3巻目 〜新年、新節、新展開〜

【日常】鮎川羽龍【お正月の話:一】

                    ◇


 新年明けましておめでとうございます。

 と、時節の挨拶から始めてみたが、新年が来たと言ったところで、特に代わり映えあることもない。暦の上では特別だけど、地球の自転も太陽の公転もおめでたさとは関係なく、定められた通りにぐるぐる変わらず回りながら、ぼくらに寒さを届けてくる。

 この家にいる住人はどちらも祝い事の習慣とは縁遠く、居候のセイレーンに至っては十時過ぎの今まで目覚めていない。年末特番で夜更かしをした訳でもないのに、よくもここまで眠れるなと思う。

 故に本日一月一日は何時もと同じ冬の朝として、静かに時を刻んでいた。

 ただ、一つだけ違うところがあるとするなら。


「おっおはようございます鮎川くんっ!」


 ぼくはこれから、委員長と初詣に行くということぐらいだろう。


                    ◇


「雪! 雪積もってますよ鮎川くん!」

「昨日の夜結構降ってたからね。初雪だっけ?」


 白く染まった町の光景に、くるくる回ってはしゃぐ委員長。

 委員長の服装は制服にカーディガンを羽織っただけで、どうやら寒さに強いらしい。

 雪の日には犬は喜び駆け回るという歌の一節を思い出す。

 ちなみにコタツで丸くなりそうな人格筆頭の憂里は、実はコタツとは縁遠い。水槽暮らしの人魚姫である彼女は熱に炙られるのは苦手だそうだ。代わりに水槽の温度が心なしかぬるま湯で、結局空気か水かの違いなのだけれども。

 あとついでに言っておくと、ぼくはエアコンの暖房派である。


「雪の日ってなんだか凄いですよね。街並みの色が白くなるだけで全然違った世界に見えて。

 外に一歩踏み出して見ただけで、どこか知らない場所に迷い込んだような困惑が来て。

 ここが知ってる街だと言う確信を持った瞬間に、他はどんな風になってるんだろうってワクワクを感じちゃったりしますよね」

「楽しそうだね、委員長」


 無難に流す。

 ぼくにはよく解らないものだったから。


「ここの道、春の桜並木が一番いいんですけど、雪で真っ白なのもなかなかいいですよね。……あっ」


 委員長が向ける目線の先、見知った顔が二人いた。


「お、委員長殿と鮎川ではないか」

「あけおめーっす」


「おはようございます、虎崎くんに継原くん」


 虎崎総一郎こざき・そういちろう継原つぎはらセイラ。二人ともぼくたちのクラスメイトである。

 簡単に紹介をしておこう。

 虎崎総一郎はぼくのクラスの副委員長だ。種族は未だに人間の一人。

 真神はずきがおどおどびくびく積極的でどうかお願いを聞いてくださいと呼びかけるタイプの委員長属性だというのなら、彼はその真反対、仕切り屋タイプの委員長属性。

 礼儀正しく規則にうるさく、自分にも他人にも厳しい男。

 委員長の座を射止められなかったのはいちいち何か言って来るようなキャラに実権を与えたくないと思われたからではないかとぼくは推測している。


 一方、継原セイラは特に役職持ちとかではない一般生徒だ。

 派手なエピソードを聞いた記憶も特になく、クウェンディ症候群の患者でもない。

 強いていうなら宮雨と近いタイプだろうか。軽めのノリでの賑やかし。

 なおこちらに浮いた話は特にない。世の中は厳しいのだ。


「虎崎くんたちも初詣ですか?」

「うむ、一年の計は元旦にありともいうし、学業関連の願掛けにな」

「ってもオレたちはもう済ませてきた帰りなんだけどな!

 名賀の巫女姿、今年もなかなか決まってたぜ」


 心配してたけどなー、と軽く続ける継原セイラ。

 そのニュアンスが良くわからずに少し小首をかしげてみると、委員長が小声で囁き、


「(名賀さん、のが今年……じゃなかった、去年の春ですから)」

「……ああ、そういうこと」


 再確認しておこう。

 ぼくたちが生きるこの時代には、クウェンディ症候群という病気がある。

 思春期の少年少女が罹患するその症状は簡単に言えば人間ではなくなってしまうこと。

 蛇の尻尾が生えてきたり、猫の耳を有したり、人の血を吸う牙を手に入れたり、神話伝承の亜人に変える、呪いのような異形の病。


 そして、これから向かう白虹橋神社の娘、名賀かがしは人蛇である。

 彼女は去年の春の終わりにその病気を発症し、めでたくなくも人間卒業したらしい。

 つまり今回が初めてなのだろう。人蛇の体で巫女服を着て人前に出るのは。

 夏以前の記憶を失っているということになっている――実際は別人、いや、人ですら無い真性怪異が入れ替わっている鮎川羽龍にとっては、失念しやすい情報だ。


「ひょっとして。ぼくを初詣に誘ったのって、元気づけに行こうとかそういうことなのかな」

「……そうですね。最近はもうかなり元気になってるけれど、やっぱり気にしてるところは時々見えてましたから」

「委員長殿は人のことをよく見ているのだな」

「あっいやそんなっ、褒められるようなことじゃないですからっ」

「褒め言葉は素直に受け取っても損はないと思うよ、委員長。

 それともなにかな、……ひょっとして実は蔑まれる方が好みだったり?」

「…………っぅぅ、あ、ありがたく受け取っておきますっ」


 ぴくぴく震えながら返事をする委員長。

 体に出る程ということはあまり褒められなれてないんだろうか。少し心配になったりする。


「ところで。神社、人多かった?」

「それなり程度、というところだろうか。とはいえ、まだ昼前なので多分これから増えていくと思うが」

「さっき行ってきたばかりのオレたちがいうのもなんだけど、元旦から律儀に初詣に行く人って結構いるんだなあって思わされたぜ」

「その代わりにこういった時節の事柄でも無いとなかなか行かないだろうからな。俺は学業成就という願いがあったからだが、目的の無い習慣での参拝でも外出に繋がり地域経済活性化の一助になるならいいことであろう」

「相変わらず副委員長サマは難しいことを考えてるなあ! オレなんて名賀の巫女服姿を見に行きたかったってだけの理由だぜ?」

「お前はもうちょっと言い方を考えるがいい、継原。照れ隠しにしてももう少し真っ当な言葉選びが有るだろう」


 そういって副委員長は継原を小突く。

 つまりは様子を見に行きたかった、という意味なのだろう。

 ……でも照れ隠しじゃなくて本音のような気がしないでもないが。


「愛されてるんだね、名賀さんは」


 呟く。特に他意もなく放たれたそれに、しかし虎崎はばつが悪そうな顔をして。

「ん、あー、名賀はしばらく荒れていたからな。今ではそれほど暴れたりはしないが、引きずっている様子は時々見て取れるので気になりもしよう。

 そもそもクウェンディ症候群発症者は大なり小なり心を病むものというのは定説であるし」


 まあ中には飛倉氏のように一切気にせずに見せびらかすようなのもいるのだが……と唸る虎崎。

 まさか彼女は患者ではなく吸血鬼のふりをしていただけだから、発症で病むも何もないのだというネタバラシをするほどに、ぼくの性格は悪くない。


 というかそもそも逆なのだ。クウェンディ症候群は幻想の病だ。精神病の一種なのだ。

 患者が発症に伴って病むのではなく。

 病んだ人間が発症する、メンタリティのイルネスだ。

 それが抱えた悩みを解消するにせよ加速するにせよ、心に傷を負った人間の逃避の形だ。


 当然だけど、名賀さんの抱えていた問題は、当時を知らないぼくには未知だ。

 彼女の病気は彼女のもので、ぼくが知るようなことではない。

 そして”鮎川羽龍”やかつてのぼくが、どんな思いを抱えていたかも、ぼくには解りはしないのだが。


「ともあれ、悩みの渦中の人間に中途半端に触れるのはあまり得策では無いのだと、クラスの中では知れ渡っていたわけでな。あの秋のはじめに鮎川を遠巻きにしていたのは、つまりはそういう空気のせいだ。許せ」

「いやえっ。許せもなにも」


 困惑し、ふと気づく。

 愛されてるね、と、そういう感想を得たというのなら。

 比較対象としての愛されていないものを思い浮かべたりしたのだろうかと。

 そんな想像を、虎崎は巡らせたりしたのだろう。

 余計なお世話だ、とか、考えすぎだ、とか、そんな返答を投げるのは、流石に失礼とぼくでも気づく。


「気にしてないよ」


 ──偽物のくせに。


 曖昧な笑みを返しておいて、心の中だけで、いつもの口癖をつぶやいた。

 音に出して言ったならば、それこそ誤解を得ただろうから。


【NeXT】

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