後押し


瑞希と石橋部長のお陰で、私はガマガエルに身売りせずに済んだ。


その連絡が来たのは瑞希から話を聞いた翌日。

珍しく父から直接連絡がきた。


『加賀さんとの婚姻、アレ無くなったから。それと研修から帰るのは来週だったな。帰ったら話があるから』


それだけ言うと父は一方的に電話を切った。


あと三日で自宅へと帰る私。

瑞希と一緒に居られるのも後三日。

瑞希は仕事が忙しいせいか、帰宅する時間は深夜十二時を回り、全くと言っていいほど、話せていない。


朝、起きると瑞希のドアップが私の目の前にあり、眠る顔を見る事で私の中の何かが満たされている。


これもあと3回しか見られないと思うと、胸が締め付けられる痛さを感じた。


「あんまり寝顔みるなよ」


寝ていると思っていた瑞希から発せられる声。



「ご、ごめん」


驚いた。

起きてるなら起きてるって言ってよ。


「くくっ。オマエ本当に分かりやすいな」


瑞希の手が私に絡みつき、簡単に引き寄せられる。

抱きしめられた。

その事実に頭が追い付かない。



「もう少し時間あるだろ?」


瑞希の胸に顔を埋め、コクリと頷けば瑞希は深いため息を吐き出した。

そして抱きしめられる力が強まるのを感じる。


「帰したくないな」


そう呟かれ、私の涙腺は崩壊した。

私も帰りたくない。

でも、そんな事ムリで。


瑞希も同じ気持ちでいてくれたことが、何より嬉しかった。

この幸せな時間は私の一生の宝物になった。


「ねぇ、瑞希」

「ん?」

「私……瑞希が好きみたい」

「ああ、知ってる」

「そっか」

「ああ」


私を抱く瑞希の力が弱まる。

それは、この抱擁が終わる合図。


そっと見上げる。

瑞希の視線とぶつかる。


そして柔らかな感触が唇へと降りてくる。

それは甘く、切ないキス。

触れるだけのキスに名残惜しさを感じてしまう。



「ッ。……ゴメン」


そう瑞希の口から出た言葉。

そしてその意味を聞く前に唇は塞がれ、激しいキスが降ってきた。

それは呼吸さえ、させてくれない程、激しく。

空気を求めれば、瑞希の舌が私の中で暴れる。


ゴメンの意味を考える余裕なんかなくって。

されるがまま、瑞希のキスを受け入れた。


「今日は会社サボっちゃおうか?」


激しいキスを浴びせられ、思考はショートした。

瑞希の提案に頷くだけの私。


会社をずる休みする。

それは初体験。

瑞希は携帯を取り出し、メールを打っていた。

私も携帯を取り出し……どうしよう。

うん、始業時間に会社に連絡を入れよう。



「どこか行きたい所、ある?」


瑞希は携帯をサイドテーブルに投げ捨て、ベッドへと戻ってきた。



「ううん。特には……」


出来る事なら、このままココで抱きしめていて欲しい。



「ん~もしないなら、もう少し寝ようか」


瑞希は私を抱きかかえるように、布団の中に潜り込んでいく。

瑞希の心地良い体温に包まれ、眠りに堕ちそうになる。


寝ちゃダメ。

会社に連絡するまで寝ちゃダメ。

睡魔と闘う私を余所に瑞希は寝息を立て始めた。


瑞希の抱擁から抜け出し、セットされていない髪に触れる。

サラサラとしていて、手触りがいい。


幸せを感じる。

ただ、一緒にいるだけなのに。



全てを投げ捨て、私をさらってくれたらいいのに。

でも、それは物語だけ。

実際は現実に雁字搦め(がんじがらめ)で、全てを捨てて生きていくなんて無理。


今も時計を気にしている。

始業時間まであと十分。


ベッドをそっと抜け出し携帯を持ったままリビングへと向かった。

会社に体調不良で休むと連絡をすると、物凄く驚かれた。

そして、無理するなと念を押され、罪悪感を伴いながら電話を切った。


すっかり目が覚めてしまったからシャワーを浴びよう。

今ベッドに戻っても瑞希は寝ているし、最近ずっと遅かった瑞希をゆっくり寝かせてあげたいと思ったから。


熱いシャワーを頭から浴び、仕事をサボってしまった罪悪感を洗い流した。

瑞希が起きたら、一緒にブランチをして映画でも観に行こうかな?

普通のカップルがするような事をしてみたい。

今日だけは恋人同士の様な事をしたいな。



髪を乾かし、念入りに顔をマッサージをしながら下地を施す。

いつも以上に入念に化粧をして、髪はコテで軽く巻いた。


「そんなに気合入れてどこ行くの?」


眠気眼の瑞希が後ろから私を見ていた。


「ブランチして映画でもいかない?」


鏡越しに目が合う。

それがなんだか恥ずかしく感じる。


「ん。いいよ。デートでもすっかぁ」


瑞希は私が居るにも関わらず、Tシャツを脱ぎ捨て、スウェットに指を掛けた。


「ちょ、ちょっと待ってよ」


私は慌てて洗面所から避難する。

そんな私を瑞希は笑い……これがこれからも続けばいいのに。


そう思った途端、涙が溢れそうになる。

泣いちゃダメ。

今日は楽しむんだから。


そう、自分に言い聞かせ洋服を選ぶことに集中する事にした。







「さ、どっち観る?」


今は映画館の前。

痛快カーアクション映画か、パニックホラー映画。

どっちも微妙なんですけど。


「瑞希はどっちがいい?」

「オレはアクション映画がいいかな」

「じゃ、そっちで」

「え、イイの?こっちの恋愛じゃなくって」


そっちは候補に入ってなかったじゃん。



「アクションでいいよ」

「てっきり恋愛が観たいって言うかと思ってた。これ古城が出てくるだろ?」

「うん、でも現地で見たし、アクションでいいよ」


私の事を考えてくれていると感じ、心が温かくなる。

アクションとホラーとか言いながら、古城が出てくる恋愛を私が選ぶと思っていた。

そしてそれでいいと思ってくれていた瑞希。


ちょっとした所に愛情を感じた。


定番過ぎるポップコーンとコーラを買い、座席につく。

平日の昼間、人気は少なく。

最後尾の真ん中に腰を下ろした私たちの傍には誰もいなかった。


臨場感あふれる音響とカメラワーク。

そしてスピード感があり、あっという間の二時間だった。



「さ、これからどうする?」

「お腹もまだ空いてないし」


困った。

やる事が無い。



「買い物でも行くか?」

「うん」


頷いたけど、買い物って。

私は特に欲しいモノなんかないし。

瑞希の後に続き、とりあえず歩く。



「こっちこいよ」


そう瑞希は言い、私の手を引っ張った。

その手はそのままで。


繋がれた手にドキドキしてしまう。

いつの間にかただ繋がれた手は恋人つなぎに変わっていて。

私の頬を赤く染めるには十分だった。



「すみれは結婚したい?」


急にそう聞かれた。



「したくない」


出来るならば好きな人としたい。

でも、それが叶わないなら、結婚なんか一生出来なくっていい。



「だよなぁ。オレもしたくない」

「そうなんだ」


瑞希なら、好きな人と一緒になれそうな気がする。

行動力もあるし、不可能を可能にする力を持っていそうだから。



「夢、追いかけたいって思わないの?」

「夢?」

「ああ、夢。すみれはそれを追いかけないの?」


追いかけたい。

でも、それは夢でしかない。



「叶わない事は願わないようにしてるから」

「……叶うとしたら?」

「叶うなら……」


瑞希と一緒に居たい。

そう口に出せない私は、やはり素直じゃない。


「オマエの夢、実現するために力貸そうか?」

「私の夢?」

「ああ、古城の研究がしたいんだろ?」

「あ、うん」


そっちね。

古城の研究を一生の仕事にしたいと思った事もある。

でも、いつも現実が先にくる。



「加賀との婚姻が無くなったんだ。逃げるなら今しかないぞ」


繋がれた手が痛い。

それは私の心にも感染する。


心が痛いと悲鳴をあげそうだった。


今の私は古城よりも瑞希を求めている。

でも、それは身勝手な話。


私の人生だけでなく、瑞希の人生さえも巻き添えにしてしまう。



「オマエが本当に伊波から逃げたいのなら、オレはどこまでも力になってやる」


力になる。

そう瑞希は言ってくれた。


「うん、ありがとう」

「少し考えてみて。すみれの本当にしたい事を」


瑞希は私の手を離そうとはしなかった。

それが私の胸を締め付ける原因になっている事も。


私が望むもの。

それは瑞希。

でも、それは叶わない。


ならば、久美教授と一緒に世界を旅したい。

たった二択しかないなんて、寂しい事なのかもしれない。

でも、その二択さえ、私には贅沢に感じる。



「とりあえず時計が見たいから」


そう言い、入った店は有名ブランド。

さすがジュニア。

店に入った途端、店員が飛んできた。


「適当に見るから」そう店員に言い、瑞希は私の手を掴んだまま、ショーケースへと移動した。


「この中だとどれがイイと思う?」


瑞希が指差す場所にはゴッツイ時計がずらり。

どれも一緒に見えてしまう。


その中で、唯一華奢に見えるソレに目を奪われた。

瑞希の腕に嵌められた所を想像する。



「これが良いんじゃない?」


ソレを指差せば「だよな」と瑞希は笑っていた。

私がソレを選ぶのを知っていたかのように。


でも、その金額は私が想像していたより遥かにゼロの数が多かった。

瑞希は店員にショーケースを指差し、即決していた。

さすがジュニア。



「では失礼します」


店員はそう言い、私の腕を取る。



「え?」


店員は私の左腕に時計を。

それはさっき瑞希にと選んだ時計のレディース版。


カチャカチャとバンドを調節し、私のサイズへと変えていく。

そして同じ動作が瑞希の左手でも行われていた。


ペアルック?


瑞希は自分の手に嵌められた時計を嬉しそうに眺め、その視線を私の左手へと移動させた。


「このくらいならいいだろ?」


もう、意味が分かんない。



「あのさ……」

「まあいいから」


瑞希は黒光りするカードで支払いを済ませ、小さな紙袋二つを店員から受け取り、私の手を引き、店を出た。



「あの、これ」


左手に嵌められた時計をかかげる。



「これから必要になるから」

「なんで?」

「きっとそうなる」


瑞希は自信満々にそう言い、真っ直ぐ前を向いて歩いていく。


キラキラと光る腕輪。

それは何より綺麗で美しい。


何故、時計なのか?

それが分かるのはもっと後。


でも、これが私の宝物になった事は言うまでもない。




言葉に出していれば、結末はもっと違っていたのかもしれない。

言葉に出来ない程、刷り込まれていた。

言葉にしちゃいけないと。



これからの人生を瑞希なしで生きていく。

それが絶望に感じてしまう程、私は瑞希を深く愛していたのかもしれない。




「瑞希の言うとおり、私は伊波を出たい」


帰宅してすぐ、瑞希にそう告げた。

瑞希は始めから分かっていたかのように、軽く頷いた。



「どこに行くかは自分で決められるだろ?」

「うん」

「オレは準備をしてやる事くらいしか出来ないから」


瑞希は瞳を伏せながらそう言った。



「ありがとう」


そう言うのが精一杯。

そして、これだけは瑞希に伝えたかった。



「瑞希……大好き」

「……ああ、オレも」



良かった。

同じ気持ちでいてくれたんだ。


溢れる涙を隠す様に、瑞希に飛び込む。

瑞希はしっかり私を受け止めてくれた。


そして、ただ強く抱きしめてくれた。




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