第三章「タソガレイド」

第十話「タソガレイド」




0/プロローグ


 ――陽が沈んだ直後、段々と道行く人の顔が判別できなくなった頃。ふとすれ違った人を見たら、それが人ではなかった……そんなことが有り得そうな時間。それが私の一番好きな時間だ。


 ――その時間は、怪異に満ち満ちている。一般に、『黄昏時』と呼ばれているその時間。……その時こそが、一番、私が私でいられる時間なのだ。


「――――」


 ――足を止める。何か物音が聞こえたからだ。普段なら気にも留めないほどの些細な音。そんなものに気をひかれたのは、逢魔が時だからだろうか。――――とにかく。それを目と耳で追ううちに、私は交差点の前まで来ていた。

 対面する信号機が赤になり、横断可能を知らせる電子音が鳴きやむ。……だというのに。


『――――ツカメ』

『――――ヲ、』

『――イカイ、ヲ』


 ――だというのにそれは、


『セイカイヲ、――』


 迫りくる自動車の車輪音すらかき消して。


『セイカイヲ、ツカメ』


 私だけに囁きかけていた。


 ――ふと気が付くと。行き交う車両の音は途絶えていて。私は横断歩道の向こう側が気になり始めていて。


「――――あれ」


 まだ赤だというのに車道へ入り込もうとして――――




1/


 二〇一五年度の新学期が始まって、早二週間。未だ校内の慌ただしさは収まらないが、とりえず俺の所属する新聞部は普段の平穏を取り戻していた。――新入生の入部は一人。名は穂村原ほむら。まだ少しだけ距離があるが、仕事はそつなくこなしてくれるので大変助かっている。……むしろ、問題児は同級生の方で。


「……ムネナガ」

「おう、やっと来たかカイ! 色々買ってきたぞー」


 ――この、週刊雑誌とお菓子を大量に部室に持ち込んだ坊主頭の男の方なのであった。


「おいおいおい! そのポテチたちをどこに持っていくってんだカイー! 先輩たちが卒業した今、二年の俺たちがトップじゃねえかよーーー!? ちょっとぐらい好きなことしたっていいじゃんよーーー?」

「うるさい。お前の場合、全部自分で食っちまうだろ」

「……あー。……悪ィ悪ィ! どうしても歯止めが利かなくってよ!」


 ……内心、いや失礼、隠すことが馬鹿らしくなり俺は普通にため息を吐く。吐いてポテトチップスたちを棚の中にしまう。そして棚の戸を閉めたあたりで。


「――そういやよ、カイ」

「ん?」

「歯止めが利かないで思い出したんだけどさ――――また出たらしいぞ、駅裏の交差点で」


 ……立ち止まる。正直なところ、別にショックだったというワケではない。もう何度もこの〝事故〟は起きているのだから。

 ――その事件は、今月に入ってから急に起き始めた。内容はいたってシンプル。


「赤信号下での横断事故。これで八人目だろ? まったく、春はメンタルが乱れやすいとは聞くけど、度が過ぎてるんじゃないか?」

「カイ、あんまりな言い方はよせって。飛び出した側にも、何かしらの理由があったんだろうよ」


 ふざけていることが多いムネナガだが、こいつはこう見えて寺の跡取り。人の死については真摯な態度になる。俺は俺で、別に死者に文句があるわけではないので追及はしない。


「けどさ、ムネナガ」

「あん?」


 ――だが、俺にこの話を振ったという点においては追及する必要があった。


「出たのは死者だけじゃないってこと?」


 ムネナガは「お」と、声を発してから、

「ご名答」

 ――と、それだけ呟いた。


 ◇


「あ、神崎君」

「おう」


 部室を出たところで、ツインテールの少女――黒咲と出くわした。隠す必要もないので言っておくが、黒咲は新聞部の一員だ。部員となったのがこの前の三月なのでひと月ぐらいだが、彼女と学校で会うのにはまだ慣れていない。――それというのも。


「黒咲、その……学校には慣れた?」

「ええ。……勉強、追いつくのは大変だけどね」

「そこは、俺ができるだけ助けるよ」


 彼女、黒咲アイは、色々あって三年間眠り続けていたからだ。


「ありがとう。……それで、神崎君」

「ん?」

「今から、調べもの?」

「ああ。……まあ、取材って言った方が新聞部っぽいけどね」


 今から向かうのは件の交差点。時間は四時半。歩いていけばちょうどいい時間になるだろう。

 ……ムネナガ曰く、事故を目撃した、あるいは関わってしまった人がそろって言う言葉に『突然、交差点の真ん中に人が現れた』という不可思議な共通項があるという。その、余りの異常性と共通性によって、俺に白羽の矢が立ったということらしい。


「じゃあ、行ってくる」

 事件の概要を言って、俺は昇降口まで歩き出す。


「……待って」

 それを、黒咲は引き留めようとする。


「……まだ何かあった? 黒咲」


 本当なら彼女を連れていきたかったが、これは危険な取材だ。そもそも、相手が人間ならいいがそうではない可能性がある。その場合、話し合いにならず、彼女を危険に晒しかねない。それだけは、なんとしてでも避けたかったのだ。


「その、私も行っていいかな」

「ごめん、それはできない。――きっと、危ないから」

「でも、それは神崎君だって――」


 同じだ、と言いたかったのだろう。だが言えない。彼女は少し引っ込み思案で、なかなか自分の意見を言い切れないのだ。無理に直せとは言うつもりなどないのだが、彼女は明らかにストレスを感じている。ほかでもない、己に課した抑圧によってである。……だから、そこだけは、俺の口から言った方が良いのだと思っていた。今まで言わずにいたが、そろそろ言うべきなのだろう。でないとこの先も、このやりとりを繰り返しかねない。


「なあ黒咲」

「……え、あ、はい」


 少しだけ語調を強めて話す。メリハリは大切である。


「俺は、そんな言い方じゃあ止まらない。……もっと芯のしっかりとした、明確な意思で止めてほしい」


 ……なんとなく、ドス黒い〝鎖〟をイメージして言った。……つまり、俺が動きを止めてしまう程の、鎖めいた強さの言葉を、彼女には発して欲しかったのだ。今の彼女を見ていると、そういった元気さが足りていないように思える。……本当はその強さを、彼女が持っていると思ったのだ。


「……そんな、難しいよ、そんなこと」

「いいや、できる。黒咲なら。まだ出来なくてもいい。でも近いうちに、その姿を見てみたい」

「う、うん。……がんばって、みる」

「そっか。よかった」


 そう言って、今度こそ俺は昇降口に向かって歩き出した。


「え、え? 行くの、神崎君?」 

「うん、行くよ。今日は俺を止められなかったからね、黒咲」

「そんなぁ……ずるいよ、神崎君」


 そういう黒咲にひらひら手を振って、俺は取材モードに頭を切り替えた。




2/


 ――俺の住む『二崎市』には、いくつもの怪異が潜んでいる。それは怪奇現象であったり超能力者であったり様々だ。だがその多さのわりに、怪異を認知している者は少ない。それこそ、知っているのは怪異の内にいる、〝同類〟だけである。……何故怪異が頻発するのに認知されないのか。その答えは単純なものだった。


 ――それら非日常は、日常に溶け込みすぎた。怪異のない世界に順応していく内に、いつしか怪異は、その力を薄れさせてしまったのだ。


 だがそれは、当然の帰結と言えた。何故なら怪異という概念は、未知のものでなければ怪異とは言えないからだ。衆目に晒された時点で、それは正体を曝け出すこととなる。結果、それは怪異として存在できなくなってしまう。……だからこそ、怪異は、己が怪異であるために未知で在り続けたのだ。


 だが、隠れ続けるだけが怪異ではない。時折、何かをトリガーにして彼らは姿を現す。時間、場所、性別……そういった条件を満たした人間との遭遇をトリガーにして、怪異は人を襲う。そしてそれは、やはり同類の目に留まり、人々に噂として流入する。――そうやって。怪異は人々に恐怖をもたらし――そして存在を維持するのだ。……それは当然『超能力者』にも当てはまることで、彼らもまた、衆目に晒されればその異能を失ってしまうのだ。結局のところ、知られていいのは、その世界に一部でも身を置いた者にだけなのである。——そうだっただろうか?


「――――さて」


 考え事をしながら歩いているうちに、目的地に着いた。――場所は『二崎駅』、その裏にある交差点。件の飛び出し事故が起きる、妙に人通りの少ない現場だ。

 ……時間はまだある。今のうちに、情報収集といこう。




 交差点付近を調べること数分、夕暮れが近づいてきた。……そろそろだろう。幸い、様々な情報が手に入ったので、怪異と争うことになっても何とかなるだろう。

 とりあえず、今言えることはひとつ。――ここで勧誘をするんじゃない。それだけだ。


「……勧誘するならせめて場所を選べと、それだけ言っておきたいもんだな」


 呟きつつ、歩き始める。――時刻は午後六時二〇分。日は山に沈み始め、行き交う人たちの輪郭がはっきりとしなくなっていく。……いや、そもそも。


「驚いた。一方的な勧誘のために、異界に俺を引きずり込んだか」


 こいつらは――を異界に迷わせた。そうやって、己が存在を維持していたのだ。


「――は。逢魔が時に現れる魔人か。なるほど確かにこれは奇妙だ」


 段々と、忘れかけていたことを思い出してきた。俺と怪異との関係、そして、この世界のカラクリを――――。


「いいね、思い出せたよ。――この感覚を、この世界を」


 目線の先にはいくつかの影。それらはどれも、輪郭のはっきりとしないモノたちだ。それらが、なにか言葉を紡ぎ出す。


『――――ツカメ』

 ――――掴め? 何を。


『――イカイ、ヲ――』

 異界? それとも別の何か?


『セイカイ、ヲ――』

 ……正解? いや――――


『セイカイヲ、ツカメ』

「星塊を――――掴め」


 俺には、その言葉が意味するものがなんであるかが理解できた。

 ――それは何故か?


「――いや、悪いな。その必要はない」

 それこそ簡単な理由だ。


「俺はもう、〝同類〟だからな――――」


 一瞬の後、俺が無造作に放った数本の黒ナイフが突き刺さり、その正体不明たちは動きを止める。死んだわけではなく、ただただ単純にその場に縛られたのだ。


「――ビンゴ。やはりただの思念体だったか。この交差点に縛られているのだから、当然か。……土地への依存心を利用させてもらった。悪く思うな」


 言いつつ距離を詰める。――仕上げだ。

 目視の結果、総数判明。


「なんだ、十人ぽっちか」

 もっと大規模のものであると予想していただけに、いささか拍子抜けだ。


「まあいいや。これから潰す吹き出物に、いちいち感情移入していられない」

 後は潰すだけ。きれいさっぱり、痕が残らないように。


「――核は、そこか」

 十人それぞれの核――心臓のようなもの――を見つける。


「じゃあ、おさらばだ」

 簡単な、実に簡単な別れの挨拶を済ませて。

 

 ――俺は、奴らの核に。


 奴らのトラウマを注ぎ込んだ。




3/


 帰りに、ムネナガの自宅でもある『平円寺』に立ち寄る。二百段ほどの石段を上った先にある山門、その前にムネナガは立っていた。


「ごくろーさん」

「ああ、ホントに。面倒ごとでしかなかった」


 二度とごめんだ、とまで付け加える。それぐらい骨折り損でもあったのだ。


「ありゃ、記事には使えなさそうか?」

「ああ。ダメだなあれは。適合者を超能力者に変えるシステムなんて、どうやって記事にしろっていうんだ」

「うわーお、そりゃあダメだな」


などと驚いているムネナガだが、コイツ、絶対知っていた。だって、目が笑っている。


「お前、分かってて頼んだよな」

「あれ? 分かった?」

「じゃなけりゃ能力者の俺に頼まないだろうし、そもそも――」

「この情報が流れてくるわけがないってワケか」

「そういうこと」


 ……そう。この怪異は、能力者なら誰もが通る道なのだ。姿かたちは場所によって違うのだが、そのどれもに共通するのが『適合者に超能力を与える』ことである。――ただ、今回の場合は、適合者以外も誘い込んでしまうことがあり、その者たちは例外なく授与式から元の世界へと引き戻されてしまっていたのだ。――そして、現実世界に戻った時、交差点の真ん中に立っており――――


「死ぬペナルティはひでえなぁとは思ったんよ? けどよ、一応能力持ちの俺も大丈夫だったしカイもいけるだろうってな」

「お前な。それで俺がふるいにかけられた挙句死んでいたらどうするつもりだったんだよ」

「お前にはツヨシさんいるし、何とかなると思っていました!」

「…………」


 他人の父親をここまで信頼できるというのも、なかなかすごい話だと思う。


「……とにかく、アイツらの核が星塊だったから。もうあそこで能力者も死者も新しく出ることはないと思う」


 手短に結論を話す。……とにかく、一件落着ということだ。


「星塊ねえ。やっぱりよく分かんねえわ、アレ」

「俺も分からないぞ。ただ、それによって能力を発現させているということだけは確かなんだ」


 などと、どこで知ったかもはっきりとは覚えていないことを俺は話す。


「なるほどねー。まあ解決したってんなら良かったぜ。明日の昼飯は奢るぜ」

「お、それは助かる。食費の消費と手間を減らせるからな」

「おう、んじゃ、また明日な」

「ああ。――休むなよ、ムネナガ」

「……分かってるって」


 微妙に目が泳いでいるムネナガを一瞬にらみ、俺は元来た道を帰って行った。


「けど、やっぱり変だな」


 色々とすっきりしない思考をまとめる。すると、答えはひとつになってくれた。同時に混濁していた記憶もはっきりとしてくる。

 ……そして。


星塊あんなの、前はなかったよな」


 もしかすると致命的かもしれないことを、俺は呟いた。




0/エピローグ


 ――陽が沈みかけて、段々と道行く人の顔が判別できなくなった頃。ふとすれ違った人を見たら、それが人ではなかった……そんなことが有り得そうな時間。それが私の一番好きな時間だ。


 ――その時間は、怪異に満ち満ちている。一般に、『逢魔が時』と呼ばれているその時間。……その時こそが、一番、私が私でいられる時間なのだ。


「――――」


 ――足を止める。何か物音が聞こえたからだ。普段なら気にも留めないほどの些細な音。そんなものに気をひかれたのは、逢魔が時だからだろうか。――――とにかく。それを目と耳で追ううちに、私は交差点の前まで来ていた。

 対面する信号機が赤になり、横断可能を知らせる電子音が鳴きやむ。……だというのに。


『――――ツカメ』

『――――ヲ、』

『――イカイ、ヲ』


 ――だというのにそれは、


『セイカイヲ、――』


 迫りくる自動車の車輪音すらかき消して。


『セイカイヲ、ツカメ』


 私だけに囁きかけていた。


 ――ふと気が付くと。行き交う車両の音は途絶えていて。私は横断歩道の向こう側が気になり始めていて。


「――――あれ」


 まだ赤だというのに車道へ入り込もうとして――――


「馬鹿ね。貴方たちの目は節穴なの? ――創造者を試すだなんて」


 入り込む代わりに、数百ほどいた影を十個ほどまでに間引いた。





                        第三章、了。第四章に続く。↓

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