第六部 二章 ーエネミゴ・イ・アミーゴー

 フジタカを私達の部屋で保護して既に三日。そろそろ周りの目も気になってきた。

 と言うよりも、私がフエンテに再度遭遇して精神的に参っている……という設定がトロノ支所内で噂になっているらしい。レブが意図してやった事だし、嘘でもなかった。……また、あの嫌でも印象に残るべっとりとした笑顔を見るなんて思っていなかったから。

 そのおかげで私のお見舞いにソニアさんやティラドルさんも来てくれる。だからこそ、来る度にフジタカも部屋に居るものだから首を傾げていた。

 「外、出たいんじゃないのか」

 そう言ったのは私の机に向かっていたフジタカだった。ベッドに座る私ではなく、自分の手元を見てペンを走らせている。

 何を話そうか、と自分の考えを纏めているそうだ。書いてる文字はフジタカの国の言葉で、私には一文字も読めない。後からそれを書き直すか、それとも読み上げるだけにするかは聞いていない。

 「フジタカこそ。散歩もできないんじゃ気が休まらないんじゃない?」

 「ザナまで俺を犬扱いする……」

 しまった、そんなつもりじゃなかったんだけど。誰かさんの接し方がうつったかな……。

 「……あぁ、駄目だっ!」

 少ししてフジタカは牙を見せながら声を荒げて紙をグシャグシャに握り潰す。すぐにナイフを取り出して刃先に触れさせ、紙は消してしまった。

 筆が乗ろうが乗るまいが、最後はこうしてフジタカはナイフで紙を消してしまう。だから記録として残さずに一から書き直す羽目になる。考え方は悪くないけど、進展はあまりないみたい。

 「空気の入れ替えでもしようか」

 私は立ち上がると窓に手を掛けてゆっくりと開ける。気温もだいぶ低くなってきたから全開にはしない。

 「はぁー……良い風」

 人がいるだけで湿気は部屋に籠ってしまう。三人いればなおの事。窓を開けるとすぐに乾燥した冷たい空気が流れ込んでくる。少し火照った頬を風が撫で、どこからか焼き立てのパンの香りも運んできて鼻をくすぐった。

 「食事時か」

 椅子に座り静かにしていたレブが口を開く。最近はずっとレブに食事を運んでもらっていたから私が先に部屋の外へ向かった。

 「お昼くらいは私が行くよ。そろそろ……怪しいと思われるし」

 「だったら俺も少し外に出た方がいいかな?」

 フジタカは調子が戻ったというよりはなんとか落ち着きつつある状態。今ならチコと突然会っても何も言えないって事はない、と思う。

 チコの状態が分からない。ソニアさんに話を聞いて、ティラドルさんにはそれとなく探りを入れてもらった。

 どうやら怪我は翌日の夜になってから医療班に見てもらったそうだ。それからは同じく部屋に閉じこもり、たまに食事に短い時間出てくるといった様子だったらしい。

 「……行ってみようか」

 「おう」

 チコの部屋の前は通らないけど……歩きながら誰かに会えたら聞こう。レブとフジタカを連れて私は食堂へと向かった。

 「体調はもう良いのか」

 「どうしてもお腹は空きますしね」

 特に親しい人には会えずに食堂へと着いてしまう。食堂のおじさん、クルスさんが私の顔を見て気遣ってくれるので大丈夫とだけ伝えておいた。

 同じ様に珍し気にこちらを見ている他の召喚士はいたけどチコはいない。食事を終えたので、一度部屋へ戻ろうと三人で話していた時だった。

 「あら?」

 聞こえた声に私は目線を向ける。そこにいたのは食事を乗せたお盆を持ったカルディナさんだった。

 「そこ、空いてる?」

 「はい!」

 カルディナさんが私達の正面に移動して座る。食事はまだこれからみたい。

 「……準備はまだでいいの?もう出発したとばかり思っていたけど」

 「え……?」

 急に話を振られて固まったのはフジタカだった。だけど私も本人も、レブも内容を知らない。

 「え、って……。チコ君が朝に所長から呼び出されてビアヘロ退治に……」

 「……っ!」

 フジタカの毛皮がカルディナさんの口が動くごとにどんどん逆立つ。驚きの声を上げなくてもその反応で簡単に見抜かれてしまう。

 「まさか、知らなかったの?じゃあ彼……」

 「あ、あの!カルディナさんはチコが向かったのはどこなのかってご存知ですか?」

 咄嗟に私は立ち上がる。

 「あ、アルパの途中よ。ほら、貴方達が前にソニアとインペットを退治した場所からそう遠くないけど……」

 「私、ちょうど今日は手が空いているのでチコの加勢に行きます!いいよね、フジタカ?」

 「た、頼む」

 何が起きているかの把握は後にしよう。今は動いて追い付かないと。チコが朝に出発したなら無理ではない。

 一瞬の目配せで口裏を合わせてくれたフジタカの機転に私とレブは席を立つ。

 「セルヴァの試験で一緒だったルビーさん、で良かったかしら。彼女も実戦に出てみるそうよ」

 ルビーの名前が出てきて私は更に肝が冷える。もしかして、ルビーも新しいインヴィタドを試そうとしてチコと組んだのかも。

 「どんなビアヘロなんですか?」

 「タロス、らしいわ」

 努めて聞き流してカルディナさんから情報を引き出す。フジタカには下手に喋らせてはいけない、悟られるから。

 「……巨人像、ですよね。タロスって」

 読んだ文献では雄牛の戦士姿を象った像で怪力の持ち主……言わば、戦闘に特化させたゴーレムの上位互換の様な存在だ。おいそれと真似して自力で作れる代物ではない。

 「トーロみたいな見た目をしてるそうだから、見れば分かると思うわ」

 巨大になったトーロが暴れ回っている……。ルビーに任せるというのは分が悪い。それを任せるというのは、同行するチコが期待されているという証拠だ。加えて言うなら……それだけチコが召喚したモノが強力と思われている。

 「………」

 でも、その強力なインヴィタドとして扱われていたフジタカは私の隣で難しい表情をしていた。一刻も余裕は無い。

 「弱点は……」

 「踵、ですよね。分かってます!じゃ、行ってきます!」

 本で知っている怪物だ。対策方法も押さえてある。油断はしないけど一刻も早くこの場から去りたかった。

 「……気を付けて」

 いつもよりも何割か勢いを増して話していたものだからカルディナさんも深くまで追究しないでくれる。私達はほとんど飛び出す様にトロノ支所から出発した。荷物は最低限の治療品と武装だけ。腹ごなしには重いけど文句は後だ。ニクス様やライさんの話もしたかったけど今はチコが最優先。

 「狙うなら踵ってどういう理由だよ?」

巨人像、なんて言うくらいだからアルパの森近くまで行けば分かるかな。ソニアさんにも話を聞ければ良かったけど、行けない理由はそれぞれにある。所長だって適任と思って話したんだろうし……。

 「タロスって霊液って動力源が管を通して全身に流れているみたいなの」

 「燃料の入り口が踵にあるわけだ」

 「そういうこと」

 フジタカの理解が早くて助かる。三人で走りながら今後の事も考えていた。

 「来たからには、すれ違う事もないと思う」

 「分かってる……」

 トロノを出発してから街道に出ても誰にも会っていない。チコとルビーが先にタロスを撃退したとしても、戻る時間を考えればトロノの街角で互いに気付かなかったなんて事は有り得ない。となれば、まだどこかにいると思う。フジタカの顔には疲れとは違う苦々しさが浮かんでいた。

 「悔しいのならば見返してやれ。できるだけの力は持っているだろう」

 レブが前を見据えたままフジタカに発破を掛ける。そうだ、私達だって一度やった事がある。

 「考えた事も無かった……。でも、俺が気付いてなかっただけなのかな」

 これ以上走っても着いてから疲労で動けなくなる。だから私達は今の速度をなるべく保っていた。そうなると焦っても到着するまで時間がある。自覚さえしてしまえばこの移動時間は自分を見つめ返す良い機会でもあった。

 「フジタカは……チコをどうしたいの?って、それを悩んで手紙書いてたんだもんね」

 「あぁ……」

 真っ直ぐ走っているがフジタカの目線は低い。答えはまだ霧の中に隠されたままらしい。

 「見えたか」

 「……うん」

 答えを聞く事ができぬままにレブが指差す。しかし私も森の中をじっと見ていたから気付いた。

 何か大きな影が木々の中で動いた。ほら、今もまた。同時に何かが倒れ、鳥が何羽も一気に空へ飛ぶ。何かから逃げる様に。

 「………」

 フジタカがニエブライリスを抜き、アルコイリスも展開する。私達は慎重に、だけど呼吸を整えながらも影が見えた先へと急いだ。

 「うっ……!」

 「ルビー!召喚陣を破け!」

 森へ入ると木が折れる音がバキバキと何度も聞こえていた。更に音のする方へ近付いたところで声も耳に入る。聞き間違えるわけがない。私とレブはフジタカよりも先手を打って前へ出る。

 「レブ!左腕から!」

 「承知!」

 インペット達がいた場所ももっとアルパに近い場所。そこに二人の人間と、人型の巨像が立っていた。

 重く木漏れ日を反射する青銅の巨体。人型をしたソレは頭から雄牛と同じく長い角を二本生やしていた。何の原理か銅像が動くものだから、少しの挙動でもあちこちから銅粉がパラパラと宙を舞っている。どうして動いているかと言えば、その左腕にあった。

 「く、うう……」

 タロスに攻撃したのだろう、巨人像の左手には大きな火の精、サラマンデルが握り締められていた。それを召喚したのは恐らく私の横で胸を押さえて苦しんでいるルビーだ。

 「ザナ!お前……」

 ルビーは魔力線の共有のせいか動けない。チコは召喚陣を破いてサラマンデルを消す様に言ったみたいだけどそれすらできそうになかった。初めての経験で慌てているらしい。

 「火蜥蜴一匹か……だが!」

 レブはタロスの体を駆けあがると腕を殴る。ギン、と鳴り響いたのは金属同士がぶつかる様な高音だった。火花を散らし像の指が大きくひしゃげて変形する。

 「動かせんのか」

 石柱同然の剣を握った右腕からの反撃を飛び上がって避け、左前腕に着地する。その間にもサラマンデルはタロスの左手の内から脱出できない。ルビーが命令を出せないからだ。レブも気付いてルビーを一度見るとタロスの顔を狙う。

 「ルビー!捕まってるのはあなたじゃないでしょ!」

 「あう……。これ、そうだ……」

 私が肩を揺するとなんとかルビーが顔を上げる。

 「きょ、距離を取って!掴まれたら焼き殺される!」

 「私を焼ける火では……ない!」

 剣を放り、直接掴みに掛かるタロスの手を躱し、レブはもう一本左手の指を殴って変形させる。その隙にサラマンデルが手から逃れた。タロスの足を這って着地するとすぐに召喚したルビーの元へと戻る。

 読んだ本ではタロスは霊液を自力で発熱させて炎を帯びるそうだ。ルビーも知っていたからレブに警告してくれる。しかしレブは攻撃を緩める気はなさそうだった。

 「チコ!」

 タロスの放った剣は木々を何本かへし折り、大きな音と共に倒れて地を揺らす。剣自体は私達に影響はなかった。しかし、折れた木の一本が離れて立っていたチコを潰す様に倒れる。大きな影が彼を呑み込む寸前、召喚陣の光が洩れた。

 「来い、やぁぁぁ!」

 倒れた木が押し戻される。現れたのはチコの倍程度の大きさのゴーレムだった。召喚士を庇う様にそれは腕を交差させて木を受け止めると力強く投げ飛ばす。

 「なんでお前がここにいるんだよ……!こんなの、俺一人でも!」

 チコはタロスに向かって叫びながら指を差し、ゴーレムをそのまま突撃させる。だが、人間と比べれば大きいゴーレムもタロスの腰までは届かない。

 「足場にはいいか」

 「あっ!おい!」

 レブはチコのゴーレムに着地すると肩を蹴り上げ再びタロスの顔を殴り付ける。頬が凹んでもどこを見ているか分からない巨人像は仰け反る様子も見せない。痛みを感じないから当然で、遂にレブが右手で掴まれる。

 「く……」

 「レブ!」

 そのままタロスは右腕を地面に叩き付ける。大きな土煙を上げてレブは地中にすっぽり拳ごと埋まってしまった。

 「がぁぁ!」

 チコが叫ぶ。しかもゴーレムまで巻き込んでしまったんだ。

 「サラ……」

 「大丈夫だ……」

 ルビーが再びサラマンデルをタロスに挑ませようとした。それをチコが足元をふらつかせながら止める。

 「まだ、俺は戦えるっ!来いやぁ!」

 再びチコが召喚陣を掲げて声を張る。呼応する様に紙に描かれた陣が光り出し、先程と同じ程度の大きさのゴーレムが現界した。

 新しいゴーレムを見て私は息を呑む。チコの召喚したゴーレムは今まで見た事が無い。慣れていない召喚士は、自分よりも体躯の大きなゴーレムは御し切れないから召喚してはいけないと言われていた筈だ。召喚する力量や技術があっても今のチコに扱えるのかが分からない。今のところは言う事を聞いているけど……。

 無言のタロス像が顔を上げて正面を見た。白目を剥いた像よりも格が見えているゴーレムの方がなんとなく視線を感じる。目が合った状態なのだろう、タロスは変形したままの左手を突き出し、あっという間にゴーレムを打ち砕いた。

 「くっ……まだ……。まだ!来いや!」

 動きが硬い。だからタロスからの一撃へ防御も迎撃もできずに無防備なまま突っ込んでしまう。既に汗だくになっていたチコだが更にゴーレムを呼び出す。恐らく、私達が到着する間にもっと多くのインヴィタドを呼び出していたと思う。息も絶え絶えになりながらゴーレムが出現したがチコは動かない。

 「チコ……?」

 「はぁ……っはぁ……はぁ……」

 私が声を掛けてもチコは何も言わない。ゴーレムも動こうとしなかった。

 召喚するのでもう手一杯。顔色も悪く、今にも倒れてしまいそうになりながらも胸を押さえて枯れた声を絞り出す。

 「い……けへぇ……」

 その声が届いたのかようやくゴーレムはのっそりと前へ歩く。とてもではないが勢いを乗せた攻撃をする事はできそうにない、ただの前進だった。

 チコの声がひっくり返った命令でもゴーレムは動いてくれた。それが通用するかは別問題。

 「避けさせて!チコ!」

 「………」

 私が叫んでも遅い。チコは無言で動こうともしなかった。辛うじて立っているだけで声も発せられそうにない。

 「っ……!」

 本当は私が言うべきではない。だけどこのままじゃ魔力共有も切っていないであろうチコはゴーレムが打ち砕かれると同時に倒れる。

 そうなってしまってからでは遅い。伝える気持ちがどこを向いたとしても、言う事もできないなんて……耐えられるものではない。

 息を吸い込む。気を入れ直す程でもないんだけど。

 「……フジタカ!」

 それでも、私は……私が、彼を呼んだ。茂みから飛び出た影はすぐに私達の横を通り抜け、地面を削って滑りながら止まる。彼の姿がチコの目にも入り、瞳が明らかに揺れる。

 「おぉぉぉらっ!」

 しかし今はそれどころではない。フジタカは真っ直ぐに縄付きナイフを投擲し、見事にタロスの踵に刺さっていた釘の様な栓を消した。

 「うわぁっ!」

 その直後、踵から緑とも青ともつかない奇妙な液体がタロスの踵から噴き出す。しかもそれは地面に触れて染みた途端にじゅわじゅわと泡立たせた。あれが精霊の魔力や霊力を液状化し、独自に技術に転用したた物……霊液らしい。実際に見るのは初めてだった。

 「こ、これでいいのか……?」

 「たぶ……」

 「違う」

 ナイフを手繰り寄せるフジタカに返事をしかけて、レブの声が聞こえた。直後に埋まっていた拳が跳ね上げられ、彼は飛び出しながらタロスの顔面を蹴倒してしまう。

 辺りに大きな地響きを鳴らしてタロスは倒れる。なんとか立ち上がろうしている様だったが、その前にレブが走って零れる霊液に爪の先を浸けた。

 「この液体がある限り動くと言うのなら……!」

 「っ……」

 胸が痛む。レブが魔法を発動させて霊液へ放電する。電気は霊液を伝わってたちまちタロスを内部から感電させた。膝立ち状態になってタロスは天を仰ぐとやっと動かなくなる。

 「……今度こそ終いだ」

 痛みが治まりレブが手を地面から離す。しかし、ずん、と私達は止まぬ地響きを聞いて振り返る。

 「う、うああ……あ…」

 そこに立っていたのはチコとゴーレムだった。チコが言葉にならない声を上げ、ゴーレムは構わず森を歩く。

 「………」

 大きさはレブの本当の姿よりも小さいくらい。木にぶつかって肩が崩れるくらいには脆かった。しかしどこかへ歩き去ろうとするゴーレムをフジタカは逃がさない。もう一度ナイフを投げるとゴーレムは背中に刃が触れると同時に消え去った。

 「う……っ」

 ビクン、とチコの体が跳ねると彼は前のめりに体から力が抜ける。すぐにフジタカが倒れない様に抱き留めてやる。

 「大丈夫か、チコ!」

 「……おま、え……」

 チコはフジタカの服の襟を掴むとすぐに立ち上がる。ほとんど無い力でのろりとその肩を突き飛ばし、よろけながらもフジタカを睨んだ。

 「なんで、お前らがここに来てるんだよ……!」

 「チコ……」

 すっかり青ざめた顔でチコが浮かべた表情は私達への……明らかな敵意だった。

 「はぁ……っはぁ……!」

 「無理すんなよ、まずは……」

 「うるせぇ!」

 予測できなかったわけでもない。また前と同じ言葉が投げ掛けられるんじゃないかと思っていた。

 「俺はお前の力なんてなくてもできたんだ!できたんだよ、本当は!」

 チコは涙を溢し、唾を吐き散らかしながら静かになった森で叫ぶ。その様はまるで駄々をこねる……子どもだった。

 「……ふっざけんなよ、テメェ!」

 叱るとは相手へ語気を強めて注意する事。無論、大きな声や怖い顔をしないで相手の間違いを正す事だって叱ると表現できる。一方、怒るとは自分が腹を立てた事に対して起き上がってくる感情をぶつける事だ。

 いつだったかカルディナさんが道を歩きながら教えてくれた言葉をふと思い出す。今のフジタカは間違いなく、チコに対して怒っていた。

 「お前の勝手で、どれだけ周りが迷惑したか分かってんのか!」

 「俺は、できる……!」

 「何がだよ!ルビーさんを、お前の未熟さで死なすことか!?」

 ルビーは話に入らずに、ただ召喚陣を握り締めて下唇を噛み締める。俯いて目を伏せる彼女を見てチコは背を曲げた。

 「お、俺は……!」

 「逃げんな!」

 身を屈め、背を向け走ろうとしたチコをフジタカは一息で距離を詰める。すぐにその手は弾かれたが、私達も話を聞かせるつもりしかない。言いたい事があるのならもちろん聞く。だけどきっと悉くを言い負かせてみせる。今のチコに説得力なんて備わっていないもの。

 「怖いさ。嫌さ。でも……見てみろよ……!」

 フジタカが腕を広げ、チコがやっと辺りを見回す。へし折られた木、霊液を吸って泡立つ地面とそびえる巨人像という光景が広がっていた。それを見ればチコだってあのアルパを想起する筈だ。だって、あの日いたのは私達なんだから。

 「お前がもっと別の方法を取っていたら……」

 「もしもの話なんて……」

 「こうはならずに済む方法を、お前は知っててやったんじゃないのか!」

 弱々しいチコの反論を覆い被せる様にフジタカが言った。力の抜けたチコはその場に尻餅をついて座ってしまう。

 「く……っ」

 この折れた木を復元する事はできない。だけどチコは未然に防ぐ術を幾らでも知っていたのに、ルビーだけ連れて来てしまった。

 「認めろよ。お前だけの力じゃ……何もできなかったろ」

 「……お前は」

 チコが笑う。

 「お前は……俺よりももっと優秀な召喚士のとこにいけよ!ザナみたいな特待生のところにな!」

 「だから俺は、ここにいるんだろうがぁ!」

 フジタカがチコの胸ぐらを掴んで持ち上げる。その姿にはルビーも声を洩らした。

 「あ、あれ……!あんなの!」

 「待って」

 止めようとしたルビーに私が頼む。

 「お願い。あの二人の……問題なんだ」

 「でも……」

 フジタカが来たのは並大抵の覚悟ではない。ずっと迷っても、彼は今チコの前に立っている。その事実はチコにだってもう変えられない。

 「お前!忘れちまったのかよ!俺と一緒に戦ってくれただろ!フエンテを捕まえた時も……ベルトランを倒した時も!お前のスライムが俺を助けてくれたんだぞ!」

 ゴーレムの核へ電流を流した時とあちこちを風の魔法で飛び回るベルトランをフジタカの剣が貫いた時。そう、彼の言う通りどちらも……。

 「お前が俺の隣にいてくれたから勝てたんじゃねぇか!そんな事も無かった事にしちまうのかよ!」

 それがフジタカにとっては大事だったんだ。辛くてもこのオリソンティ・エラで頑張って戦いを続けられる理由になり得ていた。

 「俺、は……」

 ガクガクと揺さぶられてもチコはフジタカの目を見ない。……見れないんだ、多分。フジタカがあまりにも真っ直ぐ自分へ怒りを向けているから。その気持ちが自分に伝えたい事があると知っているから。

 「お前の力は俺と合わせなきゃ駄目だろう!それを無茶して、操る事もロクにできないゴーレム出して!しかも暴走させかけて!恥ずかしくねぇのか!」

 「く……」

 フジタカの手がやっとチコの服から離れる。どさりと着地したチコはなんとか自分を腕で支えてフジタカを見ていた。

 「もっと、強くなる……!お前なんていなくても……!俺だけの力を、いつか手に入れる……!俺の力で!」

 やっとフジタカがふ、と強張った顔から笑顔を見せた。

 「それで?」

 「だから……」

 フジタカが差し出した手に、チコがそっと手を乗せる。

 「今は……まだ、俺を……」

 「恥ずかしがる部分じゃないぞ」

 チコの顔が耳まで赤くなる。しかし今度こそ、彼はフジタカを見据えて言った。

 「今はまだ俺を……助けてほしい……!」

 フジタカがチコを引っ張り立ち上がらせた。

 「楽しみじゃねぇかよ。だったらソイツを拝むまではお前を手伝ってやる。それでいいか」

 チコが頷くとフジタカは首を横に振る。

 「ちゃんと返事しろ!」

 「うく……っ!あぁ!それでいい!」

 眼前で怒鳴られチコが肩を跳ねさせる。しかし負けじと怒鳴り返してからやっと二人はぎこちなく笑った。

 「……あれ、なに?」

 「男同士のケンカ、かな」

 「違うぞ」

 離れて二人の様子を見ていたルビーが首を傾げる。だから私が思った事を言うと横にいたレブがトロノへ向かって歩き出す。

 「男ではない。子どものケンカだ」

 チコとフジタカの会話は途切れながらも続いていた。今までどこにいたとか、なんだかんだゴーレムを出せる様になってたんだな、とか。

 二人の関係はチコが拒絶した瞬間に変わってしまった。それをフジタカからの働きかけでなんとか繋がりとして取り戻す。しかし戻ってきたのは以前と同じ力関係ではない。

 「………」

 トロノ支所に戻ったフジタカは引き続き、私の部屋にいた。こちらとしては構わないけど……。

 「落ち着くまで、もう少し掛かるよね」

 「はは……悪い」

 レブは片目でフジタカの背中を見ていたがやがて静かに閉じてしまう。今回も無傷だったけど、アルゴスの時と同じ様に身動きが取れなくなってしまうと補助がいるよね、やっぱり……。それは私でも用意しないと。他のちょっとしたインヴィタドなのか魔法かは場合に合わせられる様にしたい。

 「なぁ俺、さっきルビーさんの前でビアヘロだ、って話しちゃったっけ……」

 「それを言ってたら、ルビーももう少し騒いでたと思うよ」

 勢いのままに喋っていたんだろう。でも、ルビーの性格を思えばフジタカがビアヘロだと知ってしまったら黙ってはいられない。帰りの道中では静かだったし大丈夫だと思う。チコとケンカしていたくらいにしか思ってないんじゃないのかな。

 「……よし」

 簡単ではあるが報告書もできた。チコは先に口頭で報告しに行っている。戻って来たチコはフジタカを最初から連れていかなかった事へ注意を受けたらしい。注意で済んだのは人的被害がなかったからだ。タロスの指だけ持ち帰ってきたけどあれってポルさん達に渡したら喜んでくれたりしないのかな。もう綺麗さっぱりフジタカには消してもらったけどね。

 「ブラス所長に話してみるよ。フジタカに空いている部屋を使わせてもらえないかって」

 「でも……」

 「つ・い・で!」

 遠慮するフジタカに報告書をひらひらと見せて私は一人で所長室へ向かう。レブは目を閉じたまま動かなかった。話は聞いていただろうなぁ。

 「失礼します!」

 陽が暮れてしばらく経つけど所長室の灯りは点いていた。迷う事なく扉を叩いて私は部屋の扉を開ける。

 「げ……」

 「人の顔を見てげ、ってなんですか……」

 私の顔を見て所長は露骨に口を曲げて苦い表情を浮かべる。しかし、所長室にいたのはブラス所長一人ではなかった。

 「やぁ、ザナさん」

 「お疲れ様です」

 「ライさん、ウーゴさん……」

 長椅子に座る二人の姿を見て私はそっと扉を閉める。二人と何か話をしていたみたい。

 「若いのに仕事熱心ってのはどうなの?聞いたんだからね、チコ君の話をカルディナ君に聞いて飛び出したって」

 「フジタカと一緒だったからです」

 口を尖らせながら所長が体もこちらに向けたけど、どうしよう。ウーゴさん達と話をしているなら部屋の話は……。

 「でも丁度良かった。君達の話をしていたところだった」

 「えっ……?」

 報告書を渡すだけしかできないかなと思っていたところにライさんからにこやかに言われる。しかも端に寄って席の真ん中を空けてくれた。

 「ちょっと……」

 「座らないか?」

 「……はい」

 所長は嫌そうにしたけどライさんが勧めてくれるものだから私はお言葉に甘えた。着席すると所長は腕を組んで大きく息を吸い込んだ。

 「あーぁ、もう……」

 「……どうしたんですか?」

 今日は明らかに歓迎されていない。いつもなら所長としてもう少し紳士的な対応をしてくれるのに。

 「今後の契約者との同行について話をしていたんです」

 「あ!」

 それなら私達にも関係ある!教えてくれたウーゴさんから所長に目を向けると顔を手で押さえて横に振る。私はその間に腰を椅子の深くまで下ろし直した。

 「しかも、ザナさんの話をしていたばかりなんだ」

 「それは本人も聞かないと始まりませんね……」

 ライさんと一緒になって笑い、所長を見る。溜め息を大きく吐き出しても、続きを聞かせてもらう。

 「ザナ君とチコ君は未熟だから出せないと言っているのに。引かないんだよね、この二人」

 「ライがここまで熱望する事は滅多にありません。だから俺も個人的に協力したいと思っているんです」

 ウーゴさんも味方してくれる。私だって考えは変わっていないんだから所長はどう思う?なんて顔をしても通用しない。

 「未来ある召喚士を契約者と過ごさせて実績を積ませる。フエンテと遭遇しても確実に四人は戦力足り得ます。実際に共に戦った俺達が言うのですから」

 「説得力はあるんだけどなぁ……」

 腕を組んで体を傾けてライさんに歯切れの悪い異を唱えた。全く納得していない三人でずっと同じ議論をしていたんだと思う。

 「無論、俺達も全力を尽くします。しかし、トロノに留めるには彼らは……」

 「………」

 ライさんの熱弁に私も胸が熱くなる。私達は既に目を付けられたし、ニクス様が再び狙われないとは限らない。

 「……はぁ」

 この部屋に入ってから何度目かの溜め息を吐き出してブラス所長が目を鋭くして私を見た。

 「一つ条件がある」

 場の空気が一言で変わった。

 「君達には退治専門の浄戒召喚士になってもらう。実施される試験を合格すれば……ま、好きにしなよ」

 「浄戒……」

 表現は物々しいが、ビアヘロ退治を積極的に行いたい召喚士が独立して活動する資格を得る称号が浄戒召喚士だ。召喚試験士や異界解明士に比べると人は多い。一般人の印象は名乗られると物騒、と思うかもしれない。しかし召喚士の中では術が使えるものの、使い道に迷っている者ならとりあえず目指す程度には無難だ。

 こちらからは名乗らないが、一般人にとっての召喚士の認識がそのまま浄戒召喚士という事で間違いない。簡単に言えば、一人前の召喚士になれと言われたんだ。

 立派な召喚士になって出直せ、と先日言われたばかり。試験で力を示すのが近道なら挑めば良い。

 「どう?召喚士になって一年も経っていない子に言うのは気が引けるんだけど」

 「やります!」

 私は食い気味に迷う事無く答えた。返答を予測していたのかブラス所長は苦笑しながら頬を掻く。

 「形式に捕らわれてる、って思うかい?」

 「……いえ。私の方も、自分の都合ばかり押し付けてましたから」

 言われるまで、いかに自分が勝手な話をしていたかが分かっていなかった。レブがいるから、自分が特待生だから、契約者と行動してた事があるから。ニクス様の力になりたくて、ココを失ったから。だから……またフエンテとの戦いに参加するのは当然。そう思って疑わなかった。

 止められる筈がない、というのが私の考え。しかし所長の立場になって考えればきっと止める必要もあったんだ。私が未熟だと思われているから。

 「楽しみにはしているんだ。君達、活躍が止まらないからね」

 「応えて見せます、全力で」

 いい加減、私が次の段階に至らないといけない。今回のチコと同じ、何かの拍子にレブがいない時に召喚士として無力ではいられないのだから。召喚ができないのなら、私に使える魔法を磨く。もう黙って見送るなんて事は選べない。

 「頼もしいね。試験の日程は追って伝えるよ」

 「はい!」

 最後に所長が私の横に座る二人を見た。

 「ザナ君は了承したけど、これでよろしいですかな?」

 「はい」

 ウーゴさんはすぐに返事をくれた。

 「………」

 しかしライさんは思い詰めた様に所長の足元の方を見ていた。

 「ライ?」

 私達も気付いて、ウーゴさんが声を掛ける。そこでハッとしたライさんは頷いてくれる。

 「あ、あぁ。だったら、俺はザナさんの召喚士試験を合格できる様に応援するよ」

 「よろしくお願いします、ライさん」

 ライさんが指南してくれるなら、厳しい部分はあるかもしれないけど自分自身の成長に繋がると思う。そこで私達は解散する事になった。

 もちろんフジタカの部屋の事は忘れていない。今回のタロス討伐の実績も加味して、使わなくなった小部屋を貸してもらえる事になった。少し狭いかも、と言われたけど私物は剣とナイフと着替えくらいだからそこまで場所は取らないと思う。

 「ウーゴさんも浄戒召喚士なんですよね?」

 「えぇ、まぁ」

 部屋を出るとすぐに私は二人に向き直った。契約者と同行する為に特別な資格が他に必要という話は特に聞かない。敢えては聞かなかったけど、召喚士見習いではないのなら大体は浄戒召喚士だろう。その予測は当たっていたらしく、ウーゴさんは張っていた肩を少し下げた。

 「カンポは召喚士用の施設が少ないですからね。ほぼ自営業かフェルト支所が管轄していたんです」

 「拠点が幾つもあっても使う人がいないからな」

 だからフェルト支所だけでしか召喚士を見なかったんだ。

 「それにしてもザナさん。大丈夫ですか?あんな簡単に浄戒召喚士になると答えてしまって」

 ウーゴさんが目尻を下げて私の顔を見る。そう易々と突破できる試験ではないのは知っている。だから所長も諦めがつく様にあの条件を出したのだと思う。でも、私にだって頑張りたい理由がある。

 「自分がやりたい事を、ライさんも推してくれたんです。だから私も甘えて引っ張り上げてもらうだけじゃなくて、自分から飛び出したいと思えました」

 「素晴らしいと思うよ」

 ライさんは表情を穏やかにして笑みを浮かべる。

 「本当は無条件でニクス様と同行させたかったが……」

 「そう上手くはいきませんね」

 「あぁ。でも、俺の力が必要な時はすぐに呼んでくれ」

 そこでウーゴさんやライさんと以前交わした約束を思い出す。

 「そうだ!まだトロノの町を案内していませんでしたよね。明日とかご都合どうですか?」

 そこで二人は顔を見合わせる。

 「いいのですか?」

 「はい。以前、フェルトを案内してもらったお礼ですし。私も欲しい備品があるので」

 試験には召喚術に使う触媒の話も出る。それを実際に購入してみるのも良い勉強だ。それと合わせてウーゴさんやライさんに見せれば教えてもらえることもいっぱいあると思う。

 「では、お願いしようかな」

 「任せてください」

 力強く返事をして見せ、私はすぐにレブとフジタカの待つ部屋へと戻る。明日は朝にウーゴさん達の部屋へ迎えに行く事になった。

 「……その試験、チコも受けるのかな」

 部屋に戻って事の流れを説明するとフジタカは顎に手を当て静かに唸る。私は外せない選択だと思っても、チコにとっても同じではない。

 狙われているのは私とレブだけではなかった。最優先で次に狙われるとしたらフジタカだと思う。そんな彼と行動を共にすると言ったチコがどうするか。フジタカの行動の決定権は持っていないにしても……。

 「フジタカは……トロノに残る?」

 召喚されていないのだから、最初は地に足が付いていないも同然。選択肢を増やしてあげるのは私の役目だ。提示した中からしか選べないわけではないが、考えてみてほしい。

 「いや……できれば一緒に居た方が良い。ライさんだってそう言ってたんだろ?」

 「……うん」

 他の人の名前を出してしまうのはずるい。だから自重したがフジタカの方から言ってくれたので私も頷く他ない。

 ライさんからすれば契約者の戦力増強にはレブとフジタカを合わせて導入したい様だった。何より、フジタカがライさんに気に入られている。能力も評価されているから近くに置きたいんだ。

 「その為にはチコにも踏ん張ってもらいたい」

 「だったら、私がチコを説得する。……所長も頭数に入れてる気がするし」

 こうなってしまったのは私のせいだ。だから少しでもフジタカの負担は減らしたい。……まだ、すぐには話もできないだろうし。

 「頼む」

 フジタカの返事を聞くとレブが鼻を鳴らして笑った。

 「ところで貴様は、試験の内容を把握しているのだろうな」

 「もちろん!」

 できないと決めつけて挑戦するつもりはこちらにだってない。勝算はもちろん持っている。

 「筆記試験でこのインヴィタドを呼び出すにはどの様な召喚陣を用いるか、触媒は何を使うと効果的かとか……過去の問題はソニアさんに見せてもらった事があるんだ」

 ソニアさんの研究室を覗いた際に見てみたら、と勧められた資料の中にあったんだよね。聞いてみたら、先にソニアさんは浄戒召喚士になってから召喚試験士を目指して試験士補になったみたい。

 「普通に試験なんだな、そこは」

 日常的に試験が行われていたフジタカからすれば当たり前みたい。試験なんて国家資格くらいでしか要求されないと思っていた私の方が変に見えるんだろうな。

 「実技とかはないのか?」

 「鋭いね。あるみたい」

 言う前にフジタカは試験がどういうものか分かっている。実際の試験風景は見た事がないだろうに。経験が彼に教えているんだ。

 「実技では自分の召喚したインヴィタドに命令を出して戦わせるんだ。指定した条件通りに仮想の敵……これもインペットやゴーレムだったりするんだけど、それを退治する」

 戦闘させるインヴィタドは事前に用意する。だから私ならばレブでも何か文句を言われる事は無い……と思う。

 「インヴィタドが言う事を聞くだけの理性を持っているか、或いは召喚士にインヴィタドを屈服させる力があるか……って事か」

 要は、敵を倒せれば良い。倒せるインヴィタドを呼び出せる召喚士は優秀と判断されるらしい。逆に、非力でも言う事を完璧にこなせる理性を持っていればそれも重宝される。

 「つまり、懸念事項は無いな」

 「え……」

 レブは身構えて損した、と言わんばかりに椅子に背を預けてふんぞり返りながら満足そうに目を閉じた。

 「ちょっと、話聞いてた……?」

 「無論。自然に実技はこの私が挑むわけだ。なれば、あの所長に明日は無い」

 試験監督がブラス所長とは限らないのに、何をする気だ。

 「評価されるのは実技だけじゃなくて……」

 「筆記は貴様の得意分野だろう。問題あるまい」

 「………」

 そうとは限らないよ。暗記力だけじゃなくて召喚術の応用も問われる。召喚における感覚が乏しい私には弱点だ。

 「……まぁね!」

 でも、レブに言われたんだ。私一人で受験するのではない。二人一組なんだから力を合わせないと。

 「だからレブ、実技はその……できれば、少し私の言う事を聞いてくれないかな。あんまり上手にはできないかもしれないけど」

 「そんな頼みは不要だ」

 レブは理性も力も兼ね備えていて、彼が言う通り実技に不安は無い。しかし召喚士の力も加点されるなら少しは指示もしないと。そう思ってもレブは首を横に振る。

 「そのつもりだったからな」

 「……っ!」

 悪戯に笑うレブを見て自分の顔が熱くなった。無条件……ではないにせよ私はもう、こんなにも頼もしい協力者がいる。既にレブは笑いながらも、無防備に自分の背中を預けられるだけの存在になっていた。だったら私だって彼に恥じない力を示したい。筆記が得意と言った自分を冗談ではなく、本物へと変えてみせる。

 筆記が弱くても実技が圧倒的に評価されたら合格するらしい、とは聞いている。そういう意味ではフジタカと組めばチコだって合格はできると思う。今まで何体も消してきた力を見くびる相手なんてトロノにはいない。

 ただし、それをチコが良しとするか。本人に確かめるとしたらそこだと思いながら私達は三人でこの部屋を使う最後の夜を迎えた。

 「今日はウーゴさんとライさんにトロノの案内をするから、フジタカの部屋にランプとか……必要な物も一緒に買おうよ」

 「いいのか?」

 「うん、予算は限られてるけどね」

 翌朝、廊下をフジタカと歩きながら私の予定を教えてやる。レブも来るとは思うけど、チコは呼んでいない。フジタカの部屋の話だし、相談はしようかと思ったけどレブに止められた。

 「思ったよりも何も無いんだね」

 「不便とは思わなかったけどなぁ」

 小部屋を覗かせてもらったらベッドと小さな机に椅子だけ。私の部屋から広さと日除けのカーテンを取り除いた様な部屋だった。辞書と紙、羽ペンはあげたけどあとは何が必要かな。

 「ウーゴさん、おはようございます!」

 店を見ているとあれもこれもと目移りしちゃうんだよね。でも、見ないと気付けない発見があったりもするからちゃんと見ないといけない。

 どこをどの順番で回ろうか考えながら私はウーゴさんとライさんが使っている部屋の扉を叩いた。ああもう、段取り悪くしたくないな……。

 「はい……。ああ、これはザナさん。フジタカさんも、おはようございます」

 扉がゆっくりと開いてウーゴさんが顔を出す。

 「トロノの町案内、そろそろどうかなと思ったんですが……」

 「あぁー……それが……」

 私は首を傾げそうになったが一つ、思い付いた事がある。

 「あ、もしかしてライさん……」

 「はは、えぇ……。もう少し準備に時間を頂けないでしょうか。そんなには時間が掛からないと思いますので」

 朝に弱いってのも変わらないんだ。フジタカと顔を見合わせて笑ってしまう。

 「分かりました。その間にこちらもどこに行こうか決めておきます」

 「よろしくお願いします」

 一度ウーゴさんが扉を閉める。じゃあ少し、部屋の前で待たせてもらおうかな。

 「デブを呼んでくるよ。言ってももう結構明るい時間だし」

 「うん、ありがとう」

 フジタカが部屋を引き返す。彼の姿を見えなくなって壁に背を預けて少し経った時だった。

 「おい」

 声を掛けてきたのは廊下の反対側から歩いてきたチコだった。

 「あれ……」

 「……んだよ、珍しいもん見た様な顔しやがって」

 チコが手に持っていたのは何かが書かれた紙だった。

 「もしかして、これから所長のとこに行くの?」

 「あぁ」

 なんだか目の下にクマが浮いている。もしかして昨日寝ないで書いた?……そんなに苦戦する様な内容じゃないと思うけど。

 「所長、何か言ってたか?」

 「……実はあんまりその話にはならなかったんだ。チコが先に言ってくれてたから」

 だったら眠れなかった?とは聞けなかった。

 「そうか。じゃ……」

 私の前を通って所長室にチコが再び歩き出す。

 「待って」

 だけど私は呼び止めた。……正直、それどころじゃないのかもしれない。でも下手に所長に話される前に先手を打ちたかった。

 「私、召喚士の試験を受ける。ニクス様と同行する為に」

 「……そうか」

 チコはこちらを見ない。前髪の下から覗く疲れた目は前しか向いていない。

 「ライさんとウーゴさんに誘われたの。……それで、チコとフジタカもどうかって」

 「………」

 「所長は浄戒召喚士の資格を取れば、契約者の護衛を任せるって。だからチコも」

 「必要なのは、フジタカだけだろ」

 ボソリと言ったチコの目がこちらを向いた。

 「……でもそれは、今のところだ。だから……考えておく。教えてくれてありがとよ」

 「……うん」

 掠れた声で言ったチコの声は力強かった。必要なのはフジタカだけで、繋がりの無い自分はいなくても構わないと思ってる。だけどそれを覆そうとしたがっている様にも聞こえた。良い方向に動いてほしいけど……。

 「待たせたな」

 チコの背を見送ると横の扉が開く。しまった、まだ行き先……。

 「あ、おはよう……ございます」

 「おはよう」

 先に部屋から出てきたのはさっきと違いウーゴさんではなかった。だから改めて出てきたライさんに挨拶をする。

 しかしどうにも私は落ち着かなかった。だってライさんが鎧に身を包み、剣を提げて完全に武装していたから。

 「あの……ライさん」

 「身支度に手間取って申し訳ないね」

 ……完全に起きている。てっきり、まだ毛布でもぞもぞしているとフジタカと一緒になって思っていたのに。待ってほしいって鎧を着込む時間の話だったんだ。

 「いえ、それはいいんですが……」

 ウーゴさんの方を見ると露骨に目線を避けられた。私が何を言いたいか察しているみたい。

 「ザナー」

 そこに、フジタカの呼ぶ声が廊下に響く。見れば彼もライさんが視界に入ったみたいで目を丸くしていた。レブは何とも思っていないみたい。

 「あぁ、今日はフジタカ君も一緒か」

 「はい。今日は買い出しもあるでしょうから店を中心に回ろうと思います」

 もしかしてフジタカが別室になった事も気付かれたかな……。

 「ウーゴと話はしてある。これが買える場所をとりあえず教えてもらえないかな」

 差し出された紙を見て私は気が楽になった。食べ物屋と郵便局、あとは服屋と武器の手入れができる鍛冶工房……。他にも幾つか書いてあるけど、どれも知っている場所だ。

 「これならまずは服屋……ですね。近いところから順番に回りましょう」

 「頼むよ」

 それを合図に私達はトロノの町を歩き出す。場所の把握をしたいのかウーゴさんは簡単に地図を描いていた。

 「どうもトロノは入り組んでいて、苦手なんですよね……」

 「分かります。しかも似た様な建物も多いから余計に間違ちゃって……」

 セルヴァでの暮らしが長かったから私も最初はそうだった。カンポも視界が広かったから建物がこう幾つも並んでいると紛らわしいんだよね。今でこそ裏道とかも使えるけど、他にも行く場所があるし今日は止めておこう。

 服屋ではウーゴさんの服、フジタカとライさんの上着を買った。下も欲しかったが、そもそも獣人向けに服は用意されていない。欲しければ採寸してもらい特注で作ってもらうか、自分で作り直すか。ライさんはそれができる人だった。上着の首回りくらいなら私でもちょっと切って縫い直すだけでできる。こうして思えば、ティラドルさんんが着ている服は全部特注だったんだろうな……。

 郵便局ではフェルト支所へ送る便箋だけを買い、雑貨屋では主にフジタカの生活用品を見繕った。寮で不足している分は最低限確保できたと思う。

 「色々買い込んでしまいましたが……道は大丈夫ですか?」

 「あぁ、俺は臭いでだいたい分かるし……」

 「地図にも書き込んでいますからね」

 町中にも簡単な看板しかないからそれだけを頼みに歩けない。だけど二人はトロノに順応しようとしていた。分からなければまた聞いてもらえばいいし、心配はなさそう。

 一通り案内を終えてあとはポルさんとセシリノさんの工房に行こう、と通りを歩いているとルナおばさんの姿が見えた。レブが目配せしてくるものだから、ここはブドウを一房だけおやつ代わりに買う事にした。

 「ルナおばさーん」

 「あぁザナちゃん!今日も来たね」

 レブにコインを握らせる。たまに私がやる事もあるが、基本的に支払いは自分でしたいみたい。もはや迷いもせずにおばさんもブドウを用意してくれた。

 「ブドウを」

 「はい、毎度」

 もはや二人も多くは語らない。これもまたトロノでの日常になってしまっているから。

 「フジタカも何か食べる?」

 「いや、俺はいいよ。……金、使ってばっかじゃいられないし」

 自分の買い物の荷物は自分で持ってくれているのだから、そんなに気にしなくていいのになぁ。その辺の真面目さは変わらないというか。

 「だったら俺がライとフジタカ君の分まで支払うよ。リンゴ三つ頂けますか」

 「あ……!」

 「はーい、ありがとうございますー!」

 ウーゴさんが私達の横をすり抜けさっと支払いを済ませてしまう。フジタカが止める間も無い。

 「少し、休憩にしましょう。ライも、疲れただろう」

 「……分かった」

 同じく荷物持ちをしていたライさんもウーゴさんからの提案を受け入れて肩を軽く竦めた。それを見ていたルナおばさんが私の肩をぽんぽん、と二度叩く。

 「こちらのお二人は?」

 「あぁ、そっか」

 初対面だった。ライさんはあまり果物を好んで食べる印象は無いけど。

 「今度から契約者の護衛をする為に、フェルトから来た召喚士のウーゴさん。そして、そのインヴィタドのライネリオさん」

 「どうも」

 「はじめまして」

 ウーゴさんとライさんもお辞儀をするものだからルナおばさんもつられて頭を下げる。

 「まぁまぁフェルトから?大変だったでしょう」

 「いえ。この世界の為にできる事があるなら、この程度の距離はなんでもありませんよ」

 にこやかに答える獅子の獣人を見てルナおばさんがゆっくりと近付く。

 「でも、そんな鎧姿で歩いててどうしたの……?」

 その場にいた皆がライさんの方を見る。それに、道行く人もその格好を見て視線を何人かは送っていた。

 「……いつ襲われるか、分かりませんからね」

 急にライさんの声が低くなった気がした。そして、ルナおばさんもそこから一歩も彼に近付こうとしなかった。

 「そんな、町の中よ?結界だってトロノの召喚士様が張ってくれてるし……」

 「………」

 ライさんは何も言わない。

 「……ごめんなさいね。おばさん、余計なお世話だったわ……」

 終いにはルナおばさんは下がって謝ってしまう。

 「いえ。……用心に越した事はない、というだけです」

 「……そう、よね」

 静かに、ルナおばさんには目もくれずにライさんは歩き出した。おばさんがあんなに暗い顔になるのは見た事が無い。

 「また来る。次は白ブドウを頼もう」

 そこにレブが変わらずに話し掛ける。いつもと全く様子を変えないで。ルナおばさんが顔を上げずとも背が低いから自然に視界へ入る。

 「レブちゃん……」

 「だからそんな顔をするな。奴も思う所があるだけだ」

 背を向け、レブも川の方へ向かうライさんを見た。ライさんがちょっとの外出へも鎧を着る理由。……そんなの、一つしかない。

 「ベルナルド……」

 フジタカも気付いたみたい。ナイフは持ってきているみたいだけど、やっぱりニエブライリスまでは携帯していなかった。

 ベルナルドが現れる気配は無い。だけど風が吹く度に私は気持ちがざわついた。

 川に着いて私達は荷物と腰を下ろす。しばらく会話は無いまま皆が果物をかじっていた。

 「ウーゴさん、ご馳走様です」

 「いやいや、この程度でしか振る舞えなくて申し訳ないですよ」

 おやつ代わりのリンゴを食べ終えてからフジタカがウーゴさんに礼を言う。レブは無心でブドウを味わっていた。私も何粒か分けてもらっている。

 「………」

 シャクシャクと音を立てながらライさんはゆっくりとリンゴをかじっていた。その大口なら丸呑みも難しくはないのに。それに対しては誰も何も言わない。

 「この後はどこに?」

 「あとはブルゴス工房です。フジタカのナイフとか、トーロの斧の手入れをしてもらっている鍛冶屋です」

 案内する場所も残すはポルさんとセシリノさんの所のみ。……ライさん、本当は一番最初に行きたい場所だったんじゃないかな。

 「ライ、荷物持ち代わろうか?次は君が行きたがっていた場所だしな」

 「………」

 ウーゴさんがライさんに声を掛けるけど、反応は無い。静かにリンゴをかじって川の流れを眺めているだけ。まるで心ここに在らずと言った様子だった。

 「ライ、やっぱり疲れたか……?」

 「……そうじゃないんだ」

 やっとリンゴを食べ終えたライさんは座ったまま指を絡ませ目線を手元にまで引き戻した。

 「先程のご婦人、何故俺の恰好を不思議がったのか……こちらからすればそれが不思議だった」

 カンポに居た頃のライさんはそれを知っていた。町の中で武装して歩く事で、相手にどんな印象を与えてしまうのか。

 そんなの、疑問に思うまでも無い。相手を怖がらせるからだ。

 「そんな事を疑問に思うな」

 とうにブドウを食べ終えていたレブが立ちあがった。それでもライさんと目線の高さはあまり変わらない。

 「お前が相手を怖がっているからだ」

 レブの口から出た言葉は、私が考えていた事と真逆だった。

 「何を言っている……。俺が?」

 「前のお前であればそんな無意味な行いはしなかっただろうな」

 ライさんはレブにまだ言いたい事がある様に見えたけど、レブが先に工房へと向かって歩き出してしまう。結局荷物はウーゴさんが持って私達はポルさん達の元へと向かった。

 でも、レブが言って私も気付いていしまう。やっぱりライさんは……どこか変わってしまっていた。表面上は変わらず優しくて、強そうで気さくな人に見えるのに。口ではすぐに言い表せない違和感が私の中で拭えない。

 「ポルー。おっさーん」

 「なんだぁ?フジタカじゃねぇか」

 率先してフジタカが入れるトロノの施設と言ったらこの場所くらいしかないんじゃないかな。そう思わせるくらいには自然に彼はこの工房の門を潜る。すぐに顔を出したセシリノさんを見て、まずはウーゴさんとライさんが頭を下げた。

 「今度はどうしたんだ……」

 「そう言わずにさ。ちょっと紹介だけ」

 「ポルならいねぇからな……」

 こっちの都合で急に来ちゃったし、そこは仕方ないかな。これから利用する様になればそのうち会う機会は必ずあるだろうし。

 「ほぉ、カンポから来たってか。そりゃあ難儀な事で」

 「そうは思いませんよ。この世界を導く契約者の盾になれるのですから」

 「すげぇ固い事言うんだな、毛並みは良さそうなのに……」

 簡単に自己紹介を終えるとセシリノさんは髭を撫でながらライさんを見上げる。カンポからの来客が珍しいのだろう、よく二人を観察したがっている様だった。

 「フジタカ君やトーロもよく世話になっていると聞きます。できれば、俺達も厄介になれたらと」

 「それは歓迎だ。異世界の鉄を打って誰かの役に立てられるんだったらな」

 セシリノさんもポルさんも商売よりは相手の力になりたい気持ちが強そうに見える。フジタカはアルコイリスから始まってずっとお世話になっているし。

 だからミゲルさんやリッチさんと繋がりがあると聞いた時は意外だったけど納得もしている。あの人達も商売第一ではないし。……でもだったら一番は何だろう?お客様なのか、自分達が楽しむ事か。トロノにはもういないみたいだけどまた会ったら聞いてみよう。

 「そんでフジタカよ、ニエブライリスの調子はどうでい?」

 「ニエブライリス……?」

 セシリノさんに続いてライさんもフジタカに向き直る。

 「はは……この前タロス、ってのと戦ったけど実はまだ使ってない……」

 「なにしてんだよ、お前は……」

 使うまでもない相手だった……なんて、フジタカだから言えるんだよね。セシリノさんも今のフジタカがどういう状態かは知っているからそれ以上は言わない。

 「切れ味は良さそうなんだけどな」

 「良さそうじゃねぇ。良いんだよっ!」

 セシリノさんの自信作だから早く使ってほしいんだよね。

 「お前のアルコイリスと合わせれば無敵だってのに……」

 「興味深い話ですね」

 ライさんも二人の会話に入り込む。フジタカは苦笑してナイフを取り出した。

 「これを取り付けて剣にするんです。ただ、今の俺じゃ力の調整ができなくて……剣だけ消してしまいそうで使えないんです」

 「それがニエブライリス……か」

 寮に戻ったら見たいって言い出すかな。……でも、ライさんから見たらただの少し変わった形の剣に過ぎないと思う。だからフジタカ専用なんだ。

 「アンタもまた来なよ。ポルが気に入れば、放っておいても勝手に装備を新調してくれるぜ」

 「是非」

 ライさんとセシリノさんの相性は見ている分には良さそうだった。ポルさんは夜まで戻らないとの事だったので私達は寮へと戻った。

 「今日は助かりました……。やはり、トロノ支所内で調達するには限度がありましたから」

 「何事も無くて良かったです」

 予算が足りないとか、アレが買えなかったとか。……あとは、何かが突然現れなかった、とか。

 「召喚士の試験、日程が決まったら教えてほしい。協力は惜しまないからね」

 「ありがとうございます、ライさん」

 ルナおばさんの前で見せた沈黙は嘘の様にライさんは朗らかだった。私も部屋の前で軽く頭を下げてから自室へと向かう。

 「じゃ、俺はこっちだから」

 「あぁそうか。もう違う部屋だもんね」

 突然足を止めたフジタカに気付いて振り返る。普通に今日もフジタカを連れて戻るところだった。

 「今まで世話になったな。……って、まるでお別れみたいな表現だけど」

 「そうだよ。また明日、だよ」

 フジタカは短く笑って頷く。やっと、自然な彼の笑顔に戻りつつあると思えた。

 「そうだよな」

 「また何かあったら言って」

 「俺もある程度身の振り方は考えてる。でも、何かの時は頼むよ」

 勝手にいなくなる様な真似はしないでほしい。そこまで思い詰めさせない様に私達も気を配るし。

 「そんじゃ、またな」

 「うん」

 そしてフジタカは小さな自分の居場所へと向かっていった。私とレブも少しの荷物を抱えながら部屋へと戻る。

 「……ふう」

 自室はそれだけで自分の安全が保障されている空間の様な気がする。そこに戻れた事で今まで張っていた気が解れ、緊張感が安心感へと代替される。だからこそ息を詰めていた間から解放された瞬間の空気が美味しく感じられた。

 「えーと……」

 買ってきたインクや収納用の小箱を並べる。これらも片付けるのではなく部屋の一部として溶け込むと思えば、ちょっと表情が緩んだ。

 こんなものかな、と振り返ると夕陽が窓から差し込んできていた。肌寒くなって日照時間が短くなってきたと感じたけど、それ以上にしみじみと思う事があった。

 「静か、だね」

 「………」

 フジタカがいなくなっただけなんだけどな。それにフジタカだって四六時中ずっと口を開いていたわけじゃない。黙っていた時間の方がずっと長かったと思うくらいだ。

 レブは何も言わないでただ椅子に座り、私を見ていた。逆光でよく見えないが視線はずっと感じている。

 「でも今日からは堂々と外に出れるね。籠ってばかりはいられないもん」

 ベッドに座るとレブの顔がよく見える。表情はそんなにはっきり浮かべていない。

 「やっと二人きりになれたな」

 「な、な……!」

 なのに、あっさりと爆弾発言を投げて寄越す。ちょっとの事では驚くまいと思っていた自分が甘かった。

 「……もう。それじゃフジタカが邪魔者だよ」

 「理由はあれど、二人の時間を割かせたのは犬ころだ」

 そんな事言わなくても私の気持ちは動かないのに……って!

 「え……っ!?」

 「……一人でなんだ」

 変な事を考えてなかったかな、私……。影響を受けてるというか。

 「ご、ごめん。何でもない……」

 この気持ちが少しずつせり上がってくる。それを伝えたら……私は自分に厳しくできなくなる気がした。

 その結果レブを傷付けてしまうかもしれない。今だって待たせてしまっているのに。

 「……困らせたなら、詫びないでもないぞ」

 レブは私を信じてこんな事を言ってくれる。胸の温かさに堪らなく抱き締めたくなる。

 「困るわけないでしょ」

 代わりに鱗の首飾りを握り締める。

 「私は立派な召喚士になるんだから。レブとの時間は大事にしたいよ」

 「召喚士として、か」

 説得力の無い私の宣言でもレブは笑わない。

 「立派な召喚士としてもだし……一人の女性としても、かな」

 言ってしまってから私は窓の外へ目を向ける。夕陽はもうすぐ地平線の奥へ消えようとしているというのに、こんなにも眩しい。

 自分をもう一段階先へ引き上げる方法をやっと思い付いたんだ。それは一つとは限らない。浄戒召喚士になると同時に子どもから大人へと自分を変える。それが今の私の目標。

 レブと強くなる。そしてその先に二人で過ごせたら……。自然と願う様になっていた私を彼は……。

 「………」

 呆然と見詰めていた。

 「だ、だから!これからは二人だよ。レブがわざわざ言わなくても!」

 「……そうだな」

 きっと貴方は私とのひと時を大事にしてくれている。でも、そんな彼にも足りない物があった。

 「あ……レブの敷布団も買えばよかったかな?」

 買い出しに行ったのに気が回らなかった。要らないにしても確認もしなかった自分が……。

 「言っただろう。私は使わないぞ」

 「もう……」

 一度決めたら頑固というか……。

 「そもそもどうして使わないの?贅沢は敵、とか?」

 暮らしを豊かにする技術なんて召喚試験士達が今日も積極的に取り入れたがっているのに。たまにいる逆行したい趣味……フジタカならなんて表現するんだったかな。バンカラ?

 「違う」

 「じゃあなんでさ」

 レブの一睨みに私はベッドに倒れ込む。ほら、こんなにも心地好い。

 「しとねは……。共にする日まで貴様に温めていてほしいからだ」

 「ちょっ……!」

 またそんな事を言って……!私がガバッと身を起こして睨むとレブの方が怯んだ様に顔を背ける。

 「理由は語った。それでもまだ与える気か」

 「……好きにして」

 一気に疲れてしまった。もちろん、今から好きにして良いというつもりでは言っていないし、レブも分かっているからそのまま動かない。枕に頭を押し付け私は彼を見る。少しだけ仮眠したら夕食を摂って、召喚士試験の勉強を始めよう……。

 「そうさせてもらおう。私の召喚士よ」


 ……それを承知したのは私。意味も分かった上で君に布団を与えない私の傍にこのまま居てくれると言うのなら、きっとこれ以上頼もしい相棒は他にいない。

 一生かかっても、きっともう、出会えない。

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