深き闇夜のセレナーデ

藤原 康輔

Episode:0 深森の令嬢

 フォレストエルフの集落は大概決まって樹上に作られる。彼らの住む地域は往々にして木々の成長が豊な場所であり、その樹上に街を築いている。その方が外敵に襲われるリスクも大幅に減らすことが可能であり、またエルフにとっては木々は原初にして神聖な存在である。それに密接した暮らしは当然のことであった。


 その中でも特に立派な大樹の横に建てられた家の窓から、一人の少女が外を物憂げに見つめていた。夜の今は、エルフたちが呼び出す”光の精(ウィスプ)”が、ホタルのように揺らめきながら浮いている以外、灯りはない。彼らにとって火は樹を焦がし、時に森を焼き尽す忌避するものであり、”火の精(サラマンドラ)”と交信することさえ避けることが多い。エルフの少女も、呼び出していた光の精が消えてしまったため、読んでいる途中であった本を途中で中断せざるを得なくなり、仕方なく外を眺めていた。

 先ほどまで少女が読んでいたのは、人間の冒険譚であった。妖魔を退治し、魔獣を狩り、悪しき者たちを討ち、魔神を打ち倒す、心躍る物語であった。彼女は既にエルフとしては成人している年の頃であったが、未だ森の外は知らない。外界より入り、父などから貰う本でしか外の世界というものを認識していなかった。

 「……人間でさえ、片手で数えられる程しか、あった事はありませんでしたね」思えば最後に人間と会ったのは、20年も前の事だろうか。その時の記憶さえ、もはやはっきりしてはいない。フォレストエルフは、その身に刻まれるようなほどの事でもない限り、物を忘れやすい、とは人間の本であったことをふと思い出した。本を手に取ることで、様々な視点を得ることができる。読めば読むほど色々な所を見ることができるのが、少女が本を好む理由であった。

 だが、それでも時に思う。本をどれだけ読んでも、時にその意味を理解しえない、共感する事ができないことがある。言葉の上での意味は理解しえども、まるで美味な料理を味覚が感じなくなったまま食べているかのような感覚に陥り、無性に悲しくなる。

 その感覚がいったいどれだけの時間繰り返しただろうか。もう少女にとってそれは恋い焦がれるような衝動へと変わりつつあった。

 『そして、”森”を抜けると、見たこともない景色が広がっていた』

 記憶にある紀行文にある一小節になぞらえ、冷えて湿った空に呟く。昼間にもらった木の実の焼き菓子はとっくに硬くなっていた。

 自分の立場は理解しているつもりだった。自分が守られていることもよくわかっているつもりだった。けれど耐える事はできない。一度火が付いた枯れ木を水を持ってしても容易く消すことができないことを少女は理解しつつあった。

 「お母さま。私は、もう成人になりました。自分の身は、自分で守れます。……いえ、自分の身くらい、自分で守られる様になります。ここにいては、きっといつまでもそうはなれないから……」

 少女が見上げた先に、ちょうど木々の隙間から満月が覗いていた。それはまるで少女の門出を見守るかのように。


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