第二十話「下から来る!(前編)」

従業員たちブレーメンは?」

 大学から戻ったら、お店にはシーフー独り。

「夜の営業までは休憩。カラオケ行った」

「好きねえ」

 ま、そのおかげで彼をしばし独占できるのだからいいか。

 カウンターの中で彼は手を休めずに何かを作っている。

「で、料理長殿は休まず仕込みですか?」

 覗き込んだ作業台の上では、小さく切られた様々な具材が小山をつくっていた。



「豚の角煮、シイタケ、にんじん、たけのこ……ね」

 皮を剥き終わった茹で枝豆と一緒にそれらを中華鍋に投下。ごま油を大匙2杯きっかり注いで、リズミカルに杓子でかき混ぜはじめた。

「シイタケやにんじんはさいの目切り。枝豆の緑色をとるか銀杏ぎんなんの黄色をとるかはお好みで。今回は枝豆を採用」

 手にした杓子は鉄鍋の底をめまぐるしく、そして、具材を傷つけないよう繊細に駆け巡る。

 金属杓子が鍋をさらう音が他の料理の時に比べてことから、具材に対する細やかな気遣いがあたしにもわかる。

「たけのこは食感と安さの両方に秀でてる。栗やなつめもアリ」

 鍋の上で空中に飛び跳ねては沈む枝豆には焦げ目ひとつついてない。

 彼のこんな作業を見ているのがたまらなく好きだ。

「財布に余裕があればアワビを入れるといいよ。豪華さとプリプリ感ッがアップ」

 ……このひと、誰に言ってんだろう。



 具材から余分な水分がなくなると、彼は傍らに置いてあった金属ボウルを手に取って、中の水を捨てる。

 ボウルに残ったのは一晩冷水に浸けて粘度を高めたもち米4カップ分。

 これを中華鍋に放り込んだ。

「味の中心は醤油」

 大匙4杯ですか。みりんと塩を少々。ふむふむ。

 また炒める。今度はもち米の水を飛ばして炒飯チャーハンのパラパラ感とは真逆のもちもち感を醸し出すべく炒める。

 強火でカラッとではなく、中火で水気だけを吹き飛ばす。

 もち米は自身の粘着力で米粒の形状を失っていく、他の具材がその粘りに絡め取られて一つのオブジェに組み合わさっていくのを眺めていた。

 お醤油で薄茶色に染まったそれは、目と鼻を通じて、お昼を食べてない胃を呻かせようとしてくる。

 腹の虫はダメよ、絶対。拳法で鍛えた精神力で体内の抵抗勢力を押しとどめる。

「お腹すいてるのか?」

 仙人の目は千里を見通す。目の前の娘の空腹加減は言うまでもないわね。降参。

「こんなもの目の前で作りおって、おぬしは」

「眺めててくれとは言ってないんだが」

 仙人の目は千里を見通す?ウソだ、目の前の娘の胸の中の、説明できない気持ちって奴はまるで見えてないわね。鈍感。

 この鈍さ加減がちょうどいい距離感を保っていられるってのも、わかってんのよ。で、この蓬莱軒を通じてつながっている少しビジネスライクな感覚も実は心地いい。



 この冴えてるのか曇ってるのかわからん男は、鍋の中のおいしい塊をいくつかの正四面体にこねあげる。

 それを、豚の角煮をつくる際にできた汁に浸けていた竹の皮を一度きれいに拭いたもので丁寧にくるんでいく。

「大陸では葦の葉を使うこともあるんだ」

 すきまなく包んだ竹の皮の端々を糸で幾重にも縛る。ホント、こういう作業を手先に見とれている間にあっさりと仕上げてしまう。

ちまき、おいしそう」

 料理人が言わずともここまでくればわかる。日本でも端午の節句などに食べるちまきだ。

「ロウツォン、さ」

 ちまきでいいだろうが、ちまきで。

「これから蒸し器で30分。待てるかい?」

 そうだ、中華料理は蒸すことにしっかりと時間をかけるんだった。

 胃が抗議の唸り声を―――こらえるのよ、あたし!

「蒸し上がる前に餓死しそうだな、じゃあ―――」



 その時だった。

 視界がぶれるのが先だったか、足元に届く振動が先だったか。

 床から垂直に突きあがる震え。踏ん張った足から腰、背に通じる縦揺れの感覚。

「地震?」

 慌ててカウンター席のスツールに手を伸ばしてバランスをとる。

「違う」

 シーフーは何かを推し量るように目を細めている。

 彼の言う通りだった。

 店の什器類は一切揺れていない。ガラス扉の外にかかっているのれんも微動だにしていない。

「下だ。蓬莱軒の地下―――竜穴が揺れてるんだ」

 彼はカウンターから出てくるとあたしの手を握り、視界は黒い闇と白い光の2色に統一される。

 以前、鍋を盗んだブレーメンの行方を探査したときと同じ。シーフーの感じる竜脈の姿が、握った手を通じてあたしにも共有リンクされている。

 足元に広がる宇宙空間のような闇の中、太陽のように輝く大きな光の塊。これが竜穴。摩訶不思議なエネルギースポット。

 その竜穴のさらに下。地の底から、黒い背景とは違う濃さの黒い塊が竜穴の向こう―――下からゆっくりと近づいてくる。

 シーフーがその黒い塊に焦点フォーカスを絞っていく。

 先の見えない地底からの穴をズルズルとにじりよるがはっきりと認識できた。

  

「なに、あれ……」

 あたしのつたない表現力ではうまく説明できないのは勘弁してほしい。

 は巨大なヒキガエルに似ている。似ているが別の生き物。全身は短い毛で覆われていてそれだけ見るとナマケモノのようにも思える。

 横に広く開いた口からは長く伸びた鞭のような舌がビュルンビュルンと躍り、厚ぼったいまぶたは今にも閉じられそうな―――そう、眠たげな目。

 水かきのある四肢をゆっくりと、ゆっくりと動かし、上―――竜穴目指して這い上がってくる。

「なんなのよ、あれは」

 膝が笑っていた。シーフーと一緒じゃなかったら崩れ落ちてる。

「ただの妖怪とは桁違いの存在……近い言葉で言うなら神、かな」

 絶対違うでしょ。だって、あんなに化け物って言葉がぴったりくるのっている?

「神様?なんで神が地面の下から上がってくるの?そういうのは地獄の悪魔だって相場が決まってるわ」

「人間の勝手な決めつけだ。それと、あまり直視するな。正気をガリガリ削られるぞ」

「遅いわよ!」

 勝手に感覚リンクして、勝手にズームしたあんたが言うか。



 体は寒いのに熱い。上下左右の空間把握が難しい。自分が何者なのかもわからなくなるほど頭がふらつく。

「あ、あああぁぁ……!」

 パニックに陥りかけたあたしの額にシーフーの手があてられると、スゥッと混乱が鎮まっていった。

「リンクしてズームしたのは悪かった。君の精神に防御結界を張ったからしばらくは大丈夫」

 そうしている間にも、怪物はのろのろと、しかし着実に竜穴に近づいてのぼってくる。

 シーフーはつないでいた手に力を込めた。その掌に汗。

 えっ、いつも茫っとしてる彼が緊張してるっ!?

「あれは間違いなく竜穴目当てだな。まさか下から狙ってくるとはな」

「どうするの?」

「天地のエネルギー循環を制御する竜穴を好きにさせるわけにはいかない。つまり、こいつでお仕置きとなる」



 逆の手にはいつの間にか中華鍋が握られていた。数々の妖怪を退治し、強力な妖術を弾き飛ばしてきた仙人の鍋。

 これさえあればシーフーはどんな危機もよせつけない。そんな光景を何度も見てきた。

 

 受命於天既壽永昌


 黒い鍋の外側の底に紅の光で八文字が浮かぶ。奇跡への準備は万端。


「ここから直接攻撃はできないが、鍋で床を打った振動波のダメージは通るはずだ」

 天井向けて振り上げた鍋が勢いよく店の床に叩きつけられる。

 グァァァァァン。

 かねの音が店内を飛び交った。

 仙人の視界に映る鍋の打撃の振動。それは地底からこちらに近づく『神』―――認めたくないけど―――に向かって疾る。


 『神』の眠そうな目がニィっと笑みの形になったのを見た。

 振動波が自身の体に届く前にそいつは、今まで這い上がってきた地下からの穴を下に向けてストーンと滑り落ちていった。振動波は距離に反比例して威力が減る。

 『神』がどこまで下がっていったかわからないが、振動波の有効距離より下だ。

 つまり、かわされたのだ。ダメージゼロ。

「愚鈍そうに見えて素早い。あいつ、こっちの手を知ってる」

 シーフーの悔しそうな声を初めて聞いた。



 あたし達の頭の中に直接声が響いたのはその時だった。

「我々の邪魔をするか、地上の民よ」

 テレパシーだ。もうこの辺は慣れっこ。平凡な女子大生としては慣れたくないけど仕方ない。

「誰だか知らないけど竜穴に手を出すなら邪魔するよ」

「そのエネルギーは地上のものではない。大地に包まれたものは我々のものである。我々の神が地上を支配するために必要な神饌しんせんである」

 しんせん、って何?

「神様専用の食べ物のことだ」

「そうなんだ―――って心読むなって言ってるでしょ」

 空いてる手ではたこうとした時、体が浮いた。


 浮いた、ではなかった。足元にぽっかりと穴が空いて重力に素直なあたし達は落ちたのだ。

「いやああああっ」

 体の周りを勢いよく空気が上に上に流れて。体は下に下に流れて。

 シーフーからリンクしていた仙人の視界は消えた。平たく言うとあたしは落下途中で気を失った。

 

  

 誰もいなくなった蓬莱軒の床に主を失った鉄鍋が転がっていた。



(続く) 




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