イノコ  

江草 乗(えくさ じょう)

第一日  イノコとは何か?

「先輩、せんぱい、せんぱぁい!」


 ぼくはドアの隙間に口元を近づけて呼んだ。


 「せんぱい、せんぱぁーい、居るんですか、居るんだったら返事してくださぁーい。」


 ぼくはアパートのドアを叩きながら大声で叫んだ。


 しかし、肝心の室内からは物音ひとつしない。さらに声を張り上げ、隣人の迷惑を少し気にしながら力をこめてドアを叩き続けたがやはり反応がない。それは三十秒ほどだったのか、それとも五分間くらいだったのか、とにかくそれは永遠にも等しい長い時間だった。


 拳の痛みに耐えかねて半ばあきらめ、叫ぶのをやめたぼくはドアの前に立ち尽くした。そのとき部屋の中で人の動く気配と、何かが崩 れるような物音と悲鳴がした。まるで積みあげた本が崩れて人が押しつぶされ生き埋めになったような物音だった。確かに中に先輩がいることがわかりぼくは安堵した。


 「せんぱぁーい、やっぱり寝てたんですか。」


 「奥山か。寝坊してスマン、すぐ出るから待っとけや。」


 しばらくしてドアが開き、先輩は寝ぼけまなこで自転車を押して出てきた。フロントバッグと輪行袋とシュラフは既に積まれた状態だっ た。寝坊こそしたが、旅立ちの準備だけは昨夜のうちに整えていたようだった。


 部屋の中に自転車をしまい込んでるのは、もちろん盗難に対する備えもあるが、サイクリング部の一員であるぼくたちにとっては常識 だ。生活をともにするパートナーということで、畳の上に新聞紙が敷かれその上に自転車が鎮座する。ただでさえ狭い下宿やアパートの 部屋が余計に狭くなってしまうけど。そしてそのパートナーは丹念に整備され磨きあげられ、部品のひとつひとつまで吟味されて取り付けられていたりする。自転車ではなくてそれは「マシン」と呼ぶにふさわしい精密機器だ。


 先輩と約束した時間はとっくに過ぎていた。予定では大学のサイクリング部室前で朝五時に待ち合わせて、京都駅まで軽く流すように走ってから自転車を分解して輪行袋に詰めて、青春十八キップで各駅停車を乗り継いで広島県三次市まで向かうつもりだった。学生らしく一番金のかからない移動手段を選択できるはずだったのである。その予定は先輩の寝坊のせいですでに大きく破綻してしまっているけれども。


 部室で待ちぼうけを喰らわされたぼくは、いつまで待っても来ない先輩に業を煮やしてアパートを襲撃した。そうしたらこの事態に遭遇 したのだ。


 先輩は装備を積んだ自転車、いやマシンを担いでアパートの急な階段を降り、道路に出るやいなや押しながら走り出し、勢いをつけてから跨った。ぼくはあわてて後を追った。先輩は走りながら後ろも振り向かずに怒鳴った。


 「ついて来い」


 すさまじい勢いで加速する先輩のマシンはたちまちぼくを引き離した。あわててダッシュしたがとても追いつけない。目の前の信号が 黄色から赤に変わったが、後ろから来るぼくなどどうでもいいのか先輩は平気で交差点に突っ込んだ。ぼくも後にくっついてそのまま突入するしかなかった。青信号の権利を手にした左右のクルマに猛然と怒りのクラクションを鳴らされ、接触せんばかりに肉薄されながらもぼくも無我夢中で渡りきった。その時にはすでに数十メートル先輩は先行していた。とても五分前まで睡眠中だった人間とは思えない 速さだった。ただ引き離されないように必死で追いすがるしかない。


 交差点のたびに恐怖がぼくを襲う。信号が青のままならハッピーゴーイングだ。それが黄色ならまだなんとかなる。頼むから完全に赤 になってから突っ込まないでくれ。赤信号をいくつもいくつも強引に突っ切る先輩に遅れながら、ぼくも命がけで一緒に信号を無視しながら爆走した。危険の程度という点では、遅れて交差点に突っ込む方がはるかに大きかったはずだ。我が身を守りたいと思うならペースをあげて少しでも先輩に追いつくしかなかった。


京都駅までの十キロ近くのタイムトライアルに区間新記録を打ち立てながらぼくたちは突っ走った。道路交通法違反という理由からお そらくそれは追い風参考記録以下で、ドーピングで剥奪されたベン・ジョンソンの幻の金メダルと違って人々の心に残ることもないだろうが、でもこのときのペースはおそらくツール・ド・フランスのレーサーたちと比べても遜色なかっただろう。いわゆる火事場のバカ力というヤツだ。それも先輩のスピードに引っ張られたおかげで、自分一人ではとうていそんな速度は望めなかったが。


 京都駅につくとすぐに、ぼくと先輩はめいめい輪行袋を広げてマシンを分解し始めた。列車に積み込むためには分解してからこの「輪行袋」という専用の自転車収納ケースに入れないといけない。分解というと大げさだが、ぼくたちのマシンは分解組立を容易にする工夫が随所に盛り込まれている。たとえば前後輪のハブはクイックレリーズという仕組みになっていて、レバーを倒すだけで瞬間的に車輪を 着脱できるようになっている。


 二ヶ月前の新歓合宿で自転車の分解組み立ての講習を受けたときは、袋に詰めるまでに二十分近くもかかった。その後下宿で何度も一人で練習して、なんとか所要時間を十分近くにまで短縮するのに成功していたけれども。


 装備の詰まったサイドバッグを降ろし、泥除けやペダルを取り外して、ブレーキワイヤーをはずしてからハンドルステムを抜き、後輪を外してフレームを逆さまに立てた時、チラリと見た先輩の自転車はもう完全に輪行袋の中に埋没した後だった。なんというすばやさだ。 


 「トロいなぁおまえは。よそ見せんとさっさとやらんかいアホ。」


 先輩の罵声が飛んだのでぼくはあわてて作業を続けた。


 さらに十分ほど格闘して、ようやく輪行袋の中に自転車が収まった。部の団体装備を詰めたサイドバッグを押し込んだ分、ぼくの輪行袋はファスナーが壊れそうになるくらいかさばっていた。これから数日間お世話になるシュラフザックと呼ばれる寝袋も無理に詰め込んであるし、総重量は三十キロ近かったはずだ。団体装備を運搬するのは一回生の義務だから仕方ない。


 輪行袋をよろよろと担ぎながらぼくは先輩に続いて駅構内に入った。今日のために大学生協でバラ売りされていた青春18きっぷを ぼくは前もって二枚手に入れていた。それぞれ往きと帰りに使うつもりだったのである。その18きっぷをフロントバッグから取り出したところ、先輩はきっぷに一瞥をくれてからこう言った。


 「おまえアホか?」


 ぼくは少しむっとした。


 「青春18きっぷで行く予定じゃなかったんですか。」


 「鈍行でトロトロ行って間に合うわけがないやんけアホ。」


 間に合わなくなったのは先輩の寝坊のせいじゃありませんか、と喉元まで出掛かったが、怒りを抑えてぼくは言った。


 「じゃあどうするんですか。」


 「新幹線で行くに決まってるやろ。」


「18きっぷでは新幹線に乗れませんよ。」


 「そんなことわかっとるわいボケ。オレの寝坊でこうなったんや。金はおれが払うさかい心配スンなアホ。オレの輪行袋ちゃんと見張っと けよ。」


 そう言って先輩はみどりの窓口の方に走って行った。京都から福山まで在来線を乗り継いで行けば五時間近くかかる。新幹線なら一時間半で行けるから一気に三時間はロスを取り返せる。それで今朝の遅れは十分に取り戻せることになる。


 しばらくたって戻ってきた先輩は二人分の乗車券、自由席特急券、そして手回り品きっぷを持っていた。輪行袋を車内に持ち込むため にはこの手回り品きっぷが必要である。ぼくは重い輪行袋によろけながらあたふたと先輩の後を追って改札に入った。先輩は軽快なフットワークで、エスカレーターではなく階段を飛び跳ねるように駆け上がった。ぼくは無理せずにエスカレーターに乗った。まだこんなところで体力を消耗したくない。


 博多行きのひかりがホームに入ってきた。輪行袋を持ったまま動きたくなかったのでぼくは迷わずに目の前の五号車の扉に歩み寄っ た。先輩が禁煙車に乗ろうと言い出して、さっきのように軽やかにホームの端まで走り出すことをぼくはいちばん恐れた。禁煙車は確か一号車と二号車である。ぼくの記憶では先輩はタバコを吸わなかったはずだ。先輩はチラリとこちらを見て、ホームにたどりついただけでもう足元がフラついているぼくに気づいたのか、だまって五号車の扉から乗り込んだ。それはやさしさというよりは、ぼくという弱者に対しての憐れみの感情だったのかも知れない。


 「奥山、おまえ新幹線で輪行するの初めてやろ。」


 「新幹線が初めてなんじゃなくて、輪行がはじめてです。もう輪行袋の重さでフラフラです。」


 「今後のために教えといたる。新幹線には、輪行袋は一両あたり二台しか積まれへんのや。十六両編成の場合、三十二台が上限 や。」


「たった三十二台しか積めないんですか。それならもしもクラブの合宿とかで大勢のサイクリストが集中したらどうなるんですか。」


 「人間は積めても自転車が積めずに大混乱するんや。他の乗客にもむっちゃ迷惑や。そやから自転車の連中はかたまって乗ったらあかんのや。わかるやろ、こんなバカでかい荷物持ってラッシュアワーの時に乗られたらどんなに迷惑か。通路に置かれたら通られへんやんけ。サイクリストは混雑する時間帯を避けるというのは大切なマナーや。」


 先輩は進行方向に向いている座席の最後列の後ろにあるわずかなすきまに輪行袋を押し込んだ。そのすきまは、ちょうど輪行袋のために用意されたかと思えるほどぴったりの大きさだった。先輩が一両に二台と言ったわけがこれでわかった。このすきまは確かに一両に二台分しかない。そして、誰かが荷物を置かない限り、その場所はデッドスペースなのだ。その前の座席にぼくたちは陣取った。一列で五人分並んでいる座席のうち、先輩は三人掛けの方に、ぼくは二人掛けの方に座った。


荷物のうちで輪行袋に入れられないフロントバッグは網棚に載せた。このフロントバッグというのはサイクリストの必需品でハンドルのところに載せるのだが、上面にアクリル製の透明なポケットがあってそこに地図を入れられるようになっている。走りながら地図を見ること ができるのでとても便利だ。肩掛けベルトがついてるので、自転車からはずして移動する時はショルダーバッグのように担ぐことができる。


 列車が動き出してしばらくすると、先輩はもう寝息をたてていた。寝坊したクセにまだ寝るのかと正直言ってあきれた。でも、先輩の寝坊のおかげで快適な新幹線に乗れたことには心の片隅で感謝していた。つい一時間ほど前に感じていた激しい怒りは、新幹線の料金を出してもらえたことで今は収まりつつあった。交差点への無謀な突入を繰り返させてぼくの生命に危険を与えたことへの怒りは完全に消えたとはいえなかったけれども。



 「イノコ」とはいったいなんだろう。



 座席に落ちつくと、これまで何度も繰り返されたその疑問がよみがえった。


 ぼくは窓の外に流れていく景色を眺めた。イノコの謎を解き明かすことは今回のラリーに参加することの最大の目的でもある。


 ぼくと先輩は、鴨川大学サイクリング部の部員である。ぼくは一回生で先輩は四回生だ。大学サイクリング部には合宿以外にラリーと 呼ばれる他大学との交流会があり、今年は広島で開催される。それにぼくたち二人は参加するのである。ぼくがラリーに出ようと思った のは、他大学の女の子と仲良くなりたいという合コン的なノリもあったが、そのラリーに関係している「イノコ」というものに興味を持ったことが最大の理由であった。


 イノコの話は入部してまもない頃、四回生の先輩から聞かされた。その先輩というのが、今寝息を立てている岡田先輩である。イノコが きわめて危険な儀式であることと、サイクリング部の世界と切っても切れない関係であることも教えられた。


 「イノコなくしてラリーは成立せず、またラリーなくしてイノコはない。」


 先輩は言い切った。しかし、イノコがどういうものであるかという具体的なことは何一つ教えてくれなかった。なぜ危険なのか、そこまでラリーにとって重要なイノコとはいったい何なのか。突っ込んだことを知りたくても、いつもニヤニヤ笑って答えてはくれなかったのだ。


 「イノコを知りたければ、ラリーに行けばわかる。」


 最後はいつもそう言われた。


 もちろん一週間もあるラリーにわざわざ参加しなくても、すでにラリーを体験している先輩からイノコについて詳しく説明してもらえばそれ で済むことだ。しかし、どの先輩もなぜかイノコについては答えてくれない。ぼくがそこから感じとれたのは、「ラリーを体験したことのない 一回生にイノコを教えることはタブーである」という不文律だけであった。イノコを知るためにはやはり自らラリーに赴く以外はなさそうだっ た。


 再び窓の外に視線を向け、どんよりとした空の下を猛スピードで流れていく景色を見た。今日一日はかろうじてこの曇り空の下で持ちこ たえそうだけど、明日は降りそうなお天気だ。まだ傷一つない真新しい自転車で雨の中を走りたくはなかった。


 先輩が寝てしまって時間を持て余したので、今ここにいることの理由をあれこれと考えてみることにした。それを説明するためには時間 軸を三ヶ月ほど前に戻さないといけない。どうして自分はサイクリング部という世界に飛び込んだのか、そこから語る必要がある。


 大学生という身分を手に入れて受験勉強のストレスから解き放たれたぼくは、まだ所有しないもうひとつの財産として強靱な肉体を手 に入れることを望んだ。もちろんその肉体は努力せずに手に入るものではなく、その努力という手続きはきわめて困難なものであること は十分に承知していたけれども。


新聞のスポーツ面を賑わせる硬式野球やラグビー、アメリカンフットボールといった大学スポーツの頂点で活躍する人たちを思い浮か べても意味がない。どう逆立ちしたって自分はそんなふうにはなれそうもない。いくら強靱な肉体といってもそこまでは求めていなかっ た。しかし、スポーツをファッション感覚で楽しみ、女の子と親しくなるための手順としてサークル活動を利用することは堕落に思えてしま う。大学生活の四年間はあっという間に終わり、社会人になれば時間的余裕はなくなる。そんな思いにいらだちながらも全く何のスポー ツ経験も持たないぼくは、未経験者という意味ですべてのスポーツに対して閉じられていたのであった。


 自分にも飛び込めるものでありながら、同時に自分の希望も叶えてくれるという対象はなかなか現れなかった。サイクリング部の入部 勧誘ビラをもらった時に、これこそ自分にピッタリのクラブだと無理に思い込もうとしたのは、そうした長いいらだちに早く決着をつけたかっ たからかも知れない。


 とりあえず入部説明会に参加したみた。先輩たちのアットホームな雰囲気は、狭い下宿で慣れない一人暮らしをしている自分にはとて も嬉しかった。それが新入部員を獲得するための巧妙に仕組まれた陥穽にすぎないとは誰が気づいただろうか。


 そのままズルズルと新歓行事に参加し、気がつけば高価な旅行用の自転車も購入させられていた。ぼくは先輩たちに拉致されて他 の一回生と一緒に大学サイクリング部御用達の店に連れていかれ、まるでキャッチセールスの巧みな口車に乗せられるかのごとく、気が付いたら一ヶ月の生活費を越えるような金額のマシンを買うことが決まっていたのである。


 そういうわけで、ぼくは万一の出費のために用意してあった虎の子の十万円を失った。買ってしまえばもう後戻りはできない。分不相 応な高価な買い物をしてしまったのである。とにかく、かけた金額のもとをとるためにサイクリング部の活動に打ち込むしかなかった。


 サイクリング部の毎日のトレーニングはそれほどきつくはなかった。体育会所属の運動部とはいっても、硬式野球やアメリカンフットボールなどのハ ードなスポーツとはまるで性格が違うから無理もない。部員は四コマ目の授業が終わる午後四時すぎに部室に集まってくる。そこでジャ ージ姿に着替えて、鴨川の川原まで軽くランニングする。芝生の上で二人組になって柔軟体操などをしてから、今度は府立植物園あたりまで鴨川沿いの歩道を片道三キロほど走る。トップグループは競争のようになるが、マイペースでチンタラ走る者もいる。先輩後輩の別 なく、速い者は速いし、遅い者は遅い。速く走らないといけないという義務はない。ぼくは当然遅いグループの一人だった。全員が到着 するのを待ってから、そこでしばらく身体を動かした後、今度は橋を渡って行きとは反対側を走って大学構内の部室まで戻る。それが 日々のトレーニングだった。終わった後はよくビールを飲んだ。トレーニングが終わる頃に現れてちゃっかりビールだけ飲んでいく部員も 居た。そのビールは三回生、四回生、時にはOBの先輩のおごりだったので、それを目当てにトレーニングに参加していた一回生部員も いたはずだ。もちろんぼくもその一人だった。


 毎日休まず参加している部員も居れば、理系の学部に在籍していて実験実習が忙しいという理由で全然トレーニングに出て来ない部 員もいた。家庭教師などのバイトが忙しくという口実でよく休む部員もいた。他にもいろんな事情でみんな平気で休んでいたし、雨の日はトレーニングそのものが休みだった。週に二、三回出てくるというのが平均的サイクリング部員の姿である。トレーニングが終わる頃の時間にふらっと現れて、後輩にビールを振る舞って去っていくありがたい先輩もいた。


 平日のトレーニングと終わったあとのビール、週に一度の「ミーティング」と称される会合、そして月に一度の「クラブラン」という日帰りツアー、それらがサイクリング部の活動だった。


 しかし、サイクリング部が自転車を移動の手段とした「旅」を目的とするクラブである以上、もっと長期かつ長距離を走ることもある。それ が夏休みを利用して行われる合宿である。鴨川大サイクリング部の合宿は毎年お盆の時期に行われるのが恒例で、今年の行き先は長野県になっていた。その合宿以外にもうひとつ、サイクリング部には大きな行事があった。それがラリーと呼ばれる他の大学との交流会 である。合宿とラリー、これがクラブの二大イベントだった。この二つには部員は必ず参加しないといけないらしい。


 西日本の大学のサイクリング部を統括する組織として「西日本大学サイクリング部協会」というものがあり、その略称が「WUCA」であ る。これには数十校の大学のサイクリング部が加盟していた。加盟校の中には女子大や短大も含まれ、ラリーにも多数参加するらしい。 ぼくのように生まれてこのかた女性とまともにつきあったことがなく、年齢イコール彼女イナイ歴の人間にとってはたいへん興味深いことであった。


 ゴールデンウィーク明けのミーティングでラリーの説明を聞かされたあと、質問がある者は挙手しろと言われた時に「ラリーって合コンみたいなものですか。」と訊いてしまって先輩たちに笑われたことを思い出す。


 夏のラリーは毎年三カ所で開催されることになっている。その中で真っ先に実施されるのが、ぼくが参加しようとしている広島平和大学のラリーだった。


 最初のラリーというのは参加者を集める点で圧倒的に不利である。その最大の理由は、学生のほとんどが慢性的な金欠状態にあえいでいることにある。旅に出る前にまずバイトで金を稼がないとどうにもならない。長い夏休み、貧乏学生は普通、前半でバイトをして後半で遊ぶというスケジュールをたてるものである。


 部室の壁に夏休みの予定表が張り出されたのは五月の中旬だった。部員たちはそこに各自の予定を書き込むのである。誰がどの日に日本のどこにいるかがひと目でわかるようになってる。そしてほとんどの部員が休みの最初の部分を「京都でアルバイト」と書いていた。


 そういう事情もあって、広島平和大学のラリーに参加を希望したのは、親戚に紹介された家庭教師のバイトで安定収入を得ていたぼくと、四回生の岡田先輩の二人だけだったのである。


 この岡田先輩という人がぼくにはよくわからなかった。


 部員の中で最も高価なマシンを所有するらしいというのは、自転車のメカに詳しい二回生の先輩の話からわかった。後輩部員は敬意をこめてリッチー岡田という尊称を与えていた。「高価なマシン=金持ち(リッチ)」という単純な図式だ。でもそれは単に金の使い道の問題であり、食費にたくさんの金を使える人間イコール金持ちとは呼べず、単にエンゲル係数が異常に高いだけの大喰いという場合もある。高価なマシンもただの自転車オタクという可能性がある。エンゲル係数ならぬマシン係数が高いだけかも知れない。


 座席に横になって死んだように眠り、唇の端からよだれをTシャツに垂らしている先輩の姿を見たら、誰もリッチとは呼ばないだろう。頭に巻いた薄汚れたバンダナや色の落ちたTシャツも貧乏くさい。しかし、足元にはディアドラの革のツーリング用のシューズが黒光りしていた。確かペダルの位置がずれないように土踏まずの部分に平行に溝が入っているやつだ。ちなみにぼくはダイエーで1980円で買っ たふつうのスニーカーを履いていた。先輩の無精ヒゲは伸び放題で、髪も長くてボサボサで、寅さんの映画に出てくる佐藤蛾次郎という俳優に似ていた。後輩部員がこの先輩のことを悪く言わないのは、練習の後の冷えたビールを何度かご馳走になってすでに買収されて いるからだろうというのがぼくの勝手な推測だった。


 広島平和大学のラリーに参加することを決めたぼくに向かって、先輩たちは心配そうな顔をして言った。


 「奥山、ラリーに行ったらきっとイノコされるぞ。」


 「イノコ?」


 「そうや、イノコで歓迎されるんや。」


 「イノコされるっていったいどういうことですか。」


 ぼくは何度も聞き返したが、みんなニヤニヤ笑っているだけで教えてくれなかった。まだラリーに参加したことのない一回生に絶対にイノコを教えてはならないという不文律は相変わらず徹底されていた。


 ぼくは持てる限りの知識を総動員して、イノコについて考えた。


 「イノコ」とはいったい何なのだろうか。そこにはどんな文字を当てるのだろうか。「亥の子」「猪の子」という文字をあてるのだろうか。しかしそれは「イノコ」が日本語であるという前提が必要だ。もしかしたらそれは異国の単語かも知れないし、異国の単語ならその語に漢字を当てるのは「ディクショナリー」を「字引く書なり」とこじつけ、「ケンネル」を「犬寝る」と理解するのと同じレベルの恥ずかしい勘違いで ある。やっぱり「イノコ」は「イノコ」と理解するしかないのか。いくら考えても答えなど出るものではなかった。


 イノコの正体を知ってるはずの先輩は、相変わらず見苦しい様子で寝ていた。寝返りをうって首の角度が変わったせいか、よだれは今度は床に落ちて水たまりを作っていた。


 車掌さんが検札に回ってきたので、ぼくは自分の乗車券特急券を見せ、ついでによだれが手につかないように注意しながら先輩を起こそうとしたが、フロントバッグの地図入れの透明ケースの部分に切符が見えたので、勝手にそれを取り出して車掌さんに手渡した。そ の間もずっと先輩は眠ったままだった。透明ケースにそのまま戻すのも不用心なので、先輩のチケットも一緒にぼくは自分のウエストポーチの中にしまい込んだ。


 ひかり号は新大阪に到着した。ホームには輪行袋を抱えた連中が大勢いた。彼らもまたぼくたちと同じように広島平和大学のラリーに 参加するのだろう。輪行袋の積載量は車両一両につき二個だということをぼくは思い出した。ぼくたちの乗っている五号車に乗り込んで きても、そこにはもう輪行袋を載せるスペースはない。大人数の場合は何両かに分かれて乗らないと輪行袋が積めない。そのことが少 し気になったが、連中は一列に並んで向こう側のホームに停車してる新大阪始発のひかり号の指定席に乗り込んだようだった。さっきまで眠っていたはずの先輩は目をさましていて、ホームを一目見て吐き捨てるように言った。


 「アホか、あんなにかたまって乗ってどないするちゅうんや。ホンマあきれた連中やな。あんなデカいモン持って乗ったら他の乗客に迷 惑ちゅうことがわからんのか。あのボケどもはいったいどこの大学や。」 


ぼくは彼等のTシャツの背中の「千里万博大学」という文字を読みとっていた。あれだけ大勢の部員が参加するのなら、おそらくラリー の時に同じ班に一人くらいは必ず入っているだろう。客室内に入りきらない輪行袋は、デッキを占有したりしてきっと乗客に迷惑をかける のだろう。


新大阪を過ぎて山陽新幹線に入ると、途端にトンネルの区間が多くなる。暗闇が連続すると自然と眠くなってしまう。三人分の座席を 占領している先輩同様に、いつのまにかぼくも座席を大胆に二人分占領して熟睡していた。


 列車が福山に着き、ぼくは先輩と一緒に輪行袋をかついで降りた。集合場所である三次市に行く方法は二つある。ここから福塩線とい うローカル線で三時間近く揺られてたどり着くというルートと、広島まで移動してから芸備線に乗り換えるという方法である。後者の方が遠回りだが時間的にはずっと早い。ぼくたちの選んだのは前者のルートだった。新幹線に乗ったことでぼくたちは時間的余裕を手に入れていた。


 乗り換えの時に先輩は駅弁をぼくの分まで買ってくれた。ぼくたちは駅弁を持ったまま福塩線のホームに移動した。本数が少なくしかもわずか二両しかない福塩線の列車は超満員で、おかげに輪行袋という大荷物を抱えていたせいでぼくたちは他の乗客の迷惑そうな視線を全身に浴びることとなる。


 しかし、その視線の集中もほんのわずかな時間で、駅に停まるにつれて人々が降りていったので、ほどなくぼくと先輩は座ることができた。列車が空いてからはじめてわかったのだが、その列車には輪行袋を抱えた人が他にも乗っていた。なんとそれはぼくが生まれてこのかた初めて出会う女性サイクリストであった。ちなみにぼくの通う鴨川大学には女子学生がきわめて少なく、当然のことながらサイクリング部員も男ばかりである。


 輪行袋を持ってこの列車に乗っているということは、ぼくたち同様に広島平和大学主催のラリーに出るのは間違いない。ぼくが駅弁の包みを開いたときに、輪行袋をそばに置いて座ってる彼女とふと目があった。髪を三つ編みにしていて全然お化粧していなかったので高校生くらいにしか見えず、ぼくはますます胸が高鳴った。そしてちょうど彼女も手作り風のお弁当のおにぎりをつまんでいるところだった。


 「駅弁よりもおにぎりの方がエエなあ。」


先輩はわざと聞こえるような大きな声で言った。隣のぼくはなんだか恥ずかしかった。でも、あの子が直接握ったおにぎりなら食べたいような気がした。


 福塩線の列車は、三次まで直通ではなくて府中で乗り換えるようになっていた。その乗り換えの時に先輩はすばやく近づいていきなりその女性サイクリストに話しかけた。


 「失礼ですがどちらの大学のサイクリング部の方ですか。」


「関門大学です。一回生の竹本と言います。」


 「関門大学なら九州だと思うのですが、どうしてこの列車なんですか。」


 「実家が岡山なんです。一度実家に帰っていたから方向が逆なんです。」



 なるほど。関門大学なら北九州だが、岡山から来たのならぼくたちと同じ方向だ。福山での乗り換えの時に逢わなかったのは、彼女は在来線で福山まで来たからなのだろう。そしてもうひとつ気づいたのだが、女性に話しかけるときの先輩の口調は、いつもの乱暴な関西弁ではなくて、とてもスマートなしゃべり方だった。


 府中から三次までぼくたちは三人でおしゃべりしながら行くことになった。緊張したぼくはうまく話せないのに、先輩は新幹線に乗って いた時とは違って饒舌そのものになった。さっきまでのよだれを垂らして爆睡していた状態との落差にぼくは驚くしかない。先輩は彼女の地元である岡山のことをさっそく話題にした。


 「後楽園という庭園の命名の由来はご存じですか。」


 「いいえ、知りませんけど。」


 「じゃあ、お教えしましょう。江戸時代のことです。上様、つまり将軍様が岡山に来られたことがあったんですよ。その時に名物のきびだ んごを召し上がってもらうために献上したら、これが上様のお口に合わなかった。それで上様がたいへんご立腹なされて、『こりゃあ、食えん』とおっしゃって、その『こりゃ食えん』が縮まって「こうらくえん」となったんですよ。」


 「それは本当ですか。全然知りませんでした。」


「先輩、それって本当ですか。」


 「おまえまでだまされてどないすんねん。そんなん冗談に決まってるやんけ。」 そうやって軽口が叩ける先輩がぼくはうらやましかっ た。卒業するまでにあんなふうにスマートに女性と話せるようになるだろうか。素敵な彼女ができるだろうか。先輩の弟子となって精進す るしか、それを達成する方法はないのだろうか。ぼくはサイクリングのこと以上に、女性と仲良くなる奥義を先輩に学びたいと思った。話が弾んで三次までの約二時間はとても短く感じた。


 三次駅に降り立つと、そこにはジャージ姿や短パンにTシャツ姿で輪行袋を抱えた人が大勢居た。輪行袋を広げ、そこかしこでマシンを 組み立てている。ぼくははじめて「ラリーに来たんだな」という実感が湧いてきた。


 ぼくと先輩は自分たちのマシンの組み立てに必要なスペースを確保して、そこで輪行袋を開き、さっそく作業に入った。


 その組み立てだが、まず輪行袋からフレームを取り出し、前フォークごと抜いてあった前輪と組み合わせ、ヘッド小物を取り付ける。それからチェーンの油で手を汚さないように軍手をはめてから後輪のクイックレリーズを固定した。そうして前後輪を組み付けてから、ヘッド部分にハンドルステムを差し込んでアーレンキーと呼ばれる六角レンチでステムの引き上げボルトを締めた。これで前後輪とハンドルが 取り付けられたことになり、自転車を壁にもたれさせて楽に組み立て作業できる状態になった。シートチューブにシートピラーを差し込ん でサドルを取り付け、分割式の泥除けの後半分を差し込んで、小さな3ミリのアーレンキーでフレーム側のダルマネジを固定し、ついでブ レーキのケーブルを元通りに取り付けた。最後にヘッド回しとペダルレンチが一緒になった輪行用の万能スパナを使って、前のギヤを回転させながらペダルを締め付けた。


 通常ならここで完成だが、サイドバッグを積むためのフロントサイドキャリアも取り付けないといけない。ぼくがサイドキャリアを取り付け てサイドバッグを装着し終わった時には、先輩はとっくに自分のマシンを完成させて、関門大学の竹本さんのマシンの組み立てを手伝ってあげていた。


 ぼくは組み立てた自分のマシンに異常がないかどうか点検してみた。すると、シートチューブに巨大なキズがある。輪行袋に入れていた時に、後輪中央の六段フリーホイールの歯が接触したのだろうか。しっかりとその部分の塗料が剥げてやけに目立つキズになってい た。先輩もそれに気づいた。


 「はやくも名誉の負傷やな。輪行してマシンに傷がつくのは宿命や。気になるんやったら上からシールでも貼っとけや。フリーホイールがフレームに当たって傷がつくのはよくあることや。」


 ぼくは京都駅で先輩がマシンを分解していたときに、フリーホイールに軍手をかぶせてその軍手を裏返しにして留めていたことを思い 出した。あれはフレームを守るためだったんだ。メタリックバイオレットの先輩のマシンを見て、歴戦の勇者でありながらもキズひとつつい ていないその美しさをぼくは嫉妬した。クロムメッキされたチェーンは光っていて、自転車のチェーンと言えば油がベッタリついて汚いもの だという固定観念を吹き飛ばしてしまう。どうやったらあんなふうにきれいなままで乗れるのだろうか。先輩のマシンは高価なだけでなく、美しく磨きあげられている一個の工芸品に思えた。


 同じ大学の人が駅に到着するのを待ってから連れだって会場に行くという竹本さんと別れて、ぼくと先輩は開会式の会場である市立体育館に向かってマシンに跨った。駅からわずか五分の距離で、主催の広島平和大学のサイクリング部員が途中まで先導してくれたので、迷わずに到着した。


 市立体育館には「祝・第17回WUCAラリー」と書かれた横断幕が張られている。入口のところに机が出してあって、そこが受付になっ ていた。さっそくそこで手続きを済ませることにした。


 「すみません。鴨川大学です。」


「鴨川大学、えーっと、二名ですね。四回生の岡田さんと一回生の奥山くんですね。では後納金を一人五千円お願いします。それからそこの装備置き場に割り当て分の団体装備の拠出をお願いします。」


 ラリーに参加を申し込んだ時に、大学を通じて前納金という形で参加費の半額を前払いしている。今回支払う後納金はその残りという ことだから、ラリーの参加費は一人一万円ということになる。もしも当日不参加ならこの前納金というのはそのままキャンセル料として徴 収されてしまうシステムらしい。


 後納金と引き替えにぼくたちは領収証と名札をもらった。その名札は幼稚園や小学校低学年の子供が胸につけていそうな丸いプラス チック製で、ぼくは黄色、岡田先輩は黒だった。どうやら回生によって色が違うようだ。黄色が一回生というのは「くちばしの黄色いヒヨッ 子」だからよくわかるし、最上級生に当たる四回生が黒というのもなんとなく納得がいく。他の色は赤と紫だった。赤い名札をつけて歩い てる人の方が多いので、そちらがたぶん二回生だろう。ぼくのもらった名札には六班と書かれていて、岡田先輩も同じ六班だったので少 し安心した。どうやら申し込み時の第一希望そのままで決定したようだ。初めて参加するラリーなので、先輩が同じ班にいるということは とても心強かった。開会式が始まるまでにはさらに一時間ほどあったので、ぼくはさっきまで一緒だった関門大学の竹本さんの姿を探し たが見つからなかった。同じ班になれたらいいのにとふと思った。


 「奥山、時間になったら起こしてくれよ。それから団体装備を忘れずに出しとけよ。」


 先輩は木陰になっている体育館の中庭の芝生に横になった。新幹線の中であれだけ寝ていたのにまだ眠いとは恐れ入る。初めてラリ ーに参加するぼくには知り合いも話し相手も誰も居なかったので、眠ってる先輩の横に座って開始時間をただ待つしかなかった。開会式 は午後三時からだった。団体装備を降ろしてサイドバッグを軽くした後、一時間ほどぼくは次々と受付に現れるいろんな大学のサイクリ ング部員の姿をぼんやりと眺めていた。思ったよりも女子が多そうだ。女子占有率が全学生の一割にも満たない鴨川大学しか知らない 自分には、他大学のサイクリング部のそうした雰囲気がたまらなくまぶしいものとして感じられた。


開会式の時間が近づいたので、ぼくは眠ってる先輩を起こして、会場である市立体育館の一階フロアに移動することにした。入口はすべて開かれ、扉のところには乱雑に脱いだ靴が放置されている。先輩は自分の靴が踏まれないように少し離れた場所にディアドラを脱 いだ。ぼくは普通のスニーカーなので全然気にせずに踏まれそうな場所に置き、裸足になって中に入った。


 体育館のフロアには、大学名を記したプラカードが置かれていた。ぼくは「鴨川大学」と書かれたプラカードの前に座った。並び順が地域別五十音順なのか、隣には同じ京都の「祇園女子大学」のプラカードがある。「かもがわ」の「か」の次は「ぎおん」の「ぎ」ということ か。


 「なんで祇園の隣が鴨川やねん。」


 胸にNUCCと書いたTシャツを着て黄色のヘルメットをかぶった人が、ぶつぶつ言いながら祇園女子大のプラカードの並び順を変えよう として、つまり自分たちの大学の隣に移動させようとして手に取った。不法行為を行う者の常として周囲をうかがった彼は、ぼくに少し遅れて体育館のフロアに入ってきた先輩と目があった。黄色ヘルメットが手に持ったプラカードは音をたてて床に落下した。


 「宮田か」


 「お、岡田先輩、失礼しました。」


黄色ヘルメットの兄ちゃんはあわててプラカードを元に戻した。


 「全く油断もスキもないなあ」


 そうぶつぶつ言ってから、先輩はぼくの方を向いて真顔になった。


 「みんな祇園の女の子を狙っとるんや。ええか、祇園は鴨川大学の縄張りやねんぞ。おまえがしっかり守ったらんとあかんぞ。」


先輩と違って、ぼくには一睨みで相手を退ける力なんかないのにと恨めしく思った。黄色ヘルメットの兄ちゃんは「新島大学」というプラカードの前に座った。それでTシャツの文字が「NUCC」だったのである。祇園女子大と新島大学の間には衣笠大学が入るので、結局彼らは祇園女子大の隣には座れないことになる。


 待つことしばし、赤いジャージに赤いTシャツの華やかな一団が体育館に入ってきた。背中に「GWCC」とある。Gion Women's  College Cycling の略なのだろう。先に並んで座ってた人たちが一斉に入口の方に注目した。


 「やっぱり祇園はラリーの華やなあ。ほんでいつも開会式では鴨川は祇園の隣なんや。ほんまラッキーやんけ。」


 先輩のように女の子と気軽に話せる男にとってはそれはラッキーかも知れないが、話し下手のぼくにはそれは逆に拷問のように感じら れた。先輩は隣に並んで座った祇園女子大の女の子たちとさっそく話をしはじめたので、ぼくも無理に参加させられてしまった。


 「みんなに紹介するわ、こいつ一回生の奥山や。歓迎したってくれよ。筆下ろしてくれてもええぞ。」


 「先輩・・・」


 「なんや赤うなって、おまえまだ童貞やろ?」


「ちがいます。」


「ちがうゆうことは経験者か。どこで経験したんや。雄琴のソープか。」


 「そんなところ、行ったことありませんよ。」


 「そんなとこって、おまえソープがどんなとこか知ってるんか。行ったからどんなとこかわかるんやろ。」


 「本当に行ってませんよ。」


 「怪しいもんやな。最近は合格祝いにソープ行くのが流行ってるんやぞ。おまえもそのクチやろ。」


「本当に違いますって。」


 「ソープに行ってなくて童貞ちゃういうことは、誰とやったんや。」


 女の子たちの前で先輩におちょくられてぼくは泣きたくなった。童貞と言われてあわてて違いますって言ってしまったけど、でもソープで 童貞を失った男の方がもっと恥ずかしいかも知れない。ここはどうごまかせばいいんだ。ぼくはあせりまくった。


 「岡田さん、あんまりいじめたったらかわいそうですよ。見込みありそうな子じゃないですか。」


 「見込みがあるかどうかはまだわかりませんよ。まあ、冗談はこれくらいにしときましょう。」


  先輩は笑ってぼくの肩を叩き、ぼくだけに聞こえる声で言った。


 「そこに居るのがラリーのマドンナ井藤いとうさんや。覚えとけよ。おまえ年上は好みか? 三回生や。」


 確かにマドンナの名にふさわしい色白の美女だった。


それまで会場いっぱいに鳴り響いていたBGMの音楽が止み、主管校の広島平和大学の部員が黄色いTシャツで前に一列に並んだ。


 「ただいまより、第十七回WUCAラリー、広島大会の開会式を行います。実行委員長挨拶を行います。」


一列に並んだ部員の中から一人が体育館のステージに上がった。


 「おっ、実長じっちょうは斎藤か。」


先輩はステージに上がった人を見て即座に言った。「じっちょう」という言葉の意味が一瞬わからなかったが、「実行委員長」を縮めて 「実長」のようである。


 「あいつとは一緒の班になったことあるんや。酒はよー飲むし、よー走るし、よー食うし、ほんまに一回生のかがみみたいなヤツやったぞ。お まえもあんなふうになれるようにしっかり鍛えたるからな。」


 その一回生の鑑が出世してこうしてラリーの実行委員長になり、ぼくのような明らかに落ちこぼれ候補生の部員は途中で落伍していく のだろうかと不安になった。


 「ラリー参加のみなさま、本日は第十七回WUCAラリー広島大会にご参加ありがとうございます。今回のラリーの実行委員長をつとめ させていただきます斎藤秀夫です。昨年秋にこのたびのラリーの主管が決定してから十ヶ月間、我々広島平和大学サイクリング部員は 一丸となって、このラリーを成功させるためにコースの計画と下見を行ってきました。そのために部員一同、ほとんどすべての日曜や祝日をつぶし、彼女とのデートも我慢し、もちろん授業にでる時間も惜しんで計画を練り、そのために単位をたくさん落としてがんばって参り ました。これもひとえにみなさまに喜んでいただくためでございます。今回三百人を越える申し込みをいただきましたことはまことによろこ ばしいことでございます。もしも参加者が少なければ準備や下見にかかった費用が回収できず赤字になってしまうところでした。いや、おそまつな内情を暴露して申し訳ないです。とにかく、走ることに関しても飲むことに関しても、主管校の部員から率先して自爆していくこと を誓います。」


 ラリーの準備や下見のせいで授業に出られなくなって単位を落としたら目も当てられないなあと、ぼくは鴨川大学がラリーなんて主管 しないことをひたすら願った。


実行委員長挨拶の次は、各大学別の挨拶のようだった。参加校都道府県順で東からということでまず近江大学から挨拶が始まった。 京都は滋賀県の次だからすぐに順番が回ってくる。


 「先輩、ぼくらは誰が挨拶するんですか。」


 「ふつうは主将が挨拶するんや。」


 「主将が来ていないぼくらはどうしたらいいんですか。」


「おまえが二年後の主将やと言うて挨拶したらええやんけ。」


 「先輩、そんなん言わんとってください。ぼくはラリー初めてなんですよ。」


 「そやったなあ。ほんだらオレがしといたるわ。」


 ぼくはその言葉に安堵した。


 「鴨川大学お願いします」


先輩が立ち上がってステージの上でマイクを握った。


 その途端、他大学の部員から割れんばかりの拍手が巻き起こった。実行委員長に対する拍手なんかとは比べものにならないド迫力だ った。祇園の女の子たちも手が痛そうに見えるくらいに拍手してる。まるでアイドル歌手の登場のようである。先輩はそんなに有名だった のかとぼくは驚いた。


 「鴨川大学サイクリング部代表の岡田亮おかだまことです。広島平和大学のみなさま、ラリー主管並びに下見お疲れさまです。今回のラリーは日程的に無理があったせいか、参加者は私以外は一回生部員が一人だけという寂しい状況となってしまいました。鴨川の一回生は、伝 統としてよく働きよく食べよく飲むと言われます。残念ながら走りの能力はイマイチです。どこかのロータリー車のように燃費が恐ろしく悪くて、米一合で10キロしか走れないというウワサもあり、きっとご迷惑をおかけするかと思いますが、今年連れてきた一回生が、その伝 統をきっちりと受け継いで育ってくれるように、主管校のみなさま同じ班のみなさま、どうぞ存分にいたぶってくださるようお願い申しあげ ます。言うことを聞かなければどんどんこの私に告げ口してくださってかまいません。私が責任を持って鍛え直します。以上で鴨川大学 の挨拶を終わります。」


 壇上からフロアに降りてきた先輩は、ぼくの顔を見て「ふふっ」と笑みをもらした。一回生をいじめてくださいとアピールした挨拶の内容 に、ぼくは先輩に対してほとんど殺意にも近い気分を抱いた。


 続いて祇園女子大の挨拶だった。代表は先輩がさっきマドンナと言った井藤さんだ。拍手に包まれてステージに上り、マイクを握ると 先輩とは異質のどよめきが会場を埋めた。ぼくはまだ行ったことはないのだが、ストリップ劇場で踊り子の出番を待ってる飢えた男ども の雰囲気に近いと言えばいいかも知れない。そのどよめきの中であろうことか、


 「脱げー!」


 「脱げー!」


とヤジをとばす連中がいた。なんてヤツらだと思って、ぼくは思わず声がした方向を見た。先輩も怒っている。


 「ほんまにひんしゅくやのー。われらがアイドル由香子チャンに対してなんちゅうこっちゃ。あいつら一回いてこましたらんとあかんな。」


 そのヤジ軍団のTシャツの背中には「ROKKO」の文字が入っていた。


 井藤さんの挨拶がはじまった。


 「祇園女子大サイクリング部主将の井藤由香子です。部員十五名の大所帯で参加させてもらっています。今まで祇園女子大と言えば ラリーのお荷物と呼ばれて恥ずかしい思いを重ねて来ました。今回はその汚名を返上するために春休みやゴールデンウィークの合宿を 通じて部員一人一人のレベルアップを心がけて参りました。『もうお荷物とは言わせない』というのが我々祇園女子大のスローガンで す。よろしくお願いします。」


 「別にお荷物でもええんやけどなー。少なくとも男よりも速うてたくましい女なんかよりはよっぽどええよ。」


 先輩はそうつぶやいた。


 続いて衣笠大学が挨拶に立った。なんと四人で出てきた。なんだかモジモジしている一回生らしき部員を前に立たせて、後ろに三人 が立っている。マイクを握ってるのは後ろにいる上回生らしい人だ。なんだか見ていて異様な胸騒ぎがした。


 いきなり斜め後ろに立っていた二人が、前に立っている部員のジャージを引きずり降ろした。ブリーフも一緒に脱げてしまって、黒いものとその茂みの中のちょっと皮をかぶったものが一瞬目に入った。その瞬間、罵声や怒号や悲鳴が体育館をいっぱいにした。隣に並ぶ 祇園女子大の女の子たちは両手で顔を覆って指の間から見ている。ROKKOのTシャツの連中は指さして腹を抱えてのけぞっている。


 「お粗末様でしたぁ。」


 あわててうずくまる哀れな下半身丸だし男をかばいながらそう叫んで、彼らはフロアに下がっていった。


 「衣笠は挨拶もお粗末やけど、パンツの中身も実にお粗末やったのう。」


と先輩は感心したように言った。



 各大学の挨拶がすべて終了すると、今度はラリー主管の広島平和大学の人によるコースの説明があった。参加者は三百名近くいる ので、二十名弱の班が全部で十五個編成されていた。峠道をハードに攻めまくる男子ばかりの班が三つある以外は、すべて男女混合 の班だった。もともと合コン的なノリを期待していたぼくにとって男子班などはじめから論外だったが、希望を出すときに先輩はこうアドバ イスしてくれた。


 「おまえの実力では他の大学の走りのレベルには全然通用せえへん。男子班なんかで恥をかくな、絶対やめとけ。」


 それもあってぼくは男女混合の班を希望したのである。それが受付で渡された名札に書いてあった六班である。六班のコースは、出 発点の三次市から南に向かい、起伏の多いコースを瀬戸内海に面した海辺の町まで走り、そこからフェリーで江田島に渡り、最後は日本三景の宮島でキャンプするという瀬戸内海満喫の三泊四日のコースだった。


 コースの説明が終わると、またまた「実長」がステージにあがった。


 「最後にラリー期間中の諸注意を行います。まず、走行中はくれぐれも交通安全を心がけていただきたいと思います。ラリー期間中に 交通事故などが発生しないよう、平和大学の部員は念入りにコースの下見を行って危険な場所を点検して参りましたが、ラリー参加者 のみなさまにも安全運転の徹底をお願い申しあげます。また、参加者は全員傷害保険に加入するという形をとっております。保険料は 参加費の中から出しておりますので、みなさまの心配はご無用でございます。ラリー期間中の交通事故などで起きた負傷に伴う医療費 はそちらでカバーされます。この『負傷』には走行中のケガだけではなく、イノコによるケガも含むということを予め申し上げておきます。」


最後の「イノコによるケガ」の部分で、大きな笑い声が起きた。でも、笑い事ですませていいのだろうか。イノコは時にはケガ人も発生す る危険なものであるということなのだ。笑い事じゃないぞ。


 ぼくは先輩から「イノコされるぞ」と言われたことを思い出した。イノコされる危険があるということは、イノコによってケガをする危険もぼく にはあるということなのだ。どうやってその危険から逃れればいいのか。ぼくは自分の身を守れるのか少し不安になった。


 開会式が終わると、班分けが発表された。ぼくは希望通りの六班になったことが受付時にすでにわかっていたが、同じ班にどの大学 のどんな人がいるのかはまだ知らなかった。黄色いTシャツの平和大学の部員たちが、体育館の壁に次々と模造紙にマジックで書かれ た班員一覧表を張り出していった。期待に胸を膨らませながら、ぼくは六班の一覧表を探した。そこには次のような名前が並んでいた。



 六班(十七名)


四回生 岡田亮(鴨川)

   瀬川弘(千里万博)


三回生 宮田憲一(新島)

   井藤由香子(祇園女子)


二回生 仲田浩二(大阪工芸)

   松阪景子(祇園女子)

   栗田秀和(六甲)

   江村圭子(大阪学芸)


一回生 西尾正信(新島)

   奥山直彦(鴨川)

味村道恵(祇園女子)

    上原里香子(祇園女子)

   宮寺佳秀(大阪工芸)

   藤江茂男(桜島)

竹本安江(関門)

五味博(渦潮)


主管(広島平和大学)

二回生 山本浩一郎 



 受付の時には岡田先輩と同じ班であることを心強く思った。しかし、開会式の挨拶や、さきほどの衣笠大学のパンツ脱がされ劇を見た自分にとって、先輩と同じ班になっていることは本当にラッキーなことと言えるのか。もしかしたらそれはアンラッキーなことなのではない だろうか、ぼくは判断に苦しんだ。


 さっき脱げコールを受けたラリーのマドンナ、祇園女子大の井藤さんも同じ班だった。マドンナ一人でも嬉しいのに、祇園女子大からは 全部で四人もぼくと同じ班に入っていた。ただ、開会式の時にプラカードを動かそうとして先輩に見つかった新島大学の宮田さんもなぜ か同じ班だった。そして、今回のラリーで最初に知り合えた関門大学の竹本さんも同じ班だった。実はそれが一番嬉しかった。


 掲示された一覧表の前でぼくたち六班のメンバーは輪になって座った。主管の広島平和大学の人が現れて言った。


 「六班のみなさん、こんにちは、広島平和大学の山本浩一郎です。今、各大学から持ち込まれた団体装備の点検をしています。点検 が済めば夕食の準備に入りたいと思いますが、それまでに班のメンバーの自己紹介をお願いします。そのあとで班長の選出もよろしく お願いします。それでは失礼します。」


 輪になったのは、主管校の人を除いた十六人だった。NUCCとTシャツに入った新島大学の人が立ち上がった。小声で岡田先輩に何か話したようだったが聞き取れなかった。


 「新島大学三回の宮田憲一です。主管校の方が不在ですので、この場を代わりに仕切らせてもらいます。まず自己紹介から始めたい と思います。一回生からするところですが、ごちゃごちゃに座ってるので私の位置から時計回りの順番で大学名、回生、名前をお願いし ます。」


 その発言を受けて、一人一人が立ち上がって自己紹介をした。宮田さんは岡田先輩の隣に座っていて、逆方向に自己紹介が進んで いったので、ぼくの順番は最後から二番目、そして岡田先輩が最後ということになった。何人目かで、まるで高校球児のような坊主頭で 長身の人が立ち上がった。彼は突然体育館のフロアいっぱいに響きわたるような大声で怒鳴って自己紹介を始めた。


 「これはストームちゅうもんや。九州の大学にはこれをやるとこが多いんや。誰かが必ずやると思てた。」


 岡田先輩はすぐに説明してくれた。怒鳴り声の中身はほとんど聞き取れなかったので、張り出してある一覧表でもう一度確認すると、 ストームの彼の名前は、桜島大学の藤江繁男となっていた。同じく九州の大学である関門大学の竹本さんまでストームをしたらどうしよ うと心配したが、名前と大学を言うだけの普通の自己紹介だったのでほっとした。赤いジャージの祇園女子大の一団が自己紹介してる ときは恥ずかしかったのでぼくはうつむいていた。開会式の時に祇園女子大の女の子たちの前で先輩がぼくのことを「童貞」と言ってた のを思い出されたらカッコ悪かったからである。


 十四番目の自己紹介が終わって、ぼくの番になった。ぼくは立ち上がって挨拶した。


 「鴨川大学、一回生、奥山直彦です。ラリー参加ははじめてですのでよろしくお願いします。」


 ちょっと緊張して硬くなっていたので声がうわずっていた。続いて先輩が立ち上がった。


 「同じく鴨川大学、四回生、岡田亮です。ラリー参加はこれで十三回目です。人間は古びてしまいましたが、気分だけは初参加の時の ようなフレッシュなままでいたいと思います。一緒にこの班を楽しく盛り上げていきましょう。よろしくお願いします。」


 先輩が最後に締めくくって自己紹介が終わった。そこで先輩はみんなに聞こえるような声で言った。


 「次は班長やな。」


 そうして宮田さんを見た。他の大学の人もなんとなく宮田さんの方を見つめた。


 「班長は三回生いうのが慣例や。この班の三回は宮田と井藤さんや。井藤さんにしてもらうのも面白いけど、ここはラリ-経験の豊富 な宮田が班長ちゅうとこでどうや。」


 先輩はそこまで言って、祇園女子の井藤さんの方を見た。井藤さんは笑って拍手した。他の大学の部員も一斉に拍手したので、班長 は宮田さんということになった。先輩は続けて言った。


 「あと、装備係とコック長を決めんとあかんな。これはどっちも二回生から決めるもんや。コック長はできれば女性の方がええなあ。」


 その言葉が終わる前に手が上がっていた。


「ぼく、装備係やります。」


 「コック長、やらせてください。」


 「ありがとうございます。じゃあ装備係は大阪工芸の仲田くん、コック長は祇園女子の松阪さん、よろしくお願いします。」


班長に決まったばかりの宮田さんが答えた。それにしてもみんなどうしてこんなに積極的なんだろう。小さい頃から「面倒な仕事はでき るかぎり押しつけられたくない」という何事にも消極的な生き方を守ってきたぼくにとっては、この成りゆきは驚きだった。しかし、こういう ふうに積極的に自己をアピールしないと、ラリーの中では自己を表現できないのかも知れない。これから五日間のラリーで、ぼくはいった いどこで自分を表現できるのだろうか。


タイミングよくそのときに館内放送が入った。


 「ラリー参加者のみなさま、装備の点検が終了いたしましたので、ただいまより夕食の準備に入ってください。」


 ぼくを含めて一回生、二回生の班員は全員立ち上がった。


 団体装備は、班ごとに分けて積まれていた。仲田さんが一覧表を見ながらてきぱきと団体装備を確認している。さすが自分から係を希望するだけのことはある。横からのぞき込むと、その一覧表には個数とその装備の所属、つまりどの大学の備品であるかが記されてい た。六班の団体装備の割り当ては次の個数だった。


六班 団体装備一覧表


ホエブス  六個    工芸三 祇園一 鴨川二 

大鍋    二個 工芸一 祇園一

飯ごう   七個   祇園三 渦潮二 六甲二

コッフェル 五個    工芸二 新島二 千里一

テント   六テン  工芸一 新島一

     四テン  祇園二 六甲一

まな板   三枚 祇園二 関門一

包丁    四本 祇園二 学芸二

ガスポリ  二個    桜島一 新島一



ホエブスというのは正式名称をホエブス・725という安価なレギュラーガソリンを燃料にできるする携帯型コンロで、火力が強く燃料が手に入りやすいのでどの大学のサ イクリング部も使っていた。いちいちホエブスとは言わずに縮めて「ブス」と呼ばれていた。コッフェルはふたのついたアルミ製の鍋のこと。六テン、四テンというのはそれぞれ六人用、四人用のテントの略称。ダンロップのドーム型のテントがサイクリング部の定番だ。


 テント以外はすぐに必要なので、一回生で分担して炊事場所として割り当てられた体育館横の水飲み場の水道のそばに移動させた。


 コック長の松阪さんがすぐに指示した。


 「野菜の皮むきはわたしたちがやりますから、一回生男子はブスの点火とお米をお願いします。」


 ブスの点火と米研ぎならブスの点火の方が面白そうなので、ぼくは目の前にあった「祇園2」と書かれたブスを手に取った。与熱用のメ タと呼ばれるスティックタイプの固形燃料をノズルの根元に載せて、ライターで火をつけ、ポンプで圧をかけた。シャカシャカシャカと勢いよ くポンピングして、それからライターの炎を近づけて、ノズルを少しひねった。うまくいけばそこでガスが勢いよく噴出して着火するのであ る。しかし、ぼくの前の「祇園2」のブスは、力無くまだ液体のガスがプシューッと漏れただけだった。ぼくはもう一度メタを載せて火をつけ た。それからシャカシャカとポンピングを繰り返した。五十回くらいポンピングして、これ以上圧を加えたらブスが爆発してしまいそうに思 えるくらいになってから、ノズルをひねってみたが、今度も液体のガスがプシュッと漏れただけであった。すでに他の一回生のブスは 次々と点火に成功して勢いよく青い炎が吹き出していた。


 「祇園のブスはやっぱりあかんなあ。」


 そう言われてびっくりして振り向くと後ろに仲田さんが立っていた。


「奥山、おまえなんも知らんねんなあ。ええか、祇園の女子部員はかわいいがブスはアカんというのはラリーの常識や。教えといたる わ。女子ばっかりの祇園の装備がいろんな大学の装備の中で一番コンディションが悪いんや。ちゃんと使えるかどうかなんか全然チェッ クせんと持って来よるねん。おまえがそれを知らんといきなりそのブスを手にとったからアホかと思たけど、ほんまに知らんかってんなあ。そんなブスはほっとけ。オレは装備一覧表を見たときに、ブスは五個しかないと思てたで。」


 仲田さんは祇園2のブスを向こうに持っていった。火のついたブスは一カ所に集められて、その上には飯ごうやコッフェルが次々と載せられた。ぼくが祇園のブスと悪戦苦闘してる間にいつのまにか米研ぎも済んでいたようだった。炊きあがるまでしばらくのんびりできそうだったので、祇園女子大の女の子たちがまな板の上で野菜を切っているのを見ていた。ぼくはその時、装備係の仲田さんなら二回生だしきっとイノコについて知ってるだろうと思って訊いてみた。


 「仲田先輩、イノコって何ですか。」


 「なんや、奥山、教えて欲しいんか。」


 「はい。うちのクラブの先輩から、ラリーに行ったらイノコがあると教えてもらったのですが、まだ何のことかわからないんです。」


 「何やったらここでしたってもエエんやけど、そういうわけにもいかんのや。」


 「どうしてしたらいけないんですか。」


 「イノコは神聖なものなんや。最終日までは封印されてるんや。一回生に教えるのも禁止なんや。まあ打ち上げコンパの時にイヤという ほどイノコされたりしたりすることになるわ。楽しみにしとけよ。」


 イノコを知らない自分が犠牲になってイノコされるのはわかるが、人をイノコするようなことがあるんだろうかと不思議に思った。イノコされたときに、傷害保険のお世話になるようなケガだけは逃れたいとふと思ったし、自分が誰かにケガをさせる加害者にもなりたくはない。


飯ごうがふきこぼれたらすぐに弱火にして、火が消えないように微調整している他の一回生たちの働きぶりを横目に見ながら、ぼくは自分の経験不足が恥ずかしかった。個人でツアーに出たこともないぼくは一人できちっとメシが炊けるのだろうか。仲田さんはさっきからぼくが手を焼いた祇園2のブスをいじっていた。


 メシが炊きあがった飯ごうはブスから降ろされ、逆さまにして地面に置かれて蒸らされる。メシ炊きの役目を終えてフリーになったブスの上に松阪さんが大鍋を乗せた。大鍋が熱くなってから肉を入れて少し炒め、それから水とジャガイモ、タマネギが投入された。それを そばでじっと見てると、ぼくは松阪さんから話しかけられた。


 「奥山くん、料理に興味あるの?」


「いや、そんなことないです。ひまだから見てるんです。」


 「わたし、コック長を希望してやらせてもらったけど、本当の適任者は岡田先輩だと思うわよ。奥山くんも先輩に弟子入りしていろいろと 教えてもらえばいいわ。先輩の活躍はラリ-の中でひとつの神話になってるくらいだから。でも、先輩はコック長だけじゃなくてなんでもできる人だから、ひとつの係に決めちゃう方がもったいないわ。一緒の班になれて喜んでいたと、後で先輩に伝えてね。」


 新幹線の中で見苦しくよだれをこぼしていた先輩のイメージと、「コック長」といういかにも清潔感漂う係は全く合わなかったのでぼくは 面食らった。松阪さんは先輩の話を続けた。


 「岡田先輩のことはラリーに来てる人は誰もが知ってるのよ。先輩は一回生の時から夏三回、春一回という年間四回のラリーの完全 制覇を三年間続けた唯一の人なの。だからこのラリーで連続十四回目の参加ということになるわ。」


 ラリーにそこまでこだわっている先輩の姿を自分はちっとも知らなかった。鴨川大サイクリング部の中では先輩は主将でもないし幹部で もない。ヒラ部員のまま四回生になってしまったという、いわゆる窓際族のような立場だった。部の中で先輩は存在感を示したことがな い。ミーティングの時にはたいてい居眠りしているし、トレーニングでも速さや体力を誇示するということもなかった。美しく磨き立てられた マシンを愛し、走ることを愛し、小汚いスタイルを愛する先輩はサイクリングの求道者の雰囲気こそは漂っているが、部の中ではただの 自転車オタクというイメージに映っていたのだ。


 しかしラリーの世界では先輩は圧倒的な存在感を示している。ぼくは開会式の歓声を思い出した。いったいどちらが本当の先輩の姿 なんだろうか。ぼくには答えが出せなかった。


 他の飯ごうも次々とブスから降ろされ、空いたブスの上にもうひとつの大鍋が乗せられた。そちらの鍋でも松阪さんが手早く肉を炒め、 そして刻んだ野菜類を入れて少し炒め、それから水を入れてフタをした。メシを炊くという使命を終えたブスが集められて、三発のブスで 一つの大鍋を加熱するという状態になると、その強力な火力ですぐにお湯は沸騰してきた。フタをとり、松阪さんがおたまでアクをすくっ た。配給された食糧は6と大書されたダンボール箱の中にまとめて入っている。その中には明日の昼食用と思われる缶詰類などもあっ た。カレールーは子供の頃から親しんでもう食べ飽きてしまった「ハウスバーモントカレー甘口」だった。自分の希望を言えば甘口ではな く中辛を入れておいて欲しかった。


 すでにカレールーを溶かした班もあるようで、おいしそうなカレーの香りが漂ってきたが、松阪さんはなかなか「入れてもいい」というゴ ーサインを出してくれなかった。


 そこに広島平和大学の山本さんが連絡事項伝達のためにやって来た。


 「すみません、食事の場所は体育館の一階です。自己紹介を行った場所で夕食にしますので、できあがったらそちらに運んでくださ い。あと、食器ガチャを各自一個ずつ出すようにお願いします。」


 ぼくはあわてて自分のマシンのところに駆け寄って、サイドバッグの中からアルミ製の食器を取り出した。そこにはマジックで「奥山」と 名前が書いてある。ラリーの直前に登山用品の店で買ったもので、食器とお皿代わりのフタが組合わさって、針金のような取っ手のつい たものである。松阪さんのアシスタントのようにしてそばで働いていた祇園の一回生の女の子たちが、提出された食器を持って水飲み 場のところの水道でもう一度軽く洗って、ふきんで拭いてくれた。そのうち六班の大鍋からもカレーの香りが漂ってきた。


 「奥山くん、大鍋カレー運んでちょうだい。」


 松阪さんに頼まれて、ぼくはカレーを満々とたたえた大鍋を体育館の食事場所まで運ぶという大役を仰せつかった。もしも何かにつまづいてひっくり返せば、十七人分の食事が一瞬にしてパーになってしまうので緊張する。食事場所には段ボールが広げられていて、ぼくはその上に大鍋を降ろし、飯ごうやコッフェルもそこに並べられた。松阪さんは食器の数を確認し、十七個あるのを確かめるとそこにメシ を盛り始めた。松阪さんの隣で祇園の一回生の味村さんが上からカレーをかけ、カレーのかかった完成品を上原さんが輪のように並べ た。


 「みなさんブキをお願いします。」


 「ブキ?」


 松阪さんの言葉にぼくはまたしてもとまどった。しかしそのブキという言葉に反応してすぐにみんなスプーンを出した。なぜスプーンがブキなのか、ブキとはもしかして「武器」なのか、そうすれば食べるというこの行為は一種の戦闘状態なんだろうかとぼくは一人で納得した。


 十七個のカレー入り食器とその上に置かれたブキが並び、夕食の体勢が整った。それまで雑談したりごろ寝していた上回生たちもそ の場にやってきて、みな思い思いの食器の前に陣取った。各自が持参した食器の大きさはさまざまである。丼のような大きさのものもあ れば、何度もおかわりないしないと満足に食べられないような小さなものまで、それが適当に並べられていて、必ずしも自分の食器が自 分の前にあるとは限らない。そこにみんなが輪になって座っていった。まだ打ち解けていないのか、女子は女子でかたまって座るような結果となった。祇園女子大の四人は並んで座った。先輩は新島大の宮田さんや千里万博大の瀬川さんという三、四回生と並んで座ったので、ぼくは一緒にブスの点火をした他の一回生と並んで座ることとなった。隣に座ったのは自己紹介でストームを行った藤江だった。


 「パーン、パーン、パーン」


 急にみんなが手を叩きだしたのであわててぼくも合わせた。徐々にその手拍子は大きくなり、最初は乱れていた調子もそろってきた。 班長の宮田さんが大声を出した。


 「いちとーにーとーさんとーしーとーごーはーん。いただきまーす。」


 ぼくは、目の前で起きたことがなんだかわからずにあっけにとられていた。みんな凄い勢いで喰い始めた。特にぼくの隣の藤江の喰いっぷりはものすごく、ぼくが三口目くらいをスプーンですくおうとした時には、彼の食器はもうカラッポになっていて、おかわりのために立ち 上がっていた。早く食わないとメシやカレーがなくなるような気がして、ぼくもペースをあげた。しかし、カレーを食べると喉がかわく。水はどうするのだろうか。ふと周りを見るとみんな手元にボトルを置いていた。マシンのシートチューブに取り付けて、走りながら飲めるあのポリボトルをそのまま持ってきてるのである。ぼくは席を立ってマシンのところまで取りに行こうとしたが、藤江がマグカップを出してそこに ボトルから水を入れ、ぼくに手渡してくれた。


 「ボトル持ってくるの忘れたんやろ。入れたるわ。」


 彼の言葉のアクセントが関西風だったので聞いてみた。


 「藤江はもしかして関西出身?」


 「そや、大阪や。」


 「大阪?」


「高校までは大阪やったんやけど、なんとなく遠くの学校を受けたくなって、それで桜島大学に入ってん。」


 それで言葉が関西弁なのか。ぼくも春からの京都での下宿生活で関西弁には抵抗がなくなったが、自由に駆使できるレベルまではま だ到達していなかった。


 みんな快調なペースで食べ、ぼくも二回おかわりをした。空っぽになる飯ごうも出てきた。岡田先輩は松阪さんに向かって訊いた。


 「メシは何合炊いたん?」


 「男子は一人あたり一合半、女子は一合という計算です。」


 「そんなんやったら全然足らんわ。走られへんくらい少なすぎるわ。祇園の合宿やったらそれでもええかも知れへんけど、もっと気合い入れて炊かんとあかんで。男は二合、女子も一合は少なすぎるから頑張って食わんとあかん。」


 叱られて松阪さんは少しうつむいている。そんなにたくさん炊いて余ったらどうするんだろう。ぼくは藤江に訊いてみた。


 「藤江、余ったごはんは普通はどう処理するの?」


 「余れへんよ。みんなオレが食うから。一升までやったら食えるわ。」


 彼のその食いっぷりを見れば、それは誇張ではないように思えた。


 先輩の指摘通り量が少なすぎたせいか、飯ごうの中のメシはあっというまにどれも底をついた。藤江は空っぽの飯ごうを手にとって、直 接スプーンで中にこびりついた飯粒を食べ始めた。他の一回生も次々と飯ごうを手に取った。どうやら飯ごうの飯粒掃除も一回生の義務 のようだ。ぼくがそれに気づいたときにはもう残ってる飯ごうはなかった。


 一回生が食べ終わるのを確かめてから、宮田さんは手を叩き始め、みんなそれにあわせた。


 「パーン、パーン、パーン」


 徐々に手拍子が大きくなる。「いただきます」の時と同じだった。


 「いちとーにーとーさんとーしーとーごーとーろくとーななとーはちとーくったーくったーごちそうさまでした。」


 そのユーモラスなフレーズに、ぼくはその儀式がたちまち好きになった。


 「ガチャ洗うから出してください」


 祇園女子の味村さんと上原さんがそう言ってみんなの食器を集めた。


 スプーンは「ブキ」、そして食器は「ガチャ」なのか。


おそらくはこれから多用することになりそうな言葉を二つ身につけたことで、ぼくは大いに満足した。蛇口が少なかったので、一回生男子は洗い場の女子を遠巻きにして後ろで見守っているだけだった。


その夜は班対抗運動会というアトラクションが行われた。


騎馬戦の時はぼくたち一回生が作った騎馬に岡田先輩が乗った。先輩に恐れをなしたのか、ぼくたちの騎馬に戦いを挑んでくるような 命知らずはいない。後ろから迫ってきた騎馬があっても、先輩が振り向くと、


 「失礼しました!」


と言ってどの騎馬も去っていった。


 風船割りの時はもっとひどかった。先輩は靴下の中に画鋲を仕込んでいて、面白いように他の班の風船を割りまくった。そんな卑怯な人間が、ラリーの中でみんなに敬意を払われてることは絶対に間違いであるとぼくは思った。


 ぼくたちの六班は先輩の活躍でみごとに優勝し、賞品として大量の花火と昼食用の缶詰を手に入れた。


 運動会の片づけが終わったら、もう消灯予定時刻間際だった。


 消灯時間は九時、翌朝の起床は五時ということで、体育館のフロアーに色とりどりのシュラフを広げて、班ごとにかたまって眠りにつく ことになる。眠る前に歯を磨く人が洗面所の前に長蛇の列を作っていた。三百人が全員体育館のフロアーで眠るのかと思ったが、女子 は別に小部屋があるようだった。


 新幹線ではほとんど眠っていて、その上会場についてからも昼寝していた先輩は真っ先に寝息をたてていた。冷房のない蒸し暑さに 耐えながら、ぼくはなかなか寝つかれなかった。毎日欠かさず銭湯に通っていたきれい好きのぼくは、眠る前に風呂に入れないことが 実は一番こたえていたのだ。






  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る