『百鬼夜行』

『百鬼夜行』【始】


『百鬼夜行』



 平安の世の面影を現代に残す街並み、旧皇都――キョウ


 遠く古きにはミカドが住まい、煌びやかに政(まつりごと)の中心として栄えた地。

またその裏では魑魅魍魎が跋扈し、権謀術数の渦巻く「魔都」として恐れられた地。

 文明は進み、高度な現代社会となっても、未だ京の夜は深く。魔性を孕む暗夜の胎内うちには、列をなして蠢く者達――――

 異質。

 異物。

 異形。


 ――――それはまさしく、百鬼夜行だった。





 百鬼夜行――――


「――これじゃまるで、百鬼夜行だ……」


 ――深夜の公園。

 特警刑事、王 少天ワン・シャオティエンは本日十二人目になる敵異能者を刀の峰で叩き伏せ、疲労と困憊を隠せない表情で呟いた。

 彼の足元には、今しがた峰打ちで気絶させたばかりの念動力使いサイコキネシストと、その愉快な仲間達が大勢転がっている。

 それでもまだ、王の周りにはぞろぞろと大量の異能者たちが群がっていた。

 京の街はいつからこのような異能犯罪者どもの巣窟になってしまったのか――二月の中旬という寒空の下、怪しく蠢く群衆の影。その者達は、死臭を嗅ぎ付けたハイエナの群れの如く、三人の刑事の周囲に展開していた。


「ようやく半分といったところですかね。いくらやっつけてもキリがないですよ――」


 そう答えたカインも、たった今、敵の司令塔である通信能力者テレパシストを殴り倒したばかりである。カインが今夜撃破した異能者は、これで九人目になる。

 いくら彼らが対異能者専門の特殊部隊に身を置く刑事であるといっても、一夜にしてこれだけの数の能力者を相手にしたのは、初めての経験だ。

 戦いはまだまだ終わる気配を見せず、応援を要請しようにも早急な対応は期待できないこの難局。正直なことをいえば、カインと王の二人だけでは、手に余るかもしれない状況だった。

 だが、絶望には及ばない。なぜなら、そんな彼らの戦う舞台には、頼りになる味方役者がもう一人――――その老いた刑事が口を開く。


「――お二方は、今起こっているこの異常事態についてどう思われますか?」


 穏やかな口調で質問する老刑事――明満道晴あけみつ みちはるは、敵対していた異能者に奇麗な「払い腰」を決める。もぐり込み、老躯を相手の横につけたかと思うと、技を掛けるのは一瞬だった。敵の躰を己の骨盤に乗せ上げ、巧みな崩しと体重移動で投げを打った。ふわり――と、異能者の躰が浮く。

 柔道の技で頭から地面に落とされた異能者は、能力を見せる暇もなく一瞬で意識を失った。この老人、カインや王と行動を共にしていても全く後れを取っていない。

 戦闘を続行しながら、二人の若い刑事がそれぞれ答える。

「どうもこうも、こいつら、オレ達が今まで闘ってきた異能者連中に比べたら段違いに弱えですよ。戦い慣れしてないうえ、能力だって大したことない奴がほとんどだ」と王。

「同感ですね。戦闘に関してもそうですけど、何より能力自体にも使い慣れていないような印象を受けます。おそらくは、つい最近異能に目醒めたばかりなんじゃないでしょうかね」とカイン。

 それを聞いた明満老人は、感心したように頷いた。

「なるほど鋭い考察です。覚醒したばかりの異能者ほど、全能感にとらわれて安易に犯罪に走る傾向がありますからねぇ。また、彼らが徒党を組んでいることも、それらの犯罪衝動を増長させるのに一役買っているのでしょう……。しかし――」

 老刑事が細めた眼で敵対者の群れを一瞥すると、彼ら異能者たちの間で微かな動揺が走った。

「もとより所詮は烏合の衆――しかもカイン君がたった今敵側の司令塔を叩いてくれたおかげで、連中の統率が乱れてきました。あとは総崩れを待つだけです」


 ――明満はそう言うが、カインはこの現状に対し、全てにおいて納得済みというわけではなかった。

 短期間の間に、レベルは低いとはいえ、これだけの量の異能者が集められ、徒党を組んで犯罪を行っている。そして大がかりな組織的動きは今のところ見えないとはいえ、彼ら異能者連中がある程度には統率され、今まさに自分達に襲い掛かって来ているのだ。

 カインはそれらの事から考察し、ある一つの「恐ろしい可能性」を思い浮かべないではいられなかった。

「(いや、まさか――そんな事があるわけがない――――)」

 己の考えた可能性を必死に否定する。


 その夜、カイン達は初めて百鬼の行軍に遭遇した。これは序の口に過ぎない。

 彼らの最悪の三日間は、まだ、始まったばかり―――――――――。







 元旦――。

 年も明けてからまだ昼も回っていない時間から、カインはなぜか先輩である王の宅のリビングで、コタツにこもりながら、湯呑みに注がれた熱いお茶を啜っていた。彼は、どうしてこんなことになっているんだろう、などと困惑する。

 王の妻はキッチンでせっせと料理をしており、正月早々後輩を呼びつけた当の夫も、その隣で手際よくそれを手伝っている。

 カインの座っている正面に置かれたテレビからは、いかにも新年らしい、初詣の賑わう様子などがニュースの画面から流れてきており、両手で包む湯呑みからはほんわかと湯気が立ち昇り、コタツの上には籠に盛られた蜜柑まで完備されていた。どこの家庭でも見られるような、のどかな正月の風景だと、カインは思う。そう、異物である自分の存在を除けば――。

「……なんか、すみません。せっかくのお正月休みだっていうのに、わざわざ呼んで頂いて……」

 向こうから招待してきたとはいえ、正月の午前中から先輩刑事の家に上がり込み、おせち料理やら雑煮やらを御馳走になることになったカインは、すっかり恐縮してしまっている。

 王は台所から振り向いて、いたずらっぽく笑った。

「気にすんな、どうせ新年早々ロクなもん食ってないだろうと思ってな。うちのカミさんお手製のせちと雑煮が食えるんだ、有難く思えよ」

 王の言う通りで、カインは正月に備えておせちどころか、餅もお雑煮もしるこも門松も何一つ、一切合切用意していなかった。それどころか、もしこうしてお呼ばれしていなければ、今頃殺風景な部屋で冷蔵庫に残っていた冷凍ピザでもモソモソと食べていたかもしれない。年越しの瞬間でさえ、蕎麦ではなく、24時間営業のチェーン店で買ってきた持ち帰りの牛丼(特盛りを二杯)と、戸棚を漁っていたら出てきたレトルトカレー(三パック分おかわりした)で済ませたほどだ。よく食べるわりには、ほとんどと言っていいほど、食に対する関心がない。

 二人の会話を聞き、王の妻、ひとみもキッチンの奥から顔を出す。おっとりとした美人で、艶やかな黒髪を奇麗に束ねている。正月だから和服を着ているのだろうが、その上から割烹着を付け、それがまた料亭の女将のような品格で、驚くほどよく似合っていた。

「シャオさん、あまり失礼なこと言わないの。カインくんもダメよ、若いんだから。ちゃんと栄養のある物食べないと、ね?」

「おいおい、後輩の前でそんな呼び方よしてくれよ、恥ずかしい」

 彼女が夫のことを「シャオさん」と呼んだのは、王の名前――少天シャオティエンから来ているのだろうか。図体容貌に似合わぬ可愛らしい愛称で呼ばれてしまった王は、どうも本気でむず痒そうな様子だった。軽く咳払いしつつ、

「……と、まあ、何でもいいが、とりあえず、そういうこった。カイン、お前もそんな固くならずにゆっくりしてってくれよな」

 照れを隠しながらも、なんだかんだと後輩を気遣ってくれているようだった。

「そうよ? 今日は遠慮しなくていいから、たくさん食べていってね」

 瞳もにこやかに、子供を諭すように言う。

「あ、ありがとうございます……」

 そんな先輩夫婦に、カインは有り難くも申し訳ない気持ちになってしまう。

「とんでもねえこと言うもんじゃない。こいつの胃袋で遠慮せずに食ったら、えらいことになるぞ?」

「あら、カインくん、いつもそんなに食べるの? ならもっと多めに作った方がよかったかしら……」瞳が困ったように頬に手を当てる。

「い、いえっ、ほ、ホントにお気遣いなくっ!」

 内心、手ぶらで来なくて本当によかったなと、カインは冷や汗をかいた。急なお呼ばれだったが、大至急、手土産に人気洋菓子店の焼き菓子の詰め合わせと、王には日本酒を用意しておいたのだ。

 それらも無事に渡して、あとは料理の出来上がりと、カインの他にもう一人呼ばれている客を待つばかりとなっている。

「本当はほら、かまど休めでしょう? お正月には煮炊きしちゃいけないっていうから、前もって沢山つくりおきしておきたかったんだけど、この人がどうしても自分も手伝うって聞かなくって。慌ただしくってごめんなさいね、ふふ」

「んなこと言ってもよ、大晦日も当番だったし、今日でやっと休みがもらえたんだぜ? しかたないだろうが」

 客人の緊張を解くためだろうか、そんなふうに微笑ましいやり取りを見せる王夫妻だったが、カインはますます固くなってしまう。

 こんなとき、全然間がもたせられない自分を、カインは情けなく感じた。

 そもそもカインは、人の家に呼ばれること自体が苦手だった。特に、こういった季節柄の行事などでお邪魔するのは、一層苦手だ。幼い頃に家族を失ってから今まで、まともな正月を過ごしたことなど一度もなかった。

 カインを引き取った「ある人物」は、教育や訓練、生活費などの面倒はよく見てくれたが、決して彼に家族としての温もりを与えてくれることはなかった。もっとも、その人物は特警本部における重要な役職に就いており、忙しい毎日だったのだからかまってもらえずとも仕方がない――と、子供の頃のカインもきちんと理解していたし、それどころか深く感謝さえしていたのだが――。

「(なかなか会ってはくれないけど、〝あの人〟にも、ちゃんと新年の挨拶をしておかないとな……)」

 そのような過去から意識を現実へ引き戻すと、王と瞳はすでにキッチンへ戻って作業を再開していた。ちなみに、カインもぼぉっと待っているだけのつもりはなく、来てからすぐ二人の料理を手伝おうとはしたのだが、瞳に今までの料理歴を問われ、正直に答えたところ、やんわりとお断りされてしまったのだった(王に至っては「引っ込んでろ」とさえ言ってきた)。

 仕方なく、カインはテレビ画面に流れているニュースに目をやった。ニュースの内容は先ほどから、元旦ムードの明るい内容のものばかりだった。

 平和だな――と思っていた彼だったが、突如その情報の中で「首狩り」という物騒なワードが出現したのに、鋭く反応する。飛び入りのように緊急速報で読み上げられたその事件は、ほのぼのしたニュースの中で、一層目を引いていた。


『旧皇都、キョウで起きている首狩り事件における被害者はこれで三人目にのぼり、どの遺体も皆一様に刃物のようなもので首を切り落とされて殺害されていますが、その頭部は現場付近では見つかっておりません。警察は殺人罪、死体遺棄・損壊の容疑で捜査を行っており、犯人の手掛かりを捜索中です。なおこれまでに殺害された被害者たちの間に一切の共通点はなく、怨恨などによる犯行の可能性は薄いと……――』


 ニュースキャスターの読み上げる事件概要を背中で聞きながら、王が「えげつねえ」と呟いた。

 そういえば、今、京の都ではにわかに犯罪率が増加しているということを、刑事であるカインと王は、職場の噂で聞いた事がある。

「最近はこの国でもこういう猟奇的な犯行ケースが増えてきたよな……」

 調理場を離れてカインの横までやって来た王が、テレビを睨みつけながらしゃがみ込んだ。

「そうですよね。しかし、ニュースでは通り魔的犯行のように言っていますが、何の恨みもない相手の首を胴体から切り離すだなんて……」

 普通なら正月早々あまり聞きたくない類のニュースではあるが、特警刑事の二人は、職業病でついつい考察などを展開してしまう。

「ひと昔前だと、ガイシャの身元を分からなくするために首を切り落したり、顔や歯並びを原型留めなくなるまで砕いて殺したりした……なんて話もザラにはあったみたいだが、今の御時世、その程度じゃもう大した捜査攪乱にもならんからなぁ」

「現に犯人は、被害者の身元の証明となり得る身分証や所持品などを、現場に残したままだったらしいですしね。捜査攪乱の線は薄いでしょう。逆に、わざわざ時間をかけて首を落とすなんて目撃情報や証拠を残すリスクが増えるだけの行為に思えます」

「ああ。そもそも斬首ってのは結構な重労働でな、その昔、サムライの切腹を介錯するのにも、苦しませずにスパッと首を落とすなんざ、よほどの達人じゃなきゃ勤まらんかったっていうくらいだ」

「そこまでしても被害者の頭部を持ち去ることに執着しているということは、やはり何かしら人体や死体損壊に対するこだわりが……」

 二人が真剣に話し合っていると、「プツン」とテレビの画面が消えた。振り返ると、瞳がテレビのリモコンを持って、腰に手を当て仁王立ちしている。

「……あなたたち、お正月なんですから。こんな時くらいそういった話は、やめてくださいな。せっかくこれから沙帆ちゃんも来てくれるっていうのに、ほんとにもう」

 そして旦那のほうを振り向き、

「これ以上続けるなら、家に飾ってあるシャオさんの刀は全部押入れにしまってしまいますからね?」

 最後に笑顔でそう言い放った妻に向かって、王は慌てて彼女のエプロンの裾を摘まんで懇願した。

「ちょ、待ってくれ、嘘だよな、オイ? やめてくれよな? っていうかやめて下さい」

 犯罪者相手には鬼のように強い王でも、今この時、奥さんの前に限ってはまるで子供のようだった。

「(なんだか、尻に敷かれてるなあ……)」

 カインが苦笑しながら先輩夫婦のやりとりを眺めていると、


『ピンポーン』


 インターホンからチャイム音が聞こえてきた。

 おそらくもう一人の客人――瞳がさっき言っていたように、須山沙帆がやって来たのだろう。沙帆は、王とカインの同僚でもある。

 瞳は、刀の収納についてゴネ続けている夫の相手をさっさと切り上げて、来客を迎えるため玄関へと向かっていった。

 玄関のほうからは「明けましておめでとうございます」という二人の挨拶のあと、「お邪魔します」と聞き覚えのある声が聞こえてくる。

 カインたちの居る部屋までやって来たのは、やはり沙帆だった。白い厚手のダッフルコートに、ふかふかしたマフラーを巻いていて暖かそうな格好だ。外は寒かったのか、頬は少し赤くなっていた。

 私服可愛いな――などと思った反面、カインは自分の格好が出勤時と同じようなシャツにネクタイであることが少し恥ずかしくなって、後悔した。いつ緊急出動があってもいいように、と普段から仕事の時と変わらないような格好をしているが、他に私服らしい私服など持っていないというのもまた、事実だった。

「(外出用の服、今度買っておこう……)」

「あ! カインさんもいらしてたんですね! 王さんカインさん、明けましておめでとうございます!」

彼女は嬉しそうな顔で、二人の同僚にも挨拶をする。カインと王も、同じように新年の挨拶を返した。

「よく来てくれたな、沙帆ちゃん。女房も楽しみにしてたから、今日はゆっくりしてってくれよ。ま、ひとり辛気臭いのがいて、少々申し訳ないんだけどよ……」

 チラッとカインのほうを見る王。

「先輩、それ誰のことですか?」

 カインはムスッとした表情で睨み返す。

「もう、二人とも仲良くしないとダメですよー」

 刑事コンビのいつものような売り言葉買い言葉にくすっと笑いながら、沙帆はアウターを脱いでコート掛けに引っ掛けた。そうしてから、彼女も持ってきた手土産の入った紙袋を王に渡すのだが、

「王さん、いつ見てもそのエプロン姿、可愛らしいですよね~」と、くすくす笑いの沙帆。

「そうねぇ。好きだっていうからクマさんにしてみたんだけど、やっぱりこの人には似合わなかったかしら……」と、真顔で瞳。

 今まで誰もツッコミを入れなかったのだが、愛妻の手作りと思われる王のエプロンは、なんとカステラみたいな色をしたクマさん仕立てなのである。カインでさえ、インターホンを鳴らしてクマさんエプロンの王が出てきたとき、初見でそのあまりの似合わなさに挨拶するのも忘れ、我が目を疑った程だ。

「(熊が好きって言っても、ソレたぶん木彫りの熊とか、趣味がハンティングの御仁がグリズリーの毛皮を床に敷いたりとか、そういう方面ですよねきっと……)」と、決して声には出さないカイン。

「服さえ汚れなけりゃ前掛けなんて何使っても同じだろ?」とは王の談。「シャオさん」と呼ばれるのは恥ずかしいというのに、威厳もへったくれもないクマさんエプロンはOKというその基準がいまいち分からない。

「そうだ、お料理、私も手伝いましょうか?」

 沙帆もエプロンを着用しようとしたが(沙帆はこの家で瞳と一緒によく料理をするため、彼女用のエプロンもキッチンの壁に掛けてあった)、夫妻は「どうせもうすぐ出来るから」と制止した。

「今日はこの王夫婦が腕によりをかけて作るからよ。沙帆ちゃんはコタツにでも入って、あいつと一緒にゆっくり待っててくれ」

 王は得意そうに言ったあと、カインのほうをちらっと見て、思わず目を逸らしたくなるようなチャーミングなウィンクをくれてよこした。

「(何なんですかその謎のアイコンタクトは……)」

先輩なりに気を利かせているつもりなのだろうが、正直やめてほしい。とカインは思った。

「えっと、すみません。じゃあお言葉に甘えて……」

 沙帆がこたつの、カインの向かい側に入って座った。とりあえず、何か喋らなくては、と言葉を探すカイン。

「久しぶり……あ、そうでもないよね。去年の暮れに会ったばかりだったっけ。えっと……沙帆ちゃん、どう? 最近、勉強のほうは捗ってる?」

「はい! 何とか……あ、ありがとうございます! えっと……その……」

 カインに何か訊きたそうな様子を見せる沙帆。

「どうかした?」と聞いてみても、

「な、なんでもないです」

 とお茶を濁されてしまう。

 結局話は、外が寒かっただとか、年末も署内は相変わらず忙しかっただとか、そのような世間話ばかりになってしまい、それだけで5、6分ほどが過ぎてしまう。

 そんな中で、昨年の暮れに起きた事件にも話題は及んだ。

「それにしても、先月の『十字背負う者達の結社』の事件からまだ、一週間くらいしか経ってないんだよね……」

 クルス教系の宗教結社であり国際テロ組織でもある『十字背負う者達の結社』――彼らの起こした事件は、カインや王の中では、まだ生々しい程に鮮明だった。

 結社の実動部隊隊長である遊夛ユタの入国から始まったこの事件は、聖誕祭の夜、帝大附属病院に敵工作員である武装した神父と牧師が乱入し、医師や看護師が複数名惨殺され、生まれたての双子が誘拐されるという、痛ましい事件にまで発展した。そして、最後は廃教会で行われた死闘によって、聖職者テロリスト三名の死亡と共に幕を閉じたのだった。

 誘拐された双子は無事に保護され、親の元へ帰すことができたのだが、誘拐被害に遭ったその旧家――天戸辺あまとべ家自身の御家騒動がどうなったのか、それより先は「家族」の問題であり、カインたちには知らされてはいなかった。

 カインが話の中で少しばかりその事件に触れたとき、沙帆が再び、悲しそうな表情を見せた。

 そしてやはり、何か、言いたいことがありそうな素振りを見せる。やがて彼女は、おずおずとした様子で口を開いた。

「あの、カインさん……」

 しかし、彼女が何か言いかけたところで、王がコタツのほうにやってきて、どっしりと座り込んだ。意気揚々と笑みを浮かべながら、二人の目の前にお節料理の入った重箱を置く。

「いやあ、待たせて悪かったな。王夫妻特性、お正月スペシャルの御開帳だぜ!」

 黒い漆塗りに金箔をあしらった、豪華な四段積みの重箱。嬉しそうに箱の蓋を開けようとする先輩刑事に邪魔されて、結局沙帆が何を言いたかったのか、カインは聞くことができなかった。

 先輩夫婦の作ってくれたお節とお雑煮は、食べ慣れないものだが、場の空気もあってか、いつも食事をコンビニで買って済ませているようなカインにとって、とても美味しく感じられた。しかし、瞳と沙帆が料理上手なのは何度かご馳走になって知ってはいたが、王も料理が出来るというのは、意外だった。瞳が言うには、王は(やはりというべきか)特に中華が得意だそうで、献立が中華料理の時は、夫自ら厨房に立って存分にその腕と中華鍋を振るっているとのことだった。

 そんなふうに話をしながら、楽しい時間はあっという間に過ぎてしまう。

 先ほど沙帆の言いたそうにしていたことも気になったが、談笑を遮ってまで掘り返すのも気まずくて、カインには追及出来なかった。

 ――それでも、仕事で修羅場をくぐっている時と比べると、まるで嘘のように平和な時間だ。戦闘時の「頼りになる先輩刑事」とはまた違った顔の王を見ることができるし、沙帆や瞳が楽しそうにしているのを見られることも、嬉しかった。

「(なんだかこういうのも、悪くないな――)」

 そう思ったカインだったが、当然、そのような平穏が長くは続かないであろうことも、しっかり理解していた――。






 カインと王のコンビが隊長の執務室に呼び出されたのは、まだ本格的な冬の寒さが続く、二月に入りたてのことだった。


「――――悪いが、私と一緒に京に飛んでくれないか?」


 開口一番そう切り出した芒山隊長に対し、二人は全く同時に「はい?」と聞き返していた。

「総本部からの要請だ。今、京のほうが大変な事になっているのは、お前達も知っているだろう?」

 芒山隊長は低く良く通る声でそう言った。

この男、名を芒山翁達のぎやま おうたつという。カインや王の属する特警本庁で戦闘部隊を束ね、彼らの直轄の上司にあたる人物だ。その見た目はまるで全身筋肉の塊といった巨漢で、厳しい顔つきをした、いかにも武道家然とした男だった。

 唐突な出張命令に唖然としていた二人だったが、やがて気を取り直したカインが、思い出したように口を開いた。

「そういえば確か、先月くらいから京のほうで異能犯罪の発生率が急増しているという話でしたよね……」

 カインは正月にニュースで見た『首狩り事件』のことを思い出す。一連の『旧皇都異能者大量発生事件』については、彼もある程度知っている。最近この支部の間でも噂になっていたのだ。

 それに対し、芒山は一層真剣な表情になった。この男が真剣になると、本人にそんなつもりはなくとも、目が合っただけでまるで憤怒相の金剛力士像に睨まれているような気分になる。

「大げさではなく、戦後最悪の事態だそうだ。ほぼ毎夜、異能者による傷害、強盗、窃盗などが起きている。ただでさえ一般市民に異能者の存在を隠すのが難しくなってきた御時世だというのに、こうも立て続けに事件を起こされたのでは、堪ったものではない。普特両警察上層部や政府の異能管轄部門もかなり焦りを感じている」

「早急に原因の解明と、事態の鎮圧が必要――ってわけですかい」

「うむ。特に京では今まで異能犯罪率が全国でも指折りに低かったこともあり、経験もノウハウも心許ない。そのうえ来月末、京国際会館では米大べいたいや中華の外相を招いてのサミットも予定されているというのに、原因不明のこの事態だ。そこで、開催前の視察と警備強化の準備も兼ねて、本庁属の部隊からは私と、王、そしてカイン。我々以外にも、東都や地方の各支部、本庁上層部から腕利きの捜査員が派遣されることになった」

「やれやれ……せっかく京に行けるっていうのに、ゆっくり観光というわけにもいかないようですな」

 溜め息をつきながら軽口をたたく王を、芒山は少し申し訳なさそうな上目遣いで見ていた。まるで毛むくじゃらの大きな仔犬が反省しているみたいだ――とカインは思う。これも、この隊長が部下から好かれる要因の一つであるだろう。見た目通り厳しくもあり、有事の際はこの上なく頼りになる芒山だが、普段は部下思いで優しい上司であることを、この支部の隊員であれば誰もが知っている。

「俺は異能者の犯罪を止めるためだったら、どこへだって飛びますよ。それに隊長や王先輩も一緒だというなら百人力どころか千人力です」

「……で、もちろん出張の間、特別手当は出るんですよね?」

 びしっと敬礼するカインと、手で「銭よこせ」のジェスチャーをする王。二人を見比べて隊長は苦笑した。

「まったく、お前達みたいな凸凹コンビがこの支部では検挙率トップなのだから、上司の私は頭が痛い……」

 こうして、三人の京行きが決定した――――。





 京――旧皇都とも呼ばれるその土地は、はるか昔にはミカドが居を置き、永くこの国の政治と文化を牽引してきた歴史的都市だ。

 現在は遷都により首都の座を東都に譲っているが、東都が戦後近代の急速な発展に呑まれ、あっという間に高層ビルが殺伐と立ち並ぶ政治的・軍事的にも重要な大都会へと成り変わってしまったのに比べ、京の古色蒼然とした通りや街並みは、どこか訪れた者の心を原風景――郷愁へと誘う趣がある。また何と言っても京の街には、重要文化財に認定されるような寺社仏閣が数多く、観光地としての人気も非常に高い。昔々の姿のままに残されているそれらは、その古式ゆかしい雰囲気とは別に、千年の都として栄えた『雅』な顔も垣間見せてくれるのだ。そして、その古きと同時に混在する都会的な部分がいきなり顔を見せる様は、散策者に対し自分が異界に迷い込んでしまったような、不思議な気分――不安感と言ってもいいかもしれない――を内から湧き起こさせる。

 ――そんな京の都も、かつて古き世には崇りから逃れるために都自体を結界となし、頑なに外界との接触を閉ざしていたという裏の顔を持っていた。

 都の東西南北には青龍白虎朱雀玄武――四神相応の守りが敷かれ、幾重にも施された複雑な魔除けが交錯するその一方で、結界の内側では薄暗がりに魑魅魍魎が闊歩し、政事まつりごとの裏では陰陽師たちが暗躍する―――。

 そして現状、異能犯罪率の急増した京の都は、そのような『魔都』としての顔を、千年以上の時を経て今再び現代に晒しているかのようだった――――。


 ――芒山がカインと王に出張命令を言い渡してから二日後の月曜日。彼らはその暗雲立ち込める妖しの地に足を踏み入れていた。

 準備と手続きを済ませてから、特警用の輸送ヘリコプターを使っての上洛である。

 特警・旧皇都支部。その屋上に設置されたヘリポートへと降り立った一行は、京の実動部隊を率いる櫓坂やぐらざか隊長に迎えられた。

「おいでやす。いやあ、よう来て下さりました、ご協力に感謝します。わざわざ本庁から特派員の方が来て下さるなんて、心強いかぎりですよ、わははは」

 硬質の髪を角刈りにまとめた、逞しい壮年の男性だった。彼は大きな声で笑ったあと、続けて

「私がこの支部の隊長、櫓坂 甚七です。どうぞよろしゅうお願いします」

 と名乗った。

「本来なら私らのシマですから、私らでケリをつけないけませんところ、こうやって助けに来て頂いて、ほんに申し訳ない限りですわ」

 見た目こそ強面コワモテだが、ところどころ京ことばと関西弁の混じる話し方には、どことなく愛嬌がある。

「いえ、異能犯罪への対処、そしてそれを未然に防ぐための組織として、当然のことです。一刻も早く事態の収束を図り、被害は一件でも減らさなければなりません。そのための協力ならば、我々は力を惜しみません」

 芒山と櫓坂、二人の隊長どうしはお互いの武骨な手を握り合い、力強い握手を交わした。そのあと櫓坂は、王とカインにも握手を求める。

「しかしまあ、やっぱり東都の刑事さんがたは垢抜けてますなぁ。映画みたいな恰好がビシっと決まっていらっしゃる。がはは」

 そう言ってこれまた豪快に笑う櫓坂の服装は、深緑色の地味な野戦服だった。それに対し、東都刑事二人組は、いつも通りの黒いロングコート。ヘリの二重反転ローターによる強風が、それをばたばたとはためかせている。

「カインです。よろしくお願いします」

「オレは王です」

 こういった場合、よく地方の警察は地元警察としてのプライドや意地、縄張り意識などから、突っ掛かって来ることも多い。特に東都中央――本庁勤めの刑事に対するコンプレックスや対抗意識があれば尚更だ。だが、櫓坂からはそういったものが全く感じられない。カインも王も安心しながら、気さくな旧皇都支部隊長と握手をした。

 そんなことを知ってか知らずか、櫓坂もにこにこと続ける。

「いやぁ、本庁の刑事さん方が来るぅ聞いた時には、エリート意識と出世欲に凝り固まったお役人さんみたいなのが来たらどないしましょう思っていたところだったんどすわ。けどもどうやら芒山さん含め皆さん、ちゃんと〝現場〟を知る本物の刑事さんでいらっしゃる御様子。この櫓坂甚七、改めて安心させて頂きました」

 嬉しそうにお辞儀をする櫓坂。そしてその背後から近付く者がもう一人――。


「当り前じゃないですか、櫓坂隊長。何せ彼らは私の昔居た部署で、共に死線を掻い潜ってきた仲間なんですから――――」


 女性の声。

 そこに居たのは、ブラックのエナメルコートに身を包んだ金髪の女刑事だった。

 艶のある髪はショートカットに、そしてモデルのように整った顔立ちとプロポーション。ミニスカートから覗く長い脚が、さらにスタイルの良さを引き立てていた。

「ああ、紹介せんと。彼女はですね、この支部の――――」

 櫓坂が振り返って、突如現れた部下のことについて口を開きかけたが、

「――おお! エリゼじゃないか、懐かしいな!」

 王が嬉しそうに声を上げた。

 エリゼと呼ばれたその女性は、王と軽くハイタッチをしたあと、芒山の前まで行き、「隊長、お久しぶりです」と頭を下げた。

「ああ、エリゼ君。そういえば君は以前、東都本庁属の支部にて勤務してはったんやて。懐かしい顔ぶれでもおりよってか? 本来なら出迎えは私一人でも良かったんですがねぇ、ハハハ 」

「そうもいきませんわ。副隊長の私にも、彼ら特派員の方々への挨拶と労いをしなければいけない義務がありますもの」

 澄ました笑顔でそう言ったあとエリゼは、「ま、ほんとは懐かしい仲間の顔を見たかっただけなんですけどね――」と、芒山たち一向に向かっていたずらっぽく舌を出してみせた。

「えっと、この方はいったい……?」

 カインが不思議そうに芒山と王のほうを見て、質問した。上司と先輩が親しげに話すこの女性のことを、彼は全く知らなかったのだ。

 すると、王がそれに答える前にエリゼが微笑んだ。

「あなたは〝はじめまして〟になるわね。えっと……カイン、君?」

 手に持った特派員リストの書類に目を通しながら、エリゼはカインの名を呼んだ。

「わたしはエリゼ=イルマルシェ。現在は京の特警支部で実動部隊の副隊長を務めているわ。元々は東都の本庁属だったんだけど、五年前にこっちのほうに転属になったの。本庁に居た頃はよく王やアキラとコンビを組んだわ」

「五年前だったら、俺の居なかった頃ですね。ちょうど先輩やアキラさんの同期ですか」

「そ。一応あなたの先輩ってことになるわね。よろしくね」

 エリゼが差し出した手を、カインが握り返した。

「こちらこそ、よろしくお願いします。エリゼ副隊長」

「エリゼでいいわ。今回の合同任務、気を引き締めて臨むわよ」


 こうしてひとしきりの挨拶が終了したのち、櫓坂隊長は、これから会議と打ち合わせがあるからと、芒山を連れてミーティングルームへと向かってしまった。

 カインと王は引き続き合同捜査のメンバーたちと顔合わせをするため、エリゼに署内を案内されながら廊下を歩いていた。

「――しかしまぁ、副隊長とは随分と出世したもんだな、エリゼ」

 王が感心したようにそう言うと、

「そうでもないわ。東都以外の地方は今のところ、どこも層が薄いのよ。人手と人材が足りてないから。それに対して、東都――特に本庁属は精鋭揃いなのに、殉職率も高いでしょう? 五年も務めたら、それこそ実績や経験値は他の県の支部とは比べ物にならないわ。だから、王やアキラくらい有能だったら、あっという間に昇進できるものよ?」

 それを聞いた王は、半分冗談めかして

「オレもどこか田舎のほうに転属願でも出すかなぁ……」

 などと呟いた。だが、冗談めかした声のトーンに対して、王の顔は深刻そうである。そういえば、危険な仕事であり、先行きの不安と忙しさもあってか、子供もまだの様子だったな、とカインは所帯持ちである先輩刑事の心中を察した。

「とは言っても、私と違って櫓坂隊長の実力とキャリアは本物よ。副首都であり旧皇都――その重要都市の守りの要であるこの支部を、伊達で任されたりしないわ」

 エリゼは真面目な顔で続ける。

「櫓坂隊長って、ぱっと見気さくなオジサンみたいだけど、ああ見えて元軍部所属だそうよ。退役後はあの凶悪異能犯専用の特殊収容施設『インフェルノ』の最下エリアで警備・監視・護送担当をしてたんだから。今でも役職上の関わりを持っていて、たまに〝地下〟に出入りをしていると聞くわ」

「第九圏――『コキュートス・エリア』で働いてたっていうのかよ……」

 王は心底驚いた様子だった。

「さすがにトップレベルの極秘事項だから、中のことまでは教えてもらえなかったけどね」

「〝地下〟のことなんざ、知りたいとも思わねえけどな。とにかく、櫓坂さんが芒山隊長と同じくらい頼もしいってことだけは充分理解できたよ――――」

 その後、三人で歩きながら、話題はカインを対象にした王の後輩イジりから、〝女傑〟炎上寺アキラの武勇伝、そしてお互いがこなしてきた今までの任務の話へと移り、自然とペクの事件に行き着いた。


「そう、ペク……死んだのね」


 エリゼは、とても信じられない、といった顔をしたあと、悲しそうに首を横に振った。

「でも、彼はわたしたちとどこか違う……死地を求めているようなところもあったから……。

任務の中でも自分の古巣――戦場を探してる……そんな感じだった。きっと今頃、やっと休める、って安心してるかも知れないわ」

 ―――牙を折られた狼にはもう、永眠ねむりにつくことしか残されていないのだから……。

 彼女はしめやかに、そう締めくくった。

「(この人、ペクさんとひょっとして何かあったのかな……――)」

 カインは、エリゼの悲しそうな横顔からピンとくるものがあったが、あまり要らぬ詮索をするべきではないと、すぐに考える事をやめた。

「さ、辛気臭い顔ばかりしてられないわよ! これからあなた達を、私の仲間と、他の特派員の面々に紹介しなくちゃならないんだから! シャキッとしてよね」

 そうやって話しているうちに、どうやら刑事たちの集う屯所まで辿り着いたようだった。ドアの横には、やたらと達筆な筆書きの看板が立てられていた。『京・旧皇都異能者連続襲撃事件 捜査本部』と書かれてある。

 エリゼによって威勢よく開けられた捜査本部のドア。その向こうには、慌ただしく資料を調べたり整理したり、そしてひっきりなしの電話対応に追われたりしている、大勢の刑事たちがいた。

 そのうち何人かはエリゼとカインたちに反応し、入口のほうを振り返った。当然だが、彼らは全員がプロの目をしていた。流石に、今回の異常事態に対して集められた猛者たちだけのことはある――中途半端な者など、一人もいない。

 会議用のホワイトボードが置かれた部屋の奥まで歩を進め、刑事たちの注視を浴びながら、エリゼはハッキリとした口調で声を張り上げた。

「紹介するわ。彼らが、東都の支部から特派員として派遣された王さんとカインさん。今日からあなた達と共同戦線を張ることになるわ」

 自己紹介、お願いできるかしら―――と、エリゼが二人を振り返った。

「王少天。東都特警本庁支部属。得意なのは居合と剣術、あとは国術も少々。よろしく頼みます」

 国術――というのは、いわゆる中華大陸で行われる武術の総称であり、中国武術全般のことを指す。

「カイン・イワザキ。同じく本庁属、射撃と逮捕術には自信があります。よろしくお願いします」

 滅多に名乗ることないカインのファミリーネームを久し振りに聞いて、隣の王はほんの僅かばかり嫌そうな顔をした。カインが訳あってイワザキ姓を名乗っているのは承知しているが、やはりどうにもその苗字は好きになれない。

 それはともかく、どうせもう書類などで情報が渡っているだろうから、カインと王のことは、ここにいる面子にはある程度は知られているはずだった。勿論、東都での彼らの活躍も、今まで二人で仕留めてきた、きわめて危険度の高い異能犯罪者のことも。簡単な自己紹介だけを済ませた二人は、改めて自分たちと協力し合うことになる刑事らの顔を眺めてみた。彼らの内にも、値踏みするように眺める者、睨み付けるような鋭い眼差しの者、もしくは何の表情も示さない者――反応は様々だ。

「(ここで一週間以上……あるいはもっと長い間、この刑事たちと捜査を共にするのか――――)」

 現場の刑事たちの鬼気迫る意気込みを肌で感じ、カインは息を飲んだ。

 そんな後輩に比べて、先輩刑事の王はいくらか場慣れした様子だった。おそらくこの程度の修羅場であれば、今までに何度も経験してきたのだろう。

 修羅場といえば、東都のほうでもここ最近、異能者の仕業と思しき怪事件が頻繁に起こっている。特に〝喰い荒し〟と〝散らかし屋〟――そう呼ばれている二名の犯罪者のせいで、普警も特警も大わらわといった状況だ。現在本庁属の特警では隊長の代わりに「部長」が総指揮を執って、炎上寺アキラや他の班長たちがそれぞれ隊員を率い、目下これらの捜査にあたっている所だった。

「それじゃあ、王とカイン君には、捜査Bチームに入ってもらうわ。Bチームのメンバーはこっちに来てもらえるかしら」

 招集を掛けられて「捜査Bチーム」のメンバーたちが集まって来た。エリゼも含めると、Bチームを構成する人員は、全部で五人。

 七分刈りほどに髪を丸めた若い男性刑事。

 まるで映画スターのような銀髪の美男美女の二人組。

 そして年老いた刑事が一人。

 ――この中に、カインと王も加わるわけだ。

 エリゼがチームメイトを一人一人順に紹介していく。

「彼は菅原くん。ここの支部で勤務している、旧皇都特警の戦闘部隊員よ。新入生だけど、即戦力でバリバリ働いてもらってるわ」

 その若い刑事は、丸刈りの頭を恥ずかしそうに撫でている。どこか柴犬を連想させられる、人懐っこそうな童顔をしていた。

「菅原 健太っす。防衛大学在学中にスカウトされて、自衛軍幹部候補生から特殊警察養成学校に転向、三年間みっちり訓練積んできました! 剣道四段、日本拳法三段、あと、特技は読唇術っす」

 いかにも明るく真面目そうな青年……といった感じだ。菅原は照れ笑いを浮かべながら、カインと王に握手を求めた。

 ――続いては、銀色の長髪をした男性隊員と、同じく銀髪の女性隊員。

「この二人は兄妹で、私の訓練校時代の友人でもあるわ。兄のユリィ・スティフナズ。そして妹のエミリア・スティフナズよ」

「ユリィだ……よろしく頼む」

 深い青色のロングコートを着た男――ユリィ・スティフナズは、ぼそぼそと聞き取りづらい声で呟いた。まるでギリシャ彫刻のように彫りの深く美しい顔立ちをしているが、その顔に自信や生気といったような前向きのものは全く感じられず、むしろ病的といってもいい程に不健康だ。髪と同じ色をした美しい瞳は、極力他人と目を合わさないように伏せられている。

 それに比べて妹のほうは元気溌剌、はきはきとした声でしゃべり出した。

「ごめんなさいね、兄さんは昔から訳あって人と話すのが苦手なの。でも安心して。刑事としては超のつくくらい優秀なんだから! ただ、放ってたらご飯もろくに食べないし、掃除も洗濯も全然ダメ。こんなだから、いい歳して彼女の一人も出来ないし、私もお母さんもいい加減心配で頭が痛いっていうか……あ! ゴメンなさい! ちなみに私は妹のエミリア・スティフナズ。エリゼの言った通り、彼女の訓練校時代の友人よ。武術マーシャル・アーツはコンバットサンボや柔道をやるわ。でも、どちらかというと殴ったり蹴ったりよりピストルのほうが得意ね。だってそっちのほうが断然スマートだわ。ねえ、あなたたちだってそうは思わない?」

 エミリア・スティフナズは質問を挟む暇もなく機関銃のようなトークを捲くし立てた。革のロングパンツにTシャツ、その上にはデニムのジャケットというラフな格好の彼女は、兄とは違い随分と社交性がありそうな雰囲気だった。

 エリゼはそんな友人兄妹に軽く苦笑しつつ、フォローを入れた。

「こんなだけど彼女たち兄妹、二人とも中学生の頃には既に有名大学院の卒業資格を首席成績で取得していたほどの天才児だったのよ。訓練校でも特別成績が良かったから、国外の対異能法機関に就任する話が決まってたの。でも……」

 彼女が最後まで言う前に、その続きをエミリアが受ける。

「そうなのよ。私、外国に行って海外ドラマの刑事ものみたいな活躍ができると思ってたのに、まずは国内各地での数年の研修を終えなくちゃならなくって! それで今年は研修のため、この国にある四大副首都のうち、私はエゾ地、兄は九州のほうに、バラバラに飛ばされちゃったんだけど……そうそう! 私、あの兄さんが知らない刑事さんたちに囲まれて一人でやっていけるのかって、すごく心配だったわ。だって兄さんってば、人見知りで臆病で、私がいないと怖くてコンビニにも入れないんだもの! それにレストランで注文言うのにもすごく声が小さくて、何度も店員さんに訊き返されちゃうのよ? だからもうね、兄さんの選んだメニューは結局私が全部言う事に決めてるの。ホント嫌になっちゃう。……って、あら、ごめんなさい、全然関係ない話だったわ。で、その研修期間中に『京』での事件が起こったものだから、私たち優秀なスティフナズ兄妹は経験を積むのと腕だめし的な意味も兼ねて、この支部に派遣されてきたっていうわけ!」

 やはり喋り出したらどうにも止まらない。カインはそんなエミリアに圧倒されつつも、友好の印として握手を交わす。ユリィもあまり気乗りしないようだったが、おずおずと手を差し出してきた。

 と、そこへもう一人のメンバーが困ったように声を掛けてきた。

「あのう……そろそろわたくしも自己紹介してよろしいでしょうか……?」

 ――やたらと存在感の薄い老刑事。ぱさぱさの白髪に、地味なコート。柔和な表情と、ほとんど閉じられているかのような糸目。まるで、ありがちな刑事ドラマに出てくる脇役のベテラン刑事役が、テレビ画面からそのまま抜け出してきたかのようだった。

「ああっ、ごめんなさいアケミツさん! エミリアの長話のせいで……!」

 慌ててエリゼが、その老刑事のことを紹介する。

「彼は明満あけみつさん。もう四十年以上も刑事をやってる、大ベテランよ。もとは普警に属する刑事だったけど、その手腕と、地に足の着いた捜査方針、長年の経験で培われた勘を買われて、特警にスカウトされたの」

 エリゼは尊敬の込もった眼差しを明満に向けている。明満老人は照れたように頭を掻いた。

明満あけみつ 道晴みちはるといいます。よろしくお願いします。ずっと普警のほうでやってきましたが、十年ほど前にこちらへ籍を移しました。……まあ、私は長くやってきただけが取り柄ですから、知恵と経験で頑張らせて頂きます。武道も一応、古い合気のほうをやってはおりますが、最近はどうにも体が追い付かなくて申し訳ないですよ。若い子たちには到底敵いませんねぇ、いやはや。ははは」

 それを聞いた王が、ピクリと反応する。

「ほお、合気道。古い……というと古流ですか?」

 興味深そうに尋ねる王。何せ彼は相当な武術史好きで、特に古い武芸の類や、ルーツの深い拳法には目がないという変わり者だ。

「ええ。まあ『合気道』というよりは『合気柔術』ですね。今となってしまってはかびの生えそうなほど古く廃れてしまった流派ですよ。まっこと残念なことに、失伝してしまったわざも多く、古武道の弱体化はもはや止められない流れなのでしょうかねぇ……」

「そうですなぁ、嘆かわしいことです……」と、しみじみ同調している王。そこにエリゼが割って入る。

「さあさあ、世間話はそこまでにして、全員の自己紹介も済んだことだし、まずは二人にやるべき事をやってもらわないと!」

 手を叩き鳴らしながら、催促する。

 エリゼは刑事部屋からカインと王の二人だけを連れ出して、署内のとある一室へと案内する。

 連れてこられた部屋の中には、古書店のような、むっとくる紙の臭いが充満していた。

 飾り気のない武骨なラックに、ずらりと並べられたバインダー型のファイル――そこは、資料保管室だった。

 エリゼは両手に抱えきれないほどの分厚いファイルの束を、どん! と机の上に置いた。

「一連の事件の調査報告、取り調べ録等、捜査にあたって必要な情報よ。全部目を通しておいて」

 そして二人を残し、「ミーティングがあるから」と出ていってしまう。

「……まあ確かに、まずは一連の事件を知らんといかんわなぁ……」

「ですよね……」

 紙類の圧倒的物量の前に怯んでいたカインと王だったが、やがて「よしっ」と気合を入れ直し、山のような資料の束に挑みかかった。

 交代でコーヒーを淹れたりしながら、それぞれ資料を読み込んでいく二人。気付いた事はなるべく意見交換し、重要そうなことはメモに書き写す。

 ――そして。

 そんな作業の中で、二人は度々、奇っ怪な記述を目にすることとなったのだった。

 それらの「単語」は事務的で堅い文章の羅列の中、明らかに異質の存在感を放っていた。


 報告書に曰く―――


 あるいは「河童」。

 あるいは「烏天狗」。

 あるいは「のっぺらぼう」。


 ――それだけには留まらない。

 続々と。


 小豆洗い。

 雪女郎。

 一反木綿。

 子泣き爺。

 九十九神。

 座敷わらし。

 野槌のづち

 金霊かなだま

 砂かけ婆。

 送り犬。

 枕返し。

 すねこすり。

 猫又。

 ――etc.…etc.…


 おどろおどろしくも、どこか間抜けな固有名詞の数々――。

「なんだぁ、こりゃ? 妖怪図鑑かよ? ゲゲゲの鬼太郎でもあるまいし――」

 王が驚き混じりの呆れ声をあげたのにも、無理はなかった。

 そう、妖怪――――そこに書き連ねられていたのはまさしく妖怪変化の名前だったのだ。

 捕らえられた異能犯罪者どもは口々に妖怪の名を叫び、自分がその妖怪であるというようなことを、のたまっているというのである。

 カインは密かに疑問に思っていたのだが、なぜ、大量発生した異能者たちの、一見脈絡のない犯行の数々が、「一連の事件」として一括りにされているのか―――これで分かった気がした。

 事件の全ては〝妖怪〟で繋がっていたのだ。

 妖怪、魔物、魔性、あやかし、物の怪、魑魅魍魎――――古の魔都、旧皇都という舞台。上手く噛み合い過ぎていて、何とも言えぬ不気味さを感じさせる。

 この事件、ひょっとしたらこれより先、さらに面倒なことになるかもしれない――カインは拭い去れぬ不安を感じながらも、覚悟を新たにした。


 結局カインと王はその日、『旧皇都異能者連続襲撃事件』――通称『百鬼夜行事件』についての資料に目を通すだけで、一日が潰れてしまった。

 大量の資料とその整理に追われ、ようやく彼らが捜査員専用の寮に辿り着けたのは、深夜も過ぎた頃であった。

 今のうちに、しっかりと休んでおかなくては――――同室をあてがわれたカインと王は、それぞれに用意された真新しい布団にもぐり込み、慣れない天井を見上げながら夜を明かした。




(【壱】に続く――)

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