員たちから、口々に驚きの声が上がる。

「あ……くそ!」

「弾が!」

「ジャムった!?」

 ――彼らが手に持つ自動小銃は、皆一様に、排薬や内部機関の動作不良による弾詰まりを起こしていた。

 もちろん隊員たちも、素人ばなれした動きで、そのイレギュラーに対応する。

 詰まった薬莢や不発弾の排出エジェクト、またはマガジンの交換チェンジ。そして拳銃もしくはその他サブウェポンへの持ち替え――。

 だが、敵異能者のほうが若干速く、間に合わなかった。

 しゅるり―――と爬虫類じみた動きで踏み込んできたその男が、長ドスを振るい一刀のもとに、隊員一人を斬り伏せる。続いて、その隣でオートマチック拳銃を取り出そうとしていた女性隊員の首も、横薙ぎに刎ねとばした。


 登場から息もつかぬ間に二人の特殊刑事を斬殺してみせたその男――――濃紺のスーツに返り血を滲ませがら嗤うのは《暇田コンサルタント》社長、暇田麗司。


「お前――やっぱりッ!!」と菅原が叫ぶ。

 そして仲間が二人も殺され、他の隊員たちも黙ってはいない。

「クソぉ!!」

 二人の刑事が一斉に飛び掛かるが、


 ――パチンッ!


 暇田がニヤつきながら、再び指を鳴らす。

 すると、前を走っていた刑事が、いきなり石につまずいて転倒。さらに事故が事故を呼び、もう一人が、後ろからその躰にぶつかってしまう。

 不様にもサンドイッチのように折り重なって倒れ込んだ二人の、目と鼻の先――そこには、奇麗に磨かれた白い靴があった。

「「あ……」」

 しまった、――と彼らが思ったときには、もう手遅れだった。

 勝手に足下へ転がってきてくれた刑事たちを見下ろしながら、暇田は


「マヌケ――」


 と一言。重なり合った二人の背中を、長ドスでひと刺しにした。

 刃を貫き通され、隊員二人は地面に串刺しになって、絶命。

「ハハッ。一挙両得、野球で言うならゲッツーってところか?」

 ――夜更けもとうに過ぎているというのに、このような血腥い時間外労働に、自ら率先して勤しんでいる。違法企業社長は、突き立てられた刀の白木柄から両手を離し、だるそうにネクタイを整えた。

「……ま、お前ら何人殺そうが直接カネにはならねえんだけどな、アホらしい」

 無論、『百鬼分隊』に随行する他の社員にも、深夜手当・特別賞与の類は出ない。《暇田コンサルタント》――まさにブラック企業の鑑。


「暇田――麗司!!」

 カインは怒りの銃口を構える。

 この男の抱える組織が『百鬼夜行事件』に何かしらの関与をしているであろうことは予測していた。だがカインも菅原も、まさか一会社のトップ自らがこの最前線にお出ましになったことに対しては、驚きを隠さずにはいられなかった。

「ハッハハァ! ものの見事に引っ掛かってくれたもんだな、オイ! 主戦力集めて、退路も確保せずこんな山の上に籠ってお前ら、街亭ガイテイ馬謖バショクかっての!! 大勢に攻められたら一体どうなるか、考えなかったのかねえ!?」

 暇田は御自慢の長い舌をぶらつかせ、大いに嘲り嗤う。

「んんーーッ、賢い刑事の皆さんがたは俺らの取引を待ち伏せしてたつもりかもしれねえが、てめえらの行動は全部シラサワさんの作戦プラン通りだったってワケよ!!」

「シラサワ……?」カインがその名に反応する。

「おっと、口が滑っちまったか。シラサワってのは俺らのボスだよ。いつも珍妙な仮面おっかぶって素顔を見せねえ、とにかく怪しい野郎さ。まあ、てめえら全員おっぬんだから、今さら何を知ろうと関係ねえけどな」

 細工は流々、いい気分になってやたらと饒舌な暇田に対し、王はすこぶる不機嫌だ。

「ごちゃごちゃとやかましいな。どうせお前らみんなとっ捕まえて、雑巾絞るみたいに洗いざらい吐かしてやるから安心しろ」

 ――しかし、大見得切って刀を構えてみたところで、内心では「マズイことになったな」とも思っている。

 敵側の物量は、圧倒的にこちらを勝っている。しかも、新手の異能者が続々と襲い掛かってくるこの状況で、リーダー格の登場だ。王から見ても、暇田の使う〝得体の知れない『異能』〟は、他の有象無象どもと一線を画している。下手をすると、敵勢の士気が上がりかねない状況だ。このままだと、押される一方だ。

 なんとかして、本部から応援部隊を呼ばなくてはならない――王はそう思って小型無線機のマイクを手繰り寄せたが、事態はさらに最悪の展開へと変わっていた。いつの間にか、無線通信機がのだ。

「(使えねえ……ジャミングでも掛けられてんのか!?)」

 もしかしたら、故障しているのは自分の通信機だけかもしれない――王はそう思って、カインや菅原、他の隊員たちにもアイコンタクトを送ってみるが、全員が首を横に振って応えた。

「くそ、応援が呼べないなら、オレたちだけでどうにかするしかねえってことか……!!」

 彼は覚悟を決め、抜刀した刀を振りかざし、走り込んだ。

 ――しかし。突如その行く手を遮るように「ごう」と炎が燃え盛る。

 急ブレーキで足を止める王。そこに、今度は闇を切り裂く電撃が襲い掛かった。

「うぉっと……!!」

 王は鉄拵えの鞘を地面に突き立て避雷針代わりにし、低い姿勢で転がって、その場から離れた。鞘に鋭い雷光が直撃したが、アースの役割を果たし、電流を地表へと拡散させる。

 新手の異能者による横槍に、「くそったれめ」と毒づく王。

「広範囲対応の発火能力パイロキネシスに、遠距離攻撃可能な帯電体質者エレキテルか――」

 【畢方】――権田。

 【雷獣】――若槻。

 二人の秘書が社長を守るように、暗がりから進み出た。

 腹心の異能者二人を脇に従え、満足そうな様子の社長暇田。彼は足元の死体に刺さっていた長ドスを引き抜いた。

「さて……刑事の皆さんがた、覚悟の程は? ぶっ殺しタイムの始まりだ」

 持ち前の不気味なほど長い舌で、血糊まみれの刀身を舐め取る〝火間虫入道〟――。

「ヒャハァッ!!」

 狂ったように、妖怪じみた瞬足で斬り込んでくる。乱暴なヤクザ剣法で、諸手持ちの袈裟掛け斬り。

 すっと頭を下げて袈裟斬りを躱す王。そこへ、暇田は切り返しの片手横薙ぎをフルスイングしてくるが、王は刀を下方に打ち払って受ける。

 カインが助太刀しようと、暇田に向けてリボルバー拳銃を構える。

 暇田は自らに向けられた銃口を見て、べろりと舌を出して嗤った。それはカインがトリガーを引いたのと、ほとんど同時だった。

 ―――― ガチン! ガチン!

 撃鉄が撃針と雷管を叩く音だけが、虚しく響く。

「え?」

 ――二連続での不発。弾は出なかった。

 こういう場合、オートマチック拳銃とは違って、一発目が不発に終わっても、引き金さえ引けばシリンダーが回転し、次弾を発射できるのがリボルバーの強みだ。だが、その二発目までもが不発――。

 そもそも、構造も単純で頑丈なリボルバー拳銃において、動作不良などほとんど起こり得ない出来事である。特に、常日頃から銃のメンテナンスに気を遣っているカインにとっては尚更だった。ならば薬莢――雷管部の製品不良としか考えられない。

「(しかし、二発連続でたまたま製品不良なんて、そんなことがあり得るのか――?)」

 もう一度、標的に狙いをつけて引き金を引こうとするカイン。目の前では、王と暇田が休まずにチャンバラを繰り広げている。

 ――激しくぶつかり合う、二振りの刀身。暇田の長ドスが、王の切り上げによって弾き飛ばされた。

「うらぁッ!」圧倒的有利になった王が吠える。敵の首をめがけて、横真一文字の斬り付け。

 暇田はニヤニヤ顔を崩さない。にゅっと気味の悪い動きで上体を反らし、王の斬撃を躱してみせる。続けざま、刑事は返す刀での逆一文字、くるりと勢い任せてからの転身――向き直っての唐竹割りに繋げる。しかし、この〝変則十文字〟もトカゲか昆虫を思わせる動きで、しゅるしゅると潜り抜けられてしまう。

「この……ッ、妖怪め!!」

 どうも上手くないな――と、戦闘中の王にしては珍しく、焦りを感じてしまう。先ほどから、柄の握りが甘い。呼吸が合わない。剣閃が鈍るのを感じる。本来の剣の腕でなら、自分より数段劣るであろう相手に、いいように翻弄されている。

 そんな彼をさらに馬鹿にするかのように、さきほど弾き飛ばしてくるくると回りながら飛んでいった暇田の長ドスが、今度はまるで狙いすましたかのようにカインの肩に突き刺さった。

 ドスッ。

「つっ……!!」

「あッ! すまん……っ!!」

 王が思わず謝ってしまう――自分のせいで味方に怪我をさせてしまったことに、気を取られてしまった。その一瞬、暇田は体重を乗せたヤクザキックで王の躰を突き飛ばし、続けてカインのほうへと走り込んだ。

 カインが狙いを定めて銃撃で迎え撃とうとするが、暇田は銃口を向けられても回避行動をとろうとせず、足下の枯れ葉まじりの土を蹴り上げてくる。

「(眼潰しか――!!)」

 カインは落ち着いて腕を上げて、巻き上げられた砂や小石から顔面をかばった。そして今度こそ、引き金を引く。

 しかし――――

 ガヂン!

 変な音がしただけ。弾は出ない。

「!?」

 見ると、撃鉄ハンマーと銃身の間に、小石が挟まっている。おそらく、さきほど暇田が眼潰しとして蹴り上げた土に混じっていたもの――――それがのだ。これでは弾など発射されようはずもない。

「ああもうッ! 一体何だっていうんだ、さっきから……!!」

 カインは急いで撃鉄を起こし直し、挟まっていた異物を取り除くが、その時にはもう、妖怪【火間虫入道】が彼の懐に潜り込んでいた。

 暇田はカインの肩に刺さっていた長ドスの柄を左手で掴み取り、同時に右のアッパーでカインを殴りとばす。さらに、その衝撃で引き抜けたドスを、右薙ぎでカインの腹に斬り付けた。

 カインは自ら後ろに跳んで、アッパーのダメージを逃がしつつ斬撃も避けようとするが、それでも浅い切り傷を負ってしまう。

「あー、惜しい惜しい。踏み込みが足らなかったか」

 暇田はヘラヘラしながら、長ドスの峰でトントンと自分の肩を叩く。

 この男、我流のケンカ殺法ではあるが、決して侮れない――と、カインは判断する。何より、先ほどから起こっている度重なるミステイクが、どうも気にかかる。

 暇田の背後には、入り乱れて戦う刑事たちと異能者群が見える。そして権田・若槻のヤクザ秘書二人組と交戦している、王と菅原の姿も。【畢方】と【雷獣】の能力は単純だが強力――それゆえに苦戦しているようだ。

 助けに行きたいのは山々だが、カインもここで迂闊には動けない――いや、自分から動くと、きっとろくな結果にならない――そんな気がした。

 白木柄の直刀を構えた暇田と、リボルバー拳銃を構えたカイン。両者は睨み合った状態で膠着する。

「……なるほど、下手には動かんか――――勘が良いな。だが、」

 ――暇田の言わんとしていることは、カインにも分かる。このまま何もしないで相手が攻めてきたら、それこそジリ貧の劣勢に陥るはめになる。

 暇田が一歩を踏み出し、カインもやむを得ずに反応した、その時だった。


「伏せろぉおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおお!!!!!」


 大音声だいおんじょう――という言葉だけでは物足りなさすぎるくらいの、低く野太い叫び声が、辺りの大気を震わせる。

 この声、聞き間違えるはずもない――意外な助っ人の登場に、カインと王が驚きの声を上げる。

「隊長――!?」

「芒山さん!!」

 重武装でその場に現れたのは、特警本庁属戦闘部隊長――芒山翁達。

 だがカインや王、菅原たち特警隊員の面々は、芒山の装備を見て、さらに驚くことになる。全員がぎょっと目を丸くし、即座に地に伏せた。

 耳を劈くようなけたたましい銃撃音が連続して鳴り響く。アサルトライフルの連射など比ではない――もっと重くて強い、聞いただけでもその圧倒的火力が分かるような、ガトリング砲火の音。

 連装機関銃、M134ミニガン。

 重量と反動こそ凄まじいが、秒間100発もの連射速度と、車両数台を一瞬でズタズタにしてしまうほどの威力を誇る、化け物のようなガトリングガン。

 芒山はその化け物のようなM134を両手で持ち上げ、腰だめに構えて軽々と取り回していた。大容量のバッテリーを背負い、弾薬帯(給弾ベルト)によって体に巻かれた7.62mm弾を惜しげもなく消費していく。本来ならば生身の人間では扱いきれないほどの反動も、四股踏みのように踏ん張って全身で受け止めている。

 暇田は叫び声が聞こえた時点で、何やら只事ではないと判断し、特警隊員たちと一緒になって身を低めていた。若槻と権田も、慌てて石燈籠の陰に隠れ、難を逃れている。

 反応の遅れた者達だけが、その「銃撃」――いや、「打撃」を全身に受け、吹っ飛んだ。

 ガトリングから発射されていたのは、実弾ではなく、非殺生目的のゴム弾。しかし、それでも下手をすれば着弾部位が骨折し、激痛とショックで気を失うほどの威力がある。受けた者は当然、問答無用で戦闘不能となった。

 掃射は止まらない。百鬼夜行の面々が、まるで縁日の射的遊びの的のように次々と倒されていく。十数秒にも渡る連続砲火の後には、動いている異能者は数えるほどしか残っていなかった。

「な、なんだぁ? あのバケモンは……」

 不動明王のように筋骨隆々、身長も二メートルは越そうかという芒山の躰を見て、暇田が頬を引き攣らせた。

 【畢方】・【雷獣】の二人を除くと、この場にいる『百鬼分隊』で今残っている兵隊といえば、

 ――不可視の壁を造り出す結界系能力者【ぬりかべ】。そしてその防御壁の後ろに逃げ込むことのできた異能者たち。

 ――伸縮自在の毛髪を幾重にも編み込んで頑丈な防弾繊維を作り出した【毛羽毛現】。

 ――他、岩陰や林の中に避難した者たち数名。

 それくらいのものだった。

「これで少しは敵の数も減ったか……」と、芒山は弾薬の空になったM134を放り捨てる。

 カインたちも、伏せていた身を起こして立ち上がる。

「隊長、無線も通じないのに、どうしてここに……?」

「うむ、遅くなって済まない。どうやら今、山中では通信機能や携帯電話が使用不可能な状態らしいな。瀕死になりながらも命からがら山を下りることのできた隊員から緊急連絡が入ってな。ようやくこの事態が発覚し、我々が緊急出動した」

 暇田や権田若槻、ゴム弾の被弾を回避した異能者たちも体勢を立て直し、攻撃を再開し始める。

 芒山が群がる異能者を蹴散らしながら言う。

「安心しろ。私と一緒に山に入った応援部隊も、すぐに到着するはずだ」

 齢五十を超える芒山が、この巨体、しかもM134のバッテリーや弾薬を合わせれば総重量100kgは超えようかという重装備で山を登り、他の若い隊員を差し置き一番乗りしてきたというのか。カインはもはや驚けばいいのか苦笑すればいいのか、分からなかった。

「――ここに来る途中、参道で明満さんが怪我をして倒れていた。今、救護班が手当てをしているが、潜んでいる異能者に襲われる可能性もある。カイン、王、それに菅原君。ここは我々に任せて、君達は明満さんと一緒に山を下りてくれ」

「しかし、隊長――」王は心配そうだ。

「悠長なことは言っていられない。街でも所々で異能犯罪の被害が起こり始めている。おそらく、ここ月読分社に特警の主戦力を集めて、守りの手薄になった都を落とすつもりだったのだろう。このままだと、非戦闘員ばかりの旧皇都支部も危ないかもしれないんだ……とにかく急げ!」

 芒山の言葉には反論を許さぬ迫力があった。カイン、王、菅原の三人は、「了解!」と返事をし、境内入口の大鳥居がある方向へと走り出す。芒山や、応援部隊の者たちが異能者を食い止めてくれるおかげで、比較的すんなりと戦線離脱することができた。

 ――だが、カインたちが百鬼入り乱れる修羅場を離れようとした、ちょうどその時、それは起こる――。

 辺りの風景に、何か、異質なものが出現していることに、カインたちは気が付いた。明らかに普通ではない、ものが。

 木々、地面、岩々、鳥居に燈籠、神社の社――様々な場所に、赤くぼうっと光る「模様」が浮かび上がっている。

 それらの模様は全て同じ形状であり、エジプト壁画の象形文字や、フリーメイソンのシンボルなどに見られるような意匠――つまり「目玉」の形を有していた。


 おびただしい数の、眼、眼、眼、眼、眼、眼、眼、眼、眼、眼、眼、眼、眼、眼、眼、眼、眼、眼、眼、眼、眼、眼、眼、眼、眼――――――――。


 周囲を埋め尽くしている無数の目玉を見回して、暇田麗司が「待ってました」とばかりに破顔した。

「――【目目連】の野郎、ようやく動き出してくれたか……」


 彼が自分の手の甲を見てみると、そこにも、その赤く光る眼がくっきりと浮かび上がっている。

「おお、すげえ――――本当だ。見える見える」

 こいつは便利じゃねえか――などと呟く暇田は、まるでここではないどこかを見つめているような目をしていた。どうやら、到る所に現れた目玉のマークは、異能者【目目連】の能力らしい。

「さあて、面白くなってきやがった――」

 【火間虫入道】は舌を垂らし、ひと際愉しそうに、嗤った。






(【捌】へ続く――)

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