第五部 二章 -森への帰郷-

 ブドウを一粒一粒容器に移し、潰し、漉す。絞った果汁を瓶に移し替えて、あとは適温の冷暗所に保管して発酵するのを待つだけ。一段落したら上澄みを取り除く。

 フジタカは酒税に引っ掛からないのか?と言っていた。どうやら彼の住んでいた世界の多くの国では酒造には特定の資格と許可が必要だったそうだ。確かに技術は必要だし、売り場を確保して販売するとなれば納める物はあるだろう。しかし、個人で酒を造り個人的な範囲で楽しむ分には私達は何も言われない。むしろ家庭の味がそれぞれにあったりもするし。

 税金がどうたら、なんて話よりも問題は……匂いだった。作業を終えた私とフジタカは不自然な時間に入浴してしまう。何故なら、レブに悟られないためだ。

 「なんで内緒にすんだよ?喜ぶだろうに」

 「うーん……」

 荷物運びや作業を手伝ってもらったフジタカに黙っているのは気が引ける。でも……。

 「やっぱあれか?いざって言う時に言う事を聞かせる為の切り札にとか」

 「違うよ」

 ……ティラドルさんにも聞いてみたんだよね、レブってお酒飲むんですよね?って。

 勿論!樽から浴びる程度には飲みます!そして、酔ったアラサーテ様の繰り出す裸踊り!あの舞で欲情しない生物などおりませぬ!

 ……なんて回答が返ってきた。それでも迷って私は約束通りにブドウ酒を作っている。準備は完了、あとは様子を見ておくだけ。

 「初めてだけど上手くできたかな……」

 「俺もハタチ過ぎてれば味見できるんだけどな」

 言って、フジタカは入浴後のリンゴをかじる。先週、ルナおばさんから預かったリンゴを渡したらすぐにチコへ小遣いをねだって買いに走ったのだった。リンゴしか食べないわけじゃないけど何度か通ったみたいで、果物屋の常連は増えたのかも。ついでに言うとあのフジタカが買った果物!なんて売り文句もたまに使っているそうだ。

 「おい、ザナ!フジタカ!」

 トロノ支所内をチコが私達を見付け小走りでやって来る。

 「どうしたんだよ」

 「探したんだぞ!どこ行ってたんだ!ビアヘロが出たってのによ!」

 ……と、言われたのが三日前。私達はビアヘロ退治に向かって馬車に揺られていた。

 「帰郷がこんな事になるなんて……嫌だよ」

 「大丈夫だってルビー」

 私の前に座る短い茶髪のお姉さん。一緒に召喚士選定試験を受けて合格した幼馴染のルビーだった。今回のビアヘロ退治の任務に当たる召喚士は私とチコ、そしてルビーの三人。私達はビアヘロが出現した場所の近くの村、セルヴァに向かっていた。

 彼女の言う様に、私達は召喚士になってからは一度もセルヴァに帰っていなかった。そんな時間がなかったというのが正直なところだが、手紙一つも送っていなかったのは言い逃れできない。ヒルやエマはどうだったのかな。

 「……ま、俺は納得してないけどな」

 「どういう事だよ、チコ」

 ルビーを励ましてから、自分の頭の後ろで手を組んでチコは背もたれに身を預ける。フジタカからの質問に目を細めて、一息吐いた。

 「考えてもみろよ。俺達は契約者の任は分不相応って言われたんだぞ。なのにビアヘロ退治にはこうして送り出される。……あの所長、何なんだっつの」

 今回の任務はセルヴァ周辺の森に現れたビアヘロの退治に私とチコが指名された。そこに研修としてルビーが同行する事も条件に課されている。ルビーからすれば本当に初めてのビアヘロ戦になるらしかった。

 「危険な事には変わりないのにね」

 私が言うと隣に座るレブの尻尾が私の腰を撫でた。……ちゃんと守ってくれると思ってるよ。

 「だけどルビーに何か手助けしてもらうまでもない。なぁ?」

 「任せろよ。……一撃で終わらせるから」

 チコとフジタカを見るルビーの目は輝いていた。

 「やっぱり凄いなぁチコは。インヴィタドとしっかり主従関係を結べてるんだもん」

 「えっ……」

 「まぁな!」

 少し言い方に引っ掛かりを感じたけど、チコが胸を張る。

 「特待生……流石だね。ザナはどうなの?」

 「私……?」

 昔は二つ年上だから、と私達を引っ張ってくれていたルビーが今度は私達を頼ってくれている。その目線にどう返そうか迷っているとレブの横顔が視界に入った。

 「レブとは、上手くやってるよ」

 「………」

 「噂は聞くんだけど……気難しくない?」

 難しい。とっても。でも、ここで口に出すともっと難しくなるから言わないんだ。だから、上手くやってるとだけ言っておく。それなら嘘にはならないし。分かっているのかレブも何も言わずに外を眺めている。

 「どんな噂を聞いたの?」

 「そこのインヴィタド達が召喚士を雷で黒焦げにして魔法の剣で消し去った、って」

 ルビーの聞いた噂にフジタカはもちろん、レブもピク、と反応した。ちょっと大胆に脚色されてないかな。

 「……黒焦げにしたのは相手のインヴィタドだよ」

 「召喚士は……消してない」

 私とフジタカが答える。時間が経つ程に冷静に対処できている自分達がいた。

 「そうなんだ。フエンテ、って人達の話……聞いてたからさ」

 ルビーが俯いて腕をキュ、と力を込めて押さえる。

 「もしかして、私達の所にも現れるのかな。私は妖精の召喚が少しできるようになっただけなのに」

 「………」

 フエンテの存在はトロノ支所の中では既に公表された。だからって支所内にいる全ての召喚士を招集してわざわざ説明した訳ではない。信頼できる立場の強い者を中心に伝わっていったらしい。それ故にどうやらルビー達の元に着く頃にはそんな風に話が挿げ替えられてしまう。

 「怯えてても仕方ないよ。今はセルヴァのビアヘロをどうにかしよう」

 ルビーの誤解を解いてもすぐ全員の間違いを正せるわけではない。だから今は前を向く。集中すべき事は他にあるのだから。

 「ザナはしっかりしたね」

 「え……そうかな?」

 じっとルビーが私を見詰めてから言った。私が首を傾げるとしっかりと頷いてくれた。

 「うん。言葉に説得力がある」

 村のお姉さんだったルビーにそう言ってもらえると私も自信がついて……くれば良かった。

 「誰かさんのおかげかな。ねぇ?」

 「………」

 「もう」

 王様とか言われる癖に人見知りするんだから。……レブのおかげで変われたと思う時も、その逆もあるってのに。

 考え方は変わった。召喚士の到達点と言われる魔法も使える様になった。……でも、一番使いこなしたいと思っていた肝心の召喚術に成果が無い。

 何度試しても未だに私はレブ以外の召喚に成功していない。ルビーだって妖精を呼び出せる様になっていたのに。魔法を使えたのは凄いらしい、とカルディナさんの反応から分かってるつもり……だけど。召喚術に関してはルビーやチコの方が余程優等生なんだ。フエンテと直接遭遇した経験があるから落ち着いていられるだけ。……あの三人さえ倒せば彼らが大人しくなると聞いていたから、信じられなくてもそう願っているだけ。

 「着くぞ。セルヴァだ」

 自分の力に対するもどかしさやフエンテ。他にも悩みは尽きなくても、それらも含めて今は考えない。帰郷を喜べる様に、全力を尽くす!

 チコに言われて私も外を見る。森と寄り添うのがアルパなら、どこか人間の為に森の中を切り拓いてできた村がセルヴァだった。こうして離れた地を実際に見たからこそ比較ができる。

 「尻痛い……」

 「毛皮が和らげてるんじゃないの?」

 馬車を降りてお尻を押さえるフジタカに尋ねると、そういう問題ではないと言い返される。……何日も座って揺られてるからね。乗馬よりは負担もないけど。

 「おら、フジタカ!さっさと行くぞ!」

 「あ、待てよチコ!」

 セルヴァの入り口に向かうチコを追ってフジタカも走っていく。

 「………」

 レブも黙って行っちゃうし。

 「帰ってきたね……」

 「……うん」

 森の空気を吸い込むルビーの横で、同じ様に胸を膨らませて深呼吸する。トロノとも違う、嗅ぎ慣れた緑の匂い。

 「………」

 「あ、ザナ?待ってよ」

 自然と私は歩き出す。チコやフジタカの姿は既に見失っていた。たぶん、自分の家に向かっているのかな。

 「ザナじゃねぇか!」

 「ただいま!」

 「おう、おかえり!」

 最初に会ったのはホエルさんだった。禿げ上がった頭を撫でてで久し振りに来た笑顔を見せてくれる。

 「お父さーん!」

 「……っ!ルビー!」

 そして、ルビーのお父さんでもある。ルビーはすぐにホエルさんに跳ぶ様にして抱き着いた。

 「いつ帰ってきたんだおめぇ!それに、なんで……!」

 「たった今!ただいまぁ!」

 ホエルさんは私も小さい時によく遊んでもらっていた。その時もルビーは私達の前ではお姉さんでも、ホエルさんには甘えていた。久し振りに会ったんだもん、はしゃぎもするよね。

 私は更に一人で奥に進んだ。その間にも村の人は私の姿を見て足を止める。一人一人の家に挨拶して回りたかったけど、足は止まらない。手を振ったり、声を張るだけに留めておく。

 「来たか」

 「やっぱりここにいた」

 アルパよりも家と家に距離がある。まして、人が普段は利用しない場所なら尚更だ。レブはセルヴァの広場で一人ぽつんと佇んでいた。

 「やっぱり、か」

 レブの目線の先にあったのは一部だけが焦げた木の幹だった。その視線を追う様に私は木まで移動する。

 「ここに召喚されてから全てが始まった」

 辺りを見回すレブと同じ様に、私も広場を眺める。私からすれば子どもの頃から遊んでいたり、お祝い事で使っていた場所。でもレブからすれば数時間もいなかった。

 「ここで何をしたでもない。だが、貴様を初めて見たのはここで間違いない」

 「あの時は怖かったなぁ。集中していたら天気悪くなってて、召喚陣から出てきたレブが這いつくばってる私を見下ろしてた」

 私が焦げ跡にそっと手を触れるとレブは鼻を鳴らした。

 「恋に落ちていた私に失礼なものだ」

 「誇れ、なんて偉そうに言ってるんだもん。天気も具合も悪いし、こっちはそれどころじゃなかったんだよ」

 最初に会ったお互いの印象を今更話すなんて思ってもいなかった。まして、私からレブへの話をする事なんて滅多にないし。……聞かれなかったんだな。

 「倒れているのはいつもの事ではないか。……私のせいでもあるがな」

 「ううん。私が倒れるのは未熟だからって分かってるもん」

 レブの魔力消費に応えられていない。だからカンポでも……。

 「違う」

 断言されて思わず振り返る。

 「私をこの世界へ呼び出した召喚士が未熟であるものか。発揮のされ方が異なるだけだ。召喚術を外しても、貴様には魔法という力が備わっている」

 ……いつかも言われた。契約者に与えられた力、それを活かすも殺すも己次第。自信を持てと言ってくれたレブは変わらず私を見ていてくれている。

 「なんで……」

 「小僧のスライムを羨ましそうに見ていたからな。……スライム、ではなく作動する召喚陣を見る貴様の目は……普段と違う」

 見抜かれてたんだ、気にしてたの。レブに隠し事は……。

 「だからこそ私は楽しみにしている。貴様という召喚士が大成するその日をな」

 「……ありがとう」

 でもレブには隠している事がある。それが、この前に仕込んでいたブドウ酒だ。そっちはあまり待たせずに味わってもらえるかな。……貰った鱗のお礼、もう少し待ってもらう事になりそうだけど必ず果たすからね。

 「帰ろうか、私の家に」

 「うむ」

 私とレブは広場を後にして自宅へと向かう。その足取りは自然とゆっくりになっていた。気が重いのではない、景色を二人で眺めたいと感じたからだ。

 帰り着くと中はそのままにされていた。誰かが入った形跡はない。数か月分の埃が積もって少し空気が悪い。

 「掃除するところからかぁ」

 仕方なしに奥へしまっていた箒を取り出す。レブも桶に水を張って雑巾を持って立っていた。

 「ごめんね、掃除手伝わせて」

 「気にしていない」

 黙々とレブは濡らした雑巾でとりあえず椅子やテーブルから拭いてくれていた。その間に私は箒で床の埃を外へと掃き出す。

 「……あのね」

 「どうした」

 手伝わせて黙っているのは悪い。言いにくいけど、私は口を開く。

 「こういう時、セルヴァで頼れる人って実はあんまりいないんだ」

 「………」

 私は幼い時にビアヘロに襲われて、親戚の家にしばらく居候してから使われていなかったこの家を宛がわれた。それからは……一人。

 「村の皆は優しかったよ?ただ……頼り方が分からなかったんだ」

 さっき会ったホエルさんも、チコの家も怪我をした私を気にしてくれた。自分でできる限界はあったし、生活するにあたってとてもお世話になったのもまた事実。だからこそ……。

 「余計な気苦労を掛けたくない、か。それは頼れる者がいないのではない。自分の負い目を気にしているだけだ」

 「うん……」

 レブが雑巾を絞る。

 「……ここに私がいる。それでは不服か」

 パンパン、と濡れた雑巾を引っ張り広げてこちらを見る。一度目が合うと、すぐに逸らされた。

 「相手に頼りたくない、頼れないのではない。自分で歩く力を得ようともがいた結果が今の貴様だ」

 「レブがここにいる。それは私にとって大きな進歩だもんね。……ごめん」

 私の返事にレブが溜め息を吐き出した。

 「口を動かす暇があるなら手を止めるな」

 「あ……スミマセン」

 指摘されるまで、私は箒を持って棒立ちしていた事に気付く。レブはその間もきびきび総じてくれてたのに。

 予定よりも少し遅く掃除を終えて長椅子で休憩。しまっていた毛布の埃も取り除いたし、今夜は以前と同じ様に眠れそう。引っ越しの時に処分していなくて良かった。

 「レブ、今夜はこの椅子で寝られるよ」

 「………」

 寝る場所に無頓着なのかレブは返事をしない。もしくは何か不満があるから黙っているのか。

 「インヴィタドって客人って意味なのに、椅子に寝かせるのも変かな」

 ふるふるとレブは首を横に振った。

 「床よりは寝心地も良い」

 「いつも床だもんね……。お金溜めてレブ用の寝床買おうか?」

 いや、と再度レブは首を横に振る。

 「それでブドウを減らされては私が堪らん」

 酒浸りのおじさんみたいな事を言わないでよ。だからフジタカにも……。

 「おぉーい、ザナぁー」

 「あれ」

 家の外から聞こえてきたのは頭の中に思い描いていた人物。すぐにレブから離れて扉を開けてやると、フジタカが肩を揺らして立っていた。毛皮が暗い橙の夕陽を反射している。

 「どうかしたの……?」

 「チコの家でビアヘロの話をしようってさ。ルビーさんは先に行ってる」

 聞こえていたレブも玄関へと歩いてきた。

 「チコは?」

 「家にいる。両親と話してるぞ」

 ビアヘロの話を先に聞いてたのかな。掃除も終わったところだったし、手は空いている。

 「行こっか」

 「忙しないな」

 何もする事がないよりは良いよ。まして、その為に集まってるんだから。私とレブはフジタカと一緒にチコの家へと向かう。久し振りだなぁ、チコの家に入るの。

 セルヴァは山の中腹に位置するでもないのに坂道が多い。チコの家はその中でも特に上がった先の数件の一つだった。なんでも、セルヴァに古くから住んでいた家柄から高い土地を所有し、後から移住してきた人達は少し下った森を伐採して家を建てたそうだ。私の住んでいる家は下とも上とも言えない。強いて言えば真ん中より少し下って外れの方に建っていた。

 「遅ぇぞ、フジタカ!」

 「そう怒るなよ」

 家の扉を開けると玄関前で腕を組んで立っていたチコが怒鳴る。フジタカは苦笑して私達を中に入れてくれた。

 「ごめんチコ。私達が……」

 「お前達はいいんだよ」

 扉を乱暴に閉めてチコが広間へ通してくれる。ルビーが長椅子の隣を勧めてくれるからそこに移動する。既に人は集まり終えている様だった。

 「ザナちゃん久し振り。元気そうね」

 「はい。ミレイアさんも、クレトさんもお変わりなく」

 「うん。やっと安心した」

 最初に声を掛けてくれたのがチコのお母さん、ミレイアさん。そしてホッとする様な笑顔を見せてくれたのがチコのお父さんのクレトさん。二人の金髪は子のチコにもしっかりと受け継がれている。鼻筋なんかはチコとミレイアさんはそっくりだ。

 「ご無沙汰しています」

 「いや。よくぞ来てくれた」

 最後に私は杖の柄をしっかりと握って座っていたビト長老に頭を下げる。頭髪は厚みがあっても見事なまでに白髪に染まっている。前はまだ黒髪も混じっていたけど、最後に会ったのも随分前だし。

 長老は召喚士選定試験の悪天候や私達の見送りにも顔を出さないくらいには家に閉じこもっている。大抵次期長老と言われている息子のエクトルさんがこういう時は出てくると思ってた。直々に長老が出てきたという事はそれだけ重大なのかも。

 「全員揃ったな」

 私とチコが座ってビト長老が皆を見回す。レブとフジタカは私達のすぐ後ろに立っていた。

 「トロノから遣わされた召喚士が、このセルヴァより夢を抱き羽ばたいた若者達だった。本来なら、それどころではないが再会を祝したい。感謝する」

 「………」

 「………」

 「あ……」

 チコも私も何も言わずに長老の言葉を噛み締める。ルビーも何か言い掛けだが、場の空気に合わせて口をつぐむ。

 「君達は我らの宝であった。だが、今回セルヴァに遣わされたのは相応の理由があろう」

 私達は離れてもセルヴァの子ども達。今もそう言ってもらえるのは誇らしかった。

 ブラス所長が私達に命令した理由。適材適所かどうかは馬車の中でも話していた事だ。納得のいく説明を求めても延々はぐらかされる。それは私達の力がまだ発言に伴っていないから。無理に聞き出す力も関係も築けていないから。

 ……冷静に見通す力はいつの間にか身に着いたかも。

 「一人前の召喚士になった三人の力で、この村を助けてほしい。これは、その報酬だ」

 ビト長老が少し小さめの麻袋をドン、と置いた。お金の詰まった物だとはすぐに分かる。私達だけで処理した任務だってあるんだもの。

「相手のビアヘロは二本角の山羊の様な見た目をしているのが一体。数は一体だが……実際に怪我人や作物の被害が出ている。……退治して頂けないだろうか」

 チコは袋の中身を確認して頷いた。

 「確かに。その依頼、俺達トロノ支所の召喚士が引き受けた」

 これは生まれ育ったセルヴァの為でもあり、一人の力を持つ召喚士としての役目でもある。力強いチコの返事に周りの大人達の緊迫した表情が緩んだ。

 「頼りにしているぞ、チコ」

 クレトさんにチコは胸をトン、と叩いて見せる。

 「少し扱いにくかったが、今ではその力の使い方も分かってきた。任せてくれよ」

 チコは元気良く答えた。……でも、言われたビアヘロと中心に戦うのはチコではない。フジタカを差し置いて言ってしまうのは安請け合いじゃないのかな。

 後ろに立っていたフジタカは何か言おうともしない。チラ、と後ろを見て彼の表情を確かめても無表情だった。ぼんやりしているわけでもない。

 「トロノから来たのが貴方達だったというのは少し心配だったけど……。今はどんな召喚士よりも信頼できる。お願いね」

 「母さんこそ。ビアヘロなんて騒ぎでぎっくり腰になってんじゃないかってこっちが心配したっての」

 セルヴァはトロノやアラクラン周辺程はビアヘロが出現しない。まして、現れたとしてもトロノの召喚士が村に着くまでに対処する場合も往々にしてある。この前のペルーダと違い、実害まで被ったビアヘロがセルヴァを賑わせるなんてかなり久し振りだ。

 「ルビーを危険な目には合わせません。私達で早急に対処します」

 「ザナ……」

 だから私も意気込みを見せておく。この村に危険なんて似合わないのだから。

 チコも対抗意識を燃やしたのか私を見る目が細くなっている。こうして張り合った方がチコはやる気を燃やすと知っていたから私は敢えて言った。……セルヴァではもっとゆっくりしたいけどそうも言ってられない。

 「セルヴァから旅立った召喚士達にも聞かせたいぐらいだ……。一刻も早い解決を願っている」

 言って長老と私達はしばらくビアヘロの目撃情報や被害状況の確認を行った。活動範囲の広さに別個体の可能性も示唆されたが、森の外には出ていないらしいと発見する。

 どうやら計画的に村人達がセルヴァの結界陣を越えた途端に襲われていたらしい。相手が餌を持っていると知ってたんだ。

 「魔力が切れて消える、って事はないのかな」

 「無いから派遣されているのだろう。楽を考えるな」

 帰りの夜道、歩きながら私はレブに尋ねた。返ってきた返答はもっともだけど……。

 「ビアヘロにも依るんだろうね」

 「魔法を使わず大人しくして、効率良く魔力を摂取する。浅知恵は持っているらしいな」

 被害者の肉を一部食べたとか血を飲んだとか……噛み付くだけでも随分この世界への定着度は変わるみたい。その辺りは異世界の住人達に聞いても反応はまちまちだった。この世界から出られない私達にはどの説明でもピンと来ないんだよね。

レブはチコの家で振る舞われた夕食を無言で食べていた。温かな野菜スープに浸し、旨味を吸ったパンを食べる……。あまりトロノでやっていなかった食べ方でもレブは見よう見まねで同じ様に食す。帰宅した私達はもう、あとは眠るだけだった。

 「セルヴァから旅立った、か」

 家に着いてから、ふと長老が最後に言っていた言葉を思い出す。

 「召喚士の話だな」

 しっかり聞いていた様でレブもすぐに扉を閉めて私を見る。

 「セルヴァの選定試験に合格して戻ってきた召喚士って知らないんだよね」

 「合格者として威勢良く飛び出したのだ。引っ込みがつかないだけではないのか」

 そういう一面もあるかもしれないけど……ぺぺのお父さんも昔は召喚士を夢見ていたらしい。なのに召喚士である事を辞めたから戻ったんだ。

 ……召喚に成功した先がまだまだあった。ビアヘロと戦うのならば、それだけの力を持ったインヴィタドが必要だし、召喚士自身にも力を問われる。そこに追い付けないから……戻ったのかな。力不足以外で言うとビアヘロに手痛い目に遭わされたとか。

 暗い理由ばかり思い付くが一つ分かる。今はぺぺのお父さんは笑って暮らしているという事だ。召喚士に未練を抱いている様子は無い。契約者に魔力線を解放してもらったからと言って、召喚士ではない幸せは選べるんだ。

 一方で、どうして一人前になった召喚士がセルヴァに戻って来ないかは分からない。召喚士育成機関から資格と権利を持って卒業したのならば活動はある程度自由にできる。自主的にもっとビアヘロを処理したいのならどこかの傭兵団体に所属する者もいるし、インヴィタドの能力を買って技術者として確保する者もいた。

 「帰りたく、なかったのかな」

 単純な答えに行き着いてしまう。セルヴァよりも、トロノやカンポのフェルトみたいに別の場所の方に思い入れが湧いてしまった

 「明快だな」

 「セルヴァの結界は強力だよ?でも、召喚士の一人もいないとこういう時に対処ができなくなっちゃう」

 長椅子に座ってレブが腕を組む。

 「貴様とて、任務でなければ戻るまい」

 「……そうなんだよね」

 灯りを点けて私もレブの隣に座る。レブの方が重くとも古い椅子だからギ、と音が鳴って私の方へ少しだけ傾く。

 「この地から離れたいからでも、留まりたいからでもない」

 「理由は幾らでもあるんだね」

 召喚士だって誰にでもなれるわけではない。……戻りたくても戻れない人もきっといる。だから今は、代わりに私達がいるんだ。

 「犬ころに合わせて夜明けと共に出る」

 「支度はできてるよ。……頑張ろうね」

 「言われるまでもない」

 挨拶代わりのやり取りを終えて私は眠った。久し振りに使う自分のベッドはやっぱり少し埃臭かった。

 ビアヘロについて知識は独学で少しずつでも身に付けている。今日のビアヘロの特徴は以前にソニアさんから聞いた物と特徴が一致していた。……ソニアさんには戻ってから一度もまだ会えていない。ティラドルさんに聞いても今は研究に集中していると会わせてはもらえなかった。カルディナさんも口に出さないからもしかしたら二人では会ったのかな、と勝手に思っている。

 「ジャル……って呼ばれてるんだっけ」

 「角が武器で……攻防一体なんだよな」

 私が確認し、フジタカも頭の情報を引っ張り出していた。ソニアさんがいないと、こんなにもあやふやな知識なんだと思い知らされる。

 「フジタカ!臭いで発見できないのか!」

 「無茶言うなよ、知らない臭いとか……。耳を澄ますから大声出すなって」

 「お前……!」

 後ろを歩いていたチコがフジタカへ声を張る。まだ何か言いたそうにしていたから私が口元に指を当てて静かにする様にお願いした。

 「……ちっ」

 「………。どう?」

 しばらく全員で黙っているとフジタカの左耳が微かに跳ねた。

 「………向こう、蹄みたいな音がした」

 フジタカの指差した方を見るが、木々に覆われビアヘロ……ジャルらしき姿は見えない。隠れているか、位置取りが悪いか。レブは何も言わなかった。

 「よし、行くぞフジタカ」

 「待ってくれよ!」

 指差した方向へチコが一番に歩き出す。それに遅れてフジタカ、私とレブ、一番後方にルビーが続いた。

 「レブは飛んだりしないの?」

 「不要だ。こちらに気付いて向かって来ているのだからな」

 私が前を見てもまだ何もいない。でもレブの耳や鼻は何か……。

 「っ……」

 「聞こえたか」

 「うん」

 音だけ聞こえた。草を踏み締める硬い何かが……勢い付いてこちらへ来る。

 「ルビーは少し下がって!」

 「でも、私も何か……」

 緊張からかずっと話にも入れていなかったルビーもこの場に立って自分を奮い立たせた様だった。

 「心意気で十分だ。今回はあの犬ころを見ていれば良い」

 無理はさせたくない、と思っていたところにルビーへレブが言ってくれた。腕を組み、どっしりと肩幅に足を広げて先を見ている。まるで自分は動く気が無いかの様に。

 「レブは……」

 「不測の事態が起きれば対処する。それで構うまい」

 「え……あぁ、うぅん……うん」

 少し迷ったけど、理には適ってる。二人掛かりの方が早いと思うけど……。

 話している間に少し遅れてしまう。再び二人を、ビアヘロを追って私達は走った。

 「チコ!危ねぇって!」

 「だったらお前が先に行けってのぉ!」

 相手は逃げるつもりではなく、向かってくるつもりらしい。チコとフジタカの声を聞いても勢いは止まる気配はなかった。

 少し木々が開けた場所へと到着して、そのビアヘロは姿を現す。後ろでルビーも息を呑んでいた。

 「ジャル……」

 黒く長い体毛に包まれた体には幾つもの斑点が浮かんでいる。その斑点に限っては緑や青等の寒色で彩られており、見た目は少し毒々しい。毒を持っている、と記述はなかったが警戒するに越した事はないだろう。

 「よっしゃあ!行け、フジタカ!」

 「あ、あぁ!」

 チコも剣を構えるがあくまでもビアヘロに挑むのはフジタカだ。自称狼の高校生は剣とナイフを抜いて相手に対峙する。

 真っ黒なその姿は水牛や馬よりも大きく、支えるだけのしっかりした長さと太さを兼ね備えた足が地面を掻いていた。頭から突き出た角は歪曲しており、読んだ文献だと回転するらしいんだけど……。

 「ウィィィィィィ!」

 「いぃっ!?」

 突如、ジャルが大きな声で鳴いて両前足を浮かせる。ダン、と大きな音を立てて着地したと思うと、フジタカを目掛けて突進し出す。その時、角が前へと角度を変えた。

 「お、おぉぉお!?」

 「避けるな!戦……っ!こっち来んな!」

 「だってぇぇぇぇぇ!」

 「ウィィィィイィィ!」

 フジタカが逃げる。その方向に立っていたチコも巻き込まれ、二人で走り回る。ジャルは正面が見えていないのか、木にもぶつかりながらだがそれでも二人を追い続けていた。

 「まずいんじゃないの、アレ……」

 「はぁ……」

 レブは溜め息を吐き出して首を横に振る。

 「二手に分かれよう、チコ!俺が引き付ける!」

 「よし、やれ!」

 並走する二人の打ち合わせ内容を解する知恵があのビアヘロにあるとは思えない。二人は頷き合い、同時に反対方向に走った。

 「ウィィィ……」

 やっとジャルの動きが止まる。そして頭がぐらりと揺れ、再び走り出す。その先には……。

 「お、俺じゃねぇって!そっち!そっ……」

 「ウィィィィィ!」

 「うわぁぁぁぁぁぁぁぁ!」

 フジタカではなく、チコに狙いを定めてジャルの角は再び前に倒れる。鳴き声と共に駆け出してチコも顔を真っ青にして走り出した。

 「お、おぉぉぉぉ!助けてくれぇ!」

 「ザナ!こっちに来るよ!」

 「うん……」

 ルビーに服を引っ張られる。チコが私達に向かって走ってきていたからだ。当然、そのすぐ後ろにはジャルも続く。

 「レブ……」

 「見ているだけで終わる」

 「ザナってばぁ!」

 肩を掴まれ、無理矢理にでも私を動かそうとするルビーをレブは横目で見ている。涙を浮かべているルビーに私も何か言いたいけど……。

 「ウィ……ッ!」

 「うわぁぁぁぁぁぁぁぁぁ…………………あれ?」

 ジャルが短い鳴き声を上げた直後だった。ヴン、と音がしてビアヘロの姿が消える。後に残ったのはやたらと尾を引くチコの悲鳴だけ。

 草が重さに潰れる軽い音がして、見るとジャルの頭に生えていた角が二本転がっている。

 そして少し先には縄を括りつけたナイフ。柄の先に嵌められた宝石は木漏れ日を反射して海の様に蒼く輝いていた。

 「……間に合った!」

 緊迫した表情のフジタカはジャルが消えたと確認するとぺたん、と膝から座り込む。私とレブはナイフを回収して疲れ切った彼に手渡してやった。

 「やったね、フジタカ」

 「もう少し機敏でも良かっただろう。触れれば終わっていたのだからな」

 「勢いは消せずに吹っ飛ぶとか、嫌だろ?つーか、あんな勢いで来るデカブツを正面からって無理だっつの!」

 ナイフで一撃、とは分かっていても私だって動けなくなるか逃げると思う。レブは殴り返しても打ち勝つんだろうなぁ。

 「……フジタカ」

 「あ、チコ。大丈夫だったか?」

 肩を大きく揺らし、汗もだらだら滴らせたチコは顔を真っ赤にしてフジタカに詰め寄る。

 「お前!俺を囮にするってどういうつもりだ!」

 「いや……あれはビアヘロが勝手に……」

 「魔力供給してんのは俺だろ!その俺が死んだらどうなるか、ちゃんと考えろよ!」

 一方的に捲し立てるチコに私が言い返そうと前に出た。

 「チ……!」

 「……悪かったよ。次はもっとお前にも気を遣う」

 「……分かればいいんだ。ご苦労さん」

 チコは背中を向けて剣をしまう。フジタカもナイフを革鎧の小物入れに入れて留め具で固定した。

 「さぁ、ルビー。帰って村長に報告だ。角はフジタカに持たせるからさ」

 「うん……。あっという間だった……」

 ルビーはチコに促されるままセルヴァの方へ歩き出すが、視線はフジタカに向いている。フジタカはと言えば、特に感情らしき物は顔に出ていない。

 「よっと……。立派な角だが活かす機会は無かったな」

 ひょいとフジタカは軽く角を抱えた。私ももう片方を持ち上げたが、すぐに取り上げられてしまった。思ったよりも重くはない。

 「俺が持つ。そういう言い付けなんだから」

 「でも……」

 チコの言い方はあまりに自分勝手に思えた。まして、フジタカの前に出ていたのは自分だし、追いかけまわされたのは誰のせいでもない。

 「気にしてないから、俺」

 どうして、と聞く前にフジタカは歩き出した。その背を見て私とレブも続くしかない。

 「……フジタカ」

 「うーん?どした?」

 良かった、返事はしてくれる。……少し歩いていても本当に気にしていない様だった。

 「……さっきの凄かったね?新しい力だったじゃん」

 気にしていないとしても話題にするのは私の居心地が悪い。だから別の方に向けてみた。

 「だろ!上手くいって良かったぜ」

 「……チコは知ってたの?」

 「いや、さっき初めて使ってみた。青いのは“部分的に残して消す力”……ってとこかな」

 咄嗟にアレを使おうと思っていた……?それで成功させたって……フジタカは自分の力を使いこなし始めてる。

 でも、チコは知らないで無反応だった。……いつものナイフと同じと思っているのかな。

 「切り替え方は分かったんだ。あとは他の色に役割を決められればな……」

 赤いアルコイリスでナイフを使ったのはベルトランとの時だけだった。その時は“部分的に消して”いる。使い分ければビアヘロとの戦い方は一気に変えられる。

 「仮にできていなかったとしても、触れれば消せるんだもんね」

 「そういうこと」

 ふふん、とフジタカは笑う。機嫌は悪いどころか良さそうにすら見える。

 「チコは凄いね、村を何日も困らせていたビアヘロをいとも簡単に消しちゃうなんて。探し回っている時間の方がよっぽどかかっちゃったし」

 「もっと手っ取り早くアイツが見付けられれば、ルビーも楽できたのにな」

 ……なのに、前を歩く二人はあんな話をしている。

 「ザナ、少しいい?」

 「え、な、なに?」

 フジタカの活躍に目を向けもしない二人の話はしばらく続いていたが、急にルビーが歩を緩めて私と並び立つ。チコは構わずずんずんと先へ進んでいった。早く帰って報告したいんだろうな。

 「さっきのビアヘロ……もういないんだよね?」

 「うん、フジタカが消してくれたから」

 簡単に言うけど、トーロ程に強いインヴィタドだってそうそう確保できてないのが現状だ。スライムやちょっとした妖精では到底倒し切れる相手ではなかったな、と思ってしまう。ジャルくらいのビアヘロとばかり戦わせられるのが召喚士の宿命になるんだろうけど。

 「ザナはどうして戦わなかったの?どうしてインヴィタドに命令しなかったの?」

 「えっ……」

 「………」

 「………」

 きょとん、とした目で私を真っ直ぐに見てルビーは言った。レブとフジタカは何も言わない。

 「だって、召喚したのはザナでしょ?言う事を聞くのが当たり前なのに……さっきは何かあったら対処する、って言ったのを受け入れてたよね?戦わせたがっていたじゃん」

 「それは……」

 強い口調ではないがルビーの口調には棘が含まれていた。自分の正しい考えに私は反している、と言いたそうにしている。

 「私は犬ころだけで事足りると知っていたから動かなかっただけだ」

 「……ほら」

 レブの言いたい事も分かってる。……たぶん、チコを見て何か思うところがあるからわざとフジタカ一人にやらせたんだ。

 それをルビーは納得していない。私とレブの関係を知らないから、そして自分が教育されてきたインヴィタドとは明らかに違うから知識との差を埋められないんだ。レブが専属契約しているインヴィタドとは特に言っていないから……知ったら余計に違和感を訴えそう。

 「もしかして魔法が強力過ぎるから……とか?」

 「うーん……」

 間違ってもいないけど、どう言うのが正しいのかな。魔法を使わなくても今のレブでもジャルには勝てそうだし。そうだよ、と肯定するのもレブに悪い。自分でも魔力の燃費を気にしてくれていたのだから。

 「………」

 でも、本当は別にあったんだ。

 「レブの考えと私の考えてた事が一緒だったってだけだよ」

 「……そうなんだ」

 「フジタカならチコを守れる。レブだったら、もしジャルがこっちに来ても私とルビーを一緒に守れるとは思った。だからレブの意見を取り入れたんだよ」

 取り入れた、って決定権を握ってるつもりはない。でもルビーの表現を納得できる形で取り入れるならこういう事、なのかな。

 「ザナもビアヘロとは何度も戦ってるんだもんね。やっぱり備えは大切って事か……。ザナ達の戦いも見てみたかったんだけどなぁ」

 「また次に、ね?」

 「うん……」

 やっとルビーは納得してくれた様で前を向く。レブを見ると私の視線に気付いていないフリをして、てくてくと歩き続けていた。

 とっぷりと日が暮れてセルヴァに着くとチコの両親が迎えに来てくれた。フジタカの持つ角を見て目を見開き、すぐにビト長老が呼び出される。

 それがジャルの物だと判断されてからだった。長老は村中を挙げてビアヘロ退治を成し遂げた召喚士を労おうと提案してくれる。

 「良かったのか」

 「うん」

 しかしそれを私が断った。ルビーが断った理由は分からないけど、召喚士側の多数決で見送られる。今頃はチコの家の中だけでご馳走が振る舞われているんじゃないのかな。

 だから今、私とレブは二人で家に戻っていた。明日にはトロノに戻る為に出発するから、散らかしてもいられない。長椅子に二人で座ってスープだけの食事を済ませる。

 「レブには悪いけど……そんな気分じゃなかった」

 「気にするな。言いたい事は分かっている」

 暖炉の炎を眺めてレブは目を細める。

 「チコ、どうしちゃったのかな」

 フジタカとは仲良くやっていると思ったのに。ここ数日のチコはどう見ても変だ。

 「どうしたも無い。考えられる理由は幾らでも出てくるだろう」

 「幾らでも……」

 言われて、少しだけチコが変わる前と変わってからを比較する。変わったのは……やっぱり、フェルトの一件なのかな。あれからフジタカへの当たりは少し強くなったかも。

 「今回初めてと言えば貴様にも言える。人前で緊張は無かったか」

 「ルビーの話をしてるの?」

 レブが横目で頷いた。見られていたからって別に……。

 「あっ。チコが張り切ってた?ルビーの前で?」

 「本音は知らん」

 ……気付けたのだから有り得なくはない、だろうけど。

 「私にはよく分からないな……」

 頬杖をついて暖炉を見詰めると炎が揺らめいた。召喚士として一歩、二歩と先を行く俺達がビアヘロ退治のお手本を新米召喚士に見せる!なんてチコが言うのかな。

 「犬ころはトロノでは有名だ。少なからずセルヴァでも耳には入っているだろう」

 「セルヴァの皆の為、っていうなら納得かな。チコは地元からほとんど出てなかったし」

 だからって、と私は続ける。

 「……やっぱり、フジタカに取る態度があんなになって良い理由にはならないんじゃないかな」

 「………」

 薪がバキン、と音を立てて崩れる。

 「召喚士としての在り方の一つを表現したのだろうな」

 「チコの肩を持つの?」

 静かにレブは首を横に振った。

 「私はあの小僧を否定する気は最初から無い。だが、召喚士とインヴィタドならば召喚士が優位に立っているのは最低限の前提だ」

 「優位……」

 随分前にソニアさんと召喚されたばかりのティラドルさんを見てレブが言っていた事と同じだ。魔力供給している以上はインヴィタドよりも召喚士の方が立場は上だと言っていた。

 「ルビーに……チコは召喚士の在り方を見せていた。セルヴァの人にもしっかりフジタカを従わせていると見せたかった?」

 「聞く相手を間違えるな」

 答えは本人次第、今のはレブの推測。

 「召喚士ならば馴れ合いだけではない。力を以てインヴィタドと向かい合う事も時には必要だ。もしも相応しくないと判断されれば、それは召喚士の問題だ」

 「………」

 ルビーは私とレブを変だと思っていた。カルディナさんも……チコとは違うけどトーロとは一線を引いていたと思う。ソニアさんのティラドルさんへの態度は屈服さえようと言うよりは嫌われない様にする為の態度だったのかな。

 あれが、召喚士とインヴィタドのあるべき主従関係、なのかな。

 「……ウォッホン」

 「どうしたの?って……ごめん。考え過ぎてたかな」

 露骨な咳払いをしたレブは一度尻尾をくねらせた。

 「……もっと命令しても構わぬのだぞ」

 そっとレブの尻尾が私の腰に絡まる。……私からは触ったらダメ、なんだっけ。

 「命令って、レブは嫌いじゃないの?」

 「私は貴様の判断であれば信用してやらなくもないと言っているのだ」

 必要だと思った命令なら従ってくれるんだ。……でも、レブに命令をしようって思った事なんて一度しかない。

 「命令すれば召喚士、従うからインヴィタドってわけではないよね?」

 私からの質問にレブが目を丸くする。

 「……そうだな。そんな道理はない」

 「だったら決め付けない。私とレブには、私達なりのやり方がある。でしょ?」

 そのやり方とは、と聞かれると……レブ任せな部分が多い。まして、今回はフジタカに全部押し付けてしまったんだから。改善しないといけないとは思っている。

 「私達なりの関係か……。築いていきたいものだ。色々な意味を含めてな」

 「………」

 応えてあげないよ、今は。……二人きりの今こそ、とも思うけど。

 「フジタカは……インヴィタドとしての役割を受け入れたから何も言わないのかな?」

 チコの態度に気にしていないと言っていた。チコが変わった理由を自分なりに知っているのかも。

 「媚びるだけがインヴィタドではない。あの犬ころがそこに気付けぬ程愚かとは……」

 「へぇ……」

 「……なんだ」

 やっぱりフジタカにレブは一目置いてるよね。今日のビアヘロ戦だって、信用していたから何も手を出さなかったんだし。

 「別にぃ?」

 言えば否定するだろうから言わない。フジタカにはこの部分より先は伝えなくて良いと思うもの。

 「そんなに構ってほしいのか」

 「そういう返しができる様になっても、使いどころが違うよ」

 この話題を続けたくて言っているんじゃないんだから。大事なのは、レブがフジタカを愚かと思っていないという一点。

 「余計な事を吹き込むなよ」

 「余計かどうかは私が決める事だ。……どう、似てた?」

 「ふん」

 すっかりレブはヘソを曲げて私に背を向けた。拗ねるなんて子どもじゃないんだから。でも声真似はやっぱり……。

 「……若干だが、興奮した」

 「………」

 ……思ったよりウケは良かったみたい。


 翌朝を迎えて私達は朝も早い内から集合していた。馬車を待たせてあるが、見送りに話を聞き付けた村の人達が集まってくれている。

 「チコ!ありがとうな!ザナとルビーも!元気にやってけよ!」

 「ヒルに会ったら手紙の返事くらいよこせって言っといて!」

 「エマにこれを渡しておいてくれ」

 「はい。分かりました」

 最後にルビーがエマのお父さんから小包を渡されていた。……心配してくれる人がいるっていいな。

 「また来るぜセルヴァ!今度はもっと立派な召喚士になってな!」

 チコが腕を高く上げて叫ぶと、村人達も一気に沸き立つ。そこに、少し調子の異なる声が聞こえた。

 「あの……!通して、ください!」

 「通してー!」

 村人を掻き分けて現れたのは二人の女性エルフ。その姿を見て顔色を変えたのは、フジタカだった。私も片方の少女を見て前へ出る。

 「君……!」

 「イルダちゃん!」

 「うん!」

 名前を呼ぶと、イルダちゃんはすぐに応えて頷いた。どうしたのか、とセルヴァの皆は一気に静まる。

 「なんで、君がここに……?」

 「……あの後、私とイルダはこのセルヴァへ移住したからです」

 フジタカの質問に答えたのはイルダちゃんのお母さんだった。伏せがちな目で何度もちらちらと私達を見ている。あの後……がどの後かなんて聞き返す事はなかった。

 「……私は貴方の事を疑っていました。でも、シルフの噂で聞きました。やり遂げてくださったのでしょう?私達の故郷を焼いた者へ制裁を」

 「…………あぁ」

 長い間閉じていたフジタカの口は、イルダちゃんのお母さんが発した言霊を肯定した。

 「ありがとうお兄ちゃん!」

 「俺は……」

 私の知るあの日に、礼を言われるような行動は一つもなかった。だけどそれが彼女たちに、アルパにとってはかけがいのない物だった。だからこんなにも笑みが眩しく見える。

 「まだ故郷へ戻る事はできないと思います」

 イルダちゃんのお母さんは再び目を伏せる。そう、時間をかけねば取り戻せないものもある。

 「ですが貴方の行いを私達も無駄にしない。いつかアルパへ帰ります。イルダを連れて」

 「………」

 フジタカは言葉を失っている。

 「貴方は、アルパの希望でした。心より、お礼を申し上げます」

 「……あ、あはは……。参ったな」

 困った様に乾いた笑い声を上げて、頭を下げる二人のエルフをフジタカは見ている。感謝されるなんて思っていなかったんだ、この時まで。

 私達が行った事で助からなかった人もいた。そして対照的に心を取り戻した人もいた。

 それが、フジタカにとって何よりも救いになったのはこの後だった。

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