4:藤凛学園恋愛相談所

 昼食を終えると、俺は棚橋と二人で教室へ戻った。

 篠森は、図書委員の仕事があるらしく、廊下を引き返す途中で別れた。

 図書室に寄ってから戻るのだという。

 遥歌も、それに付き合うからと、一緒に離れていった。


 一年一組の前まで来ると、そこには二名の男子生徒が俺たちを待っていた。

 クラスメイトの菅井すがい盛山もりやまだ。

 何の話かと思えば、合コンの勧誘だった。

 最近ちょくちょく、運動部のメンバーが中心になって、男子の参加者を集めているという。

 咄嗟に希月の婚活が連想されたけど、口を噤んで黙っておいた。


 誘いを持ち掛けられ、棚橋はすっかり乗り気になったようである。

 しかし、やり取りが参加者定員の件に及ぶと、渋面になって俺の顔を眼差してきた。


「おい、逢葉は参加を遠慮しろよ」


 そうするのが当然だ、と決め付けるような口振りだった。


「おまえは、希月さんから好かれてるみたいなんだろ? だったら、ここはオレに譲れ」


 好かれてるったって、別に交際してるわけじゃないし、する気もないのだが。

 そもそも、あっちが一方的に言い寄ってきているだけだ。


 でも、棚橋などからすれば、何であれ俺がここで合コンに参加を希望することは、許容し得るものではないのだろう。

 それは何となくわかる。


 なので、あえて逆らったりはせず、俺は肩を竦めてその輪から外れた。

 本音を言えば、誘われても気の進まない話だと思っていた。



 自分の席に着いて、ぼうっと少しほうける。

 窓の外を眺めながら、次の授業は英文法か……

 などと考えていると、こちらへ歩み寄ってくる気配を感じた。

 屋内に目を戻し、振り返って顔を上げる。


「逢葉くん。昼休みは今まで、どこへ行っていたの?」


 俺の机のすぐ傍に、希月絢奈が立っていた。


「私も用事で席を外していたんだけど――早めに戻ってきてみたら、君の姿が教室のどこにも見当たらないから、ちょっぴり驚いちゃったよ」


「昼飯を食うのに、棚橋と学食まで行ってただけだ」


「……おや。逢葉くんって、普段から学食派だったかな? 私が把握している情報の範囲だと、たしか君は基本的にお弁当持参で学校へ来ているはずだと思ったんだけど」


 毎度ながら、そんな細かい情報をどうやって掴んでるんだおまえは。


「今朝は、希月が押し掛けてきて、早めに家を出る羽目になったからだよ。バタバタして、持って来忘れたんだ」


 故意に嫌味がましく言って、半眼を向けてやる。

 けれど、希月は「ふうん。そっかー」と、とぼけた素振りでうなずいてみせただけだった。

 反省の色はない。


 どうやら、こいつの良心や常識には、人並みの期待を掛けちゃいけないようだ。

 俺は、あきらめて、話題のベクトルを変えることにした。


「ところで、そういうおまえは、昼休みにどこへ何しに行ってたんだよ」


「私? 私はね――西校舎三階まで、現状のに、かな」


「……けいかほうこく?」


 思わず、間の抜けた声で繰り返してしまった。

 何なんだそれは……。

 科学研究の検体か、それとも急病患者の容態に関する話か? 

 いずれにしろ、昼休みに校内で取る行動と、あまり日常的に縁のある四字成語には思えない。


 言葉の意味を理解し損ねていると、希月がこちらをにやにやと眼差してきた。

 面白がるような、意味不明の優越感を漂わせた目つきだ。


「うふっ。何の経過報告なのか、教えて欲しい?」


 また、このパターンか。

 色々と謎の多いやつだ。

 単に種明かしをもったいぶっているだけのようにも見えるが。

 それと、薄々わかってたけど、案外こいつ性格悪そうだな! 


 うんざりした顔で睨み返してやると、希月はなぜか得意げに笑みを浮かべた。


「気になるんだったら、放課後にへ連れて行ってあげよっか? ……あれこれ回りくどい説明をするよりも、その方が手っ取り早いと思うし」


 どういうことだ――

 尚もそう問い質そうとしたけれど、断念せざるを得なかった。


 昼休みの終了を告げるチャイムが鳴って、英語教師が入室してきたからだ。

 辺りを見回すと、すでに他のクラスメイトも皆、教室に戻ってきているみたいだった。

 希月も俺の傍から離れ、何食わぬ表情で席に着く。

 日直の号令で挨拶を済ませると、午後の授業がはじまった。



     ○  ○  ○



 五時限目、六時限目……

 と授業は進み、やがて放課後が訪れた。


 昼休みが終わってからこっち側、俺は勉強の合間に考え事ばかりしていた。

 教師が語る教科書の内容も、頭の中を右から左へ素通りしていくようで、あまり身が入らなかった。


 思考の中心を占めていたのは、もちろん希月絢奈に関する疑問である。

 あの子が言っていた「経過報告」とは、何のことなのか。


 語句自体から推量すれば、

に何らかの現状について、知らせに行った」

 というぐらいの意味になるのだろうが……


 その相手とは誰で、知らせた内容とは何なのか? 

 さらに謎は広がる。



 あれこれ逡巡した挙句、俺はあえて希月の誘いに乗ることにした。

 あいつが「いいところ」と表現していた場所まで、同行してみようと決意したのだ。

 たぶん、そこへ付いて行けば、少なくとも「経過報告」の疑問は解消する。

 希月の言葉を鵜呑みにするなら、そうなるはずだった。


「そうやって最初から、なんでも私の誘いを聞き入れてくれればいいのに」


 教室から俺を連れ出すと、希月は上機嫌で言った。廊下を歩む足取りも軽い。


「素直に恋人になってくれれば、悪いようにはしないよ? 何度も言った通り、将来的にはそのまま結婚することが前提だけど」


 どう聞いても、危険な取り引きを持ち掛けてられている印象しか受けない言い草だった。

 ひとまず、黙って受け流す。

 心情的には、明らかに「そんなのお断り」だ。

 ――けれど、少なくとも今は、こいつの裏にある事実を突き止めたい。

 そのためには、清濁併せ呑むことも必要だろう。


「そうだ、逢葉くん」


 西校舎の階段を上る途中、希月は踊り場でこちらを振り返った。


「明日は、私が君のお弁当を作ってきてあげよっか。私が料理に自信があるってことは、一昨日おととい告白したときにも言ったよね? ――私がお家へ迎えに行くせいで、逢葉くんがお弁当を持って来忘れたりするのなら、そのぶんの埋め合わせはするよ」


 唐突な申し出だ。

 俺は、目を白黒させざるを得なかった。


「希月。おまえ、やっぱり明日も朝から俺の家まで来るつもりなのか」


「当たり前だよ。むしろ、ああいうことは継続しなきゃ恋人らしくならないもん」


「何度も言うけど、俺はおまえの恋人になるつもりなんてないんだが」


 すぐさま抗議したけれど、こっちの話は全力で無視スルーされた。


「私のお弁当を食べたら、きっと美味しすぎて、婚姻届を市役所まで提出しに行きたくなるに違いないんだから」



 藤凛学園高校の西校舎には、主に特別教室や文化部の部室が密集している。

 希月が俺を連れてきた場所は、三階でも一番奥まった廊下の突き当たりだった。

 入学以来、こんなところには初めて立ち入った気がする。


 そこには、四角い磨り硝子が小窓に嵌め込まれたドアがあって、

「占星術研究会」

 というプレートが掲げられていた。


 この学校に、そんな部活が存在していたのか。


 希月は、その部屋の前に立つと、右手で軽くノックした。

 そのまま十秒近く待つと、ゆっくりドアが内側から開く。


 部員と思しき女子生徒が、その隙間から顔を出してみせた。

 胸元で結んだ制服のリボンは、緑色。

 つまり、二年生の先輩だ。


「……あ。たしか貴女は、一年生の希月さんだったよね」


「はい、こんにちは笠野かさの先輩」


 希月が挨拶すると、笠野と呼ばれた上級生は微笑んだ。

 ショートヘアで、控え目な雰囲気の先輩だった。女子にしては割り合い背丈が高く、俺と数センチしか変わらない。


天峰あまみねさんは、もうこちらに来ていますか?」


「うん。未花みかちゃんなら、奥に居るよ。……えっと、ところで――……」


 笠野先輩は、希月の質問にうなずいてから、こちらを探るように眼差してきた。

 俺の存在に気付いて、訝しく思ったのだろう。

 希月がすかさず、俺の名前とクラスを明かした。


「彼は、私と同じ一年一組の逢葉純市くんです」


「……一年一組の、逢葉くん……」


 反芻するように、口の中で繰り返す。

 それから、ようやく何かに思い至ったという面持ちになった。


「ということは、彼が未花ちゃんの話にも出てきた、あのピッタリだっていう――」


「はい」と、短く明快に答える希月。

 二人のあいだでは、何やら話が通じたらしい。


「まあ、何はともあれ部室に入って、絢奈ちゃん。……それと、逢葉くんも」


 笠野先輩にうながされ、希月は占星術研究会のドアを潜った。

 いまひとつ事情が飲み込めないが、仕方なく俺もそれに倣う。



 そこは、広さ十二畳ほどと思しき、正方形の一室だった。

 文化部の部室としては、かなり上等な部類の活動場所ではなかろうか。

 ちょっと意外な気がした。


 室内の中央より若干手前寄りには、ファンシーな動物柄の敷布が掛かったテーブルがある。

 よく見ると、会議室などにある長机を、平行に二台揃えて置いたものらしい。

 その上には、硝子容器に飾られた花とか、キャンディーで溢れた籠、ティーンズ女子向けの雑誌や金属製の雑貨、などといったものが載っている。


 左側の壁面には、木製の棚が一列に設えられていた。

 そこにずらりと並べられているものは、星占いや恋占い、それに天体観測に関する本と、水晶球やタロットカードのような占い道具。

 床には、リノリウムの上から臙脂えんじ色のカーペットが敷かれていて、入り口で上履きを脱いで入室した。


 ところで、何より目を引いたのが、この部屋の奥に位置するスペースの一角だ。

 そこだけが紫紺のカーテンで仕切られ、人目をはばかるような具合になっている。

 ……いかにも、怪しげだった。


「おい、希月。おまえ、占星術研究会の部員だったのか?」


 気になって小声で耳打ちしたのだが、希月は澄まし顔で否定した。


「ううん、違うけど」


「じゃあいったい、ここの部活とおまえに何のつながりがあるんだ。笠野さんって先輩とのやり取りを聞く限り、随分親しげにしているみたいだったが……」


「一言で言えば、占星術研究会の皆さんには、以前から色々と相談に乗ってもらっているんだよ。――校内でのに関して」


 希月の返答を聞いた瞬間、思わず言葉に詰まってしまった。


 ――校内での「婚活」に関する相談? 

 我が耳を疑わざるを得ない。


 希月が日頃から、結婚を前提とした交際相手を求めていることは知っているけど、まさかそれに協力している人物が居るだなんて。

 ……いや、ここまでの状況から察すると、占星術研究会という部活が、組織ぐるみで手を貸しているということか? 


 俺が驚き戸惑っていると、笠野先輩は部室の奥にあるカーテンの傍まで近付いていった。

 その隙間から、間仕切りの向こう側へ声を掛ける。


「未花ちゃん。絢奈ちゃんが相談に来てくれてるけど」


「……あー、そうでしたか。すみません、今行きますからっ」


 こちらまで明るい返事が聞こえた。

 アニメに出てくる幼女キャラみたいな、やけに特徴的な高音域の声質だと思った。


 そのすぐあと、カーテンを潜って、内側から別の女子生徒が姿を現した。

 制服のリボンは、一年生を示す黄色。明るい茶髪のセミロングを、サイドからバレッタで留めている。

 この女の子がおそらく、希月から「天峰さん」と呼ばれ、笠野先輩からは「未花ちゃん」と呼ばれていた当人で間違いなかろう。



「お昼振りだね、絢奈ちゃん。――本日の放課後も『藤凛学園恋愛相談所』をご利用頂き、誠にありがとうございます♪」


 セミロングの女子生徒――

 天峰未花は、軽く片目を瞑ってみせると、わざとらしく言った。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る