第二章 初めての異世界体験、あるいは空から墜落する少女 前編

 京都の市街から、見たことのない草原に一瞬で移動して。

 同行したクラスメイトの記憶に微妙な齟齬があって。

 そもそもここが日本でないどころか地球ですらない可能性があるという。


「そんな状況だというのに……一番の問題がまさか距離これとは」


 ここまで歩いてくる道程で、うっとうしいだけになった襟のネクタイは完全に取っ払ってしまった。秋の京都ではありえない陽光に、暑苦しさがいや増して、シャツの裾もだらしなく引っ張りだしている。

 が、今の雨緒がくたびれた様子なのは制服を着崩しているせいだけではなかった。


「結構近くに見えたんだけどなあ……ちっと遠すぎんだろ……」

「ええ、くたびれましたね〜」

「足にマメができちゃいそうだよ……」

「……うぅ、重い……」


 今からざっと二時間以上前のこと。


 遠くに煙が立ち上っているのが見える、と視力二コンマゼロ以上を誇る晶の発言で(それ以上の視力があるのは間違いないようなのだが、学校でやる適当な身体検査だと不明なので「以上」なのだった)、人の集落でもあるのかもしれないと、煙の元に向かって歩きはじめた。

 さらに途中で小高い丘に登ると、雨緒の目でも遠くに町並みらしきものが確認できたので、とにかくあの町に行ってみようということで進み始めたのだが……。


「道らしい道がないと、こんなに時間がかかるんだな……」


 アスファルトどころか、人の手が入ってると思しき道がなく——町から伸びている道は三本あったのだが、雨緒たちの進行方向とはまったく無関係だった——藪に出くわしては周り道、妙にぬかるんだ地面に足を取られたり、見たことのない獣の群れを大きく迂回する(それこそ、奈良公園でみた鹿のデカいバージョンのようなもので、草食動物っぽかったが)などしていたので、とにかく時間がかかったのである。 

 ちなみに、時間の計測は祭理がしている手巻きタイプの腕時計でしているので、正確なはずである。

 すくなくとも、時計の進みが妙に早い・遅いなんて、でたらめな出来事はなかった。


 当初は携帯の電源も入っていたのだが、充電の当てがないという理由で、電池を温存するためにすでに電源を落としてある。

 道中、時々電源を入れて確認しても、アンテナ一つ立たないことから、少なくともここは日本ではないし、ローミングなどが使える典型的な外国でもないことが分かり……結果として、ここは多分異世界なのだと認識せざるを得なかった。

 まあ、訳の分からないことが続いて、すでに十分覚悟はできていたようで、その事実で驚きの声をあげるということはなく「マジかよ」「嘘っぽーい」「ありえませんね〜」といった反応になったのだが……。


「もう少しだ、頑張ろう」

「それはいいんですけど〜」

「町に着いたら、どうすればいいんだろうね?」

「……とりあえず休みたいよ……」


 それなりに元気を残した晶と祭理と違って、楽彦に元気が無いのは、四人がもともと持っていた荷物(修学旅行のメインの荷物は基本宿にあるので、残念ながらちょっとした飲み物やおやつ程度の食べ物、その他、密かに持ち歩いているもの——たとえば携帯とか——しかないのだが)を雨緒と楽彦が分担して持っているからであった。

 最初はそれぞれで持っていたのだが、やはり晶や祭理が体力に劣る分、進みが遅くなったので分担した。

 ところが、超インドア体質で、二人に毛が生えた程度しか体力のない楽彦には均等分担では重すぎたのだ。見かねた雨緒が手を貸そうとしても、それは悪いからと断るので、ここまで歩いてきたのだ。

 体力はなくても根性はあるよな、と雨緒は楽彦を見なおしたのだが、どうも見たところ女性陣に感銘を受けた様子はなさそうである。


「不憫なやつ……」

「んー、どうしたの?」


 晶の問いかけに、いいや、なんでもないと首を降って雨緒はもう一度その町……規模的にはだろうか——を眺めた。

 京都……だけではなく、どの日本の街とも違っているのは、その街には城壁と堀があることだった。目見当で、城壁の高さは十メートル近くもある。

 よって、街の中に出入りするためには、城壁に幾つか設けられた門をくぐる必要がある。

 門には大小のものがあり、雨緒たちのやってきた方向からは離れたもっとも大きい門は、堀に渡された橋を太い鎖で巻き上げる、跳ね橋式の立派なものであった。

 全体の外観は、まさしく中世ヨーロッパの城郭都市の様相だった。


   ★


 それから数分後。ようやく雨緒たちは門の近くにやってきた。


「うーん、あの人たち、きっとこの街の兵士だよなあ……とりあえず行ってみるしかないけど、どう説明したらいいんだろうな……」


 雨緒たちが辿り着いた門は、数ある門の中では小さめのそれで、仮に自動車——この街に似合うのは馬車だろうが——なら、同時に一台なら通れる程度のものだった。

 とはいえ、街に不審人物を入れないためだろう、開け放たれた扉の左右には門衛らしき人物が一人ずつ立っている。

 これがゲームなら、甲冑か板金鎧かを着こんだ筋骨隆々の兵士であるところだろうが、日光で蒸されてただ立っているだけでも重労働になるためか、鎖帷子にもこもこしたフェルトのような頭巾を被っていた。

 さらに近づくと、金属製のヘルメットのような形の兜が地面に転がしてあることに気づく。なるほどなあ、と雨緒は感心した。どうも、本来なら剥き出しの金属のこれを、柔らかい頭巾の上から被るようだ。

 だがこの日差しでそんなことを続けていたら、頭部の毛髪が心配になるだろう。

 そういうのは異世界でも同じなんだ、と安心するやらがっかりするやら。


 と、そこに、門番の一人、顎が前に出ているのが第一印象の男がこちらに向かって声を上げた。雨緒たちより年上そうだが、三十歳を超えている感じはない。


 ちなみに、門に近づくにつれて、花か薬草を摘んでいる子供や、見た目は地球と同じ馬に乗っている男女のカップルぽい連中(リア充っぽかった)、弓らしきものを持って森がある方向に向かっている狩人らしき人などを見かけて、この世界に住む人が普通の人間であることは知っていたので、人と出会ったことについての驚きは今さら発生しない。

 だが——。


「そこの君たち、ちょっとこっちに来るんだ」

「ああっ!」


 突然発した雨緒の叫び声に、男の表情がどきりとしたものになる。


「……な、なんだね?」

「そうか、言葉通じないはずだった……って通じてるし!」

「……普通に話せているようだが……? ところで君たちは旅人かね? それにしては珍妙……いや、なんだ。随分と軽装なようだが……。見たところ全員ずいぶんと若そうだし、一体、君たちはどういう素性の者なんだい?」


 訳の分からないことを言う雨緒に、門番としてのプロ意識なのか、戸惑いを見せつつも男は雨緒たちの正体を確認してくる。


「あ、ええと……その、どこから話せばいいのやら」


 雨緒は事情を語り始めたが、さっそく後悔を始める。

 ここに辿り着く前に、事情を聞かれたらどう答えればいいのか考えてこなかったわけではない。みんなと話し合って、基本的な方針は決めていた。

 この世界は、自分たちの知っている地球とは随分異なっている。自分たちに都合のいい嘘をつこうとしても、それで他人を納得させるのは困難だろう。


 だから、まずは正直に話してみよう——。

 そういう結論だったのだが、実際に話すとなると思っていたよりも遥かにうまく行かなかった。


「それでバス……じゃなかった、公共の移動手段に乗っていたはずが……次に気づくと太陽……太陽ってわかります? あ、分かりますか、よかった。んじゃ、その太陽が照ってて……あ、つまりですね、その……」


 頑張って説明しているはずなのだが、門番の男がどんどん胡乱げな表情になっていくのだ。


「雨緒って人見知りするタイプだっけ? なんかしゃべり方までおかしくなっててちょっと面白いね」

「特にそんなことはなかったと思いますけど〜」


 背中側でのそんな気楽なやり取りが聞こえてくるので、テンションまで下がること甚だしい。

 雨緒だって、この二人が腰に剣をぶら下げていることに気づいていなければ、ここまでぐだぐだにならずに、もうちょっと気楽に話せていただろうと思う。

 いきなり、ええいくせ者ー、ずばーっ、首すぽーん☆ とかされるかも、という恐怖と戦いつつの説明なのだから、理解してほしいものである。


「——と、いうことなんですが」


 それでもなんとかかんとか話を終えると、男の表情を伺う。

 明らかに難しげな表情なので期待はできないが……なんとかして、街の中に入れてもらって、それから皿洗いでもなんでもして飯とか寝床を調達しないといけないわけで……。


 いや、マジで……そういうの全部うまくやるとか、現実的に無理なんじゃね?

 そもそも、もし街に入れてもらえなければ……この自然あふれる平野の中で、自力で食べられるものを調達するなど、何をどうやったらいいのか……無理だ。ひょっとしなくても……これで生きるか死ぬか決まるんじゃ?


 異世界冒険というキーワードからはだいぶ離れた、生活の現実に気づいて、雨緒の頬を冷や汗がつたう。


 と、とにかく中に入れてもらえるように頼み込んでみよう、と思った頃。


「こりゃあれだ。例の連中の案件だろうよ、ゴーシュ」


 雨緒が事情の説明を始めても、ずっと黙りこくったまま、門のそばから離れなかったもう一人の門衛が唐突にそう口を挟んできた。

 先に話しかけてきた若い男(呼びかけからして、名前は多分ゴーシュなのだろう)と違い、髪に白いものが混じり始めていて、だいぶ年長のようだった。が、ずんぐりむっくりした体格で、むしろ若い男よりも頼り甲斐のある雰囲気をまとっていた。


「連中……? ああ、アカデミーの! ですが、スヴェンさん……本当に彼らが……? いや、まあ、他にこんな連中を扱ってくれそうなところはないし、そうするしかないか……」


 もごもごと口ごもりつつ若い門衛の男が言ってから、雨緒の方に向き直る。


「よし、話は分かった。……正確には俺達の手に負えないのが分かったわけだが。念のため確認するけど、君たちは別の世界から来て、今ここにいる。そして、この街に入りたい、とそう主張しているということでいいのかな」


「あ……はい。それは……はい」


 別の世界から来た、というのと街へ入ることが並列な理由はよくわからなかったが、どちらも間違っていないので雨緒は頷いた。

 自分自身でも、頭大丈夫か? って思う話だが、なにせ事実であるからして雨緒にはどうしようもない。


「それなら、君たちのような事情のある人達を担当する専門の組織があるので、あとはそっちに対応してもらうことになる。で、悪いんだが、しばらくここで待っていてもらうことになるんだ。彼らを呼んでこないといけないのでね」


 えっ、なにそれどういうこと? と思いつつも「あっはい」と頷いた。もし自分が子供を持つことになったら、剣を持った人には逆らわないを家訓にしようかな、と思い始めていた雨緒は、


「特に茶とかは出ないぜ」


 年上の男のほうが、意外に茶目っ気のある笑顔でそう言ってきたので、ほっと一息ついたのであった。

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