16:怪しげな雲行き

 それから近江は、次々と自分のことをしゃべりはじめた。


「おれが希月さんと初めて話したのは、二学期がはじまって間もない頃だ。陸上部の仲間に付き合わされて、無理やり顔を出すことになった合コンの席だった。……おれにとって、人生で初めての合コンでもあった」


 最初に合コンを企画したのは、恋愛相談所の笠野先輩だそうだ。たしか以前、俺が希月と初めて部室を訪れたとき、ドアを開けて出迎えてくれた人だな。

 笠野先輩は、バスケ部所属の彼氏が居て、体育会系の部活に太いパイプを持っているという。

 それで運動部がらみの合コンを、しばしば取り纏めているらしい。


 近江は、陸上部の先輩から指示されて、当初嫌々ながらも出席せざるを得なかった。

 長身でイケメン、おまけに文武両道という「優良物権」ゆえ、女子側の関心を引くために、参加が義務付けられていたようだ。


 もっとも、合コンに対する不満は、出席者の自己紹介が終わる頃には、あっさり霧消していた。

 女の子たちの中に一人、とんでもなく可愛らしい同級生が居たからだ。

 鳶色がかったロングヘア、キラキラして宝石みたいに大きな瞳、明朗快活で、アイドルそのものといった容姿の美少女――

 そう、希月絢奈である。

 完全に一目惚ひとめぼれだったみたいだ。


 だが、場慣れしていないせいもあり、その席では連絡先を交換し損なったという。

 希月のことが忘れられずに、近江は恋愛相談所へ登録を申し出た。

 男子の中でもだったから、歓迎されたのは当然だ。この辺りは、棚橋とは訳が違う。


 ……ただし、いざ手続きを取ろうとしてみたら、とっくに第三者の手で自分の個人情報が相談所内に集積されていて、酷く面食らったりもしたそうだが(つまり、こいつもある面では、俺と同じ被害者だったわけだ)。


 とにかく、その後SNSのコミュニティを通じ、近江はどうにか希月と接点を作ろうとした。

 しかし、これまで何度かメッセージを送ってみたものも、好ましい返事は得られていないらしい。


「ひょっとして、もう希月さんには恋人が出来たんじゃないかとも思った。それならそれで、潔く身を引くつもりだってあったんだ。――でも、他の運動部の知り合いに訊くと、いまだに希月さんはあちこちの合コンに参加してるって言うじゃないか。おれは何だか妙に思って、笠野先輩に彼女のことを訊いてみることにした。そうしたら……」


「事実関係の中で、俺の存在が浮上してきたってわけか」


 たしかめるように訊くと、近江はうなずいてみせた。

 こりゃ、とんだ茶番劇だな。


「それで先々週も、俺と希月の間柄が気になって、こっそり本屋まで尾行ストーキング紛いの行為に及んだと?」


「あ、あれはその、たまたまあの日一度だけだ!」


 近江は、慌てて弁解しようとした。

 さすがに悪趣味だって意識はあったか。

 それとも、俺の口から希月に伝わるのを恐れたか。


「恋愛相談所で聞いた話が本当なのか、この目でたしかめるまでは信じたくない気持ちがあったのは認めるが……。その、希月さんが万一、変な相手に騙されて、実際は弄ばれているだけだったりしたらどうしようかって、心配だったんだ」


 変な相手に騙されて、ね。

 むしろ一緒に居て、ちょくちょく身の危険を感じているのは、俺の方だけどな。

 なんたって、あいつと来たら、付き合うなら結婚前提じゃないと――

 って、ん? そういえば……


「なあ、近江」


 今更ながら気になって、俺は訊いてみることにした。


「おまえは、希月があんなに頻繁に合コンに参加してる理由を、知っているのか?」


「ああ、してるからだっていうんだろ。少なくとも、おれが合コンで初めて会ったときには、そう言っていたが」


 やっぱ知ってるんだな。


「ということは……近江は、希月が交際を承知するなら、あいつと将来結婚する心積もりだってことか」


「いや、止してくれよ。さすがに現時点で、そこまでは決めていない」


 すぐさまかぶりを振って、近江は苦笑してみせた。

 自然な連想だと思ったのだが、こいつの思惑は違うらしい。


「おれだって希月さんのことは、もちろん本気だ。――でも、おれたちはまだ高校生じゃないか。今後十年経ったときにどうなってるかなんて、お互いまったくわからないだろう。短絡的な約束で余計な期待を持たせるのは、おれだけじゃなく、希月さんのためにもいいことだとは思えない」


 ……だよなあ。

 男の側の立場としては、わりと俺も同感だったりする。

 けれど、あの子が望むものは違うのだ。


「それじゃ、きっと希月は納得しないぞ」


「おれだって、すぐに彼女が同じ考えを共有してくれるとまでは思っていない。何しろ、合コン以降はまともに会話する機会すらなかったんだから。しかし、じっくり話し合えば、こちらの言い分もいずれ理解してくれるはずだ」


 要するに、説得するつもりだってことか。


 そりゃどうかなあ。

 近江の方針を頭ごなしに否定したくはないんだが、何たって相手は希月なのだ。

 無理が通れば、道理は引っ込む。

 これまで何度も滅茶苦茶な目に遭わされた俺としては、真っ当な道理で説き伏せに掛かっても、あいつが簡単に承知するとは思えないのだが。


 とはいえ、ここで近江を思い留まらせるような権利があるわけでもない。

 希月は俺の恋人じゃないし、近江には自分の気持ちを希月に伝える自由がある。


 だから俺はこのとき、「……そうか」と言って、首肯することしかできなかった。


「じゃあ、おれはもう行くことにするよ。これから部活の練習なんだ」


 近江は、そう言って踵を返すと、グラウンドへ向かって歩き去った。



     ○  ○  ○



 ――かくして近江征志郎は、自らの固い決意を語っていたわけだが。

 当の希月絢奈は、その翌日以降も、相変わらず俺の身の回りに出没し続けていた。


「今日は六花橋のスーパーで、生鮮食料品が特売日なんだよ」


 教室で朝刊の折り込みチラシを取り出し、目の前へ突き付けて来る。

 見れば、そこには「ゼロが付く日は得の市!」「毎週金曜午後からはハナキンセール!」などという文字が躍っていた。

 記載されている品物は、なるほど原価割れなんじゃないかと驚くぐらい安い。

 にしても、もう花金ハナキンって死語なんじゃないですかね。


「そんなわけで放課後、逢葉くんには買出しに同行してもらうから。――このチャンスに、来週以降のお弁当作りで使う食材をGETだよっ」


 希月は、堂々と豊かな胸を張って言った。


「同行してもらうって……すでに決定事項なのかよそれ」


「うふっ。だって今朝、お義母さんにもこのことを話したら、『逢葉くんあの子のことは、絢奈ちゃんが荷物持ちに使っていい』って。しっかりお墨付きをもらえたんだよ。しかもお義母さんからは、材料費代だって、お小遣いまで預かっちゃってるもん」


 いつの間にそんな談合を済ませていたんだ。侮れないやつ。

 おまけにあの母親と来たら、また妙な口出ししやがって。

 まったく、俺と希月と、あの人はどっちの味方なんだ! 


 ……そりゃどう考えても希月の方だよな……。

 朝食の用意も手伝ってるし、俺の昼の弁当も作ってるもんなあ、こいつ。

 尚、うちの母親が弁当の材料費を出資したのは、実はこれが初めてじゃないらしい。

 まあ、いくら希月がアルバイトしてて、弁当作りが自発的な行為であるにしろ、金銭的な負担を掛け続けるわけにゃいかんわな。当たり前か。



 とにかく、そういった経緯を伴って、十一月二十日(金)の放課後が訪れた。

 校舎の外へ出てみると、何だか空は薄暗くて、曇り気味だった。

 もっとも希月にとって、自然環境の推移なんぞは、スーパーの特売日に比すれば大した関心事じゃないらしい。鼻歌混じりで学園正門を出る姿は、上機嫌にすら見えた。


 目指す特売スーパーは、通学路を少し外れ、国道沿いに東区方面へ十分ほど歩いた場所にある。ここ十年ぐらいで大きくなった住宅街が近い。

 大きな自動ドアを潜ると、買い物カゴをカートに乗せて、店内へ入った。

 希月が前を歩き、俺はカートを押しつつあとに続く。


 スーパーの売り場は、意外に混雑していなかった。

 特売日なのに奇妙だと思っていると、希月が「近所のお客さんは、たぶん午前と午後の早い時間帯に、粗方買い物を済ませてしまったんだと思うよ」と、教えてくれた。

 改めて店内を見回してみる。

 たしかに特売コーナーだったと思しき箇所には、商品名が書かれた札に「完売」の文字が上書きされていた。


 希月は、そんな周囲の状況に動じる素振りも見せず、店舗各所を迷わず歩く。

 まずは青果コーナー、次に加工食品、精肉、鮮魚……

 目玉商品の類じゃないけど、平時より明らかに安売りされている品を、丹念に吟味していた。

 売り物の状態や消費期限などを確認し、買い物カゴへ放り込む。

 迷いのない動作は、まるっきり物慣れた主婦のようだ。


「うふーっ。こうして一緒にお買い物してると、私たちもひょっとしたら知らない人には新婚さんみたいに見えちゃうんじゃないかなっ♪」


「いや、そりゃねーだろ。二人共、高校の制服を着てるわけだし」


 くだらない妄言を、俺は素っ気無く否定する。

 すると、希月は不満げに頬を膨らませ、こちらを半眼で眼差してきた。

 客観的な事実を述べたつもりなのだが、気に入らなかったようだ。


「もぉ~……冷めてるなあ。こんなに可愛い制服女子高生が新妻だなんて、最高じゃない」


「ていうか勝手に新妻になるな」


 何はともあれ、店内を一回りして、俺たちは買い物を終えた。

 レジで精算を済ませ、作荷台まで運ぶ。まとめて購入したので、けっこうな量になった。

 食材毎にカゴから取り出し、レジ袋へ小分けに入れていく。

 それを改めてダンボール詰めにすると、希月はその場へ店員を呼んだ。


 宅配サービスで、家まで送ってもらうらしい。

 購入金額が三千五百円以上なら、市内に限り送料無料だそうだ。



 買い物カゴとカートを戻し、スーパーの出入り口へ向かった。

 自動ドアのガラス越しに屋外を見て、俺と希月は思わず一瞬黙り込む。

 ――雨だ。それもかなり激しい。


「……知らないうちに、けっこう降って来ちゃったね」


 頭上から大粒の水滴が乱れ落ち、地面を叩き続けている。

 駐車場のアスファルトは黒く染まり、景色はかすかに煙っているみたいに見えた。


「希月、傘は持ってきてるか?」


 問い掛けると、希月はかぶりを振ってみせる。


「逢葉くんも?」


「ああ、持ってない」


 空を見上げ、今更のように先週の天気予報を思い出した。

 ――「来週以降はやや荒れ模様」。

 わりとよく当たるんだな、あれ。

 と言っても、もはや手遅れだが。


 さあ、これからどうしよう。

 雨の中を歩いて目指すには、六花橋のバス停や地下鉄駅は少し遠い。

 ずぶ濡れになるのを、覚悟せねばならないだろう。

 しからば、どこかで多少時間を潰し、雨脚が過ぎるのを待つべきか……

 あれこれ考えを巡らせながら、辺りを見回す。


 ふっと、そのとき。

 ガラス越しの視界に、ダークブラウンの渋い看板を見て取った。

 国道を挟んだスーパーの斜向かいに、それはちいさな建物の存在を示している。

 喫茶店みたいだ。


 雨で見え難いが、店名は……

 漢字で大きく「鍵」と書かれた脇に、「-シュリュッセル-」とルビが振られている。

 ドイツ語だな。

 ウィーン風コーヒーのオーストリアをイメージしているのかもしれないが。


「なあ、あの店でしばらく雨宿りでもしていくか?」


 俺は、喫茶店を指し示して、提案した。

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