4話 酒場①

 

 宿を出たルカキスは酒場にいた。飲むにはまだ少し時間が早いからだろう、人もそれほど多くはなかった。

 店内を見渡せる奥の席についたルカキスは、夕食になりそうなものを何点か注文して、そこから客と店員の様子を眺めていた。

 

 因みに、ルカキスはアグアそっくりの男ティファールに、当面不自由することのない程度のお金を渡されている。実に現金なルカキスは、その瞬間にティファールのことを好きになっていた。

 

 天の邪鬼な性格だから取り組めない、などと発言していたにもかかわらず、現状真面目に真相を探求しようとしている背景には、ティファールの話というよりも、お金を渡されたことに対するウェートがかなり大きい。

 潤沢な資金にものを言わせ、食べきれないのではと思うほど並べられた料理を口に運びつつ、店内の人を値踏みするように、上から目線で物色するルカキスがそこにはいた。


 俺以外で店にいる人間は、合わせて7人か。誰が有用な情報を握っているかを見極めて、できるだけ波風立てずに情報を集めたいが……


 先ほどはバッサリ宿屋のマスターを切り捨てたルカキスだったが、実は内心後味の悪さを感じていた。情報提供を受ければ、素直に感謝の意を述べたい。ルカキスはそう思っていたからである。


 だが、さっきは相手が悪すぎた。いや、実際それほど悪い人間ではなかったのかもしれないが、ルカキスにとってマスターは悪い人間だった。そうでなければ、ルカキスがあれほどバッサリ人を切り捨てることはないのである。

 

 ルカキスがマスターを悪い人間と断じる理由は

①西やセントアークを知らなかったことを小バカにされた

②虚勢を張って伝えた『聖騎士ネオ・ルカキス』というワードが、軽くスルーされた(これは逆恨み)

③真実を打ち明けても、おそらく自分が本物の勇者だとは理解されないと思わせた、マスターの度量の狭さ(予測)

④コネとは言わず、敢えて『コネクション』とフルネームで発言したこと

⑤話し終えたあとに見られた、高慢な態度や表情(気にしていないと思われたが、やはりルカキスも腹が立っていたようである)

⑥振るだけ振って、エルフについての情報を語らなかった(振りかどうかは定かでない)

⑦ロボットにこれといった特技が無かった(マスターに非はない)

である。


 これら7つの大罪を、ルカキスは看過できなかった。その報復としてマスターが受けた仕打ちは、決して重すぎるとは言えなかったのである。


 だが、ルカキスは本来なら、できるだけそういうことはしたくない、穏やかで心根の優しい若者なのである。そういう部分もある筈……なのである。

 だから、ルカキスは情報源の人選を吟味する。今度は笑って『ありがとう』と言うために。


 先ずルカキスは、カウンターに座る常連らしき1人の客に目を向けた。

 この時間で既にそこそこの酒が入っている様子の客A(♂)は、ちびちび酒をあおりながら、バーテンにボソッと何かを話しかけている。しかし、バーテンはそれに対して一切リアクションすることなく、グラス磨きに余念がない。

 Aの話が余程つまらないのか、或いは返事を要さない話なのか、はたまたドSとドMの関係で、放置プレーに及んでいるのか。バーテンのアゴ髭の感じがいかにも男色そうに思えて、ルカキスはその2人を頭の中のリストから除外した。


 次に目を向けたのは、カウンター近くのテーブル席に座る客B(♂)である。

 どうやら食事を目的に来ているようで、テーブルの上にはいくつかの料理が並んでいた。

 ここは、酒場なのに定食系のメニューもあり、早めの時間帯はそれらの客を取り込もうという、店側の意思が感じられた。

 味も悪くない。いや、悪くないどころか、ルカキスが注文したメニューの中でも、パスタは一流の味わいである。

 ……まあ、そんなことはどうでもいい。客Bはキープにして、ルカキスは次へと視線を移した。


 5席あるテーブルの中央席では、2人連れの客Cと客D(♂×2)が楽しげに談笑している。割合大きめの声なので、内容はまる聞こえである。

 今のところたいしたことは話していないが、何ぶん声が大きいので有用な情報が出れば自然と耳に入ってくる。従って、こちらから行動を起こす必要はない。ルカキスはそう考えていた。


 もとより人見知りが激しいので、ただ座っているだけで情報収集のできるこういう客は、うってつけと言えなくもない。しかし、そんな消極的なやり方では時間がかかるだけでなく、果たして有用な情報が会話に出るのかという疑問もある。ルカキスは特に気にしてないようだったが……

 

 2人の会話に注意を払いながら、ルカキスは最後の客に目を向けた。店の奥テーブルに座る客E(♀)は、ルカキスとは反対コーナーの席で、たった1人で酒を飲んでいた。

 

 この客もどうやら常連のようで、カラのグラスをかざすように差し出すだけで、店員が反応しておかわりを運んでくる。ルカキスが席に着いてからだけでも、既に5~6回はそんなことが繰り返されていた。

 しかし、顔は一切赤らんでおらず、逆に色白の肌が、陶器のようにいっそう白くなっていくように見える。アテも全く頼んでおらず、グラスを傾けながら終始笑みを浮かべている様は、この客Eがかなりの酒豪であることを物語っていたが、相当早いペースで飲み続ける姿は、少し異様にも感じられた。


 何か浮世離れした雰囲気に、こいつから有益な情報は得られないだろうと、ルカキスが目を離そうとした瞬間、2人の視線が重なった。いや、正確には偶然重なったのではなく、ロックオンされた感じだった。

 カウンターの方を向いていた首がゆっくりと回され、ルカキスのところでピタリと止まる。そんな、見透かしたような動きに、ルカキスは咄嗟に視線を逸らしていた。


 ……なんだ、今の動きは? まるで俺が見てるのを、知ってたような動きじゃないか!?

 

 誰しも人に見られていると感じることはある。だが、客Eの挙動は、ルカキスが見ているのを完全に知っていたような、確信を持った行動に見えた。


 バカなっ!? 確かに俺はあの客を見ていたが、気づかれるほどじっと見続けてはいなかったぞ!?……いや、そうでもない。結構じっくり観察してたかもしれない。

 だが、そうだとしても、確信を持って見ていたと分かる道理はない。あの女の視線はずっとカウンターの方に向けられていたし、俺は食事を続けながらのチラ見がメイン。飲むことに陶酔している様子で、気づかれる気配などなかったのに……


 その時ルカキスは、背中に強烈な悪寒が走るのを感じた。


 まさか……見られている!?


 今度は逆にルカキスが見られている。しかも、チラ見どころの騒ぎではない。確認しなくてもはっきりと分かる、自分の横顔に突き刺さる強烈な視線……熱視線。

 だが、相手のことを見返すだけの勇気を、ルカキスは持っていなかった。


 客Eには、女だからと舐めてかかれない要素がある。笑顔を浮かべながらの猛烈なピッチの1人酒。それだけでも警戒に値するが、表情にこそ出ていないが、完全に酔っ払っているのも間違いない。ヘタに視線を合わせるだけで、変な言いがかりをつけられる可能性は十分にあった。

 しかも絡み酒。それはルカキスの予測だったが、本能的に嫌な予感がする。女はそんなタイプの人間だったのだ。


 できれば、ほとぼりが冷めるまでやり過ごし、関わり合いになりたくないと考えたルカキスは、無視を決め込み、食事に専念することにした。

 女が視界に入らぬよう、わざわざ壁の方へ首を固定し、ただ黙々と食事を続ける。


 ガッシャーンッ!


 しかしその時、店内にガラスの割れる音が鳴り響いた。店中の人間が一斉に音の鳴った方へと視線を向ける。ルカキスも例外でなく、口いっぱいに食べ物を頬張りながら、反射的にそちらへ顔を向けていた。


 し、しまった……


 その結果、迂闊にもルカキスは女の方を見ていた。ガラスは女の足元に破片となって散乱している。意図的かどうかは定かでないが、音の発信源はグラスを床に落とした女……客Eこと、ドナだった。


 そして、ルカキスは受け止める。ドナの視線を。ドナは先ほどルカキスが確認した時と、その姿勢を微塵も違えることなく、ただルカキスを見つめ続けていた。


 こ、こわっ。


 それを認めた瞬間、驚きのあまり椅子からころげ落ちそうになる、ルカキス。


「ごめんなさ~い、グラス落としちゃった」


 割れたグラスを片付けに来た店員に、ドナは悪びれることなく謝辞を述べる。しかし、その間もルカキスから一切視線を外さない。そして、ほくそ笑んだ表情。

 再度、視線を逸らして無視する選択肢もあったが、グラスを割ってまでそのことを伝えてきたドナに、ルカキスは抗えなかった。


 このままで済ますわけにはいかないか……


 渋々そう決意し席を立つと、ドナの方へゆっくりと歩いていった。


「僕に何か用ですか?」


 ドナは笑顔を浮かべたまま、手で座るよう促した。ルカキスは少し戸惑いながら、その正面に腰を下ろしたが、相手の意図が分からず不安を抱く。店員に飲み物を注文し、それを待つ風を装い、さりげなくドナの様子を窺う。


 アル中の年増かと思われたドナは、近くで見ると案外に若かった。化粧をほとんどしていないようだが、その必要が無いことを本人も自覚しているのだろう。張りのある肌は若々しく、その質感などからも20代前半くらいに見えた。


 少し釣り目の大きな瞳に、鼻筋の通った美人顔だが、肩を超える荒い毛質の金髪は、特に手入れされている感じもなく、装飾品を身に着けていないところを見ると、あまり外見に頓着しないタイプのようだった。


 ルカキスの顔を見つめたまま、いつまでたっても何も話そうとしないドナに業を煮やし、ルカキスは再度自分から言葉をかけた。


「僕の顔がそんなに珍しいですか?」

「……ええ。今まで見た人の中で、あなたが一番数奇な運命を辿る相が出ているわ」


 その質問に我が意を得たりと、ドナが返事を返してくる。それに衝撃を受けたルカキスは、驚きの表情を浮かべていた。


 この女……占い師だったのか! 近寄りがたい雰囲気で警戒していたが、占い師なら納得できないこともない。(そうか?)

 しかも、こいつの人相占いは当たっている。いや、当たっているというか、ドンピシャだっ! この女、俺がこれまで歩んできた過酷でドラマティックかつ、劇的なまでに刺激的な生きざまを、ひと目で見抜いたというのか!?


 ルカキスは驚きをもって、その言葉を受け止めただけにとどまらず、境遇を言い当てられたことで、すっかり相手のことを信用していた。

 

 しかし、ドナの言葉は、誰にでも通用する抽象的なニュアンスを含んでいたし、とても言い当てたといえるレベルではない。

 だが、人とは違う道を自らすすんで歩く、ルカキスのようなタイプ(天の邪鬼)は、その行為にある種の自尊心を持ち、心の奥でそれを正当に評価されるのを望んでいる。そこをくすぐられたことで、いとも簡単にドナを信用してしまったのだ。


 ただ、その気持ちを素直に表に出すことは許されない。ルカキスの中に巣食う一匹の鬼が許さない。つぶさに冷静な顔をとり繕うと、余裕を演出しながら切り返した。


「占いですか? そんな抽象的な言い方で僕はごまかされないですよ」


 挑発的な口調で牽制しているように見えて、その実ルカキスはさっき以上の言葉を期待している。


 占ってくれ……もっと俺を占いまくってくれっ!


「フフ、あなたラッキーなのよ。お店だったらサキちゃんが怒るから、絶対タダでは見ないんだから」


 ドナはそのまま、グラスの中身を一息にあおる。そして、ルカキスに微笑みながら言葉を口にしようとして、しかしまた、もう1度グラスをあおる。

 今飲み干したばかりで、中身は当然カラなのだが、しばらくグラスを傾けながら『なぜ中身が流れ込んでこないの?』と言わんばかりの顔でグラスを確認し、カラと気づいて愕然とする。


 うなだれながらグラスをテーブルに戻し、淋しそうな表情を浮かべたあと、俄かにとり繕った笑みをルカキスに向ける。そして、そのまま伏し目がちに黙り込む。

 そんな一連の流れを見せられたルカキスは、その行動に疑問を抱いていた。


 いったい何のパフォーマンスだ? 酒が無いことをアピールしているようだが、きれたのなら注文すればいいだけだろう? さっきまであれほどハイペースで頼んでいたくせに、今更何を躊躇する必要があるんだ?


 ドナがいったいどんな占いを聞かせてくれるか、期待していたルカキスは、思いがけない脱線に苛立ちを募らせていた。

 その時、不意にドナが言葉を漏らした。


「私はね。私は本当にあなたのことを占ってあげたかったの……」

 

 だったら早く占えばいいじゃないか? あるある早く言いたいみたいな、引き延ばしはいらないんだよ!


「サキちゃんはね。サキちゃんは、それは厳しい人なのよ。たとえ仕事を離れてプライベートで、今みたいにくつろいでいる時だって、決して占いは、私の力は使っちゃダメだって、毎日のように釘を刺されているの」


 っていうか、サキちゃんって誰? 知らないし、聞いてないし、興味もないし!


「でも、あなたを見た瞬間、私は伝えなくてはいけないと思った」


 お! やっときたか!


「この先あなたに訪れる運命を、絶対にあなたに告げなくてはいけないと思った」


 その言葉を待っていたぜ! 告げてくれ! 今すぐ俺に告げてくれっ!


「……こんなことを初対面のあなたに話す私って、変な女だと思ってるでしょう?」


 って、何!? 急に客観的な状況分析? 思ってない! 思ってないからはやく!


「私ね……実は私、占い師なの」


 って、今更!? そんなの言われなくても、とっくに分かってましたけど!?


「ウフフ、薄々分かってたって顔ね」


 言ってたし! 占ってあげるって自分で言ってたし!


「でも、私をその辺にいる占い師と、決して一緒にしてはいけないわ。 決して……決してよ!」


 って、そこ強調するところ?


「なぜだか分かる? ウフフ、私の占いわね――」

「もうっ!」


 あまりのまどろっこしさに、ついにルカキスの忍耐も限界に達していた。


「もう、前置きは結構! 言いたいことがあるなら、さっさと言ってくれ!」

「……そう。そんなに私に占って欲しいの?」

「占って欲しいも何も、僕をここへ呼んだのは――」

「王都には……王都パルナに向かうには、まだ早い」


 そう告げてきたドナの言葉に、ルカキスは口を開けながら固まっていた。


 やはり……やはりこの女は本物だ。俺が王都へ行くことは、俺の中で概ね決まっていたが、それを誰かに告げたことも、1人でつぶやいたこともない。にもかかわらず女はそれを知っていた。

 おそらくは、未来を見通す『先見』の能力の持ち主。だとすれば、この女の占いは、この先の俺の進路に必要な助言となる公算が高い。是非ともその神託を仰いでおきたいところだが……この女、素直に占ってくれるだろうか?


 ルカキスの動向を予見しながら、それ以降また口を閉ざしたドナを見つめ、ルカキスは長期戦になるのを渋々覚悟していた。


「なぜ、僕が王都へ行くのを知っているのか? なんて野暮なことは聞きません。でも、なぜ早いのか? そして、早いならどうすればいいのか? その辺のことはきっちり教えて貰えるんでしょうね?」


 ルカキスの問いに、ドナは微笑を浮かべながら答える。


「ウフフ、当然。言ったでしょう? 私をその辺にいる占い師と決して一緒にしてはいけないと。私の占いは、それなりに力のある占い師がよくやっている、あなたの運命に分岐点をつけ加えるものですらありえない。私の占いを聞くことは1つの発明に等しい。発明で飛躍的に文明が発展するように、聞くことで圧倒的にあなたは近づく……目的の場所へとね」

「…………」

「人は本来数々のカルマの影響で、一直線に目的地へ進むことができない。偶然に運命の分岐を手に入れたとしても、それは右へ進むか左へ進むかの僅かな違いでしかなく、そして手に入る選択肢のほとんどは、迂回したり、遠回りするだけのルートで、あまり意味をなさない。だけど、私の占いは違う。私の占いは相手にそこへ至るための最短ルートを提示する。でも、そんなルートが仮に見つかったとしても、普通はカルマのしがらみで身動きが取れず、結局はウェートのかかった不利な道を選ぶことになる。でも私が占ったら、その人はそんなしがらみに左右されない。不要な道はすべて閉ざされ、向かうべき道は目的地へ続く、直行ルートただ1つになる」


 話を聞きながら、ルカキスはティファールの話に似ていると感じた。


 何か見えない力で急速に導かれている……俺の果たすべき宿命のもとへと!


 ルカキスは相手から更なる助言を引き出すべく、居住まいを正してドナを見つめた。


「私の占い・受け手・・ら・!?」


 声が出にくいのか、ドナは軽く咳払いすると、気にかけているルカキスに手で大丈夫とアピールして、グラスを口元へ持ってゆく。喉を潤すつもりだろうが、当然中身はカラである。

 俄かにカラだと気づいたドナは、先ほどと同じように驚き、二度見、仰け反りなどを駆使して、執拗なまでにアピールを繰り返す。しかし、今度はルカキスも黙っていない。


「……あの、さっきからグラスはとっくにカラになってましたけど?」

「ええっ!?」


 ドナは片手で持ち上げたグラスを、わざとらしく反対の手で指さし、顎を突き出して食い入るように見つめると、その驚きの顔をルカキスにも向ける。その一連の動作が2~3回繰り返されるのを、ルカキスは白けた表情で眺めていた。


「いや、注文すればいいじゃないですか。いったい何の――」

「注文はしないわ!……少なくとも私はね。だって、私はあなたにあなたの重要な未来を、一刻も早く伝えねばならない使命を背負っているんだから。でも、私の喉は潤いを失っている。そのせいで、もしかしたら、あな・・とって聞き逃してはならない・・・を語って・・時に、たまたま声が出なくなる・・・ことが起こる可能性は否定できない・・」


 ……なんなんだ? こと更喉の潤いのなさを訴えかけているが、それでいて意味が通じないほど、言葉が途切れることもない……わざとか?


「私は注文しない。でも、注文は私の専売特許というわけじゃないわ。もし誰かが、私の喉が乾燥して、円滑に会話ができないことを不利益と感じる誰かが、私の飲み物を注文したとしたら……どうかしら?」

「いや、どうかしら? じゃないでしょう。今やっと分かりました。奢って欲しいなら素直にそう言ってくれればいいじゃないですか。占ってもらう謝礼にそれぐらいご馳走しますよ――」

「待って!」


 ドナは信じられないといった表情で、両目を見開いてルカキスを見つめた。


「あなた今、何て言ったの……」

「2回も言わせないでください。あなたに飲み物をご馳走すると――」

「ご馳走する!?」

「いや、食いつきが半端ないなぁ……」

「あなた男よね?」

「そこを疑われたことは、これまでの人生で1度もありませんが――」

「男に二言は無い!」


 ルカキスを見つめるドナの目は真剣で、自分がそれほど大それた発言をしたのかと、思わず疑ってしまうほどだった。

 しかし、こんな場末の酒場がそれほど高額な筈もない。酒類の金額までは確認していなかったが、自分の頼んだメニューは比較的良心的な価格設定だった。

 何杯飲む気か知らないが、金なら当面不自由なく暮らせるだけ持っている。ペースの早さが少し気になったが、手に入る情報次第ではお釣りが来る可能性だってある。

 そう考えたルカキスは、心を決めてドナに言葉を返した。


「僕は男です。男が1度口にした言葉を、撤回したりはしない!」


 その言葉を聞いた途端、両手を高々とバンザイさせながら、ドナは叫んでいた。


「やたー! やっぱり私の見立ては間違ってなかったわ!」


 テンションを豹変させたドナは、同時にカラのグラスを掲げていて、それを見た店員がすかさずおかわりを運んでくる。


「良かった~! 私今日お財布忘れてきちゃってて、このままだとどうなるんだろう? 私いったいどうなっちゃうんだろう? って心配してたの~ すっごく~!」


 ……ちょっと待て。今財布を忘れたとか言わなかったか? まさかこの女、さっきまでがぶ飲みしていた分の払いも、全部俺にまわすつもりじゃ――


 その時、カラのグラスを下げる店員の表情を、ルカキスはなんの気なしに見た。そして、その表情に、なぜかあざけるような笑みが浮かんでいるのを見逃さなかった。それを見た瞬間、去来するひとつの疑念。


 この女……まさか常習か!?


 ドナに視線を戻した瞬間、その疑念は確信へと変わる。単純におかわりしたのだと思っていたドナの前には、酒の入ったグラスだけでなく、氷につまみ、そしておそらく、今おろしたのであろうボトルまで置かれていた。それらが物語る事実は……初めからカモるつもりで、ルカキスが狙われたということだった。


 念押しのように、2度に渡って言質を取ったのはそのせいか!?

 

 情報量の少ない時ほど慎重に行動する必要がある。ティファールが語っていた言葉が、今更ながらルカキスの脳裏に蘇る。

 そこに、追い打ちをかけるように聞こえてくる、客Cと客Dの会話。


客C「ところでこの店なんだけどよ」

客D「なんだよ」

客C「なんか、女の占い師を装った詐欺師が出るらしいぜ」

客D「それマブ? 本気って書いてマブ?」

客C「一見の客をカモにしてるみたいだけど、占いってさぁ未来のことじゃん? 何か詐欺を立証するのが難しくて、まだ捕まってないらしいぜ」

客D「へぇ~そうなんだ」

客C「しかも騙される奴もよぉ、結構先のこと言われたら、当たってるかどうかすぐ分かんないわけじゃん? もしかしたらとか思っちゃったらお終いだよねぇ」

客D「頭いいねぇ~そいつ」

客C「だろう?」


 まるで謀ったように聞こえてきたその会話が、決定打と言って過言ではなかった。


 フッ……軽率だったな。


 ルカキスの心に、ズシリと重たいものが圧し掛かってくる。


 騙されていたと分かった以上、素直に相手の言いなりになる必要もない……か。


 瞬間、ルカキスはすべてを反故にして、ここを立ち去ろうと考えた。だが、何かが心に引っ掛かかる。


 本当に……本当に詐欺師なんだろうか?


 もしかしたらとか思っちゃったら、お終いだよねぇ…… お終いだよねぇ…… お終いだよねぇ…… だよねぇ…… だよねぇ……


 客Cの言葉が耳について離れない。しかし、その時ルカキスは、常人では考えられない思考を展開させていた。


 この女が詐欺師の可能性は確かにある。だが、絶対にそうかと問われれば、そう言い切れない部分も女にはある。

 

 占いという性質を考えれば、事の顛末を知らない者には、表面上それが詐欺行為に見えることはあるだろう。だが、その真偽は本人にしか分からないし、噂が不特定多数に広まったあとでは、釈明する機会も得られない。いちいち否定して回れば、逆に怪しまれるからだ。


 それが証拠に、そんな噂が立ってもなお、女はここで占いを続けている。それは占いを受けた当人からの苦情が、実際には出ていないことの裏づけになるし、女が自分の占いを信じているからできることでもある。

 だとすれば、詐欺師でない可能性の方が高い……そう考えることもできるんじゃないのか?


 そんな思考に囚われたルカキスは、ここまでの条件が整っているにもかかわらず、相手を黒だと決めかねていた。

 優柔不断。その性能を保持する者が陥る、典型的なパターンと言えるだろう。つけ加えるなら、ルカキスは天の邪鬼でもある。その性質が災いし、このような思考に陥っていると考えられた。


 状況的に、俺をカモろうと考えている側面は見えたが、この女の行動すべてが、騙すために仕組まれたとは言い切れない。なぜなら、この女が詐欺師だったら、俺が王都へ向かうことは、絶対に言い当てられないからだ。それがこの女が本物だという証拠にならないか?

 確かに素行は悪質かもしれない。だが、実力はある。そういうタイプの占い師もいるんじゃないのか?

 席を立つのはいつでもできる。決めるのは、その判断が間違っていたと確信できた時でも遅くはない……


 ルカキスはそう判断したが、それを決めた根拠は、ドナが王都パルナへ向かうのを言い当てたという、ただ1点のみだった。

 だが、考えてみればそれを言い当てるのは、それほど難しいことではない。なぜなら、ワリトイはこの国の南西端に位置しており、向かうなら北か東しかないからだ。


 東にはそれほど多くの町はなく、1番大きいと思われるドノバンでさえ、中継地点に利用されるぐらいの都市である。特に目立って何かがあるわけでもない、その町を目指すとは考えにくく、目的地に据えるなら、もっと北にある町の可能性が必然的に高くなる。

 北にはいくつかの中心都市や港町もあり、一見選択肢が多いように見えるが、ここから向かうなら、そのほとんどは王都を目指す。なぜなら、ここワリトイから1番近い大都市が、王都パルナだからである。


 ワリトイで時折見かける行商や旅人なども、この町で折り返したあとは王都に向かう。ルカキスは冒険者や剣士と思われる出で立ちだったが、地理的な観点から考え、鎌かけに発言するとすれば、誰でも予測する場所が王都パルナなのである。

 だが、土地勘の無いルカキスはそんなことを知りもしない。結局ルカキスは、普通なら到底考えられない結論を導き出し、一縷の望みにかける道を選んだのだった。

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