第三部 エピローグ
窓が少し開いていた。夜風が日除けのカーテンを揺らしながら入り込む。少し土気の多い空気を吸い込んで一息。私は部屋の扉を見ているだけだった。
「急に黙ってどうした」
声がして、扉から声の主の方へ目線を移す。私の正面のベッドに座っていたレブが爪を削って研いでいた。
「どうしたというか……」
「契約者を狙う殺人召喚士の事を考えていたのだろう」
「っ……!」
レブの発言に思わず私は飛び上がる様にして彼の前に立った。
「悪い召喚士なんて……!」
「自分へ矢やインヴィタドを仕向ける相手を庇う道理が貴様にはあるのか」
灯りを遮り、小さなレブは私の影にすっぽりと入り込んでしまう。それだけ詰めてもレブはこちらを見ずに、冷ややかな言葉を放ちながら爪を眺めていた。
「でも……」
「前は聞かなかった」
私は反論しようとした。だけどできなかった。次の言葉を出そうと口ごもっているとレブの目が私を射貫く。私の方が背は大きいのに、視線だけで私は一歩引いてしまった。まるで、自分が遠くから見下ろされているような感覚に陥ったから。
「……貴様は何故、契約者や召喚士を絶対視する。連中も所詮は人の域を出ない。ならば、心清い者だけとは限るまい」
「………」
どうして、と聞かれて私は何から話そうか詰まってしまった。だけど、肝心のレブに話した事が一度も無かったんだ。今知って、少し申し訳ない。
私がレブの隣に座る。すると彼は少し前屈みになって私の顔を覗き込んできた。話はまだ終わっていない、と。
「聞いてくれる?」
「質問したのは私からだ。止める理由は無い」
どうぞ、で済むのに。不器用だなぁ。
「ちっちゃい頃の話。私、ビアヘロに襲われた事があるの。親はその前に病気で死んでて、親戚の家に居候してた時期かな」
私が思い出しながら話しているとレブは頷いて続きを促してくれる。
「森で黒い毛むくじゃらのビアヘロでさ。子どもながら逃げたけど、あっさり捕まって。何度か引っ掻かれながら、噛まれるのだけはどうにか避けてた。それも限界って時に召喚士とそのインヴィタドが助けてくれたんだ」
「よく生きていたな」
私もそう思う。実際、手首にはほとんど消えてるけど牙で切られた傷跡も少しある。
「召喚士って凄い、って思ったのはこの時。何もできなかった自分を、魔法を使ったのかな?ビアヘロを簡単に吹き飛ばして殺しちゃったんだもん」
今だから振り返れば何が起きたか薄っすら思い出せる。私を狙っていた筈のビアヘロが顔を上げた途端、顔面から変形して遠くに吹っ飛んだ。トーロみたいに大地の魔法で石をぶつけたのかな。
「その召喚士はどうした」
「亡くなられたみたい。シルフの噂で聞いた」
どこからともなく、その話が流れてきた時は嘘か真かも確かめずにひたすら泣いた。晴れた道を歩いていても、急に涙が溢れて止まらなくなった事もある。
「……敵討ちか何かのつもりか」
「まさか」
神妙な顔つきで聞いてくるから、思わず私は笑ってしまった。はは……さっきまでレブに大きな声を出そうとしてたくらいだったのに。
「人は誰かの代わりになんてなれないよ。私は私なりに、召喚士としてビアヘロと戦いたい。誰かを守りたいって思ったの。……これが、私の一番古い記憶」
私が辿って最古の記憶が、ビアヘロに襲われて召喚士に助けられた日。次は、私を助けてくれた召喚士が死んでしまったらしいとセルヴァの大人達が話しているのを聞いて泣き出した時。泣き止んだ時……ううん、あの日私は自分が助けられた時にはもう自分も召喚士になると決めていた。
「それで召喚士と契約者が貴様の中で神聖化されていたのだな」
「ニクス様は見てて綺麗だしね」
神々しいとも言える。森の中ではっきりと際立つあの赤いお姿は、初めて見た時からばっちり頭の中に刻まれていた。
「……ああいうのが好みなのか」
「ち、違うってば」
強く否定したら悪いけど……好みとかそういうのとは違う。
「それよりも!感想とかないの?」
「子どもの発想だな」
返事を求めて第一声がそれか。
「計画性も無い。誰かが漠然として、大き過ぎる。召喚士になってからの展望が無いと言い換えても良い。計画があって初めて念願は果たされる」
突き刺さる物言いを続けるレブ。私はそのままの言葉を聞けて、怒鳴るどころか頷いて肯定した。
「そうなんだよね。召喚士になるとは決めていたけど、魔法をインヴィタドに教えてもらうとかそこまでは考えてなかったもん」
誰かを守りたい。そう思って召喚士になったのに実際は逆だ。自分でも気付いていた。……目を逸らしていただけ。
「だ・け・ど」
ここからは私の攻勢。
「レブだって、気に入らないからって理由で手あたり次第部族に喧嘩売って、叩き潰してたんでしょ?計画性が無いのは一緒だったんじゃない?」
「ぐ……」
やった、レブを口で呻かせた。
「世界を見て回ったって聞いたけど、それもどう回るかとか、そう言うのはティラドルさんに全部任せてたんでしょ」
「……奴が勝手に仕切っていただけだ」
やっぱり。
「じゃあ計画があって……って」
「ティラが以前言っていた。勝手に高尚な文句を並べてな。暇だから付き合ってやったが」
戦乱が終わった後の世界を見て回ろうという話の時かな。……暇だったからって、前にティラドルさんから聞いたのと似てるようで少し違うような気がする。
「珍しいね?人からの受け売りを話すなんて」
素直じゃないから遠回しだったり不器用な表現はする。だけど人に言われた話をそのまま相手に教えるなんて今までのレブにはほとんどなかった。精々フジタカから教わった変な言葉遊びくらい。
「……そうでもないぞ。何を言っても、所詮は誰かの増補に過ぎない。積み重ねた年月と周囲の係わりで自分は形成されていく。長いだけでも、係わるだけでも意味に深みは加わらないがな」
……だったらレブはレブだけど、そんな考えを持てる様にしてくれた人が何人もいるんだ。ティラドルさんも含めて。
「まだまだ幼いんだね、私」
「そうだな」
レブから見たら人生の一欠片くらいしか生きていない私がこんなに無計画じゃ……。
「こんなぼんやりした召喚士のところに呼び出して……」
「謝るなよ」
レブは顔を覗き込むのを止めた。聞く気が無い、と意思表示されてはこちらも言うに言えない。
「確かに貴様は幼い。だが、その分だけ純粋な願いと目標だ。忘れなければ必ず力になるだろう」
「私の力……」
自分の手を見る。レブを召喚したのも、彼と魔法でゴーレムを倒したのも……私の力?
「足りていない物は誇りだ。前を向いて堂々と胸を張れ。年相応程度には大きい」
余計な事も言ったよね。……でも、誇れってレブは最初から言ってくれていた事でもある。私に足りない自信。少しだけ、持ってみてもいいのかな。
「魔法、もっと教えてくれる?」
「欲しいのならばなんでもくれてやる」
「ブドウも?」
「………」
なんでも、が数秒で崩壊した。ちょっと意地悪しちゃったかな、ここ数日食べてないし。レブの口がガチンと閉じてしまう。
「ごめん、好きなんだもんね……ブドウ」
「……貴様には劣る」
どういう事だろ。……私、レブよりもブドウが好きって自信はたぶん一生持てないな……。
「ともかくだ」
私が首を傾げるとレブが話を戻す。
「私は貴様のその純粋な気持ちが褪せない事を願っている」
「……うん」
小さくても、ずっと持ち続けて自分を支えてくれたこの気持ち。確かに間違っている部分もあった。
「相手はビアヘロだけじゃない。あの召喚士達……フエンテがニクス様を狙うなら、私はレブから貰った力で戦うよ」
「案ずるな。貴様の起源も聞けたのだ。我が召喚士だけを戦わせはしない」
私が微笑むとレブの表情も和らぐ。
「言ってくれたもんね、せめて自分は貴様が思い描く正しい召喚士になれ、って。私……これからも頑張るよ」
レブの目が丸くなる。
「……よく覚えていたな」
そんなに驚く事かなぁ。
「当たり前じゃん。レブは私にとって大事な……」
「大事な、なんだ」
「えっ?」
突然レブが前に身を乗り出して聞いてきたから私が止まってしまう。ええと、何を言いかけてたんだっけ……。
大事な……。大事?いや……もちろんレブは大事。なのに……急に出てこない。すごく自然な流れで言えそうだったのに。不思議と顔がどんどん熱くなってきた。
「………」
「………」
二人で黙ってしまう。それが余計に熱くなってきて私は上着を脱ぎたいくらいだった。だけど、と胸を押さえる。
「だ、大事な……相棒、だから」
「……そうか……そうかぁ」
繰り返し呟いてレブが身を引いて離れた。何を期待してたんだろう。いや、だいたい想像はつく、かな……。
私自身、本当に何を言おうとしたのか分からない。大事なインヴィタド……なんだか違う。少なくとも、ただの召喚士と従者とは思いたくない。でもチコとフジタカの様な馴れ合いとも違う。
「……レブ」
「まだ何かあるのか。……っ!」
少し無理矢理だけどレブにもたれかかり、身を預ける。私の頬に彼の肩と首の鱗が張り付いた。少しひんやりとしていて心地好い。
「昨日といい、悪いんだけど……少し、こうさせていてくれない?」
顔の火照りが冷めるまで。
「………」
レブの左腕が、そっと私の腰に触れて引き寄せた。
「専属契約をした相棒である私は一向に構わん。……もう少し楽にしろ」
「……うん」
私もレブの腰に片腕を回して先程よりは密着する。そうする事で、体全体が鱗に熱を移していく。思ったよりは冷たくなかった。だけど離れる必要も無い。
私の信じていた召喚士像は、契約者の行動理由に続き崩れてしまった。だけど、それに落ち込んでレブに甘えているわけではない。
やっぱりごめん、レブ。まだダメかも。顔の火照りが冷めるまででもない。もし許してくれるのなら。私達の関係が、そしてこの気持ちが何かはっきりするまで寄りかからせてほしい。
了
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