英雄《しゅやく》になれない槍使い

笹木さくま(夏希のたね)

プロローグ

 普段はのどかな町の中が、今や悲鳴と怒号で埋め尽くされていた。


「走れ! とにかく走るんだ!」

「荷物なんて捨てろ、もたもたするな!」

「頼む、俺も車に乗せてくれ!」


 老若男女の区別なく、誰もが押し合い必至に逃げる。

 立ち止まってしまえば、背後から迫るモノに追いつかれてしまう。

 そうなれば、待っているのは死しかない。


「待って、パパ、ママっ!」


 親とはぐれた少女が助けを求めても、誰も手を差し伸べようとはしない。

 それどころか、後ろから走ってきた男が、少女を突き飛ばしてしまう。


「邪魔だガキ、退けっ!」

「きゃあっ」


 悲鳴を上げて倒れこむ少女に目もくれず、男は人波の前へ逃れようとする。

 しかし、彼の浅ましい行為を天が見逃さなかったとでもいうのか。

 突如、背後から走った赤い光線が、男の体に突き刺さった。


「ぎゃあああぁぁぁ―――っ!」


 断末魔の悲鳴を響かせたかと思うと、男は急に糸の切れた人形のごとく倒れこむ。

 その体には傷跡一つ見当たらず、心臓はゆっくりと鼓動を刻み続けている。

 しかし、目からは光が消え、口は二度と言葉を発さず、心を失った生ける屍と化していた。

 かつて、科学的には確認されていなかった、生命の根幹を奪われたために。


「あ、あぁ……」


 少女は目の前で起きた惨事に言葉を失いながら、見えない手で引っ張られるように背後を振り向いた。

 人の姿が消えた物寂しい道路に、ポツンと浮かぶ透明の六角柱結晶。

 大人の身長ほどもある巨大な結晶の中心では、赤い球体がうっすらと光を放っている。

 出来の悪い合成写真のような、非現実的な物体。

 だが、それは間違いなく男の精神を殺した存在であり、世界に滅びをもたらす人類の敵。


「い、いや……」


 恐怖のあまり竦み上がる少女を、まるで睨み付けるように、結晶内部の赤い球体がギョロリと動く。

 そして、再び死の光線を放たんと輝き始めた。


「誰か、助けて……っ!」


 どんなに祈っても、この世界には人を救ってくれる優しい神様などいやしない。

 だが、人を救う人ならばいる。


 シュゴオオオォォォ―――ッ!


 轟音と共に空から降ってきた黄金の津波が、少女に襲いかかろうとしていた結晶を、遥か先の道路までまとめて吹き飛ばす。


「えっ……?」


 爆風で激しく髪をなびかせながら、少女は自分を救った光の出所を求め、空を見上げた。

 地上の惨劇などまるで感じさせない、青く澄み切った空。

 そこに、一人の少年がたたずんでいた。

 翼の生えた靴で宙に浮き、手には太陽を思わせる黄金の剣。


「天使様……?」


 その美しさに心を奪われ、呆然と見上げる少女に気づき、少年は手を振り笑顔を浮かべた。


「もう大丈夫だ、皆は俺が守ってみせる!」


 力強く断言すると、まだ結晶の本体が残っている、町の外側に向かって飛んでいく。

 天に描かれる黄金の軌跡を、少女はいつまでも追いかけながら悟る。

 あの少年は、残酷な神が遣わした天使などではない。

 人々を救うために立ち上がった、偉大なる人間。

英雄ヒーロー……」

 少女は、そして空を見上げた全ての人々が知った。

 彼こそが、人類の敵を打ち倒し、自分達を救ってくれる救世主なのだと。

 これは、地球の危機を救った一人の英雄の物語――ではなく。


「ぶはっ!」


 少女の居た場所より遥か先、黄金の津波で吹き飛ばされた瓦礫の中から、槍を担いだ一人の少年が這い出てくる。


「味方を殺す気かっ!」


 抗議する彼の声は、天を飛ぶ英雄にも、地上からそれを見上げる人々にも全く届かない。

 これは、英雄の陰に隠れて、後世の歴史書には記される事のなかった、一人の槍使いの物語。

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