第3章 『は』の被害者

 翌朝は早い時間に現場へ到着した。通勤ラッシュを避けるためだ。正確に現在の時刻は朝の七時十四分。

 死体が発見された『ロバタ第二ビル』は、丸柴まるしば刑事も言っていたように中からも非常階段からもフリーパスで屋上まで行き来できる。管理人は常駐していないが、捜査の許可は取ってある。四階建てのビルは、一階に二部屋という構成になっており、どれも業務用の貸し事務所としての用途で賃貸されている。現在埋まっているのは、ちょうど半分だけ。どのオフィスにも、まだ誰も出社してきてはいない。

 私たちは屋内の階段から屋上へ上った。上半分にすりガラスがはめ込まれたステンレス製のドアを開けると、流れ込んできた寒風とともに、目の前に屋上の景色が広がった。エアコンの室外機や貯水タンクが置かれているため、歩き回れる面積はそれほど広くない。右手には非常階段が見える。


「こっちよ」丸柴刑事は左手の貯水タンクへ向かった。


 膝の高さ程度に組まれたタンクを受ける鋼材を跨ぎながら奥へ進むと、赤黒い染みが広がったコンクリートの床の上に、人型に張られたテープが見えた。気を付けのような姿勢をとっている。

 理真りまは鞄から写真を取り出す。死体発見直後に撮られたものだ。写真によると、発見時死体は俯せの状態だった。鑑識の結果も道中の車内で聞いている。死亡推定時刻は二日前の午前六時から八時の間。警察に犯行声明が届いた前日だ。郵便は市内から投函されているため、犯行を行った直後に投函。その日のうちに収集され、翌日配達されたものと見られている。


 死体は丸一日以上放置されていたわけだが、ビルに入っている会社関係者も、屋上に上がることは滅多になく、誰も気付かなかったという。殺害時刻はどの会社も就業時間前で、もっとも早く出社した社員が、午前八時五分前。それを皮切りに続々と各社社員がビルに集まってきている。それ以降は誰かしら社員や、来訪者がビル内を出入りしていたため、犯人が逃げることは難しいだろうという。もっとも非常階段を使ったならその限りではない。犯行時刻を二時間からさらに絞り込むことは難しいといえる。


 死因は当初見られていた通り、背中を刺されたことによる失血死だった。現場に残る血痕を見てもかなりの出血だったことが伺える。被害者は所属会社の作業着姿。会社に確認したところ、被害者は、殺害された日は市内の現場へ直接出勤する予定だったが、時間になっても現れなかったため、現場所長が携帯電話に連絡したが、電源が切られているとのメッセージが流れたという。被害者は以前にも何度か無断欠勤をした前科があったため、所長は、またか、くらいの気持ちでいたという。


 翌日も姿を見せなかったが、その日所長は、ずっと外回りをしていたため、一度携帯電話に掛けただけだった。その際も電源が切られているメッセージが流れた。被害者の所持していた携帯電話は、電源が切られた状態で懐に入っていた。免許証が入った財布も残されていた。中には現金、クレジットカードの類があり、犯人が手を付けた様子はない。その他所持品はなし。携帯電話の通話履歴も、会社関係者や友人のもののみで、非通知番号や公衆電話からの履歴はなかった。


 会議でも触れられた通り、被害者の居住は新潟市西区で、殺害場所となった中央区炉端ろばた町に出向いた理由は不明だ。付近はオフィス街で、飲み屋などもない。死体に動かされた形跡はないため、犯人に呼び出されたか連れてこられて、ここで殺されたと見て間違いはないだろうということだ。どういう手段で呼び出されたか、連れてこられたかは不明だが、なぜここだったのかは明白だ。炉端町だから。『ろ』で始まる場所だったからだ。中でも滅多に人の来ないこの屋上は殺害場所として最適だといえる。もっとも他にも『ろ』が頭文字の地名はいくつもあり、なぜ炉端町が選ばれたのかまでは不明だが。


「被害者、六田ろくださんだっけ、の交友関係は、どんなだったの? 恨みを持つ人物なんかは?」


 屋上をひと通り見て回った理真は、丸柴刑事に尋ねた。


「今のところ特にいないわね。職場の人とも別段トラブルを起こすようなことはなかったそうだし。無断欠勤をたまにして怒られるくらいね。遅くまで飲んで寝坊したとか、そんな理由だったそうだけど。学生時代からの友人数人とは今も交友があるみたいね。順次、聞き込みや聴取に当たってるわ」

「ここで犯人の遺留品らしきものは? 何か見つかったの?」


 丸柴刑事は首を横に振る。

 理真は、ここはもういいと言うので、私たちは第一の『い』事件が起きた村上市へ向かうことにした。帰りは非常階段を下りてみた。隣のビルとの間に設置されているため、人目に付かず屋上へ出入りするには都合がいい。階段に面した壁には、左右どちらのビルも窓はない。慎重に進めば、金属の階段を上り下りする独特の甲高い足音も消せるだろう。



 国道7号線を北上して村上むらかみ市へ向かう。覆面パトのハンドルは当然丸柴刑事が握り、助手席に理真、私は後部座席。国道7号は、高速道路の日本海東北道とほぼ平行して走っている。この時間はさほど渋滞もしないため、そんなに到着時間は変わらないとみて、一般道を走ることを選んだ。一時間半もあれば着く。

 暖房の効いた車内は暖かい。寒風吹きすさぶビルの屋上にいたから、その有り難みもひとしおだ。さらに丸柴刑事からコンビニでホットコーヒーを奢ってもらい。体の外と中から温まっている。


「『い』の被害者の伊藤孝子いとうたかこさんって、どんな人なの?」


 と両手でコーヒーを抱え込むように持ちながら理真は丸柴刑事に訊いた。


「報告書を読む限りでは、普通の主婦ね。子供はみんな独立して県外に出ているわ。同い年の夫と二人暮らし」

「所轄が事故として処理したのは妥当だったのね?」

「そうね。会議で警部も言ってたし、私も報告書にざっと目を通したわ。昨日も言ったけど、雨で滑りやすくなった道に足を取られて側溝に転落。その時にさしていた傘も側溝に落ちていたわ。まあ、余程偏屈でなければ、あれを事件性があると疑う警察官はいないんじゃないかしら」

「でも、犯人の犯行声明によるとあれは殺しだと……殺人として考え直してみると、納得できる部分はある?」

「それはあるわよ。誰かに後ろから突き落とされたのかも知れないし。転落したあとも雨は降り続いていたから、犯人の足跡は消えてしまったと見られるしね。実際、現場の側溝の縁に足を滑らせた跡はあったけれど、被害者の足跡は採取できなかったからね。そもそも、低い草が生えてる道で、足跡が残りにくい道なの」

「うーん。二件で殺し方が随分と違うね」

「何か犯人の考えがあるのかしら……」


 丸柴刑事がそこまで言ったとき、車内の無線が鳴った。


「はい、丸柴です」丸柴刑事は、すぐさま無線機のボタンを押し応答する。

「丸柴」無線特有の雑音に混じって城島じょうしま警部の声が聞こえた。「理真くんと由宇ゆうくんも一緒か」

「はい。何かあったんですか?」

「やられた。『は』の死体が見つかった」

「――どこですか?」

「福島県だ。理真くんの考えが当たった。やつは新潟県内だけで殺人を完結するつもりはないらしい。場所は、柳津町やないづまち箱山はこやま、殺されたのは、芳賀久則はがひさのり、四十歳」

「間違いないんですか? いろは殺人の被害者ということに?」

「ああ、そう考えている。詳しいことは現場で話そう。住所を言うぞ……」


 丸柴刑事はウインカーを出して、通り過ぎかけた聖籠新発田せいろうしばたインターチェンジへ進路を変更した。警部の言う住所は、ペンと手帳を取り出し私が控える。私たちを乗せた覆面パトは、高速道路入口ゲートを通り、日本海東北道を一路現場へと目指した。



 私たちを乗せた覆面パトは、新潟中央ジャンクションで磐越ばんえつ自動車道へ乗り入れた。福島県に入り会津坂下あいづばんげインターチェンジを下りて、国道252号線を南下すると、やがてパトカーの赤色回転灯が見えてきた。そこは川岸の道路で、河川敷にブルーシートが張られているのが見える。

 停まっているパトカーはほとんど福島県警のものだが、一台だけ、新潟ナンバーの覆面パトを見つけた。私たちの車を見つけたのか、ブルーシートの側から中野なかの刑事が走ってくる。


「丸柴さん、お疲れ様です」


 車を停め車外に出た丸柴刑事を中野刑事が迎える。理真に続き私も車を降りる。途端、一陣の風が吹きつけ、私の体の周囲に停滞していた暖かい空気を一気に奪い去った。丸柴刑事は中野刑事と一緒にブルーシートのほうへ歩いて行く。私は行ってもいいものか迷っていたが、理真が二人の後を追ったため、私も付いていくことにした。

 まだあちこちに鑑識や警官がうろうろしている。いや、うろうろしているというのは失礼か。中には、こいつ誰だ? という視線を投げかけてくる人もいる。しかし誰にも止められないところを見るに、中野、丸柴両刑事の同僚だと思われているのだろうか。私も理真も、スーツじゃなくてがっつり私服姿だけど。

 しかし、理真のこのあまりに堂々とした歩きっぷりはどうだ。すれ違う制服警官に敬礼までしている。私もおどおどしていないで、もっと堂々としたほうが、変な目で見られないかも。


「おう、来たな」城島警部が近づいていく私たちを向いた。

 全くのフリーパスでブルーシートの中にまで入って行けてしまった。警部は河川敷の玉石敷きの地面に被せてあったシートをめくる。そこには……


「頸部圧迫による窒息死と見られる。目立った外傷は他にない」


 警部の言葉通り、死体の首には紐か何かで絞めた跡がくっきりと残っていた。被害者は、ジーンズにトレーナー、厚手のジャケットを羽織っている。理真の助手でいるからには、生、写真問わず死体を目にすることは宿命だ。とはいえこればかりは、いつになっても慣れるということがない。今回は外傷がなく、比較的安らかな死に顔なのが救いだ。私は皆と同じように被害者に手を合わせた。


「通報があったのは、今日の午前十時だった」


 城島警部は死体発見の経緯を説明する。

 昨夜のうちに新潟県と隣接する各県警に、いろは殺人の情報は伝播されていた。当然各県警は、今朝から『は』の付く地名に対する重点的な警戒を行った。ここ、福島県柳津町箱山も例外ではなかった。

 そんな中、午前十時一分。福島県警に110番通報が成された。只見川ただみがわの河川敷に死体のようなものがあると言う内容だった。通報したのは近所に住む男性。近くのスーパーマーケットまで買い物に行く途中、河川敷脇の道路を車で通っているところ、それを発見したという。

 通報を受け駆けつけた所轄署警察官は、河川敷に仰向けになって倒れている死体を確認した。死体を調べると、首を絞めた跡があり、所持していた財布に入れられていた免許証から名前が判明したため、福島県警は新潟県警へ連絡を入れたということだった。死体となっていた人物が芳賀という名字、柳津町箱山で発見。名字、地名それぞれの頭文字が『は』で一致していることを認めたためである。


「昨夜から今朝まで、新潟も含め隣接県から来た報告で、地名と名字の頭文字が一致、しかも『は』だったものはこれだけだ。他にも数件死亡者報告はあったが、いずれも病院での自然死のみだった。名前も死亡地も、『は』でもなければ一致してもいない」


 警部の説明を受けて理解した。これがいろは殺人の一環として行われた可能性が高いということを。


「また、殺害方法が違いますね」


 屈み込んで死体を見ていた理真が顔を上げた。


「そうだな」と城島警部は、「最初が転落死、次が刺殺、そして、絞殺、か……」

「死亡推定時刻は?」丸柴刑事が訊いた。

「見立てでは、昨夜零時を境に一時間前後だろうとのことだ」

「汚い!」突然大声を上げたのは中野刑事だ。「やり方が汚いですよ! 昨夜零時なんて、県警が犯行声明文を受け取って半日しか経っていないじゃないですか。何が『犯行を止めてくれ』だよ! こっちが何をする暇も与えずに次の殺人を犯すなんて!」


 胸の内をぶちまけた中野刑事は、落ち着いたのか、すみません、と小さく謝った。


「中野さんの言うことももっともです」立ち上がった理真が、「でもそれは逆に犯人の心理を表しているといえるのではないですか」

「どういうことですか?」と中野刑事。

「『い』と『ろ』の間は約一ヶ月。次の『は』の殺人も、犯行声明が届いた昨日から、約一ヶ月後に行おうと犯人が考えていたら、どうなるか。私は、ほぼ間違いなく犯人は捕縛されるのではないかと思います。現在の警察の組織力、情報収集力、機動力、それらを駆使すれば、犯行を行う場所はある程度特定できるし、犯人が前の二件の被害者と少なからず関わり合いのある人物だったら、捜査線上に必ず上がるからです。もしくは、警察の網に身動きが取れずに、犯行自体断念せざるを得なくなるのではないかと思います。だからこそ、犯人は殺人を急いだ。警察の捜査体制が整う前に事を成してしまおうというわけです。第一の殺人は事故死であるかのような殺し方で、警察の捜査介入を遮断しておき、第二の殺人を犯したあとで、実は第一の犯行はすでに済ませてます。と宣言する。後出しジャンケンです。つまり、犯人は警察を恐れている。警察と本気で戦ったら、勝ち目がないということをよく分かっている。ひとつひとつの犯行をじっくりと綿密に調べられたら、犯人への繋がりが捜査により看破されてしまう。犯人はそれを恐れているから、こうして矢継ぎ早に犯行を犯して、警察を混乱させようとしているのではないでしょうか」

「……すると、次の犯行も」と城島警部。

「はい、そう遠くないうちに遂行するつもりなのではないかと」

「ということは、犯人は、快楽連続殺人犯シリアルキラーなんかじゃない。被害者に対し明確な動機を持った殺人犯だということですか?」


 理真の言葉で少しは溜飲を下げたのか、中野刑事は落ち着いた声で理真に問うた。


「それはまだ分かりません。犯人が殺したい人物の名字が偶然いろは順になっていたことから、この計画を立てたのかとも考えましたが。被害者全員共通の関係や、参考人などは?」

「まだだな」答えたのは城島警部。「今度の被害者、芳賀の調べは当然まだ未着手だが、今までの捜査で、第一の伊藤、第二の六田の二人の繋がりはないし、共通の知人なども上がってはいない」

「そうですか」理真は腕を組んだ。

「いろは、と来たから、次は『に』ですね。畜生、今度は絶対に捕まえてやる」


 中野刑事は右拳で左掌をパチンと叩いた。理真は、


「犯人があくまで犯行声明と警察への挑戦、これだけはフェアを貫くなら、殺人を行った直後にこの近所で郵便を投函して、新潟県警に到着するのは、明日の午前中くらいになるでしょう。警察が声明文を受け取ってから、今回のように半日の猶予を持つなら、次に犯行が行われるのは、最短で明日深夜、ということになります」

「一日半か……」城島警部は顎に手をやり、「しかし、それは犯人があくまで犯行声明文を送るのは殺人を行った後、次の殺人を行うのも、警察がそれを受け取ってから、このルールを犯人が遵守するという仮定においてのものだな」

「ええ」


 理真もそこは不安なのだろう、神妙な表情で頷いた。城島警部も頷いて、


「もちろん、犯人のフェア精神、と言っては変だが、それを全面的に信用するわけじゃない。すでに対策は取っている。隣県も含めた『に』で始まる地域に特別警戒態勢を敷くよう通達、要請をしている。犯人を全面的に信じないと言ったそばから何だが、次に犯行が行われるのが、『に』の地名というのも、犯人がいろは順に犯行を重ねるという前提でのことなんだが」

「それは仕方がないですね。ここで犯人が、全く違う地名で犯行を行うということも考えられますが、そこまで考えるときりがないですからね」

「ああ、警察の組織力も有限だ。犯人が警察を恐れてくれるのは結構だが、限界はある」


 その後、死体は司法解剖へ回され、周辺への聞き込みが行われたが、生前の被害者、怪しい人物の目撃情報は得られなかった。それもやむなしと言える。死体が発見された周辺は、民家もなく、道路に街灯もない。死体発見、通報がされた昼間から夕方にかけては、奥の集落から買い物や通勤のため車の通りもあるが、死亡推定時刻の深夜になると、ばったりと人通りは途絶えてしまうそうだ。


 被害者の芳賀久則の身元も判明した。住所は東京都。決まった仕事には就いておらず、金がなくなったら非正規労働の仕事に就いては辞めを繰り返す生活を行っていたようだ。出身は埼玉県だが、両親とは死別し身よりもない。現在は就業していない時期だったようで、東京のアパートでも、他の住人とは挨拶を交わす程度の付き合いで、詳しい人となりは分からず、なぜ福島県柳津町箱山にいたのかも不明だった。



 その夜、新潟県警会議室での捜査会議は、前回に増して大人数となった。

『は』の死体が発見された福島を始め、山形、群馬、長野、富山各県警本部の捜査一課の刑事数名も合わせての出席となったためだ。いつもは一番後ろで誰も座っていない長机を二人で占拠している私と理真も、今度ばかりは他の刑事二人と相席になった。幸い新潟県警の見知った刑事だったため、気まずい思いはせずに済んだ。そのうちのひとりは、安堂あんどうさんですよね、と話しかけてきていた。県警内に少なからずいると噂されている、隠れ理真ファンだな。

 そうこうしているうちに、準備は整い、例によって城島警部の取り仕切りで会議は開始された。


「まずは、犯行声明を入手した、見てくれ」


 皆スクリーンに注視する。城島警部は、郵便の配達を待っていられないと、福島県の郵便局に出向き、新潟県警宛ての郵便物をいち早く入手した。福島県で投函されたという確証はなかったが、郵便物の中にそれを見つけることができた。前回の犯行声明と同じ封筒。そうして、通常の配達に先駆けて中身を捜査陣に公開できることになったのだ。



 拝啓 暮秋の候、警察の皆様におかれましては、日々犯罪捜査、治安維持へのご尽力、心よりねぎらい申し上げます。

 さて、この度は残念な結果となってしまいました。

 やはり聡明な警察の方々でも、私を止めることは出来なかったということは、慚愧の念に堪えません。

 ですが、私の警察の方々に対する信頼は、いささかも揺るぐことはありません。

 次こそは、私の行為を未然に阻止してくれるものと確信しております。


 それでは、日増しに寒さもつのりますが、風邪などひかれませぬよう、皆様におかれましては、くれぐれもご自愛下さいませ。

                            

 かしこ

 吉月 吉日

 いろは

新潟県警捜査一課 御中



「この手紙は、現場近くの福島県柳津局管内にて投函されている。犯行に及んだ直後に近くのポストへ投函し、翌朝回収されたものと考えられる。犯人は、犯行を行った後に手紙を投函するというルールは守っているようだ。で、次の犯行が行われる予想日時だが、前回は新潟県警に手紙が到着して、半日で次の被害者が殺害された。この手紙は配達前に私が郵便局から直接入手したものだが、本来であれば、明日午前中に配達される予定だったという。よって、次の犯行まで、最短で明日いっぱいがリミットだと考えられる」


 場内は多少ざわついたが、構わず城島警部は続ける。


「目下、近隣県警には、『に』で始まる市町村直下の地名に対し、厳戒体制を取り警戒してもらうよう要請をしている。もちろん新潟県警管内でも同様だ。犯行声明文は女性であるかのような書き方だが、犯人像は以前不明。怪しい人物には、どんどん職質を掛けてもらうことも要請している。続いて、今までの被害者の周辺を捜査した結果だが」


 その言葉を受けて、隣の織田おだ刑事が立ち上がる。


「伊藤孝子、六田龍好たつよし、そして芳賀久則、三人に共通点、共通した知人などの関連性は現在のところ見つかっておりません。

 個別の聞き込み結果ですと、まず伊藤孝子は専業主婦です。年齢は六十五歳。出身は岩手県ですが、結婚してからずっと村上市五十谷の夫の実家に在住していました。家族や近所に聞き込みを行いましたが、人から恨みを買うような人間ではないと口を揃えての証言です。事件自体も、最初は事故として処理されており、他殺を疑う根拠は確認されていませんでした。

 六田龍好、二十八歳、独身。新潟市西区のアパートでひとり暮らし。福井県出身で福井市内の高校を中退後、しばらくフリーターなどをしてぶらぶらしていましたが、五年前に知り合いの伝手つてで新潟市内の建設会社に就職。勤務態度は特に問題はなく、同僚とのいさかいを起こすようなこともなかったようですが、時折無断欠勤をすることがあり、そのため殺された日も、また無断欠勤だと思われ、職場から捜索願など出されることはありませんでした。

 芳賀久則、四十歳、独身。埼玉県出身で現住所は東京都足立区。埼玉の高校を卒業後、東京の会社に就職。知り合いが立ち上げたIT関連の会社でした。その会社は五年前に倒産。それ以降は非正規労働を繰り返していましたが、現在は無職でした。近所付き合いはほとんどなく、家族もいないため、人となりについての情報はほとんど入手できていません。会社員時代の同僚や知り合いとも現在は連絡を取り合っていないようです。携帯電話の電話帳にもそれらしい名前はありませんでした。」


 報告を終えると織田刑事は着席した。


「聞き込み班には継続して被害者周辺を当たってもらう。何か三人に共通項が見つかるかも知れないからな。それと、三人目の被害者、芳賀久則の検屍結果を」


 これに答えて立ち上がったのは中野刑事。


「死亡推定時刻は、昨夜午後十一時から翌午前一時の間。死因は、直径一センチ程度の布製紐で頸部を締められたことによる窒息死。被害者が抵抗した形跡がなく、体内から睡眠薬が検出されたことから、犯人は被害者を眠らせた後に首を絞めたと考えられます。死体に移動された形跡はなし。現場から犯人のものと思われるもの、その他遺留品は発見されませんでした。被害者の財布も現金が入った状態で残されていました」


 会議はそれから、重点警戒地域の確認、相互の連絡方法など、次の犯行を未然に防ぐための各県警間の連携捜査の確認を行い、解散となった。


 私と理真は、明日、今日行きそびれた村上市の『い』事件の現場へ行くことに決めた。ただし、今回は二人だけだ。丸柴刑事も実捜査の人手として取られてしまったためだ。新潟県とその隣接県で『に』の付く地名はどれほどの数になるのだろうか。応援も含めたら、各県下ほぼ全域の所轄署が動く大捜査になりそうだ。

 県警本部を出るさい、マスコミの人間らしき一団が張っているのを見た。警察は犯行声明文を公開してはいないが、ただでさえこれだけの警官が動いていることを訝しんでいるはずだ。気が付くマスコミがあってもおかしくない。一連の事件の法則、『いろは殺人』に。

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