第5話

 静哉は投げられたら衝撃で横に倒れ、そこでようやく僅かに目に光が宿った。

 だがまだ呆然とぼやける焦点を彷徨わせながら何が起こったのかを見る。

 女はさっきまでいたところから数歩後退してどこか斜め上の方を睨んでいた。そして、彼女の前には何か光るものが突き刺さっている。

 それが何で、女がどんな容姿をしてるのかなどは夜の暗さもあって今の静哉には見極めることができなかったが、一つだけ理解できた事がある。

 それは、女が静哉を庇って投げたということだ。もし女が彼を投げていなければ今頃、地面に突き刺さっているものが体を貫通し、即死は間違いなかっただろう。

「なん、で……」

 さっきまで女は静哉を殺そうとしていたはずだ。それなら静哉を盾にして飛来したものを防げば一石二鳥で手っ取り早い。

 にも関わらず女はそうはしなかった。殺すどころか彼を助けた。彼女の動機がまるで理解不可能だ。

 謎は深まる一方だが、静哉は働かない頭を無理に動かそうとはせず、そのまま戦況を見守ることにした。

 その直後に山の木々の上から一人の男、と言うよりは身長からして静哉と同等ぐらいの年頃の少年が姿を見せた。

 金髪に染め上げた髪を持つ少年の顔をはっきり拝むことはできないが、光の反射具合から耳にはピアス、首にはネックレス右手には指輪をいくつも嵌めているのが分かる。さらには、うっすらと浮かび上がる少年の衣服は黒に金の文字の入ったジャージでどこにでもいるようなヤンキーそのものだ。

 だがもう一つ、彼が意識を覚醒させるきっかけとなった事実に目を瞠った。彼を殺そうと脅迫し、そして彼を助けた女が、彼と同じ年頃の少女だったことだ。

 そう判断したのは彼女の着ているのが学校の制服だったからだ。黒とグレーのチェック柄のスカートに、淡い水色に白いラインの入ったセーラー服でその上から黒いセーターを羽織っている。それが学校の制服なのは一目瞭然だが静哉の知る限りこの制服の学校は近くにはない。

 少年よりも静哉の近くにいるために、うっすらと窺える顔つきは静かに上品で、多少厳しい威厳すら帯びている。目つきこそ少し鋭いものの、その中にどこか儚さを感じる。

 夜闇の中でもはっきりと見える漆黒の長い髪を後ろで結い、華奢でスタイルのいい少女の容姿はとても端麗だ。しかも制服からスラリと伸びる腕は細く、夜でも鮮明に見えるほと白い。

「この暗さで今のに気付くとは、アンタ、手練れか?」

「…………」

 少女は周囲を警戒したままただ黙って少年を見据える。

 風のない夜が対峙する二人の周りの雰囲気を不気味に演出する。

 少女の背後は街の近くへ繋がる断崖絶壁。ここを落ちた日には命は一瞬で絶えることは間違いない。

「ワイヤー……」

 退路が無い中で少女は落ち着き払っていた。

 静哉を脅した時と同じ声色で発した声で少年が眉をピクつかせる。

「それも、見えてるのか……?」

 見えてる、とはどういうことなのだろうか。静哉からは微かに光が反射しているようにしか見えないが、あくまでそれは暗いからであって……。

 少女の位置からならそのワイヤーとやらはこの暗さでも見えて当然だろう。

「その反応……ミラージュアイテム」

 ……ミラージュ、アイテム?

 聞いていた話のほとんどが右から左へ流れ出ていく中で、謎の単語だけが引っかかった。

「…………!」

 少年が息を飲んだ。

 目を瞠って少し驚いた様子を見せるのはきっと少女の言動の中にあったのだろうが、話についていけない静哉はどこがその要素はのかは分からない。

「アンタも狙いは宝なんだろ? もしそうでないなら、俺の為に死んでくれねぇか」

「…………?」

「アンタだって知ってるはずさ。この世界の秘密、ここにいる全員を倒し、最後の一人まで残ったヤツにはスゲェ宝が貰えるって秘密ぐらいな」

「…………」

 やり取りを聞いていた静哉には衝撃が走った。

 ここにいる全員を倒すと宝が手に入る。

 恐らく少年曰くこれが全てなのだろう。しかし、宝とは一体何なのか。そして少年はこの友希が動かなくなった謎のこの場所を「この世界」と言った。この言い方だとやはり、ここは数十分前まで友希と買い物をして過ごしていた世界とはに来てしまったことになる。

 全員を殺し、最後の一人に残るまで元には戻れないのか。ここで殺されたら元の世界でも死ぬのか。

 きっと、不良のような少年はこの世界についてある程度詳しいのだろう。次々に浮かび上がる疑問をもし彼に色々と聞くことができれば、なぜここに自分だけ来てしまったのかなど知ることができるに違いない。

 でも、どうやって。

 この緊迫する状況の中で戦闘のできない静哉がのこのこと出ていくのは自ら命を差し出しているのと同じことだ。それに、すぐに攻撃されなかったとしてもどう話しかければいい。金髪の少年は容姿的にも話しかけづらいものがあり、彼は戦意に満ち溢れている。いずれにせよ殺されるのは間違いないのだ。

「だんまりか? 別にいいぜ? 俺のすることは変わんねえからさ!」

 叫ぶような語気と共に少年は、懐に隠し持っていた何かを取り出した。

「……?」

 取り出されたのはどこにでもあるようなジュースの空き缶だった。

 場違いなものの登場に少女は首を傾げた。それは当然だろう。横から見ている静哉にだって空き缶で何をしようとしているのか全く理解できない。

 それを、少年は少女に投げつけた。

 当たり前だが、少女はアルミ缶を軽く避ける。その顔は怪訝そうだったが、何もなく地面に落ちた。

 ように思ったのも束の間、少女は慌てて横に飛び退く。その刹那、唐突にアルミ缶が派手な音を立てて爆発した。

 アルミ片が四方八方へ霧散し、その中の一つが少女の肩を掠めた。制服に一筋の切れ目が入り、そこから赤く鮮血が滲み始める。

 しかし、少女は特段気にすることもなくぶ自分の怪我には興味がないかのようにひたすら不良少年を見据える。

 静哉はアルミ缶の爆発点に目を向けた。霧散したアルミ片は勿論そこに散乱しているが、そこの地表は何か濡れているような跡が残っていた。

「何だ?」

 まさか、ジュースの入ったただの缶を投げて偶然爆発したわけではあるまい。このタイミングで、しかも缶を投げて注意を逸らした後、少年は逃げずにこの場でとどまっている。

 つまり逃亡としてではなく、攻撃手段だったということだ。なら、爆発は意図的に引き起こされたもので間違いない。

 近くで見てみれば仕組みが分かるかもしれないが、暗い夜の中じゃとてもここから見るのは不可能だ。静哉は二人の争いに巻き込まれないよう数歩後ずさる。

 お互いからお互いの視線を外さないように睨み合ったまま動きがないこと約数秒。闇の中に浮かぶ二人の姿はどこか異様なものだった。

 少女を崖淵に追い込む不良少年と、逆に少年の攻撃で肩に掠り傷を負い反撃の機を待つ制服姿の少女。周囲は月明かりだけがこの場を照らす夜に人気のない山中。これだけ条件が揃って一部始終を見ていなければ少年が少女を強姦しようとしているように見えても仕方がない。

 均衡を破ったのは、反撃を狙う少女だった。

 彼女は何の仕掛けもなく正面から地を蹴って、手にしていたナイフで斬りかかった。その動きの素早さは軍人かと思うほどで、夜闇の中では密かに敵を狙う暗殺者アサシンそのものだ。

「おっと」

 さすがに正面から来ることは予測してなかったのか、少年の反応が僅かに遅れる。

 静哉はまだ知らないが、命のやり取りで一瞬の時間というのは重要な意味合いを持つ。だから少年は一度目の攻撃は辛うじて躱したが、その後に続く二度目三度目の攻撃を完全に回避することができず、浅い傷を追ってしまう。

 少し離れたところで戦況を見守っていた静哉は二人の強さを身に染みて感じていた。ナイフ裁きや動きがとても女子高生のものとは思えず、あんなのに脅迫されていたと考えるだけで非常におぞましい。

 それに、少年もただの不良少年ではなかった。でなければ少女の機敏な動きで繰り出される攻撃を何度も避けたりはできない。

 しかし、彼らは何のために戦っているのか、静哉には全く理解ができなかった。少年は宝がどう、とか何とかって言ってたが、その宝には自分の命を懸けてまで手に入れる価値のあるものなのだろうか。その宝を手に入れれば元の場所に返してもらえるのだろうか。

 他にもミラージュアイテムなど、よく分からない単語が出てきたが、今の静哉にそれを知る術はない。

 などと考えていると、劣勢だった少年がまたしても何かを取り出した。今度は缶ではなく小さな玉のようなものだ。

 それを投げつけたと途端、地を揺らすような轟音と共に暗かった視界を眩い光が白く染め上げた。

 反射的に静哉は腕で顔を覆う。光にやられた目が時間を掛けて元に戻っていくと、そこにはもう二人の姿はなかった。

 ひとまず命の危険から切り抜けた静哉は、大きく息を吐いて脱力した。すると今度は猛烈な睡魔が襲ってくる。

 考えれば友希と街に行ったのはまだ今日のことだ。そこから休みなしによく分からない戦闘に巻き込まれ流れでここまで来てしまった。

 今は何時なのだろうか。街を出たのが六時半を少し回っていたため、家の前についたのが恐らく七時半。更にそこから謎の現象が起こり今に至るわけだから九時とかその辺だろうか。

 しかし、謎の現象が起こってから未だに風一つ吹かない。もしや本当に時間が止まってしまったのだろうか。

「まさか、な」

 徐々に重くなる瞼を何とか持ち上げながら静哉は自らの思考を否定した。



 気付けば日が昇りかけていた。空腹も暑さも忘れ、友希を抱きしめてずっと泣き暮れた。そうしているうちに眠ってしまっていたのだろう。それほどまでに両親の無惨な死体は、幼い兄弟にとって過酷すぎる現実だった。

 目をしばたかせながら体を起こすと、眠る前まで一緒にいた友希の姿がない。確か昨日、両親の遺体を見て精神が崩壊しかけた静哉の手を引いて友希はその場から離れるように山を下り始めた。

 きっと、僅か五歳の少女には山を下れば人里があり、そこまで行けば助かるなどと、先のことまで考えて行動していたわけではないだろう。それでも静哉にとってはとても心強かった。同時に、両親の死に直面してもなお平然としていられる妹にこうも思った。友希は僕なんかより強いんだと。

 だが、さすがに病弱な幼い少女に道なき道を通って山を下るなど酷な話だ。その道中で友希の体力は限界に達して座り込んだ。

 つられるようにして静哉も座る。すると途端に、またしても涙がとめどなく溢れてきた。

 そこまでは記憶に残っている。それからいつの間にか眠りに落ち、静哉の寝ている間に妹はどこかへ行ってしまったのだろう。

 再び孤独になってしまった恐怖が静哉の心を蝕み始める。

 昨日あれだけ泣いて涙が涸れたというのに、まだ目が潤み出した。

 一人は辛い。一人は怖い。だから誰か、一緒にいてよ。

 それは、本来なら叶うはずのない切実な願い。だがその時、正面から木々の間に差し込む光を背にして、大小二人のシルエットが浮かび上がった。

「お兄ちゃん!」

 その声を聞いた途端、何故かまた涙が出てきた。でも、今度のは昨日のものとはまるで違う。もっと温かく、それでいて優しいものだった。

 静哉は無心で妹に駆け寄って胸に飛び込んだ。夏の気温とは裏腹に冷えきった彼の心に妹の温かさが肌に沁みる。

 寂しい。悲しい。辛い。逃げ出したい。

 その感情は今も変わらず残っている。

 けれども一つ下の妹とこうしているだけで負の感情をも超える安心感が感じられた。

 正直なところ、親がいなくなり、これからどう生活するのかは六歳の少年には何も分からず、その事実すら実感がないのだ。

 しかし、そんな静哉を神はまだ見捨ててはいなかった。

「この子が君のお兄ちゃんかい?」

 父の声とは似ても似つかないが、同じような優しい声響きを持つ声に静哉は友希の胸にうずくめていた顔を上げた。

 そこには声から想像できるとおり穏やかな目で優しい笑みを浮かべる中年の男性が立っていた。

「うん、そうだよ! 私のお兄ちゃん!」

「そっか。大変だったね。これからはうちで生活するといいよ」

 たったその一言で静哉は心が救われたように気が楽になった。まだ両親の死を目の当たりにしたショックから完全には立ち直れないが、今後の生活の見通しが立つのは本当にありがたい。

 これが実際は口実に過ぎず、静哉たち兄妹を誘拐するために接触したのではないかとの疑問はさすがに抱かなかったし、それだけの余裕はなかった。だから素直に男性の言葉を信用した。

 もしこれが誘拐するためであっても、男性についていかなければ静哉たちは何もない山中で孤独に暮らしていかなくてはいけなくなる。どのみち、彼らには男性の言葉に甘えるしか方法がないのだ。

「うん!」

 だから二人は踵を返して自分の家へと向かう男性の背中を追って必死についていった。山を下った先にある新たな自分の生活に胸を踊らせながら。

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