林田 梅(はやしだ うめ)

「ねぇ、お昼は中華食べに行こうね」


更衣室でジャケットを脱ぎ、ハイヒールからサンダルへと履き替えた私に梅ちゃんが話しかけてきた。


「うん、中華ね。杏仁食べ放題の店がいいな」


小さなトートバックに財布と携帯、最小限の小物を入れ替える。


「そうだね。小龍亭に行こうね」


梅ちゃんはブーツを脱ぎ、長い脚を惜しげもなく出す。

膝上20センチのタイトスカート。

膝から下が異様に長い。



「ちょっとセクハラで訴えるわよ」


私の視線に気づいた梅ちゃんが私の頭を小突く。


「いいなー。梅ちゃんの身長と脚が欲しい」


梅ちゃんはニヤニヤと笑いながら私に近づいてくる。

その両手はワシャワシャと動いている。


「ひっ!!」


身をかわす事も出来ずに……。


「すみれのこの胸と交換してくれるのであれば」


梅ちゃんは私の胸を鷲掴みし、軽く手を動かした。


「やめ、ヤメテよ!!」

「小さいすみれの身体に似つかわしくないこの乳。ほんと羨ましい」


梅ちゃんは自分の胸と私の胸を交互にみた。

梅ちゃんはスレンダーで美人。

サバサバしているくせに、気さくで優しい。


一方の私は低い背に、ジメジメした性格。

身長が低いせいで大きくみられる胸はコンプレックスの固まりなのに。

低い身長を誤魔化そうとヒールはいつも8センチ以上。


それでも梅ちゃんには届かない。


「さ、今日も頑張ろうかね」


梅ちゃんの声に大きく頷き、更衣室を出た。




就職して3年。

会社にも仕事にも慣れた。

嫌味なお局様は最近寿退社したし、むかつく上司は、定年を迎えいなくなった。

新体制になった今、お色気ムンムンの新人社員は、相変わらず仕事を覚えないけど、それなりに充実した毎日。


私が配属されたのは総務部内の人事・経理課。

銀行マンあがりの斉藤課長は50代のおじさま。

若い女性が苦手らしく、口頭で仕事を頼まず、指示は全てメールでくる。


一方、大野主任は若い子が大好きで、30代になったばかりの出世頭らしい。

その他に先輩で20代後半の男性が1人と女性が2人、後輩の女性が2人。

そして入社3年目の私、伊波すみれを入れて8人で仕事を行っている。


私の仕事は主に、先輩方のサポート。

一通りの研修を終え、業務がスムーズに行えるように調整をする役をしている。


「すみれさん、斉藤課長のメール意味不なんですけどぉ」


後輩でお色気担当の日比野さんが、キャットウォークでやってくる。

仕方なく、CCで送られてきていたメールを確認した。


「これは、大野主任のデスクにあるファイルからこの取引先の条件を確認して、データ入力すれば大丈夫だよ」


「ファイルですかぁ、どんなファイルですかぁ?」


自分で探せよ!そう言いたい気持ちを我慢して、「緑のファイルで最新って書いてあるファイルだよ」と優しく教える。


日比野さんは「分かりましたぁ」とスルスルとデスクの隙をぬって歩いて行った。

他人に対して、本音を話すのは苦手。

本音を言ったところで、どうにもならない現実を知っているから。

後輩の指導は担当業務の人がする事になっているのに、みんな私に聞いてくる。

そして先輩方も面倒な後輩の相手をするより自分の業務を先行したいがため、面倒な相手を私に押し付ける。


望んで入った会社じゃないのに。

希望した職種じゃないのに。

それを口に出せない私はヘタレで、親の言いなりになっている自分に嫌気がさす。


結局、午前中は後輩に仕事を教える事で時間を使い、自分の仕事は進まなかった。



「いい様に使われすぎなんだよ」


運ばれてきたアツアツの小龍包の湯気の向こう側で、梅ちゃんが私の為に文句を言ってくれていた。


「でも、みんな忙しいし、ほら私が一番ヒマ人じゃん」


ヒマじゃないけど、そう思っていないとやってられない。


「はぁ、すみれはどこまでも良い子ちゃんなんだよね」


いい子でいたい訳じゃない。


「ま、そこがすみれの良い所でもあるんだけどね」


梅ちゃんとは入社してからの間柄。

高校生の時に留年したらしく、歳は一つ上。

でも、彼女はとっても大人びている。

良き親友、良き姉。

そんな風に私は思っている。


「そうそう、今度ジュニアが本社に戻ってくるんだって」


「ジュニア?」


「うん、仙台に出向していた次期社長さん」


「へぇ~」


「あははは、すみれは興味ないの?」



全くないです。

社長の息子。

いわゆる跡取り息子。

そんな人種に好感をもてる事などあるわけない。


「そっか、すみれの周りには吐いて捨てる程いる人達だもんね」


「え?」


「ああ、全部声にでてたよ」


梅ちゃんはキレイな顔なのに大口開けて笑っていた。

スレンダー美人の梅ちゃんは飾る事無く、ありのままの姿で人に接する。


会社の顔と呼ばれる部署。

秘書・受付課のエース。


今は受付に座り、お客様の対応を仕事としているが、ゆくゆくは重役秘書として活躍するんだと私は思っている。

ひとしきり笑い終わった梅ちゃんが、私の顔色を伺いながら口を開く。


「あ、今夜ひま?」


「ひまですけど」


会社と自宅の往復人生。


「志乃(しの)ちゃんが今夜いないからご飯食べに来ない?」


志乃ちゃんとは梅ちゃんの母親。


「いいけど」


「良かった。柊(しゅう)もすみれに会いたがってたんだよね」


「うん。私も柊ちゃんに久しぶりに会いたいな」


柊ちゃんとは梅ちゃんの息子。


「柊も本当にでっかくなってきてさ」


母の顔になる梅ちゃん。

梅ちゃんは未婚の母。

柊ちゃんは今年で10歳になる小学生。


そう、梅ちゃんは16歳で柊ちゃんを出産したんだ。

高校を一年留年し、出産。

子育てしながら大学まででて、この会社に入った。


梅ちゃんに子供がいるのは秘密。

一般の社員はもちろん、重役の中でも知っているのは一握りらしい。

その辺りも含め、梅ちゃんって結構謎に包まれている。

一流企業と呼ばれているこの会社に、そんな訳有な人が入社する事が出来るなんて、コネ以外考えられない。


そんな私もコネ入社。

両親に強制され入社した、この高宮株式会社。

国内卸業で5本の指に入る大企業。


でも、私は有難さなんて微塵にも感じていない。

やりたかった事を邪魔され、まるで物のように扱われる。


両親にとって私は駒で、人格なんて尊重されていないんだから。幼稚園の頃からお稽古三昧。

もちろん小学校はエスカレーター式の私立女子学校を受験し、高校まで同じ学校。

成績が落ちれば、自宅に軟禁され家庭教師がつく。

そして友達と遊ぶ時間なんてないくらいピアノ、習字、語学、バレエ、お嬢様が習うお稽古事を全てやってきた。


大学は有名私大。

母がどうしても行きたかった大学らしい。

高校を卒業してすぐに結婚させられた母。

だから娘の私に代わりに行って貰いたいと言った。


嫌々行った大学。

でも、そこで私の生きがいとも呼べるものに出会えた。

それは考古学の教授が主宰していた『西洋古城研究会』だった。


大和久美(やまとくみ)教授は50代独身女性。

『西洋古城に魅入られ婚期を逃した』と豪快に笑う和風美人。

洋服より着物が似合い、ビールより熱燗が似合う、そんな女性。


久美教授は考古学を教える傍ら、西洋古城に関する本を出版。

年間通し3か月は海外で生活しながら、古城に関する研究をしている。

久美教授のセミナーを受講した事がきっかけで『西洋古城研究会』に籍をおき、大学在中時は今までにないほど充実した時間を過ごせた。


大学を卒業したら西ヨーロッパに留学し、フランスやドイツの古城を研究する。そんな夢さえ持てた。


でも、夢は夢。



大学2年の冬、珍しく自宅に居た父親に呼ばれた。

父の書斎は乱雑と書類が置かれ、父以外の入室を固く禁じている。

一枚の書類を私に差しだし、


「オマエの就職先だ。大事な取引先だからくれぐれもヘマだけはしてくれるなよ」


そこに書かれていたのは来年の日付の内定通知書。

誰もが知っている大企業の名前が記されていた。

私の進路は親のモノ。


私の将来も親のモノ。



嫌になる。


抵抗出来ない自分が嫌だ。



「くだらない研究をしているようだな」


そう父にとってお金に生む事以外は『くだらない事』らしい。

私が大好きな古城も父にとっては『くだらない事』の一つ。


「ま、大和会長の娘が教授だから。少しでも印象を良くし、オレの顔を立てておけよ」


久美教授の父親は地方銀行の会長。

その後ろ盾がなければ、久美教授と世界を回る事など出来なかっただろう。


「オマエの将来は会社の発展の為にあるんだ。少しでも社交性を身に付けて来い。ジメジメした顔ばかりしよって。少しは恵理佳(えりか)を見習え」


恵理佳。

私の4つ下の腹違いの妹。

父の愛人が産んだ子供。

恵理佳が15歳の時、愛人が男を作って蒸発した。

一人になった恵理佳を引き取ったのは私の母。


「子供に罪はないのよ」


そんな言葉を身内に振り撒き、良き母、良き女性を演じた。

その時は私も母を尊敬した。

それに、いきなり出来た妹に驚いた反面、私は嬉しかったから。



広い家に一人でいるのは寂しすぎた。

だから無条件に恵理佳を受け入れる事が出来た。


でも、恵理佳は父によく似ていた。


『お金が全て』



そんな人種だった。

恵理佳を引き取ってから、母は遠慮なく遊び始め、若い男をとっかえひっかえ自宅に連れ込む。

母の部屋は1階の奥。

玄関に知らない靴がある時は、母の元にはいかない。

それがルールになっていた。



そして恵理佳は両親の前ではイイ娘を演じ、父からもらったお金を使いまくる。

『今まで何もしてやれなかった』みたいな事を父は言いだし、恵理佳に言われた金額を渡している。

当の父は愛人騒動に懲りる訳もなく、ほとんど自宅に帰ってこない。


破たんした家族。


それが私の家族。



「すみれは夏休み、また海外に行くの?」

「うん」


そう長期休暇が取れる時は、久美教授と一緒に古城を回っている。


「今年はドコに行く予定なの?」

「この間行けなかったチェコに行く予定」


そうゴールデンウィークに行く予定だったチェコ。

恵理佳の嫌がらせで行けなかったんだ。

恵理佳は事ある毎に私の邪魔をする。

ゴールデンウィークの時は飛行機を勝手にキャンセルしてしまったんだ。


幸い久美教授とは一緒に行く予定じゃなかった為、誰にも迷惑をかける事にはならなかった。

ただ、私の予定がつぶれただけ。


それだけで済んで、良かったと思ってしまうあたり、私の感覚がマヒしてしまっているとも感じる。


「今度こそ行けるといいね」

「うん。今回は久美教授が一緒だから全部お願いしてあるんだ。だから大丈夫だと思う」


梅ちゃんは私と恵理佳の関係性を知っている。

梅ちゃん曰く、恵理佳を庇うのはバカだ。と言う。

でも、妹だし、家族だし、私はお姉ちゃんだし。

妹の悪ふざけは度が過ぎているけど、これは恵理佳のSOSなんだと私は思っている。


自分の存在を確認する。

自分を見て欲しい。


そんな気持ちから、私に意地悪をしてくるんだと思っている。

ううん、そう思いたいのかも知れない。


じゃなきゃ、私が救われない。




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