23:それぞれが心に従って

 恋愛相談所に属する自称「近江征志郎ファン」の女子グループを、以後便宜的に「近江同盟」と仮称することにしよう。


 しばし俺たちは、その後も「近江同盟」の面々とのやり取りを続けた。

 それによって、いくつかの出来事の舞台裏が、彼女ら自身の証言から明らかになった。


 例えば、俺こと逢葉純市の個人情報を収集したのは、篠森が中心人物ではあったけれど、実際には他にも複数の「近江同盟」メンバーが関与していたこととか。

 星澄タワーの結婚体験セミナー開催に関する情報も、元々は彼女らが天峰に紹介したものだったことか。

 それから、この二ヶ月弱というもの、近江が希月と無用に接触しないように、放課後になると極力誰かがに付いていたこととか……。


 近江が告白したときも、茶髪の子が協力者を装って希月を呼び出しておきながら、物陰で成り行きを監視していたのだという。

 希月が近江に迫られ、もし交際の申し込みを受け入れそうになったら、他の「近江同盟」メンバーに邪魔させるつもりだったらしい。

 あのとき、篠森が俺に手作りクッキーを勧めてきたのも、希月とは確実に別行動させるためだったそうだ。俺が告白の場に居合わせるような展開になると、阻止するにあたって面倒な要素が増えるからだろう。


 篠森を問い詰めている最中に、図書室へ都合よく彼女らが現れたのも、やはり同じように近江が密かに注視されていたからである。

 陸上部を離れた直後、校内に居た茶髪の子とヘアアクセの子のスマホには、ジャージの先輩からメッセージが送られていたのだ。

 まあ、自分たちの素性を明かしてでも篠森を救おうとしたのは、同志なりの友情というところだろうか。



 かくして、「近江同盟」との不毛な会話は、延々一時間近くにも及んだ。

 ――さあ、いかに事態を収拾すべきか? 

 恋愛絡みの問題ゆえ、少なからず感情的な意見が衝突し、場が混迷を極めたのも致し方なかった。


 けれど、やがて陽が沈みかける頃になって、出口が見えない議論にも、俺たちは一応の落着をみることになる。

 その解決を引き出したのは、なんと意外にも希月だった。


「皆さんが心配しなくても、私は今後も近江くんと交際するつもりは一切ありません」


 希月は、自分の「婚活」の方針を、改めて明示してみせたのだ。

 無論、これは何ら新しい要素を含む提言ではなかった。

 恋愛相談所に登録されている、例の「条件設定」と照らせば、近江がこの子の恋愛対象外であることは、たしかめるまでもない。

 しかし、きちんと本人が表明したことは、「近江同盟」から驚きと共に好意的な反応で迎えられた。

 相談所の登録情報の正しさについて、重要な言質を与えるものだったからである。

 ……他方、それに伴う近江自身の落胆も、ありありと表情から見て取れたけれど。


「まさか、これだけ近江に迫られながら、本当に付き合おうとしないなんてね」


 陸上部の先輩は、奇妙なものを見るような目で、希月を眼差して言った。

 ヘアアクセの子も、まだどこか半信半疑といった様子で、それに同意を示す。


「近江くんみたいなを、あえて突き放すだなんて……。わたしたちには、到底理解に苦しむわ」


「信用してもらえないなら、誓約書にサインするぐらいしてもいいけど?」


 希月は、少しムッとした顔になって言った。

 ヘアアクセの子は、慌てて取り繕うように言い訳する。


「あ、いえ。もちろん、希月さんのことを、信用していないわけじゃないんだけど……」


 それ以上は口を噤んだものの、続けてあとに何と言おうとしたかは気になった。

 たぶん、希月の価値観を否定するような言葉だろう。


「ていうかだな……おまえらは、そうやって自分たちだけ勝手に納得しておいて、俺の現況に対しては罪の意識を感じたりせんのか。他人の個人情報を、無断で横流しなんぞして」


「だってアレ、元々は相談所でアマミネさんたちがはじめたことだし。アタシたちは、それにあくまで第三者として協力しただけでしょ。責めるなら、アタシたちよりもまずは相談所に文句言って欲しいんだけど」


 俺が不平をぶつけると、茶髪の子はあっさりと撥ね付ける。

 責任転嫁かよ。


「それよりさ、アタシに言わせてもらうと、なんでアイバくんはキヅキさんの告白オッケーしないのかがワケわかんない。アタシたちが、あっちからアプローチしてもらってるんでしょ。キヅキさん、けっこー可愛い子なのに、もったいないって思わないの?」


「――そういう問題じゃねーだろ。おまえらのやり方は筋が通ってねぇって話をしてんだよ。似たようなことは、天峰からも言われたけどな」


 なんだか話し続けているうちに、頭が痛くなってきた。

 根本的な価値観が違いすぎる。

 こいつらと来たら悪びれるどころか、「モテない男に恋人を作る世話を焼いてやった」ぐらいに思ってるんだろうな。打つ手がない。



 ……まあ、いずれにしろ。

 この放課後の出来事によって、希月と近江を巡る問題には、確たる方向付けがなされたと言えよう。

「近江同盟」の連中は、結果に満足し、希月の恋愛に関与することから、完全に手を引くと約束した。


 これを、本当に正しい落としどころとみて良いのかは、俺にはわからなかったけれど。




     ○  ○  ○




 さて、そんな釈然としない気持ちは、翌日以降になっても晴れることがなかった。

 むしろ、心の中に生まれた屈折は、わだかまりと化して沈殿するばかりだった。


 それをいっそう強く感じたのは、近江と休み時間に出くわしたときだ。

 理科の選択授業で教室移動の途中、偶然廊下で互いを認識した。

 軽く挨拶を交わしたあと、「ちょっとだけ話がしたいんだが、顔を貸してくれないか」と頼まれた。

 無言で応じて、西校舎の空き教室付近にある階段下まで付き合う。


「おれは、しばらく恋愛したりするのを、やめておくことにしたよ」


 辺りに人目がないことをたしかめてから、近江は唐突に切り出してきた。


「部活の練習だってあるし、もうすぐ期末考査の勉強だってしなきゃいけないからな。今はたぶん、俺にとってまだ『そういう時期じゃないんだな』と思ったんだ」


 虚を衝かれて、一瞬ぽかんとしてしまう。

 即座に話題の本質を把握し損ね、思考を整理するには数秒を要した。


「なんでいきなり……。希月のやつが、おまえと付き合うことはないって、断言したからか。それとも、例の妙なファン連中のことなんかを気にしてるのか」


「もちろん、どっちも無関係だと言ったら、嘘になる。今回の件じゃ、おれのせいで、自分が想像していた以上に、色々な人に迷惑を掛けちまったんだなと思ってさ」


 近江は、苦笑混じりに頭を掻いた。


「希月さんに対しても多少強引だったし、何より逢葉に悪いことをした。物は考えようだが、おれが希月さんに惚れてなきゃ、おまえの個人情報はあの相談所に横流しされていなかったのかもしれん」


「そいつは、おまえのせいじゃねーだろ」


 それどころか、個人情報の横流し被害に遭っていたのは、近江も俺と同じ立場である。


「そう言ってもらえればありがたい。だけど、まあそれも、あくまで理由のひとつだな。他にも、恋愛に気乗りしなくなった原因はある」


「……それが何なのか、訊いてもいいか」


「ああ、いいとも。どうせ、もう半分言い当てられちまってるようなもんだ。――色々とあって、端的に言うとからだよ」


 目の前のイケメン陸上部員は、どこか重荷を下ろしたような素振りだった。


「希月さんに惚れて、誰かを好きになるのは、いいもんだなって思った。でも、他人の陰湿な感情を見せ付けられてまで、我慢して恋愛し続ける気分にもなれなくなったんだ」


 俺は、じっと近江の双眸を覗き込んだ。

 静かで、落ち着いた目だ。

 決意と諦観が相半ばして窺えるような気がした。


「それでいいのかよ」


「いいも悪いもないさ。もうこれ以上、厄介事に関わるのは御免だ」


 そう告げると、近江は肩を竦めて、その場から立ち去ろうとした。

 階段下から離れるときに、いったんこちらを肩越しに振り返る。


「……逢葉。おまえには、色々悪いことをしたが――俺は何となく、おまえと今後いい友達になれそうなんじゃないかと思ってる」


「いきなり何だよ、気色悪い」


「ははっ。希月さんのこと、泣かすんじゃないぞ」


 近江は、ひらひらと手を振ってみせ、今度こそ歩いていってしまう。

 安っぽいドラマみたいな台詞を聞かされて、思わず頬が引き攣った。

 もっとも近江には、そんな言動がわりと似つかわしく見える。

 憎らしいけど、爽やかな男は何をやってもになるらしい。

 イケメン死すべし、だ。


「おまえまで、勝手に俺と希月をくっ付けようとするな」


 不愉快になって、背後から抗議の言葉を投げ付けてやった。

 だが、それが立ち去る近江の耳に届いていたかどうかまでは、わからない。




 ……とにかく、こうして近江征志郎は、一種の「恋愛休止宣言」を掲げるに至った。

 この事実は、きっと「近江同盟」に属す女子生徒を、尚更喜ばせたに違いない。

 希月の意思表示とワンセットで、連中の願望をいっそう確実に保障するだろうから。


 ただ、俺の知る限り、その成員の中にも一人だけ、あまり浮かない様子の女子生徒が居た。

 おそらく彼女は、自ら事態の一端に関与し、現状を招いたにもかかわらず、強い罪悪感を抱えていたのだと思う。


 その女の子――

 篠森砂世は、近頃学園内での存在感が酷く希薄になった。

 元々控え目で大人しい子だが、図書室で問い詰められて以来、めっきり元気を失くしてしまったように見える。


 詳しい経緯を知らない遥歌は、そんな親友の様子を随分心配していた。

 俺もそれとなく相談を持ち掛けられたものの、いたずらに事情を話すわけにもいかず、ただ聞き役に回ることしかできない。


 俺や希月、近江の心情は複雑だ。

 人間関係を混乱へ導いたことについては、いまだ篠森を完全に許容しかねている。

 だが、「近江同盟」の一員であるがゆえ、希月が無用な批難の対象になる危険性を憂慮した気持ちもわかるのだ。

 いくら親しい間柄でなくても、座視するに忍びなかったのだろう。

 その良心が、かえって俺の個人情報を横流しさせたとも言える。


 仮に俺が篠森と同じ立場だったら、どうしていたか? 

 近江ファン同士のコミュニティの中に居ても、同じことを自分が絶対にしていなかったとまでは、断言し切れる自信がない。


 まあ、そうした部分も踏まえ、篠森にとって遥歌が一番親しい友人だったことは、幸運だったし、同時に大きな救いだった。

 我が幼馴染たる学級委員長の存在が、いずれ篠森のことを、再び俺たちにとって「身近なクラスメイトの一人」として、受け入れさせてくれる――

 そう信じたい。



     ○  ○  ○




 ところで、今年の十二月二日(水)という日付けは、俺が希月に屋上で告白されてから、丁度一ヶ月が経過したことを意味する。

 さらに二十日遡った十月十二日は、希月が初めて俺こと逢葉純市のことを、「婚活」の対象として認識した日だ。


 果たして、希月は五十日後の自分を、当時どんな状況になると想像していたのだろう。


 自分の告白は、もっとすんなり受け入れられて、恋人同士の甘い時間を過ごしていると思っていたのだろうか。

 それとも、交際までは多少の回り道があるけど、さすがに一ヶ月も粘れば、俺があいつの執拗さに折れて、今頃は結婚後の将来設計を語り合っている――と、それぐらいの予測は見積もっていたかもしれない。


 けれど、現実に訪れた展開は、そのいずれでもなかった。

 ある意味において、このあと事態は俺さえも夢想だにしない方向へ転がっていくことになる。




 ……それでは、物語の続きをはじめよう。


 ここから先は、いよいよ希月と俺が、互いの信じるものを掲げ合い、どうしようもなくすれ違ってしまう、ある青春の日々の記憶だ。

 それはまた、打算と純情、現実と理想、確かなものと不確かなものの争いでもある。



 そして、以下の経過報告に最後まで目を通したとき、きっと誰もが理解するだろう――


 希月絢奈の「婚活」が、いかにして終了してしまったのかを。

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