政党政治

 スマホの画面に映ったのは、雅比と同じく赤い面を着けた和装の男だった。

 先ほどのこともある。相手の正体がわかるまでは警戒を解くべきではないだろう。


「誰だよお前。天狗ってことは、雅比の知り合いか?」


 すると男はどこか高慢さを感じさせる笑みを浮かべる。


『外れてはおらぬ。彼女は実に優秀な同志であるからな』


 優秀、のところを男はいやに強調する。


『……朝田よ、この方は雲涯どのだ。ワシの上役にあたる』


 スマホから響いてきたのは、今度こそ雅比の声だった。

 上役。つまり上司ってことか。

 画面の外から現れた雅比は、訝しそうに天狗の男――雲涯へ話しかける。


『雲涯どの、いかなる御用ですか? 知ってのとおり、ここは候補地です。調査官の権限を持たぬものの干渉は禁じられておりますが』

『いやなに、用事というほどのものでもない。ただ、この度の貴君の働きを讃えようと思うてな』


 雅比の声と入れ替わるようにして、雲涯と呼ばれた男の声が聞こえてくる。


『働き……? いえ、私はまだ何も成果も上げてはおりませぬが』

『謙遜するな。あのいけ好かない雷神どもの失点を見事に稼いでみせたではないか。火雷天神をあのような蛮行に駆り立てたのには、貴君の挑発があったからこそだ。これで、議会の場で存分にあげつらえるというものよ』


 一歩違えば皮肉にしか聞こえない胸が悪くなるような賞賛に、雅比の声から落ち着きが失われた。


『ま、待っていただきたい! 自分は決してそのようなつもりは……っ』

『結果が全てだとも。貴君にそのような意図がなくともな。まぁ我輩としては、貴君を調査官に推薦した甲斐があったとは思っているがね』


 その言葉を聞いた雅比は顔色を変える。


『……まさかとは思いますが雲涯どの。最初からそのつもりで自分を……?』


 疑いの目を向けられ、雲涯はわずかに含み笑いをする。


『それは少々穿ち過ぎというものだ。我輩とて雷神党の人事まではさすがに把握しておらんよ。……雷神党の調査官だが、このまま調子に乗らせておけ。かの神が派手に暴れれば、それだけ与野党の対立軸が鮮明になる。急進的なやり方についていけなくなるものも出てこよう』


 雲涯の言いように俺も雅比も絶句した。

 火雷天神を何とかするつもりはない。そう明言したのだ。


『そっ、……それでは人間たちはどうなります! 人間との共栄を目指すという政令指定都市制度の本来の見地に立てば、かの神の行いをこのまま許しておくなどありえませぬ!』


 雅比の訴えに耳を傾けた雲涯は、静かに頷く。


『確かに、人間との共栄を目指すことは此度の施策の重要な目的だ。……が、党全体の利益に優先するほどではない。捨て置け』


 見殺しにしろと、雑草でも引き抜くように男は言った。


『っ、ですがそれではっ』

『貴君の意見は聞いておらぬ。党としての、これは決定だ』


 雅比はしばらく黙っていたが、一瞬こちらを振り返る。

 俺の姿を確かめた彼女の瞳に、再び力が宿るのを見た。


『……納得が行きませぬ! 確かに党利は大切でしょうが、それは無辜の民に痛みを押しつけて成立させるものであってはならぬはず。どうか考え直していただきたい!』

『ふむ。聞き分けるつもりはないと申すか?』

『政治家としての矜持の問題でもあります!』


 すると雲涯は面白い話を聞いたとばかりに呵呵大笑した。


『ふっ――ははははははは! 矜持、矜持か。つまり貴君はこう申したいのだな。我輩よりも自分のほうが政治家として相応しい、と』


 あからさまな意図の読み替えに、雅比の表情がこわばる。


『い、いえ! 決してそのようなつもりは――!』

『――分をわきまえよ、雅比! たいした由来も持たぬぽっと出の神ふぜいが、党役員である我輩に口答えをするな! 貴君のような未熟者は、黙って命令に従っておれば良いのだ!』

『ッ――!』


 愕然と身を震わせる雅比へ、雲涯は更にねじ込む。


『風神天狗党が副幹事長、雲涯が党員雅比に命ずる。以後調査官としての活動中、党の許可を得ずに神通力を振るうこと、また、新たに人間と接触することを一切禁ずる。これに反するならば調査官の職を即刻解任、党から追放処分とする』


 衝撃的な言葉を告げるや、雲涯は指先から灰色の風のようなものを雅比へと放つ。

 灰色の風は驚きで打たれている雅比の身体へリボンのようにまとわりつき、溶けるように消えた。


『簡単な封印術だ。貴君が神通力を振るえば一瞬で破れようが、破ればその報が我輩に届く。ゆめゆめ忘れぬことだ』

『そっ…………!? な、なにとぞお考え直しください! それでは人間を守ることができませぬ!』


 雅比の嘆願に、しかし雲涯が不思議そうに返した言葉こそ本当に予想の外だった。


『……ふぅむ。人間なぁ。正直なところ、我輩にはどうも腑に落ちん。雅比よ。それは本心から言っておるのか? たかだか百年やそこらの寿命しか持たぬ者のことなど、なぜ我々が気にしてやらねばならんのだ? どうでもいいではないか、そのようなこと』


 寒気がした。

 悪意や軽蔑でもあれば、怒りをぶつけることだってできた。

 だが、これは。他の国の天気の話でもしているようなこの無関心さはなんだ。

 何を言っても無駄に終わりそうな気持ちの悪い予感が、頭のてっぺんから一息に注がれる。

 それでも、その気持ちの悪さが相手の真意を確かめさせることを俺に強要した。


「おい、雲涯とか言ったか。おまえ、さっき人間との共栄を目指すとか言ってたじゃねえか。あれはただの建前かよ?」


 来ないかと思っていた返事は、疑問の形でやってきた。


『……ふむ。我ながら陳腐なたとえだが。人間よ。蝶は美しいと感じるか?』


 蝶? 蝶って、花畑を飛んでるあれのことか?

 なんで今そんな話をするんだ。


「……きれいだと思うけど、それがどうした?」

『では、今年の蝶と去年の蝶は同じものだと思うか?』


 蝶が同じものか、だって? 


「か、考えたことねえけど、別物じゃねえのか……?」

『なぜ考えたことがないのだね?』

「そんなの、別に気にする必要もねえし――」


 そこで、この話の落としどころがわかった。

 雲涯はつまらなそうな目をしたまま口の端を持ち上げる。


『そういうことだ。たとえ別物であろうと、美しく飛んでさえいればそれでいい』


 今度こそ俺は言葉を失った。

 人間も同じだ。増えたり減ったりしようが入れ替わろうが、全体としてありさえすれば後はどうでもいいのだと、こいつはそう言ったのだ。

 黙り込んだ俺に興味をなくしたのか、雲涯は話をまとめにかかる。


『よいか、雅比よ。これは貴君にとってもチャンスなのだ。貴君も取るに足らないことへ執着するのはほどほどにして、無事に仕事を全うしてみせるがいい。その時には、きっと貴君にも見返りがあるであろうからな』

『雲涯どの! お待ちくだされっ!』


 しかしそれきり、その相容れない男は姿を消した。

 悄然とする雅比に、俺は力の入らない声で問いかける。


「……どうするつもりだよ。あのむかつく野郎の言うことに従うのか?」

『……雲涯どのの命に反すれば、調査官としての権限をワシは失う。それはつまり、この地へ留まる資格さえ失うということじゃ。そうなれば、ワシは本当にお主たちへ何もしてやれなくなる。黙って従うほかはない……』


 そう言って雅比は俺に向かって深々と頭を下げる。


『すまぬ、朝田。本当にすまぬ。いかに謝っても済む話ではないとは分かっておる……』


 干からびたような声で謝罪を繰り返す雅比に怒りが湧き上がる。


 おい、なんだよそれ。

 神様なんだろお前。

 散々好き放題やってそれかよ。

 どうにかしろよ。


 だが、雅比の顔を見て俺は言葉を投げつけるのをやめる。

 信頼する仲間に背後から刺された彼女は、ひどく打ちのめされた顔をしていた。


『何が共存、何が約束じゃ……。ワシは、追風の娘に合わせる顔がない……』


 声を震わせて呟き、雅比は顔を伏せた。

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