第7話 甘い瞳

「まぁだ、怒ってんの?」


 翌日、琉香さんを無視し続けていた私に、瑠偉兄がお風呂に入ったタイミングで、彼はため息交じりに言った。


「当たり前です。話しかけないでください」

「なぁ、ファーストキスって誰と?」


 話しかけないでという私の言葉なんて全く無視して、琉香さんが聞いてくる。


「そんなの琉香さんに関係ないでしょ!」


 頭に来て、怒鳴り声と共に彼を睨みつけた私は、驚いてそれ以上何も言えなくなった。

 だって、琉香さんがひどく切なげな表情をしていたから。


「いつ、したんだよ」


 真剣な顔で私を見つめる。

 なんで、そんな顔しているの……。

 私は怒りも忘れて、琉香さんのきれいな顔に見入ってしまった。

 すると、私の視線に気付いた琉香さんは眉をしかめて横を向いた。


「俺以外にもお前みたいなブスの相手をしてやる物好きがいたんだな」


 あっという間にいつもの意地悪な彼に戻っていて、私の怒りがぶり返す。


「琉香さんは私のことブスって言うけど、瑠偉兄はかわいいって言ってくれたもん!」


 思わず叫んでいて、その言葉を聞いた琉香さんは目を見開いて私のことを見た。


「ファーストキスの相手って、瑠偉なの?」


 あ。しまった。


「わ、悪い?」

「いつ?」

「それは……」


 子供の頃の話だと言ったら、絶対、鼻で笑うはず。

 そう思った私は黙ったまま目を逸らした。


 すると、

「いつの話かって、聞いてんだよっ!」

 と琉香さんは怒ったように私の両肩を掴んだ。


「あいつ、お前に手を出したの?」


 信じられないといった表情でつぶやく琉香さんに、さすがにこれ以上黙っているわけにはいかなくなった。


「あの……えっと、まぁ、小学生の時の話……だけどね」


 渋々告げた私に、琉香さんは「はぁ?」と間の抜けた声を上げた。

 ええ、そうですよ。どうせ、あなたからしたらファーストキスにはカウントされないんでしょうけどね。

 笑いたければ笑えばいいさ。

 身を固くして彼の攻撃に備えた私の前で、琉香さんは安堵したように深いため息をついた。


「なんだよ、それ。くそ」


 そう言ったきり、しばらく黙っていた彼は、

「ってか、小学生のくせに、ませた真似してんじゃねーよ。瑠偉も瑠偉だな。ガキ同士が、ふざけやがって」

 と不機嫌そうに言った。


「いいでしょ! 私の大切な思い出なんだから、そんなこと言わないでよ! ほんっと、琉香さんって意地悪だよね!」


 怒鳴ってその場を去ろうとした私の腕を掴むと、突然、琉香さんは私を引き寄せた。


「なんで瑠偉なの……」

「琉香……さん?」


 彼の切なげな声に、驚いて顔を上げる。すると、怒ったような顔をした彼は私のことをその胸の中に抱きしめた。


「お前は俺のペットだろ。ご主人様以外に尻尾振ってんじゃねーよ」


 最強に失礼な言葉を浴びせられたけれど、彼のたくましい胸に抱きすくめられ、動揺で声も出せない。


「お前は、俺のものだ……うさぎ」


 囁くように言って彼は顔を近づけて来た。

 濡れた甘い瞳に捕らえられ、魔法をかけられたように体が硬直してしまう。彼の形の良い唇があと数センチで私の唇に触れるというところまで来た時、部屋の外から物音が聞こえてきた。近づいてくる瑠偉兄の足音に、琉香さんがちっと舌打ちする。


「ざーんねん」


 彼はそうつぶやいて、私を解放した。


 そのすぐ後に、部屋に入って来た瑠偉兄は、向き合って立ち尽くす私と琉香さんを不思議そうに見比べた。


「どうかした?」


 何かを感じ取ったのだろう心配そうに聞かれたけれど、私はあまりに動揺して声を出せない。


「うさぎを虐めて遊んでいたの。あぁ、楽しかった」


 琉香さんは意地悪な笑みを見せると、リビングの奥に戻って行った。


「琉香、何したの? 莉兎にこんな顔させて」

「じゃれ合っていただけだって」

「かわいい妹なんだから、もっと大切にしろよ。大丈夫? 莉兎」


 琉香さんと入れ違いで、瑠偉兄が私のもとに近づき、優しく頭を撫でてくれる。

 あぁ、同じ顔なのに、なんでこんなにも二人は違うのだろう。


「大事にしているよ。うさぎは俺のかわいいペットだからね」

「莉兎に対して失礼だろ」


 眉を寄せる瑠偉兄に対して、ニヤリと笑ってみせる琉香さん。

 相変わらずの天使と悪魔。

 多分、二人分の優しさが全部瑠偉兄のところに行っちゃって、琉香さんのところには残らなかったんだろうな。


 かわいそうな男だ。


「なんだよ、その顔。文句あるのか?」

「別に」


 私は取り合わずに、横を向いた。

 明日の朝ご飯は琉香さんの嫌いな納豆ご飯にしてやる。そう心に決めた。

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