第5話 使命

 筆舌に尽くし難い蛮行が、付近で繰り広げられている。それを、彼女は震えて見つめることしかできない。怯えながら、ソレの暴挙を目の当たりにする。ソレは残虐な笑みを浮かべて、彼らを蹂躙していた。


「ああ、なんて恐ろしい……!」


 彼らは泣き叫ぶことしかできない。捕らえられ、見るに堪えない拷問を受け、殺されるのだ。また、哀れな被食者が捕食者に発見された。彼は叫びながら救いを求めるようにこちらへと来たが、保護する前に捕まってしまう。

 そして、鋭利な刃物でぐさりと一突き。串が身体を貫通し、血が迸る――。

 ソレは狂気的な笑顔をみせて、上機嫌に笑った。


「お手柄ー! また一匹捕まえた!」

「なんて酷いことを。こんな殺戮を繰り広げる必要がありますか」


 H232は串からアイカメラを背ける。串に突き刺さっていたのはカエルだった。日が落ちて夕食の時間となった途端、シュノンは食事の用意をしなきゃと意気込んで林の中へと入っていった。数十分後、大量のカエルを捕まえて帰ってきたのである。


「カエルっておいしいんだよ? 鶏肉みたいな味がしてさ!」

「感想は聞きたくないです。気分が悪い……」


 感情波形が乱れる。フェイスカラーも青くなっている。

 カエルのような両生類に対する視覚認識に不快感を抱くのだ。人並みに言えば、H232はカエルが嫌いである。反対にシュノンは嬉々として、焚き火の周りにカエルの串を並べて串焼きにしていた。


「プレミアムの整備と荷物確認をしなきゃ。食事してからね」


 焚き火の前に持ってきた石の上に座り、シュノンは幸せそうに焼き上がりを待つ。

 付き合ってられないので、H232は停車してあるプレミアムの元へエナジー缶を取りに向かおうとした。そこをシュノンに制される。


「ちょっと、エッチにーさんにー!」

「呼び方を変えてくださいとあれほど言いましたよね!」


 H232が怒りを混ぜた発音をしたが、シュノンは全く気にしない。


「だからにーさんにーを付けたじゃん。ま、それはどーでもよくて」


 どうでもよくはない。全く絶対確実にどうでもよくはない。


「エナジー補給しようとしたでしょ、今」

「……私の呼称よりも重要なのですか、それは」


 シュノンは焼けたカエルの串を掴み、頬張ってから言う。


「大事大事、大切だよ! 節約だって言ったでしょ? メカコッコに聞いてるよ? あなたは食事をエナジーに変換することができるリカバリー機能が備わってるって」

「余計な、ことを……」


 シュノンの言葉は事実であり、だからこそH232は口内の咀嚼パーツを軋らせずにはいられない。

 H232の燃料は共和国時代の多機能活性燃料であるドラウプニルエナジーと、人間が摂取する食事の二種類存在する。食事を経口摂取することで、エナジーへとリカバリーし、補給が可能だった。複合物質義体ハイブリッドマテリアルボディを持つが故の利便性である。

 しかし今、その便利機能が悪しき人間に悪用されようとしている。便利さを追求すると安全面が脅かされるというのは今までの経験上身に染みてわかっているが、まさかこの局面で悪辣かつ陰湿な暴挙に曝されようとは――。


「ごちゃごちゃ考えてないで食べる! エナジーは貴重なんだから。私はこの世界の先輩なんだからね!」

「本当に、カエルを……両生類を食べろと?」

「別に毒じゃあるまいし。というか仮に毒でも死にゃしないでしょ、あなたは」

「身体的には無問題ですが、精神的に有問題なのです。……く」


 フェイスモーションが苦悶の動きに。思考ルーチンと感情アルゴリズムが電子脳内で乱戦状態になっていた。シュノンの言い分は正しい。次にいつ補給ができるか不透明な状態のため、無闇なエナジーの使用を控えるのは適性対応だ。だが、感情はそうはいかない。生理的に無理である。人の反応になぞらえるならば。


「子どもじゃないんだから、食べて食べて」


 シュノンが串を手渡す。死んだカエルの濁った瞳が、哀愁を漂わせる。


「わかりました。耐えましょう。く、ぅ」


 一口頬張る。味覚センサーが味を検出。確かに、鶏肉の味と似ている。


「おいしい、です……うぅ」


 何か大事なものを喪失した気分で、食した感想を述べる。シュノンはでしょ? と喜んで歌を歌い始めた。おぞましい曲だった。


「カーエルのだんまつまーが、聞ーこーえーてーくーるーよー。グワッ、グワッ、グエッ、グエッ!」

「酷い歌、ですね」


 目に浮かぶ処理液を拭いながら、必死にカエルを食らっていく。必要数カエル焼きを摂取しなければ、十分な量のエナジーは得られない。これもサバイバルだ。むしろ、食事にありつけただけ幸運だと思え。そう思考ルーチンが感情アルゴリズムにプロトコルを送信し、泣く泣く反発心を抑え込んだ。

 地獄のような食事を終えて、H232はシュノンとプレミアムの様子を見に行った。このポンコツトラックには大量の追加装甲が施されており、銃弾を一発二発喰らったところでびくともしない。一番損傷が顕著なのが、チュートンによる狙撃を受けた機関銃だった。


「やっぱ、もうこいつはダメかなー」

「銃身に穴が空いています。応急修理も可能ですが、直して使えるかどうかは……」

「当面はあなたに荷台から射撃を行ってもらうしかないね」

「全盛期の戦闘力を保持できていれば、余裕なのですが……」


 H232はかつての戦闘スペックに想いを馳せて、微妙なフェイスモーションとなる。パック換装システム、アクセルバースト、デバイストレース機能、クアンタムリンク、マルチロックストライカー……。数々の主要機能がオミットされ、基本的な武装……しかも劣化品しか自身に搭載されていない。一騎当千が可能だった、プロメテウスエージェント時代が懐かしい。


「とにかく、ホルスターつけて、グラップリングフックも装備して、後はスリング固定してライフルとか背負う?」


 シュノンは武器パックから銃器や道具を取り出して、H232に装備指南を始める。


「フィンガーピストルはまだ使えます。レーザーデバイスは外されましたが」

「レーザー兵器は最後の切り札。ヤバいって時にしか使っちゃめ! エナジーは貴重だってさっきも言ったでしょ」

「でも、昼間の戦闘時には使うべきでした。シュノンはあの状況を、危機的状況ではなかったとお考えですか?」


 シュノンはホルスターをH232の腰回りに付けながら回答。


「そりゃーヤバかったけど、結果として助かったでしょ? 短期的ラスク……? は回避できるけど、長い目で見たらレーザー兵器は使うべきじゃないの」

「ラスクじゃなくてリスクです。……サバイバルの基本は、出し惜しみではないはずですよ。将来の危険を考慮することも大切ですが、だからと言って節約したせいで殺されては元も子もないでしょう」

「それは全部が全部満たされていた共和国時代の考え方だよね? 今の世界じゃいつどこで何が手に入るか保障されてないんだよ? そこんとこ、わかってる?」


 H232とシュノンが視線を交差させる。正論対正論。どちらも正しいので、話は平行線だった。

 こういう場合の無難な対処法をH232の対人行動マニュアルには記載されている。話を打ち切って、横のプレミアムへとアイカメラを向けた。


「わかれば、よし。ふふん……」


 シュノンの勝ち誇った態度にH232の不快指数が少しだけ増加する。やはり口論覚悟で話を続けるべきか、と口火を切ろうとした時、H232の視覚センサーが奇妙なものを検知した。

 作業中のシュノンに断りも入れず、身体を動かす。ちょっと! という非難の声も無視。手を伸ばして、それへ触れる。


「これは……?」

「動かないでって……ん? それって」


 H232が右指で摘まむそれを、シュノンも興味深そうに見つめる。撃ち込まれた銃弾かと思いきや、他の実弾よりも形状が異なる。独自の仕組みを使っているのか、H232でも解析できないが、実物を観察するうちに段々と確信を得てきた。


「まさかこれは……ッ、伏せて!」

「きゃあ!」


 H232がシュノンを押し倒す。その上を熱線が通過した。

 背後へ視線を送ると、闇夜に混ざって煌めく物体が感知できた。視覚センサーを暗視モードへと切り替えて、すぐにその正体を把握する。


「チュートン!? 追ってきたのですか!」

「俺からは逃げられないと言ったはずだ」


 チュートンはジェットパックでフライトし、レーザーライフルをこちらに向ける。H232はシュノンを立ち上がらせると、近くの林の中へ駆けこんだ。恐るべき相手だ、と改めてチュートンに対する脅威判定を更新する。感知センサーをかいくぐるステルスコーティングまであの鎧には施されているのだ。


「あの騎士しつこすぎ! しつこい男は嫌われるって映画で言ってたよ!」

「一旦下がってください! 木の陰に隠れて!」


 H232は文句を垂れるシュノンを諭しながら、木々の中に紛れる。遠距離からの狙撃では、林の中に隠れる二人を狙撃するのは困難だ。

 シュノンは逃げる時に持って来ていたライフルを構えて、狙いをつける。


「反撃タイムと行く?」

「待ってください!」


 発砲しようとしたシュノンの銃を下げさせる。条件はこちらが有利なように見えて、五分五分だ。敵には自由自在に空中を動ける高機能パックがあるからだ。


「あのパックが存在する限り、私たちに勝ち目はありません」

「やってみなきゃわからないじゃん!」


 シュノンが言葉を荒げるが、H232は冷静さを失わない。今こそバトルサポートドロイドとしての性能が生かされる時。


「いいえ、不可能です。あの男は優れた戦士。こちらの射撃は回避され、向こうは的確に撃ち返してきます。装備の質が違う。闇雲に戦っても勝てませんよ」

「だったらどうするの!?」


 シュノンが興奮して言い返す。戦地ではよくある反応だ。敵に命を狙われる状況下で冷静さを保てというのは無茶な注文である。こういう場合に、H232の真価は発揮されるのだ。


「不安がらないで。私に策があります。しかし、私一人での遂行は困難。あなたの協力が必要不可欠です」


 H232が信頼の眼差しをシュノンに向ける。この作戦の成否はシュノンが自分を信用してくれるかどうかにかかっている。その眼差しに応えるように、シュノンは肩を竦めた。


「わかったわよ。死んだらあなたのせいだからね」

「はい。生存は私のおかげです」


 H232とシュノンは相反した言葉を交わして笑い合うと、作戦会議を始める。

 最初に、H232は質問をした。会話履歴を参照しながら。


「シュノン、以前に言っていた、宇宙一の狙撃手という言葉は確かですか?」


 その問いに、シュノンは自信を滾らせて力強く答えた。ボルトアクションライフルを鳴らして。


「もちろん!」



 ※※※



 ――獲物は林の中に隠れ、こちらが去ることを望んでいる。だが、それは有り得ない。依頼は果たす主義だ。絶対に獲物を逃がしはしない。

 チュートンはレーザーライフルを油断なく構えながら、敵の動向を窺っている。脳波コントロールによって制御されるジェットパックは、燃料にまだ余裕がある。焦る必要はなかった。パックには、大容量のエナジータンクが積載されているのだ。


「いつまで隠れているつもりだ?」


 チュートンは林に質問を放つ。返答はない。敵は焦っている。

 狩りの基本は待つことだ。じっくりと何時間もかけて獲物が現われる瞬間を待つ。しびれを切らして出てきたが最後、そこが奴らの墓場となる。チュートンは何度も似た光景を見てきた。死を味わう獲物の姿を。今回もまた、呆けた表情で奴らは果てることだろう。


「投降するなら今の内だ」


 そう勧告しながらも、ヘルムの内側の眼光は殺意を伴っている。バルチャーのボスは、生死を問わずと条件をつけた。死体でも構わないのなら、わざわざ生かす理由がない。

 惜しいとは思う。H232というアンドロイドは高性能であり、シュノンも優れたスカベンジャーだ。もし彼女たちが本当に一切抵抗の意思を捨てるなら、チュートンは生かすつもりでいる。

 無論、そんなことは万に一つも有り得ないが。


「俺を倒そうとしても無駄だ」


 チュートンは煽る。バカな獲物は、大抵この段階で発砲してくる。チュートンの反射神経ならば、銃弾を交わすことなど容易い。獲物はこちらを倒そうとしてみすみす自らの居場所を露呈するのだ。

 だが、あのドロイドは賢い。シュノン一人だけだったならもう射撃しているはずだ。

 本気になる必要があるかもしれない、と感じる。今までの相手はバカばかりだったが、今回の獲物は知性がある。


「作戦会議か? 無意味な相談だ。出てくれば、すぐに楽にしてやる」


 ヘルムの発声器越しに、チュートンは呼びかける。ここでようやく動きがあった。


「私は逃げも隠れもしません! そちらこそ、正々堂々と戦ってはどうですか!」


 アンドロイドが挑発を返した。意外に思う。奴はこちらがその程度の煽りを真に受けないと知っている。


「俺を挑発するか? ドロイド」


 アンドロイドはチュートンの問いに答えず持論をひけらかした。


「騎士道精神はどうしましたか? チュートン。騎士とは高潔な戦士に与えられるべき称号です。今のあなたは騎士のコスプレをした暴徒でしかありません」

「お前こそ、騎士の本質を理解できていないようだな」


 チュートンはあえて会話に応じる。ヘルムの観測機は周辺のスキャンを怠らない。


「中世の騎士は一般兵よりも全てにおいて上だった。装備、経験、実力、全てが。騎士は、使える物を全て使い、利用できる物を全て利用し敵を叩き潰す。騎士道精神がどうしてできたかわかるか? 騎士に有利なルールを浸透させるためだ。騎士とは、優れた卑怯者に与えられる称号に過ぎん」


 卑怯と罵られることを、チュートンは何とも思わない。勝った上で浴びせられる罵声が卑怯ならば、それは誉と言っても遜色ない賛辞のはずだ。正々堂々戦ったところで、誰かに讃えられることもない。ならばどうして清く正しく生きる必要がある。


「プロメテウスエージェントは高潔な騎士として、人々に敬われていました。羨望と尊敬を勝ち取っていたのです! ですが、今のあなたは誰にも羨まれることはないでしょう。恨まれることはあれど、敬われることはない!」

「それで俺の気を引いたつもりか?」


 レーザーライフルを、チュートンは林から姿を現したH232に向ける。一撃放ち、H232はシールドを展開して防御した。そのまま続けて連射する。H232は射線を読んで防いでいくが、シールドの耐久値がそれほど高くないことは既に観測済みだ。


「このまま続ければ、お前は負ける。俺の勝ちだ」

「どうでしょうか!」


 H232はピストルで反撃してきたが、チュートンは横に避ける。身を隠す場所こそないが、空は庭だ。チュートンが派手な銀色に装甲を磨き上げたのは夜間での戦闘でも敵が自身を見失わないようにするためだ。あえて、敵に機会を与える。自分を殺すチャンスがあると誤解させる。そこへ死の弾丸を見舞うのだ。聡明なドロイド相手にも、チュートンの戦略は変わらない。


「当たらんぞ。……いい時間稼ぎだな」

「何を――」


 H232は素知らぬ顔で言い返すが、チュートンはヘルムの中でほくそ笑んでいる。


「お前は体のいい囮だ。俺が気付かないとでも思ったか?」


 チュートンはライフルの狙いを背後の茂みに向けた。撃発し、剥き出しになっていた銃身に命中する。レーザーの熱が茂みに火を点け、煌々と燃え上がった。


「シュノン!」


 H232の悲鳴。チュートンは再び彼女に狙いを定める。


「まずは一人目。次はお前だ」


 自分の弱点がどこなのか、チュートンは把握している。敵はいつも、チュートンのバックパックを破壊しようと目論むのだ。これもまた、チュートンが敵に与える機会の一つである。敵はジェットパックを狙撃できる場所へ位置取りをする。わざと後方への注意を緩慢とさせることで、敵はこちらの思惑通りの行動を取ってくれる。

 シュノンとこのドロイドも、結局はバカな奴らの一員だったのか。

 多少の落胆を交えて、チュートンはH232に銃撃を続ける。すると、焦ったのか足底に装着されたジェットを噴射させ跳躍突撃を敢行した。


「破れかぶれの特攻か?」


 チュートンは迎撃する。思いのほか跳躍距離が高い。チュートンはジェットパックのコントロールデバイスに脳波を送り、H232の背後へ回り込んだ。銃爪に指を掛ける。


「くッ……!?」

「終わりだ、アンドロイド!」


 チュートンがライフルを発射する――刹那、彼は意外なものを目にした。

 笑顔である。にやりとした笑み。H232はチュートンへ――この状況を創り上げた自分自身へ――笑いかけていた。


「今です、シュノン!」

「さっきのは囮! ライフルは二丁あんのよ!」


 危険を察知した時には、もう遅い。チュートンは背後に衝撃を感じ、ジェットパックが制御不能に陥ったことを悟った。デバイスとのリンクを切り、暴走するパックと自身を固定するベルトを切り離し、地面へ叩きつけられる。


「……お前も、俺にチャンスを与えたのか」


 してやられた気分で、チュートンは身体を起こす。その間にH232は接近し、拳銃を向けた。


「あなたの負けです、降参を」

「それは、どうかな」


 チュートンはH232と対峙する。降参の二文字は脳裏をよぎらない。

 劣勢だと言うのに、ヘルム内の口元には笑みが浮かんでいた。

 ――これほど賢しい相手と戦うのは久しぶりだ。いつ以来だろうか。正々堂々と勝負してみたくなったのは。



 ※※※



「まだ諦めないのですか」


 H232はチュートンの不屈さに辟易とした。これ以上戦っても無駄である、とH232の戦術シミュレーションは判断を下しているが、チュートンは違った。


「見事だった。それは事実だ。だが、たかがジェットパックを破壊した程度で勝ったと驕られても困る」

「驕ってなどは……なっ」


 チュートンはライフルを投げ捨てた。慄くH232の前で、左腰に装備されたマチェットを引き抜く。


「俺が得意なのは近距離戦だ。遠距離戦は苦手でね」

「あれで苦手、ですか」


 脅威判定がまた更新される。チュートンは間違いなくA+クラスの強敵だ。

 しかし、シュノンに狙撃されれば、いくら彼と言えども勝ち目はなくなる。彼はシュノンが応援に駆け付ける前にH232を倒すつもりなのだろう。


「正々堂々と戦う気ですか」

「そうとも。一対一での戦闘だ」


 チュートンのマチェットの刀身を光波が覆う。これもまたレーザー兵器だ。ピストルを仕舞ったH232は跳躍し、右足に収納されたチェーンソーを起動。鎖鋸を唸らせて、サイドキックを見舞う。


「奇天烈な武器だ」


 チュートンはレーザーマチェットでH232の右蹴りを受け止めながら言う。ヘルムで表情は窺えないが、笑っているように多次元共感測定器は反応。彼はすかさず左腰のホルスターからレーザーピストルを抜き取りH232に応射。それをH232は左腕のシールドで防ぎ、右手のアームソードで斬撃を放つ。チュートンのピストルを斬り壊した。


「やるな!」

「このッ!」


 チュートンは右足をマチェットで弾き、左手でH232の右腕を掴み止めた。即座に放たれる光刃をシールドで受け止め、左足による蹴りを穿つ。それをチュートンはステップを踏んで躱し横切り。彼女は屈んで避けて、殴り返す。


『忘れるな。僕たちの敵は優れている。弱い奴らは敵じゃない。僕たちの敵は強い。科学の進歩に合わせて進化した相手だ。通常の戦法では太刀打ちできない』

(マスター……!)


 ホロが放つ幻の声を聞きながら、H232は次々に繰り出される猛撃を防ぎ、避け、反撃する。しかしチュートンは怖じず威力も落とさない。

 マチェットがシールドを破損する。拳がチュートンの左肩を強打した。強烈な蹴りがH232の脇腹に食い込む。アームソードとマチェットが激突し、光刃が拡散する。


「依頼は必ず果たすのが俺の信条だ!」


 拮抗するマチェットとアームソード。チュートンはマチェットを両手で握りしめ、渾身の力を込める。

 H232は左手で右腕を支えながら、押し返した。チュートンの背後にホログラムが映る。

 男は、H232を心配そうに見守っている。彼はH232が正式起動してからずっと彼女を導いてきた。メモリーの修復率九十二パーセント。もう、彼が何者で、自分が何をすべきか思い出せている。

 ――マスター。ご安心を。私はもう思い出しています。自分の使命が何であるか、理解できています。

 H232の想いが伝わったのか、はたまたバグが無事に取り除かれたのか、ホログラムは消失した。H232は義体の出力を増幅する。


「人を守るのが私の使命です!」


 マチェットが虚空を描いた。地面に突き刺さり、光の刃が消え失せる。チュートンは膝を突いた。エナジーの枯渇だ。ジェットパックを喪失したことで、鎧の活動時間は限られていた。


「エッチにーさんにー!」


 シュノンがライフルを構えて駆け寄る。カチャリ、と彼女はチュートンの頭へと狙いをつけた。


「殺せ」


 チュートンは恐れる様子もなく殺害を促す。これが今の世界の摂理。極限なる自由フリーダムが行きつく先は混沌カオスだ。今この場で彼を殺しても、誰に咎められることもない。普通のこととして受け入れられる。心を蝕む罪悪感も、犯罪を取り締まる法律も、今の世には存在しない。


「止めましょう。無意味です」


 H232はその事実を知りながらも、チュートンを殺さない。銃を下げたシュノンが戸惑いながら訊く。


「いいの?」

「構いません。殺害理由が見当たりませんから」


 H232はきっぱりと言い放った。この世界は自由。己の信条だけが道を切り開く。殺す自由があるのなら、殺さない自由がある。もちろん、殺される自由も存在する。

 自分の思い通りに行動し、その行動に付随した責任が後になって追いかけるだけだ。

 何をしても咎められることはない。仮に咎められたとしても無視できる。が、結果は常に付きまとう。殺せば、縁者に殺されるリスクを負う。生かしても、当人に殺されるリスクを負う。リスクだらけなのが今の世界だ。今更、危機管理をしても仕方ない。自分の想う通りに、使命のままに選択するだけだ。


「先程、言ったでしょう。私の使命は人を守ることだ、と。あなたも人に定義されます。殺しては本末転倒です」

「……後悔するぞ」


 チュートンは脅し文句を口にするが、感情アルゴリズムが発する波形は乱れなかった。

 後悔だけは有り得ない。そう確信している。


「後悔など、しません。仮にあなたが復讐に奔るなら、喜んでまたお相手しましょう。私は強いですよ? 返り討ちに遭わないよう、気を付けてください」

「バルチャーの依頼を完遂していない。依頼は果たすのが俺の信条だ」


 矢継ぎ早に、チュートンは信条を繰り返した。H232は思考ルーチンを回し、己の左腕を掴んだ。そして、結合部分からパージする。ええっ!? と驚くシュノンを後目に、H232は左腕をチュートンへ渡した。


「これならバルチャーを誤魔化せるはずです。あなたは復讐心で動くような人間ではない。報酬のために依頼を果たすのでしょう」

「……生かす上に、パーツまで渡すのか?」

「あなたが信条を履行し、私は使命を果たします。それでいいではありませんか」

「メリットはないはずだ」


 不思議なことに、チュートンは好条件を素直に呑まなかった。意外と堅物なのかもしれない。H232はなおさら自身の判断に誤りはないと思って、フェイスモーションを笑みとする。


「ありますよ、チュートン。それはきっと、あなたにとってもプラスなはずです」

「じゃーねー。無駄にいい声の騎士さーん。復讐したら殺すからねー。そこだけはよろしく!」


 H232は手を振るシュノンと共にプレミアムの元へ歩んでいく。

 チュートンは何かを考え込むように、H232の左腕を見下ろしていた。


「ねえ、本当に左腕あげちゃって大丈夫だったの?」


 プレミアムに向かう途中、シュノンが問う。H232は思考ルーチンと量子演算で割り出した予測を述べた。


「大丈夫です。元々左腕部は破損しやすい部位なのです。メカコッコが多めにパーツを用意してくれているはずなので」

「ふーん……」


 シュノンの合いの手は疑心の交じったものだった。すぐに予測が的中していることを証明しようとH232は荷台のパーツ箱を漁る。

 そして、フェイスカラーを青色へと変化させた。


「嘘です……嘘です!」

「え? もしかしてパーツなかったり?」

「有り得ません! なぜよりにもよって左腕だけパーツがないのですか!?」


 H232は焦って箱の中身をひっくり返す。どんがらがっしゃん、音が鳴るが気にしていられない。視覚センサーをフル稼働させ散らばった部品一覧をスキャン。

 シュノンは落ち着いて! と声を荒げながら駆け寄り、散乱したパーツをかき集めた。


「そんな! 今からでも左腕の回収を!」

「無理だよ、ムリ! チュートン帰っちゃったよ!」

「ならどうしろと言うのです!」

「知らないよ! ……ん、これ……」


 シュノンがマニュアルのようなものを見つけて、読み始める。メカコッコの餞別だ。しかしH232は思考回路がオーバーヒートしつつあるので構ってはいられない。左腕はこれからの旅路に必要不可欠なのだ。それをプレゼントしてしまった、では済まされない。


「どうにか、どうにかしませんと……!」

「ねえ」


 ちょんちょん、とシュノンが肩を指で突くがシカトした。対人行動を起こす暇はない。あまりのミスにフリーズすら起こしそうなのだ。


「予備の右腕を代用品として扱えば……。いや、それでは反応速度の低下が著しいから……」

「ねえってば!」

「なんです!」


 H232が怒の感情反応を示すと、シュノンはマニュアル本の見開きを顔面に差し出した。


「メカコッコの注意書き! 読んで!」

「……申し訳ないが、時間が足りなくて左腕は組み立てられなかった。手間を掛けてしまうが、君たちで組み上げてくれたまえ。組み方はここに記載する……これ、は」


 H232は己の失態を悟る。有り得ない、有り得てはならない失敗だ。多目的支援型アンドロイド、治安維持軍の特殊作戦群プロメテウスエージェントならば。


「早とちり。ドロイドもこんな失敗するんだね」

「うぅ……」


 もはや反論する気概も湧かない。耳までレッドカラーへ色合いを変えて、俯いた。


 

 ※※※



 街へと帰還したチュートンは、バルチャーファミリーのボスがいるチキンラボへと足を運ばせた。

 メカコッコはボスを軽くあしらっていた。ボスは彼を支配している気でいるが、実情は逆だとチュートンは気付いている。


「チュートン、戻ったか。……依頼は果たしたのだろうな」

「依頼は必ず果たすのが俺の信条だ」


 もう何度口にしたかわからない言葉を吐き出す。後に続く、どんな手を使ってもという部分は声に出さない。

 この信条は昔の、共和国時代なら当たり前の事象だった。依頼を果たすのは当然であり義務。デジタルアーカイブでチュートンは過去の世界について学んだ。だが、今の世では一部の凄腕を除き、依頼が完遂されることは滅多にない。大抵の雇われは依頼を失敗し、時には裏切り、時には殺された。依頼を果たせる傭兵は、ほんの一握りしかいないのだ。その一握りがチュートンだった。

 当初こそバルチャーファミリーたちはチュートンの成果を疑っていたが、メカコッコの発言で認識を改める。


「H232の腕パーツは堅牢だ。それこそ抵抗不能となった彼女から丁寧に斬り落とさないとパージできない」

「だが、ならなぜ首を斬り落とさなかった?」


 ファミリーの一人が異論を唱える。メカコッコは毅然とした対応を続けた。


「彼はきっと首を切断しただろう。そして、爆発から危うく逃れたのだ。H232の頭部パーツは精密機械の塊でね。機密保持のため、危険を察知すると爆発するように仕組まれている。むしろ、よく彼は無事で生還にできたものだ」

「シュノンは?」

「トラックの爆発に巻き込まれた。判別不能の遺体をわざわざ持ち帰るつもりはない」


 チュートンは左腕を作業台に起き、再度依頼主たちを見回した。きっぱりと宣言する。依頼は果たした、と。


「依頼は完了だ。報酬を貰おうか」

「よろしい。後でワシの部屋に来るがいい。行くぞ、お前ら!」


 ボスの一声でバルチャーファミリーは退散していく。親鳥に従う雛鳥のように。

 残ったチュートンとメカコッコは再びH232の左腕へ目を移した。メカコッコが全てを悟っているかのように訊ねる。


「彼女は何と言っていたかね?」

「人を守るのが自分の使命、だそうだ」


 メカコッコはくちばしを歪めた。笑みを浮かべているつもりなのだろう。


「君は報酬次第で何でも、誰からも依頼を受けると聞いたが」

「その通りだ。依頼か?」


 チュートンは疑問形式で訊くが、全ては予定調和だった。もう彼が何を企んでいるか察している。察した上で、あえて問う。

 メカコッコも澄ました顔で返答した。きざなニワトリだ、と感慨を抱く。


「彼女が覚醒した以上、彼らに従う必要もなくなった。どうかね? 私の依頼を受けてくれれば多額の報酬を約束しよう。報酬は、バルチャーファミリーの全財産だ」

「依頼は必ず果たすのが俺の信条だ。任せておけ」


 チュートンは二つ返事で請け負った。



 ※※※



 頭上には満点の星空が浮かんでいる。治安維持軍と共和国の人々が必死になって守ろうとしていた景色だ。宇宙探査計画プロジェクトノアは地球圏をこれ以上汚染させないべく発案された計画だった。

 人口が莫大に増加し、コロニー建築計画にも陰りが見え始めた頃、オーディンの異名を持つ男が提唱し、治安維持軍、特にプロメテウスはその計画をサポートした。人々は宇宙へ旅立つべきだ。その意見は様々な議論を誘発したが、それでも彼が世界について真摯に向き合った結果として挙げられた案であるとして、共和国の人々に受け入れられた。オーディンは反対派の意見を黙殺せず、自ら赴いて説明していた。

 全てが、順調だった。全知全能を自負するあの男が現れるまでは。


「今日はここで野宿だよ。聞いてる?」

「聞いてますよ、シュノン。傾聴に並行して過去を思い返していただけです」


 トラックの荷台で夜空を見上げていたH232はシュノンへ目線を送った。シュノンもよいしょ、とトラックの荷台へと上がり、H232の隣に座る。


「綺麗だよね。星って。昔の人はあそこにも行けたんでしょ?」

「はい。宇宙は解放的で気持ちいいですよ」


 重力というくびきから解き放たれたあの感覚は上手く言葉に変換できない。シュノンはへーと相槌を打ちながら、過去の時代を羨んだ。


「いいなー。私も行ってみたかったよ、宇宙」

「もしかすると、行けるかもしれません」


 H232の呟きに、シュノンは大きく食いついた。が、すぐに否定的な意見を漏らす。


「えっ? 本当!? って、またまた。どうせ適当なこと言ったんでしょ? これだからエッチにーさんにーは……」

「エッチではありません」


 H232の訂正を、シュノンはそういうのいいから、と邪険にする。


「っていうか言いづらいんだって。どこが名前でどこが苗字? 結局さ、エッチのエイチって何なの? わからないと名前も呼べないよ」

「ホープ、ですよ」

「ああ、はいはいホープ……え?」


 適当に相槌を打ったシュノンが目を見開く。H232は自信を持って自己紹介をした。


「H232のエイチは希望ホープのエイチです。私の名前はホープです。これからもよろしくお願いします、マスター」

「え、え? えええっ!? 今、私のことマスターって……」


 二重の意味で驚愕するシュノンにホープ232は微笑む。


「思い出したんです。私のかつてのマスターは主従関係を表すためにマスターという呼称を強制していたわけではありませんでした。私が尊敬していたから、マスターと呼んでいたのですよ。言わば、私にとって大切な人間を差す言葉です」

「は、ははは。なんか照れちゃうなぁ。私が尊敬に値する人間ってのは……」


 照れくさくなって後頭部を掻くシュノンへ、H232は首を横に振って否定した。


「ああ、そちらの意味ではないです。以前のマスターは尊敬していた人を差す呼称。現在のマスターは、ふさわしい言葉をあてがうとすれば、友達……パートナーです」

「ええっ!? グレードダウンじゃん!!」

「失敬な。それに、結構恥ずかしいんですよ。こういう話をするのは。感情アルゴリズムも複雑な反応を示していますし……」


 ホープのフェイスカラーは赤。シュノンも恥ずかしさが伝染したのか、若干顔が赤くなっている。

 彼女は気を逸らすように空見を始め、あっと驚声を上げて立ち上がった。


「見て見て、流れ星!」

「……本当ですね」


 アイカメラには煌々と輝く流れ星が映っている。正確には隕石だ。量子コンピュータが弾き出した計算では地球上のどこかに落石すると結果が出た。観測衛星が破壊されているので精確な場所までは把握できないが。


「願い事、願い事! おいしいお肉がいっぱい食べられますように! お宝ザクザク見つかりますように! え、ええと、それから……!」


 古い伝承を信じて、シュノンは願い事を並べ立てている。この行為に意味はないと知りながらもホープも願いを諳んじた。


「マスターとの約束が果たせますように」

「それだけ? もーちょっとさ、貪欲に……ってあー! 流れてっちった! まだまだお願いあったのにー!」

「地団駄踏むのはやめましょう。トラックのポンコツ具合がさらに加速します」

「私のプレミアムはポンコツじゃない! 全くもう!」


 シュノンが不機嫌になって腰を落とす。ホープはその膨らんだ頬を指で突いた。ぽしゅ、と息が漏れる。


「怒らないでください、シュノン。子守唄を謳ってあげます」

「マスターですらなくなってるし。あーもう、なんだかなぁ!」

「ほら、寝ましょう。明日も早いですよ」


 駄々をこねるシュノンを荷台から降ろし、草原に敷かれた寝袋の前に連れていく。シュノンを寝かしつけ、ホープも自分用の袋へ入りスリープモードへ移行しようとし、


「本当に、流れ星だったのでしょうか」


 少しだけ疑問を提議して思考ルーチンを中断する。右手を力強く握りしめた。

 ――この手に希望は掴み取った。後は時間を掛けて育むだけだ。シュノンという頼もしいパートナーもできた。もう恐れるものは何もない。


「おやすみなさい、マスター」

「まだまだ寝れない! 子守唄はどうしたの!」

「はいはい、わかりました」


 ホープはデータベース内のデジタルアーカイブにアクセスし、小児用の子守唄を音声再生する。希望を紡ぐ優しい歌が、星明りの中に流れた。



 ※※※



 世界は狭い。どうしようもなく、狭い。

 身体が固定されて、身動きが取れない。抗うことはできない。意志の力ではどうしようもならない。 

 だが、その拘束はすぐに解除された。眼前の扉がゆっくりと開き、男は大気圏突入用カプセルから地上に降り立つ。

 新鮮な空気を嗜むことはない。全身を覆う黒の戦闘装甲服と顔全体を覆うガスマスクが、直接肌に空気が触れないよう阻害している。左腰に刀を差す男は、周囲を見回し、マスク内のスクリーンに映る目当ての人物を見つけた。


「覚醒したか、我が友よ。遠路遥々ご苦労であった」

「あなたのご命令とあらば、マスター」


 恭しく跪く。男がマスターと呼んだ男は全身を黒衣で覆っていた。黒は恐怖を誘発させる色。男も、マスターも人類にとって恐怖という感情の重大さをよく理解している。


「パンドラの箱が開いた。我らの計画を進行させるべき時だ」

「準備は万端です。必ずや、この手で」


 男は右手を強く握りしめる。長い間この時を待ちわびていた。

 強い感情が身体の中をのたうち回る。憎悪、憤怒、そして歓喜。


「――この手で希望を打ち砕いてみせましょう。ゼウス様」


 男は宣誓しマスターを見上げる。ゼウスはフードを払い除け、老けた面様に見る者を凍てつかせる邪悪な笑みをみせた。



 ※※※


 ――メモリーの修復完了。該当データを再生します。


『いいか、忘れるな。これから世界は滅ぶ。残された方法は、君の中に座標データをインストールすること。泣くな。君は僕たちの希望だ。人を守ってくれ。守れなかった、僕の代わりに』


 ――再生終了。マスターの命令を最優先事項に設定し、任務を遂行します。

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