『咎負い人の十字架』

『咎負い人の十字架』【1】





【12月20日(夜)】


 聖誕祭も近く、街中まちなかは気の早い電飾やクリスマスソングで賑わっている。しかし、そういった喧騒からは離れ、人通りの少ない暗がりを歩く一人の男がいた。

 仏頂面で歩くその男は、そもそも敬虔なクルス教信者でもないこの国の住人達が、なぜこの時期になるとこんなにソワソワしだすのか、全く理解できないでいた。


 ――その男、遊夛ゆたは焦っていた。


 赤いロングコートと、ブロンドの髪をたなびかせながら、足早に誰も居ない裏道を通り過ぎていく。

 緊張はしていても、その慎重な足下から音がこぼれる事は決して無い。それは長年に渡り特殊な訓練を積んできた者の動きだった。

 遊夛は思った――この仕事は何としてもしくじれない。

 彼にとって今回与えられた任務は、おのが組織での地位を向上させる為には絶対に成功させなくてはならない、重要なものだった。だからこそわざわざ、このような極東の島国くんだりにまで足を運んで来たのだ。

 遊夛は現在の己の地位に満足などしていなかった。実力もあり、組織に多大な貢献をしてきたにもかかわらず、彼に与えられた権限はせいぜい実動部隊のリーダー止まりだった。

 組織の幹部達――遊夛は頭の固い狂人たちと蔑んでいたが――彼らは〝裏切り者の名〟を連想させる遊夛の名や態度を嫌悪し、重役に取り立てようとはしなかった。今の役職でさえ、自分を拾った亡き養父が組織の幹部だったたこと、そして自分を育ててくれた師の推薦でかろうじて手に入れられたようなものである。

 もっと力を手に入れて、権威の椅子に胡坐をかいている老害どもを葬り去る必要がある……。

 遊夛はその思いを日に日に強くしていった。

 無論、組織の為ではない。己の為だ。

 正直言って彼にとっては、組織の目的も、その教義も、信仰も、どうでも良かった。実利があるからこそ、あのような狂信者どもの巣窟に身を置いている。つまるところ、俗物なのだ――。

 組織内で幹部以上の上位権限さえ得られれば、こそこそと金品物資や略奪品の横領などをする必要もなくなる。イカレた教主に代わって実権を握ることができれば、教団の洗脳で「任務遂行」以外の思考を放棄させられている自分の仲間達も、目を醒まさせてやることができるだろうか。奴らの優れたパフォーマンスを十全に引き出せるのは、馬鹿馬鹿しい教義や狂気じみた信仰心などではない。自分のような優れた指揮官だと――遊夛はそう自負していた。

 目的地の病院は、もう近い。気負い過ぎるな、遊夛は己自身にそう言い聞かせた。


「――求めよ、そうすれば、与えられるであろう。捜せ、そうすれば見いだすだろう。門をたたけ、そうすれば、あけてもらえるだろう。すべて求める者は得、捜す者は見いだし、門をたたく者はあけてもらえるからである。」


 彼は『聖典』に記された言葉を暗唱した。説教臭く意味の分からない『聖典』は子供の頃から嫌いだったが、暗唱できるようになるまで何度も読み返しを強要された(そのせいで余計に嫌いになってしまった――というのもあるのだが)。しかし先ほど発したその箴言しんげんに限っては、欲深い彼にとって耳触りの良いものでもあった。

 求めれば、それは得られる――――シンプルで、分かりやすくて、好い。今回の任務でも、それは同じこと。

 そもそも妙な邪魔でも入らない限り、非常に簡単な仕事なのだ――。

 そう、まるで、赤子の手を捻るように。


 しかし、この日に限っては彼の思うようには事は運ばなかった。どうも世の中というものは、そう上手くはいかないよう出来ているらしい。


「――おい、そこのお前、止まれ」


 背後から声を掛けられ、彼は身に纏った赤い外套を翻しながら振り返った。

 ――男が二人、立っている。

 黒のロングコートを羽織った二人組。遊夛の真っ赤なコートとは違い、彼らの装いはしっかりと夜に紛れ、闇に溶け込んでいた。

 遊夛は面倒臭そうに金色の髪を掻き上げ、気だるそうに碧い瞳で漆黒の二人組を見据えた。

「何だ、お前達は――」

 眼鏡をかけた黒髪の大人しそうな青年、そして茶色い長髪を後ろに結っている頬傷の男。

 ――妙な取り合わせだな、と遊夛は思った。

 穏やかな用事で話しかけてきたのではないことは容易に解る。何せ彼らは、全く隠す様子もなく、大っぴらに武装していたのだ。

 ――リボルバー拳銃に、日本刀。

 やはり妙な取り合わせだ――遊夛は再びそう思った。

「敵対組織の者か? もしくは、うちのイカレた老人どもの差し金か?」

「どっちでもねぇな。警察だよ」

 そう言って、茶髪の男が日本刀を鞘から抜く。

「多国籍テロ工作員養成教団――通称《十字背負う者達の結社》の異能使いにしてランクAAダブルエーエージェント。コードネーム〝反駁の徒〟こと遊夛さん」

 黒髪の青年が遊夛のプロフィールを読み上げ、リボルバーの銃口を向けた。

「あなたのことでしょう? 国際手配されてますよ」

 ――武器密輸、誘拐、殺人、テロ活動、もしくはその幇助。確かに遊夛の身を置く《十字背負う者達の結社》は、一般人の目から見れば犯罪以外の何物でもない行為を繰り返しているのだろう。否、事実組織の一員である遊夛でさえもそう思っていた。

 「世界の救済」など本気で考えているのなら、馬鹿げているとしか言いようがない。もちろん、権力者にも宗教界にも通じる太いパイプがある。豊富な資金源、情報収集能力、そして尋常ではない構成人数と一端の兵力も持っている。だが、世界を制服するにせよ救うにせよ――あるいは滅ぼすにせよ――彼の属する組織が、そのような大それたことをやってのけるに力不足であることは否めなかった。

 ゆえに自分は信心深い狂人どもの虚誕妄説に付き合ってやっているだけに過ぎない――それが遊夛の《十字背負う者達の結社》におけるスタンスだった。

「……しかし、マークされているだろうとは覚悟していたが、まさかこれほど早い段階で警察に入国を知られるとは思わなかった。手回しした業者から足が付いたか?」

 遊夛が驚いたように青い目をぱちくりさせた。

「ま、タレコミっちゃぁタレコミだな」

 情報収集が趣味の、心強い味方が居んのさ――と茶髪の日本刀男が言った。拳銃眼鏡の方はそれを聞いて少しバツの悪そうな顔をしていた。

「しかしまあ、お前のその格好、随分と見つけやすかったぜ。一体何のつもりか知らんがな。新手のサンタクロースかなんかか?」

 刀使いの男が言う通り、彼のファッションはこの国において――いや、おそらくはどこにおいても非常に派手で人目を惹くものだったろう。

 やや不健康そうに見えるが金髪碧眼の整った顔立ち、そして神父や牧師がよく着ている黒い詰襟の礼服――ローマン・カラーというのか――その上から、この上なく目立つ真紅のロングコートを羽織っている。

 首からは僧衣の装着具のひとつ、「ストール」と呼ばれる長い帯が掛けられ、彼が聖職者であることをこれ見よがしに主張。

 極めつけに、真っ赤なコートの背中には大きく染め抜かれた十字架模様と古代聖典文字が刻まれていた。異質――――。

「この出で立ちは我ら『十二使徒』のうち、筆頭戦士にのみ与えられる戦闘装束――『聖骸外套』と呼ばれる、またとない貴重な一品物。

 現存する聖遺物、それも法皇庁より認可を受けた原物オリジナルのひとつ、『聖骸布』の一部を拝借し、ほぐしてから特殊な防弾繊維と一緒に編み込んである。紅の染料として使われているのは辰砂しんしゃ――古来より魔術的価値においては〝血〟と〝生命力〟の代用品とされてきた。大陸道教では〝竜血〟と呼ばれ不死の仙丹にもなり、西洋錬金術では〝賢者の石〟の材料ともされる。オカルトマニアなら垂涎、さぞや信心深い者にとっては、この上ない加護となるだろうな。生憎無信仰な自分にとっては、普段はただの便利な赤い布に過ぎないが――」

 そう言って、彼は自らの纏う派手なコートを見遣ってから、

「――しかし、それなりに気に入ってはいる」と最後に付け足した。

 実際、その『聖骸外套』には、遊夛自身の異能とは別に、教団のとある能力者が〈付与エンチャント〉した、常人には思いも及ばぬ異能――否、〝神秘〟が秘められてもいた。

 《十字背負う者達の結社》には、『十二使徒』と呼ばれる少数精鋭の戦闘部隊が存在し、遊夛の他にも、〝神秘〟の封じられた『神聖武具』を託された使徒が、幾人か存在する。特に遊夛は、その集団の中でもリーダーのような役割を担っていた。自己顕示欲の強いこの男は、教団共通の祭服とは違いただ一人だけに授けられるそのコスチュームを、己の力の象徴であるかのように常に着用し周囲を威嚇していたのだ。

「十二使徒……な。確かあんたらのテロ組織は、クルス教の思想に基づいた過激派集団……だったか」

「神の御名も崇高な思想も関係ありませんよ、王先輩。法の前に於いて、犯罪は遍く犯罪でしかありえません」

 ワンと呼ばれた茶髪の刀使いは、「分かってるよカイン」と、真面目な顔と口調でつぶやいた。

 ややこしい事は関係ない。要するに犯罪者と警察官――相容れぬ者たちが並び立っただけなのである。ならば、今から起きる事はただ一つ――。


 カインと王の足が、力強く地を蹴った。武装した二人の特殊刑事は、丸腰の遊夛に目がけて襲いかかる。


 遊夛は焦ることなく、ただ両手を――二人に向けてかざした。


 次の瞬間――いや、時間が経ったのかどうかも分からない。勢いよく飛び掛かったはずの二人は、元居た場所――先ほど踏み出した位置に戻っていた。

 もちろん彼らの意思で後退したのではない――何らかの力によって退のだ。


「「――!?」」


 彼らが驚くのも無理はない。カイン、王の両名とも、起こったはずの「後退」、それに伴う「移動」を、知覚することさえできなかったのだ。

 遊夛がその一瞬の隙に、素早く動いた。赤コートがばっと開き、その下に隠されていた両脇のショルダーホルスターから、オートマチックピストルを引き抜いた。

 二挺拳銃――。

 カインと王が、飛び退きながら左右に分かれた。

 遊夛が両手に持った銃は、まるでそれぞれが個別の意思を持つ二匹の蛇のように、正確にカインと王の動きを捉える。

 速射。速射速射速射。

 瞬きすら許さぬ刹那の間に無数の弾丸が発射されるが、それらが標的を貫くことはできなかった。二人の特殊刑事は常人離れした身のこなしで銃弾を躱し、また、手に持つ武器で防御する。

 複雑に動く遊夛の両手は、複雑に動き回る二匹の獲物を追う。

 避け、走り、転がるカイン。

 身を躱しつつ、刀で銃弾を防御する王。

 血濡れた法衣の神父が傲慢な笑みを浮かべる。双頭の銃口から砲火とともに命を砕くくろがねつぶてが吐き出される。はじかれ落ちる薬莢が、主人の足元で跳ねて踊る。

 彼が左右の手に従えるのは、二挺一対の愛銃――鈍い銀白色のσέκελ.ⅩⅩⅩシェケル・トリアコンタと、赤銅色のκρέμασμα υποκριτέςクレイマズマ・ヒポクリテス。くすんだ金属質の銃身側面に、ギリシア文字で銘が刻まれている。意匠として、シェケルには「銀貨」、そしてクレイマズマには「くびり縄」が、グリップを装飾するメダリオンにそれぞれ彫り込まれていた。

 また、この二挺は見た目だけではなく、使用する弾薬の種類も双方異なっている。

 左手に握るシェケルの白銀弾には初速の速い小口径強装弾に高硬度・高比重な希少金属を使用し、弾殻を硬く、弾芯は重く調整――対物貫通力と射撃精度の安定性を重視している。薬莢の直径も小ぶりなため拳銃ハンドガンにしては装弾数も多く、複列式ダブルカラムマガジンに三十発。

 それに対し右のクレイマズマの赤銅弾は、展延性に優れた柔らかい重金属を.357マグナムサイズに加工し、ストッピングパワーを確保しつつ砲身内のライフリング負担を軽減――対人破壊力と連続速射性能を向上させている。こちらは縦長のシングルカラムに十三発が装填可能だ。

 遊夛はそれぞれが違った役割を持つ弾丸を、それぞれの最適な場所に撃ち分け、刑事達を執拗に追い立てる。

 それはまるで『聖典』に記された天変地異――凍てつくひょうと、焼き溶かす硫黄の雨。

 もちろんカイン達も防戦一方、という訳ではない。遊夛の連続射撃を切り抜けながら接近する王に対し、カインは遠くから援護射撃を。

 遊夛はカインの射撃をその場から動かず、目測と上体の動きだけで奇麗に回避。緩急自在の残像を残すスウェーとウィービングが駆使され、超人的反応速度で複数の弾丸を完全に見切り躱す。しかし、その回避動作の間にも王が、刀剣の間合いにまで肉迫することに成功していた。

った……!!」

 振り下ろされた刃が、まさに遊夛の脳天をかち割ろうとしたその刹那――遊夛は銃を持ったまま右手の人差し指をぴんと立てて、先ほどと同じくその手を相手に向けてかざした。

 ――起こったはずの出来事は、起こらなかった事になる。

 唐竹に切り落としたはずの刀が、上段の構えのまま王の頭上に待機していた――。

「(バカな――!!)」

 いや、オレは確かに斬った、斬ろうとしたはずだ――王は混乱した。まるで幻でも見せられたかのようだ。頭の混乱は、躰の寸毫の静止に直結した。その一瞬の硬直は、異能者との戦闘では命取りとなる。

 遊夛の放った銃撃が、王の脇腹を貫通した。

「おぐぁ……っ!!」

 だが、王も伊達に場数を踏んではいない――身をよじり、ギリギリで急所を外している。撃ち込まれたのが左手のシェケル・トリアコンタ――つまり白銀弾のほうで、貫通力の高い被覆鋼弾が、かち当たった肋骨に沿って内臓を迂回してくれたのも幸運だった。

 しかしながら、敵も当然、追撃の手は緩めない。防御の疎かになった側頭部を、高射砲のようなハイキックで強打してきた。

 もろに喰らい、地べたに刈り倒される王。それをひょいと跨いで、遊夛は獲物を見定めた猛獣のようにカインの方へと駆け出した。遠距離攻撃担当のカインから先に始末するつもりだ。

「ハァーーッハヒャアアァアア!!」

 甲高い笑い声。

 カインの撃った弾を躱しながら、斗折蛇行で接近する。動きが速すぎて碌に照準を合わせる事が出来ない。

 ――遊夛が跳んだ。空中で身を捻りながら繰り出される足技。

カインは躰を沈めて、蹴りが頭上を通過していくのをやり過ごす。同時に慣れた手つきでスピードローダーを取り出し、弾切れになったリボルバーの再装填を済ませた。

 空中で足を振り抜き回転するその動きにまぎれて、遊夛の銃口がカインの方に向き直る。そこから至近距離で発射された弾丸を、カインは右手に持ったリボルバーの銃身で払いのけ、それに続いて反撃の左裏拳を振り上げた。遊夛はこの反撃を肘でブロックし、宙で転身しながら、カインの側面に回り込むように着地する。相手の動きに反応して、即座に振り返るカイン。

 次の瞬間――両者の拳足、銃身、そして弾丸どうしがぶつかり合う。

 一瞬の攻防――蹴りや拳打は互いに骨の軋む音を立てながら交わり、拳銃のバレルや弾丸は火花を散らしながら衝突した。

 そこで執り行われる、十数回もの瞬撃の応酬。

 交差する互いの射撃線を避け、逸らし、外し、接射のタイミングを奪い合い、隙あらば拳足が差し込まれる。

 遊夛のオートマチックのロングバレルが、剣道の打ち落としのようにカインのリボルバーを下方へ打ち払った。逸れた銃口からの弾丸が、二人の足元にはじける。銃撃を無効化されたカインだが、その打ち払われた銃身の遠心力を利用し回転弾倉シリンダーをスイングアウト、無駄を排除した動作で排莢とリロードを行う。

 拳銃を持った腕を引き戻して、遊夛の心臓に狙いを付けようとしたが、遊夛はカインの内肘を膝蹴ひざげりでストッピングした。その足で、そのまま体勢を崩したカインの股関節に足を掛け、もう一方の足で肩を踏みつけるように蹴り込み、跳び上がる。

 反動を利用してのバック宙、ひらりと宙を舞う赤いコート――そこにブラインドされた銃口から、不意を衝いて複数の弾丸が飛び出してきた。カインは慌てることなく、それらの奇襲を精密射撃で迎え撃った。目には目を、弾には弾を――だ。二人の放った弾丸はピンポイントにぶつかり合い、相殺される。

 相手が離れたのを見計らって、カインは再びスピードローダーでの弾丸装填を行う。熟達のディーラーがカードを切って配るかのように、速く、精確に。ローダーに円形状に配置された弾丸6つが、一気に素早く弾倉へと送り込まれる。乱闘時、弾数の少ないリボルバーでは、如何にスピーディーにリロードをこなすことができるかが、死線と命運を分ける。

 リロードの完了と同時に、遊夛がちょうど、十メートル程離れて自分を挟む王とカインの中間辺りに降り立った。射撃体勢を整えたカイン、そして蹴りのダメージから立ち上がった王が、着地の瞬間を狙って挟み撃ちを仕掛けた。カインは銃撃を、王は「ヒョウ」と呼ばれる飛び道具を。

 鏢とは――クナイにも似た、大陸で使われる手裏剣型の投擲武器。王の使うそれは本来「縄鏢じょうひょう」と呼ばれるもので、ひもを通して使用するための穴が開いているのだが、彼の場合はそのようには使用せず、基本的に投げっぱなしの使い捨てであった。

 ロングコートの下の、胴に巻かれたベルトから鏢を数枚取り出し、それらを一斉に投げつける。全く同じタイミングでカインの拳銃も火を吹いた。着地直後の姿勢制御で相手は大きく身動きがとれない。完全に虚を突いた―――はずだった。

 王は己の手から鏢が離れていったのを確実に目視したし、カインの指にはちゃんと引き金を引いた感触が残っていた。もちろん、銃声もその耳でしっかりと聴いている。

 ――それなのに。


 鏢は指の間に挟むよう握られたままそこにあり――

 リボルバーの回転弾倉には撃ち出されたはずの弾丸が何食わぬ顔で居座っていた――。


「なっ、またっ――!?」

「どうなってやがるんだ!」

 王とカインはまるで狐にでも化かされたかのような、奇妙な感覚に陥った。

 驚愕する二人の間には、十字架のように両の腕を大きく開いた遊夛が、先ほどと同じように、相手に向かって手をかざして立っていた。

 すっかり術中に嵌っている観客を嘲るかのように、マジシャンはほくそ笑む。

「どうだ、不可思議だろう? ――この場においての拒否権・決定権は全て我が手に握られている。 お前達は幾度でも、好きなだけ、何なりと行動を起こすがいい。その度に私はそれを打ち消してみせよう」

 もし彼の言う事が本当なら、その力はこの上ない脅威だ――。

 だが、芝居がかった口調の遊夛に対し、カインと王は努めて冷静だった。彼らにとって「異能者と戦う」ということは、ほぼ毎回、不条理を強いられるのが大前提の決まり事だったからだ。 

「そうかい! じゃあ、何度無かった事にされようとも、こっちはあきらめずに突っ込むまでだ。刃がお前に届くまでな!!」

「同感ッ……!!」

 王とカインが走り出した。

 遊夛は駆け寄る二人の間に挟まれる格好になる。二挺の拳銃の残弾はゼロだ。それぞれボタン式のマガジンキャッチを押し込み、空になったマガジンを排出。開いたロングコートの前裾を後ろ手に払い上げ、腰のベルト両側に装着されている装置が露わになる。

 どうやらその長方形の物体――銃のマガジンをそのまま大きくしたようなデザインの装置――は幾つものマガジンが収納されておりそれを送り出す、いわば「弾倉の弾倉」とでも言うべきギミックのようだ。これなら弾切れの際、両手のふさがっている二挺拳銃でも問題なくリロードが可能だ。遊夛はそのギミックを用いて、素早くマガジンの交換を行った。

 しかし、いくら手早く済ませられると言っても、そのリロードが戦闘中のタイムロスになることに違いはない。その隙を衝き、カインは銃を撃ちながら、王は刀を振りかざしながら急接近してくる。

 弾倉の交換を済ませた遊夛は、カインの銃弾に手をかざし、それが発射された事実を。そしてぴんと立てた人差し指を再び銃のトリガーに掛け、今度は自分の銃でカインに銃撃を与える。カインは前転してその銃弾を躱し、敵との距離をさらに縮めた。

 そこへ背後からも王が斬りかかってくるが、遊夛はただ振り返って手を突き出すだけでよかった――そうするだけで因果律は逆転し、刀を振るうことはあっさりと〈キャンセル〉された。

 アクションを起こしたはずの時間――それは行動が取り下げられることで、そこに空白の時間を生ずる。遊夛はその空白を自分のものにすることで、闘いを有利に進めるのだ。

 瞬間、後ろ廻し蹴りが遠心力たっぷりに王の脇腹に叩き込まれた。先ほど銃弾が貫通した箇所だ。吐血。そしてあばら骨がめきめきと音を立てる。

「先輩……!」カインが敵弾を躱した前転の勢いで滑り込みながら、インロー(下段の内股側)への地を這うような開脚で足払いを掛けてくる。

 遊夛はタンッ! と横に飛んで逃れ、そのまま軽やかに壁を蹴ってさらに高く跳び上がった。刑事二人の頭上を月面宙返りで飛び越しながら、上空より弾丸の雨を浴びせてくる――!

「っ……!!」

 カインは慌てて横に転がって回避し、王は頭上で刀を素早く取り回し、弾雨を防いだ。それでも、二人は躰のうち幾つかの部位に銃創を負ってしまう。急所に弾を受ける事は免れたものの、鉛玉は容赦なく彼らの肉をこそぎ取っていく。

 真紅の外法衣をふわりと逆立たせ、神父は二人の刑事から離れた場所に降り立った。

「諦めるんだな――何の力も持たぬ凡愚どもが。私の行う〝秘蹟〟は因果律に干渉し事象を捻じ曲げる。

 神のごとき絶対の拒否権、私の授かったこの超常の力――“The Permissionザ・パーミッション”――そこに隙など、一分も存在せん!!」

 傷だらけの特警刑事二人組に対し、無傷の神父は余裕たっぷりにそう言った。

「くそっ……! あの野郎、何をやっても強制的に取り下げてきやがる!! タチの悪い上司に仕事こき下ろされてる気分だぜ」

 王が忌々しそうな顔で毒づいた。

「確かに、非常にやりづらい能力ではありますね――」

 カインは必死に考えを巡らせる。今まで起こった事、そして敵の能力の特徴を頭の中で整理する――。その間も遊夛は、猫が弱った鼠を弄ぶかの如く、満身創痍な二人の躰を眺めていた。まるで舐め回すかのような視線だ。

 ――遊夛は戦闘を楽しんでいた。彼にとって戦いの場とは、己の戦闘能力と異能が遺憾なく発揮される場であり、そして自分以外の弱者をいたぶることのできる又とないチャンスでもあったからだ。

 しかし、その自信が主に、彼が「未だ自分よりも強い者に会ったことがない」という事実に起因したものでもあったのも確かだった。――つまるところ、彼は過信していたのだ。己の腕を、そして能力を――。

「――さあ、ひれ伏せ!! 跪いてこうべを垂れろ!! これより先、行う全ての行動に私の許可を求めるがいい!!!」

 紅い神父は愉快そうに二挺銃を構えた。完全にハイになっている。

「あんなこと言ってやがるぜ、カイン。さあどうするか――あんな能力相手じゃ二人掛かりでも分が悪い」

「そうでもないですよ、先輩。あれは(まぁ、実際上機嫌なのもあるかもあるかもしれないけど……)俺達に『何をやっても無駄だ』と思わせたいだけのハッタリではないでしょうか。奴の能力 “The Permission” にはいくつかの条件、そしてデメリットが存在します。その間隙を衝けば、あるいは――」

 カインが言い終わらぬうちに、敵の邪魔立てが入った。遊夛の狂気を纏った弾丸の嵐が二人を襲う。

「ハハハハハ! そら、足を止めるな! お喋りしている時間なんてあるのか!?」

「……んの野郎ッ! 話す暇もくれてやらんってかぁ?」

 次々に躰のすぐそこをかすめていく弾道を搔い潜りながら、カインと王はゴミ捨て場に置かれた鉄製の大きなダストボックスの陰に避難する。

「で、一体なんだ? そのデメリットってのは……」

 分厚い鉄の箱によって銃弾が遮られる音が、ガキンガキンとやかましい。響く金属音の連続に声を掻き消されそうになりながらも、二人は会話を続ける。

「まずあの能力の恐るべき点は、シングルアクションだけで一つの事象を打ち消せてしまうということ。……この、『一つ』というのが異能攻略の基点です。どうもあの能力は、複数の現象が同時に起こった場合、それら全てに対応することはできないようです――」

 これは確かに、カインが「接近」しながら同時に「射撃」を行った時などに、遊夛のパーミッションがそのどちらか一方の動きに対してしか働かなかった事からも推測できる。

「つまり一回の能力発動じゃあ、一つの物事に対してしかカウンター出来ないってわけだな」

「そうです。奴の使い方なら、『行動に対してのカウンター』というよりは『脅威に対するプロテクト機能』と言い換えても正しいかもしれませんが。……そしてもう一つ、重要なのは能力の発動条件――」

 話している間にも先ほどから止む気配のなかった遊夛の連続射撃が小休止し――おそらくは弾切れか――そのタイミングを見計らってカインが鉄箱から身を乗り出して銃撃戦に応戦する。

「条件……ああ、『手』か……!!」王も考えながらその事に気が付いたようだ。カインが頷き、再び頭を引っ込めた。リロードと並行して説明を進める。

「ええ。遊夛が能力を使う時、必ず対象に向けて手をかざしています。だからか、格闘の真っ最中などは、防御的に能力を発動することはあっても、攻撃と同時に〈打ち消し〉を使うような事はありませんでした」

「能力を使用中の場合、ヤツの手はふさがってしまい、徒手による攻撃も銃による攻撃も使えなくなるから――か。これは大きいな」

「ええ。単純に格好を付けるためにやっているのだとしたら話は別ですが、流石に実力の拮抗した相手、しかも二対一の戦闘中にそんな伊達や酔狂はやらないでしょう。奴が能力を行使するには、〝手をかざす〟というワンアクションが必要なはずです……」

 一回の使用につき対象に取れる事象は一つ。そして要求されるのはワンアクションに対してのワンアクション。非常に分かりやすいトレードだ。

「言えてるな。つまり例え両手を使ったとしても、奴が同時に打ち消せるのは多くて2回――!!」

「そういうことです。あと、これは恐らく推測に過ぎませんが……遊夛が強制的に〈キャンセル〉できる事象は、自分自身がしっかりと認識できていて尚且つ〝今まさに起こっている事〟に限定されているはずです。そうでなかったら遊夛は今頃、無意識下の出来事や、数秒前、数分前にまで遡って僕達に有利になる事実を打ち消しているはずですから――」

「オートではなくマニュアル、それも現在進行形のアクションにしか対応できない、即興のインタラプト(割り込み・妨害)機能ってワケか……」

 ――今カイン達が言っていたことは、概ね事実であった。そして遊夛自身も、自分の能力 “The Permission” が万能ではないことは重々理解していた。だからこそハッタリをかまし、威嚇し、尊大な態度をとって――ありとあらゆる手段で相手を委縮させようとする。戦闘において彼の能力はせいぜいカインの言ったような「発動条件付きの絶対防御マニュアル・プロテクト」、もしくはちょっとした「後出し先入れ」を実現できる便利なツール程度でしかない。その事が分かっていながら自身の敗北など毛ほども考えていなかった遊夛は、やはり増上慢に陥っていたと言わざるを得ないだろう。

「さぁ、ほら! そんな所にコソコソ隠れていないで、さっさと出てきたらどうだ!? 黙示録アポカリプスによると臆病者ドエグには炎と硫黄の池で与えられる〝第二の死〟が用意されているそうだぞ!!」

「ったく、うるせえ野郎だな……!!」

 王が勢いよくダストボックスの上に飛び乗って、遊夛の視界に躍り出た。だが、決して相手の挑発に乗ったわけではない。――遊夛が幻想の勝利に酔いしれている間、二人の刑事はすでに敵の異能への対抗策を編み出していた。

「馬鹿め! そんな所に居てはいいまとだぞ!!」遊夛が王の姿を捉えた瞬間、大きく突き出された二挺拳銃が連射される。闇を裂き、交互に銃口から発せられるマズルフラッシュ。

「祈るがいい――もっとも、貴様等が祈るための神を持っていればの話だがなぁ!!」

 人を殺す道具を駆りながら、遊夛はおおよそ聖職者には相応しくない言葉を吐いている。

 王は弾から逃れるため飛び上がり、そのまま垂直の壁を数歩駆け上がる――飛檐ヒタン走壁ソウヘキだ。大陸の拳法の中でも「軽功」などと呼ばれる、特に飛んだり跳ねたり、速く走ったりすることを鍛える修行、もしくはそれによって身に付けた技に分類される。

 王の駆け上がった壁面――それは三階建ての小さなビルディングだった。二階の中ほどの高さに取り付けられたエアコン室外機の上に飛び乗り、それを蹴って再び跳躍する。遊夛の銃口も正確にその動きを捕捉するが、王の動きが思ったより速かった。ターゲットを射抜くことのできなかった弾丸は、その影を追うようにビル壁面に弾痕を残していく。

「ニンジャかあいつは?」遊夛がチッと舌打ちをする。

 王がビルの屋上に着地すると、今度はカインが、鉄箱の蔭から転がるように飛び出した。遊夛は一方の銃を建物の上の王に向け、もう一方でカインに狙いを定める。十メートル程の距離を置いて激しく撃ち合う二人。王は屋上から「鏢」を投擲しカインを援護する。敵に手をかざす暇――その異能を行使する時間を与えないよう、絶え間ない猛攻を仕掛ける。

 遊夛は奇麗に躰を捌いて、飛んでくる刃物と鉛玉を躱していくが、段々と回避が間に合わなくなってくる。肩と首筋、右足、ほか数箇所に切り傷やかすり傷を負わされた。それでも、刑事二人に比べると、ダメージなどほぼ無いにも等しかったのだが――。

 上手いこと避けやがるな――と王は感心する。彼の手裏剣ヒョウもそろそろ店じまいだ。

 いよいよ王の飛び道具も底を尽き、鏢による援護が途切れた瞬間、カインは叫んだ。

「先輩――!!」

「応!!」

 後輩の発した合図に合わせて、先輩刑事は目をつぶり、刀を構えて精神統一を始めた。

「なん――だ?」だが遊夛にはそれを不審に思う暇も与えられなかった。

 カインが全速力で間合いを詰める。遊夛は銃撃でその進行を阻止しようとした。顔面に向かって撃ち込まれた赤銅のホローポイント弾に対し、カインは着弾点に銃身バレルを置いて、弾き流した。走りは緩めない。そのまま二人の有効殺傷範囲キル・ゾーンが、肉迫した。

 銃を持った右手で、鞭をしならせるようなブーメランフックを繰り出すカイン。敵はそれを左の手首あたりで受け止め、右ストレートを真っ直ぐ打ち出すように赤銅銃クレイマズマを突き出した。カインが左手で押し逸らす。顔面の真横で銃声が響いた。きぃんと耳鳴り。もう少しで眉間に風穴が開くところだった――。額に冷や汗が浮かぶ。

 敵の攻撃をいなしたカインは、間髪入れずに顔面への右エルボー、そして脇腹への左掌底で反撃する。その両方を受けと払いで捌いた遊夛は、防御と連動した流れるような動きで両腕を突き出した。それは空手でいうところの〝廻し受け〟から、〝双掌打〟に繋げるような動きだったが、何よりの違いと言えば、その手には素手より格段に攻撃力の高いオートマチックの大型拳銃が握られていたことだろう――。

 遊夛がカインの心臓と胴体に銃口を押し付け、発砲するや否やのその瞬間。カインは自分の両腕を下から跳ね上げて、敵の両腕を弾き飛ばした。左右へ押しやられた白銀赤銅の銃身がそれぞれに火を吹き、カインの二の腕と頬を掠める。

 危機一髪だったが、同時に反撃のチャンスも到来する。今の遊夛は防御不可能――まるで城門が開かれたかのように無防備な状態だ。ガラ空きの正中線。そこへカインの強烈な頭突きが叩き付けられた。ちょうど胸板のど真ん中、「肋骨頭」の集中する「胸骨」がある部位だ。人体急所で言えば〝壇中〟もしくは〝胸尖〟と呼ばれる位置――そのどちらかには当たったはずだ。恐らくは胸骨にヒビが入る程度の打撃は与えただろう。

 喀血しながら後ろによろける遊夛。カインはこの機を逃すかとばかりに、思いきり勢いを乗せたハイキックをお見舞いした。

 ――“The Permission”の発動を……いや、無理だ。手を相手の足に向けている暇などない。

 遊夛はそう思い、両腕を持ち上げて背腕部でガードするのが精一杯だった。

「(バカな――くそ、こんな雑把な攻撃……しかも、この私が、こんなやつに……!!)」

 ただでさえよろけてバランスを失っていた手前、さらに肉体的・精神的ダメージからも立ち直れていなかった遊夛は、蹴りの勢いを殺しきれずに後方に吹っ飛ばされ、壁に背中を打ちつけた。

 リボルバーが弾切れだったため、カインは銃による追撃ができなかった。そのまま後を追って遊夛に迫り、相手の左腕を取って素早くアームロックを決め、壁に押し付ける。

「今です――!!」カインが真上を向いて、ビルの上の王に再びの合図を送る。

 ――そう、遊夛がカインに押さえつけられたその壁面は、王が駆け上がったあのビルの壁だった。

 かっと目を見開いた王は、精神統一によって研ぎ澄まされた気合いを刀に乗せ、それを振り抜いた。ちょうど屋上のへりの付近に立っていた王は、自分の足下のコンクリートを大きく切り崩したのだ。


 フリーになっている右腕。その手に持った銃で今まさにカインの側頭部を撃ち抜こうとしていた遊夛は、迫り来る気配に気付き、頭上を見上げた。奇麗に斬り抜かれた巨大なコンクリート塊が落ちてくるのを見て、思わず涙目になる。


 ―――駄目だ、あんなものを喰らってしまっては、たとえこの『聖骸外套』の能力があっても助かりはしないだろう。最初から、こんな意味の分からない連中を相手にしなければ良かった。そもそも逃げ出そう思えばそのチャンスはいくらでもあったはずだ。いや、しかし十二使徒筆頭戦士である自分がこんなチンケな島国の刑事相手に後れを取るなど、そんな事はもってのほか、まさに屈辱だ。それに任務遂行の邪魔になりそうな不確定要素は、何が何でも排除しておきたかった。けれども、否、それは一旦体勢を立て直すための戦線離脱。敗北という訳じゃない。そうだ、復讐する機会は任務を終えてからじっくり窺えば良かったじゃないか。否否。今はそんな事を考えている場合じゃない……反省するのは後だ。反省はこいつらを殺したあとですればいい。しかし殺すと言ってもどうやって? ああ、右手が空いてるじゃないか。この手に持ったロングバレルのクレイマズマを、今自分を拘束している小賢しい眼鏡の男のこめかみに突き付け、引き金を引いてやればいい。そうするだけで問題なく殺せる。そうだ、殺してやる。……否否否。何を考えているんだ自分は。そんな事をしていたら、まさに今落ちてくるでっかいコンクリートに押し潰されてぺしゃんこである。というか、こいつらはこの事態をあらかじめ示し合わせていたようだが、このままでは仲間であるこの眼鏡の男も道連れになることは必至。一体何を考えているんだ? 相討ち覚悟か? この国特有の「カミカゼ」とかいうスピリッツか? 否否否否!! だからどうでもいいだろ、そんなことは。というか、死ぬのか自分は? 否! いやだ、死にたくない。否。否否否否否否否否否否否否否否否否否否否否否否否否否否否否否否否否否否否否否否否否否否否否否!!!!


 ――それはおそらく走馬灯にも近い感覚だったのだろう。死の危機に晒された刹那の瞬間、遊夛の脳内には膨大な情報量の思考が駆け巡った。彼は一瞬の逡巡の末、カインの側頭部から銃口を外した。右腕は上に向けられ、落ちてくるコンクリートの塊にかざされた。

 

こんな事は――たとえ神が許したとしても、自分が「許可」しない――!!


 “The Permission”――遊夛に拒絶されたその巨大な落下物は、〝斬り落とされた〟という事実を〈否定〉され、何事もなかったかのように元の場所に納まった。

 これで圧死は免れた――そう思って安心した遊夛の目に飛び込んできたのは、まさに自分目がけて落下してくる王だった。


 ――おいおい、ウソだろ。


 遊夛はさらに涙目になった。

 王は自ら切り抜いたコンクリート塊の上に飛び乗って、一緒になって落下していたのだ。真下からでは完全な死角になって、遊夛はその事に気が付けなかった。

 自分の意識下で認識されている物事でないと、“The Permission”で打ち消すことはできない。そして一度の挙動で打ち消せるのは、一つの行動・事象のみ。現在、もう片方の手はカインによって封じられている――それらの裏を掻かれたのである。

 

 ああ、私は敗北したのだな――。


 まるで他人事のように遊夛がそう思った次の瞬間には、手に持つ銃は蹴り払われ、刀は右腕に突き刺さっていた。手の平から挿入された刃は、そのまま肉を裂き骨を砕きながら突き進み、肩に至るまで貫き通された。上空からの刺突には落下運動の勢いも付加され、凄まじい衝撃と激痛を遊夛にもたらした。それと同時に、カインが極めていた左腕も鈍い音を立てて脱臼する。

 完全なる戦意喪失――。降伏しようにも、上げられる両手がもうない。遊夛はなされるがまま、二人に挟まれて両の腕を取られ、肩関節を極めるように後ろに捻り上げられた。鶏のような悲鳴を上げる。

「た、頼む、殺さないでくれ……!!」両サイドからの関節技サブミッションにより、七面鳥の丸焼きのような姿勢で、不様に地面に押さえつけられる遊夛。

「無条件で降伏する、だから命だけは――」彼はしぼり出すような声で、ようやくそれだけの事を口にすることができた。

 王とカインは、お互い遊夛に脇固めをかけた状態から顔を見合せる。二人とも、同じような呆れ顔だった。

「よくいうぜ。人をこれだけ痛めつけておきながら、無条件降伏たぁ……ふてぇ野郎だ」

「同感ですね。最初から大人しくしていれば、お互い怪我しなくて済んだのに。でもま、俺達は殺し屋じゃありませんからね――警察です」

「ん、そういうことだな――」

 

 がちゃり。

 ――遊夛の手に、がっしりと重い手錠が掛けられる。その確かな音とともに活劇は終わりを告げ、大捕り物は終了した――。





【12月21日(昼)】


 翌日、神父遊夛は特警本庁取調室とりしらべしつの硬い椅子の上に座らされていた。目の前には無機質な取り調べ机。昨晩の戦闘で彼を逮捕した刑事二人組の片割れ――王少天ワン・シャオティエンと向かい合って尋問を受けている。

 その様子を少し離れた場所に置かれた椅子に腰掛けて見ているのは、「女傑」と恐れられる女性隊員――炎上寺えんじょうじアキラだ。

 本来、王の相棒であるのはカインだが、彼は現在、遊夛の起こそうとした事件に係わる用件で外出している。それどころか、今は他の特警隊員達も別件の出動に軒並み駆り出されているため、署内の詰め所はほとんど伽藍堂がらんどうに近くなっていた。残されている者と言えば、この場にいる王とアキラを除けば事務処理、武具兵器の管理、救護班を担当するような非戦闘員ばかりだ。

 彼らが所属している組織は『特殊警察・対異能者用出動部隊』通称『特警』と呼ばれており、一般的に知られる警察機構(区別を付けるため「普通警察」、または「普警」と呼ばれている)とは大きく違った体制を持っている――。

 異能者による犯罪に対抗するため造られたこの機関には、極めて高い身体能力や特殊技能を持つ者達で構成された、非公開の実動部隊が内包されていた。カイン、王、そしてアキラも、その実動部隊の主力メンバーである。

 戦闘を一番の得意とする彼らではあったが、もちろん通常の警察機構と同じような捜査業務を行うこともあった。今の王とアキラなどまさに、先日逮捕した異能犯罪者の取り調べの真っ最中だった。


 ――《十字背負う者達の結社》については、当然のように特警の誰もがその来訪に歓迎の意を示さなかった。

『まったく、ただでさえ〝喰い荒し〟や〝散らかし屋〟のせいで忙しいというのに、とんでもない時期に来てくれたものだ――』ここのところ人員不足のため自ら調査や追跡に奔走している芒山隊長も、そうぼやいていた。

 “喰い荒し”に“散らかし屋”というのは、最近この界隈で起こっている連続猟奇殺人事件の犯人に付けられた呼び名、謂わばコードネームのようなものだった。確定はしていないが異能者による犯行である可能性が非常に高いため、特警・普警一丸となった捜査体勢が敷かれている。

 彼らはその名が示す通り、どちらも現場を犯罪者で、その凄惨な現場状況は「ベテランの刑事でさえ二日は飯が喉を通らない」などと言われている程だった。当然、吐きグセのあるカインは「これ以上現場を汚されてはたまらない」と、それらの事件現場には入れてもらえなかった。

 こういった捜査活動や、異能者との戦闘に対する備え、さらに隊長は「部長」とともに特警本部での定例会議にまで出席しなくてはならない。忙殺とはまさにこのことだな――と、署内の誰もが思っていた時期だったのだ。

 

「しかしなんだな……お前ぐらい取り調べ甲斐のない犯罪者は初めてだよ」

 王が半ば呆れた顔で、目の前の神父を睨みつけた。

 ま、別にこっちは楽でいいんだけどな――そう言って溜め息をつく。アキラなどに至っては、嫌悪感丸出しといった具合に顔をしかめていた。

 というのも、遊夛が先ほどから何の抵抗もなく、組織の機密事項から主要幹部の構成に至るまで、聞かれてもいないことまでベラベラと喋っていたからだ。そういった手合いは普通、常にびくびくおどおどとしているものだが、遊夛は違った。その顔には始終軽薄な笑みさえ浮かんでいた。

「私はこの通り、最悪の裏切り者の名を冠しているからな。自他共に認める、神を持たぬ矮小なる俗物だ――。今さらこの程度の背信行為、どうということもあるまい」

 自分が捕まったのが、公的機関の、それも比較的まともな部類だったことが分かり安心したのか、遊夛の言葉からはいくらか余裕さえ感じられる。

「この国のような民主主義国では警察機構による拷問行為は法令で禁止されているはずだ……たとえそれが捜査の為でもあってもな。だが、それでもお前達のような〝裏の警察〟は何をしてくるか分からん。そんな物騒な連中相手に隠し事をするほど馬鹿でもないさ」

「……てめえらみたいなカルト宗教じみたテロ集団にだけは言われたかねえけどな」

 皮肉で返した王だが、はたして、遊夛をどう扱ったものか――と、内心困惑する。どうやらこの男は、敗北し捕らえられてしまったことに対する引け目も、組織を裏切ったことに対する罪悪感も、全く感じてはいないらしい。

「何でこんな野郎が狂信者だらけのカルト教団内で地位を与えられてたんだか……」

「上には上なりの考えもあるだろうさ。私のような俗物のほうが飼い慣らしやすい、いざとなればすぐ切ってしまえばいいと、タカをくくっているんだろう。今のうちはせいぜい、心の清い『狂信者』達には任せられないようなを遂行させるかわりに、口封じのためそこそこの地位と利権のおこぼれでも与えて黙らせておこう――権益重視派の幹部連中は、おそらくその程度の腹積もりだ」

 遊夛は若干自嘲気味に続ける。

「また、組織に汚れ役が必要なのも事実。目立つ地位に自分のような不届き者を据えておけば、ヘイトコントロールのための分かりやすい虫寄せ灯ケミカルランプにもなる。そういう思惑もあったのだろうな」

 遊夛はあのような教団でも己のような存在が必要とされていることを、きちんと理解していた。ならば、演じてやろう。せいぜい自分を利用している気にでもなっていればいい。利用してやるのはこちらのほうだ。

 そう思っていた――。こんな状況に、なるまでは。

 今や第一級の犯罪者であるその神父は、能力を使えないよう上半身を拘束着とベルトで文字通り雁字搦めにされ、足首には頑丈な鉄製の足枷まではめられている。依然「容疑者」ではあるものの、まるで囚人さながらの扱いだった。彼は拘束着に隠された、自分の手があるだろうと思われる位置に目を落とした。

「しかし……拷問を受ける可能性は心配はしていたが、まさか逆に怪我を治される心配まではしていなかったぞ」と、嫌味っぽく慢ずる。「あの右腕の怪我……――いや、あれはむしろ『損壊』と言った方が正しいくらいだ――仮に迅速な治療を受けたとしても、もう以前のようには動かせんだろうと諦めていたからな」

「関係ねえだろ。どうせ一生てめえの拘束着が解かれることはねえんだ。お前ぐらい罪状を連ねてる異能者だったら、まず死ぬまで監獄から出してもらえねえだろうよ」

 王の言う通り、遊夛は今までに組織の手足となって、あまりにも多くの人間を殺し過ぎてきた。その中には爆破テロなどで無関係な人間まで巻き込んだものも少なからずある。さらには異能者ということもあり、ただの刑務所ではない――専門の特殊収容施設での終身刑が免れないであろうことは、確実だった。

 しかし、遊夛はその点はまったく気にしていないという風に受け流した。

「あのヒーリング系の能力者、まったく大したものだよ。普通、あの怪我をここまで後遺症の心配もなく元通りに治すことなど、出来はしない。あれほどの能力、世界中を探してもそうはいないぞ。本来異能者を狩るべきである貴様等が、あんな化け物を飼い殺しているのも納得がいく――」

 アキラがガタッと派手な音を立てて立ち上がった。その顔には、先ほどまでにはなかった怒りの形相が浮かび上がっている。

「姐さん、押さえて」

 今にも遊夛に殴りかかりそうだったアキラを、王が手の平を向けて制した。

 彼女が怒るのも無理はなかった。遊夛の言った「ヒーリング系の能力者」とは、彼ら特警メンバーの仲間である、須山沙帆すやま さほの事を言っていたのだ。署内で最年少にもかかわらず救護班として皆をサポートする沙帆は、他の武骨な隊員達や高齢の職員達にとっては、まさに妹のような、そして娘のような存在でもあった。

 しかも沙帆はメンバー中唯一の異能者であり、「他人の肉体の損壊を〈治癒〉、または〈再生〉する」能力まで持っている。彼女のおかげで瀕死の重傷から復帰することのできた隊員も決して少なくはない。そのせいか、中には神聖視する者まで現れる始末だ。

 特にアキラは、女性隊員の中でも、いや、全ての特警隊員の中でも、殊更ことさら、沙帆を可愛がっていた。それは猫可愛がりと言ってもいい程だ。そして何より、毎回無茶な戦いぶりを見せる彼女が沙帆に命を救ってもらった回数も、一度や二度ではないのだ。

「あんたが、あの子を……化け物だって言うのか? あの子の……沙帆ちゃんの何を知ってるっていうんだよ」

「知らんなぁ。お前こそ、いったい私の何を知っているというんだ? 無論、私は教えたくもないし、知りたくもない。理解も疎通も求めていない。私自身、お前等にとっては『化け物』なんだ。自分のことだけでたくさんだ。私以外の『化け物』が何を考えているかなんて、おぞましいうえに、馬鹿馬鹿しい。気にするだけ無駄無意味だ」

 アキラはギュッと握ったこぶしを震わせていた。遊夛はその様子を眺めながら、さらに神経を逆撫でするような笑みを浮かべた。

「癇に障ったか? だが、我ら異能者が化け物であることには変わりはないだろう。私達をミュータント扱いし、区切りの線を引きたがっているのは、他ならぬお前達〝人間〟なのだから。殴るか? それもいいだろう。お前の目の前に居るのは突然変異の化け物だ。さぁ、これで心おきなく殴れるだろう? 私達のような化け物に人権は無い――」

「あんた、哀れだよ……」

 アキラは首を横に振って、再び椅子に腰を下ろした。その目には少しばかり、憐憫の色も混じっていた。そして何より、ここで殴ってしまっては、遊夛の挑発通り、沙帆も「化け物」であることを認めてしまう事になる。

「ただ、次沙帆ちゃんの事を悪く言ったら――」

「そんときゃ、オレがこいつをぶっ殺してやりますよ」

 悔しそうに遊夛を睨みつけるアキラに代わって、王がドスの利いた声で言った。遊夛がつまらなさそうに「ふん」と息を漏らした。腰抜けの癖に、尊大な態度は相変わらずだ。

「余計な事は喋らず、聞かれた事だけ答えてろ」

 神父は「やれやれ」と言った表情で肩をすくめた。どこまでも人を小馬鹿にしている。だが、それにいちいち突っかかるような王でもない。

「それでだな、あとはその、何だ――『十二使徒』とか言ったか。てめえが筆頭戦士だか何だか張ってるとか言っていた、よく分からん戦闘集団の話だ」

「だから、それについては先程言っただろう。我ら『十二使徒』は、教団信徒の中でも特に資質のある――それも異能を開花させた者達だけ――を集め、一般信徒より更に厳しい訓練を積ませた実戦部隊だ。『使徒』と呼ばれる十三人の特殊工作員で編制され、主にテロや殺人、要人の暗殺誘拐など危険な汚れ仕事を任される。使徒それぞれが分隊から小隊ほどの構成員を引き連れ任務に当たることもある。昔この国の、確かシンセングミとか言うサムライの集団があっただろう? あれの隊長たちを思い浮かべれば分かりやすいか――」

 遊夛は己がリーダーを務める『十二使徒』についての概要を再び説明した。しかし、王の訊きたいことは、そういうことではなかった。

「そんなことを質問してんじゃねえよ。オレが聞きたいのはな、その『十二使徒』の構成メンバーとそれぞれの特徴、使用武器と戦闘スタイル――そして異能者である奴らが各自持っている特殊能力についてだ」

 彼が今言った内容は、特警の刑事としては当然必要な情報だろう。《十字背負う者達の結社》と全面的に対決するならば、一番の強敵となるのはその『十二使徒』の連中だ。彼らに関するデータだけは、少しでも多く入手しておきたい。

 しかし、今まで笑みさえ浮かべていた遊夛の顔は、その質問の途端に一変し、険しい表情になった。滑りよく動いていたその口は、真一文字にきゅっと結ばれる。

「……さあ、知らないな」

 遊夛の口から出てきたのは、ただその一言だけだった。

「なんだと……?」

「我ら使徒は、幼い頃より地獄のような訓練を共にしてきた。謂わば血よりも固い絆で結ばれた、兄弟のようなもの。――だが、個々の異能や戦闘法に関しては仲間にさえ教えることはない。それらは戦いを常とする我らにとって、己を支える拠り所であり、死地から生き延びるための生命線とでもいうべきもの。どのようなルートからでも、それが漏れることは敗北、即ち死に直結する。故に、メンバー全員の能力を知っているのは、私達を育ててくれた使徒統括顧問――師匠せんせいだけだ」

 そう言った遊夛が、一瞬だけ自分の顔から目を逸らしたのを、王は見逃さなかった。

 こいつ、嘘を吐いてやがるな――と、王は確信する。本当は知っているはずだ、と。

「あのなぁ、リーダーが仲間の能力すらも把握できていねえで、一体何をリードするっていうんだよ。もう少しましな嘘を吐いたらどうだ?」

「余計なお世話だ……。私が部隊運用の全権と仲間の命を預けられるほど信用されていないことくらい、見たら解るだろう」

 若干挙動不審ではあるが、その表情の奥には、いままでの軽薄で気取った態度とは一線を画したものがあった。王もその顔を見て、一昼夜ほどの尋問をしたところで、その神父が仲間を売りそうにないことは容易に理解した。

 そもそもこの質問は今回の事件に関して、まだそれほど急を要する類のものではなかったのだ。今までこの国が《十字背負う者達の結社》のテロ事案に晒されたことは一度もないうえ、他の構成員が潜伏しているなどという情報も、現時点では噂の影すら見当たらない。

 もしこの場に副隊長のサカキが居たら、拷問すれすれの尋問方法でこの男の口を割らせることは出来たかもしれないが――。

 今のところ、なるべく無駄な工程は省いておいたほうがいいか――王はそう思った。それよりもまず、第一に聞いておかなければならないことがある。

「なら質問を変えるがな、お前――何しにこの国に来やがった?」

 彼はいよいよ本題を切りだした。

 国際テロ組織《十字背負う者達の結社》。その中でも生粋の武闘派集団である『十二使徒』――そのリーダーがわざわざ海を渡ってやって来たのだ。それも、国際手配されている身であるにもかかわらず。これがただの観光などでありえるはずが無い。

「赤子だよ」

 遊夛は特に何の感慨もなさそうに、そう言った。アキラが訝しそうに遊夛のほうを見た。

「は――? 赤子って何のこと……?」


「〝預言の子ら〟だ――」


 呆気にとられている王とアキラを嘲笑うかのように、背信の使徒の口角がつり上がった――。






(【2】へ続く――)

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