第10話 最奥へ

 そうしてさらに奥へ進むと、綺麗に整えられた白い石の廊下は、いつしか完全に天然の洞窟へと姿を変え、そして開けた空洞へと繋がっていた。

 柱に付いていた明かりはもう無い。その上、岩が地面や天井からのびて視界を遮っているから、アルグが魔法で生み出した光の玉だけでは、周囲をほんの少し明るく照らすだけで、真っ暗な奥、空洞の全貌までは分からなかった。

 ただ鼻に感じる空気が、すっと広がった気がした。その感覚から、ここがさっきまでのような狭苦しい細長い空間ではなくて、横にも縦にも、かなり広い空間なのではないかと、ハルトには感じられた。

 それに水のにおいがする。

 どこからか、せせらぎが聞こえた。

 ハルトがそれに気を取られているうちに、アルグが光の玉を増やして、岩の間に滑り込ませる。そうして淡く照らし出された景色に、ハルトは思わず息を呑んだ。

「……きれい……」

 思わず漏れた声が、空洞に反響する。

 無骨な黒い岩の中に、透明なきらめきがあった。白い光を受けて、あるいは透かして、水面のような艶を帯びる深い青色をした石が姿を現す。同じ色の影を落とす。

 それは、たぶん飛翔石だ。

 この空洞の岩石には、飛翔石が多く含まれているようだった。大小さまざまな青の結晶が、そこかしこから顔を出している。黒く見えるだけの岩にも、砂粒のようにちりばめられた結晶がきらきらしていた。

 たぶん、としか言えないのは、ハルトはこんなにたくさんの飛翔石を、一度に見たことがないからだった。よく見られるのは島の底面から生えている大きな結晶た。それでさえ、島から出たことがない——故に飛空船に乗ったことがないハルトには、見られない。それに多少含まれているとはいっても、島の表面にある土や岩を掘っても、普通は産出しないものだった。

 それが、こんなにたくさん——。

 空洞の入り口に突っ立ったまま、ハルトは動けなくなってしまった。

 ここが島の内部だと思えば、これだけの飛翔石があっても当然なのかもしれない。なにせ、島全体を浮かせなければならないのだから。それだって、ハルトは島の底にあるのだけで充分なのかと思っていた。

 だから——というか、単純に、ここの空気がとても澄んでいて、美しいから。神聖な場所に感じられて、踏み入るのが畏れ多いような……。

「ハルト! こっちこっち! 見て!

 すごい……!」

 そんな心持ちがちょっと台無しになる興奮した声に目を向ければ、いつの間にか横をすり抜けていたキィナが、空洞の奥へ小走りに行って手招きしている。

 ハルトは気後れを感じつつもついて行って、

 そこでまた、ぽかんと口を開け動けなくなった。

 花が、咲いていた。

 桃色の花。しかしそれは普通の花弁ではなく、薄く平たい透明な石の結晶で出来ていた。

 浅く水の流れる岩の台座に、そっと花開く。そうとしか表現できない。薄い結晶が何枚も重なり組み合わさって、蓮に似た花の形を作り上げている。

 それが、一輪、二輪、と。岩と飛翔石の青の間に咲いている。その花は同じ桃色の淡い光まで発していて、周囲をそのやわらかな色に染めていた。

「なに、これ?

 石のお花?」

 手前の光景だって充分に神秘的だった。でもこの〈花〉の浮かび上がらせる景色は、もうこの世のものとも思えないくらいで。この場にいるだけで心が洗われる。そんな心地が、ハルトはした。

『おどろいた。

 私も実際に目にするのは初めてだぞ。

 この花も、間違いなく飛翔石だ。高純度に結晶化すると——というか、完全に純粋な飛翔石は、まるで花のような結晶構造をとる、らしい。色も、青ではなく桃色になるのだな。

 こんなもの、滅多に見られないぞ……』

「…………——。

 ! 飛翔石なんだって」

 側の岩に留まって解説するアルグの言葉。通訳なんて頭の隅から消えかけていたハルトは、やっとそれだけ言った。

「……これも浮かぶ石なんだ。

 他のよりもずっと、すごいよ……」

 キィナは、彼女なりの視点で感動しているらしい。アルグもまた、まじまじと見つめている。

(さすが、魔神の封印を抱える島だけある。浄化の作用が——はっ!)

『いかん!

 見惚れている場合じゃないぞ!

 先を急がなければ!』

 アルグは無理矢理思考を中断して、大仰に翼をばたつかせた。ハルトとキィナが我に返って顔を見合わせているうちに、奥——と思われる方向にさっさと行ってしまう。

「あ」「ダメ、トリさん!」

 キィナが慌てて駆け出す。とてもではないが間に合わなかった。アルグが滑るように進む行く手を塞いで、高く澄んだ音と共に、細かな氷の礫が飛来した。

「ジャーァッ!」

 アルグは翼を広げて方向転換。駆けつけるキィナの傍らにあった岩に、勢いを殺しきれず前のめりに着地——その上むき出しになった青い結晶に足を滑らせ、危うく落ちそうになる。ハルトも慌てて走り寄った。

 氷が飛んできた岩場の陰から、その人はゆっくりと姿を現す。左の頬に涙の印。自ら凍てつかせた白い空気を身に纏う魔女、ヴァイオレットだ。弧を描く杖を片手に、華奢な腰に拳を突く。

「ここから先は、行かせない」

 顎を引く、菫色の眼差しが強くこちらを見据える。

「黒い男がいない」

 目の前の〈花〉に気を取られて彼女の存在に気付くのが遅れたキィナも、今度はすばやく周囲を探って警戒の色濃く口にする。

「ギイド様は先に行かれたわ。

 魔神さえ復活させてしまえば、こちらのものだもの」(わたし一人でも、足止めくらいはできるはず。なんとか時間を稼がないと……)

 ヴァイオレットは紅い唇で笑う。

 一人で金枝亭を襲ったときも、彼女にあまり余裕は無かった。しかしここではそれ以上に緊張していた。本来は華やかな声が、やや硬く、やや重い。「ここから先へは行かせない」と言う。それは「ここから後へは退き下がれない」と同義だった。

 ハルトには分かる。

 杖を握る手が震えそうになって、必要以上の力が籠もる。

 彼女が警戒しているのは、もちろん非力なハルトなんかではない。一度撤退させられた地上の戦士キィナですらなく、ただ喚くだけの赤い鳥——アルグだった。この世で最も偉大な魔術師を自称するその鳥の名前は、一介の魔法使いでしかないヴァイオレットにとって、頭では理解していても恐れを拭い去れないほど、大きく、重く、のし掛かる。

 彼女は「化物」と言った。本当に、化物と相対あいたいしている気分なのだ。

 アルグが短い首を胴に埋めて、ため息混じりに応じる。

『時間稼ぎと分かっているものを、いちいち付き合っていられないぞ』「——て、言ってる」

 その一方、

 呆れた態度をとっているアルグも、その実、かなり困っていた。焦っている、と言ってもよかった。心境だけなら魔女の方がいっぱいいっぱいの様子だけれど、切羽詰まって追い詰められているのは、むしろこちらの方だ。

 時間稼ぎには付き合えない。それはそう。

 とはいえ——。

 ふふ、とヴァイオレットは忍びやかに笑ってみせる。肩に掛かった黒髪を、優雅に後ろへ流した。

「だったらどうするのかしら? 分かっているのよ。そんな鳥の姿では、どんな偉大な魔法使いだって何も出来ない」

「!」

 精一杯の強がりを言って、孤を描く杖を突き出す。淡い桃色の光を押し退けて、菫色の魔法陣が虚空に輝いた。

 アルグに向かって——都合、同じ岩に身を隠すハルトに向かって、拳大の氷の塊が幾つも、勢いよく飛んでくる。

 赤い鳥は翼を広げ、素早く飛び退いた。

 ハルトも慌てて岩の影から転げ出て、また別の——今度はもう少し大きい、余裕のある岩に隠れる。攻撃されると事前に分かっていても、そんな僅かな時差では、おっかなびっくり避けるだけの助けにしかならない。

 がつんがつん、と硬い物音が響いた。

 直ぐさま刃を抜き放って前へ出ようとしたキィナは、続けて杖を振るった魔女の、鋭いトゲの並んだ氷の壁によって阻まれてしまう。

 空洞の天井すれすれで、アルグが耳に痛い声でギャーギャーと喚いた。

『お嬢さん!

 どうしてこんな事をする!

 どうなるのか、分かっているのか!』

 頭を抱えて縮こまったまま、叫ぶように声を張るハルトに、ヴァイオレットは少し訝しげな気配を寄越した。

「それはあのトリの台詞よね」

 見えてもいないのに、ハルトは激しく首を縦に振った。間違っても、自分の言葉だとは思われたくない。

「どうもこうもないわ。

 わたしはただ、ギイド様のお望みを叶えて差し上げるだけ」(それでこの町がどうなろうと、世界がどうなろうと、わたしは知らない。かまわない)

 魔女を中心に、幾つもの青白い玉が現れた。氷の塊よりふわんとした印象の玉は、宙で羽をばたつかせるアルグに狙いを定め、杖の指図に従って次々と向かっていく。

 少しはましになっても、凸凹した天井や岩の柱などが多い空洞の中では、上手く飛べないらしい。それら障害物にぶつかりそうになりながら、アルグはぎこちなく宙を舞い、青白い玉を避ける。その残念な不規則さがかえって軌道を読み難くしたようだ。青白い玉は一つも鳥に命中することなく、天井や石柱にぶつかって割れた。するとその場所が真っ白な霜で覆われる。当たった物を凍らせる作用があるらしい。それがあちこちに着弾して、浅い水流を凍らせ、岩に霜を張り付かせる。

 気温が下がる。顔を覗かせるたび流れ弾に首をすくませるハルトの吐息まで白くなる。

『どれだけ尽くしても、その想いは報われないぞ! 使い道が無くなれば捨てられる! あれはそういう人間だ!』

「馬鹿にしないで下さる?

 そんなのは初めから、承知の上よ」

 青白い玉を右に左にかわしながら、なんとか叫ぶアルグ。そんな鳥の動きを目で追う魔女は、揺るぎなく、ハルトを通して伝えられた言葉を笑い飛ばした。

 そうやって、無慈悲に切り捨てられた仲間を、さんざん見てきた。用済みになれば捨てられる。ヴァイオレットは、自分が例外だなんて思わない。あの方にとって身の周りにいる全ての人間が道具。道具でしかない。だから使えなくなったら捨てる。あたりまえのことだ。

 ギイドにとって、己が全て。

 誰も、何も、信じない。

 ヴァイオレットはその孤独な強さに救われた。どうしようもなく惹き付けられた。だから、全部を捨てて、ついて行くと決めたのだ。

(今更、だ)

 見返りなんていらない。

(それでいい。それでいいの……)

 ハルトには、彼女が自分に言い聞かせているように聞こえた。笑う唇とは裏腹に、ほんの微か、瞳の奥がゆらぐ。決意は本物。けれども割り切れない想いもまた、確かにある。心の奥に仕舞い込んだ……嘆き。頬に刻まれた涙。ハルトにはそう見える。初めから。

「埒があかないわね」

 魔女が手にした杖を持ち直した。

 不器用ながらひらりひらりと全ての玉をかわしてしまったアルグに見切りをつけ、三日月型の杖の先端を天井へ。腕を伸ばし、真っ直ぐ振り上げる。

 昨晩、金枝亭を襲ったあの人形を、呼び出すつもりだ。

「……!」

 ハルトは鳥を振り仰ぐ。

『見上げた忠義だ。

 それなら魔神が復活して、魔法が使えなくなってもかまわないか』

「へ?」

 虚を突かれる。振り上げたまま、手が止まる。ヴァイオレットは咄嗟に、何を言われたのか分からなかった。(魔法が使えなくなる?)戸惑いに杖が下がる。その意味を徐々に理解して表情を曇らせ——しかし、魔女は眉根を寄せ、睨んだ。

「ハッタリね。そんな事を言って、わたしを動揺させようとしたって、無駄」

『嘘ではないぞ。と言ったところで、聞く耳持たないか?

 掻い摘んで説明すると、ばらばらに封印されている魔神の大本になる意識が、〈大河〉の手前にあるからだな』

「……?」

 菫色の瞳が、疑念に揺れていた。

 ヴァイオレットの手が止まったのをいいことに、距離を置いて降りてきたアルグは、そのまま勢い込んでしゃべり始める。

『お嬢さん。魔法院の出身なら分かるだろう。魔法の力の源は、〈生命の大河〉。それからもう一つ重要なのが、ココ』

 言って、アルグが己の小振りな頭をつつく。人間ならたぶんそうしたいのだろうと想像するだけで、鳥の姿では大きな翼で自分の頭を叩いているみたいになった。

『本来魔法とは、術者の頭の中にあるものなのだよ』

 いつになく、とんでもない早口だった。これまでの特訓がなければ、ハルトの舌はとうに追い付かなくなっていただろう。それ以上にアルグの頭は高速で働いて、膨大な情報量から話すべき内容を手短にまとめ上げる。

 そんな捨てられた内容には、一般人のハルトにとって初耳な、魔法の基礎知識が含まれていた。

 魔法とは、万物のモトを成す〈大河〉の力を使って、術者の頭の中にあるモノをこの世に引き出す——具現化する事。生まれながらの才能でしかない天恵とは違い、魔法は後天的によってのみ会得できる技術なのだそうだ。

 現世を生きる人間が大河に触れるには、死ぬしかない。だから魔法が使えるようになるには、極論、死ぬ必要がある。もちろん死んだらそこで終わりなので、魔法院で魔法を修得する際には、擬似的に死を体験する儀式を行うらしい。そして、頭の中にあるモノというのは、その人の経験や知識のことだ。

 つまり魔法使いの修練とは、精神や肉体を極限まで追い詰め、何度となく死に瀕する事であり、また、あらゆる物事に精通して学識を高め、その身を以て実際に体験する事——なのだそうだ。

 ——へぇ……、とハルトが感心する暇も無く、アルグの話はどんどん進む。

『ところが、未熟者は〈大河〉の手前にいる、魔神という巨大な存在に引きずられる。自分の引き出しではなく、魔神の意識——言ってみれば夢から魔法を取り出しているようなものだ。

 そうだとすると、封印が無くなって魔神が解き放たれてしまえば、拠り所としていたものを失って魔法が使えなくなる。お嬢さんだけではない。恐らく、多くの術者がそうだ』

 それは誰かの意図ではなく、魔法が生まれた頃からの不可抗力のようなものらしい。

「…………」

 ヴァイオレットは赤い鳥から目を離さないまま、黙り込んで考える。魔法が使えなくなる。初めて聞く話だった。本当だろうか? とても信じられない。敵の言う事だ。でも、本当なら……?

(ギイド様は何も仰っていなかった。

 知っているのかな……——あっ)

「ギイド様は? ギイド様も使えなくなるってこと?」

『あの男は平気だろう。あの男の自意識は、かなりのモノだったからな』

「そう……」

 目に見えてほっとする。

 また直ぐにはっとして、ヴァイオレットは長い黒髪を揺らし、首をふるふると振った。(ちがうちがう!)これは罠だ。騙されてはいけない。

 力を込めて、顔を上げる。偉そうな赤い鳥を睨みつける。

「だとしても! わたしは与えられた役目を全うするだけ!」

 再び杖を振り上げ、躊躇無く地面に突き立てる。ひときわ大きな菫色の魔法陣が、暗い洞窟を明るく照らした。一瞬の輝きが消えると、そこかしこにある暗がりから、ぞくぞくと、人形でできた大男のような怪物が頭を出し始める。

『むう。失敗してしまったな』

 ひとっ飛びにハルトの側へ避難してくる。側に降り立つ鳥に、ハルトは首を傾げた。

「なにがしたかったの?」

『いや、穏便に説得できないかと。でなければ、気持ちを挫こうかと思ったのだが』

 はてな、とアルグもまた首を傾げる。

 そんなことをしているうちに、怪物が動き出してこちらに向かってきた。いつの間にか隣にいたキィナが、ほんの数瞬気持ちを溜めてから、さっと前に立った。

「ハルト!」(お兄さんがくれた『ぼんっ』てやつ、ちょうだい!)

「!」

 後ろに手を差し出されて、ハルトは慌てて腰に下げた鞄をあさった。手の平にすっぽり収まる玉を取り出す。一緒に来なかったサビーノが、餞別にとくれた物だった。「そんな危なそうなトコ、ちょっと付いて行きたくないなぁ。けど、何か良いモノあったら教えてくれよ」と商魂たくましく付け加えて。

 モノは——煙幕玉だ。

(あっち、回り込める! 行って!)

 指をさして示すまでもなく、ハルトにはキィナの言う道が『見えた』。思うが早いか、キィナは一歩を踏み出しながら、向かい来る怪物たちに玉を投げつけている。

 ぼぅんっ!

 空洞内に幾重にも反響する、びっくりするような音をさせて、玉は破裂。真っ白な煙を瞬時にまき散らす。

 キィナは躊躇わずそこに突進した。彼女の目には、そんな煙は関係ない。

 その背に、ハルトは小さく喉を鳴らしてうなずいた。彼女の気持ちが後押ししてくれる。多少後ろ髪を引かれながらも、ハルトは鳥を抱えて走った。岩が乱立しているおかげで、煙の少ない方からでも、先へ進める。

「きゃあ!」

 煙の中から、魔女の短い悲鳴と物音が聞こえた。後はキィナに任せれば大丈夫。ハルトは魔女の塞いでいた道をすり抜け、振り返らずにひたすら走った。



 時間がない。

 たぶん本当に時間がない。

 横で懸命に羽ばたくアルグが、今までになく焦っている。その気持ちが伝染して、暗闇を駆けるハルトまで息の続くかぎり、心臓を急かせて走った。

 飛翔石の空洞を抜けると、また細い一本道だった。入り口の扉を入った直ぐの廊下と同じ、人の手で整えられた白い石の通路に繋がっていた。ここは前よりも細く、二人が並んで走れば窮屈なくらいの幅しかない。

 この先に、いる。

 魔神がいる。

 影の魔法使いも、いる。

 思うと胃の辺りがきゅっとなるのに、ハルトは何故だかそれに向かって走っている。不思議な感じだった。

『少年! ギイドを見付けたら、何を置いても〈鍵〉を確保だ!』(たとえ一部だって蘇れば、取り返しがつかないぞ)

 ハルトはうん、とうなずきながら、ちらとアルグに目を向けた。

「一部、て——」

 しゃべろうとしても、呼吸が苦しい。

 アルグは始めから言っていた。ここにあるのは魔神の一部。アルグはどうしてコードリッカに目星をつけ、やって来たのか。彼は「やはり」と言ったのだ。数ある魔神の封印のうち、ギイドが真っ先にこの島を狙うと確信できなければ、そもそもここには来なかっただろう。そんな言葉も出てこない。

 その答えは、きっと「一部」というソコにある。

「なに?」

 ハルトの素朴な疑問。自分でも不思議なくらい真剣に、アルグを見つめる。

 アルグは二度羽ばたく間を置いてから答えた。

『心臓だよ。

 魔神の心臓。

 体のうちで最も力強い部位だ』

 ——そして、心の在処だ。

 どっ、と自分の鼓動が脈打つ。

『——と、あれだな!』

「!」

 行く手の先に、扉が見えた。

 入り口と同じ両開きの扉。石造りなのも一緒だが、通路が狭くなった分ずっと小さい。普通の家にあるものと同じくらいだろうか。

 その片方が、開け放たれたままになっている。

 ハルトは走る勢いを緩めず、もう一方の扉を音をさせて押し開いた。

 部屋だ。

 大きな洞穴。

 さっきの場所とは違って、視界を遮る柱のような岩が無く、下へ向かって掘り下がっている。ハルトが駆け込みながら押し止められたのは、扉の直ぐが横に下がる階段で、その場所が踊り場になっていたからだった。落下防止の手摺りにぶつかる。

 アルグは翼を広げて高い天井で旋回した。

「来たのか」

 陰気なのに、すり抜けず耳に届く、不思議な声。

 その人は、下にいた。

 よく分からない、何かの作業台の前。

 複雑そうな装置か何かに見えるけれど、やっぱりよく分からない。この部屋にはそんな正体不明の物が、白い床や岩肌むき出しの四方の壁、天井に取り付けられている。

 無理矢理似ている物を上げるなら、飛空船の幹部だろうか。それよりもずっと複雑だ。これが太古の超技術というものか。

 黒い影を思わせる魔法使いは、体を半分振り向かせ、ハルトを見上げる。漆黒の瞳は直ぐに、頭上を飛び、なんだか分からない装置の一つに恐る恐る着地するアルグを追った。

 ハルトは少し高い位置からその様子を眺め、そして、その先にある物を見付けた。

 初めは洞窟の岩の一部なのかと思った。でも違う。それは黒く大きな独立した岩だ。とても大きい。この部屋の奥、まるまる全てを占めるくらいに。金枝亭の食堂にみっちり収まるのではと思うくらいに——大きい。その岩肌はただ黒いのではない、赤みを帯びたくすんだ黒だった。

 その巨大な岩だけ柵のようなものに囲われ、まるで隔離されるように置かれている。

 ただの岩に見えるのに、それには沈黙しているのが奇妙に感じられる重たい存在感があって、ハルトの胸をざわつかせた。

「ギャー!」

 アルグが高い声でひと鳴きする。ハルトはびくっと肩を跳ねさせた。

「だが、遅い」

 目を向ける。ゆるりと前に向き直るギイドは、既に鍵を手にしていなかった。中央にある何かの装置に二つの鍵が置かれて——はめ込まれている。

 そこから、光が、解き放たれた。

 鍵から真っ直ぐ上に向かってのびる、桜と若草色の光の帯。

 その二つが天井に当たり、反射して左右の壁面へ。さらにまた、別の壁、別の装置へ。変わらぬ強さを持った帯状の光が、何度も何度も屈折して、室内を縦横に飛び回り、瞬く間に全体が眩しい光に包まれる。

 ハルトは思わず目を庇った。

 そして——、

 乱雑に反射を繰り返した二色の光が、ぴたりと重なり合って、一つの真っ白な光になる。

 それが貫くように、赤黒い岩を囲う柵にぶつかり——弾けた。

 ひときわ輝いてぱっと散った光が収まる、嘘のような静けさ。


 どくん……!


 ハルトの全身を打つ、重たい、響き。

 ただの岩だったソレが、塗れたような質感を持って見えた。

 同時に押し寄せる——奔流。

『ハルト!』

 ハルトの意識は、そこで途切れた。

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