第二報告【目指せ婚活の星を!】

8:手作り弁当はお金じゃ買えない

 朝食は、無駄話などせず、素早く済ませた。

 希月がうちの母親と親しげにしている空気は、あまり居心地のいいものじゃなかったからだ。

 俺は通学鞄を抱え、そそくさと自宅を出た。

 もちろん、希月も一緒に付いて来る。

 通学鞄をベルトで背負って、さらに別のバッグを手から提げていた。


 慌しく玄関を潜ったところで、婚活中を自称するクラスメイトは、「まだ時間に余裕はあるし、そこまで慌てなくても……」と、少々不満げにつぶやく。

 まだ堀を埋め足りなかったとでも言うつもりだろうか。


 それで俺は堪らず、例の「仮交際」とかいう関係ですらないのに、希月のやり方は横暴だととがめた。

 おまけに近々、合コンで他の異性も品定めしておく予定だって入れているくせして、何を考えているんだ、とも。


「うちの家族に事実が露見したら、気まずくなるのはそっちなんじゃないのか」


 そんなふうに指摘してやると、さすがに希月は渋い顔になった。


「私だって、本心から言えば、合コン自体はあまり好きじゃないんだよ。でも、このままくんが――」


、だろ」


 即座に訂正する。

 こいつもしつこい。


「……逢葉くんが、どうしても私を恋人にしてくれないんだったら、どこかで妥協して、他の交際相手に乗り換えなきゃいけないじゃない。もちろん、あくまで逢葉くんとお付き合いするのが第一志望なんだけど――未花ちゃんも言っていたように、誰しも人生の時間は有限だもん。上手くいかなかったときのことも見据えて、保険が欲しいの」


「じゃあ、おまえは仮に合コンで、第二志望にできそうなやつと知り合ったとして、その相手に『貴方は私の恋愛のです』って言うのか」


「そんなこと、面と向かって言ったりはしないよ」


「直接言わなくても、実質的には同じような扱いをするんだろ」


「だけど、私はちゃんと『お付き合いする場合は、必ず結婚を前提に』とは言うよ。逢葉くんに告白したときみたいに」


 俺が断定的に言うと、希月は少しむっとした様子で反発してくる。


「そして、もし相手の男の子が、私のをある程度満たした上で、それを真剣に了承してくれるのなら、逢葉くんと本命のポジションを入れ替えていいとも思ってる……」


 だが、そこまでしゃべってから、やや声のトーンを落とした。


「現実には、そういう人とは合コンじゃ一度も出会ったことがないけど」


 そりゃそうだろう。

 大抵の合コン参加者は、もっと気軽な感覚で異性と知り合うために来ているはずだ。

 でなきゃ、単なる人数合わせに呼ばれただけとか。

 少なくとも、学生が開く合コンで、希月みたいな重い恋愛を望んでいる人間は、たぶん少数派だと思う。


 もっと言えば、いくら相手が美少女でも、いきなり将来に関わる決断を下せる男子高校生は、合コン会場には普通居ない(いや、大学生や社会人だって厳しいだろう)。

 むしろ、即座に了承されたりするようなら、何か裏がありそうなものだ。



 俺は、肩を竦めてみせてから、通学路を歩きはじめた。希月もあとに続く。


「そこが結局、で、本物の婚活との差なんだよね。単なる合コンじゃなく、正真正銘の婚活パーティだったら、もっと参加者の意識が違うと思うの。交際に臨む姿勢とか、覚悟の部分とか……」


「でも、今後も一応は参加し続けるんだろ?」


「もちろん、余裕があれば。絶対に良縁がないとも言い切れないし」


 希月は、ちょっと早足で隣へ進み出ると、こちらを上目遣いにちらりと覗き込んできた。


「……ただ、正直言って望み薄だとは思うけれど」


 だから、せめて「希望条件」に合致した異性として、俺との接点ぐらいはキープしておきたいってことか。いい迷惑だ。


 だがおそらく、そうした側面も含めて、「責任が軽い恋愛の限界」があるのだろう。


 そもそも、あの「藤凛学園恋愛相談所」が斡旋している男女交際は、ちょっと考えてみただけでも色々とおかしい。

 本人に無断で個人情報を横流ししていたり、紹介相手が交際を断った事実を把握していても食い下がってきたり……

 まともな本物の婚活とは、明らかに異質だと察せられる。


 気になって、その辺りの事情についても、希月に改めて質問してみた。

 すると案の定、普通の「結婚相談所」では、男女問わず任意で登録した利用者の個人情報しか取り扱わないし、交際拒否の手続きも相談員を介して、メールなどで円滑に処理されるらしい。

 一度断られた相手とは、以後基本的に連絡を取り合えなくなるみたいだ。

 企業毎にシステムや対応の差異はあるだろうけど、無用のトラブルを回避する観点から言えば、いずれも当然だと思う。



 そんなことを二人で話しているうち、雛番中央通り三丁目の停留所に着いた。

 行列の後ろに並び、少し待つ。

 やがてバスが目の前の車道へ滑り込んで来た。

 乗車して一区間揺られると、次のバス停で黒髪ポニーテールの幼馴染と合流する。


 遥歌だ。

 こちらに気付いて「おはようございます」と、穏やかな笑顔を見せた。

 俺と希月も、吊り革を掴んだまま挨拶を返す。

 遥歌は、今朝も車内で俺たちの傍に立った。


 三人になると、希月は相変わらず遥歌に気安く話し掛けはじめる。

 女子同士特有のやり取りで、くすくすとちいさな笑い声を漏らす。

 ……ただし会話の最中、希月はふっと探るような目つきになって、遥歌を眼差す瞬間があるように感じた。思い過ごしだろうか。



 何はともあれ、六花橋の停留所で下車し、藤凛学園の正門を潜る。

 教室に入るとSHRを挟んで、この日の授業がはじまった。




     ○  ○  ○



 やがて午前中の授業が終了し、昼休みが訪れた。

 生徒は皆、思い思いに休憩時間を過ごしはじめる。

 無論、その大半は昼食を目的とした行動だ。

 教室内で弁当の包みを広げたり、連れ立って学食へ向かったり、といった具合に。


 俺もまた空腹を抱え、食事の摂取を必要としている。

 そして、そのための昼食が目の前に用意されていた――

 自称「婚活女子高生」によって、手ずからこしらえられた弁当が。


「うふーっ。さあどうぞ召し上がれっ」


 希月は、晴れやかな笑みで、弁当箱を差し出してきた。


 ここは、学園西校舎二階の図書室だ。

 自習スペースの一角で、長椅子とテーブルが設置され、すぐ近くに自販機もある。

 窓際だから日当たりも良く、建物と隣接したグラウンドが一望できた。

 休憩場所としては、かなり快適な空間だ。

 ――にもかかわらず、図書室内部という立地ゆえか、定期考査が近い時期以外だと、あまり近寄る生徒はいない。

 俺と希月は、そこの長椅子に並んで腰掛けている。



 実は今朝の登校時、こいつの荷物が妙に多かったのは、俺のぶんまで弁当を持参していたからなのだった。

 驚くべきことに昨夜は、うちの母親にも固定電話で直接連絡を入れていたらしい。

「明日の純市くんのお昼ご飯は、私にご用意させてくださいっ」

 などと、電話口でのたまったとか。


 当然うちの母親も、当初はいささか戸惑って、「お世話になるのは悪いから」と断ろうとした。

 だが、希月のあまりに熱心な申し入れを聞くうちに、やがて落涙し、「うちの息子を、どうかよろしくお願いします」と答えたという。

 その返事って弁当についての件だけだよね? 

 なんかおかしくない? 


 ……まあ。とにかく、そういう経緯があって。

 二日連続で、俺は普段と異なる昼食に臨む羽目になっていた。

 食事場所に図書室を選んだのは、屋外だと寒いし、ここなら人目が少ないからだ。



「さあさあっ。逢葉くん、早く早くっ」


「わかったから急かすなよ」


 希月がはやし立てる声を制しつつ、俺は膝の上に置いた弁当箱へ手を掛けた。

 ごくり、と息を呑み込み、ゆっくり蓋を持ち上げる。


「おっ、これは……」


 思わず、目を見開いてしまう。

 弁当箱の内容は、おかずが六割以上を占めていた。

 彩り鮮やかで、見た目にも華やかだ。


 定番の卵焼きは形状が美しく、基礎的な調理技術の高さを窺わせた。

 シーフードマリネは、サーモン・タコ・ホタテなどを野菜と和えた一品。

 トマトやブロッコリーといった生野菜にマッシュポテトを添えたサラダは、爽やかな風味がドレッシングから漂っている。

 ぱっと見たところ、アスパラのベーコン巻きも絶妙な焼き加減だ。

 そして、何より大きなハンバーグが目を惹く。たぶん、粗引き肉を捏ねて作ったものだろう。甘い香気を放つソースは、自家製のデミグラスに違いない。


 尚、四割弱の容量に当たる白米の部分は、見て見ぬ振りをすることにした。

 表層部でピンクの桜でんぶがハートマークを描いていたからだ。

 この婚活女子高生、やることが古典的かつベッタベタである。



 隣では、希月がこちらをガン見していた。

 すげぇ食べ難いんだが。

 とはいえ、ぼけっと弁当を眺めているだけ、というわけにもいくまい。

 俺は、意を決して、はしを手に取った。


「……いただきます」


 まずは、何を措いてもハンバーグから。

 一口大に崩すと、割った面からたちまち肉汁が溢れ出す。

 すでに冷めているけれど、充分に柔らかかった。

 箸の先端に挟んで持ち上げ、口内へ運ぶ。


 ――そのまま、もう一口。

 次いで白米を食べる。

 さらにハンバーグを一口。

 再び白米を一口。

 そのまた次は、シーフードマリネだ。

 魚介の歯応えに、適度な酸味がよく合っている。

 もう一度白米を口に含んで、またしてもハンバーグ――……


「どう? 美味しいでしょう?」


 黙々と食べていると、希月が問い掛けてきた。

 いや、質問というよりは、「明白な事実の確認」といった口調だ。

 箸を動かす手を止めて、いったん顔を上げる。

 傍らには、まさに「得意満面」を絵に描いたような希月の顔があった。

 何となく、イラっとさせられる。

 しかし、事実は事実として、受け入れねばならないだろう。


「そうだな……。まあ、思っていたより美味い」


 言い換えれば、想像以上ということである。

 どうも希月の思惑に嵌められている気がするし、こいつの態度も気に食わないから、いくらか控え目な表現になってしまったけれど。

 事前に吹聴していた通り、希月の料理スキルの高さに偽りはないようだ。


 むしろ、そうして自らハードルを上げておきながら、そのレベルをもう一段か二段、軽々と超えてくる美味さ! 

 ちょっと我を忘れて、腹の中に掻き込みたくなるぐらいの完成度である。

 そんな俺の内心を見透かしてか、希月はますます調子に乗ったらしい。


「うふーっ。遠慮しないで、もっとハッキリ『今まで食べてきたどんな弁当よりも美味い!』って言えばいいと思うよ」


 明るく声を弾ませ、手提げ鞄から小振りの魔法瓶を取り出す。中身を上蓋に注いで、こちらへ手渡してきた。

 レモンティーだ。

 丁度、飲み物が欲しいところだった。

 受け取って、一気に喉へ流し込む。

 その有様を横から、希月がにやけた目つきで見詰めているのを感じた。


「ちなみに今日のお弁当は、調味料のぶんを差し引くと原材料費三百円未満かな」


 この上、節約自慢かよ。

 もっとも、その値段で、これだけのクオリティが出せるのは凄い。

 きっと金の代わりに、手間と工夫を惜しまず費やしたのだろう。

 盛り込まれているおかずのバランスも良く、栄養面も申し分なさそうだ。


「あと私、お料理だけじゃなく、家事全般に自信があるから」


「……そうかよ」


「やっぱり婚活してる以上、花嫁修業は大切だと思って」


「なるほど頑張れ」


「どれもこれも、私の未来の旦那さまのためなんだよ?」


「さあ、その役目を押し付けられる男は誰なんだろうな」


「突然ですが大変幸運なお知らせです! なんと、今なら貴方にも応募の権利がっ!」


「絶対それ、当選連絡詐欺メールの文面だろ……」


 うんざりした気分で切り返すと、希月は半眼になって口を尖らせた。


「逢葉くんは、こんなに可愛くて家庭的な私の、いったいどこが物足りないのかな?」


「主に、その痛々しい性格と打算塗れの結婚観だな」


「……ちぇーっ。女の子に無駄な幻想ばかり抱いてないで、ある程度は相手を受け入れることも覚えないと、そんなんじゃ永遠に結婚できないよ」


 おまえのセールスポイントとは、残念ながら相手に求める評価の要点が違う。

 俺の嗜好に照らした場合、容姿の良さや家事技能は必須要素ではない。

 でも、人間性には最低限の譲れないラインが存在するのだ。


 だいたい、幻想を捨てて受け入れろと言うなら、希月だってそうだ。

 相手に「結婚を前提に交際してくれること」を必ず強要するのは、当面あきらめるべきじゃないか。

 その点さえ除外すれば、今よりずっと多い異性が交際対象になるだろう。

 おそらく、俺に対して執着する必要もなくなる――

 いくら他の部分も含めた希望条件が、ぴったり合致するとしても、だ。



「はあぁーあ~っ……。何だか、私もお腹が空いてきちゃったよ」


 希月は、居住まいを改めて、大きな溜め息を吐いた。

 それから再度、手提げ鞄へ手を入れる。

 と、内側から箱型の包みが現れた。

 洒落たデザインが施されたビニール製のラッピングだ。

 俺が受け取った手作り弁当とは、随分と趣きが異なっている。


「おい、なんだよそれ」


「これ? 私のぶんのお弁当だけど」


 希月は、包装を取り去って、プラスチック容器を開ける。

 そこに詰め込まれていたのは、やたらと見栄えの綺麗な料理の数々だった。


 造形からして、明らかに一般家庭で作られたものじゃない。

 ペーストにした肉類を正方形に固めて焼いたと思しきもの。

 きらきらしたゼリー状のソースが降り掛けられたもの。

 魚介や野菜を何層にも重ねて立体的に飾り付けたもの……

 たぶん、俺の乏しい知識に寄れば、フランス料理じゃないかと思う。


「実は、純市くんのお弁当を作るのに夢中になりすぎちゃって。食材が一人分しか冷蔵庫に入ってなくて、自分のお昼ご飯まで用意するだけの分量がないのを、今朝になるまでコロッと忘れてたんだよねー」


 希月は、己の失態を、妙にうきうきした口振りで語る。


「で、どうしようかなーって、ちょっぴり困ったんだけど。そのとき、うちの近所にわりと評判のフランス料理店があるのを、ふっと思い出したんだよ。そこでは早朝から、数量限定ランチボックスを販売してるの。これは丁度いい機会だし、試しに買ってみようかなって」


「……それ、いくらぐらいしたんだ?」


「えーっと。たしか、税込二千八百円だったかな?」


 めっちゃたけぇなオイ! 

 いや、でもガチのフランス料理だと考えれば、逆にお手頃価格なのか? 

 なんかキャビアっぽいのが乗ってるおかずも入ってるし……。

 相場がわからん。

 ていうか、本来は誰が主要な購買層の弁当なんだ。出勤前の会社社長とかか? 


「うふーっ、これ凄く美味しいぃ~♪」


 希月は、フォークで料理を口に運ぶと、幸福そうな声音を漏らした。


 ついつい、双方の弁当を見比べてしまう。

 手作り弁当(原価三百円)と、数量限定ランチボックス(税込二千八百円)。

 前者を作ってくれたのは希月で、後者を自費で購入したのも希月だ。

 俺は、そのうち手作り弁当を、ただご馳走になっているだけ。

 何もおかしなところはない。

 感謝すべき要素こそあれ、文句を言うような筋合いじゃない。当たり前だ。


 だけど、どこか釈然としない。

 何か漠然とした恐怖を感じる。



 以前、テレビのワイドショーか何かで知ったのだが、世間には「奥様ランチ」という言葉があるのだそうだ。

 既婚女性が平日の昼間、レストランで注文する一食二千~三千円前後のランチメニューのことだという。

 一方その頃、配偶者男性は会社の昼休みに何を食べているのか? 

 調査してみると、一食五、六百円程度で、出来合いの食べ物を買って済ませている人が多い――という結果が出たとか。


 ……無論、それがどこまで鵜呑みにしていい話かはわからない。

 ただ、隣に座る希月を見ていて、そういった夫婦も存在するらしきことを思い出した。


 そして、この子は、俺に結婚を前提とした交際を迫っている。

 女の子と一緒に居て、こんなに自分の将来が不安になったのは、初めてだった。

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