第一片 女騎士、かの地にてイケメンと邂逅す 8
背の高い、赤レンガの校舎が並んでいる。
鋭くとがった屋根が、澄みわたった春の空にのびている。
市街地を一望できる高台に、百花学園はあった。
今年で創立百二十年を迎える中高一貫の私立校。良家の子女も多数通う、県下有数の名門である。
その高等部に、カリンは新入生として潜り込むことに成功した。
これまでの反省から、幻覚を見せる魔力の
光学催眠と呼ばれる術で、密偵が
これなら、カリンの外見や不自然な言動を目にしても不審に思われず、正体のバレる危険を格段に減らすことができる。
それに、操心術のように精神を直接的にいじるわけではないから、かけられる側の負担を考慮する必要もない。
ただ、戦場での働きを本分とするカリンにとっては、あまり使い慣れた術とは言えず、強力な魔力を持った相手には効かないといったことも考えられるが、そこはそれ、なにもかもが都合よくはいかないものである。
カリンに取れるのは、よりリスクの低い手段を選択することと、細心の注意を払って行動することだけだった。
大丈夫、とカリンは己に言い聞かせる。
この世界に関する知識も、図書館に通い詰めて猛勉強したり、陽平にあちこち案内してもらったりしたおかげで、日常生活に支障のない程度にはなっている。
もう、ふつうに買い物はできるし、電車やバスを利用するのにも不安はない。そうでなければ、こうして百花学園に辿り着くこともできはしない。
邪神アルマミトラの気配は、校内に入る前からはっきりと感じていた。
気を張って制御しないと、人前で妙な動きをしてしまいそうなほどに。
どうやら、目指す仇がこの学園に潜んでいるのはまちがいない。
生徒か? 教師か? あるいは出入りの業者か?
「ねね、倉仁江さん」
カリンが顔をしかめて考え込んでいると、教室で前の席になった女生徒が声をかけてきた。
たしか自己紹介のときに、
「その人形、なんかのキャラ?」
「ああ、これ? 妹たちが作ってくれたの」
お守りの人形を、カリンは鞄につけていた。
なんとなく、いつも見えるところに置いておきたかったのだ。
「へー。かわいいねえ」
「そ、そうかな? いちおう、私らしいんだけど……」
「ふぅん」
恥ずかしがるカリンを見て、茉莉花はにまにまと口許を動かした。
「倉仁江さん、いいお姉ちゃんなんだ」
「そんなこと……めったに家に帰らないから、きっと、ほっとかれてるって思われてる」
「そうかなあ? 家に帰ったときは、ちょー甘えてくるんじゃない?」
「……うん」
別れ際の家族の顔を思い出して、カリンは胸を締めつけられた。
一番下のサーリーなどは、エメあたりに言われていたのか、必死に泣くのをこらえているようすだった。
皆を食べさせるためには仕方がない――そう割り切ろうとはしているものの、寂しい思いをさせているという罪悪感が消えることはない。
「って、そんな顔しないでよ。留学とか大変だろうけど、愉しいこともいっぱいあるよ」
「そうね。ありがとう、大紬さん」
里心は敵だ。いまは、使命を果たすことだけ考えよう。
そう思ったところで、茉莉花が学内を探険しようと提案してきた。
彼女は外部からの受験組で、学園の美しい建物群については写真でしか知らないらしい。
カリンとしても、学園の構造を知るよい機会である。ありがたく同行させてもらうことにした。
放課後、茉莉花といっしょに下駄箱までいくと、ひとりの女生徒が待っていた。
「お待たせ、チキ」
茉莉花が声をかけると、どよんとした目つきの女生徒が、無表情のままこちらを向いた。
ずいぶん小柄に見えるが、背中を丸めた姿勢のせいばかりではあるまい。ぶかぶかの制服の袖からは、指先がすこしだけのぞいている。
「倉仁江さん、このコは
「倉仁江花梨です。よろしく」
「………」
カリンの自己紹介に、千姫は無言の会釈を返しただけだった。
「ちょっと人見知りだけど、根はいい子だから」
茉莉花が肩を抱くように腕をまわし、もう一方の手で頬をつまむと、千姫は小声で「……やめて」と抗議した。
しかし、茉莉花は気にせず「ほら、かわいーの」などと言いながら、ほっぺたをひっぱったりしている。
「あたしら、会ってみたい人がいるんだよねー」
「会ってみたい人?」
「……あんただけでしょ、マリ」
千姫が、いっしょにするな、と言いたげな顔をする。
「すっごいイケメンで、うちの中学でもよく噂になってたんだー」
なるほど、男か。
どうやらそっちが本来の目的らしい。まあ、自分には関わりのないことだ。
茉莉花のあとについて歩きながら、カリンは注意深く周囲を観察した。
道の繋がり、建物の造り、とっさに隠れられそうな場所などをチェックしてゆく。
それらを把握したうえで、時間帯による人通りの変化も押さえておけば、不意の戦闘や、こちらから仕掛ける場合、あるいはやむを得ず撤退するときにも、かならず役に立つ。
この大紬茉莉花とも、友好的な関係を築いておけば、今後も有益な情報を引き出せるだろう。
そう。すべては使命のため。
その先にある、家族の未来のため。
それ以外のものに、心を動かされている暇はない。
「いた! いたよ!」
「え?」
茉莉花の声で現実にひきもどされる。
あれあれ、あの人。指さす先。なにかが舞っている。
あれは――花びら?
颯爽と歩を進める長身の影。ひるがえる黒髪。
まさか、あれは――
「二年の桜ヶ丘央霞先輩! 去年、剣道で全国制覇したんだって」
きゃー、と歓声をあげ、茉莉花が手を振る。
よく見ると、おなじようにしている生徒が他にもたくさんいた。
まさか、こんなにすぐ再会できるなんて。
(運命って言葉を信じたくなるわね)
自分が笑っていることに、カリンは気づく。
それが喜びによるものか、あるいは戦慄によるものか、とっさには量りかねた。
知らずしらず、視線が吸いよせられる。
そうせずにはいられない。
その姿形、動作の一つひとつまでが、他の有象無象とはまるでちがう。
「痛ッ!?」
突然、カリンの髪が根元から暴れだした。
見えない手でつかまれて、ひっぱりあげられたかのようだ。
「どしたのー?」
「き、木の枝がひっかかって……」
頭を手で押さえ、ひきつった笑いでごまかす。
背中にびっしょりと汗をかき、シャツが張りついていた。
濃厚、といってもいい。
それほどに強烈な、邪神の気配を放つ人物が、桜ヶ丘央霞と並んで歩いている。
見た目は美しい少女だ。
央霞ほど長くはないが、のばした髪をリボンでまとめ、紺を基調とした制服には一部の乱れもない。
端整な顔立ちだが、大人びた表情の中にも、ときおり快活な色が弾ける。
体重を感じさせない一定の歩調。なにかを指さし、首をうしろにかたむけて央霞を見あげる――そんな所作のすみずみまでが洗練され、気品に溢れている。
清楚で可憐。邪神の気配を抜きにしてさえ、央霞とはまた別種の、特別な存在だとひと目でわかってしまう。
しかも、まるで一幅の絵に収められているかのように、彼女が央霞の隣にいることは、当然すぎるほどに当然なのだと、見る者に思わせるなにかがあった。
「あれは……誰?」
ほとんど無意識に、カリンは訊ねていた。
茉莉花が答える。
「白峰みずき先輩。学園創立以来の才女で、白峰財閥のご令嬢。去年の生徒会選挙では、一年生ながら圧倒的得票数で生徒会長に就任したんだって」
チート乙、と千姫が呟いた。
「ずいぶん詳しいのね」
「そりゃねえ。対外的には桜ヶ丘先輩より有名だもん」
にしても、絵になるわー。茉莉花は、ふたりをうっとりと眺めた。
「ねえ、写メ撮らせてもらいにいかない?」
そう言って誘う茉莉花に、
「……いい」
「私も」
千姫とカリンは、そろって首を横に振った。
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