第八部 二章 -人の振り見て思うなら-

 契約者を目当てにシタァへやって来る者などいない。基本的には自分達の世界を構築するのに夢中だから。

 だけど中には出会いを求めてふらふらと一人で道を歩く者や、複数の女性を侍らせた男の姿も見られた。そういう人はこれから誰かとの時間を築こうとしているみたい。

 「はぁーぁ」

 「疲れた?」

 夜になると宿屋の食道は酒場へと姿を変える。町によっては大人の男性がわいわい飲んでいたり、ガラの悪い若者がたむろ場所になっていたりする。

 このシタァという町はどうかと言えば、男女比に偏りが無い。何故なら、客の大半が男女一組で現れるから。

 酒を飲むためではなく、私達は食事を摂るために広い食堂で腰を下ろしていた。酒場へと姿を変えつつある食堂にあった窓の外を見ながらフジタカが溜め息を吐いて大きく体を伸ばす。だけど欠伸をするでもなく彼は姿勢を戻した。

 「……嫌な町だ」

 「め、珍しいね。そんなに嫌がるなんて」

 今までフジタカは振り回されこそすれ、その状況を拒む事なんてほとんどなかった。だけどこんなに露骨に不機嫌になるなんて。

 「ドイツもコイツもあっちこっちそっちこっちでイチャイチャベトベトと……!あぁっ、くそっ!羨ましい!」

 「フジタカ……」

 「見苦しいな」

 呆れた私やチコの横でレブがブドウを口に放りながら断じた。

 「デブはいいよな!別にそういうのに困るどころか、ブドウ食ってりゃ幸せなんだから!」

 「身近にある物で幸せを得られない貧困な感性。人はそれを哀れと呼ぶ」

 そのブドウはボルンタ産って言っていたからあまり身近じゃないと思うよ。たまたま見付けたから買っただけだし。

 「言ってくれる……見せ付けやがって」

 「べ、別に私達は何もしてないよ」

 「まだな」

 うん、まだ。って、違う!勝手に一言付け足したレブは睨んでも見ているのはブドウだけ。……ブドウを幸せそうに食べている姿のレブに話してたのかな。

 「……こんな場所、男の人外かき集めてたむろしてたら怪しいんじゃないのか?」

 「だろうね……」

 狼と牛と獅子獣人、そして竜人と契約者の男が一か所に固まっているなんてどこでも見られる光景ではない。だけど、このシタァにおいてはその異質さが際立ってしまっている。

 ビアヘロが出たわけでもないのに、明らかに人間離れした姿のインヴィタドが町を歩いている。それだけでも人々の不安を煽っていた。今も店の客の数人はこちらの様子をちらちらと盗み見ている。

 「出て行こうにも、俺はまだ病み上がりだからもう少しゆっくりしたいんだけどな」

 「ぐぅ……」

 チコもすっかり体調を取り戻して食事も摂っていた。だが、何となく顔色はまだ全快と言うには少し血の気が足りない。フジタカも気付いているのか一度は口を閉ざしかける。

 「でもチコぉ……。こんな団体で来るような場所でもないんだろ?」

 「まーな」

 やっぱり居場所が無いと感じているのかフジタカはシタァがあんまり気に入っていないらしい。最初に上陸した時は船酔いの名残と思ったけど、精神的にも合わないんだ。

 あんまり考えなかったけど、こうして見ると女性は私とカルディナさんだけだ。さっき見たのは逆だったが、もしかして周りは私達を男連れの集団とか……。

 「妙な気は起こすなよ」

 「わ、分かってるってば……」

 ……浮かれてる、というか場の空気に当てられたかな。不思議なんだよね、互いを優しく思いやる様な気持ちではなく、もっと暑苦しい気持ちを皆が持っていると伝わってくる。

 「フジタカ君。女子の心を掴むのなら、まずは座して待つ事だ」

 口を開いたのは隣のテーブルに陣取っていたライさんだった。グラスに入っているのは酒ではなく水だ。

 レパラルを出立してからのライさんはしばらく大人しかったと思えば、姿を現すとこうして前から知っているノリで話をしてくれた。何をどう切り替えたかまでは分からない。でも、ウーゴさんの表情はライさんを観察していた。だからまだ無理をしているのだとは思う。事実、ライさんの額にはくっきりと傷痕が刻まれて残っていたから。

 「でも、来た獲物と相性が良いかは別じゃ?」

 それでも、ライさんとまたこうして話をできている。フジタカはその機会を逃さない様にしていた。その内容を選ばないのが問題なんだけど。

 「男たるもの、来た者を選り好みしていては食える物も食えないぞ」

 あぁ、こういう話はしたくないとか思って黙ったらライさんとも話せないんだよね。選り好みしていたのは私も同じかもしれないな……。

 「大人の貫禄ってのを俺も身に付けないとな」

 フジタカが今後の路線を定めた様だけど、それがこの町で出会いに繋がるとは限らない。だって、ほとんどの人にはもう既に相手もいるんだもの。私はふと、話題に加わろうとしないカルディナさん達の方が気になった。

 「カルディナさんってシタァは初めて来たんですか?」

 「一度だけかしら。カスコに用事があって。その時は通り過ぎただけ」

 トーロも知らなかったらしくカルディナさんの方を向いて鼻を鳴らした。

 「その時はブラス所長のお使いで、一人旅だったけどね」

 その方が身軽、という事は分かった。だけど私は疑問を口にする。

 「今更ですけど……私達みたいな召喚士の方が珍しいんですか?」

 「ザナさんみたいな……って?」

 私達にとっての当たり前と、他の人達の当たり前。その違いに気付くのは、外の人に会ってからだった。

 「インヴィタドを連れて歩く様な召喚士です。私達には全員……いるじゃないですか」

 チコの事、フジタカの事をまた言いそびれる。気付いた様子は無くカルディナさんはグラスを置いた。

 「魔力の維持が難しいからしない者が多いのも事実、かな。割合としては三割くらいしかいないでしょうね」

 「やっぱり……」

 最初の頃、私がなりたいと思っていた召喚士も今とは違っていた。知能のある者と交渉するよりも異界の炎でビアヘロを焼き、岩塊を宙へ呼び出し敵へと落とす。その方がまだるっこしいやり取りは無いと思っていた。そしてその方が自分で戦っている、という感覚も強く得られると信じていた。

 「常に魔力を消費した状態だから私達はきっと、他の召喚士達と比べると長い間本当の魔力が全快状態にはなっていないの」

 「はい……」

 足りなくて死ぬ、なんて極端な状態には普段は陥らずとも、その感覚は知っている。この胸に小さな穴が開いていて、そこから私の魔力がレブへと流れ出ていた。今ならそれを自分で広げ、逆に狭める事もできる。

 「魔力の消耗は召喚士自身の体力にも影響を受ける。だから年齢を重ねた召喚士、自分で力を持った召喚士程、特定のインヴィタドを連れなくなるの」

 それなら私も知っている。フェルト支所の所長、テルセロ所長やアスールのパストル所長もインヴィタドは大抵自分の必要な時にしか召喚陣を使っていない。ブラス所長に至っては、見た事も無かった。

 若い召喚士の方が話せるインヴィタドを連れている、と言われればソニアさんもいるしトロノにも何人かいた。ルビーだって、フジタカみたいなインヴィタドを召喚したいと言っていた時期もあったし。ウーゴさんの方が少し異例なのかな。

 「慢性的な肩凝りはトーロのせいじゃないかと思う日もある、なんてね」

 「それはカルディナさんの胸が重いからでは?ソニアさん程ではないにせよ」

 魔力の消耗で起きる疲れや体調不良を茶化して話したカルディナさんにライさんから突然の指摘。それは冗談で済まされなくなってしまう。

 「………」

 「あ、いや……感想だ、気にしないでくれ」

 カルディナさんに睨まれると傷を隠す様に手で覆い、ライさんは顔を背けた。ウーゴさんも苦笑して助け船は出さない。

 「酷使しておいて、人のせいにするとはあんまりじゃないか」

 「頼りにしているってば」

 こうして思うと、カルディナさんもどちらかと言うと特定のインヴィタドを連れる前提の召喚士ではなかったんだろうな。今みたいなやり取りができるまでトーロとの関係が変わったのも、カンポに向かう時だったし。

 「………」

 チコはフジタカの方を見ようとしない。チコだって、最初からフジタカを振り回すつもりでいたのではない。私と同じ、目の前に現れたから一緒にいたんだ。

 「……ブドウの皮はついていない筈だ」

 「ううん、ただ顔を見てただけ」

 だけど、今ではそれが良かったと思える。決して維持は大変でもこちらから指示せずとも考えて戦ってくれるとか、知恵や技術を貸して人間では扱えない魔法を駆使してくれるからではなく。

 「そうか」

 私の視線を気にせずレブは再びブドウに手を伸ばす。私からすれば、レブは最大の戦力。間違えないでほしいのは、だから身近に置いていたわけじゃない。

 どんどんと緩やかに流れる今日までの時の中を一緒にいた。私はレブと過ごすそんな毎日を失くしたくないと思っている。これからも、彼が望んでくれるなら。こちらの私意で強制的に召喚した私を許してくれると言うのなら。専属契約を結んでくれた彼に私だって力を示して応えたい。

 「インヴィタド連れの召喚士が持つ利点は自分の力を分かりやすく誇示できる。その良し悪しは場合によりけりですが」

 獅子は百獣を治める力の象徴なんて言われる存在だ。そんな姿をしたライさんを召喚しているウーゴさんを軽視する人なんていない。

 私だったら、前は違った。トーロも、他の召喚士も最初は私が連れている存在を何かも理解できずに笑われた事もある。彼の持つ力を知る人は限られていたから。

 それも今では通じない。今度は私が振り回される番だった。今のレブが目立ち過ぎて、私が周りからの視線を集めるに足る召喚士だという自信を持てていない。ウーゴさんが言った良し悪しとは、その部分だと思う。

 「俺だけじゃなくて、デブとかトーロ、ライさんがいると目立つってんだろ。変装でもすればいいのか?」

 「そうじゃないけどさ……」

 フジタカが悪いんじゃないのは分かっている。フエンテからすれば私達は目立った方が良いんだ。でも、その場その場の人々を巻き込んで怖がらせては召喚士としてはどうなのか。

 「……女装か」

 「それも止む無し、か?」

 端でライさんが危険な発想を思い付いてトーロも真剣な面持ちで確認する。たぶん、どう転んでもその選択を彼らに取らせたりはしない。体躯を考えて発言してよ。

 「いや。私達では愉快な旅芸人が関の山だな」

 レブですら微妙にやる気を出している……!せめて契約者らしいローブに身を包むとかあるじゃん!

 「恰好はもういいから!」

 危険な思想が蔓延する前に無かった事にする。フリフリのスカートを生足で穿いたフジタカなんて見たくないよ!

 「カッコいいってよ、デブ」

 「ふふん」

 ……なんか、その着地点で良いのかと思ったけど最悪の事態は回避できたかな……。


シタァにももちろんカスコから派遣された常駐の召喚士がいる。先にカルディナさんがニクス様と一緒に会っていたみたい。契約者同伴で行けば怪しい者と疑われる事はないしね。そのおかげで私達は堂々と外を歩いていても事情聴取されずに済む。だから人目を気にするのは個人の問題。

 「インヴィタドは怖い。だけど契約者と会えるなんて幸先が良い……か」

 シタァからカスコに向けて出発していた私は早朝にこちらへ向けられた言葉を思い出していた。朝から散歩をしていた男女の一言が私の後ろ髪を引いている。

 「顔だけで、中身も怖い人なんていないのにね」

 「そうですよ」

 独り言にカルディナさんが反応してくれた。そうだ、この場に居る人間以外の種族は……。

 「………」

 「………」

 「………」

 「………」

 「どした?」

 ニクス様も含めて全員並ぶと、よく分かる。顔が怖いのは否定できそうになかった。フジタカが辛うじて愛想が良いけど黙っていれば武装しているし迫力はある。

 「何でもないよ」

 後ろを歩くフジタカに手を振って、私はカルディナさんに向き直った。

 「ガランって、人が多いんですよね。だったらインヴィタドも多いんですか……?」

 「ドワーフとか……比較的、人間に近い姿のインヴィタドならね」

 シタァに着いてから思ったのはトロノもまだまだ田舎だったんだなという事だ。規模からすれば港という偏った地でありながらトロノと同程度以上。カスコに至っては想像もつかない。

 トロノだったからまだレブを連れて歩いてもそんなにおかしくなかったんだ。あそこはどこに行ってもビアヘロも多いし。なのに召喚士の数は足りなくて、全部の村や町に常駐させて警備させる事もできない。

 「変なの……」

 ビアヘロがいないから人が集まって発展するのは納得できる。だけどこうしてあちこちを回って知る度に、自分がとても小さな世界の中にしかいなかったのがよく分かった。

 最初はカスコの召喚士にも会えるかもしれない、なんて考えていた。きっと彼らの召喚術に対する向き合い方は私達とは異なっていて、人の考え方に触れるのは良い刺激にもなる。

 だけど彼らは私達の戦いには巻き込めない。トロノにビアヘロが現れても、助けに来てくれる事なんてないんだ。

 「異世界から最新の技術や文化を手当たり次第に取り入れているから、行って見たら驚くと思うわ」

 話には聞いていたけど、それすらも情報が古い。人が居れば自然と知識も集まる。考え方の違う者の分だけ、幅は広がる。カスコに辿り着く事で私達にも新たな変化が起きるのかな。

 「あらゆる異世界って事は、フジタカの世界にある物もどこかで見れるかもね?」

 あんまりあちこち見て回る時間は無いと思うけど。振り返るとフジタカはアルコイリスをかちかちと回して色を変えていた。

 「……うん?あぁ、そうだな」

 聞いてはいたのか、返事は一拍遅れてやって来る。私は足並みを落としてフジタカの隣に並んだ。

 「どうかしたの?」

 「ちょっとな。このナイフ、まだ何かできるんじゃないかと思って」

 フジタカが畳んだナイフを放って私に貸してくれる。試しにアルコイリスを回して色を変えてみた。この金属輪の手応え、クセになって意味もなく回したくなるんだよね。

 角度を変える事であらゆる色を持つ宝石。それぞれが美しいその石は何かを切る物として使う物を装飾するにはあまりに贅沢な石だった。

 「まだ役割の決まっていない色があるんだっけ」

 「そうなんだよ、って、本当はもう決めてあるんだ。ただできるかどうか分からなくてさ」

 一通り堪能してからフジタカにナイフを返してやる。その時も一応半分投げる様にして。フジタカがあのナイフに触れていると相手を消しかねないから、との事だ。何か切る、よりも何かを消す事ばかりにフジタカはあのナイフを使っている。

 「……それ、まだ使えそうにない?」

 私はフジタカが背負っている剣を指した。するとフジタカの耳の先が緩やかだが明らかに曲がっていく。

 「……うん。ナイフと一緒には、持つのもちょっと躊躇う」

 「そんなに?」

 フジタカがそこまで思い詰めていたとは知らなかった。両刀で戦っている印象があっただけに気にしてたんだ。

 「レブ……フジタカだって魔力の調整はできるんだよね?」

 黙って歩いていたレブはフジタカを見て目を細める。

 「当然だ。でなければそんな力、そもそも発動すらしまい」

 「そう、だよね……」

 私ですらできる様になったんだもん。最初から無自覚にでも力を使えていたフジタカならできて当然、ううん、その為のアルコイリスだ。

 多分、ポルさんが用意した偽物のニエブライリスを自分の力で消してしまったのを気にしているんだ。力の使い方が分かり始めた段階で起きた失敗。それをまた繰り返すんじゃないかと考えているから使えないんだ。誤って戦闘中にナイフと剣がぶつかって、消してしまいでもしたらもう取り戻せない。ポルさんもセシリノさんもトロノにいるのだから。

 「試せる範囲で試すさ」

 フジタカがナイフをしまおうとした、まさにその時だった。

 「うわっ……!やべぇ……」

 びり、と何かが裂ける音と共にチコが声を上げた。振り返ってみると、肩から提げていた鞄を両手で持っている。

 「どうしたの?」

 「紐が切れそうなんだよ……!」

 チコが慌てて金具の部分をちょいちょいと指差す。本当だ、半分近く千切れてる。

 「重……っ!つーか、切れる!無理!」

 皆の寝具を中心に抱えていたチコがこれ以上は危ないと判断したのか膝をついて鞄を置いてしまう。皆で足を止め、鞄の具合を確かめる。

 「ウーゴ、蜜蝋は持ってるか?」

 「それなら持っているが、簡単には乾かないぞ……」

 切れ掛かった革を見てライさんはウーゴさんを向く。しかし蜜蝋程度の接着材ではくっ付くとは思うけど重みにすぐ負けてしまう。

 「引き返す?まだ町は見えてるし……」

 かなり歩いたがガランは盆地で平原は山が近いカンポやトロノよりも寧ろ開けている。だから遠くにはまだシタァや岬の式場も見えていた。

 「職人に直してもらうにも、時間が掛かる。それに荷物はどう持ち帰るんだ」

 カルディナさんにぴしゃりと言ったトーロの語気がほんの少しだけ、いつもより強かった気がした。言われた方も少し肩を竦めている。

 「……そうよね」

 それきりカルディナさんは腕をきゅ、と握り目を逸らして何も言わなかった。トーロだって責め立てたりはしない。

 「新しい鞄を誰かが用意してくるのはどうでしょう。それまでは居残り組と買い出し班で別れて行動する事になりますが……」

 「陽が暮れるな。予定行程の半分にも届かないぞ」

 蜜蝋を取り出したウーゴさんの提案にライさんが顔をしかめる。虫の蜜から作った蝋では明らかに強度不足とライさんも見て察したみたい。

 「だったら、俺にやらせてくれないか」

 そこに名乗りを上げたのは、フジタカだった。

 「どうするの?フジタカ、何か持ってたっけ?」

 フジタカも寝具の持ち運び担当だ。肩代わりでもするのかな、と最初は思った。

 「これだ」

 言って、フジタカが取り出したのは先ほどしまった筈のアルコイリスだった。

 「おいお前まさか身軽になって歩こうイリスなんて言うんじゃないだろうな……!」

 「ちょっと違うな」

 チコの言葉遊びは無視してフジタカはナイフを展開した。それには他の皆も表情を強張らせてしまう。

 「おいフジタカ!冗談は……」

 「いいから見ててくれよ……」

 フジタカも緊張しているのが伝わってくる。だけど彼はアルコイリスを黄色く見える様に合わせるとナイフを切れ掛かった革にあてがった。

 「おま……え!?」

 「……俺に任せてくれ」

 遂にチコも怒鳴ったがフジタカはそのままナイフを横に薙いだ。その時、強い風が吹き抜ける。一瞬目を細めた直後には、それは起きていた。最初に気付いたのはチコだ。

 「な、な、な……!直った!?」

 「……よし」

 フジタカはトントン、と二度自分の胸を叩くとアルコイリスを灰色に戻して刃を畳む。その姿にはレブすらも目を見張っていた。

 「何をしたの、フジタカ……?」

 「うーん……」

 ナイフを完全にしまってからフジタカは唸った。しかし皆が聞いておきたい話の筈だ。

 「傷を……消した、の?」

 理屈は分からない。だけどフジタカのナイフでできる事は何かを消す事だ。私が思い付いた事を口に出すとフジタカは尾を振り上げてから頷いた。

 「そう!なんつーか……うん、できそうって思ったんだよな。試す切っ掛けがなかったんだけど」

 トーロやライさんからもおぉ、と感嘆の声が洩れる。でも、彼がナイフ一振りで行ったのはそれだけの反応で留まって良いものではない。

 「お前、自分が何したか分かってるのか?ナイフ振って鞄直してんだぞ?」

 チコが鞄の具合を確かめながらフジタカを見上げる。当の本人はその大きな耳を掻いて苦笑するだけ。

 「俺は直したつもりはないんだ。どちらかというと壊れている部分を消したら繋がった、って言うか……」

 「だーかーら!なんで壊れた部分を消すと繋がるんだよ!塞ぐってのは立派な復元行為になるだろ」

 フジタカは自覚と言うか、理解はしないで直感でナイフを使ったらしい。そしてそれに対して抵抗も持っている。だから迂闊にそのナイフは消すだけじゃなくて直せるとは言いたくないらしい。

 「それは、俺やライの傷も消せるのか?」

 トーロやライさんの姿を見れば、所々に裂傷の痕が屈強な身体に刻まれている。もしフジタカの力が治療行為にも活かせるとしたら前衛の負担が確実に減る。それに、癒しの妖精を召喚士が用意する必要だってなくなるんだ。

 「それは無理だと思うな……。無理って言うか……危ないだろ」

 だけど実際そこまで上手く話は進まない。フジタカはいやいやと首を横に振った。考えてみれば医師でもないのに人へ刃を入れて治療なんて、相当に高度な技術を要求される。

 フジタカは確かに鞄の革紐を直して見せた。しかしそれは比較的簡単な物。もしかしたら、彼がナイフを自在に扱えれば……例えば、腫瘍だけを摘出とかもあっという間にできたりして。少なくとも今のフジタカが人にあのナイフを差し込むなんて、誰もその後の結果を想像すれば怖くてできないだろう。一番よく分かっているのはフジタカ自身だ。

 「……まず、鞄が直せた。それで良いじゃねぇか」

 「……そりゃあ、な」

 チコの手を取り立ち上がらせるとフジタカは背を向け歩き出した。話すつもりはない、と言うより聞かれても困るんだろうな。

 「レブはどう見る?」

 黙ったまま、しかしずっとフジタカから目を離さなかったレブの隣に立つとようやくこちらを見下ろした。

 「あの芸当は私には真似できんな」

 褒めてる……?違う、もっと得体の知れないモノを見た様な目だ。

 「どういう仕組みか分かるの……?」

 私の質問にレブは目を伏せていや、と答える。

 「そもそもあのナイフの出所が分からん。父親の形見……それすらも眉唾物だ。あの犬ころの手元にあって正しいのかも含めて、な」

 私はフジタカの背中を見る。わざとこちらを見ない様にはしているものの、未だにナイフの話題で持ちきりの私達に耳だけを向けていた。聞こえてはいるだろうな。

 「でもフジタカにはあの力しか無いんだよ。危ないと思うから、気を付けて使ってる」

 「それが裏目に出なければ良いがな」

 レブはあのナイフを警戒している……?たぶんあの切っ先がこちらに向く事ではない。あのナイフが引き寄せる事象を言っているんだ。事実、フエンテなんて大物があのナイフを狙っているのだから。

 「レブでも用心するナイフを持ってるフジタカって凄いんだね?」

 「条件はあるが、私の数倍の体躯をした巨人を触れるだけで消し去れるのだ。操者はともかく武器としての価値は屈指の物だ」

 「聞こえてんぞ、デブ!」

 フジタカがやっとこっちを向いた。私は手を挙げて謝るけどレブはそっぽを向いてしまう。使えるのはフジタカだけなんだから、彼も十分に凄いんじゃないのかなぁ。

 「今のって手応えはどうだったの?」

 私は先に行くフジタカに追い付いて顔を見る。さっき、いつもと違う動きをしたのが気になった。

 「初めてにしちゃ上出来、かな。自分でも思った様にナイフが動いてくれたと思う」

 魔法に限らず、何かを行うのなら成功している姿を思い描くのが大事だ。フジタカも着実にナイフの使い方を身に付けようとしている。

 「さっき言ってた試せる範囲ってのがちょうど来たんだね?」

 「たまたまだけどな」

 フジタカのアルコイリスが発動して見せた能力は今のところ、さっきのを含めて五つ……かな。どれも頻繁に見てはいないけど大事な場面で使っている。

 まずは何でも消す灰色。次に見せたのはベルトランとの戦いで見せた部分的に消す赤、セルヴァに出たジャルを角だけを残して消した青。そしてレパラルで見せた徐々に消していく緑と壊れた部分を消した黄色。緑の力はまだ慣れていないと言っていたけど……。

 「今の力、疲れたんじゃないの?」

 「え……」

 フジタカが身構えてこちらを見た。その反応に私は確信する。フジタカもナイフの力を使って消耗しないわけではないと。

 「胸を叩いてたでしょ?もしかして痛んだんじゃないのかな、って」

 急にフジタカが振り返れば、皆の視線も集まっている。気付いてない人なんて、誰もいない。口にしなかっただけだ。

 「気付いてたのか……」

 「うん。私もよく同じ目に合うから」

 気になっていたのはフジタカがナイフを一振りした後に胸を叩いた事。普段ならしない仕草に違和感を拭えなかった。

 「経験者は違うな、やっぱり」

 苦笑したフジタカに私は胸を張る。

 「伊達に何度も気絶してないよ」

 威張る事じゃないんだけど。だけど、だからこそ彼の状態は知っておかないと。

 「今も……痛む?」

 「いや、ナイフを振るった一瞬だけだった。でも、痛むのは初めて……かもしれない。レパラルの時も違和感はあったんだが」

 フジタカの喋りを止めたくなくて顔を覗き込むだけで続きを促す。

 「なんか胸がもやもやして、痒かった。これ以上続けたら危ないって思ったから緑は止めたんだ」

 「でも、ずっと使ってたよね?ナイフ」

 あのライさんが壊し尽くした大量のマスラガルトとスパルトイを消したのはフジタカだ。緑の力や、さっきみたいな一度の能力行使で胸が痛むのなら、普通は他の力でも影響が出そうなものだ。

 「灰色……いつも通りに使う分には変わらないんだよな。別に胸も痛まないし」

 そこの違いが分からない。あれだけの数を一つ一つ消していた時には何も起きずに、今回は一度使っただけで胸が痛いなんて。胸が痛むという事は魔力を消費したという事だ。負担の掛かり方が違う……?

 「制限を掛けられる事に弱いのかもしれぬな」

 頭がこんがらがってきたところで振り返り、レブを見ると彼の意見が一つ。フジタカも思い当たる節があるのか声を上げる。

 「あー……。それも調整するっていうのに慣れてないからなのか?」

 「自分の身だ。自身で把握しろ」

 レブもトーロもフジタカの力が特殊過ぎて的確な助言ができないんだ。

 「分かんねぇから聞いてるんじゃねーか……」

 一番困っているのはフジタカ本人だ。手探りで自分の力を把握するにも、今は自分の力を分割して役割を決めるので精一杯なんだ。

 「フジタカ。アルコイリスってあと何色が残っているの?」

 「あ?ちょっと待ってな……」

 レブに口を尖らせていたフジタカだったがナイフを取り出して柄の宝石を回す。

 「……えー、あと二つ……かな」

 「二つ……」

 合わせて七つの力、か。残りの二つにはどんな役割をフジタカは与えるんだろう。

 「カスコでさ、フジタカの力の仕組みが分かるといいね?」

 「そんなピンポイントで分かるもんか……?」

 カスコにはこの世界のモノ、そしてこの世界が取り入れた異世界のモノが集まる。だったらフジタカとナイフの力によく似た何かがあるかもしれない。もしくは、カスコの学者さんがフジタカの力を見る事であっさりと謎や理屈を解明してくれたりして。何も必要なのは同じ武器だけではない。知識だって力と成り得るんだから。

 「でも、フジタカ君の力を知れるとしたらカスコを置いて他にないとは思うわ」

 どちらかと言うと直ったチコの鞄がどうなったか様子を見ていたカルディナさんもしっかり話は聞いてくれていた。チコも何度かわざと負荷を掛ける様に軽く引っ張っていたが顔を上げる。

 「珍しいもんはまずカスコ、って感じしますもんね」

 「そういうもんか……?」

 ウーゴさんも同意するがフジタカはまだ腑に落ちない様で首を傾げた。

 「だったらなんで俺とデブはすぐにカスコで解剖されたりしなかったんだ?」

 「そんなに危険な場所じゃないからね……」

 変な想像しないで欲しい。技術の取入れはあくまでも客人インヴィタドに同意を得てやっている。無理矢理に盗み取ったり、まして呼び出したインヴィタドの解剖なんて。

 「答えは単純。田舎もんだからだよ」

 チコが半ば投げやりに言って歩を進める。フジタカを追い抜いて荷物を背負い直した。

 「トロノからでもガランに情報が届くまで時間がかかる。更に、ガランからトロノに戻るまでにも時間が掛かる。どうかしらね、トロノのフジタカと言って通じる召喚士ならいるかもしれない」

 カルディナさんはフジタカだけに言うものだから私はレブに向き直る。

 「レブの名前だって、もしかしたら……」

 「気遣うな。何とも思っていない」

 レブってフジタカの活躍は楽しんで見ているのに、自分の活躍を主張しようとあまりしたがらない。本人は話題の影の立役者だったりするのに。あまり人に知られたくない、とまでは言わないけど……。

 「じゃあティラドルさんの名前ならどうかな?」

 「………」

 レブの目がカルディナさんの方を向いた。

 「緑竜人を召喚したというソニアの話なら、早い段階でガランに届いていてもおかしくないでしょうね」

 あの頃のレブは竜人として認識すらされていなかった頃かな。そもそも、レブの姿が今の状態になったのだって今回の契約行脚が始まってからだ。なのに最初からレブはこの姿だった様な気さえしてくる。私にそこまでの力は無かったのにね。

 「ティラドルさんの事、やっぱり気になるんだ?」

 「竜人だからなどと、過剰にもてはやされていつか醜態を晒す奴の姿を想像しようとしただけだ」

 そんなティラドルさんをレブが颯爽と助ける……なんて姿は思い浮かべられない。素直に心配って言えば良いのに。


 それから三日後、カスコまでの行程途中に私達はガロテという名前の町に到着した。シタァに比べれば観光者の量は半数以下。この先は到着しただけで楽しい土地、とは言えない。何かしら夢や野望、目的を持って訪れた目力を持つ者が主にカスコへ向かう途中に立ち寄る町だ。規模はトロノと大きく変わらない。人口は若干少ないくらいだった。

 「遠い……!」

 ガロテの宿に着いて開口一番、チコは宿の受付に荷を置いて声を洩らした。

 「遠くに町が見える!って思ってからが長いんだよな」

 開けた視界が仇になって私達は遠くにガロテの姿を臨みながら歩いていた。夜になれば町の灯りも見えていただけに、着きたくても着けないのはもどかしかった。まして、夜になると冷え込みも激しかったから雨風を心配せずに建物の中で眠りたい気持ちは募る一方。今日はぐっすり眠りたい。

 「私とザナさんは一緒の部屋でいいでしょう?」

 「え……」

 部屋割りを決めるカルディナさんに口が反射的に動き、それを理性で止める。一瞬の間でもカルディナさんは見逃さないでこちらを見る。

 「どうかした……?」

 「いえ……。それで、お願いします」

 どこも物騒ではないと限らないから自分のインヴィタドと一緒の方が良いのではないかとか、それもあるけど考えていたのは全く違う事だった。だけど私は了承する。

 本当は、ニクス様と同じ部屋の方が良かったんじゃないのかな。一緒に過ごす時間がただでさえ限られているんだし。きっとシタァの路地裏から一転して、この数日は多少会話があるだけだったと思う。こんなに近くにいるのに、一緒になれないなんて辛いんじゃないかな。トーロだけなら、トーロが席をわざと外したりもできるんだろうけど、今は男性陣全員を引き付けるなんてまずできない。

 私情を抑えて言ってくれているのを無理に変えるのも悪い。私は何も知らない事になっているんだし。

 「………」

 「ザナさんも疲れた?」

 部屋に通されても私は会話すらぎこちなくなってしまっていた。あの二人を見た後に自分に何ができるかなんて、考えるだけ野暮なのだろう。そっとしておくのが一番。だけど態度に意識した状態が野ざらしで出てしまっている。

 「船旅じゃないだけ気分は良いです。少し空気は湿ってる気がしますが」

 「夏場は蒸れるけど、確かにトロノやセルヴァとは空気感が違うかもしれないわね」

 カルディナさんは微笑み椅子に腰掛けると、同じく座る様にもう一つの椅子を勧めてくれる。私も自分の荷物を部屋の隅に置くと窓際の椅子に腰掛けて外を眺めた。足の火照った筋肉の熱がじんわり上半身の方へも上がってくる。

 「あれ……」

 窓を見て、すぐにフジタカの後姿が見えた。あの長い尻尾と毛を生やした姿をそう見間違えることはあるまい。

 「何か見えたの?」

 「あぁ、なんでもないんです」

 どこかに行くのかな……。って、どうして私も咄嗟に話さなかったんだろう。

 「……あの、ニクス様と話があるんじゃないんですか?」

 私が切り出すとカルディナさんは太腿を揉みながら顔を上げた。

 「どうして?補給の段取りとかはあるけど……」

 「でしたら私、ちょっとレブとこのガロテを見て回ってきます。時間、ありますよね」

 ぷつぷつと熱を持った足が震えるのが分かるのに、私は立ち上がって自分の財布だけを手に取った。カルディナさんの質問には何も答えていない。

 「……遅く、ならないでね?」

 「陽が暮れた直後位に戻ります。じゃ、行ってきます」

 ニクス様と二人の時間を作る。そんな大層な理由じゃない。何となく知ってしまってから気まずくなっているんだ、私が勝手に。

 「レブ、いる?」

 レブとニクス様が借りた部屋へ訪れると、すぐにレブが扉を開けてくれた。

 「貴様から会いに来」

 「出掛けよ!」

 話す間も与えず、すぐにレブの手を取って引っ張り出したが彼の重みを引き摺る力は無い。容易く振り払われて懐疑の目を向けられてしまう。

 「貴様、宿に着いて早……」

 「ブドウ買ってあげる!」

 「………」

 小銭を一枚レブに突き付ける。話なら後でも聞くから、今は言う事を聞いて……!

 「……少し出る」

 「承知した」

 振り返って一言、レブが言うと奥からニクス様の返事が聞こえた。私も何か言おうとしたが止めておく。

 「行こう!」

 再び取った手をレブが振り払う事は無かった。約束通りに私は途中で見つけたブドウをレブに持たせてやる。それだけでレブの疑念はほぼどうでも良い事へと変わってしまう。ずるい方法だけどね。

 「どこか休めそうなところ、あった?」

 もう人目なんて気にしないで私はレブを町中で飛ばせ、休憩できる場所を探してもらった。目立つ行動は慎むのが当然だが、私もなりふり構っていられない程度には疲れている。

 「噴水が設置された公園を見付けた」

 「距離は?」

 「角を曲がればすぐだ」

 レブは腕を広げたが、私は首を横に振る。流石に運んでもらうのを人に見られたくはないし。

 「休みたいのであれば私の腕の中にいればいい」

 「……それはそれで落ち着かないの!」

 身体は休まっても気持ちがって言うか……とにかく、そのブドウを食べちゃってよ。

 「わぁ……!」

 レブの言っていた通り、歩いて程なくして噴水が広場の中心で透き通った水を絶えず噴射していた。半円状に拡散された水は陽の光を反射してキラキラと輝いている。

 「やっと休める……」

 「ふむ」

 レブはやっぱり疲れてもいないのか私が手近な木製の長椅子に腰掛けると、とりあえず隣に座った。そこでようやくブドウに手を付ける。

 「貴様の意図が読めたぞ。契約者と牛の召喚士の件だな」

 「うん」

 レブが一粒呑み込んでから口を開く。察してくれたのは有難い。

 「余計な真似をするな」

 しかしレブからの助言は厳しめだった。

 「分かってるってば。……だから、ニクス様に何も言わなかったでしょう?」

 実はレブを連れ出す時に本当だったらカルディナさんが呼んでいるって話もして二人を会わせようと思った。だけどそれこそ余計な真似だ。

 「その口振り、牛の召喚士には言ったのだな」

 「……はい」

 揚げ足を取るわけじゃなく、レブは私の行動を読み切った。ブドウにさり気無く手を伸ばしたがレブは手を軽く動かすだけで避けてしまう。そのまま私はレブの膝に倒れ込んだ。

 「……二人とも、疲れてそれどころじゃないかな」

 ゆっくり休んでから時間を作れた方が……って、これも余計なお世話なのかな。なんでこんな事を私が考えているんだか。

 「考え方を変えれば良い」

 レブの固いのに弾力がある膝に手を置いて起き上がる。ブドウを手に持っていたので口を開けて見せたら彼は片目を細めた後に渋々一粒、口に入れてくれた。

 「うーん……」

 頬張りながら唸るなんて行儀が悪いけど、レブの表情は穏やかなものへと変わる。

 「……私がレブと過ごしたかった、とか」

 口に出してから自分でも何を言っているのか。目が合った途端に私はレブと顔が近かった事に気が付く。

 「……ごめん。レブも疲れているのに」

 「私は気にしない。歓迎するぞ、たとえ深夜の逢瀬でもな」

 レブも恥ずかしいのに勇気を出して言っている。彼なりに和ませようとしているけど、大抵冗談がソッチ方面なのはどうしてなのかな……。

 「そんで?お前らはお疲れのところにわざわざ出て来て、ブドウ食ってるだけかよ」

 「あ!」

 突如後ろから聞こえた声に私は立ち上がる。その間に声の主、フジタカが前に回り込んできた。

 「フジタカ……」

 「なんだよ、俺を探しにでも来たのかと思って話し掛けたのに」

 そうだった……。フジタカの後姿、見てたから探そうと思ってたんだ。レブと話していてすっかり飛んでいた。

 「どうやら違うみたいだな……」

 「う……」

 その通りです、ごめんなさい。

 「散歩、してたの……?」

 「そんなとこかな」

 こちらからも出掛けた動機を聞くとフジタカは服のポケットに手を入れて答えた。

 「だったらその剣は要るまい」

 「う……」

 私と同じ反応をしてフジタカが呻く。レブが見ていたのはフジタカの背負ったニエブライリスだった。

 「特訓?」

 「そんなんじゃねーよ。俺だって疲れてるし」

 言って、フジタカが長椅子に座る。私も二人の間に腰掛けた。椅子がミシ、と軋んだ音を立てたのは私のせいじゃない。たぶん、大の男が二人既に座っていたからだ。断じて私が太ったとかではない。

 「少し素振りできそうな場所を下見してたんだ。あとは……」

 フジタカがニエブライリスの柄を掴む。

 「コイツを握ってる時間を増やしたい。そうしたら、俺の無意識がコイツを自分の一部と認識して……間違って消したりしないんじゃないかな」

 試せるならば手近な事から何でも試したい様子だった。でも、私もフジタカの考えには賛成する。

 「それ……」

 「考えが甘い」

 賛同する前に反対から声がした。レブはブドウだけを見て口に詰めながら言った。

 「どこがだよ。そんなスッパリ斬るんだったら何かお考えがあるんだろうな?」

 「無論」

 レブはブドウをもぐと口に入れる前にフジタカを見た。普通に話せば良いのに、その態度だと睨んでる様に見えるよ。目付き鋭いだけなんだろうけどさ。

 「その考えは犬ころ自身があのナイフに触れても消えないという自覚があって、初めて可能性を得る。もしも最初から消えるかもしれないなどという不安を拭い切れていないのなら、試す価値も無い」

 「あ……」

 フジタカが握る事であらゆる物を消せるナイフ。それをフジタカが自分に使ったら……。

 「………」

 やっぱり、そこは考慮していなかったみたいでフジタカは黙ってしまう。彼自身が日中、自分にナイフを突き立てても何も起きないかどうか。そんなの今の段階では試す事もできない。

 「……ちぇー。思い付いたの、これくらいだったのにな」

 切り替えたのかフジタカは苦笑して頭の後ろで手を組み背もたれに体を預ける。ニエブライリスも外して脇に立て掛けた。

 「近道をしても無駄だ。道を阻む崖を越えたいのなら、翼か越えるだけの脚力を身に付けてからにしろ」

 「でなきゃ地道に歩くだけ……。急がば回れって事な」

 レブが伝えたい事はフジタカに伝わっていると思う。だけど、今は歩こうにも目の前がもやもやと霧に包まれているんだろうな。

 「今なら使いこなせると思ったら、その使い方を試せってポルさんは言ってくれた。試そうにもなぁ……」

 心当たりがあれば私だってフジタカに何か指針を示したい。でも率直に言って今フジタカがナイフを誤って使って、万が一にでもいなくなられでもしたら戦力は大きく下がる。

 「堅実に進んでいるとでも思えればいいんじゃない?ね?」

 何日か前だって、チコの鞄を直してくれたんだし。

 「何も急げ、焦れとまでは言わん。その調子で進むのを周りと、そして自分が許すか。それだけだ」

 「おう。やってみるよ」

 フジタカは諦めてはいないみたいだ。その闘志は多分、フエンテにいるお父さんに向けられているんだよね……。

 私達だってカドモスとまた戦う事になる。ココをあんな扱いにした連中が裏で得体の知れない事をしているのなら、私達召喚士が止めないと。

 「……戻ろうか。やっぱりしっかり寝てゆっくり休むのも必要だし」

 「召喚士の意に従おう」

 「じゃ、とりあえず俺も」

 レブとフジタカが同時に立ち上がる。私もちょっと遅れて立つとだいぶ足の疲労も取れていた。でも歩くと痛むんだろうなぁ。

 「あ、あの……」

 「え?」

 宿に戻る道を確認しながら歩き出そうとした矢先、別の声がこちらに向けられた。見れば、知らない少女が長い丈の白いスカートの裾をキュッと握り締めながら私を見上げている。

 「……私?」

 確認の意味を込めて自分を指差しながら黒髪の少女に尋ねると彼女は頷いた。

 「お姉さん、召喚士です……か?」

 舌足らずな言葉遣いで質問してきた私は体を屈めてから頷いた。

 「うん。私はザナ。あなたは?」

 「アイナ」

 名乗ってくれた少女は手をスカートから離そうとしない。漂わせる緊張感は私にも伝わってくるのでこちらも慎重に言葉を選ぶ。

 「えっと……私に何か、ご用事?」

 十歳にも届かないくらいの少女は潤ませた目で私をじっと見ている。

 「この子!可愛いでしょ!私の一番の友達なの!」

 右手をやっとスカートから離すとアイナちゃんは力強く自分の傍らにいた小動物を指差した。私は彼女にばかり気を取られて、後ろに控えていた子犬の姿を見落としていた。

 「ワン!」

 一声吠えると子犬は尻尾を振ってアイナちゃんの周りをくるくると走り出す。一瞬、インヴィタドかと思ったけどそうではないみたい。よく見ると毛並みの模様がフジタカによく似ている。

 「ふふっ」

 「人の顔見て笑うのってシツレーだと思うぞ」

 自覚はあるのかフジタカも苦笑してアイナちゃんの犬を見ていた。

 「お姉ちゃん、犬のいんびたどと竜のいんびたどを連れてるんでしょ!すごい!」

 「いっ……!」

 フジタカの反応を見るに、どうも自分が人狼である事に何らかの拘りがあるみたい。レブこそ犬ころとかわんころって言っても諦めてるけど、こういう小さい子でも反応してしまうもんなんだなぁ。でも、怒り出さないだけ立派。

 「あっちのレブは私のインヴィタドだけど……フジタカ、オーカミさんは違うんだ。私の仲間」

 「ふーん?」

 アイナちゃんは私の横から覗き見る様に二人の姿を見ている。何かやって、と目配せするとすぐにフジタカは笑顔を見せて軽く手を振る。しかしレブは腕を組んで微動だにしない。あれは絶対扱いに慣れていないみたいだ。

 「レブ!と、フジタカ!」

 「そうそう」

 それぞれを指差してアイナちゃんは二人の名前を覚えてくれた。

 「召喚士のお姉ちゃん!」

 ザナって名乗ったんだけどな……。私の方は召喚士という部分が強く印象に残ってしまっているみたい。

 「どうしてガロテに来たの?」

 「契約者と、儀式で回っていたんだよ」

 彼女からの陽気な質問に答えると更に表情が明るくなる。

 「わぁぁぁ!契約者様も来ているの!?私も、召喚士になれる?」

 「アイナちゃんは契約の儀式、まだやっていなかったの?」

 これくらいの子ならギリギリ儀式をまだしていない人もいる、かも。アイナちゃんは力強く頷いてくれた。

 「ねぇ、契約者様はいつ儀式をしてくれるの?夜!?」

 「え?うーん……。今日着いたばっかりなんだ。だから……たぶん、明日か明後日かな?」

 この町でも儀式はカスコに向かう事を優先して帰り道に行う、なんて話は聞いていない。だったら執り行うと思うんだよね。少しでも路銀は必要だし。

 「楽しみ!召喚士のお姉ちゃん、教えてくれてありがとう!」

 不確かな情報だけどアイナちゃんはこうしてはいられないと子犬を抱えて公園の出口へ向かう。

 「私、召喚士になる!お姉ちゃん、レブ、フジタカ!またね!」

 無理矢理抱っこしている子犬がアイナちゃんの腕の中でもがいていた。翻弄されながらもしっかりと抱え直してアイナちゃんは走り去っていく。

 「またねー……ってか」

 フジタカがは私の後ろでしっかりと愛想を振りまいて手を振ってくれていた。アイナちゃんが見えなくなると手を下ろしてしまう。

 「なーんか、どっかの誰かさんの小さい頃ってあんな感じだったんだなーって容易に想像できるよ。な、デブ?」

 「さぞ愛らしかったのだろうな」

 話を寄越されたレブの反応を見るに……。

 「え?私?」

 「他に誰がいんだよ」

 呆れた目で見るフジタカにレブも同意している様だった。

 「私……あんなだったかなぁ……?」

 召喚士を見ただけで居ても立ってもいられない。契約者が来るなんて知ったらそわそわして落ち着く事もできずに浮かれて町を走る。……あぁ、私かも。

 「あんなに無邪気で可愛い子ではなかった、かな」

 私が召喚士を夢見たのは自分がビアヘロに襲われたからだ。もしかしたら、さっきの短い時間に聞けなかっただけでアイナちゃんも似た経験をしているのかもしれないけど。

 「安心しろ。今の貴様は十分に……可愛い」

 「……あ、ありがとう」

 礼をいう所じゃないかもしれないけど。レブに言われて悪い気はしない。

 「俺、邪魔か?」

 「違うってば!」

 そこは空気を読まないでよ。この場で気を使われて二人にされた方が……。って、それはニクス様とカルディナさんも同じなのかな……。でも、本人には聞けないし。

 「ブドウ、食べ終わったなら戻ろうよ。フジタカももう十分でしょ?」

 「うむ」

 「そうだな。夜に出歩いて職質されたくないし」

 何よりも疲れが判断を鈍くする。こうして落ち着いて休める場所を見付けられただけでも今日の探索は成果があったと言える。

 「あら、おかえりなさい。見えてたよ、フジタカ君も一緒だったんだ」

 「遅くなりました」

 部屋に戻ると、出て行った時と同じ椅子に座ってカルディナさんが迎えてくれた。……もしかして。

 「ずっと、部屋で休んでたんですか?」

 こちらの予想に反してカルディナさんはいいえ、と答えた。

 「さっきまでニクス様が来ていたわ。少しザナさんのベッドに座ってたんだけど……」

 見ると、確かに一度も腰掛けていないベッドの毛布が一部分だけ凹んでいた。

 「気にしないです」

 それよりも、二人の時間を作れたのなら良かった。……大人なんだから、自分達で作れそうだけどね。でも、もしトーロがシタァで言っていた様にカルディナさんが要らない気後れをしていたらそれは違うと言いたい。ニクス様が行動を起こしてくれて良かった。

 「ガロテの町、どうだった?」

 「トロノに居た頃を思い出しました。近くに噴水のある公園があって、綺麗でしたよ」

 こちらも視察に出歩いた報告を簡潔に。

 「あと、召喚士に憧れる女の子に会いました!フジタカにそっくりな模様の子犬を連れていて可愛らしかったです」

 「そう。だったらザナさんは憧れられたんだ?」

 言い方を変えて聞かれて困ってしまう。あの子……アイナちゃんは何を見ていたのかな。

 「私個人と言うより、召喚士そのものに強い気持ちを持っているみたいでした。レブやフジタカを凄いとは言ってましたけど」

 単に人外を連れた少女、という見た目が派手だから凄いと感じたんだと思う。あんなに小さい子が竜人や獣人の召喚難易度を把握してるわけじゃないもん。

 「それでも、その子にとってはザナさんも私もその凄い召喚士の一人なんでしょう?だったら、もう少しシャンとしないといけないかな」

 肩を回してカルディナさんが姿勢を正す。私は自分が部屋に着いてすぐ使っていた椅子に座ってカルディナさんに言われた事を反芻してみた。

 私だって憧れられる召喚士、か。きっと私がアイナちゃんだったらそう見えるんだろうな。

 「ガロテで契約者の儀式はやるんですか?」

 「ニクス様はそのつもり。やる気もみなぎっておられたから」


 だったらまた、きっとアイナちゃんに会える。私も召喚士として頑張ってみようかな。

 「カルディナさん、インク持ってましたよね。あと、余っていたら召喚陣用の羊皮紙……分けてもらえませんか?」

 先程まで抱えていた疲れがやる気によって見なかった事にされていく。疲れを上書きするだけの集中力を全身に巡らせ、私が訪れたガロテの最初の一夜は更けていった。

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