第五章 聖剣は持ち手を選ばない 前編

 ローデシア聖王国という国がある。


 リトフェナク大陸の西方に位置する大国だ。その前身は、伝説的な八英雄による魔王討伐戦争に協力した三カ国同盟。

 一説には八英雄たちをこの世界に呼び出したのは、三カ国の中でもっとも古い歴史をもつ小王国に伝わっていた特殊な儀式によるものだったという説もあるのだが、ローデシア聖王国は公式にその説を否定している。

 この国は、一時大陸の西方から中央にかけて巨大な版図を誇っていたことがあるのだが、現代においては、その支配領域は最盛期の四分の一程度となっている(なお、リトフェナク大陸は、左右が北側に上向いた十字の形状をしている。日本人の感性では、モミジの葉の形状と言ったほうがより的確である)。


 ローデシア聖王国のさらに西方には領土の最盛期の頃でさえ支配下におくことの出来なかった小国家群がある。とはいえ、これらの国家群との関係はさほど悪くはない。

 同じ神を信仰しており、派閥レベルでの違いは存在するものの、異端とはいえない程度の差異だった。典礼の際に赤い布を肩にかけるか、紫の布を肩にかけるかの違いで戦争をするほどの狂信性は、聖王国にはない。

 国家の統一のシンボルに宗教を据えている宗教国家ではあるものの、大国である聖王国はその規模にふさわしく柔軟であった。

 また、農業国家であり、かつ軍事的にも純粋な大陸国家である聖王国としては、外洋からの貿易を管理してくれている国家群に代わってこれらの地域を支配するより、現在の交易体制を維持するほうが実務的であるという事情もある。


 一方、大陸中央との接合部には、聖王国の懸念が集中していた。

 南方にはアルテハイムという、国家ではないが国家と同等に扱うべき勢力がある。南方の諸部族の軍事連合であり、危機に際したときは対外的なふるまいを合議制で決めるが、平時は各部族が独立して行動するという、聖王国から見れば原始的な組織体であるのだが、統一的な意志を持たないために交渉が困難であるという難がある。

 その上、聖王国に面する地域を支配している部族は攻撃的であり、散発的な衝突が繰り返されている。正面衝突ではより近代的な軍事訓練をしている聖王国に分があるのだが、土地柄、会戦に相応しい平野がないため、その優位性が発揮できないでいた。


 実のところ、最盛期の聖王国がその版図を失うことになったきっかけも、当時、南の蛮族と呼んでいたこれらの勢力の一挙撃滅を図ろうとしての南征の敗戦にある。

 緒戦こそ大勝利したものの、湿地帯という騎馬に向かない地勢で進軍に苦労している間に諸部族の連合体制が発足してしまい——実のところ、これが、南部諸民族連合アルテハイム誕生の瞬間だったのだが——慣れぬ戦場での会戦での痛み分けの後、自然のものではなく魔術的な手段を用いたと思われる、季節柄ありえないスコールに合わせた夜襲により、王太子が討ち取られ、正統後継者を失った当時の聖王国は後継者争いで自滅することになったのである。


 南方だけでも、かくのごとく困難な潜在的な敵を抱えているのだが、現在の聖王国の一番の悩みの種はそこより北にある国家——大陸との接合部の大半を抑えている、遊牧民族による一代国家ムラート砂国であった。

 今より二十二年前、この地を支配していたノルディン帝国を倒して成立した新興の国家である。

 ノルディン帝国は、成立当時は別として、ここ百年以上はローデシア聖王国と友好な関係にあり、大陸中央に位置する国家や、アルテハイムの一部の部族との小競り合いを時折思い出したように続けているだけの平穏な国となっていたのだが、泰平に慣れきっていたためか、あっさりと支配地域内に生じた勢力に打倒されてしまった。


 結果として成立したムラート砂国は、軽騎兵を中心とする機動力が高く実戦経験豊富な軍を保有した戦闘的な国家である。

 成立直後は東側に侵攻の手を伸ばしていたのだが、主だった反対勢力を打倒し、東部に数カ国の衛星国家を従えるようになった後、ここ数年は目立った軍事行動を起こさず、ずっと牙を研いでいる状態にある。

 財政状況にさほど余裕があるわけではないローデシア聖王国としては、まずは外交により共存の糸口をつかもうとしていたのだが、国交は開始したものの、友好関係にあるとまではいえない状態であった。

 その状態のまま、ムラート砂国が東方で衛星国家と同盟を結んでいるという情報だけは入ってきていた。

 聖王国の軍事面を取り仕切るルメイン枢機卿としては、やむを得ず、貴重な常備軍の一部を東の国境よりの砦に張り付かせている状態であった(リトフェナク大陸の文明レベルは、中世ヨーロッパに近い面もあるが、魔法の力があるため、収穫高などはそれなりのもので、小〜中規模の常備軍を保有している国家は珍しいものではない)。


 以上の国家及び軍事情勢を踏まえた、ローデシア聖王国のの砦にて——。



「これは流石にヤベェんじゃねぇか、神薙よお?」

 

 砦の一室にて、揺らめく蝋燭に照らしだされた血だまりに沈んだ騎士を前に、高校の制服を着た少年がやや引きつった笑みを浮かべると、騎士を斬り捨てたばかりにしてはあまりに美しく輝く白い剣を片手に、僅かに身じろぎするだけになった騎士を無感動に見下ろしているもう一人の少年に聞いた。

 問いかけた少年——飽浦将人あくらまさとはそこかしこに不良っぽさがあるものの、容姿はただの少年であったのに対し、問われた少年の顔立ちは美麗というのが最も相応しいものだった。

 優雅に血ぶりした剣を、ゆるりと腰の鞘にしまう様が、蝋燭の光と影で鮮やかに照らされ、漂う血臭がなければ劇の一場面と言われても納得するほどの非現実さだ。

 だが、血の臭いが主張する通り、この非現実的な光景は、現実以外の何物でもない。


「許容範囲だ。心配するな、飽浦。しかし——まさか、砦の将ともあろう者が、自身の不利を理解することもできずに斬り掛かってくるとはな。馬鹿は想定外の行動を取るから困る。……ふん、とはいえ、このまま死なせると多少都合が良くない、か。——メイ」


 美貌の少年——神薙零士かんなぎれいじは、倒れた騎士を酷評した上で、自身の後ろに立っていた少女に声をかける。

 くすんだ赤い髪をした少女——亘理瞑わたりめいも、学校の制服を着ている。こちらも美少女であった。が、どことなく無感動な雰囲気が張り付いていて——実際、死にかけている騎士にも眉を少しひそめている程度で、取り乱した様子は欠片もない——そこが一般的な意味で、彼女の年代の少女としては魅力を減じているとも言える。

 彼ら三人は、その平均的でない容姿と振る舞いをよそに、姿かたちを額面通り受け取るなら、高校生一行であることは明らかだった。


「予定通りに洗脳するが、その前に一応治療はしてやれ」

「……ん。分かった」


 うなずいた瞑の手に、先ほどまで存在しなかった文庫本ほどの革張りの書物がどこからともなく現れる。適当にページをめくる素振りで、書籍のなかほどで開く。

 と、開いたページから青い光が湧き出した。

 蝋燭の光とは異なる眩しさのある光に、瞑は目を細めつつ、そこに書かれた一節を淡々と読み上げる。


「——時の歯車よ、無為の繰り車よ、逆しまの息吹にその身を委ねよ」

復元リストア

 

 その一言が放たれるとともに、血だまりに沈んだ騎士の上から、彼の身を埋め尽くすほどの量の金色の光の粒が降り注いでいく。光の粒が体や今もなお流れ出している血に触れると、そこにあった傷だけではなく血に至るまでがうっすらと消えていき、傷つく前の元の体に修復されていく。

 結果に興味はないとばかりに、瞑は目の前の神秘的な光景をよそに、ページをさらに捲って別の文面を読み上げる。


「——戒めの鎖よ、拘束の薔薇荊よ、悩める者のささやかなる癒しとなれ」

迷心バインド


 今度は、騎士の頭を囲むように、紫色のワイヤーフレームのような格子が現れると、ルービックキューブのように幾つかの格子が縦横に回転して……そして、止まった。


「うん……よく分からないけど、うまくいったはずだよ、零士」

「魔法の道具だから何でもありなのかも知れないけどよ、ずいぶん便利だよなァ、その本。それがあれば、この世界の国家機密の魔法だろうがなんだろうが、自由に使えるってのは……パンクだぜ?」


 自信があるのかないのかよくわからない報告をする瞑に、将人が羨ましそうに反応した。


根源の書マニュアルは、神の作った道具……神器じんぎということだからな。これぐらいの機能がなくては名前負けだろう」

「ハッ、その神が作った……というところさえなきゃ完璧なんだがなァ……」


 将人が、気に入らない料理を前にしたように顔をしかめる。その反応には、零士は答えない。代わりに反論したのは瞑だった。


「……あのね、これの問題はそこじゃないの。魔法は選び放題だし、使うべき魔法を教えてくれもするけど、発動するときは使用者が扱える魔力の範囲でしか扱えないって問題があるの。いくらいい魔法があっても、魔力が足りないと使えないんだから、なんでも出来ると思ってあてにしないでよ、ふたりとも」


 ……そう、


「今なんて?」

「……別に。気にしないで」


 反論に続けて、瞑がぽそぽそと呟いた言葉を聞き取れなかった将人の問いかけは一蹴される。

 二人がそうしているとき、零士は倒れた騎士の傍らに膝をついて、何事か囁きかけていた。男の傷は完全に修復されていたが、床に横たわったまま、目を見開いて宙の一点を見つめている彼が正常な状態でないのは明らかだ。

 これが、瞑が根源のマニュアルから選び出した魔法「迷心」の効果だった。

 この魔法は、対象者の脳に誤った情報を記憶させることができるが、記憶させるには魔法の効果が発現している最中に話しかけて刷り込む、という面倒な手順が必要だ。

 魔法を用いた強力な催眠術、と言えばもっとも実情に近いだろうか。

 一度記憶させた情報は、元からあった記憶のように永続化されるので、操る対象に魔法を継続的にかける必要がないのは利点だが、記憶させるための効果時間は数分という欠点がある。


 たとえば一国の王を操り人形にしようと思うと、少なくとも一年間程度、毎日魔法をかけて記憶を調整していく必要があるだろう。その間に、魔術をかけていることを露見しないようにするのは、常識的に考えてとても難しい。この魔法がこの世界で悪用されることが少ない理由の一つである。もう一つは、単純にこの魔法が高位の術式で習得者が少ないことだ。

 ともあれ、零士はこの魔法を彼の感覚でに使おうとしている。


「最近の悩みを言ってみろ。くどくどと言うな、端的にだ」

「常駐の兵士の士気が低下している……砦内の唯一の井戸の出が悪くなっているという報告を受けた……近くで山賊が出没し始めたと聞いた……王都に残してきた妻と息子が心配だ……今朝、合戦用の甲冑に錆の染みが浮いているのを見つけたから、従士に磨くように言わねば……」

「ふむ。山賊について詳しく話せ」


 零士が切り倒した騎士は、この砦の兵卒を率いる将軍の立場にある。つまりは、この砦のボスだ。

 彼に言うことを聞かせれば、聖王国とのが作れるというわけだった。伝統ある聖王国の有力者は他にもたくさん居るが、術系統が違うとはいえ、魔法使いである聖職者は魔術での洗脳のターゲットにはしづらいし、王都近辺で軍の中枢にいる連中は、お互いの関係性も考えて洗脳する必要がある上、一対一で会う場面を作ることが手間そうだった。

 それに何より、この砦が零士たちがこの世界に降り立った場所——厳密には神と名乗る何者かに対面した後に降ろされた場所から、もっとも手近だったのだ。


「災難だねェ、このおっさんも……」


 自分たちは彼が山賊退治に雇った腕利きの冒険者である、という刷り込みをしている零士を横目に、将人は、頭頂部が薄くなりつつある騎士の頭に向けて、感慨深げに呟いた。

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