ブルーメンブラット ――欠片の少女たちは追想する

葦原青

プロローグ 決戦

 松明の灯が揺れる。

 乾いた石壁に亡霊のような影が浮かび、こちらをからかうように伸び縮みする。

 カツカツと靴音が響く。仲間――という名の同行者たちとはとうにはぐれていたので、それは己ひとりのものであるはずなのだが、反響のせいで、まるで大勢の人間が歩きまわっているように聞こえた。

「隠れても無駄だ」

 呼びかけるように、カリンは発した。ぽっかりとあいた深淵にも似た通路の奥に、わんわんと響きながら声が吸い込まれてゆく。

 事実、聞こえているのだろう。

 この神殿の主は、大陸の端で囁かれる悪罵さえ聞き咎め、祟るとされている。

 それを恐れて、今回の討伐作戦も、あらゆる魔力干渉を遮断する結界を何重にも張った一室で練られたのだ。

ご主人様マイスター

 頭の中で響いた声に、カリンは足を止めた。

 目の前には、髪の毛一本入る隙間もないほどきっちりと積みあげられた玄武岩の壁がある。

 使い魔たちが口々に言う。

〈まやかしだよ〉〈つまりは幻術〉〈隠し通路があるってこと〉

 言われてみればたしかに、壁からかすかな魔力が感じられた。

〈まさか気づかなかったとか?〉〈うっかつゥー〉〈ご主人様マイスター、ぼーっとしてるからねー〉

「うるわいわね」

 主人を主人とも思わない使い魔たちを一喝して、カリンは石壁に正対した。

「乙種。破幻、常型刃じょうけいじん

 松明を持っていない右手を胸の高さに掲げ、口中に呟く。

 すると、虫の這うような音をともなって、手のひらに黒っぽいものが集まりはじめた。細長いかたちを取ったところで、それは炭についた火が消えるように凝り固まる。

 現れたのは、ひと振りの剣であった。

 無骨で、鈍く光る、ありふれた鉄製の剣――としか見えない。

 爪先へ先端を落とすように、カリンは剣を振り抜いた。


 パシィーン!!


 薄く張った氷が砕けるように、壁の一部が消滅した。文字通り、跡形もなくなる。

 剣をにぎったまま、カリンは新たに現れた通路の奥へと進んだ。

 気配でわかる。びりびりと伝わってくる。この先にいるのだ――奴が。


 カリンたち奈落人アビエントを千年にわたって虐げてきた地表人デアマント

 憎むべき彼らの奉ずる、大地の創造者。

 強大にして邪悪なる――


 扉が見えた。

 立ち止まって呼吸を整える――数秒間。

 意を決するや、勢いよく扉を蹴りあけ、中へと踏み込んだ。


 そこは広間であった。


 家具や調度は一切なく、寒々しいがらんどうの空間の中心に、ぽつねんとは立っていた。

「やはり、貴女でしたか」

 涼やかな声音が空気を震わせる。


 長身痩躯。

 しなやかな手足。

 光を透かす薄桃色の長衣。

 輝くばかりの波打つ髪。


 見た目は、若く美しいただの女だ。

 だが、藍玉アクアマリンにも似たその瞳で見据えられた時点で、カリンは凄まじいまでの存在感に圧倒されている。

「辿り着くのは貴女だと思っていました。アビエントラントの騎士、カリン・グラニエラ……」

 女は腕をひろげ、歓迎の意を示す。

 どういう仕掛けか、室内は明るかった。

 カリンは松明を投げ捨て、震える膝をおさえつけた。


 ……一瞬でも気を抜けば押し潰される!


 直接相対するとこれほどのものか。他の者を出し抜くため身につけた探知能力が、いまこの瞬間だけは疎ましかった。

「……アルマ……ミトラァ……!」

 喰いしばった歯の隙間から絞り出すようにして呼ばわる。


 ――邪神アルマミトラ


 彼女を倒さぬ限り、奈落人アビエントの平安は訪れない。

 右の手首。出征前、弟妹がお守りにと巻いてくれた飾り紐が見えた。

 震えが止まる。全身をこわばらせていた力が抜け、恐怖は戦意に上書きされた。

「滅神、極尽爪牙きょくじんそうが!」

 起動呪きどうしゅとともに、剣の形状が変化する。

 より強く、より鋭く。

 神を滅するため、極限まで力を解放した最強の形態だ。

「覚悟!」

 裂帛の気合いとともに、カリンは床を蹴った。


 …………


 戦いは熾烈を極めた。

 幾度となく、カリンは床を這い、壁に叩きつけられ、いたるところに血の染みを作った。

 しかしついに、彼女の剣は邪神をとらえた。

 胸の中央。自らの似姿とした地表人デアマントとおなじく、心臓のある場所。

 最後の力をふりしぼって繰り出したひと突きが、あやまたずそこを貫いていた。

「やった……!?」

 そのときカリンは、苦悶する邪神のくちびるが、笑みのかたちに歪むのを見た気がした。

 意識が飛ぶ直前、網膜に焼きついたのは、邪神の身体が風船のように膨張し、白熱した閃光とともに爆散する光景だった。

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