異世界に来ちゃった狼男子高校生の苦衷

第二部 一章 ーワンワン吠えても進まないー

 早朝の澄んだ空気が朝霧を運び、火照る体を冷ます。自分の荒い息遣いと走り込みの足音が耳に入ってくるが、少女は構ってはいられない。

 「れ、レブ……待って……!」

 少女の前を短い脚で跳ねる様に走る異形。レブ、と呼ぶと紫の鱗を朝陽に輝かせて彼は振り向いた。

 「どうした。まだ走り始めて間も無いのに、もう限界か」

 立ち止まった怪獣は息一つ乱さずに冷たく少女を見上げていた。夜明け前に走り始めておよそ二時間。間も無いとまで言ってのける彼と対照的に少女、ザナは汗だくで今すぐにでも倒れそうだった。

 「す、少し……外に、出ないか、って言うから……来たのに……!」

 「天気の良い朝はソウチョーランニングが気持ち良いとあの犬に教わったから実行してみたのだ。思いの外、悪くない」

 清々しい、と言わん勢いでレブは腕を高らかに上げて体を伸ばす。

 「貴様は、気に入らなかったのか?」

 「えっと……。こういうのは、もう少し徐々にやってほしかったかな?」

 森に住んでいた頃から走る事は多かった。しかし、長距離をほぼ常に全力で走らされるとはそもそも想定していない。召喚士選定試験の時だってこんなには走らなかった。

 「……そうか。ならば、今後は止めておこう」

 ふと、レブが顔を背けて決定してしまう。

 「……でも」

 「うん?」

 「朝から全力疾走はキツいけど、涼しい空気を吸いながら散歩くらいなら良い、かな」

 「………」

 少女、ザナにレブが振り返る。

 「あのさ、誘ってくれて、嬉しかった。」

 「……ふん」

 鼻を鳴らしてレブは先へ行ってしまう。向かう先は召喚士育成機関トロノ支所、今のザナとレブの住む場所でもある。

 走って息も絶え絶えなのに、思い出したのは選定試験の直前。もう数か月前の話なのに、今からそれが始まるのではないかと思うくらいに鮮明に記憶が蘇る。

 「待ってよ」

 あの時は不安と期待が入り混じっていた。なのに、今はこんなにも気は落ち着いている。少しは自信が身に着いたのかな。誰かさんのおかげで、ね。


 寮に戻ったら汗を流して少し休憩しよう。今日は召喚学の講義も任務もない、完全な休日だった。今では貴重になりつつある休みも、レブにかかればすぐに体力を尽きさせてしまう。

 「む。そこに売っているのはブドウではないか?」

 「……そうだよ。果物屋さんなんだから、大抵置いてるよ」

 痛む足を引き摺るように通りを歩いていると、ある店の商品をレブが無遠慮に指差した。この商店街の通りを歩く度にわざとらしく言うのだ。

 「ここで会ったも何かの縁、土産は要らないか」

 「買・い・ま・せ・ん!」

 加えて、子どもの言い分と比較すればまだ遠回しだがブドウをせびってくる。

 「貴様の体に不足しているのは果物だとは思わないか」

 「思いません。寮に戻れば食べ物はあるでしょ?」

 私達で買い溜めした食料はまだ部屋にもあった。露骨に不服そうにレブが口を歪めるが、今日の私からはもう一つ言い分がある。

 「それにね、レブ」

 「なんだ」

 「まだ、お店やってないよ」

 「………」

 そう、レブが朝早くから出掛けたものだから、今は店で開店準備をしている途中。品物を並べ始めてすらいない店が大半。当然、人通りも日中の混雑が嘘の様に無い。

 「……開店まで、あとどれくらいだ」

 「はいはい、おとなしく帰ろう。私もう疲れちゃったよ」

 「ぐぬぬぬぬ……!」

 牙を剥き出しにしてわなわなと震えるレブを置いて歩き出す。財布を握っているのはこちらだから、私が移動してしまえばもうどうにもできない。

 「……帰ったらまた勉強か」

 気のせいか、レブの足取りが重くなった様に見えた。帰りたくないのではなくて、たぶん果物屋さんに未練があるんだと思う。

 「そうだね、自習してようかな……」

 掃除も洗濯も別の日に終わらせている。特段、今日中にやっておきたい雑事はなかった。

 「ふむ……。私も何か学ぶか」

 「レブが?」

 意外な発言に目を見開くと、彼は頷いてくれた。

 「長生きしているとは言え、知っている事は限られている。この世界の理、魔法とは何かだって貴様と過ごして考えさせられた。それに……」

 そこまで言っている間に寮の前に着いてしまう。

 「……あれ?」

 「……今気付いたのか。随分続いていたぞ」

 寮の中から、声が聞こえた。しかも不穏な怒鳴り声。レブはずっと前から聞こえていたみたい。

 「この声、チコ……?」

 「そして小僧のインヴィタド、だな」

 寮を小走りで進んで角を曲がるとある一室の扉が開いていた。怒号もそこから聞こえてくる。

 「ちょ、ちょっと言ってみただけじゃん!なんでそんなに怒ってるんだよ……」

 「お前は俺が召喚したんだぞ!なのに俺の言う事は無視か!」

 いつもの口喧嘩、にしては金髪の幼馴染、チコは自分よりも背丈の高い狼の獣人を怒鳴っている。正座してチコをなだめる様に手を軽く上げている獣人、フジタカは耳を伏せて困り果てている様だった。

 「俺にも事情があるんだよ……」

 「そんなの知るか!」

 口喧嘩と思ったが、今回は違う。チコが一方的に怒っているんだ。

 「チコ……。どうしたの?」

 私が部屋に入ると、続いて入ったレブが扉を閉めてくれる。他にも見物に来ていた召喚士達がいたからだ。

 「コイツがさ!」

 対面で座る相手を指差すチコ。その挙動にもフジタカは肩を跳ねさせた。

 「急に“元の世界に戻りたい”なんて、ふざけた事を抜かしたんだ!」

 「だ、だって……」

 フジタカは何か言いたそうにしていたが、チコの一睨みで口をつぐんでしまう。

 「……話を聞くくらい、いいんじゃないの?」

 努めて波風立たぬ様にゆっくりと言った。少しの間だけ、部屋の中から誰の声もしなくなる。

 「……ふー……」

 やがて、チコが深く、長く息を吐き出して髪をぐしゃぐしゃ掻き回す。

 「……落ち着いた。で、なんでいきなりそんな事を言い出したんだ」

 話を聞く気にはなったみたいだけど機嫌は直っていないようで、乱暴に椅子に座った。

 「………」

 聞く気になった、と言ったが臨戦態勢のチコにフジタカは目を逸らすだけで口を開けない。それでは怒りの炎が再び燃え上ってしまう。

 「教えてよ、フジタカ。もしかして辛い事でもあった?」

 ……相手は召喚士が呼び出した存在。だけど、言葉が通じる相手で向こうにも感情がある。……言っちゃ悪いけど、チコはそこをどこかにたまに忘れている。

 「辛いって言うか……」

 「自信を持て。犬にしてはその能力は特異であり、個性だ」

 「そうじゃないよ、レブ」

 レブなりに励まそうとしているのも分かるけど、今の言葉ではフジタカには届かないと思った。フジタカは成長しているし、自分の力を自覚し始めていたもの。

 「いや……デブが言ってくれるのはありがたいよ」

 呼び方の間違いは変わらないんだ。レブも正すのを止めたから続いてるんだろうけど。

 「俺さ、確かに自分でも知らないうちに変な力に目覚めたみたいだ。最初は俺だって喜んだぞ。でも、そのうち気味が悪くなったんだ」

 足を崩してフジタカは胡坐をかくと自分の手を見下ろした。

 「魔力って言うのも分かるようになってきた。自分の中に流れている力で、日によっても体調みたいに違う。体は怠いのに、魔力は妙に高まってるとかさ」

 フジタカの話に私もチコも頷いた。

 「でもさ!俺ってただの高校生なんだよ。家もあったし、友達もいた。課題だって、部活だってあったんだ!」

 ただの高校生、というのが分からない表現だけどフジタカの目は真っ直ぐに私達を向いていた。

 「俺にできる事があるって分かった。それは嬉しかったんだ。がむしゃらに、与えられた任務にも皆で行ったらどうにかなった。……それも落ち着いて考えたら、俺は本当にここで皆といるのが向いてるのか分からなくなったんだ」

 私がフジタカの常識を分からない様に、フジタカも私の常識が分かっていない。私達にある常識の差に対する説明を省いて、ペルーダとの戦いからなし崩し的にフジタカに協力してもらっていたんだ。カルディナさんは戦闘向きと評価したけど、本人はそもそも戦士ではない。

 「だから、ちょっとだけ帰らせてくれないか?なんなら、また戻ってきても良い、って言ったんだ。そうしたら……」

 「………」

 「………」

 「……な?」

 レブと私も何て言えば良いか分からずに口を開けなかった。その反応を見て言ったチコは、私達を見ていた。

 「な、なんだよ……!やっぱり二人とも、チコの味方なのか?」

 「あ……ううん、違うの……」

 口を曲げて目を細めるフジタカにやんわりと首を振る。

 「フジタカには……帰る方法しか教えてなかったなって」

 私達がそれだけ伝えてビアヘロが現れた。そこからはフジタカの意思に任せていたけど、それが仇になってる。今日まで言わなかった私達の責任だ。

 「召喚陣の力は未熟と言ってもいい」

 レブの切り出しに私が続く。

 「召喚陣を通した召喚士の呼び掛けにインヴィタドが応じて、彼らはこの世界に現れる。そこを通じて注がれる魔力で現界に留まっていられる話はしたよね」

 フジタカが頷いた。

 「当然、フジタカは召喚陣を破くか、チコに何かあればオリソンティ・エラにはいられない。……だけど、もしも、再度ここに来るには……」

 私の言葉が詰まると、レブが咳払いをした。

 「まずは、召喚陣の描き直し。犬ころの世界中の全てから、犬ころ一人の首根を捕まえて、魔力を注ぎ込みこちら側へ引き摺り込む必要がある」

 「そんなの……」

 事態を把握し始めたフジタカを見てレブは鼻を鳴らしてふ、と笑った。

 「無理だ」

 チコが声を絞り出した。

 「そもそも、フジタカの召喚陣を描いたのはカルディナさんだし。それに、試験の時にどうやって呼び出したかなんて……分からない」

 私も自力でレブをもう一度呼び出すなんてとてもできない。

 「言いたきゃ言えよ。俺の力が足りないってよ」

 私は口を開きかけたレブを目だけで止めた。……そう、分からないだけじゃない。私も、チコも力の制御がどういうものかあやふやなままでここにいる。

 「……確率も、ゼロでなくとも低い、よね?」

 「……だな」

 フジタカの世界には何十億と人類がいるなんて聞いた。億、という言葉も途方に暮れるのにそれが何十と連なるなんて想像し切れない。

 「じゃあ別れたら最後、もう会えないのか?どうやっても?」

 「どうやっても、ってことではないよ」

 ほとんどゼロに等しい可能性を極限まで高める方法が一つだけある。それは、私とレブの関係だった。

 「……専属、契約」

 チコが窓の外へ目線を投げながら呟いた。

 「あれって……」

 「うん、陣は直接インヴィタドが持ってるから」

 レブの脇の下の方を見ると、微かに陣の端が見えた。

 専属契約の陣なら常に自分でしか描いていない、唯一つの召喚陣になる。体に刻み込まれたものだけに、紙と違って多少欠けても力や繋がりが弱まることもない。……うん?

 「あれ?」

 「気付いたか」

 「うん」

 レブに頷いて、私は腕輪に目を落とす。

 トロノ支所に来た初日にブラス所長から貰った召喚士の証でもある革腕輪。この中には召喚陣も常に入れてあった。

 「よいしょ」

 留め具を外し、中から羊皮紙を一枚取り出す。

 「私達にはもう」

 「あぁ。必要の無いもの、だ」

 「うわっ!」

 カルディナさんの描いてくれた試験用召喚陣を広げたとほぼ同時にレブの腕が振るわれた。手の爪がヒュ、と音を立てたと思うと、召喚陣は真っ二つに切り裂かれた。

 「うぉ!?」

 「おい!」

 レブの一閃にチコとフジタカも同時に声を荒げる。私だって、少し肝を冷やした。

 「捨てるか」

 「そう、だね。ちょっと勿体無い気もするけど」

 しかし、何も起きない。魔力供給を断たれてもレブが霧散してしまうようなことはなかった。名残惜しく召喚陣を見ていたが、畳んでポケットにしまう。

 「専属契約はこの世界に留まらせる契約。これなら召喚陣の問題は解決する」

遠く離れた地に居る自分のインヴィタドを瞬時に呼び出した召喚士の話を聞いた事がある。消耗は激しかったそうだが、不可能ではないらしい。

 「肝心になるこの契約を保った状態で異世界に渡る方法だが、それは確立していない」

 「陣がなきゃ戻れない、陣があると出て行けないってことか……」

 ビアヘロは勝手に現れ、放っておけば勝手に消えるかこの世界に馴染む。専属契約を結んで魔力切れを起こした時、インヴィタドがどこに消えてしまうかはわからない。元の世界に戻るだけなら良いのだが、それが死を意味したら……。それに、召喚士の魔力を尽きさせるというのも、命に係りかねない。

 「専属契約……力が自由に使える代わりにここに永住しますって事、だもんな」

 「お前もよくソイツと専属契約する気になったよな?」

 「え?うん……まぁ、あはは……」

 チコは気を失っていたから、私がレブと専属契約した経緯を知らない。それに、契約が他にも意味があった事もまだ言っていない。

 「あの時は急を要したからな」

 私は毒を受け、他の皆も満身創痍。フジタカは……。

 「……フジタカには、助けられたよ」

 「いや、俺は何もできなかった」

 フジタカは何でも消すナイフの力を発揮できなかった。あとは、レブの全力を間近で見たら萎縮しない方が無理だと思う。それが今回の帰りたい理由の一つにもなっているのかな。

 「……ごめん、チコ」

 「なんだよ、急に」

 フジタカは立ち上がるとチコに頭を垂れた。チコも急に謝られたものだから立ち上がる。

 「俺……軽い気持ちで言っちまった。チコ達の状況も聞いてたのに」

 「……謝るんなら、気にしない。だけど、次に言ったら」

 「あぁ、分かってる」

 次に言ったら冗談では済まない。……だけど、私はチコが気になった。

 「行くぞ」

 「あ、レブ!じゃあ二人とも、私達は行くね」

 「またな」

 「悪かった」

 最後に見たフジタカの表情は、まだ晴れていなかった。



 やっとべたつく汗を冷水で流して部屋に戻ると、レブは既に椅子で寛いでいた。

 「……レブ?」

 「なんだ」

 私が部屋に入っても目を閉じたままだったけど、声を掛けたらすぐに返事をくれる。

 「起こしちゃった?」

 「いや。眠ってはいなかった」

 「だったら、考え事でもしてたの?」

 寝ていなければ瞑想か。もしくは思い詰めていたか。

 「……」

 片目を開けるとレブの瞳が私を捉えた。

 「貴様こそ疲れているのだろう?少し陽が昇るまで仮眠するのも、休暇ならではだ」

 まさかレブの口からそんな言葉が出るなんて思わなかった。普段ならもっとこう、鍛え方が足りないからそんなに脆弱なんだーとか。一人で走りに行ってくる、とか言いそうなのに。

 「あっ」

 「………」

 私が思い付いて声を上げると、レブのもう片方の目も開いた。

 「果物屋さんが開店するまで、まだ時間があるから言ったんでしょ」

 「………」

 レブが口を引き結んで目を逸らした。

 「やっぱり!そんな事だろうと思った!」

 「どうせ、疲労で動けまい」

 「ぐ………」

 苦し紛れに見えたレブの返しだったけど、そこもまた正論。言い返す事はできない。

 「……眠れ。何もブドウ欲しさに言っているわけでもない」

 「……うん」

 レブなりの、ぶっきらぼうな気遣いだったのかな。……なんて、油断したらブドウをこれでもかと買わされたりするんだけどね。

 足がパンパンに張っているのが分かる。揉み解しても筋肉痛は免れない。明日以降に支障が出ないといいな。

 少し横になるとすぐに意識は遠のいた。深みに落ちてどれくらいか、引き戻されるまでが一瞬の様に感じられた。

 「う……」

 部屋の扉をコンコン、と控え目に叩く音で目が覚めた。

 「おーいザナー。いないのか?」

 「この声……」

 フジタカだ。私がのっそりと体を起き上がらせると、扉の前にレブが立っていた。

 「開けてもいいか?」

 「うん、どうぞー」

 私が言うのと一緒にレブがフジタカを通した。そう言えば、セルヴァにいた頃は勝手に入れてたっけ。気にしてたのかな。

 「お、なんだデブ。気が利くじゃ……って、寝てたのか?」

 「ううん、大丈夫」

 部屋に入ると、扉を閉めてフジタカは衣装棚に背を預けた。

 「………」

 「どうかした?」

 何か言いたそうにしているフジタカに、私から聞くとやっと口が開く。

 「あの……。今朝、の事なんだけど」

 そこまで言ってフジタカは私の部屋の扉を向いた。

 「……誰かに聞かれたくないの?」

 「う……」

 まぁ、チコと騒いだらそうなるよね。ここに来るまでにも誰かに会ってるだろうし。

 「だったら外に出ない?」

 ベッドから立ち上がると、早速足が痛んだ。熱を帯びているのがよく分かる。だけど、フジタカは私達に話を聞いてほしくてここに来たんだもん。力になってあげたい。

 「いいのか?」

 「レブも来るでしょ」

 「財布は持ったな?」

 「はいはい」

 レブの抜け目無さに自然と笑みが浮かぶ。財布と籠だけ持って私はレブとフジタカを連れて外へ出た。

 外に出るとトロノの目も覚めていた。せわしなく道を行き交う人々もいれば、茶店の日陰で談笑している婦人達も完全に本調子。寝惚けて出遅れた自分の顔にもう一度冷水を浴びせたかったが、気を取り直して歩き出す。

 「おっす、ちんまいの!今日もザナちゃんと訓練かい?」

 角を曲がってすぐに現れたのは髭面のおじさんだった。郵便配達の……名前は確かダリオさん。配達はもう一人テオさんという若い男の人と、ベルタさんって女性が川向こうの事務所で働いている。

 「今日は休みだ」

 ダリオさんはレブを一目見て気に入ったのか、こちらを見付ける度に話し掛けてくる。レブの方も淡々と返すが煙たがる様子はない。

 「そうかぁ!俺は今日も明日も仕事だぜ!ぶぁっはっは!」

 「一昨日は休みだったのではないのか」

 「お、そうなんだよ!ちょっと野暮用があったからな」

 煙たがるどころか、こうして休みの日も把握している。……聞かなくても向こうが主張してる、ってのが大きいのかな。

 「じゃあ俺は……って、おぉ!お前は!」

 「こんにちはっす!」

 ダリオさんが気付くと同時にフジタカも元気良く挨拶をする。

 「よぉ、未来の勇者!アンタも今日は休みか!」

 「えぇ、まぁ……」

 挨拶と一転、少しフジタカの声が低くなる。

 「戦士には休息も大事だかんな!お嬢ちゃんも頑張れよ!俺は配達に戻るからな!」

 「はい!お勤めご苦労様です!」

 ダリオさんが笑いながら去っていく。会うといつもあの調子だけど、休みはちゃんとおとなしくしてるのかな。

 「川の方に行かない?あっちなら人も少ないし」

 「そうだな」

 フジタカを見上げ、レブを見下ろし確認する。レブは最初に行くところがあるから、後はどうでもいいらしい。

 「あらザナちゃん!いつもありがとうね」

 「いえ。……いつもの、ください」

 「はーい!」

 果物屋さんに着いて、店主のルナおばさんに注文。もはやいつもの、で通じてしまう。レブはもう店のある商品しか見ていない。

 「あ、あと!」

 「え?」

 でも、今日はちょっと違う。

 「リンゴと、梨も」

 「あ、あぁ……。はいはい」

 代金を支払うために財布を取り出す。その間にレブがルナおばさんからいつものブドウを受け取っていた。

 「今日はもう一人いるんだね?そっちの彼もザナちゃんが召喚したのかい?」

 「こっちは違うんです」

 「俺はフジタカです。よろ……」

 名乗った途端にルナさんの目の色が変わった。

 「え!フジタカって、あの?アラクランで毒持ちのビアヘロを一撃で仕留めた!?やだぁ!ザナちゃんの知り合いだったの!?」

 「え、うわ……」

 急にフジタカの手を握るルナおばさん。

 「もう、知り合いだったらなんでもっと早く連れて来てくれなかったの?だったら梨くらいあげたのにぃ!」

 「いえ、そういうわけには……」

 「謙虚!可愛い!アラクランには私の娘が住んでてね?良かったら今度会ったげて!すっごい喜んでたんだから!」

 「はい、また行くことがあれば……」

 迫力に圧倒されてフジタカが言葉を失っている。

 「じゃ、じゃあルナおばさん!今日は帰りますね?」

 勢いのままフジタカにハグしていたルナおばさんの間に割って入る。それでも目は彼を捉えていた。

 「はーい!フジタカ君も、また来てね!」

 「ありがとうございます!」

 「レブちゃんも。いつも嬉しいけど、たまには他のも買ってよ」

 「前向きに検討しておく」

 後ろにいた別の客もフジタカを見ていた。私達は足早にその場から離れて川へ向かう。

 石造りの橋向こうは一軒家が多い。集合住宅が建ち並ぶ手前側より視界は開けているけど、セルヴァに比べてどこも少し息苦しい。そんな街並みの中間地点の川が一番空気の澄んでいる場所だった。木々の香りはしないけど涼しい風が良く通って気持ち良い。

 「休憩っ!」

 土手まで着いて私達は草むらに座り込んだ。レブは早速ブドウを一つ口に放る。

 「……美味い」

 本当に好きなんだなぁ。

 「はい、フジタカの分」

 フジタカへ梨を差し出すと、彼は目を丸くした。

 「えっ……いいのか?」

 「うん。そのために買ったんだもん」

 「あり、がとう……」

 恐る恐る受け取ったフジタカは梨を見詰め数秒。徐にナイフを取り出して展開した。

 「え?フジタカ!」

 「あっ……!」

 私が呼んだ時にはもう遅い。フジタカのナイフが梨に触れ、音を立てて消えてしまった。

 「す、すまんザナ!な、梨……弁償する!ほんっとうにごめん!」

 慌てて立ち上がって謝るフジタカにこちらも釣られて立ち上がる。

 「う、ううん!皮を剥こうとしたんでしょ……?大丈夫だから……ね?」

 「……ごめん。何やってんだ、俺……」

 耳を垂らしてフジタカは力なく座った。本当にぼうっとしててやっちゃったんだと思う。

 「……レブ、リンゴお願い」

 「仕方ないな」

 言って、レブはリンゴを軽く浮かす様に宙に投げて左腕を振り上げる。召喚陣を切った時と同じ様に爪で二つに割れたリンゴを受け止め、私はフジタカに渡した。

 「これなら、切る必要ないでしょ?」

 「……すまん」

 梨一つで大げさに落ち込まなくてもいいのに。心ここにあらずというか、気にしているのは梨だけじゃないんだろうな。

 「これからどうしたらいいんだろう、俺……」

 シャク、と音を立ててリンゴをかじりながらフジタカがボソッと言った。

 「フジタカは……オリソンティ・エラよりも、前の世界の方がいいの?」

 「……分かんね。でも、あの日に思ったんだ。自分には力が足りないなって」

 あの日がタムズ討伐の日とはすぐに分かった。

 「なのに、チコは助けられたって言ってくれた!さっきのダリおっさんやさっきのおばさんだって俺に優しくしてくれた!」

 「うん」

 フジタカを歓迎している人々に本人は戸惑っていた。自分と相手の評価度合いが違うんだ。

 「俺、こんなに何もできないし、召喚士とかビアヘロとかもまだちゃんと分かってない。専属契約の話だって……」

 リンゴを握るフジタカの手から果汁がポタポタと滴った。

 「チコは、俺と契約なんてしないよな」

 「決め付けるな。わんころの悪い癖だ」

 レブがブドウを呑み込んで目を細める。

 「だってよ、専属契約ってそもそもはインヴィタドと感覚の共有をして、魔法を教えてもらうためにするもんなんだろ?」

 召喚士が行き付く最終地点なのは間違いない。

 「俺が使える魔法って言ったら……今は無自覚に物を消すだけだ。教える事もできない」

 「伝授するだけが専属契約じゃないよ。チコだって悩んでると思う」

 良い方に解釈してるだけかもしれないけど、フジタカの不安が少しで和らげば。

 「確かに、奴が欲している魔法を犬ころが使えるとは限らない。しかしその能力を手元から失くすのは惜しい」

 「……本音を言えば、それもあるかもしれないけどね。だけど考えてみて」

 レブの言葉にフジタカの瞳は、怯える子犬の様に揺れていた。私が言いにくい部分を自分から言ってくれたんだ。

 「フジタカがチコと過ごした時間は、二人にとってどうだった?」

 「どうだった、って……」

 聞き方は悪かったかもしれない。けれど、少し待つとフジタカは遠くを見ながら話してくれた。

 「最初は怖かった。一人っきりで、着いた翌日にはバケモノにけしかけられて」

 「あの時は……ごめん」

 ビアヘロを見るのも、実戦経験もあれが初めてだったんだよね。

 「だけど……刺激的、だった」

 手に付いた果汁を舐め取り、再び実に噛り付く。

 「広がる景色、知らない匂いの空気、見た事のない生き物、美味い食事。……怖い思い、痛い思いもした。けど……楽しかった、かな」

 フジタカがこちらを向いた。

 「ザナやデブともこうして話せているしな。それに、チコとも。ケンカもしたけど一番一緒にいて楽しかったのはアイツだよ」

 聞きたかった言葉が聞けて、私は自然と笑っていた。

 「チコも、きっとそう思ってるよ。だから悩んでる」

 最初に怒っていたのはフジタカが召喚の事情を知らなかったから。私達が説明していなかったのが悪い。だから途中からはあまり感情的じゃなかったし。少しは後悔しているんじゃないかな。

 「召喚士として高みを目指すための到達点。それがお前なのか、もっとどこか別のインヴィタドか。はてまた犬との絆を第一に考えるか」

 レブが続ける。

 「決め付ける段階ではないのだろう。少なくとも迷っている」

 「……俺、役に立たないのにな」

 「違うよ。一緒にいたんだもん」

 私が首を振ると、レブも頷いた。

 「タムズの怪我は傷痕になったそうだが、犬ころはあの時できたことをした。尻尾を巻いて縮こまっていたわけではない」

 「トロノの人達だってフジタカを見てる。過大評価って重荷になってるかもしれないけど……私は過大とは思ってないよ」

 「え……」

 目を丸くするフジタカ。私だってフジタカの能力が夜に使えないとしても強力なものだと思う。真似できる人なんてそれこそ契約者にもいない。

 「……でも」

 「目を背けるな。それが事実だ」

 目を逸らしかけた途端レブに言われ、フジタカは唇に力を込めてから私達を見る。

 「過大評価なぞを恐れるならば、力を磨け。磨いてからでもそう、遅くはない」

 「ちょっとレブ……。それじゃ……」

 フジタカがこのままここに居る、ってことになっちゃうよ。それでいいのかな、と思ったけど反応を確認する前にレブがニタリと笑う。

 「そんなに嫌か?お前を歓迎する世界が。だったら恥じぬ自信を持つ男になれば良い。そうすれば居心地も勝手に良くなる」

 言い方が乱暴だなぁ、もう。

 「……レブはああ言ったけどさ。決めるのはフジタカ。チコとも相談するかもしれないけど」

 「おう……」

 「でもね、この世界も、私も、レブも。君を受け入れてるからね?」

 忘れないで、知っていてほしいこと。チコにとってもだし、私にとっても。レブや、他の人から見てもフジタカは消費用の召喚物ではない。一人の人として接している。それが分かっているから、フジタカも悩んでくれているんだ。

 「……ありがとう。ザナはすごいな」

 「すごい?」

 ふと、私が褒められてしまった。何を意味するか分からなくて首を傾げてしまった。

 「いやさ、普通の悩みはチコに話せばいいんだろうけど、チコに対しての悩みを聞いてくれる人がいなくてさ」

 「そこで白羽の矢を立ててくれたんだ」

 あぁ、とフジタカは残りのリンゴを口に頬張った。

 「んぐっ……。最初はチコへの悩みだったけど、ザナは俺達インヴィタドの立場も考えて話してくれたからさ。もっとずっと気が楽になったよ」

 フジタカの表情が和らいだ様に見えた。

 「うん、私も……すぐ隣に話せるレブがいつもいてくれるから」

 「ふん」

 鼻を鳴らしてブドウを食べているけど、あんなにレブがフジタカを気遣うなんて意外だった。ペルーダの一件から一目置いているとは思っていたけど、やっぱり召喚されたのがほとんど一緒だったからとか親近感もあるのかな。

 「まずは、もう少し考える。もやもやが消えてはいないけど」

 しばらく川のせせらぎを聞いてからフジタカが立ち上がった。私もリンゴを食べ終えると頷いた。

 「また、何かあったら聞くよ」

 「サンキュ」

 差し出すフジタカの手を借り、立ち上がろうとした瞬間だった。

 「痛っ……!」

 「どうした?」

 足に痛みが走る。

 「あぁ、ごめん大丈夫。ちょっと筋肉痛。今朝レブとちょっと走ってて……」

 そう言えば、フジタカ発案なんだっけ。ソウチョウランニング?

 「お、デブ。痩せるために早速始めたか」

 「太っていない。それに、勧めたのは犬ころだ」

 「イヌとかワンワンとか言うけどな、俺はれっきとしたオーカミだからな?」

 デブって言うのを止めたら……いや、レブは呼び方変えないかも。

 「そんな些末事よりも聞け。今度は早朝デートの約束を取り付けた」

 「なにぃ!?」

 フジタカがあんぐりと大口を開けてレブを見下ろす。ぎこちない動きでこちらに向いた目が怖い。

 「ね、ねぇ……デート、ってなに?」

 フジタカがそんなに驚く様な事なんて。

 「部屋で自習でもするのだな。それか犬語を教わるか」

 「え、俺!?いや、教えたのはって……うーん……!」

 「……散歩、って事?」

 散歩くらいなら良いよ、って言ったのは覚えてる。だけど反応を見てもレブは素知らぬ顔。フジタカも気まずそうに、その割には尻尾を落ち着きなく揺らして答えない。

 「ね、ねぇってば……」

 「………」

 「………」

 「ちょ、ちょっと二人ともー!」

 レブとフジタカ。二人の仲も悪くないみたい。だけどこんな仲間外れってなんか納得いかない……!


 これが、私達の束の間に訪れた休日から始まる新たな物語。その序章。

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