第四部 二章 -鋼刃は明日も輝く-

 宿に着いた私達は広間に集まってこれまでの話をココとウーゴさん、そしてライさんに伝えた。話の内容は主にフエンテについて。アルパの事件から説明した際はビアヘロでは、と向こうからも手堅い仮説を返されたけど、私達が彼らに会ったのつい先日だし間違い様が無い。

 最初こそ半信半疑の様だったけどトーロの肩の傷に誤魔化しは効かない。傷は塞がったものの、痛々しい痕は今も刻まれていた。

 「……フエンテ。ココ、聞いた事は?」

 「知らない。契約者が来るよりも昔から召喚士が居たのは聞いてたけど」

 一通り話を聞いてもらい、ライさんがココを見る。知っていたのか、とライさんとウーゴさんも顔を見合わせる。……ニクス様だけ別の召喚士達を知っていた私達と同じだ。

 「知ってたならどうして言わなかったんだ」

 「んー……」

 ココは表情がくるくる変わる。退屈そうに話を聞いてたと思えば、質問に口を曲げて顔を掻いたり。見た目以上に幼く見えてしまう。

 「僕だって会った事無かったし、聞かれないから言う必要も無かったし?」

 「お前な……」

 こうして呆れるライさんと、悪びれもせず答えて笑うココは確かに違う。似てはいないが仲良しの兄弟くらいなら……無理かな。ライさん、何歳なんだろう。お父さん、って歳じゃなかったら悪いよね。

 「アルパの事件も知らなかったのか?」

 フジタカが訝しむ様に質問する。アルパで暴れたゴーレムはビアヘロではないと分かってしばらく経つのに、この人達は全く知らなかった。

 「僕達、いっつも旅してるもんね。噂話は聞くけど……」

 ココも私達の視線に困った様に笑う。

 「大陸向こうの話はあまり入ってこなくてな。フェルティリダッドにももうしばらく戻っていない」

 「ふぇ……フェ?」

 ウーゴさんの出した名前に今度はフジタカが混乱したみたい。

 「フェルティリダッドはカンポの拠点みたいな町だよ。大抵フェルトって呼ばれてる」

 ボルンタ大陸で言うトロノ……よりは人口も規模も小規模かな。農業の生産量は圧倒的に多いんだけど。

 「へぇ……。フェルト、か……」

 「そこの召喚士育成機関、フェルト支所に所属するのが我々です」

 フェルト支所……どんなところで、どんな召喚士やインヴィタドがいるんだろう。

 「フェルトへはトロノの所長から連絡が行っているだろう」

 「ボルンタの話がこっちまで流れてくる事は滅多にない。だが、今回の事件は根が深そうだな」

 ライさんも深刻な顔をして俯く。

 「カラバサで誰が結婚したー、とかってカンポの中の話ならすぐ耳に入るのにねー」

 そこにココは笑顔で茶々を入れてくる。誰が危険って、君が危険なのに。

 「お前な……」

 「だって、この話つまんないんだもん」

 ココが言って口をひくひく動かしながらライさんを見ている。二人のやり取りに私達は何をこの先言おうか分からなくなった。

 「……前からこんな感じなんですか?」

 「ココは、ね。それでライは砕けたかな。前はもっと腫物を扱う様にしてたんだけど」

 カルディナさんが肩を竦めると同時にライさんの鉄拳がココの頭頂へ見舞われる。契約者への扱い、と考えると信じられない光景だった。

 「お前!命狙われてる自覚あるのか!」

 「危ない時にはライが守ってくれるでしょ!?なら僕は気にしなくていいじゃん!」

 開き直り、ってこういうのを言うんだろうな。レブはどう思ってるんだろう、こういう子に対して。

 「なっ……!」

 「それとも守ってくんないの?」

 ココの意見にライさんが身を引いて口を歪ませる。しかしココからの問いへの答えは一つ。

 「……守るに決まっているだろう」

 「ほーらね!僕、ライもウーゴも大好き!」

 「まったく……」

 横に座るライさんに抱き着くココ。そんな彼の頭を微笑みながら撫でるライさん。和やかな雰囲気が場を包んでいく。

 「……俺知ってる。そういうの甘やかし、って言うんだ」

 「ぐ……」

 そこに水をちびちび飲んでいたフジタカからの冷静な一言。呻いたのは何もライさんだけではない。

 「退屈な話だ。けど聞いとけよ、次はお前かもしれないんだぞ」

 「……はーい」

 間延びした返事をしてココが長椅子に再び腰を埋める。ライさんはフジタカに静かに謝っていた。

 「フエンテからの二人……消えた、と言うのが妙ですよね」

 「それも俺みたいな力でな」

 ウーゴさんが話の腰を戻すとフジタカがナイフを取り出した。三人とも目を丸くして、そっちの説明をまだ済ませていなかった事を思い出す。

 「君の魔法は何かを消せるのか」

 「あぁ。条件はあるけど、消せる」

 ナイフを取り出したが刃は見せない。フジタカはアルコイリスの輪をカリカリと回して口を曲げた。

 「その条件とは?」

 「………」

 ライさんの問いにフジタカは口を開きかけて止めてしまう。代わりに私達を見た。

 以前のレジェス達の襲撃は夜だった。契約者の暗殺を狙うなら日中よりも忍びやすいから、と理由としては妥当だが実際は違う。……話して良い相手か、見極めてるんだ。トロノの皆すら、知ってるのは一部なんだもん。

 「ココはまだ幼い。だが、信用はできる」

 「……うす」

 静かに声を洩らしたのはニクス様だった。フジタカも面食らった様だったけど、契約者からのお墨付きに頷く。

 「俺はナイフで切った相手を消せる。でも、夜にこの力を使えない」

 「じゃあ……」

 ココが窓の外を見る。もう暖炉の火の方が外よりも明るい。

 「今日は無理だな。また明日になったら見せるさ」

 フジタカの笑みは弱々しい。

 「……ニクス様の襲撃は夜の油断も狙ってた。加えて俺の能力も警戒されてた……らしい」

 「そうか。そのナイフが使えなければ……」

 「取り柄が特に無いんだ。ゴーレムを一人で倒す事もできない」

 自虐のつもりでは無いのだろう。フジタカは牙を見せて短く唸った。

 「……どう見る、ココ」

 ライさんが腕を組んで隣のココを見る。

 「大丈夫」

 目を伏せてココは笑った。

 「時が来ればできると思うけどなー」

 それを聞いて動いたのは、まさかのレブだった。

 「叶えば無敵だな」

 「ははっ、だな」

 フジタカも無理に笑っている。もし“夜でも消せるナイフ”になったらフジタカに死角はなくなるだろう。無詠唱で切っ先を触れさせるだけで相手を消失させるナイフを恐れぬ者なんているわけがない。

 「君みたいな力を向こうの召喚士も持っているのか」

 ウーゴさんが指を組んで火を見詰めながら呟いた。

 「……そして、俺よりも使いこなしている」

 フジタカはそっとナイフを収納した。

 あの場面でレジェスとアマドルを消した何か。あれは異界の門が開いて吸い込まれたなんて表現はできない。確実にフエンテについて話そうとした二人を口封じしたんだ。

 ……案外、近くに居たのかもしれない。それかあの話を盗み聞きする魔法の使い手だったか。どちらにせよ、触れられず感じ取れない他者の存在が影に潜んでいる。

 「……突然現れて計画的に襲ってくるなんてビアヘロよりも質が悪い」

 ウーゴさんの肩にライさんが手を乗せる。

 「情報が少ない。少なくとも、今回で終わりではないのだな?」

 ライさんの確認にトロノから来た私達は全員で頷く。レジェスとアマドルがどうなったかまでは知らない。仮に彼らではないとしても、別の何かが再び契約者を狙う。信じたくなくとも、覆るとは思えない。

 「……ニクス様と皆さんはお疲れでしょう。今日はもうお休みください」

 ウーゴさんが立ち上がる。

 「俺達も身の振り方を考えないとな」

 続いてライさんも立つとココが彼の腰にしがみついた。

 「もう戻るの?」

 「俺達も次にどうするか決めないといけないからな」

 「ちぇー」

 さっきのフジタカの言葉を聞いたかいないのか、ココはやはり変わらぬ様子だった。

 「先に戻る。君達も早めに寝た方が良い」

 「はい!」

 「……教えてくれてありがとう。助かったよ」

 最後にライさんは微笑んでウーゴさんとココを連れ、二階へと上がり部屋へ入っていった。

 「ライさん、しっかりした獣人ですね」

 「元の世界で教育をしっかり受けていたのかしらね」

 だとしたら、オリソンティ・エラの……ウーゴさんの召喚に応じたのも理由があるんだろうな。使命に燃えるとか……。

 「……ん?どした、ザナ」

 巻き込まれてしまった男子高校生。

 「……人の顔を見て複雑な顔をするな」

 そして婚活竜。

 「……はぁ」

 私とチコの召喚は、使命感みたいなものに共感をしてくれそうな相手ではないかな。今では二人とも、私達にとってなくてはならない存在だけど。

 「一服する間もなかったからな。私達も休むのか」

 「そうね。各自、明日の朝にもう一度この広間に集合しましょう」

 カルディナさんとレブは仕切るのが上手い。……他の人が前に出ないからってのもあるのかな、私も含めて。

 カルディナさんの決定に私達は解散し、早々に床に就いた。怖い話をした直後とは言え、疲れは正直に休息を求める。

 カルディナさんと同室で眠るのも慣れたもの。多少の寝返りにはお互い気にする事もなく眠りに落ちた。だけど私は自然に目が冴えて、翌朝にはすぐ起き上がってしまう。二度寝は半端に疲れるからあまりしたくない。

 「………」

 体を動かしたくて宿の外に出ると風を強く感じた。木や建物が遮ってくれないからだ。強めに吹くと土埃が目に入りそう。

 「おはよう、お姉ちゃん」

 後ろから声がして振り向くと、立っていたのはココだった。ザリザリと爪先で土を掘り返している。

 「うん、おはよう」

 「早起きだね?」

 私が外に出てから宿の扉が開いた音はしなかった。

 「ココの方が早かったんじゃないの?」

 「まーね!」

 笑ってココは胸を張る。私も彼の屈託ない笑みに口元を緩める。

 「起きてるといっつもライはうるさいから、こうして早起きして静かなひと時を楽しむのも大事かなって!」

 見かけによらず大人っぽい事も言うんだなぁ。

 「ライって寝起き悪いんだよ!大口開けて寝て、起きてもしばらくはもぞもぞ毛布にくるまってさ!」

 身だしなみを整えるのに時間が掛かるとかじゃないんだ。あの所々編まれた鬣の手入れは大変そうなのに、普通に寝坊助。ちょっと見てみたいかも……。

 「それで、それでね!」

 「あ、あの……!」

 まだ続けようとするココを悪いが止める。

 「静かに過ごしたかったんじゃないの?」

 「え、うん!最初はそうだった!でもザナ姉ちゃんと話したくて、予定変更!」

 軽いなぁ……。でも、どうせなら私も変更しようかな。ココとは話してみたかったし。

 「だったら俺も混ぜてくれよ」

 声と同時に扉が開く。ココは現れた相手にも笑顔を向けた。

 「フジ兄ちゃん!」

 「おっす」

 フジタカは軽く手を上げてこちらにゆっくりとやって来た。

 「どうしたの?」

 「声がしたからさ、ちょっと来てみただけ」

 言ってフジタカが宿の上を指差す。……もしかして。

 「レブ、起きてる?」

 私が呟くとフジタカ達の使っていた部屋の上げ下げ窓がゆっくり開けられる。私の質問に反応して顔を窓からひょっこり出したのはレブ本人だった。

 「ま、まだ早いし寝てていいよ!」

 「……そうか」

 それだけ答えてレブは顔を引っ込める。ここからでも丸聞こえなんだ。たぶん寝てないだろうなぁ。毛布にくるまる音は聞こえなかったし。

 「チコは寝てた。トーロも寝てるんじゃないのか?」

 男四人一部屋で寝るのも窮屈だろうな。

 「……ココはライさん達と寝てるの?」

 「うん!その方が警護しやすいって」

 そりゃあそうだ。私達だって本来ニクス様と一緒に居た方が良いのに別室をわざわざ用意してもらっている。本人は構わないと言っていたし、今後は相部屋も検討してもらおうかな。その方が予算も浮くし。言い出したらレブも私と同室が良いと言いそう。

 「ウーゴも可哀想だよ。ライを起こすのって大変なんだから」

 「おっさんなら仕方ないさ」

 レブが動いた気がして振り返ったけど窓には誰もいない。フジタカは若さを前面に押し出してどうしたいんだろう。それにライさんの年齢は分からない。私達よりは年上で間違いなさそうだけどね。

 「僕から言わせれば子どもみたいなものだけどなー」

 大人ぶってちょっと可愛いかも。

 「お前は何歳なんだ?実は子どもに見えて年寄りとか……」

 「フジタカ……」

 後でレブに怒られるよ……。

 「僕は十三歳!今年で十四になるんだ!」

 「……そうか」

 見かけ通り、と言うか見かけよりも幼いかも……中身が。考えの切り替えが早いのは良い事なのかな。

 「あのさ、ココ」

 「なーに?」

 間延びした返事をしてココが私を見る。くりくりと丸い目が、朝の陽射しを浴びてキュッと細まった。

 「ココはいつから契約者をしているの?」

 「えーと……五歳かな」

 私の質問にココは考えたが簡単に答えた。考える、というのは昨日のフジタカの悩みの様ではなく、単純に数えていただけ。

 「生まれつき、最初から契約者だったの?」

 「たぶん」

 首を傾げる辺り、物心ついた時には契約者としての力があったんだろうな。ニクス様はどうなんだろう。本当なら、先に聞くべき相手なのにこうして目の前の少年に聞いているのは後ろ髪を引かれる気分だった。

 「ザナ姉ちゃんは契約者に興味があるんだ」

 「そうだよ」

 否定しても、隠しても仕方ない。自分の気持ちを正直に言うと気になっていた。この世界になくてはならない存在が、何を思い、何を考えているのか知りたい。ココはニクス様とは違う。レブの知っている契約者とも違う。契約者として世界に向き合ってきた環境は違うと思うんだ。

 「俺は契約とかした覚えないんだけど消せるんだよな」

 フジタカは自分の手を見下ろして耳を畳む。ピンと来ないんだろうな。でもそれは私も同じだよ。ようやく実感を得られたのは本当につい最近。

 「本当に?」

 ココもフジタカの顔を覗き込んで首を傾げる。

 「嘘言ってどうすんだよ」

 「だってフジ兄ちゃんがいたのは契約者が必要ない世界って事でしょ?」

 ココや契約者を否定するつもりで言ったんじゃない。だけどフジタカは口を押えて目を逸らす。

 「ねぇ、ココはどうして契約者として活動してるの?」

 話をずらしてしまう様で悪いけど私も聞いてみたかった。五歳から契約をしていると言うのなら、経験は幾つも積んでいるんだろうし。

 「僕が契約してる理由?うーん……」

 「………」

 私とフジタカが見守る中、ココは少しだけ唸ってから答えてくれた。

 「できるから、かな」

 「は?お前……」

 「………」

 この話は前もした事があった。あの時はニクス様が居なくなってからレブに言われたんだ。その内容と、今のココの返答に相違は無い。

 「なんか無いのか?こう、オリソンティ・エラの人の生活を豊かにするためーとかさ」

 「……ううん。僕は、できるからやってるだけ」

 本音を言うと有ってほしかった。レブの言っていた事は違ってたよ、って後で教えてあげたかった。ココはわざと仰々しく言ったフジタカに首を横に振って見せる。

 目の前の契約者は姿形こそ幼いものの、紛れもない他と同じ契約者だった。レブが知っている契約者、ニクス様とも考え方の根底は同じ。

 「必要とされている力があって、他の人はできなくても、僕にはできるからやってあげてただけ。そこに理由はないよ」

 「おま……」

 「待って、フジタカ」

 前に出て何か言いかけたフジタカを私が止める。

 「僕、変な事言ってるのかな。だって、僕には他にできる事ないもん」

 「そんな……」

 「そんな訳ないだろ」

 フジタカが肩の力を抜いて私の前へ出た。体を屈め、ココと目線を合わせてやる。

 「剣でも料理でも、何かあるだろ?今みたいに話をしたり、聞いたりだって良い。それは契約者でないといけないって事ではないだろ」

 「……うーん」

 怖がらせるつもりはないんだろうけど、少し顔が近いからココは一歩下がって答えを濁す。

 「確かにお前は契約者さ。他の人と違う事ができる意味、ちょっとは考えてみても良いんじゃないか?それが理由で俺達は今、こうしてココと話してるんだしな」

 「契約者が命を狙われているから私達は出会えた……少し変だね」

 今こうして話せてるのはココが契約者だから、というのは間違いない。

 「うん……」

 ココは私達の横を通り過ぎて宿へ向かう。

 「もう戻るのか?」

 「そろそろ朝食の時間だから。ライとウーゴも起こさないと」

 「そっか」

 フジタカはそれだけ言って村の中へ歩き出す。戻るココと進むフジタカ、私は少し迷ってフジタカを追った。

 「来たな」

 私が横に並んで歩き出すとフジタカはニヤ、と笑った。

 「朝、食べ損ねるよ?」

 「その前に少しザナとも話したくてさ」

 私に用事が最初からあったわけじゃないと思う。多分、ココの話だ。

 「契約者、の話?」

 「俺としてはココ個人の話のつもりなんだけどな」

 ココ個人、って噛みそうだけどフジタカはしっかり言えてた。獣の口でも滑舌が良いのはやっぱり普段から喋ってるからなのかな。それとも、実は私達の口と構造があんまり変わらないとか。

 「昨日会ったばっかなのに、ちょっと言い過ぎたかな」

 フジタカは鼻の頭をむずむずさせながら言った。

 「私はそうは思わないけどな。……契約者にはもっと使命があると思ってたもん」

 そんな物はない、とレブに言われた時は少し落ち込んだな。今回契約者本人から言われたのもやっぱり身構えはしてたけど、信じたくなかった。

 「アイツ、俺みたいな事を言ってたから気になってさ」

 歩きながらフジタカは苦笑した。

 「俺みたい?」

 「僕には他にできる事ない、ってやつ。思い出さないか?」

 「あー……」

 どこかで聞いた。確か、俺はただの男子高校生がどうたら。

 「似てるっちゃ似てるかもねぇ?」

 「そ、そんな顔して見んなよ」

 フジタカも自分には何もできないって言ってレブから決め付けるなって言われてたっけ。私が笑いながら見るとフジタカは落ち着きなく目線を泳がせる。

 「アルパで皆の前で啖呵を切ってたフジタカはカッコよかったよ?」

 「そういうのいいって!恥ずいだろ!」

 照れてるんだ。でも、あの時のフジタカに迷いは無かった。アルパのため、自分にできる全霊で立ち向かおうとしてしてくれた。

 「……今でも、自信があるわけじゃないんだ。まだナイフも上手く使えないし。だけど、俺があの時考えてた事、ココにも伝えられないかなって思ったんだよ」

 フジタカの手はいつの間にか召喚された時よりもボロボロに見えた。土汚れか、変色してしまった毛皮が当たり前になってしまっている。

 「だからあんな一生懸命に言ってたんだね」

 頷いてフジタカは空を見上げて声を洩らす。

 「あー、でも伝わんなかったんだろうな。見てたろ?」

 伝わらなかったって……。

 「ココさ。聞いてはくれただろうが……」

 「まぁ、ね。気付いてはいないかも」

 フジタカは前に自分がそういう体験をしたから話している。だけどココにはきっと自分に何か契約以外でできた試しが無い。だからこそ、あんな事を言ってしまうんだ。

 「実感ないもんな。そういうのって、後にならなきゃ気付けないんだ」

 「怒られた時は分からないのにね」

 私もそういう経験あるもん。セルヴァの皆からの助言も聞いてはいたけど、どういう事か分からなかった。財布の中身は今より少し多めに持たないといけないって言われても分からなかった。トロノに着いて初めて物価が違うと気付かされたもん。言う事を聞かずにそのままだったらすぐに底を尽いていた。

 「アイツにとって契約するって楽しい事でもないんだ。かと言ってやらされてるって言うのも違う」

 「それこそ、できるからやってる……だね」

 契約するのは目の前に試していない可能性が有るから。好奇心が動いているでもない。

 「ただの日常なんだろうな。日課ではないが、朝歯磨きするとか顔を洗うくらいの認識なんだよ」

 「日課とか癖とか……なんだよね」

 考え事をしているとつい爪をかじってしまったりみたいな。

 「そんな気持ちで契約してほしくないとか、思ってたんじゃないのか」

 「え?」

 フジタカが私の肩を優しく叩いた。

 「ちょっと怖い顔してたからさ」

 「……ごめん」

 ココにまず言うべきかもしれない。だけど目の前にいたフジタカに先に謝ってしまった。

 「俺はほら、この世界の住人でもザナのインヴィタドでもない。だから言い易いかなーなんて。ほら、歳も近いし。……たはは」

 フジタカが乾いた笑い声を出す。ぎこちない笑い方に私の方も笑ってしまう。

 「歳の話はダーメ」

 「あの地獄耳、どこまで通じてっか分かんないしな」

 振り返れば宿はまだ見えるものの、だいぶ離れてしまっていた。この距離で私達の声が聞こえる様な耳を持っていて年齢の話に敏感だとしたら、一人しかいない。

 「……契約者も召喚士も、オリソンティ・エラには必要不可欠。いなければ、世界として破綻してしまう。それだけ重要な存在。……だと、思ってた」

 「過去形だな」

 過去形の文章、まだちゃんと覚えてるかな二人とも。

 「うん。でも契約者が契約する理由は無くて、そんな契約者の命を狙う召喚士もいるって知った。それはつい最近の話」

 「おう」

 「ココは違うと思ってた。だけどココも“契約者”だった。少し残念だったのは……事実かな」

 うん、と自分で納得すると気持ちが晴れてきた。

 「契約者にオリソンティ・エラの住人である私達の都合は押し付けられない。でも、この力を授けて貰ったからには正しく使う。例え召喚士と対立してもね。それが今の私だし、レブとも誓った事」

 一人だったら契約者に失望して、召喚士を見損なっていたかもしれない。こうして自分の考えを流されずに持てたのは私のインヴィタドのおかげだ。……考え方に影響を受けたのだって、捉え方によっては流されたと思われるかもしれないけどさ。

 「なーんだ、心配するまでもなかったな」

 ううん、と私は首を横に振る。

 「ココに怖い顔してたんでしょ?そこは反省するし、また話したい。あと、フジタカに聞いてもらえて随分楽になったよ。ありがとう」

 「どういたしまして」

 フジタカだって余裕が無いだろうに周りを気にしてくれてるんだ。気苦労を少しでも減らしてあげないと。召喚士がインヴィタドに心配されるなんて、まだまだ力が足りていない。

 「そろそろ戻ろうぜ。本当に食いっぱぐれちまう」

 「この辺って麦が名産みたい。美味しいパンかな?」

 ココとも話せたし、その後は気分転換に良い時間だったと思う。自分の気持ちの再確認をできたから。フジタカは契約者と話してこの世界の事、改めてどう思ったかな。今すぐじゃなくても、少し間を置いて頭の中が整理できてからいつか聞いてみたい。

 「ただいま」

 「………」

 宿へ戻って扉を開けると、私が召喚したインヴィタドが腕を組んで立っていた。挨拶しても返事もない。

 「どうしたの?何かあった?」

 お土産にブドウはどうした、とかかな。そう言えばこの村で買えるかな……。後で聞いておこう。ココやウレタさんなら知ってるだろうし。

 「土産は期待していないぞ」

 考えが読まれていた……。

 「考える事は一緒だね……。で、本当は?」

 「いや」

 いや、で私は分かってあげられないってば。ここはフジタカの出番かな。

 「出迎えたかったんだろ?おかえり、って言えば良かったろ」

 「ここは私達の帰る場所ではない」

 「出迎えは本当なんだね」

 「………」

 レブも話に加えてあげるべきだったかな……。まさかこんなに心配させてたなんて。

 「一緒にご飯食べよ?待ってたならまだでしょ」

 「……あぁ」

 出迎えたかった、なんてレブが普段言ってくれるわけないな。朝食を早く摂るよう、急かしに来たとか。最近はレブならどう表現するか、考えるかばかり頭の中に描いている。

 「おはようございます」

 「おはよう。どこか行くなら書置きくらいしておいても良いんじゃない?」

 カルディナさんが眼鏡の位置を直して苦笑する。私は広間の席に座って軽く頭を下げる。

 「すみません、すぐ戻るつもりだったんです」

 「気にはしてないわ。私が朝早く起きれないのも悪いし」

 「今日は俺が起こした」

 言って、カルディナさんの隣に座っているトーロがパンを口に放る。

 「ザナは昔から朝早いんだよな。なんで?」

 「自然に目が覚めちゃうだけなんだけどなぁ。いただきます」

 私からすればチコだって早起きだと思う。なのにそんな印象持たれていたのは意外かも。焼き立てらしい熱いパンに口付けて私は当たり前の返事をする。

 「僕も朝早いんだよ!ライと違って!ライと違うから!」

 「うるさいぞ……ココ」

 広間のもう一つの長椅子と円卓に座るココがからかって笑う。そこに聞こえてきた返事は腹の奥底から呻くような声だった。見れば鬣がもさもさの獣人が頭を揺らしながらのろのろとパンをかじり、スープを飲んでいる。姿勢も悪く、ライさんと分かったのはココとウーゴさんが一緒に居たからだ。一人だったら気付けなかったかもしれない。

 「本当に朝弱いんだな……」

 フジタカも目を丸くしている。ニクス様は意に介す様子も無くパンをちぎっては食べていた。鳥人は朝に強いのかな、と思ったけど案外普通に起きてくる。

 「………」

 対してレブも、横たわる姿は何度も見ているけど私が先に起きた事は無い。……レブが先に寝た、というのも見た事は無いかも。

 「あのさ、レブ」

 「どうした」

 「いつ寝てるの?焚き火の番とかもいつも自分で引き受けるし」

 私からの質問にパンへ伸ばしていた手をレブが止めた。

 「まるで私が寝ていない様な口振りだな」

 「そうは言わないけど……」

 「いや、言うぞ。お前、今日も俺より早起きしてたろ」

 フジタカがパンを頬張りながら話に入ってくる。他に同室だったチコとトーロも頷いた。

 「他の連中が寝静まってから休んで、先に起きている。それで良いだろう」

 「………」

 何か含みがある気がする。でも、今まで大丈夫だったレブを信じる事はできる。

 「休んでいるし、平気なんだね?」

 「貴様に言われるまでもない」

 それが答えと言うのなら私もこれ以上は言わない。

 「眠くなったら言ってね。膝枕くらいならしてあげる」

 「………」

 あれ、私からの提案……喜んでくれなかった?好きそう、って言ったら悪いかもしれないけど。

 「どういう吹き回しだ。何か良い事でもあったか」

 言ってレブがフジタカを見る。

 「俺は何もしてないよ……。なぁ?」

 「ちょっと話してただけだよ。ココも途中まで。ね?」

 席向こうのココへ話し掛けるとパンをゴクン、と嚥下してココが頷く。

 「うん!ねぇライ、ザナ姉ちゃんとフジ兄ちゃんと話してたんだよ!」

 「さっきも聞いた……」

 今すぐ二度寝したい、と顔に書いているライさんはまるで不眠不休の重労働を課せられた寝不足の中年に見えた。ココが態度を変えないのだから、あれがいつもなのかな……。

 「それでさ、提案!ねぇニクス、そして他の人達も!フェルトに皆で行かない?」

 「えっ?」

 ココが立ち上がり、両手を広げ笑顔で私達を見る。その提案に皆が目を丸くする。ウーゴさんとライさんも知らないみたいだった。

 「……んんっ!ココ。どういうつもりだ」

咳ばらいをして突然ライさんの声色が変わる。それに、目に光が宿って昨日のライさんとなんとなく雰囲気が近くなった。

 「あ、やっと起きた」

 「俺の話じゃない。お前が言った話だ」

 これで起きた、なんだ。鬣の寝癖だけ直せばと思っている間に背筋も伸びていく。

 「だってライ。僕、もっとトロノの人達と話したいんだもん!」

 口を尖らせるココ。そう思ってくれるのは嬉しんだけど……。

 「ニクス様、それは一体……」

 「フエンテの件がある」

 その名前を聞くだけでもう、私達は胸が締め付けられた。そこにトーロが声を上げる。

 「そうか、トロノには報告をした。恐らく、あの所長から方々へその報告が警告と共に流される」

 「そう!フェルトに話が届くまでにフエンテってのが来たら対処できないでしょ!だから僕が……」

 「話を合わせただけだろ」

 ライさんの手刀がココの額を捉える。ぐえ、と短い悲鳴の後にココは黙った。

 「……だが、分からないでもない。トロノからの報告が遅れれば他の契約者はその分だけ危険に野ざらしになる」

 レブが契約者の為になる話をしてくれている。

 「……他の契約者なんてカンポにいるのか?」

 フジタカからの質問にココは元気良く首を横に振った。

 「ううん。本当はお姉ちゃんやお兄ちゃん達といたいだけ」

 「ふんっ!」

 再びココの頭にライさんの手刀が叩き込まれる。

 「いだいよ……」

 お姉ちゃんが私で、お兄ちゃんはフジタカなのかな。

 「でも、レブの言う通りです。先にフェルトの所長の耳に入れるくらいはした方が良いんじゃないですか」

 私もレブに続くとカルディナさんがトーロと顔を見あわせる。

 「一つ問題はあるんじゃないのか」

 そこに加わったのがチコだった。

 「ニクス様がトロノから離れただけ戻るのが遅くなる。それに襲われる危険だって増える」

 レブが短く鼻を鳴らした。

 「危険ではない場所など、そうそう有るものではない」

 一言でチコは黙ってしまう。

 「……そりゃあそうだな」

 だったら、ニクス様もココも賛成している。後は……。

 「ウーゴさんはどう思われますか」

 カルディナさんがウーゴさんに決定を委ねる。確かにこの場で年長者の召喚士に決めてもらった方が安心だ。

 「個人的にはやはり契約者の安全を確保したい。その結果、ニクス様の御身を危険に晒すかもしれませんが……」

 「構わん」

 ニクス様は即答して食器から完全に手を放した。

 「覚悟ならできている」

 その言葉を聞くのは初めてではない。だけど。

 「履き違えないでもらいたいぞ、異界の武王。自分にも、立ち向かう覚悟を決めた。剣は振るえぬが、降りかかる火の粉を払うぐらいはしてみせる」

 「期待はしていない。だが、その覚悟とやらに興味はある」

 ニクス様とレブが表情は変えずに目だけ笑う。この二人の距離感も分からないなぁ。

 「い、異界の武王……?」

 ライさんとウーゴさんがレブを見て目を丸くする。そうですよね、この見た目じゃ信じてくれるわけもないし。

 「昔の話だ。今はただのインヴィタドに過ぎない」

 ただの、って言葉で片付けられたくないな。私の自慢なんだから。

 「ニクス様の意向でしたら、私達は従います。……できれば交通費の支給くらいは受けたいですが」

 「その辺りは善処しましょう。事情を話せば分かってくれると思いますので」

 ウーゴさんとカルディナさんの話が同行で纏まるとココのだんまりも解除される。

 「じゃあ、これからはしばらく一緒だね!」

 「大所帯だが……大丈夫か」

 はしゃぐココがいる一方、ライさんはどこか落ち着きがなかった。

 「ライさんは契約者を……ココを守る事に専念してください。ニクス様は私達が守ります」

 「ザナさん……」

 寝癖は酷いがライさんはすっかり目が冴えた様でぶつぶつと考え事をしていた。私達は、私達の契約者を守る。ココに対してニクス様の護衛の方が比重があるけど今まではそうしてきたのだから。

 「そうはいかないな。俺には召喚士も守る義務がある」

 けれどライさんは男らしい事を言って皆守ると宣言してくれる。

 「欲張りは身を滅ぼすぞ」

 そこにレブが水を差すんだもん。

 「インヴィタドの心配は要らない、ようだね?」

 「あはは……はい」

 普通に返事をしちゃったけどフジタカも大丈夫だよね……?いざとなればナイフもあるし。

 「私の召喚士は私が守り抜く。護衛対象からは外して構わん」

 「ふむ……」

 ライさんは寝癖を直しながらレブの言葉を聞いて私を見る。

 「……はい。私は大丈夫だと思います。レブがいてくれるから」

 「そうか……。やはり、二人は良い関係なのだな」

 微笑みながら言われて私は咄嗟に目を逸らす。レブが魔法を使える様にしてくれたから、いざとなれば私一人でも少しくらいなら戦える。本人だって必ず私を守ってくれるとどこかで信じている。それを……見透かされてしまった気がした。

 「フェルトに着いたら何か希望はあるか?折角の機会、案内ぐらいはさせてほしい」

 「そうですね……」

 フェルティリダッドに着いてしたい事、か。私だったらまずは……。

 「じゃあ、果物屋に行きたいです」

 口に出してからでは遅い。ライさんが固まるし、私も何を言ったのか分からない。勝手に口が動いていた。

 「……そんな所で良いのかな?」

 「あの……」

 「良いも何も、自ら希望したのだ。文句はあるまい」

 レブがここぞとばかりに畳み掛ける。見下ろしてももう全てが後手だった。

 「貴様も分かってきたではないか」

 「……はぁ」

 明らかに上機嫌そうなレブに対して私は肩を落とす。自分からとんちんかんな発言をしてライさんを困らせてしまった。

 「ともかく、果物屋なら心当たりがある。楽しみにしてくれ」

 「良いだろう」

 私の代わりにレブが返事をしてくれる。もういいよ、それで……。

 その翌日、私達は準備を整え徒歩でフェルトに向かって歩き出していた。ウレタさんが用意してくれたお弁当もその日の昼にはなくなってしまう。

 馬車を使わなかった理由は単純に、私達もココ達も予算が無かった。コラルからアーンクラまでの船賃を除くとあまりお金が残っていない。

 「馬車のおじさんを危険に巻き込みたくないし、たまには歩くのも悪くないね!」

 ココは予算が無いのを言い換えて無理に歩き旅を楽しもうとしていた。馬車は馬車でそういうのをひっくるめて送り届けるのが仕事だと思うんだけどね。

 理由をもう一つ付け加えるならば、ココを守る為でもある。ロカでの襲撃は私達が狙って起こさせた面もあった。警戒状態のニクス様を狙うより、近場かつまだ情報が行き渡っていない別の契約者……ココを狙う可能性は十分考えられる。だからココの言った事も間違いではないのかも。アルパの一件もあるし、インヴィタドに馬車ごと襲われるなんて考えたくない。

 「馬車業の召喚士とか、儲からないのかな?」

 「盗賊からお客様を守ります!ってか。できなくはないが……」

 一方フジタカは気を紛らわせる様にのんびり歩きながらチコと話している。

 「鍛冶や鑑定とか……特殊な職業をインヴィタドに手伝ってもらうぐらいならあるよね」

 「コラルで会った行商が異例だな」

 戦わずにこの世界へ呼ばれるとしたらセシリノさんの様な技術職が多いと思う。レブの言った通り、リッチさんとミゲルさんが特殊なんだよね……。馬車業のインヴィタド……需要はそんなに無さそう。

 カルディナさんはウーゴさんと最近の契約と選定試験の状況について話をしている。契約に成功して魔力線が開いた新生児は多いのに、選定試験では合格者がカンポは少ないそうだ。召喚士を目指すよりも農業や別の職に従事したい若者が増えているとか。

 「ライさんは魔法も使えるんですか?」

 「炎を少々、ね」

 私が先陣を切って歩くライさんに声を掛けると人差し指を天に向けてこちらを見た。指先から出るのかな。でも、今まで火を操る魔法は見た事が無い。

 「炎程度なら……」

 「レーブ」

 名前を呼ぶだけで止める。言いたい事は分かってるから。……竜の吐く炎と魔法の炎だったらどっちが強力なのかな。

 「………」

 専属契約はしてないのか、と聞くのは礼儀に反するかな。どうしてしないのかは人に依るだろうし。それに、ウーゴさんはフェルト支所の印らしき物が刻まれた腕輪を巻いている。あの中にはライさんを召喚した際に使用した召喚陣が契約していなければある筈だ。

 専属契約って私が思ったよりも誰もしていない。やっているのを他に見たのは……。

 「ねぇ、フジ兄ちゃん!」

 そこまで考えていたところにココの声が耳をきん、と通る。

 「落ち着きないなぁ、お前。どうした?」

 見れば、フジタカの前でココが腕を振っている。

 「ナイフ!何か消して見せてよ!」

 「こら、ココ!魔法はみだりに使うものじゃないぞ!」

 ライさんも足を止めて引き返し、ココの方へ向かう。

 「でもこの前は見れな……か……」

 フジタカの正面を向いていたココがライさんに向き直る。しかし、返事は途中で止まる。

 「まったく、召喚士側にも魔法の負担が大きいのはお前も知っているだろう!」

 「ライ……あれ……」

 ココがライさんの後ろを指差す。

 「誤魔化すな!まして、フジタカ君の魔法は触れた物を消す魔法だ。それがどれだけ希少で強大な物かお前に……」

 「ライってば!」

 ココが声を張る。次の瞬間にずん、と大きな衝撃が私達の足元を揺らした。

 「え……?」

 ココの様子がおかしい。それに、ウーゴさんやフジタカ、他の皆も足を止めている。妙な空気に、私とライさんも遅れて彼が指差した先へ視線を移した。

 影が伸び、木々が揺れる。巨木と同じ程の体躯が姿を現し、その姿に私達は身を竦みそうになった。

 「巨大な……目?」

 私の表現が適切かは分からない。現れたのは、手足や胴、全身に無数の目を生やした巨人だった。一つ一つの目があらゆる方向を向いていたが、顔の双眼が私達を捉える。すると他の目も一斉にぎょろりとこちらを見た。

 「気付かれた……!」

 直後、巨人は私達目掛けその巨体を揺らして走って来る。大きさにしてアルパのゴーレムよりも大きく動きも柔軟だった。

 「ど、どうしようライ!こっち来る!」

 「お前は下がって……いや、動くな!」

 ココが怯えてライさんにしがみ付く。

 「新たなフエンテか……」

 チコの呟きに全員がどよめいた。カラバサからまだ私達はあまり離れていない。だったら、あの場のどこかに居た……?

 「くっ……召喚士はどこだ!」

 「カルディナ。お前は召喚士を探れ」

 「分かった!」

 ライさんもトーロもカルディナさんと共に周囲を警戒する。ウーゴさんとチコはココを庇って剣を構えていた。

 「レブ、私達はあのビアヘロをやるよ!」

 「………」

 レブは悠長に腕を組んでいたが、ゆっくりとその腕を解く。

 「良いだろう。犬ころ、始末をつけろ」

 「え、でも……!」

 フジタカは何か言いたそうだったけど、有無を言わさずにレブが走り出す。私もニクス様の前に立つ。いざという時のために魔法の発動準備はしておかないと。

 「フジタカ!お前の力、見せてやれ!」

 「……分かった。任せとけ!」

 チコの指示にフジタカも剣を抜き、ナイフを展開する。後はもう、簡単なものだ。

 「ぐぅぉぉぉぉぉぉぉおぉぉお!」

 地鳴りを起こしながら駆けてくる巨人がまずはレブへ拳を振り上げる。長い前髪から覗く目は血走っており、明らかに知性は感じない。

 「ふんっ……ぬぅ!」

 立ち止まり、振り下ろされた拳をレブが同じく全身で振った鉄拳で迎え打つ。二つの拳が衝突した瞬間、衝撃の様な風圧を顔に感じて目を細めた。

 「はぁっ!」

 「ぎぃぁぁぁぁあぁぁぁぁぁぁぁ!」

 地面にめり込みながらもレブは一撃を耐え、凌いだ。もう片方の手を剣に見立てて尖らせると、手の甲の端にあった一つの目に突き込む。途端に巨人は痛みに悶え苦しむ叫びを上げた。その余りの声の大きさに私は立っていられなくなる。他の人達も同じように屈んでしまっていた。

 「止まるな!」

 鼓膜を直接殴られた様な痛みの中、微かに聞こえたレブの声。そして、走りを止めないフジタカ。私も負けてはいられないと立ち上がる。

 「まだ!レブ!」

 聞こえていたかは分からない。私も、正しく発声できていたかも分からない。だけどレブはすぐに巨人へ向き直る。手を押さえた巨人が今度はレブを踏み潰そうと足を上げた。

 「はぁぁぁ!」

 レブが両手の爪を天へ突き出す。巨人のレブを覆い尽くす足の裏に彼の爪が触れる直前、私の胸が痛む。

 「ぐ、ぐぶぶ、ぐぶうぅぅうぅぅ!」

 巨人が体を痙攣させて口から泡を吹く。全身の目もあちこち違う方向を向いてレブどころではない。

 「チャンス!」

 フジタカが一気に距離を詰める。辛うじて体勢を立て直した巨人が彼を見てももう遅い。

 「消えろぉぉぉぉぉぉっ!」

 剣を放り、脛から生えた目にフジタカがナイフを差し込む。大きさなんて関係ない、フジタカのナイフに刺されてこの世界に留まっていられた存在なんて今のところ残っていないのだから。

 「ぐげ……」

 微かな悲鳴と共に、巨人が姿を消した。ココとライさんが感嘆の声を上げていたけど、私はすぐに大きく窪んだ巨人の足跡へと走る。ココや消えた巨人には悪いが、私達からすれば見慣れた光景だったもの。

 「レブ、大丈夫……?」

 「……うむ」

 抉られた穴は私の膝丈よりも深い。その真ん中でレブが腰まで埋まっていた。

 「手、貸して」

 「いや、この程度自力で……」

 「いいから。ほら」

 私がレブの片手を握り引っ張り上げる。私が来るまで動けなかったんだから、苦戦してる事くらい分かるよ。

 「……助かる」

 言ってレブがもう片方の手で地面に手をつく。私と同時に力んで竜人はなんとか無事、発掘成功した。

 「服、汚れちゃったね」

 「水気も少し含んだ土だな」

 それが作物と相性が良いのかな。レブは汚れを叩き落としつつも気にはしてないみたい。早いうちに、一度丸洗いしないとね。

 「他の者達はどうした」

 言われて私は穴から飛び出て皆の姿を見る。皆、一か所に固まっている。

 「そこだよ、ほら」

 指差してやるとレブも皆を見る。そして、呟いた。

 「呆れたものだな」

 皆を一言で断じてレブは穴からぴょん、と一息に跳び出す。

 「おい皆……」

 「フジタカ、何してんだ!」

 「そうよ。油断しないで」

 剣をしまったフジタカにチコが怒鳴り、カルディナさんも頷く。何かを言いかけていたフジタカの横にレブが移動した。

 「いい加減にしろ……!」

 発せられた低い一喝に、その場に居た全員が肩を竦めた。

 「レブ……」

 「気付いたのは貴様と犬ころくらいのものだ。他の連中は目も当てられん」

 レブは容赦なく言って腕を組んで目を細める。気付いた、って何を……?

 「無自覚に言ったのか」

 私が実は気付いてないかもしれない、と察したのかレブが横目でこちらを見る。

 「皆、ビビり過ぎだって。……フエンテにさ」

 フジタカが言った途端、皆の表情が更に強張った。

 「……先の目玉だらけの巨人。奴はただのビアヘロだ」

 言ってレブは固まっていた人達へ背を向けた。

 「目の前の敵に対処もできず、相対してもいない影に怯えてどうする。何から契約者を守る気だった」

 「ちょっと、レブ……!」

 さっき無意識に私達はビアヘロを、と言ったのを思い出した。フジタカもさっきの発言からして、現れた異形への対処に集中していた。……他の人達がフエンテを警戒していたのに対して。それが気に入らなかったんだ。

 「………」

 「………」

 見れば、カルディナさんもウーゴさんも俯いている。他の人達も完全にレブに言われた事を噛み締めて落ち込んでいた。

 「あ、あの……レブも悪気は無いんです」

 「分かっているよ」

 ライさんも重々しく口を開いて、抜いていた剣をやっと鞘にしまう。

 「見えぬ敵の恐ろしさを疑うばかり、見える敵に挑めなかった。戦士として情けない」

 「でも、ココをずっと守ってくれてはいたじゃないですか」

 剣の柄をギリギリと締め上げる様に握ってライさんが喉を唸らせる。

 「………ふう」

 しばらく厳しい顔をしていたライさんが一息。肩を落とすと表情をなんとか和らげさせた。

 「トロノの召喚士が呼んだインヴィタドの力、見せてもらった。次こそは我が剣と魔法の力をお見せしよう」

 「楽しみにしてます。ね、レブ?」

 「ならば次も私が先手を取るまでだ」

 なんとか着地点を見付けたのに、この負けず嫌い。

 「俺は抜かずに済ませたいけどな……」

 「……ある意味真理かもな」

 フジタカの何気ない一言をトーロが拾う。武器を使わずに済む世界にいた人だからかな、そういう発想が生まれるの。私達、武器も魔法も使う事しか考えてなかった。

 「ココ、もう大丈夫だぞ」

 「うん……」

 後ろに下がらせていたココもようやく前に出る。流石にあんな巨体の怪物が出てきたら驚くよね。

 「あれ、ビアヘロでいいんだよね」

 「私達以外に召喚士らしき気配は無い」

 レブも歩き出しながら答えてくれる。最初から気付いていたのかな、召喚士が近くにいないからあの巨人はビアヘロだって。

 「これを預ける」

 レブが私に振り返って落ちていた板切れを渡してくる。私の掌と同じくらいで軽い。何かと思って見回していると、本人が教えてくれる。

 「あの巨人の爪だ。犬ころが消す前に切除した」

 「いつの間に……」

 やったとしたら踏み付けられる前かな。黄ばんでる……。

 「カルディナさん。これ、さっきのビアヘロの爪です」

 「これ……ソニアに持って帰ったら喜びそうね」

 カルディナさんが手に取って私も思い出していた。

 「あの、この爪、我々にも分けて頂けませんか?こちらでも照合できるかもしれない」

 ビアヘロを知っているのは何もソニアさんだけではない。フェルトでも何か分かるかも。……と言うか、私達がビアヘロに詳しくなさ過ぎるんだ。

 「じゃあ……」

 「貸してみろ」

 トーロがカルディナさんから爪を取り上げ、斧で二つに割る。……爪を渡すよりも、あの外見の特徴を伝えるだけでも分かりそう。

 「では、これを」

 「ありがとうございます」

 ウーゴさんも爪を鞄にしまった。

 「フジタカもレブも慣れてきたよね」

 「物的証拠が必要ってのは分かるからな」

 レブが笑った。

 「隠滅したい時にこそ真価を発揮するのだろうな、その力は」

 「止めてくれよ、俺をどんどん人から規格外にしていくの」

 見た目からして人じゃない、って言ったら傷付くよね……。竜人とか獣人も同じ人なんだもの。

 「見た目は犬ではないか」

 言わないでいたのに!説得力無いよレブ!

 「だったらお前はデブ怪獣だろーが!」

 こっちはこっちで言い返してるし!

 「……君達はいつもこうなのか?」

 「えぇ、まぁ。……なんというか、すみません」

 先程戦闘を終えたばかりなのにレブとフジタカは他愛もない言い合いをしている。緊張感が無いと言うか、気付いたらそれだけ経験も積んでいるって事かな。

 大きければ怖いではないんだよね、フジタカの場合。レブはゴーレムの様に核へ直接攻撃しないといけない様な相手だと私が未熟なせいで苦戦する。今回はたまたま雷撃が効く相手で良かった。

 私だって、試した事は無いけど、やれば痺れさせるくらいはできるんだと思う。だったら私にも、レブの代わりにビアヘロに飛び込んでフジタカにとどめを任せる事だってやれるかもしれない。

 「切り替えが早いのはココも同じだが……。む、どうかしたか?ザナさん」

 「あはは……いいえ。なんでもないです」

 振るう力の自覚、私はできているのかな。……できているのなら、レブに今みたいに体を張ってもらう必要はなかったのに。

 考え過ぎない。今は自分のできる事を精一杯やる。それがレブを助ける事にいつかなりますように。

 ライさんにも心配をかけてしまった。トロノの召喚士らしいところも見せておかないと。

 「大きいビアヘロを相手にするのも初めてじゃないんです。その度に、レブもフジタカも戦ってくれましたから」

 「ほぉ……」

 ライさんのフジタカを見る目が変わる。本人はレブとの言い合いに負けたと思えば、今度はココの相手をしていた。

 「フジ兄ちゃんのナイフ、凄かったね!」

 「そうか?」

 皆が褒めてるのに、フジタカはあの力を振りかざしたりしない。返ってくるのはほとんど疑問か戸惑い、そして否定。力を受け入れた、やって見せると口には出すけど何気ない態度でまだ一線を引いている様に見えた。アルパの件をまだ引き摺っているんだと思う。

 「ねぇ、それで今まで何を消してきたの?」

 「えっ……」

 ココからの質問にフジタカが声を詰まらせる。

 「消してきた、か……」

 何でも消す、と聞いて私達はあらゆる物をフジタカに消させてしまった。

 「話す前に、聞いてもいいかな」

 「どうしたの?」

 フジタカはココとレブ、そしてカルディナさんを見た。

 「ビアヘロって放っておくと消えるよな。あれってどこに行ってるんだ?」

 フジタカの質問にカルディナさんが口を曲げる。

 「話していなかったのか」

 レブが立ち止まり、睨む様にしてチコを見る。

 「き、聞かれなかったからだぞ。言ってなかったのは、周りも同じだろ?」

 「ふん」

 鼻を鳴らしてレブは口を閉ざした。そう、言っていなかったのは私もだ。話す機会なら最初にも、今までにもあったのに。

 「ビアヘロってね」

 話し始めたのはココだった。

 「この境壊世界に来てしまった以上、自力では帰れないんだ。だから頭の良いのも、悪いのも関係ない。本能的に体へこの世界の魔力を溜めようと欲するんだ」

 フジタカが唸る。

 「んー……帰えれないなら、永住すると腹を括るのか」

 「そんな感じ」

 召喚陣を通してここへ来ていないビアヘロに選択肢は、無い。ココがフジタカの例えに笑う。

 「だから魔力を溜める為に食べたり、吸い取る。それが草か水か、それとも僕達かは分からない。でも、さっきの巨人は……」

 間違いなく私達を狙っていた。

 「聞いてるとザナが言っていた事と同じだな。……自分の体を維持できる分だけ食べ繋いで、段々この世界に馴染めば消えない、だったか。問題はその先だよ」

 「ビアヘロが魔力切れでこの場から消え、元の世界に戻れるのなら大人しくするのが得策だ。誰にも迷惑は掛からない」

 ライさんの意見にフジタカも頷く。

 「だが実際は違う。君も魔力が流れているのだから分かるだろう?……血と同じ物が全て抜かれて、生きている生物はいないよ」

 私のせいだ。フジタカの説明に消えるってしか言わなかったから、今更知ったんだ。

 「……ま、やっぱりそういう事だよな」

 しかしフジタカの反応は薄い。

 「気になってたんだ。もしかして、このナイフって突き刺した相手の魔力を吸い取る魔剣みたいなナイフなんじゃないかって思ったんだけど」

 言われて皆がフジタカが取り出したナイフに目を向ける。

 「でもそうじゃないんだよな。だって、それならビアヘロは消せるだろうけどこの世界の物質は消えないし」

 フジタカは書類や瓶の様な日用品も消していた。それらは確かに異世界の物ではない。

 「ビアヘロの行き先がどこなのか分かれば、俺のナイフで消した先も分かると思ったんだけど」

 「世界と世界の間に溶け込むんだよ。土に還る事もできない」

 ココの解説にニクス様も口を出さない。

 「そのナイフは、もしかしたらそこへ送り込んでいるのかもね」

 「本当に必殺ナイフって事だな」

 フジタカはナイフをしまった。

 「怖くなった?」

 一度間を置いて、フジタカが答える。

 「ナイフを相手に突き立てる意味くらい知ってるさ」

 フジタカは前を向いて歩き出す。……一線を引いているし、割り切っている様にも見えた。

 「さーて、疑問も聞いてもらってスッキリしたし、俺の話だっけか?セルヴァに来たところから話すぞ」

 「わぁ、うん!」


 話の切り替えにココがフジタカの隣に並び立つ。今回の歩き旅はしばらく話題も尽きず、賑やかになりそうだった。

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