第19話

 アルグにかけられた呪いは、八人の魔法使いによってなされた。

 ふつう呪いを解くには、かけた術者に解かせるか、その者を屈服させるかしかない。複数人いるこの場合、その対象となるのは魔法を形成する上で中心となった人物——魔法院の長シルフィルビア・ユートワイト院長。もしくは、残る七人全員だ。

 アルグは後者を選んだらしい。

 道すがらそんな説明をしたアルグに、ヴァイオレットは胡散臭い眼差しを向けた。

「あなたなら、もっと簡単な方法があると思うのだけれど」

 呪いを解くには、もう一つ別の方法がある。呪いをかけた術者よりも強力な魔法で、それを打ち消してしまえばいい。乱暴だが一番手っ取り早いはずのこの方法があまり用いられないのは、なによりもまず、相手よりも圧倒的に大きな魔力が必要だからだった。

 呪われているのは、自他共に認めるこの世で最も優秀な魔術師。どんな魔法使いであれ——魔法院の長だろうが、何人束になろうが、アルグに敵う者なんていない。

 というより本来ならば、無理矢理動物に変身させられるような呪いをかけられたら、そのあまりの差異に、魔法は使えなくなるものだ。ところが、このトリは普通に使えている。使おうとしないのは、固有の魔力の波長を検知されて、居場所を突き止められるのを恐れているからだ。

『まあ、それもそうだな』

 と、アルグは憎たらしいくらいあっさり言った。

『とはいえ、だ。

 これでも本来とはほど遠い魔力しか引き出せない。けっこう無理もしているのだよ。

 それに強引に解除すると、向こうに呪いが返ってしまうだろう。院長やその取り巻きたちは自業自得だからそれでもかまわないが、たまたま手伝わされた若い子たちはかわいそうじゃないか』

 力尽くではなく、丁寧に解いたところでそれは変わらないし——と言う。

 呪いをかけた八人の魔法使いのうち、院長を含めた四人は、アルグも顔と名前を把握しているような、魔法院の重鎮の部下たちだった。しかし残りの四人は、偶然その日そこに居合わせただけの、見習いに毛が生えたような若い魔法使いだったのだとか。

 そんな無関係な人間を巻き込めば、アルグは呪いを解くのを躊躇う。その上、若い魔法使いたちは別々の島から来ているので、それらを回って解くのではより大変になる。

 そんな計算があったのだろうと、アルグは憎々しげに言った。

『あの女の考えそうなことだ』

「それって、院長のこと?

 厳しそうな、白髪のおばあさんよね」

 ヴァイオレットも遠目になら見かけたことがある。たくさんの人を従えて歩く、きらびやかな白い法衣を纏った老齢の女性。杖こそ突いているものの、伸びた背筋が凛として、「若い頃は」なんて前置きをしなくても綺麗な人だと思ったのを、今も覚えている。

『あんなのは頭が固くて、融通が利かないだけだ』

 ふん、と鼻まで鳴らした。

 ヴァイオレットはちょっと瞬きする。このトリにしては、珍しい物言いに思えた。考えてみれば——忍びやかにトリを窺う。とても想像できないけれど、アルグも院長と同じくらいの年齢のはずだ。本当に信じ難いけれど、もしかしたら昔……いろいろとあったのかもしれない。こんな呪いを直々にかけられるくらいだし……。

『なんだ?』

「なんでもない!」

 急に振り向かれて、慌てて視線を逸らすヴァイオレットだった。




     ▽ ▽ ▽


 現在一行がいるのは、島の中心地にある魔法院事務所の前。ちょうど噴水広場に面していたので、ヴァイオレットたちはその周りに堂々と陣取って、人波の向こうにある事務所の扉を見張っていた。

 顔見知りではない若手の魔法使いたちだが、幽閉されている間、アルグはなんとか聞き耳を立てて、漏れ聞こえる情報からその内の一人の居場所を突き止めていたのだった。

『ところでお嬢さん。

 やはり化粧は無しか?』

 アルグが脇に置いた籠からほんの少し頭を出して、噴水の縁に座るヴァイオレットを見上げる。ヴァイオレットは首を傾げた。

「あれ、目立つでしょう」

 ——ギイド様だっていないのに、意味ない……。

 そちらの本音は口にしない。

 アルグはなんだか不満そうだった。「クェエッ」と鳴く。

『これから私の通訳をしてもらわなければならないのに、それではカッコがつかない!

 市街地にはいるが、観光をするわけではないのだから、いいじゃないか!』

「分かったから、静かにしていて」

 さんざん普通の少年に通訳させていたくせに、今さら何を言うのだろう。

 段々扱いに慣れてきたヴァイオレットは、籠の中で羽をわさわささせるトリに、ずれてしまった布を被せて適当にあしらう。ここは出張所とはいえ魔法院の真ん前だ。この派手な鳥が大魔術師だと知る者がいたとしても、おかしくはない。

 周りをぶらぶらしていたチャボが、さりげなく籠の前に立って目隠しした。手にはどこかから調達してきた、指の先ほどの黒い木苺を持っている。時刻はもう夕暮れ。斜めに差し掛かる橙色の光が、長い影を作る。

「ところでさ」

 いつ出てくるか分からない標的に時間を持て余したチャボが、摘んだ木苺の一つをアルグの嘴の先に差し出しながら、何気なく切り出した。

「おれ、まだよく分かんないんだよね」

「——何が?」

 籠を挟んで向こう側に座るハッカが、くぐもった声で聞き返す。アルグはぱくりっ、と木苺を一口にする。

「ギイドのダンナがどっか行っちゃったのは分かった。けどそれで、他のヤツがどうして出て行ったのか分かんねー。ダンナは前からあんなだし、今までだってあったじゃん」

 悩ましそうに言ってから、自分の口にも木苺を放り込む。そんなチャボに、ヴァイオレットは首を傾げる。ハッカは眉に怪訝さを露わにした。

「——それ、ずっと考えてたの?」

「いや、さっき思い出した」

「……あ、そう」

 もぐもぐごくん、と飲み下すチャボ。

 ハッカが呆れる気持ちも分かる。

 そんな態度でも、チャボの疑問はまじめなもののようだった。今更ではあるが、ヴァイオレットも考えを巡らせてみる。

 みんなが出て行ってしまった理由。

 それはギイドが一言もなく、どこかへ消えてしまったからだろうか。彼がふらりといなくなるのは、チャボが言う通り、多くはないにしても今までだってあったことだ。ギイドの考え方にしてもそう。みんな分かっていたはず。それなら——。

「——たぶん、幻だったから……」

「それがよく分かんないんだー」

 直ぐさまそう切り返されて、ヴァイオレットの方が戸惑ってしまった。菫の瞳で瞬きする。チャボも魔法の人形については理解しているはずだった。

「あの……だから、わたしたちが知っているギイド様は、本当ではなかったということなの。人形を操っていた人が別にいて、その人がどこにいるのかは分からない。見た目も違うのかもしれない。どんな人なのかも……」

「うーーつまり?」

「つまり、どこの誰だか分からないから、もしかしたらウチらとは敵対するような立場の人間だって可能性もある、てこと」

「ああ、なるほど。うんうん」

『実体が掴めないわけだからな。

 気味悪がられても仕方ない』

「……」

 それについては、ヴァイオレットとしても思うところがないわけではない。嘘をつかれていたような……悲しさが、しこりのように胸にある。

「でもさー」

 一度は納得したものの、やはりまだ腑に落ちないのか、チャボが手の中の実をもてあそびながら続けた。

「ギイドさんはギイドさんじゃねーの?」

「?」

 彼が何を言っているのか、ヴァイオレットには分からなかった。チャボが彼なりの真剣さで言葉を繋ぐ。

「本当はどんなヤツで、ちがうカッコしててもさ。おれたちの前にいたあの人が、ニセモノだったと思えないんだよ。それじゃダメなの?」

 チャボはまた、木苺を口の中に入れた。

 素朴な言葉が、だからこそ、理屈より先に感覚として、ヴァイオレットの胸に染み込んできた。

 ぜんぜん別の誰かではない。

 中身は……本物? ギイド様、自身……。

 そんなことは、分かっていたはずだった。コードリッカの天恵の少年が、証明してくれている。あの紙人形の中に入っていた人格や思想が作り物だったならば、彼が気付かないはずがない。魔法使いとして、ヴァイオレットにもそれは分かる。あれは、紙でできた人形に、自分の意識を丸ごと乗り移らせるような魔法だった。

 違う。そんな形式のことでさえない。

 長くはなかったけれど、側で過ごした時間が分からせる。あの人が見せた態度が、言葉が、心が——見せかけの作り物だったとは思えない。ヴァイオレットの心が、それをニセモノだとは感じない。

 姿は——偽りなのかもしれない。もしかしたら素性も。でも中身は本物。どこのどんな人だったとしても、その人はたぶんギイドでしかない。

 そもそもどうして人形なのだろう。

 偽りの姿を使ってヴァイオレットたちを——世間を、欺こうとしていたのか。

 それは分からない。そんなことはどうでもいい。本当はどんな人かなんて、関係なかった。ヴァイオレットが出会ったのは真っ黒い影のようなあの姿。心酔したのはその心。

 それなら何も、ダメじゃない。

「——でも、実は女の子でしたとかは、勘弁だな」

 ハッカが平坦な声はそのままに、口元をほんの少し笑みの形に歪めて言う。

 チャボははっきり声を上げて笑った。

「めっちゃ美人だったりしてー!」

『好意的に考えれば、裏で活動するに当たって正体を隠す必要があったとか。本体が動けない状態にある、とかだな』

「……それならやっぱり問題は、今いないこと……——」

 明るい彼らとは裏腹に、ヴァイオレットは独り口の中でつぶやく。そうして導き出した答えも、ヴァイオレットの心を一時いっとき照らしただけだった。膝の上で手を握りしめる。再び、重たい靄が胸に広がる心地がした。

 アルグの鋭い鳴き声にはっとして、ヴァイオレットは顔を上げた。

 事務所の出入り口から目的の人物が姿を現したらしい。

 それは魔法院の職員を表す揃いの法衣を身に付けた、二十歳そこそこの青年だった。今日の仕事は終わったのか、気軽な様子で同僚と扉をくぐり、直ぐに分かれて一人で歩き出す。

 菫の瞳に力を込め、気持ちを引き締める。

 ヴァイオレットは二人に目配せすると立ち上がった。手筈は整えてあった。

 籠から飛び出したアルグが、高く舞い上がる。ヴァイオレットは青年の行く手に回り込んで、その前に立ち塞がった。鼓動を意識すると息が詰まった。疑問そうに歩みを止める黒髪の青年。通りを行く人々が、脇を流れていく。

 ヴァイオレットは前に出した腕にアルグを留まらせる。本当は触りたくないのだが、この時ばかりはしかたない。赤い鳥はもったい付けるように、悠然と舞い降りた。

『私が誰か分かるな、青年』

 始めヴァイオレットに目を留めた青年の視線が、翼を広げてその細腕に降りる鳥の方を向き、そしてゆっくりと見開かれた。

「あ、あ、あ、あま、あま、アマ……!」

 大きく息を吸ったまま震える口からは、言葉が形になって出てこない。思わず退いた足には力が入らなかったのか、ヴァイオレットが何か言う前に、青年は腰から地面に尻餅をついてしまった。

 今度は、ヴァイオレットが目を丸くする番だった。居丈高な態度を心掛けていたのに、そのあまりに情けない転びように、少々気の毒になってしまった。

「……あの、大丈夫ですか?」

 前へ出て、手を差し伸べる。

「く、来るな!」

 怯えきった青年は、腕を大きく振り払った。虚空に、初めて目にする魔法陣が刻まれる。

「……っ!」

 咄嗟に足を止め、ヴァイオレットも手を突き出した。なんでもいい。とにかく防御しなければと、氷の盾を作り出す。しかし、何も起こらなかった。菫色の魔法陣さえ現れない。

「きゃっ」

 間もなく吹き付けた突風に、体が押し流されそうになる。ヴァイオレットは両腕で顔をかばいつつ、なんとか踏み留まった。慌てて見れば、青年はよろけながらも腰を上げ、踵を返して走り去るところだった。

「待ちなさい!」

 声を上げる。しかしヴァイオレットは、無理に追おうとはしなかった。青年は通せん坊するチャボを避けて、細い路地の方へ駆け込む。そして——。

「ぎゃ!」

 という短い悲鳴が、小走りに向かうヴァイオレットの耳に聞こえてきた。一時避難した空から戻って、頭の横を滑るように飛ぶアルグと共に角を曲がれば、そこには巨漢にがっちりと取り押さえられた青年がいた。極太の腕の持ち主は、もちろんヌーだ。

『上出来だ!』

 アルグが満足げに鳴くと、青年は肩を跳ねさせて、一度諦めたはずの抵抗を再会させる。

 ヴァイオレットは気を取り直して、アルグを腕に乗せ直立する。ヌーが青年の黒い頭を大きな手の平で押さえ込みつつ、もう一方の手で腕を捻り上げたまま器用に正面を向かせた。

「あ、アマランジル・アルグカヌク……」

 青年は震え声で、上目にトリを見る。

『いかにも。私が分かるならば、ここに来た理由も分かるだろう。さあ、この呪いを解いてもらおうか』

 腕の上で、アルグが緩やかに翼を開閉し、威嚇するように見据える。ヴァイオレットは一つ咳払いしてから通訳し、「と、言っているわ」と付け加えた。恥ずかしがっては負けだ、と思う。だからアルグの威勢を借りて、精一杯尊大な態度を作ってみせる。——やはり、化粧は必要だったかもしれない。

「だ、誰が解くか!」

 青年は反抗して声を張り上げるが、やはり震えていたし、睨む眼差しが少々泳いでいる。

 彼が相対しているのはただの赤い鳥だが、その正体を知っていればもちろん恐ろしいだろう。さらに彼を拘束しているのは太陽を背に立てば日陰ができるような大男で、周りを囲むのは短剣片手にコワいような目で見据える荒くれ者。その上ここは、人通りの望めない細い路地。若い魔法使いが既に半泣きでも、それは仕方ないことだとヴァイオレットは思う。

 アルグが低く「ジャー」と鳴いた。

『いいのか? 素直に解かないのなら、こちらで強制解除するぞ。そうなれば、君は手痛いしっぺ返しを食うことになる』

 青年は口の端を歪めて、なんとか皮肉に笑ってみせた。

「は、八人で合成した呪いを、一人ずつ別々に解こうっていうのか? そ、そんな器用な真似、できるもんか!」

「クエッ」

「できるそうよ」

 瞬時の反論を、ヴァイオレットもその雰囲気を壊さないように通訳する。どこかの少年が情けない感じになっていたのを見ているので、最大限の注意を払う。そんな緊張で心臓がばくばくするのは秘密だ。続く言葉は殊更に低く、威厳をもって言い放つ。

『私が誰か忘れたのか。

 我が名はアマランジル・アルグカヌク。この世で最も偉大な魔術師だ』

 沈黙。

 微妙な空気の沈黙……。

 どんなに胸を張って威張ってみせても、見た目はやはりぷっくりした愛嬌のある鳥でしかない。ヴァイオレットは悲しかった。このトリに威勢を求めてはいけなかった。鳥らしくはない仕草が、余計に滑稽に見える。

 アルグは丸まるとした小さな眼を、すっと細めた。

『よろしい。

 ではせいぜい後悔するがいい』

 ヴァイオレットが言い終わるか終わらないかのうちに、青年の頭上——彼からも見える位置に、アルグの波長を持った群青色の魔法陣が現れた。

 青年が青ざめる。

「まままま待って! 止めて!

 ごごごめんなさい! オレが生意気でした! 解きます! 解かせていただきますからああぁぁぁ!」

 無駄な抵抗と分かっていながら、全身をぐねぐねと必死に動かし逃れようとする。不意に魔法陣が消えると、一度硬直し、それから大きく息を抜いて大仰に肩を落とした。口先でぶつぶつ届かない苦情を言いながら、上目にアルグを見遣る。すると、黄色い模様の円が現れて、軽い音をさせ弾けた。

「…………これで、いいですか?」

『うむ。助かったぞ』

 アルグの声が明るい。

『助かりついでに、他の若い魔法使いたちの居場所も、知っていたら教えてくれ』

「えーー……」

 明らかに渋ってみせる青年だったが、

「いいですよ。俺が知っているのは二人だけだけど」

 と、特に脅かす必要もなく教えてくれた。うなだれる魔法使いの青年は、ひどく拗ねた目をしていた。

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