第1章

第1話 ~ある日目が覚めたら女の子になっちゃった~

 ――まぶしっ。

 ある晴れた朝。強烈な朝陽を受けて、ごくごく自然に目を覚ました。

「ん――ふぁぁ……」

 かたくなった身体をほぐすために大きく伸びをし、酸素不足の脳に届くように空気をたっぷりと吸い込む。

 窓からは穏やかな春の陽光が射し、全身で浴びると心地良い。風がそよぎ、肩まで伸びた髪がさらさらとなびくのを感じた。

「……いい朝だ」

 素直な感想が零れた。時計が12時を指していることは気にしない方向で。声の通りがよく、のどに一切引っかからない感じが素晴らしい。そして身体がいつもより軽い、気がする。

 今日はなんだか調子が良さそうだ。

 ただ一つ、問題があった。


 ここ……どこ?


 今自分がいる部屋の様相に見覚えがないということ。

 適当に見回してみるが、天井も壁も床もベッドも傍らに置かれている机も、花瓶に活けられたお花さんたちと隣のフルーツ以外は、すべて白色で見事に統一されている。まさしくTHE・殺風景でさっぱり見覚えがない。そしてこの部屋で目を覚ますに至った身に覚えがない。

「うーん……」

 腕を組んで必死にうなりながら記憶をさかのぼってみるが、全くと言っていいほど手応えがない。頭の中がまっしろだ。今ならお坊さんの前で何時間座禅をしても肩をビシッと叩かれる気がしないぞ。そもそも正座はそんなに長くできないけど。

「とりあえず、」

 考えていても始まらない。朝起きてしなければならないことはいくらでもあるのだ。

 床に揃えられていたスリッパを履いてひょいっと立ち上がる。スライド式の扉の取っ手部分に指をかけ室外へ出た。

 これまた殺風景で静寂に包まれた廊下を進み、目的の地を探す。相変わらず建物内の構造に見覚えはなかったが、自然と歩いていた先に突如としてそれは現れた。ダンジョンで例えるなら宝箱を見つけた時の喜びだ。

「おぉ……!」

 何という偶然。場所を知らないはずなのに、まるで前にも利用したことがあるみたいだ。いや、あるけど忘れているだけかな?

 さっそく青い看板の方へ入る。先客である白髪のおじいさんが用を足している最中だった。特に気にすることなくそろりと個室へ足を運ぶ。視界の隅っこでおじいさんが首だけこちらを向いて目を丸くしていたが、今そんなことはどうだっていい。

「ふぅ……」

 中へ入った途端、安堵の息がもれた。

 地味な施設の制服のズボンをおろし。いざパンツをおろそうとした、まさにその時。

 事件は起こった。


 ―――――――――――ないっ!!!?


 戦慄が走る。

「――――――ッ!!」

 思わず悲鳴を上げそうになり、外におじいさんがいたことを思い出し慌てて自分で口をふさぐ。

 おろしかけていたパンツを戻し、生地の上から触れて確認してみるもやはり、

「ない……」

 頬をぺしぺしと叩き、己のうちに流れている気を無駄に練り直してからもう一度触れてみる。

「うん……ないね」

 が、事実はくつがえらなかった。

 なんで……どうして?

 男なのに――男だったのに!!

 ありえないでしょぉぉぉおおおおおぉぉぉぉぉおおおおぉぉぉぉぉぉおおおぉぉぉおおおぉぉぉぉおおおおお!?

 しかし魂の叫び虚しく、今はこの現実を嫌でも受け止めなければならない状況だった。

 ええいガマン……は、できない。無理。

 したいものはしたいのだ。身体に従わざるを得ない。

「うぅっ……」

 意識しだすと恥ずかしくてたまらなかった。幸い小さい方だけだが……こんな体でできるのか? そもそもドウやるんだ? ていうかドウやっちゃっていいのか!?

 今思えばパンツもいつも履いていたものとは大分違い、無地で中央にリボンが付けられた可愛らしい明らかに女ものだった。なぜおろす前に気が付かなかった。そういえば髪も少しというか大分長い。声も無駄な引っかかりがなく、通りが良かった。身体が軽く感じるのは、小柄な少女の身体だからか?

 これだけの相違点があったにもかかわらず、なぜ気付かなかった……。

 自分の身体、のはずなのだが、自分の身体とは思えないがために、これからする一連の行為に背徳感はいとくかんを抱かざるを得ない。

「ひっ……あぅ……」

 マジデヤバイ。

 思考を巡らせることさえままならないほど、時は一刻を争う事態になってきた。

 ヤるのか? この身体で……ヤっていいのか?

「もう……ダメ……」


 ――えぇいっ! できるかできないかじゃない……やるんだっ!


 覚悟を決め、目を閉じ勢いに任せて腰をおろした。




 意識こそすれば恥ずかしかったが、快楽に身を委ね頭が真っ白になった後はどうということはなく、あっさりと済ませることができた。

 心頭滅却すれば火もまた涼し。……実に偉大な教えだ。うん。

 もしかしたら夢なんじゃないかと期待した。いや夢であってほしかった。しかしあの羞恥の体験と、その後の言い様もない安堵感あんどかんは本物であり、これが覚めようのない現実であることに違いはなかった。

 悔しいが、我思う故に我ありというやつだ。

「お嬢ちゃん……なんで男子トイレさ入ってるんだァ? 寝ぼけてるんでねが?」

 今となってはここへ来た時におじいさんから向けられていた視線の意味が痛いほど理解できる。

 個室から出た途端に早速怪訝な目を向けられた。

「えぇ、みたいです……。あっ、いやその……ただ間違えただけで、何も見てませんし、しっ、してませんからっ!!」

 状況を思い知った途端、顔が一気に沸騰した。これじゃあただの変態だ!

「ほうかほうか。別にワシはち○こピー見られても問題ないけんど、見たら気持ち悪くて悲鳴あげんど。わははっ」

 冗談のつもりだろうが、今はいろんな意味で笑えない。

「本当にすみませんでしたっ」

 なるべくおじいさんと顔を合わせないよう、一礼だけしてその場をそそくさと離れる。

 背中に「お大事になぁ」とおじいさんの言葉が投げかけられた。なんか変な勘違いをされているような気もするが、通報されるよりはマシだ。

 もしおじいさんではなく、真の意味で危ない人が中に居たらどうなっていたか……。

「おや、お嬢さん。ここは男子トイレだZE。もしかしなくても、そういうことに興味があるのかい? ――ユー、ヤっちゃう?」

「いや、ここは俺とヤらないか?」

「そんなことさせねーよ。……ここは、俺のビッグあらびきフランクを」

「ヤらせねーよ!!」

「――!!」

 よからぬ妄想を振り払い、部屋を目指してひた走る。

 いったい何がどうなって、どうが何なってるんだ!!

 ワケも分からぬまま、いつも以上に軽い身のこなしでコーナーを曲がる。

 ドキンッ。

 心臓が大きく脈打つのと同時に、自然と足が止まっていた。

 先ほどまで居た部屋の扉の前に一人、制服姿の少女が立っていた。

 少女の表情はうれいを帯びていて、どこかはかなく、どこかさびしげな面持ちで扉の向こうを見つめていた。

 その少女の顔はまったく記憶になかった。

 しかし先ほどまでその扉の向こうにいたのは、他でもない自分だ。彼女は、俺に会いに来たのだろうか。

「っ…………」

 声を出そうと思ったが、なぜか躊躇ためらわれた。

 視線が、言葉が吸い込まれていく。

 目の前にいる少女は、殺風景な世界に突如として現れた凛と咲く一輪の花のよう。横顔は流麗な線で描かれ、シナモン色のショートカットは、絹の如くしなやかに流れている。

 少女がそのさらさらの髪を耳にかけると、俺の心臓が再びドキンと脈打つのを感じた。

 彼女は声をかけるのに勇気が必要なレベルの美少女だ。学校だったら俺みたいな人種が気軽に話しかけられるような相手ではない。いや、人種は言い過ぎた。性格の問題だ。

 そう、本能で感じ取ってしまった。

 だが、ここは学校ではない。話そうと思えば話せる。にもかかわらず、依然として身体を硬直させて立ち尽すことしかできない。話そうという意思があっても身体が言うことを利かない。まるで金縛りにでもあったかのよう。

 やがて少女が大きく溜息を吐き、扉の取っ手に指をかけようとしたその時。

「あ」

 こちらの存在に気付き、ゆっくりと少女の瞳がこちらを覗く。次の瞬間には、俺は咄嗟にそっぽを向いていた。

 ほんのわずかなようで、何分も続いているような沈黙が場を支配する。

 面と向かっていない今なら言える。そう思った。

「あ、あの……何か用ですか?」

 部屋を指しながら尋ねる。

 彼女は今どんな顔をしているだろうか。まっすぐ見てみたい。でも、見れない。

 しかし少女はすぐに答えなかった。やがて不安になりかけたころ、少女が静かに口を開いた。

「会いに来たんだよ」

 耳に心地よい、透明な声。先ほどの切なげな表情からは想像もできないほどの明るい声に、思わず少女へ視線を戻す。

「おはよう、ユウキ」

 少女が満面の笑顔で言った。それは紛れもなくこちらに向けられていて、そして確かに、呼んだのだ。

 ユウキ――俺の、名前を。

 少女は俺のことを知っていた。だが、俺は目の前で微笑む少女を……どうしても思い出すことができなかった。

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