第四報告【黒幕の正体】

21:同類、相憐れむ。

 月が移り、師走に入った。

 ついに今年もあと一ヶ月となり、そこかしこに気忙しい空気が漂っている。

 年末年始の各種行事も迫りつつあるものの、差し当たり学園内に浮かれ気分の生徒は多くなかろう。

 今月九日からは、全学年で期末考査という試練が待ち受けている。

 明日か明後日になると、危機感を募らせた連中が寄り合いを作って、図書館で試験対策に追われはじめるに違いない。


 それゆえ、十二月一日(火)の放課後は――

 たぶん、混雑を避けて図書室が利用可能な、テスト前における最後の一日だった。


 その日の午後五時になる少し前。

 俺と希月は、二人で図書室のドアを潜った。

 目指す先は、窓際沿いの自習スペース。

 かつて何度か、希月の手作り弁当を食べるときに使った場所である。


 書棚の列をすり抜けながら進むと、そこには見知った先客が居た。

 長椅子に腰掛けて、文庫本を手にしている。

 ……ただし、それほど読書に集中している雰囲気でもない。

 時折、ちらっと顔を上げては、居住まいを正すような仕草をして、窓から屋外を眺めていた。


 俺と希月は、その様子をたしかめると、互いに目配せし合う。

 静かに後方から歩み寄って、その人物に声を掛けた。



「やっぱり、ここに来てたんだな」



 長椅子に座っていた女の子は、びくっと身体を震わせる。

 それから、恐る恐るといった動作で、こちらを振り向いた。

 ふわふわした栗色の髪が揺れる。猫背気味の姿勢が小柄な身体と相俟って、リスみたいだ。


 ――篠森砂世は、怯え切った瞳で、俺と希月を順番に眼差した。


「あ、逢葉くんと、希月さん……。どうして、ここに?」


「篠森と少し話がしたかったんだ。この場所に来れば、おそらく会えると思った」


 長椅子の前に置かれたテーブルの上へ目を向ける。

 透明フィルムと包装紙が広げられ、手作りクッキーが乗っていた。

 ついこないだ、俺も試食を勧められたやつと同じだ。


「篠森は、文芸部員で図書委員だもんな。よっぽど図書室が気に入ってなきゃ、なかなか一人で両方掛け持ちしない」


 文芸部は、西校舎に専用の部室もあるけど、あまり大きな部屋じゃない。

 そのため文集作りなどでは、放課後に図書室を使うことも多いと聞く。

 図書委員会の活動場所については、言わずもがなである。


「え、あの……。でも、きょ今日の放課後は、どっちの活動もなかったけど……」


「知ってるさ。それでも、きっと篠森は居ると思った。……ここは、傍に自販機もあって、クッキーを摘みながら、静かに本を読むには絶好の場所だし――」


 俺は、篠森に話し掛けつつ、窓際まで歩み寄った。

 ガラス越しに、遠くの声が聞こえて来る。

 屋外では、すでに運動部が放課後の練習をはじめていた。


「この窓からは、校舎に隣接したグラウンドが一望できるからな」


 目を凝らして、そこに広がる光景を見渡す。

 土のグラウンドで躍動する、様々な体育会系の部活動。

 野球部、サッカー部、ラグビー部、ラクロス部なんてのも見て取れる。

 ……そして、もちろん陸上部も。


 大きく呼気を吐いて、俺は長椅子の側を振り返った。

 篠森は、蒼白な顔になって、胸元でぎゅっと読みさしの文庫本を抱き締めている。

 それは、以前本屋で購入したはずのミステリ小説だった。

 戦後を代表する社会派作品。

 この本を書いた有名作家も、しばしば真犯人に無害そうな女性を設定していた――



「――篠森。おまえが俺の個人情報を、恋愛相談所に無断で提供したんだな」



 辺りは一瞬、時間が止まったような静寂に包まれた。

 俺の問い掛けに対し、篠森は瞳を見開いたまま即答しない。

 それから、たぶん実際には十秒ぐらいでしかないと思うのだが――

 恐ろしく長い長い、まるで永遠にも等しい沈黙が流れた。そんな気がした。


「……ど、どうして……」


 しばらく経って、唇をわななかせながら、篠森はさえずるように声を発した。


「私が、そんなことをしたって……逢葉くんは、考えたの?」


「実は恋愛相談所の存在を知った頃から、該当人物はそう多くないと思っていた。理由は、どちらかと言えば消去法的なものだな」


 俺は、窓の脇へ数歩下がって、壁面から突き出した柱に寄り掛かった。


「推測の根拠は、希月から聞かされた俺自身の個人情報だ。改めて思い返してみると、詳細かつ正確な内容に驚く。それどころか、情報の精度が高すぎるし、あまりにプライベートな要素まで含まれすぎている気さえしたんだ」


 生年月日や血液型、身長体重の類なら、身体測定時の情報を入手する方法があったのかもしれない。学業成績は、物好きなやつがクラス全員分の試験順位を調べていたかもしれない。

 しかし、好きなサッカー選手とか、好きな食べ物はどうだろう。

 百歩譲って、世界的名手であるメッシはヤマ勘で的中させられても、たぶんは当てずっぽうでわかる好物じゃあるまい。カレーライスならともかくとして、だ。


 そして、そんなことを知っている人間は、かなり限定される。

 例えば、よっぽど俺の身近に居て……

 おまけに、付き合いの長い人物ぐらいだ。


「だから、まず真っ先に疑いを持ったのは、幼馴染の遥歌だった。あいつになら、俺の趣味や好物を把握されていても、それほど不思議じゃない。もう十年ぐらい一緒だし、今以上に仲がいい時期もあった。お互い、小学校や中学校の卒業アルバムだって、持ってるからな。――だけど、どうにも俺には、あの遥歌が直接的な関与者だとは思えなかった」


 希月がバスの中で、俺に対する好意を初めて打ち明けた際、遥歌は本心驚いていたように見えた。

 あれが芝居だったとは思えない。

 希月のために情報提供した人間であれば、不自然な反応だ。


 それに何より、遥歌は恋愛相談所の利用者じゃなかった。

 本人にも訊いてみたけど、そもそも恋愛相談所の存在自体を知らないようだった。

 まあ、他にも引っ掛かった部分はあるのだが、それをここで言及するのは避けておく。


「そこで、『遥歌じゃなければ誰か』ということになる。でも、遥歌と同程度に付き合いが長く、俺にとって身近な人間は、この学園にほとんど居ない。……とすれば、次に疑わしいのは、だ。あの子と親しく、比較的よく行動を共にしている人物。何気なく会話の中で俺のことを持ち出しても不自然じゃなく、それに遥歌が屈託なく応じそうな相手――それで思い当たったのが、おまえだよ篠森」


 昨日の放課後、あれから恋愛相談所で、天峰に問い質した。

 ――俺の個人情報を提供した人物は、篠森紗世だったのではないか、と。

 天峰は、無論守秘の姿勢を堅持し、真相を打ち明けることはなかった。

 けれど一方で、篠森が恋愛相談所に利用者登録している事実については、たしかに是認したのだ。そのときの態度は、さすがに動揺を隠し切れていなかった。



「おまえのことを心の片隅で訝るようになってからも、懐疑を確信へ変えるまでには、随分と時間が必要だった」


 腕組みしながら、さらに推理の先を続ける。


「何たって、がいまひとつ判然としない。『篠森が恋愛相談所に情報提供することで、どんなメリットがあるのか?』――これがなかなか明確にならなかった。でも、一連の出来事に関して、ここまでの経過を帰納法的に捉えてみると、そのすべてがに貫かれていることに気付いたんだ」


 篠森は、口元を引き結び、伏し目がちに視線を落とす。あたかも、唐突に降り注いだ雷雨から、小動物が我が身を守ろうとするように。

 俺は、しかし躊躇なく言葉を継いだ。



「篠森は、近江のことが好きだったんだな。……ずっと、あいつに気があったんだろ?」



 そう前提してみれば、手掛かりは沢山あった。


 図書室のこの窓から、しばしば篠森がグラウンドを眺めていたことだってそうだ。

 本好きだからってだけで、図書委員と文芸部員を掛け持ちしていたわけじゃない。

 自然に図書室へ入り浸る状況を演出するために、二つの肩書きを利用したのだ。

 そうやって、いつも遠目に陸上部の練習風景を見詰めていたのだろう。


 また、篠森の自宅は「北区十七条」にある、と言っていた。

 然らば、出身中学は、学区的に星澄第一ということになる。

 近江征志郎と同じ学校だ。

 俺と遥歌が雛番中学出身の幼馴染であるように、篠森も中学時代から近江を知っていたに違いない。


 きっと赤根屋書店で出くわしたことも、偶然ではなかったのだ。

 俺と希月の行動を、近江が尾行していたように、希月を追っていた近江のことを、篠森も密かに気に掛けていたとすればどうか。

 放課後、希月の予定が空いていたのを近江が知っていたように、篠森も近江の部活が休みだったのを、天峰を通じて知ることができたはず。

 ――すなわち、あの日「尾行中の近江を、篠森も尾行していた」のではないだろうか! 



「……


 もう一度つぶやいて、反芻する。


「この件の発端は運動部の合コンで、希月と近江が知り合ってしまったことにあったんだ。近江は、そこで希月に一目惚れしてしまった。――そう。丁度かつて、


 床の上で、ばさっ、という物音が鳴った。

 篠森の手から、抱えていた文庫本が滑り落ちたのだ。


「……な、なぜ、それを……」


「今のは、鎌を掛けてみただけさ。実は確証なんてなかった。でも、以前に学食で、篠森は恋愛がはじまるきっかけについて、こう言っていたよな――必ずしもはっきりした理由である必要はないし、一目惚れだってある、ってさ」


 その上で、さらにこう続けたのだ――


(――自分にはないものを持っている相手に憧れて惹かれる場合もあり得ると思うし……)


 ひょっとするとあの一言は、篠森自身の恋愛体験だったのではないか? 

 近江と篠森を対比して考えたとき、ふっと脳裏にそんな考えが浮かんだ。

 長身でスポーツマンの有名人である近江と、小柄でいつも引っ込み思案な篠森。

 あまりにも対照的な二人ではないか。

 ――だから、した。



「それはさておき、話を戻そう。合コンのあと、近江は一週間と待たずに恋愛相談所に登録した。天峰に裏を取ったら、九月十日のことだった。希月が恋愛相談所を訪れ、俺のことを知ったのが翌月十二日。生徒会役員選挙が実施された週の月曜日なんだ。双方のあいだには、一ヶ月余りもの間隔が空いている。これは、もし天峰が部外協力者から情報提供を入手したあと、すぐさま希月にそれを伝えたのだとしたら、あるひとつの発想を示唆しているのではないか? ――俺は、そう考えた。どういうことかと言うと、『近江が希月に一目惚れをしたからこそ、俺の個人情報は横流しされた』のかもしれない、という可能性さ」


 ――詳しく身辺を調べようとすれば、大抵一ヶ月ぐらい掛かる。

 天峰は、情報ソースの開示を求めた際に、そう言っていた。

 この期間は、まさにぴったりと符合するわけだ。


 一方、棚橋によれば、有名人の近江は「女子生徒からモテモテ」だった。

 その近江が恋愛相談所に登録し、希月にアプローチを掛けようとしていた。

 もし日頃から、あいつに片想いしていた女の子が知ったとすれば、大変な衝撃を受けるだろう。

 事態の推移に不安を抱いて、何らかの妨害工作を画策しようと考えるかもしれない。

 ……いや、現に居たのである。


 近江に片想いする女の子――

 篠森砂世は、かくしてある計画を考案した。


 それは、「近江が告白するより先に、希月を別の男子生徒と交際関係にしてしまおう」というものだったのだ。


「先週の金曜日、俺は希月から『自分たちは同類だ』なんて指摘された。俺と希月、希月と近江のあいだには、それぞれ似たような関係性がある、ってな。そして、俺は以前、希月と近江が付き合えば、希月が俺から離れてくれると考えたことがある。だったら、を目論む、もう一人の同類が居たとしたって、不思議はない」


 近江が恋愛相談所に登録して以後、篠森は一ヶ月という期間を使って、希月の「婚活」にあつらえ向きの男子生徒を探し出したのである。

 その該当者こそが、俺こと逢葉純市だった。


 希月は、俺みたいに「設定条件にぴったりの男子は、なかなか居ない」と言っていた。

 それは事実かもしれないし、実際はもっとよく探せば、他に当て嵌まる人間が見付かったのかもしれない。


 けれど複数居たにしても、やっぱり俺が選ばれていたのだろう。

 何しろ逢葉純市は、朱乃宮遥歌の幼馴染なのだ。

 篠森から見て、俺は「親友の友人」で、かつクラスメイトである。

 より多くの正確な情報を取得するには、一番手っ取り早いし、容易な標的ターゲットだったに違いない。



「どうだ、篠森。……ここまで俺が話した内容に、事実と異なる部分はあるか」


 俺は、たしかめるように問い掛けた。


 それからまた、数秒の静けさが下りた。

 夕暮れの斜光は、物体の影をいっそう長く引き伸ばしつつある。

 このとき、カチッ、カチッ……と、壁掛け時計の時を刻む音だけが、周囲の空間を支配しているかとさえ、錯覚しそうだった。


「――わ、私……今頃になって、とっても、大事なことを思い出したわ……」


 ややあってから、篠森がちからなく顔を上げた。


「逢葉くんの趣味は、残らず調べたつもりだったのに。――『好きな本は、ミステリ小説』。そんなところまで、同類だったんだね、私たち……」

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