14:好きと嫌いや過去と未来

 ――恋愛の破綻に伴う「損失」。

 そういった概念を会話の中で持ち出されたのは、これが初めてだ。

 交際の失敗を語るにあたって、いささか大袈裟な表現にも思われる。


「……恋愛に失敗したとき、常に男の側に問題があるとは限らないだろう。良くも悪くもなんじゃないのか、こういうことは」


 まだ俺は高校生でしかないけれど、人生には誰だって(もちろん恋愛に限らず)失敗が付き物だろう。

 問題は、経験から未来に何を得るかだったり、どうやって次の一歩を踏み出すかじゃないのか。

 しかし希月は、不満げな表情を保ったまま、反駁を受け流した。


「私はね、損失時の補填になる担保が欲しいんだよ」


「損失の担保?」


 鸚鵡返しに訊くと、希月は「そう」と首肯した。


「だから交際相手には、いずれ婚約に合意してもらわなきゃ。そうすれば最低限、不当な破棄の場合にも契約違反で訴えることが可能だから」


 ……こ、こいつ、ガチでそういう意図があったのか……。

 かすかに背筋が寒くなった。


「それで、これまで俺はもちろん、合コンでも言い寄る男には『交際するなら結婚が前提で』――なんて条件提示し続けてきたのか」


「そうだよ。……まあ、結果はご覧の通り。みんな尻込みして、いまだに誰もお付き合いしてくれないんだけどね」


 それは尻込みじゃなく、たぶん対象者側として常識的な判断である。

 けれど、この子にとっては苛立たしく、ままならぬ現実なのだろう。


「わりと自分なりには頑張ってるつもりなのに、一向に誰も恋人になってくれないのって、こう見えてもわりと辛いんだよ。直接告白を断られたりするわけじゃなくても、遠回しに避けられたり、フラれて失恋してるのと、実質的に似たようなところがあるし。もうそれが、何度も、何度も……」


 希月は、溜め息混じりに話すと、上体を引いて椅子の背もたれに寄り掛かった。


「まあ、こんな愚痴を言っても、逢葉くんにはわかってもらえないかもしれないけど」



「――いや。ちょっとぐらいは、察しが付く気はする」


 一瞬考えてから、俺は一定の共感を示してみせた。

 それが意外だったのか、希月が少しだけ目を見開く。

 俺は、そこへもう一言付け加えた。


「俺にだって、女の子と上手くいかなかった経験ぐらいならあるってことだ」


「……えっ。そ、そうなの?」


 希月は今度こそ、はっきり驚いた様子で問い返してきた。

 この子にしては、案外珍しい反応かもしれない。


「まあな。これでも人並みには青春らしきことをして、相応に恥を掻いたりもしてるってわけだ。――そういうわけで、告白したり、恋愛が思うようにならなかったりしたときの気持ちも、まったくわからないではない」


「ふーん……」


 俺の話に耳を傾けてから、希月は少しだけうつむいた。テーブルの上へ視線を落とし、あれこれと思考を巡らせているみたいだった。

 だがその後、すぐにまた顔を上げ、こちらを拗ねたように眼差してくる。


「逢葉くんって、そのわりに私の告白はちっとも受け入れてくれないんだ。考えてみると、それはそれで酷くないかな?」


 何とでも言え。

 それは過去の出来事と、まったく別問題だろう。

 おまえが恋愛観を改めようとしない限り、どうしたって乗れない相談である。

 俺としては、安請け合いするほど無責任じゃない点を、かえって誠実な態度だと評価してもらいたいぐらいだ。



     ○  ○  ○



 夕食を終えて、星澄セラフタワーを出ると、外はすっかり暗くなっていた。

 それに少し肌寒い。

 頭上には、冴えた大気の層を挟んで、無数の星をちりばめた夜空が広がっている。


 俺と希月は、家路に着くため、星澄駅を目指して歩いた。

 陽が落ちても、まるで行き交う歩行者の波は絶えない。

 雑踏にはむしろ、これから夜の繁華街まで繰り出そうとする人の割合が多そうだ。

 今日は日曜日だから、友人を集めた飲み会とか、何かの打ち上げ、あるいは合コンでもあるのかもしれない。


「そう言えば、今日は棚橋も合コンがあるとか言い触らしていたな」


 ふっと今頃、学校で聞かされた話を思い出した。

 恋愛相談所を介して、あいつも青春らしきものを謳歌しているみたいだ。

 棚橋も日頃から、交際相手を欲しがって、身近な人間に紹介を頼んだりしているような男である(希月ほど切迫した雰囲気はないけど)。

 それをもし「恋人を得るための努力」と呼び得るとすれば、友人として多少は報われるように祈ってやらんこともない。


「よくよく考えてみれば、わりと最近まで棚橋が恋愛相談所に登録していなかったのも、不思議な話だったかもしれないな」


 俺は続けて、素朴な疑問を口にした。

 すると、おもむろに希月が「ああ、それなら――」と、いかにも何でもないことのように答える。


「きっと、これまで単純に棚橋くんを、誰も勧誘しようとして来なかったんじゃないかな。恋愛相談所自体、学園内では非公式な組織でしょう? 何度も合コンに参加して、相応にを作ってからじゃないと、存在を知る機会さえなかったりするし」


「……そういうもんなのか?」


「実際、逢葉くんだって、占星術研究会の部室へ連れて行ってあげるまでは知らなかったよね? ――男子で恋人が欲しいって利用者は余ってるから、女子からの需要が低そうな人は、簡単に登録できないことも多いんだよ」


 何それスゲェ差別じゃねーの。

 などと思ったのだが、希月の見解は違うらしい。


「それでも棚橋くんは、一年生のうちに登録されることができたんだから、頑張ったんだと思う。女子は年上男子を好きな人の方が多いから、二、三年生男子の方が基本的に市場価値が高いんだよ。……そもそも、藤凛学園に恋愛相談所なんてものがあることすら知らずに卒業しちゃう男子だって居るわけだし」


「ひでぇな。年齢だけでもふるいに掛けられたりするのか」


「ちなみに、男子は逆に年下女子を好きな人の方が多いせいで、一年生女子が市場価値を高く見られ易いからね」


 ……このロリコン共め……。

 マジで色々と嫌気が差してきた。




 交差点の横断歩道を渡れば、駅前のバス停は目の前だ。

 希月は電車だけど、俺がバスに乗車するのを見送ってから帰る、と言って付いて来た。

 先に帰れと言っても聞き入れない。

 あまり邪険にもできず、好きにさせるしかなかった。


 車道に沿って三つある停車場のうち、一番奥に立っている標識へ歩み寄る。

 他にバスを待つ人影は、傍に見当たらない。

 時刻表を見て、雛番中央行きの発車時刻をたしかめた。

 午後七時から八時の欄を、目で探る。


「ねぇ、逢葉くん」


 そのとき、希月が不意に隣から声を掛けてきた。


「さっき、レストランで話してくれたのことなんだけど」


「……何だよ」


 ついぶっきらぼうな返事になった。

 バス時刻のチェックに、半ば意識が傾いていたからでもある。

 一番早い便は、午後七時五十一分。

 あと五分少々だ。



「君が上手くいかなかった恋愛の相手って、朱乃宮さんなの?」



 俺は、たっぷり三秒間、時刻表を眺めたまま身体を硬化させた。

 ちいさく呼気を吐き出してから、ゆっくり希月を振り返る。

 どう答えるべきかなんて、その時点で考えるだけ無駄だろう。

 即座に否定し得なかったことが、そのまま事実を雄弁に物語っている。


 そうだ。

 俺は、朱乃宮遥歌が好きだった。

 今だって、嫌いになったりしたわけじゃない。

 だが、その恋愛はかつて失敗に終わったのだ。


 遥歌は、近所に住んでる幼馴染で、小学校時代から一緒に居て……

 みんなが困っているとき、誰もが嫌がることを進んで引き受ける女の子だった。

 昔から、あの子はずっと変わらない。

 そんな姿に惹き付けられた。


 そして、中学生の頃に、俺から彼女へ告白したんだ。

 ――遥歌のことが好きなんだ、と。



「やっぱりね。たぶん、そうじゃないかと思ったよ」


「なぜ、そう思ったんだ?」


「それはまあ、何となく……雑な言い方をすれば、なんだけど」


 希月は、そっと瞳を伏せ、静かにかぶりを振ってみせた。


「毎朝、朱乃宮さんと通学中にバスでやり取りしてるうちに、逢葉くんとのあいだに微妙な空気感があるのは感じてたから」


 そいつは大した直感だ。

 おまえには、読心術師か心理分析官の素質があるかもしれんぞ――

 なんて、軽く茶化してやろうと思ったのだが、タイミングを逃してしまった。

 希月が先に質問を重ねてきたからだ。


「ねぇ。どうして、君と朱乃宮さんは上手くいかなかったの?」


「どうしてもこうしてもねーよ。俺が告白して、あいつにフラれたんだ」


「……それだけ?」


 希月は、ちょっと顔を上げて、こちらを不可解そうに眼差してきた。

 もう過去の話に、やたらと突っ込んで来るなあ。

 俺は、苦笑しながら、腕組みしてみせた。


「遥歌は、才色兼備のお嬢様で、人徳もあるしっかり者だぞ。そういう高嶺の花の女の子に、あらゆる部分での俺が――単に幼馴染だからって、もしかしたら脈があるんじゃないかと錯覚し、身の程も弁えず告白した。……で、結果として、フラれたんだよ」


 希月の表現を借りるなら、自分の「恋愛市場価値」を見誤っていた。

 少なくとも、その点に相違はなかろう。

 第三者からすれば、疑念を差し挟む要素などないはずだ。

 ところが、希月はこの場合に限って、すんなり納得しようとしなかった。


「それは、たしかにそうかもしれないんだけど」


「じゃあ他にどんな理由があれば、おまえは満足するんだ」


「逆に訊き返されても、わかんないよ。……ただ、釈然としないところがあって。あのね、これも何となくなんだけど、朱乃宮さんは――……」


 そこまで言い掛けて、希月の言葉は突然途切れた。

 奇妙に感じて、何事かと様子を窺ってみる。

 宝石みたいに大きな瞳は、正面に広がる夜の街並みを見詰めていた。



「お姉ちゃん……」


 希月の口元から、そんな言葉がかすかに聞こえた。

 彼女の視線の先をたどって、俺も同じ方向を眼差す。


 ……そして、驚いた。

 車道を挟んだ反対側の歩道に、希月とよく似た鳶色がかったロングヘアの女性が居たのだ。

 コートを羽織っていて、背丈も少し高く、ここからは横顔しか見えないけれど……

 そこはかとなく雰囲気に共通したものが漂っている。

 その女性は、ややうつむき加減に、一人でとぼとぼと街路を歩いていた。夜間であることも手伝ってか、表情は暗く、快活さが感じられない。


(――ああ、結婚したら雪子ちゃんが義理の妹になってくれるだなんて、憧れちゃうな~。うちに居るのは、お姉ちゃんだし)


 思い出した。

 いつだったか、希月がそんなことを言っていた。

 とすれば、あそこを歩いているのが、この子の姉にあたる人物なのだろうか? 


「逢葉くん、ごめんなさい。ここで君をお見送りしようと思ってたけど、やっぱり私、もう行くことにするね」


 希月は、急にそんなことを言って、こちらを振り向いた。

 宝石みたいな瞳には、いつになく真剣な光が覗いている。

 それを見て、俺は絞り出すような声で答えることしかできなかった。


「……ああ、わかった」


「ごめんね。それじゃ、また明日学校でね」


 希月は、もう一度繰り返すように謝ると、小走りに傍から離れて行く。

 その後ろ姿を眺めながら、俺はどうにも言語化し難い、厄介な感覚に囚われていた。


 横断歩道を渡ったところで、希月は彼女の姉と思しき女性に声を掛けたようだ。

 互いに歩み寄ると、姉妹で連れ立って星澄駅の構内へ消えた。

 雛番中央行きのバスが到着したのは、そのすぐあとだ。



 俺と希月にとって初めての休日デートは、こうして終了した。

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