探偵家業

よろしくま・ぺこり

第1話 蘇る二十面相

 小林耕五郎は由緒ある『小林探偵事務所』の三代目所長である。耕五郎の祖父である、芳雄はかの名探偵、白智小五郎に少年の頃から仕え、少年探偵団のリーダーとして活躍した。そのことは某大先生の『少年探偵団シリーズ』で紹介されているので、ご存知の方も多いであろう。成人して『白智探偵事務所』から独立した芳雄は、この『小林探偵事務所』を立ち上げた。当時、白智小五郎はご高齢でもう探偵事務所を閉じていたので、芳雄はその後継探偵として、『小林探偵事務所』で怪奇事件の解決に努めた。その頃東京には“二代目怪人二十面相”という、大怪盗が跳梁跋扈していた。歌舞伎や落語家みたいに怪盗も二代目を襲名するらしい。この怪盗も初代同様、人は傷つけず、貧乏人からは盗まずのポリシーだったので、義賊として、一部では人気があった。しかし、彼は変な性癖の持ち主で、“ライオン男”だの“バルサン星人”など、はっきりと言ってしまえばおバカな扮装をして、人を驚かすのが好きで、芳雄は正直、笑いをこらえるのにとても苦労したという。そんな状況だから芳雄の捜査が二十面相の知略に勝り、いつも実害はなかった。「あれは多分、大金持ちの道楽だったと思う」と今は亡き祖父、芳雄は孫の幼い耕五郎によく言って聞かせたものだ。

 祖父、芳雄が亡くなり、耕五郎の父、恭介が事務所を継ぐと、二代目怪人二十面相も姿を消し、依頼される事件も、人の命を奪う、残酷な事件が多くなった。恭介は「怪人二十面相の時代が懐かしい。今の時代の事件は我々、探偵が捜査するより、警察の科学的捜査の方が正確だ。まあ、それだけに頼るのも問題だが、科学の力には僕の灰色の脳細胞もかなわないよ」と言って早々に引退してしまった。けれど今でも毎日、事務所には来ていて“隅の老人”と化して新聞を読んだり、コーヒーを飲んだりしながら、耕五郎の仕事ぶりを見ている。それはそれで耕五郎にとってはプレッシャーではある。

 耕五郎の名は偉大なる二大名探偵から取られている。白智小五郎先生と信州一耕助先生である。名付けたのは祖父、芳雄である。「白智先生と信州一先生の素晴らしい探偵力を受け継ぎますように」と願われてつけられた名前だったが、残念ながら耕五郎には名探偵になる才能はないように見える。それに時代も変わった。警察庁の高官の弟が日本中をルポライターと称して歩き回ったり、警視庁捜査一課の警部がなぜか日本中の列車を乗り尽くしていたりすれば、事件が起こるかもしれないが、こうして事務所を開いて、顧客を待っているようでは全然、心弾む依頼は来ない。現に東京銀座に構えていた事務所は、賃料が高くて、やっていけず、今はここ横浜市港北区、東急東横線の綱島駅付近に移転せざるをおえなかった。この事務所は、その前の入居者も私立探偵をやっていたと大家が教えてくれた。「だが探偵がストイックすぎて、あまり繁盛はしてなかったなあ」との余計な情報もついでにくれた。

 今、耕助は所員を二人雇って、浮気調査や、迷子のいぬ、ねこの捜索を主にやっている。やっていると言っても実際に働いているのは、二人の所員で、自分は帳簿付けなど事務作業に専念している。大した仕事ではない。仕事を済ませれば、あとは父、恭介の淹れたコーヒーを飲みながら、ミステリーを読んで過ごしていた。そのミステリー好きの趣味が実際の仕事に役立てばいいのだが、現実は甘くない。今は警察も、個人情報保護法などがあって秘密情報の管理が厳格に行われていて、刑事事件に私立探偵が首をつっこむなど不可能だし、だいたい、私立探偵に殺人事件の捜査を依頼する顧客がいない。私立探偵が殺人事件の捜査など出来っこないのである。


 そんなある日、事務所に来客があった。見事な白髪に口髭、今時珍しい片眼鏡をして、ステッキを佩いている。往年の怪人二十面相もかくあらんという、いで立ちである。老人は「恭介くんはおるかな?」と父、恭介を名指しで指名した。耕五郎は少し面白くない。「お父さん、お客様ですよ」というと、所長席に戻り、読んでいたミステリーの続きのページをめくった。恭介は「これは、お珍しい」と隅の席を離れ、応接のソファに老人を案内した。しばし会談する。老人は「銀座の事務所に行ったら何と、弁護士事務所になっておったわ。『過払い金のご相談ですか』などと言われた。冗談じゃないわ。わしは『ここにあった小林探偵事務所に用があって来た。どこに移ったのじゃ?』と聞いたら『知らない』という。わしは法律事務所を出て、近所の花屋に聞いた。そこは古くからある店で、ここのことも知っておった。それでこの場所が分かったのじゃ。由緒ある、『小林探偵事務所』をやすやすと転居させるとは何事かね。恭介くん」老人の声は大きい。多分耳が遠いのだなと思っていると。「申し訳ございません。息子のやつが頼りないせいで」と恭介が言う。耕五郎は本を取り落としそうになった。移転を決めたのは恭介である。「ところで今日のご用はなんですか?」「ああ、実は孫のことで相談があるのじゃが」

「事件ですか?」「まあ、事件といえば事件じゃ」「では、僕は引退した身ですので、息子に話を聞かせましょう。おい耕五郎、ちょっとこちらに来なさい」恭介が呼ぶ。耕五郎は億劫そうに「頼りない息子に何のご用ですか?」と言いながら、応接のソファに近付く。そして着席すると、恭介がお客を紹介した。「こちらがかの有名な、二代目怪人二十面相さんだ」耕五郎はのけぞった。第一印象通りだったからである。それにしても祖父としのぎを削った大怪盗がこの事務所に来るとは。「耕五郎くん、わしが二十面相じゃ。二代目じゃがな。初代はわしの師匠じゃ。まあ、わしが活躍したのは昭和四、五十年代だったからな、君は知るまい」「はい、知りません」「わしの活躍はテレビ番組にもなったぞ。何とか次郎という二枚目がわしの役じゃった。まあ、自慢話はそれくらいにしておこう。君に相談というのはわしの孫のことだ」「お孫さん?」「そうじゃ、わしの可愛い孫が、こともあろうに“怪盗トエンティ・フェース”と名乗って、強盗を始めおったのじゃ」「トエンティ・フェース。二十面相ですね。安直だなあ」耕五郎は声を上げて笑った。「人が真面目に相談しているのに笑う奴があるか」二十面相は怒った。「はい、すみません。で、そのトエンティ・フェースをどうすればいいのですか?」「警察に捕まる前に、捕らえてくれ。わしが説教する」「トエンティ・フェースはどんな事件を起こしているのですか?」「ああ、わしと同じで美術、工芸品を金持ちから盗めばいいのだが、そうじゃない。街金というのか、そういうところから金を強奪している。許せないのは、けが人を多数出していることじゃ。我が家のポリシーに反する」「それはいけませんねえ。ところでお孫さんの顔写真とかありますか?」「あることはある。だが孫は、わしに似て変装の名人でな、素顔をさらすことはまずない。それでもよければ一枚写真を渡そう」「スマホに送っていただけるとありがたいのですが」耕五郎が年寄りと侮って無理難題を押し付けると「君はそうやって年寄りをからかうのが好きなのか。わしにスマホが扱えないと思っているのだろう。あいにくだったな、わしはスマホ名人じゃ」そう言うと、二十面相は耕五郎のメールアドレスを聞き、写真を送ってきた。「失礼しました。ありゃ、これはイケメンですね」耕五郎が言うと「わしに似たのじゃ」二十面相は臆面もなく言った。「他に手がかりはありますか」「そうじゃな、孫は『ニコニコクレジットローン』というところしか襲わない」「大手じゃありませんね」「そうらしいな。わしはよく知らんが」「ネットで調べてみましょう」耕五郎はノートパソコンでニコニコクレジットローンを調べてみた。東京、神奈川に五十三店舗ある。「お孫さんが襲ったのは何店舗ですか?」耕五郎が問う。二十面相は「東京の十一店舗だ」と答え、詳細を教えた。「経堂、白金台、蒲田、恵比寿、八王子、大井町、立川、世田谷、六本木、新宿、狛江だ」「何の法則性もないじゃありませんか!」「そうだの」「これじゃあ、次に襲うのはどこかなんて予想もつきません」耕五郎はさじを投げた。「何じゃ、名探偵の孫がもうギブアップか。調査料として五百万持ってきたが無駄じゃったな」二十面相が呟くと「ご、五百万! やります。必ず解決してみせます。だからお金はおいてってください」耕五郎は自信満々と胸を張った。もちろん虚勢である。お金はいくらあっても足りないことはない。二十面相は「よし、その意気じゃ。良い結果を期待しているぞ」そう言って帰って行った。


 耕五郎は電話を掛けて良雄を呼んだ。場所は綱島神明社である。綱島駅から日吉駅よりに少し歩けばある。ここのきつい階段を上ってくる人は少ない。信心深い老人くらいである。密談には格好の場所だ。耕五郎は先に到着し、神明社に「すみません」と一言謝って、煙草を吸いだした。もちろん携帯用灰皿は持ってきている。そこに「兄貴、遅れて申し訳ないです」と良雄がやって来た。良雄は綱島周辺を根城にするホームレスだ。その前は銀座にいた。耕五郎について回っているのだ。ホームレスというが、着ているものは耕五郎の十倍は良い。外見ではホームレスとはとても思えない。髭もきちんとあたり、髪も短髪で清潔だ。格好だけ見ると耕五郎の方がよっぽどホームレスに見える。FX取引で儲けているとの噂もある。だが耕五郎は聞いたことはない。「ところで兄貴、今回の仕事は?」「怪人トエンティ・フェースってのを知っているか?」「知りません」「ああ、それならそれでいい。じゃあ、ニコニコクレジットローンって知っているか?」「ええ、知っています。悪徳な街金でしょ」「今回の目標はそこだ。ニコニコクレジットローン全五十三店舗のうち、四十二店舗を見張ってもらいたい。だから四十二人、人数を集めて欲しい」「お安い御用で。でもその一人がトイレに行った隙に何事か起こるといけません。ここは倍の八十四人集めましょう」良雄はホームレスの顔役で、何人もの人数を揃えられる。耕五郎と良雄が主従関係のようになっていられるのは、東京大学の学生時代、良雄がパチンコのイカサマ道具を開発して、それを悪用していたのがバレ、ヤクザに殺されそうになったところをたまたま、そこを通りかかった耕五郎が、お得意のパトカーのサイレンの口真似を使い、助けたことにある。大した恩義でもないのに、それ以来、良雄は耕五郎をずっと慕っている。それはともかく、「八十二人か、ちょっと予算が足りないな」「そっちの方は俺に任せてください」良雄が言った。耕五郎は祖父と同じ発音の良雄が率いるホームレス集団を心の中で『中年探偵団』と呼んでいる。もちろんホームレスには二十代も三十代もいるのだが関係ない。白智小五郎先生が『少年探偵団』を率いたように、自分も『中年探偵団』を率いて難事件を解決するのだ。まだそんなこと一回もないけれど。いつかはきっとやってみせる。そんなことを考えていると、良雄が「見張るのはいいですが何か起こった時はどうすればいいんです。怪しい人間を追っかければいいんですか?」「うん、そうだな。追っかけてもらおうか。でも、無理はしないでくれ」「ありがたいお言葉です」「いや、そんなつもりで言ったんじゃない。ニコニコクレジットローンって悪徳街金なんだろ。少しくらい痛い目に遭った方がいいんじゃないかと思ってさ。こんなこと言ったら依頼人に怒られちゃうけどな」「依頼人とは?」「それは守秘義務があるから言えない」耕五郎は真面目な顔をして言った。


 ニコニコクレジットローンはその後も度々、強盗に襲われた。日野支店、西東京支店、麻布支店の三カ所が襲われた。『中年探偵団』から耕五郎にはその都度連絡が入ったのだが、耕五郎は動かなかった。場所が遠過ぎたからだ。『中年探偵団』のメンバーは強盗の後を追跡しようとした。が無理だった。相手は自動車である。いくらなんでもホームレスで車を持っている者は少ない。せいぜいが自転車である。とても追いつけない。そしてここに至って警察も介入してきた。ニコニコクレジットローンは悪徳街金なので、なるべく警察と関わらないように、これまでは被害届けを出していなかった。しかし、こう頻繁に襲われるとガードマンを増やすにも限界がある。それに今まで襲われているのはほとんどがガードマンだった。それで、仕方なく最後に襲われた麻布支店が警察署に届けを出した。

「二子さん、どうして今まで被害届を出さなかったのですか?」警視庁捜査一課長の本多が恫喝する。「わいは警察信じてまへんでした。あいすいません」

二子社長が悪びれもせずに言う。「ウチらだってねえ。あんたらみたいな悪徳街金の手助けなんかしたくないよ。でも荒鷲警備保障のガードマン十人が重軽傷を負っているんだ。そのうち一人は今も意識不明の重態なんだ。この人はあんたがとっとと被害届を出していれば、被害にあわなかった」「あい、すいません……」「分かってんのか! ことの重大さに。これからおたくの店舗、残り三十九店舗に警官五人ずつ行かせますから」そう言うと本多は冷めた番茶を飲み干した。


 耕五郎は良雄をまた綱島神明社に呼んだ。「どうしました?」「うん、東京の警視庁が動き出した。仲間を一度呼び戻してくれ」「はい」「それでなあ」「なんでしょう」「一度被害にあった十四店舗を今度は見張って欲しいんだ」「なるほど。犯人も馬鹿じゃない。警察のいるところにわざわざ行ったりしない。狙うなら気の緩んでいる、襲われ済みの店舗というわけで」「そうだ。奴らが襲うのはきっと、経堂、白金台、蒲田、恵比寿、八王子、大井町、立川、世田谷、六本木、新宿、狛江、日野、西東京、麻布の中の一つだ。一店舗あたり六人で見張れる。良雄、車を十五台出せるか?」「お安い御用です。でも十四台じゃないんで」「最後の一台は俺とお前が乗る。俺はペーパードライバーだからな。お前が運転してくれ」「うぷぷぷ」「笑ったな、良雄」「い、いいえ。笑っていません」「まあいいや。決行は今夜だ」「はい」

 事務所に戻ると二代目怪人二十面相が来ていた。「おい、あれから三軒、襲われたそうじゃないか」「そのようですね」「なんだ! その落ち着き払った言い方は」「三軒くらい襲われたっていいじゃないですか。ニコニコクレジットローンなんて悪徳街金なんですから」「そうじゃない。事件によってガードマン一人が重態に陥っている」「そうなんですか?」「そうじゃ。貴様の怠慢のせいじゃ」「私だって一生懸命にやっていますよ。ただ、今までは場所が広範囲に過ぎたから的を絞り込めなかった」「じゃあ、絞り込めたというのじゃな」「はい。十四カ所に絞り込みました」「十四カ所じゃと? 今まで襲われた店舗の数と一緒じゃな」「鋭いですね。相手の狙いは警備の手薄だと思われる十四カ所です。もし、間違っていたとしても、そこには警察がいますから、おそらく逮捕されるでしょう」「警察はいかん。孫はわしが捕まえる」「ご老体、無理はなさらない方がいいですよ」「馬鹿もん! 年はとってもサーカスで鍛えたこの体。そこいらの若者には負けぬわ。よし、耕五郎くん、相撲を取ろう」「嫌ですよ」「嫌もクソもない。来い!」「しょうがないなあ。怪我しても知りませんよ。それっ」耕五郎は二十面相に飛びかかった。その瞬間、二十面相は右に注文をつけ、耕五郎のベルトを右手で掴んで投げ飛ばした。「ただいまの勝負、上手出し投げ、上手出し投げで二十面相の勝ち!」恭介が愉快そうに手を叩く。「よけるなんて卑怯だ」と耕五郎が叫ぶが、二十面相は「よけてはいけないなんて決まりはない。わしは年寄りじゃ。まともにぶつかっては勝ち目がない。だったらわしがよけると考えるのがお前さんの仕事じゃ。そんなこともわからぬようじゃ一流の名探偵にはなれないぞ」と辛辣に言った。「ええ、いいです。私は名探偵にならなくても。浮気調査といぬ、ねこ探しに一生を費やします」耕五郎はふて腐れた。「まあまあ、そうムキにならずに」「ふん」「ところで今夜、わしも連れて行ってもらうぞ」二十面相が突然言い出した。「どこへですか?」「決まっているだろ。耕五郎くんの行くところだ」「困ります。はっきり言って足手まといです」耕五郎が言うと「先ほどの相撲、もう忘れたか」と二十面相が言い、「連れて行って差し上げなさい」と恭介が助け舟を出した。「しょうがないな。見ているだけですよ。犯人というかお孫さんにに捕まって返り討ちにあわないでくださいよ」耕五郎は念を押した。


 良雄の運転するベンツは世田谷通りを流していた。だいたいこの辺りが中間点だからである。当然、二代目怪人二十面相も同乗している。良雄には「祖父の友人の好奇心旺盛な爺さん」だと耕五郎は言っていた。だが多分、良雄は信じていないだろう。良雄は鋭い勘の持ち主だった。「しかし」耕五郎は口に出して言った。「なんでベンツなんだ?」良雄は答えた。「十五台もレンタカー借りると自然と一台はこうなります」本当かな? 本当は良雄の持ち物なんじゃないかな。あとでナンバープレート見てやろう。耕五郎は思った。午後八時になった。どこからも連絡は来ない。耕五郎は急激に空腹になった。「良雄、腹が減った。どこかにファストフード店かなんかないかい」「すぐそばにナクドナルドならありますよ。でも」と言って良雄はバックミラーごしに二十面相のことを見た。そうか、老人にハンバガーは食えないか。すると、その意を察した二十面相が「わし、ハンバーガー大好き」と乙女チックに言った。ずっこける二人。危うく良雄はおカマを掘るところだった。運のいいことに、そのナクドナルドはドライブスルーだった。耕五郎はチーズバガーとダイエットコーク、良雄はアイスコーヒー、二十面相は、うーんと迷った挙句「ビックナックにフレッシュフィッシュ、ナゲット五個、バーベキューソスにして。それからナックシェイクのバニラMサイズ。爽健●茶のLサイズね」どんだけ食べるんだ。この爺さん! 車中にて軽食を摂る。二十面相の爺さんは軽食じゃないな。軽食の反対語って一体なんだろう。そう考えていた時にスマホが鳴った。「もしもし、小林だ。なに! 世田谷支店だと。五分で行く」スマホを切るのももどかしく、耕五郎は良雄に言った。「敵は世田谷支店を襲った。近くてラッキーだ。良雄、五分で、いや三分で行け」「わかりました」車は中央分離帯に突っ込み、無理やり方向転換した。ベンツに傷つけないでくれよ。

 現場にたどり着くと、源さんがいた。『中年探偵団』の古株で、多分還暦はこえていると思う。「車はあっちの方に行きました」と右手を指差す。「車種は?」

良雄が聞くと「なんだか分からねえけど黒のバンだ。ウチらの車は赤い彗星、なんちゃって」源さんは状況判断が出来ないのが玉にきずだ。とにかく黒いバンを探せ。

 世田谷通りをまっすぐ行ったところで、すぐに、黒いバンは見つかった。考えてみれば、バンって白が普通で、黒ってあんまりないよね。周りを見ても黒いバンなんてない。犯人の色選択に感謝した。そのまま赤い車(カローラだった。これも珍しい色だな)と一緒に追いかけた。黒いバンは世田谷から環八通りに曲がり、船橋方面へと逃げた。まさか耕五郎たちに追いかけられているとは夢にも思うまい。黒いバンは途中の小学校方面に右折して止まった。我々は路駐して様子を見る。「良雄、悪いが様子を見て来てくれ」耕五郎が言うと「分かりました。でもその間、車の運転はどうしますか? 急に発車しなければならないことも出て来ると思いますよ」良雄は思慮深げに言った。すると「わしに任せなさい。運転免許は返上しないで持っている」二十面相が言った。「あんたにハンドル持たせるくらいなら私が……と言いたいところだが自信がない、お任せします」「よし」二十面相は嬉しそうに運転席に座った。

 しばらく経った。道路の反対側にいる良雄が大きく手を振った。「Go!!」来いってことか? でも運転手は二十面相のじいちゃんだぞ、と思う間もなく、二十面相は車を急発進させた。慌てて赤きカローラも付いてくる。二十面相は中央分離帯を突っ切り、走行してくる車をクラクションで強引に止めさせると、小学校横に突っ込んだ。突っ込んだその先は神明神社。耕五郎は綱島神明社で煙草を吸ったことを激しく後悔していた。バチが当たりませんように。「おい、行くぞ」二十面相は声まで若返っている。あれ? 二十面相は暴力を嫌っていたはずなのに。「行くぞって、まだ仲間が」耕五郎は叫んだ。赤のカローラは中央分離帯で車の流れに止められて身動きが出来ないでいる。「あんなのにかまっちゃいられねえ」二十面相は一人で境内に突っ込んでいく。仕方がないので耕五郎と良雄も駆け出した。二十面相は早くも見張りの男に捕まった。と思いきや、見張りの男の首を両腕でしめている。そして「仲間は何人だ。言わなきゃしめ殺すぞ」と脅している。「じゅ、十人です」そう言うと見張りの男は地に伏した。「十人だそうだ。俺一人でやってくる」二十面相はそう言い残すと奥に去って行った。「無茶だ!」耕五郎と良雄は慌てて二十面相を追いかけた。『バーン』『バーン』とピストルの音が鳴り響く。二十面相の孫だというのにトエンティ・フェースは飛び道具まで使うのか。しかも、自分の祖父に。頭に来た耕五郎は良雄とともに敵中に飛び込んだ。耕五郎も良雄も実は空手の黒帯である。『質実剛健流』実践的空手である。行くぞ! 構えると、敵はほとんどが倒れていた。残るは三人。耕五郎と良雄は一人ずつ倒した。それにしても恐るべきは二十面相の攻撃力だ。とても老人とは思えない。そして今、最後の敵、というか孫のトエンティ・フェースとの対決である。ここは孫だからか、爺さんだからか、お互い遠慮があるだろうと思ったが、ガチの真剣勝負。二人の技の早さに目が付いていかない。何て勝負だ。耕五郎と良雄はただ呆然と見ているしかなかった。しかし、こうなると老人の二十面相の方が不利だなと、耕五郎は思った。じゃあ、トエンティ・フェースが勝ったら、その時は良雄と二人でスタコラ逃げるしかないだろう。「良雄、車のエンジン掛けてきな」「はい」耕五郎の意を察したか、良雄が飛び出して行ったと思ったら帰ってきて、「車のキーは?」と聞く。あー、車のキーは二十面相の爺さんが持っている。赤いカローラは五人乗っているからもう乗れない。耕五郎たちは走って逃げなくてはならない。まさにスタコラサッサだ。その時、『バサッ』という音がした。勝負がついたのだ。勝ったのはどっちだ? 逃げる準備をしながら恐る恐る見ると、勝ったのは、やったー、二十面相の爺さんだ。しかし、二十面相は孫のトエンティ・フェースをこれでもかとばかりに蹴りつけている。しつけにしてはやりすぎだ。耕五郎と良雄は止めに入った。すると二十面相は「うるせい、この偽物のトエンティ・フェースなど地獄送りだ。我々は一般市民に手を出すことはないが、裏切り者、そして我々の名誉を汚したものは決して許さない」と言って蹴り続ける。耕五郎はスマホを開いてトエンティ・フェースの顔を見た。今、ここに倒れている顔と一緒だ。耕五郎は叫んだ。「孫を殺すつもりですか」そうすると二十面相は蹴るのを止め、耕五郎にこう言った。「そいつは偽物の写真。初めからこいつが偽物だと分かっていたからな。だって俺が本物だから」二十面相はそう言うと変装を解いた。「俺が本当のトエンティ・フェースさ」


 小林探偵事務所に来た、二代目怪人二十面相を名乗った、老人。それこそが本物のトエンティ・フェースの変装した姿だったのだ。トエンティ・フェースは祖父の二代目怪人二十面相のように、義賊を目指していた。しかし、そのためには優秀なスタッフを集めなくてはならない。祖父の代に作られた組織は、父が堅気になることを望んだために崩壊した。今、祖父からの代のものは一人しかいない。彼は執事をしている。新たな組織作りをするために、トエンティ・フェースは少々焦った。たちの悪いものをメンバーに入れてしまったのである。偽物のトエンティ・フェースもその一人である。彼は優秀な頭脳とキックボクシングを得意とするものだったが、優しさ、恩情という言葉を知らなかった。仲間を「ムカつくから」といった理由で殴り、「ガンをつけた」と言っては蹴り飛ばした。トエンティ・フェースはことあるごとにそれを注意し諭したが、彼は聞く耳を持たなかった。そして、ついには組織を仲間十人と抜け出し、逃亡。偽のトエンティ・フェースとして荒っぽい仕事をして、トエンティ・フェースの名前と名誉を傷つけた。本物のトエンティ・フェースが小林探偵事務所を頼ったのは、その時、大事なプロジェクトを実施中で組織から人を出せなかったということと、祖父の時代のように怪盗と探偵が腹の探り合いをやりあう場面を演じてみたかったからだ。しかし、小林耕五郎は自分の変装に気付かず、ただ熱心に自分が依頼した仕事をこなすだけだった。トエンティ・フェースはかなり失望した。

「あなたがトエンティ・フェースだったのですか」「ああ、騙してすまなかった。でもおかげさまで偽物のトエンティ・フェースを捕らえることが出来た。それは感謝する。しかし、俺は不満だ」「何がです?」「昔、君の祖父と、俺の祖父は丁々発止の騙し合いをした。今回俺は祖父に変装して、君の事務所に押しかけた。でも君はそれを見抜けなかった。君は俺のライバルに到底なりえない」「未熟で申し訳ない。でも今回の事件で、大怪盗と戦う楽しさを知った。次は負けないぞ」「よし、その意気だ。君の成長に期待するよ」トエンティ・フェースが言うと後方から一台の気球が飛んできた。「これで俺は失礼するよ。さらば」トエンティ・フェースはそう叫ぶと、気球に手を掛け、夜空に浮かび上がった。なんとも時代じみた演出である。ここはヘリコプターかなんかだろう。耕五郎は思った。ああ、車のキー返してくれと叫ぶと、銀色のそれが降ってきた。危ない、危ない。

 数日後、本物の二代目怪人二十面相が『小林探偵事務所』にやってきた。「今回はウチの孫が、大変な迷惑をかけた」として虎屋の羊羹を持参した。耕五郎は疑心暗鬼になっていたので、二十面相の白髪を引っ張るという無礼をした。「痛い痛い。でもその気持ち、よく分かる。何事にも疑って掛かるその気持ちは大事じゃ」二十面相は言った。その様子を隅の老人、恭介が愉快そうに眺めていた。 

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